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2025-08-30 37:34

25|「選挙の神様」が斬る!結党70年自民党のオモテもウラも(第1回)

日本の国政の中心地・永田町で日々取材をする西日本新聞東京支社報道部の記者たちが、政治を身近に感じてもらえるように、ゆるりとニュース解説や裏話をする番組です。

遂に神様が降臨!!自民党の選挙を知り尽くした元事務局長の久米晃さんをお招きし、結党70年の自民をあれこれ深掘りするシリーズを始めます。初回は選挙に興味を持った少年時代から自民がかつては選挙に強かった秘密、そして今の評価まで辛口でぶっちゃけます。

◆出演:久保田かおり(MC/東京支社報道部デスク)、小川勝也(東京支社報道部記者・自民党キャップ)/ゲスト=元自民党事務局長の久米晃さん/音声編集:中富一史(販売部)
◆途中音質が変わるところや、聞き取りづらい箇所があります。ご了承ください
◆収録日:2025年8月26日

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サマリー

自民党は結党70年を迎え、その中で選挙の神様と称される久米昭氏が自民党の現状や支持率の低下、不祥事の影響について語っています。特に、自民党における選挙の重要性や信任のあり方について掘り下げ、政治に対する深い見解を披露しています。このエピソードでは、自民党が結党70年を迎えた背景やその支持理由について議論されています。歴史的な視点から、選挙戦略や党内の個性、地域性がどのように自民党の強さに寄与しているかが探求されています。また、自民党の70年の歴史を振り返り、党の変化や弱体化の原因について考察されています。平成元年以降の政治家の使命感の欠如や、選挙制度の影響が自民党に与えた影響についても議論が行われています。自民党の結党70年を迎え、その変質や派閥の役割について分析し、石場卸の現状に迫る内容が展開されています。

自民党の現状分析
西日本新聞ポッドキャスト
皆さんこんにちは。西日本新聞ゆるり政治考。この番組では日々長田町で取材をしている西日本新聞東京報道部の記者が、政治を身近に少しでも感じられるようなニュース解説、そして裏話をゆるっとしていきます。
収録日は今日8月の26日。お母さん相変わらず暑い、夏い東京長田町で収録してますね。暑いです。
今日はニャンとこのゆるり政治考に神様が降臨。神様が降臨というわけで。
ガヤ芸人たちも盛り上がっています。私もやや緊張しておりますけれども。司会の私、デスクの久保隆。
今日メインは自民党担当キャップの小川克也さんでお送りします。よろしくお願いします。
早速神様をお呼びしましょうか。
自民党の元事務局長で長田町界隈では選挙の神様と呼ばれる久米昭さんをお招きしました。
なぜ神様をお招きしたのか。
番組の趣旨変わってきそうですけど。自民党は今年11月ですが、決闘70年という大きな節目を迎えます。
もう戦後皆さんご存知のように長く政権の座にあって国民政党と彼らはよく言いますよね。
なのに最近どうしたどうしたと。支持率も落ちてるし、政治と金とかいろんな不祥事が目立つし、国政選挙その他でも負け続けてるし。
久米昭の経歴と選挙との関わり
ここは40年も党職員として自民党を支えてきた久米さんにぶっちゃけてもらうしかないということでお願いした次第ですと。
名付けて選挙の神様が斬る決闘70年自民党の表も裏もと題しました。
こういうタイトルになったんですね。
独断と偏見で複数あった中から、これにしようかなとキャッチンにしてみましたけど。
小川さんじゃあ具体的にどこから伺っていきましょうか。
なんと自民党職員になられたのは1980年。
80年ということで。
私が86年生まれなんで。
知らんけど。
私78年生まれ。
22年後に。
40数年前ですね。
自民党職員になられて。小川さん具体的に久米さんに質問をお願いいたします。
久米さんがまず党の職員になるまでの経歴を詳しく教えていただければと思います。
長田町では超有名人だけれども職員さんであられたので。
ひょっとしたら一般の方、ご存知でない方も多いかなと思いますのでそこからお願いします。
久米さんの経歴からまず。
自己紹介的な。
テレビ画面じゃないとわかりませんけども。
紙がないから神様なんですよ。
早速ぶっこんでもらいます。
でも業界使用の。
あのね実はね。
昭和45年の。
正確に言うと40年ね。
高校の1年生というかね政治家図をやってるんですよ。
え、長っ。
はい。
だからもう55年ぐらい政治の世界でしか生きてきてないんですよね。
それは神様ですね。
頭の中がだから政治以外に関心がないんですよ。
すごい。
高校1年生のときもね、結局ね右と左の対決だったでしょ。
どんどん勝っちゃったでしょ。
そういうのをちょっと距離をいって見てたんだね最初ね。
しかしそのうちにだんだんとどっぷりと使うようになってしまったんです。
それから高校の2年生のときから昭和45年の頭から活動を始めたんですよ。
なるほど。
だからね高校生の正式はね、6年でスコーツ部だったんだけどね。
卒業するときはほとんど再開にしたいのに。
あまりに熱心に活動をしてすぎて。
そう。だから内心性がめちゃくちゃ悪かった。
だから教師とお互い授業中に喧嘩ばっかりしてますよ。
議論を吹っ掛けるわけですか。
そう。相当クラフな子が授業が潰れるでしょ。
みんな拍手をかさえて応援してるわけ。
思想対立のところで。
もちろん。左というか教師が偏向教育するでしょ。
先生おかしいんじゃないのとした相談。
なるほど。そんな志あるというか。
大学は受からないでしょ。
まだ聞いてないですよ。
全然内心性がめちゃくちゃ悪かった。
愛知の生まれなんですね。
1年生にしていろいろあって、愛知学院大学という大学に入ってきました。
愛知の大学に入ってきました。
そこで学内奉送みたいなのをやってて、
1年生の時に定額処分部だったんです。
やっちゃって。
東京へ出てきたんです。
学生運動の専従のために。
高校生の時は新聞部。大学も新聞部。
簡単な記事替えとかいわゆる割り付けとかいろいろできるじゃん。
業界史で入って、それで収入を得て生活してた。
それは悪い。
大学生。
大学1年で辞めちゃった。
中途退学して、東京に出てきて、学生運動の専従をしてた。
業界史で働き出して、それがまたなぜ自民党職員に行って、そこが興味があるんですか。
昭和54年に商法改正ってなった。
いわゆる総会や、そういう雑誌に企業が広告を投出するのはダメよっていう改正だった。
私が勤めた新聞社、業界史を巡回したけど、
経済史なんだけど、その商法改正の煽りを受けて、
企業からの方向感がなくなっちゃう。
打ち詰まされますね、我々も。
パンクしちゃった。
で、困ったなと思ったら、大学の時に一緒に蔡徹が活動してた男が衆議院の職員だった。
衆議院事務局。
その彼が自民党で職員募集してるぞということで、
まず最初アルバイトで入って、
試験を受けて入ったのが昭和55年の6月1日だった。
最初アルバイトで入って、その後試験が。
1年生期の職員だった。
それが昭和55年、つまり40日抗争の真っ盛りの時に入った。
そうですよね。
思想というか考え方的には当時の自民党に近いものがあったということですか。
そうですよ。
議員市長、公安3課調査対象者です。
当時ね。現地だった頃。
総科研究で言うと公安2課ですね。
詳しい。
このうちで言うと、まだ大平内閣の。
いわゆる40日抗争。
ひょっとしたら皆さん、自民党近現代史的な、
現代史の世界の若い人からすると。
一番最初に配属されたのが選挙対策委員会だった。
そこで選挙との出会い。
ずっと退職するまでセンターをやってた。
選挙そのものが昭和48年の在学に入る時に、
都市に地元で名古屋市長選挙があった。
その選挙を手伝ってくれないかと言われて、
手伝ってくれてもほとんどいわゆるローム社。
それを手伝ったのが最初だった。
それが自民党候補だった。
大学は夏休み暇でしょ。
活動資金を稼ぐために、
自民党の愛知県で行って、何か仕事ありませんかねと言ったら、
愛知県の名古屋市のちょっと北側に、
岩倉市ってちっちゃい市があるでしょ。
そこで市長選挙やってるからどう?と言われて、
その選挙を手伝って、
信任と自民党支持の変遷
それが初めての選挙を組んだ。
そこで知り合ったのが江崎真澄っていう議員がいてね。
中選挙議長の愛知産区。
江崎真澄っていう議員がいて、
そこの市長さんと知り合って、
大学を定学くらってからは、
暇でしょ。
それで愛知県内の江崎さんの地元の町長選挙とか、
そういうのを手伝った。
つまり連呼要員ですね。
そういう受け手があって、自民党の選対?
別にそうじゃないんですよ。
どこでもよかった。
だって国困ってたから。
なんでもよかったんですよ。
だけどたまたま選挙を、
活動資金稼ぎも含めてやってたと。
で、最初の配属が選対だったんです。
だからまあ、小48年からやってたことの延長戦、
自民党に入ってからも、
その延長戦上の活動をやってた。
それで2019年まで勤められて、
大臣に来てる前にずっと選対にいた。
いつ頃から選挙の神様って呼ばれるように。
誰が?
えっとね、髪が薄くなってきてからだからね。
これピン入れときます。
よく覚えてないけど、
どっかの民放の記者が最初にそう言ったんだな。
それからその子が、
その子って女性記者だったんだけど、
その人がずっと言ってるうちにだんだんと、
なってきて、
自分が退職したのが平成31年だね。
2019年ですね。
退職したんだけど、
退職したその日に、
週刊文章がね、記事出したんですよ。
退職したっていう記事だった。
政治論があるでしょ、1ページ半分。
あそこでね、
僕が退職したっていう記事が出たんですよ。
そこに選挙の神様って書いてあった気がしたな。
確かに当時、共同通信さんも配信されてて、
その記事をうちも載せてるんですけど、
名産法、選挙分析に定評があり、
名産法として力大の党幹部から信頼された、
他党幹部からも知られた、
重鎮職員だったというね。
そう。文集にそう書かれた。
いろんなメディアでね、
その選挙とは何なのかというふうなご発言ありますけど、
つまりは自民党に入れるか、
特に国政選挙ですよね。
自民党に入れるか、入れないかの選挙なんだと、
っていうふうにポイントで言うと言われてますけど。
もうちょっと前に行くとね、
つまり今の現状に対して不満なのか、
満足なのか。
信任するかと。
そうそう。
昔はね、満足であるってこと同時に、
みんな上を向いてやるって言ってたでしょ。
つまり将来何がしたい、これがしたいって、
みんな希望を持ったじゃないですか。
自民党希望があったと。
そう。だから自民党に対して投資してたんでしょ。
自民党に入れると何かいいことがある。
いいことが将来あるかもしれない。
いいことがなくなって悪いことばっかりじゃねえかと。
この30年間平成になってからね。
どうなってるんだと言って、
投票先が自民党委員会のところに行くわけですよ。
だから別に立憲民主党が支持されてるわけでも、
賛成党が支持されてるわけでも、
維新が支持されてるわけでもないんですよ。
選挙への関心と政治への満足度
つまり自民党に入れたいか、入れたくないか。
今の政治に満足か不満足かだから。
だから野党に入れる票が、その時々によって違うわけだ。
ずっと民主党が一環として票を取ってるわけじゃないでしょ。
共産党だったら一時30何議席取ったことあるわけだから。
維新だって最初衆議院で1200万取った。
今度500万切ってるわけでしょ。
いわゆるシンプルな構図っていうのは、
今もずっと変わってないってことだと思うんですね。
僕はそう思いますけどね。
退職された後は、フリーランスで選挙、政治、アドバイス。
もともとは、退職した後は一切仕事をしないことにしたから、
応援を頼まれる時もいらない。
そうはいかないって言うから応援はいただきますけど、
そのときの肩書は無職年金生活者に作れって言った。
仕事してないから。
でも周りがほっとかなかったってことですね。
それはちょっとって言うから、自民党の元選対部長にしてくれた。
事務局長なんだけど、仕事はだって選対の仕事をしてなかった。
いつまでたってもそうはいかないでしょ。
だからしょうがなくて、選挙政治助言者って書いた。
最初は。
そうしたら、久米さんって、助言者に聞こえますよって。
すごい。
神様だからね。
それで、署名したの。アドバイザーでした。
どういう依頼があるんですか。
やっぱり政党からいろいろ頼まれてアドバイスするとか。
だから個人の選挙はしないんだけど、私は。
つまりこれね。一切しないから。
だけど相談があればいくらでも受けますよって。
どこの政党でも言ってますよ。
だから、維新でも立憲でも共産党でも話があれば話してますよ。
実際ぶっちゃけ、さっきの衆院選とか参院選は野党でもアドバイスされたんですか。
まあ情勢とかね。聞かれればもちろんそれはしますよ。
結構そういう情勢を聞かれたりするんですか。どこの選挙局どういう状況ですか。
全体的にはね。だから維新だったら最初はよかったけどどんどんどうでしょう。
で立憲でも上がっていかないわけじゃないですか。それは何でかって話。
こういう原因があるんじゃないかってアドバイス。
そうそうそういうことはしますよ。
なるほど。じゃあ不明イズムみたいなのが野党にも浸透し始めてる。
いや聞かないから負けてるんだよ。
もっと聞いてこいと。
依頼はこちらまでって。
いや結構厳しいこと言うから聞けないよね。
あなたに言ってもしょうがないけどさって言ってるんだけどね。
ある程度しかるべき立場の方が相談に来るわけですか。
議員が本人が来たり。
先ほどご説明だと選挙にタッチするわけじゃなくて、党全体の戦略とか。
党の政党の幹部が来た。
なるほど。
不明さんの動向から益々目が離せないですけど。
ちょっと自民党の先ほど選挙とはシンプルに何ぞやってことを教えていただきましたが、
自民党は55年の結党以来2回しか下野してないんですよね。政権を失ってないと。
なぜ国民に支持されてきたか、なぜ勝ち続けることができたか、
それの中で操ってたって言葉が悪いですけど、
奔走されてたと思うんですけど、どこにその強みがあるんでしょうか。
それはだから昭和の時代は特に結果を出してたでしょ。
結果が信用につながるわけじゃん。
言ったって結果が出なければ信用されないでしょ。
だから自民党は公約とかそういうことを言ったことに対して実現してたから、
だから自民党に対する信頼感があったわけじゃないですかね。
生活も良くなってた。
それとそれに携わっている国会議員が、私は個人的に思ってるんだけど、
昭和20年8月15日を生き抜いてきた人たちの政治に対する思い出、真剣さ、
それもやはり支持されてるんだと思いますよ。
国を建て直そうという思いですよね。
地方と結束の重要性
それは自分の親戚園長、友人たちが戦死してるわけじゃないですか。
それで生き残ってきた中での使命感、政治に対してすごく真剣さがあったと思う。
中選挙区時代は、それぞれの人間、先生方が一人一人が自分の個性を打てたわけじゃないですか。
そうですね。党内でも当然。
自民党という看板はもちろん必要なんだけども、
当選するためには、その人はAさんになりAさんの個性、Bさんの個性、Cさんの個性があって、
それぞれ支持されていって当選したわけでしょ。
当選するためには、それぞれ自分の手下を作る必要がある。
つまり県会議員や市町村会議員を一生懸命育てる。自分を作っていく。
だからそこには当然、国会議員と地方議員の主従関係が出るでしょ。
敵は誰かというと野党じゃなくて自民党の中じゃない。
それは敵というか、個性を売るわけじゃん。
この人は農林族、この人は大蔵族、この人は商工族。
その人の商品価値があるわけじゃん。
自民党というのは、総商社みたいなものだったな。
デパートというか、Aさん、Bさん、Cさんもいるって。
いろんな商品が並んでるということですね。
そこが有権者の自民党に対する信頼であり、
自民党のその個々の議員に対する信頼だったでしょ。
そこに派閥の大きな役割がやっぱりあった。
それは当然、中選挙区で自民党同士の戦いになるわけだから、
当然グループが必要でしょ。
昔はね、持ち代とかっていって、いろんな。
あれがないと活動できない。
もちろん情報もあるし、人事もあるだろうしね。
そういうものがあったわけじゃん。
だけど無所属でもね、当選してくれば、
あるいは当選できる余地っていうのがあったわけじゃん。
中選挙区時代は。
それだって出るのは自由だから。
別に自民党を購入しなくなって、実力があれば当選できた。
だから常に国会議員は緊張感を持って戦ってたでしょ。
それが昭和の時代。
よく利益配分の政治とか、民党は逆に言われますけど、
果実が配る果実があるから、それをどこに対するか。
それから国会議員が有権者から信用されるような人から人材だった。
別に利益を求めてるわけじゃなくて、
この人に育ってほしいっていう。
それが投資っていう意味ですね。
個性があって、この人に入れたいっていう人がたくさんいた。
入れて満足になるでしょ。
この人が上に行けば、それで有権者は満足であったでしょ。
別に利益を欲しがってたわけじゃない。
そういう人も中にいたかもしれない。
しかし基本的には違うでしょ。
われわれの九州も補修地盤、最近は変わってきましたけども、
自民党が強い地域が多くて、大分を除けばですね、
そこは九州の特殊事情みたいなのってありますか。いかがでしょうか。
まあ県民性もあるんだろうしね。
あと豊かさってのもあるんじゃないですかね。
と言いますと。
やっぱり九州人には九州人の強さみたいなわけじゃない。
昔言うと連帯手段だったでしょ。
九州の連帯手段っていうのは戦地行くと強いんだよね。
と言われているときに。
その辺に対して、これは例え話でしょ。
例えば京都や大阪の連帯は弱いと言われてた。
土地柄ね。
九州で結束したり。
九州の連帯手段とかね、あるいは北海道の手段が戦地行くと強いわけ。
だからそれは県民性でありさ、地域性でしょ。
もちろん豊かさってのもあるんだろうしね。
共同愛も強いし。
共同愛もね、そこはありますね。
なるほど。
いわゆる私たちが固定概念かもしれないんですけど、
自民党は業界団体さんとか政治団体さんとつながっているところも相当たくさんあって、
そこが宇野さんがさっきおっしゃった、県議院、市議院たちとともに、
選挙の活動量というか、
筒動部隊となって票を集めた掘り起こしができると。
そういうのも自民党の強さじゃないかって、
我々地方で回ってきたらよく思うんですけれども。
それは人間関係がノーミスだからでしょ。
自民党の議員ってやっぱりそういうところをきっちり回ってるとか。
あるいは陳情を受けたりしてるわけでしょ。
結果を出してってやってるわけじゃないですか。
だけど例えば、社会党は社会党でね、
例えば労働局面をバックにしてるから、
労働をバックにした議員はそれなりに強いわけじゃん。
そうですね。
だから全体的に言えば、3分の1か4分の1しかないわけじゃん。
なるほど。
いわゆる業界団体でもそうなんだけど、
あるいは労働局面ですらも、
候補者に対して政治家に対してだんだんと、
利益はどうこうじゃなくて、
信用するに足りれない人たちがいっぱい出てきちゃったわけじゃん。
だからよく自民党の組織が弱ったことをどうのこうのって言う人がいるけど、
弱ったのは自民党だけじゃありませんよって。
団体も組合だって、
あるいは町内会だって、地域会だって、商店会だって、
つまり組織と言われてるものはみんな貴族意識がなくなってる、
関係が軽薄になってるでしょって。
別にだから自民党だけの現象じゃなくて、
日本全体がそういう現象下にあるってことでしょ。
宗教団体でもそうでしょ。
お宅の会社でもそうでしょ。社長の言うことなんか聞かないでしょ。
部長の言うことなんか聞かないでしょ。
うちはいい意味で自由なんで、社説と違う記事でも載るってよく言うんですね。
ちゃんと取材をして、説得力がある記事なら。
さすがに言い方が上手いね。
ありがとうございます。
私は今社長をよく知ってる方なんで、言うこと聞きます。
私は前の社長を那覇市局にどっかで知ってたから。
そうでした。世話になりました。歴代記者も。
自民党の歴史と弱体化
昭和時代の自民党の強さっていうのが、
近くで言うと民主党政権の2009年誕生とか、
そこら辺からどうやっぱり全体的に、
さっき少しご説明ありましたけど、弱くなっていったのかっていう。
もう全部が弱くなっていったっていうことですか。
プラス政権の個性も薄くなったと。
昭和20年、昭和15年に生き残ってきた人は平均20歳とするでしょ。
44年目に昭和天皇が崩御されて、元皇が20歳。
65歳。単純に言えば。
そこから昭和の時代に生き残ってきた政治家が、
だんだん社会からいなくなってきたっていうこともあるんじゃないですかね。
戦後をよく知っている人たちがどんどん少なくなってきて。
そういう使命感みたいな、強い使命感みたいなのを持った政治家じゃなく、
サラリーマン政治家というか。
全部が全部じゃないんだけど、だんだんとそういう傾向が強まってきた。
それと昭和という時代から平成になったときに、
政治家の使命感と選挙制度
今まで上向いたものが、人たちが途中として下を向くようになってしまった。
だからこれはリクルート事件なんて言われてるけど、
そういう事件って昭和の時代だっていっぱいあった。
だけどみんな個人の話として、自民党そのままね。
まあそりゃ六軌道事件とかあったけども、大敗するようなことはなかったでしょ。
あの例の平成元年の参議院選挙で、びっくり行転するようなことがあった。
一人口の3勝23敗ってあったでしょ。
やっぱりどうやって有権者、国民の政治に対する意識が、
その言語が変わったと同時に大きく変化してるんですよ。
自民党への全体。
国民全体、有権者全体の政治に対する期待感が、
期待感から一挙に質豪化になって変わってしまったんじゃないか。
そこからズルズルズルズルきてて、直近では去年の衆院選から、
都議選を含めて3連敗と言われてます。
さらに言語が変わったことによっては、ほとんど喫茶苦茶にならない状態になっちゃったんじゃないですか。
つまり有権者が期待する部分って過去何回もあったわけじゃん。
瞬間的に。
例えば郵政選がそうだろうし、あるいは安倍さんの大臣安倍政権もそうだろうけども。
しかし結局、一回国計で終わっちゃってるんですよ。
だって郵政選挙から安倍さんの大臣安倍政権まで何年だったんですからね。
やっぱり有権者の国民のいろんな政治に対する期待感ももちろん変化してるし、
それを受ける側の議員も明確な回答が出せないんでしょうね。
私は山口拓東京報道部長と一緒に、安倍政権ずっとではないですけれども、
絶好調の第二次政権の数年を見てきたんですけど、
あのとき党員も増えたし、特に若い世代への支持もすごく厚かったですよね。
一興なんて言われて、あそこからここへの落差というか、
何でも官邸が決めたらもうその通りになる。党もほとんど開催しないというか、
悪く言うと思うがままみたいな政権運営と国会運営が続いたのをかなり見せつけられたので、
そこからのこの数年の落ちぶれと言いますか、変容ぶりが信じられないねというふうによく言うんですが、
そこは梅さん。もう一つ、議員あるいは総理総裁に対する期待観点もあるんですよね。
個人的な。だから平成元年であっても、例えば海部内閣のときにね、
あるいは同時選挙で大破したのに、海部内閣を取ったのにね、あっという間に復元したでしょうか。
ところがいつの間にか倒れてしまって、宮沢さんになって、
その後また戻ってきてるんだけども、そういうことの繰り返しですよね。
だけどその繰り返しもね、だんだんと底をつけている。
つまり船がひっくり返っても復元力があるんだけど、
だんだんと復元力がなくなってきてるのが、本市のこの状態じゃないですかね。
あくまでも安倍さんの個性、個人的な任期で引っ張られてた自民党一丁っていう。
小泉さんもそうだしね。
だからいなくなったって言ったらお伺いあるけど、なくなられたこともあって、
一気に失望というか。
それに代わりに売る人がいなくなっちゃって。
どんどんいなくなって。
そうそうそうそう。
これは例え話してるんだけどね、三角大復中っていうね、総理総裁候補者のグループがあったでしょ。
それが安地組合になって、朝柿公蔵っていうね、次のグループになって。
懐かしい。
蔵、朝柿公蔵、蔵が終わった後に誰もいないわけじゃん。
よく山口部長とも話してるんだけど、安倍さん強かったけど後継を育てようとしなかったと。
むしろ自らが権力の座にいることを固めていたと。
急にね、急になくなっちゃったんで。
だけどね、少なくともそれなりに人間が数人いたわけじゃないですか。
ところがみんな裏から問題で失脚しちゃって、その後その信用を回復するだけの努力がない。
復活しきれない。それが今日の混乱の中でしょ。
裏藩事件の余波っていうか、きちんと国民さんのいろんなところで処分が甘かったっていうのを言及されてますけど、
いまだにやっぱり世論調査で、かなり皆さん怒ってらっしゃると。
つまり国民がこれだけ景気が悪くて、生活が悪いって言ってるときに、
なんだよこの人たちだけはみたいな話でしょ。
それはリクルート事件もそうでしょ。あれもだってそうでしょ。
あれは単なるリクルート事件じゃなくて、消費税増税もあっちゃうんだから、
それに対して馬鹿野郎みたいになったからでしょ。
だけど人を変えて復元できたわけじゃないですか。ところが復元できないもんね。
今もう人変わっても、それがずっとズルズル引いちゃって。
きっちり毛締めをつけてないっていうのが一つ大きいし、
個性を持った政治家っていう看板になるような人もいないっていうのは、それが合わせ技になっちゃってるってことですね。
自民党は人材の砂漠だって言ってるんですよ。
野党もそうだけどね。野党に人がいるのかというと、これもまたいないんだけど。
派閥が解散したじゃないですか、一部を除いて。
それで人がなかなか育つなくなってるとか、人を出せなくなってるとか。
これはもうずっと根本的な話でしょ。別に急な話じゃないわけだから。
それは政治家、国民の期待感が変わったというのと同時に、
もう一つは選挙制度を変えて、つまり志のある人が政治に出てくれなくなっちゃったっていうのがもう一つ。
派閥の変質と未来
超選挙区制になって、自民党の総裁の公認権がものすごく大きくなっちゃったから、そこに取り入らないと。
だから自民党に公認されない人が野党から出るみたいなね。そういう現象が出てきちゃったんでしょ。
それで文さんもおっしゃってますけど、やっぱり施衆議員っていうのが増えちゃう要因もあったりになってしまった。
小選挙区でいいとこあるでしょ。施衆議員でも落選するから。
ただ、公認されるまでに圧倒的に施衆が有利になってるでしょ。
カゴシマーク見ればわかるじゃないですか。小選挙区制度でいわゆる施衆3人落選してるんだよ。
だからここは小選挙区制度でいいとこだよ。そこだけはね。
ただ中選挙区は上がってこれないからね。
いやー面白い。尽きないですけれども。前編は小川さんこれぐらいでよろしいでしょうか。
ガヤ芸人の同席してる記者の皆さん何かご質問ありますか。
ちょっと声張ってもらっていいですか。
8月から自民党公明党を担当している村田さんです。はいどうぞ張り切っていきましょう。
村田ですよろしくお願いします。
先ほど後半の派閥の話が出たんですけれども、
今自民党の活力がなくなっている要因の一つとして、
この派閥が解散したっていうことがあるというふうに指摘されてるんですけども。
言い訳にする議員が多いということです。丸括弧。派閥がないからだめだって。
その辺は、くむさんはどういうふうに考えますか。
だって派閥そのものがね、昔の派閥と全く違って変質しちゃってるわけじゃないですか。
総理を総裁を作るためのグループだった。
しかしそれがもう、いわゆる総理派閥ってなくなっちゃってるわけじゃないですか。
単なる情報機関。情報連絡網みたいな。そんなになっちゃってる。
あるいは飲み友達の集まりみたいなね。
だからもう全然それは昔の派閥とは違いますよね。
だけど今現在でもね、この前総裁選挙に9人立候補した。
この9人は、たぶん今度も手を挙げるだろうと言われてる人が何人もいるでしょ。
この人たちはまさに総理、総裁を狙う候補者だから、この人たちが、
今度あるかもしれないし、何年後かわからないけど、やっぱり兵を養う、仲間を作るのか。
新しい派閥グルーブを作り切れるかどうかが、この人たちの度量なんだよ。問われてるわけでしょ。資質を問われてるわけだ。
国民が不審の目を向けない、本来の政策を磨くとか、総理総裁を生むための人材育成をきちんとするような機関として。
そういう意味での派閥を、この人たちが切れるかどうかってことが、この人たちには問われてるわけだ。
だから、クローンで立候補したけど、今度はたぶん出られないよな、みたいな人がいるわけでしょ。
そうすると、この人は何?って話になります。
人望がないねってよく聞く坊さんとかね。よくいますから、そこら辺は我々が見るポイントってことですね。
派閥たちは、志があったってことですね。うちの派閥から誰々を。
それに省の省太郎の器があったわけじゃん。この人のために、この人を総理総裁にしたいと思って、みんなが集まってきた。
だけどそれは、朝かき構造で終わっちゃったわけじゃん。
そこからまともにできてないってことですね。
朝かき構造の中の人も、相変わらず派閥の親分ってへばりついてる人がいるわけじゃないですか。
ちょっと、うちの地元の人も。
地元の人、誰のこと?
これ以上あれですかね。
なんか口が回ってるよね。正直に話をしたほうがいいでしょ。
自民党の変質と派閥の役割
言いましたもんね。政治と言葉のところで、麻生さんの言葉が政治じゃないかっていう。
最初はそう言えば。
ちょっとバランス取っちゃいました。
そういう範囲を示すっていうことももちろん大事ですよね。
省の省というのは器のね。器が問われてるわけだよ。この人たち自身ね。
今は派閥はお金を集めるための組織としか見てない人が多いと思うんですけど、本当は法総理を生むために切磋琢磨する場所だったのに。
その変質も自民党の人たちの責任でもあるということで。
いやー、なんかつきませんね。これ何時間収録すればいいんだっていうぐらいで。
前半はこの辺で、ここまで久米さんぶっちゃけトークありがとうございました。
ありがとうございました。
次回は自民内で引き続き渦巻いている石場卸の現状とか、
久米さんと石場さんの個人的関係にも迫れればと思ってます。ご期待ください。
それではエンディングです。お付き合い下さい。ありがとうございました。
我々西日本新聞東京報道部と一緒に長田町の政治をウォッチしたいという方は、
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次回の配信まで皆様どうぞ、暑いので健やかにお過ごしくださいませ。ありがとうございました。
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