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2025-03-20 16:52

20|西鉄福岡市内線の面影探して…北九州、広島、ミャンマーにも⁉ 福岡・警固公園の石畳も実は…

ご乗車ありがとうございます。この番組では西日本新聞の“乗り鉄”記者が鉄道旅の魅力について広く深くマニアックに語っていきます。

2025年2月22日の運行をもって引退した熊本市電「5014号」は、もともと西鉄福岡市内線(1979年全廃)の路面電車でした。実は5014号のように、福岡市内線を走った後に他の街へ“移籍”した電車は他にもありました。また、福岡市内には路面電車の痕跡が今も残っています。今回は、記者が各地に足を運んで探した西鉄福岡市内線の面影をたどります。

◆旅人=中原岳(人事部、元長崎総局記者)、車掌=宮下雅太郎(MC/データマーケティング部) /音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)

◆収録日:2025年2月28日

◆【動画】西鉄の路面電車、その余生を訪ねて(2022年5月12日付関連記事)
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/921097/

◆中原岳記者の記事一覧
https://www.nishinippon.co.jp/writer/show/79/

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Summary

このエピソードでは、西鉄福岡市内線の歴史や、福岡から北九州、広島、さらにはミャンマーにまで広がる電車の物語が紹介されています。それぞれの路面電車の移動や変遷を通じて、地域交通の重要性や文化的なつながりについて考察されています。また、西鉄福岡市内線の歴史やその影響を探求し、福岡市内のバス停やケゴ公園の石畳がかつての路面電車に由来していることについても明らかにされています。さらに、地域の歴史を感じさせる敷石の背景に隠された市民の思いについても触れられています。

西鉄福岡市内線の歴史
西日本新聞Podcast
西日本新聞 鉄ガクの旅
ご乗車ありがとうございます。
この番組では、西日本新聞社のノリ鉄記者が、鉄道旅の魅力について、広く深くマニアックに語っていきます。
ご案内します車掌は宮下、旅人は中原岳さんです。中原さん、今回もよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
中原さん、前回の放送では、福岡市内を走っていた路面電車が熊本で活躍するようになって、ただそれが惜しまれつつ現役を引退するというニュースだったと思うんですが。
はい、そうですね。前回の放送では、もともと西鉄福岡市内線という路面電車として走っていて、後に熊本市電に移って、残念ながら2月22日に惜しまれつつ運行を終えてしまった5014号についてご紹介しました。
実はこの5014号、なぜ引退したのかというと、路面電車にも車で言う車検と同じようなものがあって、車検で必要な部品の調達が困難になったという理由で運転を終えてしまったんですけれども。
実はこの5014号と同じように、もともと福岡市内線を走っていて、同じように他の街へ活躍の場を移した電車というのが、いくつか例が他にもあって、今回はその例をいくつかご紹介しようかなと思います。
ここで、西鉄福岡市内線の歴史を簡単にご紹介したいと思います。
この西鉄福岡市内線というのは、繰り返しますが福岡市内中心部をかつて走っていた路面電車なんですけれども、もともとは1910年、明治43年に、今の西日本鉄道のルーツの一つである会社が最初の区間を開業して、その後も路線を徐々に伸ばしていって、
最西駅には博多駅や天神、西神など、市内各地を結ぶ路線を有していたんですね。
実はすごいデータもあって、1960年代には1日に30万人近いお客さんが乗っていたそうで、当時の福岡市の人口はまだ100万人を超えていなかったので、
それを考えると、単純に考えれば3人に1人はその路面電車を使っていたと。もちろん行き帰りで乗る人もいたでしょうから、なかなかカウントが難しいところであるんですけれども、その当時で30万人近いお客さんが乗っていたというのは、なかなかすごい数字だなと思うんですけれども、
ただその後は、いわゆるマイカーが普及していったりであるとか、渋滞が頻発するようになって、定住運行が困難になったんですね。
そういうこともあって利用が低迷していって、段階的に路線が廃止されていき、1979年に全廃されてしまいました。
地域交通の再利用
ただ長年、福岡の街を69年にわたって走っていた路線だったので、69年の間には電車を古いものから新しいものに更新したりであるとか、もしくは路線が廃止されたことによって余った車両が発生したんですね。
そういったこともあるんですけれども、まだ使えそうなものは、他の街の路面電車として再利用されたケースがいくつかあって、その一つが1959年に福岡から長崎へ移った長崎電気軌道の168号という電車がその一つなんですね。
この168号は厳密に言うと、もともとは1911年に北九州市、今の北九州市で路面電車が走り始めた際に導入された車両なんですね。
だから作られてから110年以上経ってるという、日本でも最古級の電車だというふうに言われてるんですけれども。
この北九州、北九州ももともと今の西鉄のルーツとなる会社が運転をしていたので、つまり同じ会社だったんですね。
同じ会社というか、ルーツとしては同じ西鉄系列の会社がやっていたので、その後北九州から一旦福岡市内線に移って、その後長崎に移ったという流れですね。
この長崎電機軌道の168号なんですけども、今YouTubeをご覧の方には写真をお示ししているんですが、その写真の電車に看板が取り付けられていて、10月14日鉄道の日という日があるんですけど、こういった形で鉄道の日だとか、こういった記念日には実はお客さんを今も乗せて走ることがあってですね。
これもともとずっと現役で今走っているというよりも、そういうセレモニー的な時に運行しているって感じですね。
ただそういった時にはですね、一般の方も正規の運賃を払えば乗れるのでですね、そういったアナウンスはこの長崎電機軌道の方からも、今度こういった168号を運転しますよっていうアナウンスが流れているので、ご興味がある方はそれに合わせて長崎に行かれてもいいかなというふうに思います。
それでですね、これが前長崎に行った例なんですけども、一方でですね、同じ福岡県内でも譲渡された例があってですね、それがですね、北九州市と野形市を結ぶ筑豊電機鉄道に移籍した電車もありました。
この筑豊電機鉄道っていうのは今もそうなんですけど、西鉄のグループ会社なので、同じグループ内で移動したってことになるんですけれども、
この西鉄はですね、実はかつて福岡と北九州を筑豊経由で電車で結ぶ構想があってたんですよ。その名残がこの筑豊電機鉄道というなんですね。
野形っていうのは筑豊地区の一部になるので、そこの筑豊電機鉄道を走っていたのがですね、二線型というものなんですね。
この二線型が興味深いのはですね、先ほど北九州も福岡もどっちも路面電車が走っていましたよって話をしましたけども、この二線型はですね、3つの車体をつなげた電車なんですけども、
少し複雑な話なんですけど、この両側の運転台がある車体は西鉄福岡市内線、この真ん中の中間の車体はですね、北九州市内を走っていた路面電車をつなぎ合わせたものなんです。
だから西鉄がですね、電車で福岡と北九州を結ぶ計画っていうのはですね、幻に終わってしまったんですけども、この電車の編成では福岡と北九州がつながっているという。
めちゃめちゃマニアックな、これぞ哲学の旅というエピソードですね。
というですね、幻の北九州福岡をつなぐ計画が電車の編成で実現しているということなんですが、
ただこの2線型もですね、新型車両の導入で次々に引退してしまって、最後の人編成の2003号もですね、2022年に運転を終えてしまいました。
国境を越える電車
ただこの2003号なんですけども、その後ですね、農型市の団体に引き取られて公開されているようでして、
それはですね、2023年4月30日付けの西日本新聞地区報判にも掲載しております。
という形で、現役の電車が走る線路の上からは引退してしまったんですけども、まだその姿はですね、農型の方で見ることができるところになります。
今のは北九州なんで、長崎北九州と九州内で活躍の場を移したお話をしたんですけども、実は九州を越えて広島に移った電車もあったんですね。
広島も路面電車の街として結構有名で、観光とかで利用された方が多いかなと思うんですけども、
こちらでもですね、多くの福岡出身の電車が活躍していまして、それ以外はですね、3000形という形式なんですね。
今、YouTubeをご覧の方にはですね、写真をお示ししていますが、この写真はですね、私が2009年大学生のときにですね、広島に旅行で行ったときに撮った車両でして、
なんですけども、もともとこの3000形、福岡市内線の電車を広島に持って行って改造して走らせたのが3000形なんですけども、
ただその3000形、最も多いときには8編成もあったそうなんですが。
路面電車で8編成なんですか?
8編成というのは8本っていう意味ですね。
なるほど。
同じ型の3000形という。
繋がってるわけじゃないんですね。
繋がってるわけです。それぞれ独立した編成が8編成だったんですね。
この3000、広島電鉄の3000形の福岡市内線ゆかりんの電車だったんですが、徐々に数を減らしていって、今は1編成しか残ってない。
しかも広島電鉄の方にちょっと聞いてみたらですね、この電車は今は車庫で休んでる状態。
そうなんですか。
普段はですね、現在は通常の運転には利用してないそうなんですね。
だから今後どうなっていくのかっていうのはちょっと気になるところではあるんですけれども。
さらにですね、広島にこういった形で福岡市内線から移った電車が広島では3000形ということで走っていたんですけれども。
広島からですね、さらに今度海外に行ってしまった。
海外にまで行ってるんですか。
そうなんですよ。福岡、広島、そして海外という経歴の電車もあって、それがですね、実はミャンマーのヤンゴンに乗土された電車なんですよ。
今ですね、YouTubeをご覧の方には写真を出してるんですが、これは2018年の12月に私がミャンマーのヤンゴンに行って。
何しに行ったんですか。
この電車を見るためにですね。
本当ですか。
本当です。当時はまだクーデター前だったので、比較的ヤンゴン市内はですね、情勢が安定していたので特段何かトラブルとかはなかったんですけども。
この電車はですね、もともと繰り返しますが、福岡から広島に行って、その広島からさらに広島電鉄がミャンマーのヤンゴンの方に乗土したというものなんですけども。
その乗土した時期がですね、2015年の7月なのでちょうど10年ほど前ですね。
この元福岡市内製の電車2本と元大阪市電。
広島ではですね、大阪市電からもらった電車もあったので、福岡市内製の電車2本と元大阪市電の電車1本をですね。
つまり合計3本を現地、ミャンマーのヤンゴンの方に乗土して、メンテナンスだとかの助言とかですね、運転手さんの教育とかまで協力してやってたんですけども。
残念ながらこの電車はですね、その翌年ですね、運転を始めたんですが、ほどなくして運転できなくなった。
そんなに時間が経たず、なんでですか。
広島電鉄としてはその後の状況はよく把握してないということなんですけども。
どうも様々な現地の事情が絡んでたという記事はですね、インターネット上でちょっと見たりとかしたんですが、残念ながらその後間もなくしてですね、走らなくなって。
先ほど言いましたように、2018年12月に私が現地に行った際もですね、車庫に留め置かれた状態まで全くしばらく走ったような様子はありませんでした。
扉が開いているように見えるんですけど、こっそり乗ったりもできるんですか。
いや、中までは入れなくてですね、遠巻きにいた感じでは、中でですね、何か作業員の方が誰かだと思うんですけども、中でちょっと寝てらっしゃる人もいたりですね。
電車というよりは休憩所のような感じで使われているようにはお見受けしたんですけど、ちょっと遠くからしか見てないので。
なんかでも全体的に青みがかっていてというか、もともと前回習った西鉄カラーとまたほど遠い色合いになってるなという感じですね。
そうですね。
広島に行った段階で広島独特のカラーに変わっていたので、そこがさらに今度は青っぽい色に変わったということで。
全く違うカラーなんですけども、この電車もですね、できれば海外に行ったからにはですね、ミャンマーまで行ったからには走り続けてほしかったんですが、
それほど長く活躍することなく運転を止めてしまったということで、その後この電車がですね、復活したというニュースはないので、今ちょっとどうなってるかわからないんですけれども。
福岡市内の面影
そういう形でですね、もともと西鉄福岡市内線の電車で動く状態で生き残っている電車っていうのはもうどんどん姿は消していってるんですけども、
ただ実はホームとかですね、線路設備でゆかりがあるものはまだちょっと見られるものがあるんですよ。
しかもそれは地元に残ってるんですよ、福岡市内と。
その一つがですね、こちらなんですけれども、福岡市東区の前田市通りバス停というところなんですが、この前田市通りのバス停の乗り場があるんですけども、
この乗り場が実はもともと路面電車時代のものをそのまま使っているということで。
それでなんかこう不自然な段差というか。
そうですね。板状の石がこう一列に並んでるんですけど、これがもともと福岡市内線の電停をバス停として転用したというものだそうで、そうなんですよね。
なのでこれは今も見られますのでですね、もしその東区の方に行かれる機会がある方は見てみられてはどうかなと思います。
もう一つはですね、まさに西日本新聞社の本社がある天神にあるケゴ公園ですね。
有名な西鉄福岡駅のすぐそばにあるケゴ公園なんですけど、このケゴ公園に石畳があるのをご存知ですか。
実はこの石畳もですね、どうやら西鉄の路面電車の敷石を転用したものなんですね。
なるほど。
敷石というのはですね、路面電車は道路上を走るので、線路があるじゃないですか。
線路の周りに板状の敷石を敷き詰めることによって、その上を人とか車が横断しやすくするものが敷石なんですけども、
その敷石をですね、このケゴ公園の石畳に転用したっていうのが、これ実は西鉄の車内法でかつて報じられたことがあるそうでして。
むしろなぜ中原さんが過去の西鉄の車内法に載っているところまで情報をゲットしているのかの方が気になりましたね。
実はこれ以前取材したことがあって。
そうですか。
前からですね、このケゴ公園の石畳、これ電車の敷石なんじゃないかなと思って。
そんなことは全くオシャレな石畳だなっていうのを思ってましたけど、まさか鉄道ゆかりのものだとは思いませんでした。
そうなんですよ。そうかなと思って、西鉄の歴史に詳しい方を通じて調べてもらったら、車内法にそのように書いてあったと。
このケゴ公園なんですけども、実はかつてですね、このケゴ公園の整備に西日本鉄道が関わったことがあったので、その際に敷石を再利用したというようなんですね。
石畳と市民の思い
どこで使われてたかとかまではわからない。
そうなんですよ。しかも先ほど言いましたように、西鉄というのはもともと北九州でも路面電車を運行していて、北九州の方がわりと平成の初め頃まで北九州市内では路面電車を運行していたので、
もしかすると北九州線の路面電車の敷石をケゴ公園で使った可能性もあるので、もしかすると福岡市内線のものじゃないかもしれませんけども、ただ西鉄がこの整備に関わった際に路面電車の敷石を転用したという記録が残っている。
鉄道好きの方でこの敷石を見てピンとくる人が一定数いらっしゃるってことなんですね。
そうですね。わりと全国的にも路面電車が廃止されていた時期に、やっぱり当時の市民の人が記念に欲しいとか言って譲り受けた方は一定数、京都でもそういう話聞いたことあるんですよ。
私が卒業した大学のキャンパス内にもこういった石畳があったんですけど、それもやっぱり京都市での敷石を転用したものだっていうふうなことは聞いてたので、
全国各地でですね、この敷石を記念に行ったとかそういったことで転用した例っていうのは他にもいくつかあってですね。
さっきのバス停もそうですけど、市民の方の近くにあった名残というか石畳だけでも残したいというか、バス停なんかも再利用したいみたいな思いがその時にあったんだなということが今日学べました。
そうですね。やっぱりこの路面電車っていうのは本当市民の足なので、やっぱりいろんな方の思い出にも残ってるでしょうし、
大事な場面でも使った人もいると思いますので、電車がなくなるのはいたしかたないけどその思い出だけでもっていうそういう思いを持った方っていうのはやはりいろんなところにいらっしゃるんじゃないかなと思いますね。
なのでこのケゴコーヘンで使われているというのもですね、私がその推理が当たった時は、自分でもちょっとびっくりしたんですけど、やっぱりそこもやっぱり西鉄さんとしても思いがあったんじゃないかなというふうに想像しています。
なんか看板とか立ててもいいと思うんですけどね。
そうですね。
昔は路面電車のところで活躍した意思ですみたいな。
そうですね。本当このケゴコーヘンの石畳も角が取れてるんですよね。だから恐らく、もちろん公園として再整備された後、いろんな人が歩く中で角が取れていったのもあるかもしれませんけど、現役として使われたときは本当に道路上、車とかが通る道路上にあったものなので、やっぱり市民の足を支えていた、市民の足元を支えていたというそういうものなのでですね。
いずれにしてもこれも福岡市の貴重な歴史の一部なんじゃないかなというふうに思います。
こういった形でですね、西鉄福岡市内線が走っていた頃を思い浮かべながらですね、廃線跡を巡るのも面白いかもしれませんね。
こうしたですね、ちょっとマニアックですけど、こういった見方だとか楽しみ方もこれからですね、この番組では伝えていきたいなと思いますので、今後もご乗車お待ちしております。
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