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西日本新聞Podcast
西日本新聞me Podcast
こんにちは、福岡のニュースアプリ、西日本新聞meの横山智則です。
普段は、西日本新聞の記者と一緒に、ニュース解説や福岡の話をする番組なんですが、今回は特別編です。
公益財団法人西日本新聞文化財団が、九州・沖縄地域の文化向上や発展に貢献した個人・団体に贈る西日本文化賞、
その社会・文化部門で2024年度の受賞者となった詩人の伊藤比呂美さんの記念講演の模様をお送りいたします。
題して、ライブ人生相談 比呂美の万事K、西日本新聞の人気コーナー、比呂美の万事Kさながらに会場のお客さんから寄せられた質問や相談に、比呂美さんが答えます。
それではお聞きください。
第83回西日本文化賞・聖賞・社会文化部門を受賞されました伊藤比呂美様です。本日は、ライブ人生相談 比呂美の万事Kと題しましてご講演をいただきます。
改めて盛大な拍手をお願いいたします。
今バタバタ来て、そしてバタバタあそこで本売ってまして、地球が温暖化とかものすごく真剣に考えなくちゃいけないのに、
私たちだけ商売してどうする、今本屋さんと言ってたんですけれども、そういうわけで今の甲羅健吾さんもこの間の受賞式で、
私の友人たちが熊本の友人たちが一番見たかったのはツーショット写真で、みんなで撮ってもらった写真のここだけ切り取ってほらほらほらって見せて、
ネベチのいい男っているんだなって本当に確認したっていう感じですね。
その時に私も自分のスピーチの中で申し上げたんですけど、まず最初に私はここにこの賞をいただいたのは人生相談なんだと思ってたんですよ。
そしたら西日本の皆さんが文学も合わせてちゃんと評価してくださったということで、大変嬉しくて本当に舞い上がっておりますが、
人生相談ってやっぱりこの皆さんには一番大きいんじゃないか、西日本新聞の皆さんね。
やっぱり私人生相談の回答のおばさんですから、それで見てらっしゃると思うんですよね。
その時にスピーチで私言ったのは、人生相談を始めてから自分が本当に変わってきたっていうことなんですよ。
人生相談を始めてから自分の書くものが本当にどんどん変わっていったんですね。
同時に私はちょっと前くらいから日本の文芸の中で説教節っていうのがありまして、それにハマってハマってハマったんです。
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それにあんまりハマりすぎてて、自分の書くものを説教節にしたいって、書くものっていうのは人生相談じゃないですよ。
文学史あるいはエッセイ、何でもいいんですけど、そういう形で表現してきたものを説教節に近づけたいと思って、今まで何十年かずっとやってきたっていうところがあります。
今日は友人が説教節語りなもんですから、ちょっと来てもらって、私が説教節説教節って言っても多分皆さん聞いたことも見たこともないんじゃないかって思うんですが、
それをちょっと披露してもらいたいなと思ったんですよね。
中西さんどこにいますか。
お願いいたします。中西さんいますね。
説教節語りの中西和久さんです。
自分のことをまずひろみさん紹介して、私がやるとかって言って、じゃあなんて紹介するって言うから、説教節語りの友人の中西さんって言ったらそれじゃダメだろうみたいに言われ、
一応中西和久さん、小沢翔一に指示して井上久史さんのところでやってて、その後一人立ちして、一人芝居をずっとやってらっしゃる方です。
中西さんが説教節の和久さんのところに電子入りをしてたんですけれど、それを墓松若田雄師匠って言って、私が生まれ育った、
私は実は今熊本に住んでて、熊本県民ですみたいな顔してるんですけど、実は甘い醤油がダメで、東京の板橋なんですね。
東京の板橋の、私が通った中学校の真裏に住んでいる和久さんのところに電子入りしてたので、私も何回か紹介してもらって通ったんですよ。
で、そこで習った説教節語りとして、私今までいろんなものを聞いてきたんですけど、中西さんの説教節素晴らしいんですよね。
で、今日は中西さん、それでさらに説明をしますと、だから説教節のネタを現代のアート劇にして、一人芝居して、それが三小醍醐、大栗香、そういうものをやってらっしゃいます。
そして、日本労働文化協会理事協楽座主催と、中西さん、もう長い付き合いです。
中西さんにせっかくのお祝いだから、おめでたいやつやってくださいって言ったら、中西さんがないって言ったんだっけ。あるんですか。
いやでもね、説教節って、最後は誠にめでたく次第なりで終わるんですから、きっかけじゃないかなと思って、これに乗ってきました。
ちょっと説教節の説明を2分で。
今日やるのは、説教節の中で、僕は説教節の中から、千野田妻子、それから三小醍醐、大栗香って3作やってるんですけど、その中から三小醍醐、今日は親と対面の談っていう。
みなさん小説の、森鴎外の小説でご存知でしょうけど、その森鴎外が元々したのは説教節の三小醍醐なんです。
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ずいぶん変わるんですね、森鴎外の小説はね。
全然違いますね。
私森鴎外大好きなんですけど、本当に好きなんですけど、ヨガヨガであれば森鴎外の目影になって、本当にマジなんですこれ。
口述筆記をしたいなと思っている私なんですけど、三小醍醐だけは本当に原文の方がいいです。
そのまんま人は殺されるし、女は頑張るしね。
教武師の一番いいところ、なんで私がこんなに惹かれてるかって、女がみんな本当にハードに頑張っていくんですよ。
全くみなさんのように。
男はみんなかっこよくて、もう本当にレベチな、ああいう甲羅剣のみたいな男がいっぱい出てくるんですけど、みんな役に立たないんですよ。
それを女が引っ張っていくのね。
まるでみなさんのように。
そこに私は惹かれたんですね。
これから語るところは三小醍醐の一番ラストシーン。
ラストシーンで一番盛り上がるところなんですけど、それを突然あなたはやれということで。
三小醍醐の一番ラストシーン、親子対面の談というところで、杖子王、杖子王。
ちょっと待って、それで私は熊本にいて、なんかもっとね、すごい石橋に近いなって思ったんですよ。
九州って石橋のメッカ?
メッカではないですよ。
メッカって言ってください。
メッカです。
カルカヤ?カルカヤだっけ?
カルデラ?
カルカヤ。
はい、カルカヤ。
石道川ってそこありましたよね、昔ね。
今は石道丸、青丹の地というのがあるんです。
それは九州でしょ?
ありますあります。
それだけだっけ、九州は。
三小醍醐ではね、お父さんはちょっと味方に立てついたんで、打財布に流されてる。
それを訪ねて彼らは福島を後にして旅立って、お母さんが里に。
で、杖子王は田んぼ。
なんか私的には、中西さんにしても、それから南漢というところにいらした山鹿さんという方にしても、石橋語に九州って出会うなっていう感じがしてるんですね。
私は自分で語るのは全く興味なくて、何が興味があるかというと、説教節を自分の文学に取り入れる。
で、今本屋さんが出てまして、そこに普段そこらの本屋に置いてない新訳説教節というのが置いてあります。
それは私が自分の言葉で自分の物語にしてないんだ、あれは。
ただの本訳です。
でも自分の言葉に直した説教節という感じで置いてございます。
私、ここに正面に来たんじゃないんで、とりあえず、中西さんにとりあえず説教節やってもらいます。
こんな感じです。
じゃあ、杖子王はもう最後は偉くなってて、梅津中将有俊という名前になっているんですけども、お母さんと対面します。
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めでたく、ちょっと聴いてください。
山椒大臣から、親子対面の段でございます。
千方泣く泣く
立ち入れ
鳴るこの
砂探り
涙に
とりなれ
がずと
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若気味たまりかね
将女を外してそば近く
母上様
思い知れよ笑んでよと
朝朝
もろとも
さても旅外などめくら
閉めろ
立つ夜を
ありとしこうな
押し
とどめ
わすご老女は岩木半岸正内甲が来たのかた
むらしの午前なるぞ
は
まことの図紙を丸にございます
母上様
母上様
言い訳がある
わかん
心づき
海中より
守り
袋を
取り
出し
意識の
深の内よりも
ただ
せんの
御礼物を
うやうやしくぞ
取り
出し
母の
額に
押し当てて
何
目がわくば
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母上の
両眼
これにて
明らかに
何
とぞ
見らかせ
旅
給え
と
ただ
一心
に念ずる
折から
あら
不思議や
未来
の
両眼
霧の晴れた
るごとくなり
互いに
見かわす
顔と
顔
想像
しようか
どこで
どうして
そのように
出
て
たかったと
伝り
つく
何
も
お
喜び
ここに
て
御目に
かかる
情き
まれな
ご
心
して
に
手を
取り
かわ
して
不思議
や
対面
おめでたき
次第
ありがとうございました
誠に
めでたき
次第
誠に
めでたき
詳しい
坑
祟
仕
は
誠
い
誠
い
誠
い
誠
い
は
誠
い
は
誠
い
誠
は
誠
は
誠
い
誠
い
誠
い
洋極ってまさにそうなんですけど、洋極はもう少し上品な感じなんですね。
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説教節って、いや、あなたが下品って言ってるわけではないです。
あの、すっごい上品な方なんですけどね。
やってる内容を本当にね、地べたをはずるような苦しみを持った人々が生きて、生き延びるんですよ。
で、もうちょっと後の、いわゆる文学の上塗りになっちゃうと、死にに行くんですよ。
死っちゃう、みんな。道行きやってても。説教節は道行きやりながら生き延びる、これが。
はい、ありがとうございました。
中西さんでした。
それではですね、私の方に参りたいと思います。
ここにいくつかありまして、くださったやつをやっていきます。
まず最初に、この紙ですけどね、年代と性別っていうのは書いてあるんですよね。
で、その年代と性別、なんで性別書くんだって、こういう世の中だし、LGBTQのことから考えると性別書くのダサいんじゃないかみたいな話もありまして、あちこち聞かれるんですよね。
で、実はバンジーOKでも考えたことがある、性別なくそうか。
でもなくしたら、わけわかんないんですよ、まず。
そしてもう一つの問題は、人生相談長年答えてますけれども、ほとんどの問題はどうやって皆さんが育ってきたか、育てられてきたか。
で、女としてあるいは男としてどうやって押し付けられてきたか、それで問題が出てきます。
だから、この性別を聞くっていうのをなくしてしまっては、人生相談そのものが成り立たないなっていうのがあって、あえて書かせていただいています。
というわけで始めましょう。
こんにちは。本日は、女性ですね。
この人は年代書いてないですよ。でも、中に書いてありますね。
本日は先生のお話を楽しみにして参加いたしました。
ありがとうございます。どこにいらっしゃるかわかりませんが、ありがとうございます。
夫婦間の悩みです。夫は4歳上です。長男です。
一人目の子供が生まれて1年半ほどして関西へ転勤、その地で3人の子育てをしました。
今は福岡に帰ってきて6年。すでに3人の子供たちは大阪に1人同居に2人で独立して、
しゅうとめと夫と私の3人で同居です。帰京して6年というのは私1人で、夫は自分1人実家に戻り、はや10年になっており、
今私が住んでいるのは私1人夫の家に帰京した状態になり、
おしゅうとめさんと夫のいじめが始まり、絶えがたい日々が続いています。
おしゅうとめさんの度重なる子ごとに、夫は何も私の見方をしてくれず、ストレスが溜まっています。
ものすごく古典的な、よくある問題ですよね。
これ年が書いてないんですけど、もしこれが50代ぐらいだったら別れましょうよ。
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もうレリコンですよ、みたいに私は言いたい。
このまま苦労してて、おしゅうとめがあとどのぐらい生きるかわからないんですけど、死ぬまでこうですよね。
夫はマザコンですよ。
マザコンの夫っていうのはどうしようもないと、若い時は思ってたんですけど、
年取ってくるとマザコンの夫って最後まで親の面倒を結構見る時がある。
だから結構役に立つ。
またマザコンで母に対する愛情を人類一般あるいはこっちにもかけてくれないとも限らない。
マザコンって悪いことじゃないなって、60代後半になって今は思ってます。
でもこの場合、この夫としゅうとめタッグっていうのがあってあなたをいじめてくるんでしょ。
だから50代ぐらいまでだったら、レリコンですよ、みたいに。
いっしょーっていっちゃおう、みたいな感じでいきたいんですけど、その後60代70代になると私は言いたくないんです。
後の生活設計が大変です。
まず年金生活だって、2人で一緒に暮らすのと別々に別れるのと、
それが半分にパキッと分かれて年金取れるかって言ったら、そうでもない時がよくままあり。
あるいは半分に分けた年金で暮らせるかって暮らせないでしょ。
あと年取ってくると何よりも自分の身を殺すのが流産運って言いたいんですけど、流産運じゃないですね。
何よりも身を殺すのが孤独のような気がするんですよ。
一人で暮らしていってどうやって一人で死ぬのかっていうのが、
たぶんここにいらっしゃるこのメンツ見てるとそう分かる。
この半分ぐらいの人たちは日々考えてることなんじゃないか。
その時にどんなに仲の悪い夫でも私のことをいじめた夫でもそこにいるっていうだけで、
死ぬ時はすぐ見つけてくれなくても孤独死じゃないみたいな。
まあそんなもんです。
うちの中に雑巾っていうのが1個置いてありますよね。
かなりボロボロになるまでそこにありますよね。
そんな状態なんじゃないか。
その頃にはもうシュート目死んでますからね。
だから60代70代の方には積極的に離婚は進めません。
今までも年取って70代の人から離婚したいんですけどみたいな人生相談入ったことがあります。
1回ならずありました。
その時どうしたかというと、私の答えは別々の老人ホームあるいは老人施設に行く。
それが一応一番ベストの滑らかなベストかなって思うんですよね。
もう一つはシュート目とか実の親でも嫌な人たちいっぱいいますよ。
実の親で子どもたちをコントロールして抱えるっていう人が、このケース全く開けないんですけどよく言ってね、
毒親とかって言われてるんですよね。
でもね、どっかで許せるか許せないかってちょっと大きいような気がしますね。
だからあなたがもしシュート目が本当に追いかけた時に魔性がなかったかみたいに思えるんだったら幸せだし、思えないんだったらいいですか。
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人に知られないように夜遅くなったら近所の神社かなんかに行ってですね、
自分で作った藁で五寸釘かなんかで祈るんですよ。
死ね、死ね、死ねって。
それやってると、なんかこの毒素が硫酸物のようにね、ばらまかれて、だんだん相手は死亡できます。
もうね、言葉の私はプロですから、言葉を呪いかけるって、もう古事記の時代から我々やってますから、
それを活用してくださいというのがお答えでございました。
はい、次行きます。
最近ガンになった95歳の父です。
軽い認知症の母、87歳。
あ、待って、60代の女性ですね。
女性として育てられた人。
軽い認知症の母、87歳。
私は夫亡き後、気の合う人と暮らしています。
どちらかが亡くなった後、パートナーと別れて、親と一緒に住んで、親を見守る方が良いのでしょうか。
全くそう思えません。
パートナーって、これから60代だから20代、20年、30年一緒にいられる可能性ありますよね。
気の合う人って言ってるんだから。
どっどろそれ大切にしましょうよ。
親はもうできるだけのことをしないと後で後悔するので、でも読挙させておいて、できるだけのことをするんですよ。
できるだけのことを。
もうこっちが疲れちゃうわ、どうかなっちゃうわっていうぐらいできるだけのことをするんです。
出なかったら後悔しますからね。
でもできるだけのことをしながら、親は読挙。いいですか。読挙しといた方が公的な補助が受けられます。
読挙した方が訪問医療にしてもヘルパーさんの制度でも全部使いやすいです。
一緒に住んでると難しいです。
で、読挙。
親がこぼしますから、自分はここで寂しいとか退屈だとか、うちの親が全くそうでした。
読挙長いことしてて、私カリフォルニアで行ったり来たりしてたんですよね。
当時私カリフォルニアに住んでたんですから。
そしたら今俺が死んだら父だったんですけど、
死因は退屈だって、多分新聞に書かれちゃうとかって言って、わかった、退屈なのよねっていう感じでしょっちゅう電話してたんですけど、
同じことしか言わないんですね。
で、こっちもやっぱりカリフォルニアだから何を言っていいかわかんなくて、ちょっと気が重いんですよ。
そしたらある時、編集者が、伊藤さんそれ書いてみたらどう?とか言って、つまり親が言ってることを書くんですよ。
で、電話しながら、あー退屈なのね、俺の死因は退屈とかね、
で、今ここに飛行機が起こってくればいいんだがな、起こってこないしなとかっていうことを言ってるから、それを書いてたんですよね。
そしたら親の孤独とか、親が生きてるっていうことがものすごく浮かび上がってきて、
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それまではなんかお父さんめんどくさーとか思ってちょっと引いてたのが、
なんか積極的にお父さんが生きてるっていうことに関わっていけるようになったんですね。
だからおすすめなんですね、独居してる親、多分持ってらっしゃると思いますけど。
で、だからね、そういう独居しといた方が親は泣く。
で、自分の時間って持ってた方が幸福。
パートナーは別れない方がいい。
仕事を持ってるんだったら仕事は辞めない方がいい。
親が死んでも仕事は続くっていうことです。
で、私ちょっとこのところプロモートしてる映画がありまして、数年前に上映された映画なんですけど、
人生をしまう時っていう映画がありまして、時って時間って書くんですね。
で、それは訪問医療のドキュメンタリー映画です。
何年か前に風切られて、その前にNHKのドキュメンタリーでされた、作られたそういう映画でした。
で、なんで私がこんなにこれにこだわってるのか。
ついこの間、熊本でも上映会を企画してやってたんですけど、
なんと主役が主役というか主な先生、医者がね、森鴎外の孫なんですよ。
森鴎外は女化けですから、孫に会いたくて会いたくて、会ってみたらむっちゃかっこよくて、
で、孫から女化け認定され、で、私はもう本当、私の旦那の孫ですからね。
で、嬉しくてしょうがないわけ。
で、とにかく先生もかっこいいんですけど、映画そのものがね、人がどうやって老いて死ぬかっていう。
中には独居して死んでいく人もいるし、親が子を見とる人もいるし、で、同居して親が死んでいく人も、
それに対して訪問医療のチームが実に人間的に寄り添っていくっていう。
で、埼玉県の話なんですけど、熊本の女性化をやったときに、熊本のヘルパーさんに来てもらったんですね。
で、熊本どうですかって言ったら、訪問医療のチームはみんなこんな感じですっていうことです。
ですからおそらく福岡でも、大本は福岡か、地理が全然わかってないですね。
この辺でもね、みんなそんな感じでシステムができてるんじゃないかと思います。
だからあなたもお母様87歳、お父様95歳、で、ちょっと離れて暮らしていても十分やっていける。
新しい形の家族っていうね。でも身を粉にして頑張んなくちゃいけないんですよ。
でもその代わり、親が死んだときにはすっごい何かを得られます。私も得られました。
なんていうか達成感じゃないんですね。後悔があるんですね。もっとやってあげたらよかったなとかって思うんですけれども、
それ以上になんか大人になったなみたいな、いいものを見せてもらったなみたいな。
親が死んでいく。親が死んでいって最後はちょっと下の世話もさせてもらったみたいな。
お父さんのうちんち握ったみたいな。それもいちいち経験として素晴らしかったんですね。
だからお勧めいたします。じゃあ次いきます。
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50代の女性です。女性として育てられた人です。
知り合いのお子さん中二の男子です。について、学校には四次元目から通っています。
以前は卓球、最近はピアノを習い始める。
ご両親も一昔前の昭和のタイプだったが、最近は半ば本人に任せている様子。
かといってほとんどの時間、スマホをいじっている息子に対して不安感は拭えない。
これからどういうふうに見守ったらいいでしょうか。
まずあなたの立ち位置なんですけど、知り合いのお子さん。
あなたは知り合いですよね。子どもの親の知り合いですよね。
まずこれはあなたの問題ではない。これが一番だと思います。
万が一、親にどうしたらいいんだろうって相談されているとしたら、
親をそれなりの広見の番状件に書かせるとか、あるいはカウンセリングに親を行かせるなりして、
あなたがそばでやいのやいの言わないほうが親はすっきりします。
なぜかというと、親はおそらくこの問題をあなたの30倍ぐらいあるいは100倍ぐらい考えているはずなんです。
もしかしたら朝から晩までそのことで思い詰めているんです。
思い詰めているときには、ああしたらいいか、こうしたらいいか、私のあれがだめだったんじゃないか、
私はこうしたらこうなるだろう、こうなるだろう。
後悔とこれからのいろんな不安がませこでになった状態なんですよね。
あなたがいろいろと考える、でもあなたは人生の中で本当のこのぐらいしか考えていないと思う。
知り合いの息子だから。それでこの時間で考えるだけのことは親は考えている。
だとしたら親に考えさせてもいいと思うんですよ。
親はどうするかというと、いくつかあるんですね。
子供に任せておく。子供はおそらく親よりも何千倍も、自分はこれからどうなるんだろう、悩んでいるんじゃないかと思います。
ですから本当にやりようがないんですけど、誰か一人子供と親のそばにいて、近くにいて、専門家がちゃんと見てやれたらいいなというような感じです。
それなりの然るべきところに相談して、私みたいな実は、
これ私なんてさっき中井さん、君みたいなまじない子はみたいに言われたんですけどね。
人生相談だってまじないじゃないんですよ、これは。でもほとんど民間療法なんですよ。
民間療法の拝み屋みたいなもんですよ。
ですからこんなところに相談してもしょうがないんで、
もうちょっとちゃんとしたプロに一体どういうことができるのかっていうことを相談したら、
その人たちにそばにいてもらって、子供のことをよく見てもらえばいいと思います。
で、あなたにできることは一つだけある。
33:01
何かっていうと、そのお友達に対してもその子本人に対しても絶対に否定しない。いいですか。
全身全霊をかけて、いい子だね、この子はっていう。
とにかく何度もいいからいいところを見つけて褒めてあげてください。
そしたら親はね、ほっとするんですよ。
そして子供もね、褒められたら、どんなにひねくれ曲がった中二だってね、褒められれば嬉しいんですよ。
毎回毎回毎回褒めてごらん。そしたらちょっと関係性が変わってくる。
このおばちゃんの子いいじゃんとかって思って、おばちゃんには懐いてくるかもしれない。
そしたらおばちゃんと仲良しのお母さん、まあああいう友達がいるんだから、
うちの母ちゃんも捨てとんじゃないみたいな感じがあるかもしれない。
ちょっと長い長い止まりですよ。そのうちに地球温暖化して地球滅びるかもしれない。
だけど、その長い感じで子供を、とにかくあんたはいいよ、あんたでよかったんだよ。
あんたのやってることは、100%おばちゃんは納得しないけど、あんたでいいんだよっていうことを、
なんかね、言葉を浪費して褒めてあげて、本当に違ってきます。
私、早稲田大学で3年間教えてまして、子供たち歪み切ってるのがいっぱい来てね。
なぜかというと、私は書くのが専門の文化構想学部というところの文芸ジャーナリズムってところで教えてたんですよね。
みんな歪み切って早稲田に入ってきてるんですよ。文学好きでね。
半分以上の子は東大をうっこって来てますから、
俺は東大に、私は東大にっていう、なんか傷を持って入ってくるんですよね。
でも、歪んでるな、こいつらとか思って。その子たちを褒めるんです。
褒めて、褒めて、褒めて、褒めて、褒め抜くと、時々舞い上がってどっか行っちゃう子がいるんですけど、
とどまっている子たちは、パーっと開いてくるんですね。
それ、大学生ですらまだ手遅れじゃない。中2もっとですよ。本当にそう思います。
恐れ入ります。スタッフの皆さん。
もし書いてらっしゃる方がいましたら、
集めていただけませんか。私はこのまま続けます。
60代、性別その他ということですね。
議員や検事などによる浮気、不合意、セックスの報道をどう思うか。
また、人としてのセックス浮気痴漢とは。
全くこれ答える気になれない。ごめんなさい。
まずその報道のやり方っていうのも、考えたの長かったですね。
あの人、ああ、なんかやってるんだ、ああ、みたいな浮気、不合意セックスはありえんとか思ってますけどね。
ただ、なんかちょっとごめんなさいね。
また人としてのセックス浮気痴漢とは、これもちょっとあまりにも抽象的すぎて、
私はもう少し、もう少し皆さんの苦しみそのものに立脚した、そういう苦しみに答えたいです。
ごめんなさい、次行きます。
40代の女性として育てられた方です。
50歳が間近になり、日々の楽しみを見つけるのが難しくなってきました。
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広美さんはこのような無給力時期がありましたか。また、もしあればどのように乗り越えてこられましたか。
40代ですね。
あったっちゃあったし、なかったって言えやなかったですね。
私は、まず40代っていうのは、これから高年期って見据えるんですよね。
高年期っていうのは、だいたい女が平均するのは55です。
だいたい55くらいに平均します。
平均の前と後に何年かずつ、プレ高年期があって、ポスト高年期があって、
それでだいたい60くらいになってくると、老年期っていうのが始まるわけですよ。
楽しくてよかなかったです。
何が楽しいって言って、高年期でもって我々の体は変わるんです。
私は55くらいで高年期になったときに、ふっと気がついたら、目の前に真っ青な空が広がっていたんです。
それまでの空は曇った空だったんです。
その曇った空の中に稲妻がパパパパパッと光ってまして、
時には竜花なんか見える感じで、なんだこれは、みたいな。
あれが欲しい、これが欲しい、あれがしたい、これが欲しいって欲望がいっぱいの雲だったんです。
それがいきなりパーンと開けて、すっきりした。
これは何なんだろうって考えたときに、
これは私のせいじゃなくて、欲望のいっぱい詰まった雲を作っていたのはホルモンさんだったんだ。
私はもともとこんなふうにピュアで、まっすぐで、素直な人間だったのに、
ホルモンっていうのが高年期ぐらいにムニャムニャムニャって出てきて、
高年期からどうも私の人生は暗くなったし、
ホルモンがなくなったら、私はもうすっきり爽やかじゃないか。
実はこれは先輩たちがみんな言ってたんですね。
で、先輩たちが言ってて、名前あげますよ、上野静子とか、上野静子とか、上野静子とか、
ああいう童貌な先輩がそういうこと言ってるから、まっさかーとかって思ってたら、
自分がその年になったらやっぱりそうでした。
で、今あなたは40代、そしたら高年期を見据えていくんですよ。
じゃあ、高年期、これはいいですか、日々の楽しみを見つけるのが難しくなってきました。
それはあなたの目が曇っているだけなんです。
高年期になって何ができるか、我々は恥という概念をかなぐり捨てることができるんです。
我々は何にも恥ずかしくなくなるんです。
恥ずかしくなくなると、人前で前を向いて足を大股開いてってじゃなくて、
この股関節からの筋肉をパンと開いてですよ、まっすぐ立って人に物を言うことができるんです。
世の中の悪いこと、不平不満、それを吸い取ることもできるんです。
それが高年期ですよ。はっきり言えるでしょ。
おばさんと言って世の中に嫌がられてますけど、これは我々が言いたいことを言うからなんです。
しかもファッションだってね、それまではちょっとでも異性に魅力的であれとかね、
39:00
ちょっとでも細くあれとか瞬間体重みたいなものを考えて、ハイヒールなんか履いて、
それがおばさんになるとですよ、高年期前後になってくると、
ハイヒールなんかかなぐり捨てて、みんなスニーカーですよ。
で、もうドザドザドザって歩いてますよ。
着てるものも動物柄、うちなる野獣を出して平気なんですよね。
あるいは時にはおばさんたちってシャーッと線の入った一世見分けみたいな、
ああいう高い衣装を着るじゃないですか、あれっていうのはトランプの女王みたいなコントロール欲ですよ。
それからたまにはおばさんとして花柄の服をいっぱい着てる人がいて、ミルクかなんかの。
若い時に可愛い格好したかったけど、いろんな事情でできなかった、今するわみたいな。
で、時にはおばさんたちっていうのはエズニックな格好しません?
コンペとか好きじゃないですか。
エズニックな格好で、この辺もこんな感じのスカーチョンみたいなのも履いたりして、
エズニックな格好、それは楽なんですけれども、そこには自分が地に足をつけていきたいみたいな、
同じエズニックでもこの辺をピッと締めたアルプスの少女みたいな、
あんなエズニックな格好してる人いませんよね。
大体アジアンテイストか、あるいは日本のカスリか、その辺に行きますよね。
それがやっぱり自分の生まれてきたのはどこなんだ。
自分の文化は何なのか。
フェミニズムの始まりですよ。
こういうのをパーンと出せるのが思春期じゃなくて後年期なんですね。
というわけで、これから後年期、日々の楽しみはどんどん増えていくはずです。
で、その時にもう一つ、後年期になってすごい大切になるのは女友達。
今までいろんな人生歩んできて、女友達っていうのはだんだん無産していきます。
もう中学校ぐらいでトイレまで一緒に行かなくちゃ。
もう住まなかった女友達がだんだん無産していきますね。
それは理由は、いろんな生活をするからなんです。
結婚する人、しない人、結婚したい人、全然したくない人、
男とセックスするのが好きな人、男とセックスはしたくない人、
あるいは女とセックスするのが好きな人、女とセックスは全然興味ない人、
子供を産む人、産まない人、産める人、産めない人、母乳で育てる人、育てない人、
母乳で育てたい人、育てられなかった人、まだいますよね。
いろんな女がいて、一人一人行く先が違うんです。
で、そこで話が合わないんです。
しかも子供が万が一生まれて、子供がこのぐらいになったときに、
女同士に起きるのは競馬の馬主的な感覚ですよ。
この自分の持ち馬がどこまで行くかみたいな。
自分じゃなくてそっちにかけるみたいな。
で、後年期ぐらいになってくると、やっとそれがすっきりして、
自分は自分みたいな感じで、女同士が結構対等にしゃべれるようになるんですね。
しかもこれから我々を待っているのは介護です。
介護はどんな形で、どんな経緯を経てきた女たちでも、
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みんな同じだったんだなって感じさせる。
なぜかというと、全員誰かの娘なんです。
これはね、やっぱりね、介護でもってもう一回リユニオンするっていう、
そういう女たちが多いもんですから、楽しみにしててください。
で、だんだんそのぐらいになってくると、一般論ですよ。
中にはものすごく例外ありますよ、もちろん。例外ありますからね。
多分あなたのところも例外かもしれませんけど、一般論ですよ。
男が高年期すぎると、本当に使えなくなってきます。
で、だんだんだんだん狭まってくるんですね。なんか興味が。
本当になんかいろんなものに興味持たなくなってくるのが、年取った男なんです。
そうすると、デイサービス行きましょうよ、おじいちゃんなんて言っても、なかなか行かないのが男なんです。
ヘルパーさんと日常会話ができないのも、男の年取ったやつなんです。
だから、そうやって夫がどんどんどんどん乖離してたときにも、女の友達がいたら、そこで動けるんです。いいですね。
でも、そんな夫でも、いるだけで、お茶一緒に飲むだけでも、全然違いますから、大切に。
なんかあんまり、あれじゃないかもしれませんが、次行きますね。
男性、50代の男性として育ってきました。
2人の息子がいます。長男は大学で海外へ、次男は高1で不登校になる通信に行っています。
怠け者で、昼夜逆転ゲーム依存の日々です。
父親の自分は厳格な父に育てられたせいか、どうしても次男のことが受け入れられません。どうしたらよいでしょうか。
めっちゃわかりますね。この不登校って本当に多くてね。
ある意味、私たちが意識変えなくちゃいけないんじゃないかな。
昔、日本には、お知らさまじゃないわね、なんだっけな、ドアスでした。
家の中にいると、隠れて出てくるような妖怪。座敷笑し。
座敷笑しだと思ってくださると、いいような気がするんですよ。不登校とか引きこもりとか。
昔は、その俺が家にいたらよかったんですよね。
今だって、もしかしたらその子が一人いるだけで、悩みが尽きない。
悩みが尽きないっていうことは、人生の上でずっと考えることがあるっていうことで、ずっと心配することがあるっていうことで、死ぬまで心配してるってことで、
死んじゃったら意識なくなりますから、後は野となれ山となれって素晴らしいことわざがありますから、
それまでその子のことを心配していればいいわけですよ。
そういう意味で自分に、雑巾のような夫と同じでね、自分に心配の種をくれてる。
雑巾わらしじゃん、これ。と思ったらまたちょっと変わるんじゃないかなと思います。
で、うちにもいたんですよ、昔。雑巾わらしが。
で、今うち野犬っていうのを飼ってまして、本当に野犬です。代々野犬のファミリーから来た。
全然なすかないんですけどね。
これもうちに雑巾わらし、犬型の雑巾わらしがいるんだなと思って、外に出ないんですけど飼ってるんですけど。
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で、そういうふうに意識変える。
うちの子供、私自分自身もそうだったんですけど、接触障害でだいぶ苦しんでまして、
接触障害の子供ってね、付き合ってるとね、この子たちは、
接触障害って今時のそういう精神的なそういうものを持ってる問題がある子なんじゃなくてね、
これはね、キツネ好きと同じなんじゃないかなって思うときがあるんですよ。
あるいはその妖怪の中では、夜になると頭をパカッと開いて、ここにおにぎりいっぱい入れるみたいな、そういう妖怪いましたよね。
ああいうものがこの子に取り付いてるんじゃないかって思うことがあって、妖怪と思ったら、なんかまた違う。
そしたらね、この子はこの子なんだって思えるんですよ。
妖怪さんがいる、でもこの子はこの子なんだって思ったら、またちょっと違うんじゃないか。
っていうところまでは雑談でございます。
基本、根本どうしたらいいか。
お父様は、お父さんのお父さんからのあれなんですけど、さっき言った同じような答えになりますけどね。
息子、本当にもうイライラするでしょ。もうムカついているでしょ。たまんないでしょ。
だけど置いといてですよ。何とかいいところを探してあげましょうよ。
今日のその生徒はかっこいいね、とかね。
親父そんなこと普通言わないのに、なんて絶対思いますよ。
というのはあなたのせいでもあるんです。いいですか。
親父が息子のことを褒めたときに、息子が驚くような、そういう親子関係を作ってきたのはあなたです。
親は子供と同じところまで目線を下げて、子供と同じものを見て、それからものを考える。それが基本です。
普通の関係だったらいいんですけど、この子のように困っちゃった子ね。
この子はたぶんゲームに依存してますけど、それ以上に自分で悩んでるはずなんです。
ですから、そういう子供ってやっぱり不安でいっぱいですから、少しでも自分の承認欲求を満たす、それをあげるといいんですよね。
それが親からっていうのはものすごく効きます。
少しでもいいから褒めてやる。本当に少しでもいいから褒めてやる。
これを地道に少しずつ少しずつやる。これは素晴らしい効果を生みます。
そして私は言いたいです。通信に行ってますよね。不登校になる通信に行ってます。これ素晴らしいことなんですよ。
不登校になった子が通信に行けないで、そのまんま引きこもってる子を私はどれだけ知ってるか。その親たちの苦しみをどれだけ知ってるか。
本人たちののたうち回るような苦しみもわかりますよね。それに比べたら通信に行ってるって、これ素晴らしいんですよ。
まずそこを見直してやりましょう。そしたらだんだんだんだん変わります。
それよりも何よりも一番大切なのは、あなたとおそらく妻がいるでしょうから、妻との仲良しとですね。
で、妻を仲良しにさせるのは、まずいくつだ、50か。微妙だこう日本の男って早いから。わかりますね。
セックスです。ちゃんとする。セックスがもしできなければ、一緒にどっかに行く。手を握る。
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もうこのぐらいの年になると、手を握りたくないみたいに思われると思うんで、そのときはなるべくそばにいる。
手握らなくても握りそうな感じでそばにいる。で、一緒に何か食べる。どっか行く。
で、どっか行ったら、もうたい焼き1個でいいから買って帰る。お母さんほらお土産。
お花1本でいいからお土産みたいな感じで、それを繰り返す。
つまりあなたが、もう今の男らしく育てられた、これが問題なんですね。
男性をかなぐり捨てて、俺はこれから全然違う、あんたたちに、妻、子供、ゲイゴーした生き方をちょっと生きてみるみたいなつもりで、手を擦りながらですよ。
ちょっと擦り寄ってみたら、一年頑張ってみましょう。だいぶ違ってくると思います。
それで、バカなーなんて今思ってる、どこにいらっしゃるかわかりませんが、思ってらっしゃると思うんですけど、
一年頑張ってみたら、そこで、あ、伊藤があそこであんなバカなことを言っててみんな笑ってたか、もしかしたらそうだったんだって思えるから。
でも自分の男性、ここに問題があるんだっていうことは忘れないで。
そしてそれをもう一回確かめるためには、各地の男女三角共同センターみたいなところでしょっちゅう講座やってます。
で、いろんなところが力を入れてるのは、男たちに対する講座です。
中には四角四面のつまんないのもありますが、それが時には刺さるときもあります。
言ってみてください。男たちが今一番つらいのは、お前たちのせいでこうなったんだって言われることなんです。
今までお前たちが持っていたいろいろな既得権益は、もうお前たちは持ってないんだって言われることなんです。
九州の歴史では、いろんなことが起こりました。
明治9年、熊本では新風連の乱というのがありまして、明治10年、西南戦争がありまして、その前後にもいろいろな元武士の反乱というのがありましたよね。
大好きな話があって、切符が大好きなもんで、その辺を詳しく研究しております。
それも全て既得権益を失った。
自分たちはこれだけできたのに、こういう地位にいたのに、いきなりパンと落とされた。
その人たちが不満に思って、不満を募らせて起こしたことでしょう。
今、たぶん、あなた方は地球温暖化で地球が住めなくなる以前に、ふつふつと不満をたぎらせて、地球温暖化の前に不満を表現したいなと思っていると思うんですよね。
でも考えてみましょう。そういうことであります。
もう一つ来ました。
69から。
病院、老犬の厨房のパートに行ってます。仕事は好きですが、人間関係は嫌です。辞め時かと思います。
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77歳ですね。
12月に2人がパートに辞めます。
社員さんの言葉がきつい。
同じ間違いをしても、私ともう一人の人に若ざたり強く仕事をしていて、強い口調で言われます。何人入れ替わりがあったでしょう。
良い人が辞めて残念です。この歳で他のところに行っても今のところは歩いていけるし、休みは欲しいだけ休ませてもらいます。
時給1000円。早朝手当がなくなり、ボーナスも出ません。こんな風に大変ですということが書いてあってですね。
主人は高生年金。私は国民年金で平均あります。畑もすくったので、やりくりして残りの人生を楽しんだ方がいいか悩んでます。
体は元気です。昨年乱層がんにかかる手術をして、今は月10日ぐらい行ってます。
主人が介護さんになり、半分家で半分施設でお世話になってます。月9万ぐらいかかりますということなんですが、迷ってらっしゃいますね。
人間関係が嫌で辞めどきかと、あまりいい思いもしていらっしゃらない。辞めどきかって考えながらお金がかかるな。
でも一応基本のクラスはお金はあるけれども、夫のいろんな介護なんかでお金がかかる。
さあ、辞めるか辞めないかっていうことです。わからない。私はその場にいないから、あなたがどんな生活してるかよくわからないんですが、
仕事を遠ざかると、誰でもそうなんですけどね、辞めちゃうとふっと現役感なくなっちゃうんですよね。それはつらいですよね。
ちょっとでも仕事に行ってると、そこでいろんな人と話す嫌な思いもする。全部刺激になって、社会の中に生きてるっていう感じで生きていられます。
そういう意味では、できること、できるところまで続けたらどうだろうって言いたいんです。
ただ、お年もお年なので、もし体がつらくなったら、それはやめなくちゃいけません。何とか暮らせてるみたいなので、
そしたらそれで新たな人生作るっていうのも、自分でもう何十回も考えたことですよね。
ただ、たぶんこの人が考えてなくて、私が考えてるなと思うのはここですね。社会に関わることをやめちゃうと、本当にパカッと引退になっちゃうんですよ。
そうすると、その人自身がシューってしぼんじゃうなっていうのを何回も見てきたので、それはちょっと考慮に入れてもいいのかなと思います。
いつまでも現役でっていうのは、もしできればやったほうがいいのかなって実は思ってます。
最後の質問です。
主人とは友人の紹介で結婚しました。2人目を生まれる頃に夫が鬱になり、それからはずっと相鬱を繰り返し診療内科に通っています。
今はそう状態。朝からどうでもいいようなことをずっと喋ってます。ストレスです。
人は変えられないのに自分の考え方を変えるしかないと分かっていてもイライラします。どうしたらいいですか。イライラしないようにしたいです。
60代の女性からです。今まで大変だったでしょう。本人も大変だと思うんですけど、そばで住んでる鬱病の患者の連れ合いね。そういう本もありますよね。本当につらいですね。
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この場合はただ60代、今まで何十年か我慢してきちゃったんで、私はこのまんまいたほうがいいんじゃないかと、今ここで別れましょうって言いたくないです。
どうしたらいいんでしょうね。夫からちょっと目を離して外に友人を作る。あるいは60代ってボランティア、しどきですよ。
いろんなことを見えてる。経験もある。人の苦しみもよく分かる。そんな感じでもう外にちょっとでもいいから出てって、夫からちょっと目を離す。
夫から距離を取る。夫がもう苦しんでる、楽しんでる、騒いでる、鬱になってる。そのサイクルがあると思うんですけれども、直接こっちに来ないように断熱剤を入れて暮らしていく。
そういうアドバイスしかないかもしれません。そうすると周りの人からあの人冷たいねと思われるかもしれない。夫から思われるかもしれない。
That's not your businessって思って、これは私の問題ではないと言って、もう私は私って言うんで暮らしていくのが一番のような気がいたします。
ちょうど時間になりました。全部答えました。お一人だけなんかちゃんと答えられなくてごめんなさい。たまには答えられないのもあります。私も人間なんで。
そういうわけで朗読しようと思ったら時間がないのでこれで終わりにいたします。
じゃあまたどっかでお会いいたします。どうもありがとうございました。
伊藤様どうもありがとうございました。皆様どうぞ今一度盛大な拍手をお受けください。伊藤さんでした。ありがとうございました。
いかがだったでしょうか。ひろみさんの人生相談。ひろみのパンジーOKは26年も続く西日本新聞の人気連載です。
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本日はありがとうございました。