ただ長年、福岡の街を69年にわたって走っていた路線だったので、69年の間には電車を古いものから新しいものに更新したりであるとか、もしくは路線が廃止されたことによって余った車両が発生したんですね。
そういったこともあるんですけれども、まだ使えそうなものは、他の街の路面電車として再利用されたケースがいくつかあって、その一つが1959年に福岡から長崎へ移った長崎電気軌道の168号という電車がその一つなんですね。
この168号は厳密に言うと、もともとは1911年に北九州市、今の北九州市で路面電車が走り始めた際に導入された車両なんですね。
だから作られてから110年以上経ってるという、日本でも最古級の電車だというふうに言われてるんですけれども。
この北九州、北九州ももともと今の西鉄のルーツとなる会社が運転をしていたので、つまり同じ会社だったんですね。
同じ会社というか、ルーツとしては同じ西鉄系列の会社がやっていたので、その後北九州から一旦福岡市内線に移って、その後長崎に移ったという流れですね。
この長崎電機軌道の168号なんですけども、今YouTubeをご覧の方には写真をお示ししているんですが、その写真の電車に看板が取り付けられていて、10月14日鉄道の日という日があるんですけど、こういった形で鉄道の日だとか、こういった記念日には実はお客さんを今も乗せて走ることがあってですね。
これもともとずっと現役で今走っているというよりも、そういうセレモニー的な時に運行しているって感じですね。
ただそういった時にはですね、一般の方も正規の運賃を払えば乗れるのでですね、そういったアナウンスはこの長崎電機軌道の方からも、今度こういった168号を運転しますよっていうアナウンスが流れているので、ご興味がある方はそれに合わせて長崎に行かれてもいいかなというふうに思います。
それでですね、これが前長崎に行った例なんですけども、一方でですね、同じ福岡県内でも譲渡された例があってですね、それがですね、北九州市と野形市を結ぶ筑豊電機鉄道に移籍した電車もありました。
この筑豊電機鉄道っていうのは今もそうなんですけど、西鉄のグループ会社なので、同じグループ内で移動したってことになるんですけれども、
この西鉄はですね、実はかつて福岡と北九州を筑豊経由で電車で結ぶ構想があってたんですよ。その名残がこの筑豊電機鉄道というなんですね。
野形っていうのは筑豊地区の一部になるので、そこの筑豊電機鉄道を走っていたのがですね、二線型というものなんですね。
この二線型が興味深いのはですね、先ほど北九州も福岡もどっちも路面電車が走っていましたよって話をしましたけども、この二線型はですね、3つの車体をつなげた電車なんですけども、
少し複雑な話なんですけど、この両側の運転台がある車体は西鉄福岡市内線、この真ん中の中間の車体はですね、北九州市内を走っていた路面電車をつなぎ合わせたものなんです。
だから西鉄がですね、電車で福岡と北九州を結ぶ計画っていうのはですね、幻に終わってしまったんですけども、この電車の編成では福岡と北九州がつながっているという。
めちゃめちゃマニアックな、これぞ哲学の旅というエピソードですね。
というですね、幻の北九州福岡をつなぐ計画が電車の編成で実現しているということなんですが、
ただこの2線型もですね、新型車両の導入で次々に引退してしまって、最後の人編成の2003号もですね、2022年に運転を終えてしまいました。
ただこの2003号なんですけども、その後ですね、農型市の団体に引き取られて公開されているようでして、
それはですね、2023年4月30日付けの西日本新聞地区報判にも掲載しております。
という形で、現役の電車が走る線路の上からは引退してしまったんですけども、まだその姿はですね、農型の方で見ることができるところになります。
今のは北九州なんで、長崎北九州と九州内で活躍の場を移したお話をしたんですけども、実は九州を越えて広島に移った電車もあったんですね。
広島も路面電車の街として結構有名で、観光とかで利用された方が多いかなと思うんですけども、
こちらでもですね、多くの福岡出身の電車が活躍していまして、それ以外はですね、3000形という形式なんですね。
今、YouTubeをご覧の方にはですね、写真をお示ししていますが、この写真はですね、私が2009年大学生のときにですね、広島に旅行で行ったときに撮った車両でして、
なんですけども、もともとこの3000形、福岡市内線の電車を広島に持って行って改造して走らせたのが3000形なんですけども、
ただその3000形、最も多いときには8編成もあったそうなんですが。
路面電車で8編成なんですか?
8編成というのは8本っていう意味ですね。
なるほど。
同じ型の3000形という。
繋がってるわけじゃないんですね。
繋がってるわけです。それぞれ独立した編成が8編成だったんですね。
この3000、広島電鉄の3000形の福岡市内線ゆかりんの電車だったんですが、徐々に数を減らしていって、今は1編成しか残ってない。
しかも広島電鉄の方にちょっと聞いてみたらですね、この電車は今は車庫で休んでる状態。
そうなんですか。
普段はですね、現在は通常の運転には利用してないそうなんですね。
だから今後どうなっていくのかっていうのはちょっと気になるところではあるんですけれども。
さらにですね、広島にこういった形で福岡市内線から移った電車が広島では3000形ということで走っていたんですけれども。
広島からですね、さらに今度海外に行ってしまった。
海外にまで行ってるんですか。
そうなんですよ。福岡、広島、そして海外という経歴の電車もあって、それがですね、実はミャンマーのヤンゴンに乗土された電車なんですよ。
今ですね、YouTubeをご覧の方には写真を出してるんですが、これは2018年の12月に私がミャンマーのヤンゴンに行って。
何しに行ったんですか。
この電車を見るためにですね。
本当ですか。
本当です。当時はまだクーデター前だったので、比較的ヤンゴン市内はですね、情勢が安定していたので特段何かトラブルとかはなかったんですけども。
この電車はですね、もともと繰り返しますが、福岡から広島に行って、その広島からさらに広島電鉄がミャンマーのヤンゴンの方に乗土したというものなんですけども。
その乗土した時期がですね、2015年の7月なのでちょうど10年ほど前ですね。
この元福岡市内製の電車2本と元大阪市電。
広島ではですね、大阪市電からもらった電車もあったので、福岡市内製の電車2本と元大阪市電の電車1本をですね。
つまり合計3本を現地、ミャンマーのヤンゴンの方に乗土して、メンテナンスだとかの助言とかですね、運転手さんの教育とかまで協力してやってたんですけども。
残念ながらこの電車はですね、その翌年ですね、運転を始めたんですが、ほどなくして運転できなくなった。
そんなに時間が経たず、なんでですか。
広島電鉄としてはその後の状況はよく把握してないということなんですけども。
どうも様々な現地の事情が絡んでたという記事はですね、インターネット上でちょっと見たりとかしたんですが、残念ながらその後間もなくしてですね、走らなくなって。
先ほど言いましたように、2018年12月に私が現地に行った際もですね、車庫に留め置かれた状態まで全くしばらく走ったような様子はありませんでした。
扉が開いているように見えるんですけど、こっそり乗ったりもできるんですか。
いや、中までは入れなくてですね、遠巻きにいた感じでは、中でですね、何か作業員の方が誰かだと思うんですけども、中でちょっと寝てらっしゃる人もいたりですね。
電車というよりは休憩所のような感じで使われているようにはお見受けしたんですけど、ちょっと遠くからしか見てないので。
なんかでも全体的に青みがかっていてというか、もともと前回習った西鉄カラーとまたほど遠い色合いになってるなという感じですね。
そうですね。
広島に行った段階で広島独特のカラーに変わっていたので、そこがさらに今度は青っぽい色に変わったということで。
全く違うカラーなんですけども、この電車もですね、できれば海外に行ったからにはですね、ミャンマーまで行ったからには走り続けてほしかったんですが、
それほど長く活躍することなく運転を止めてしまったということで、その後この電車がですね、復活したというニュースはないので、今ちょっとどうなってるかわからないんですけれども。