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82|終戦わずか3カ月で計画された日米野球 「西鉄vs進駐軍」春日原球場で?
2026-05-04 15:55

82|終戦わずか3カ月で計画された日米野球 「西鉄vs進駐軍」春日原球場で?

西日本新聞の記者が取材の裏側やニュース解説をお届けする「西日本新聞me Podcast」。1945年、大野村(現大野城市)の村長・山上高太郎さんの日記に、野球ファンの胸を熱くする記述がありました。終戦からわずか3カ月、駐留していた米進駐軍が「日本のチームと野球の試合がしたい」と申し入れ、福岡県初の野球場・春日原球場での開催に向けて西鉄と協議が進んでいたのです。進駐軍を本気にさせた西鉄の実力、「双方気合を入れないと面白くない」という村長の言葉、そして試合は実現したのか――。報道センター文化セクションの塩田記者が、幻の日米戦と西鉄ライオンズへつながる福岡野球史の源流を語ります。

◆収録日:2026年3月19日

◆出演:塩田芳久(報道センター文化セクション)、横山智徳(MC/メディア戦略局)/音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)

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#西日本新聞mePodcast #西鉄ライオンズ #春日原球場 #進駐軍 #西日本新聞me

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サマリー

終戦からわずか3ヶ月後の1945年11月、福岡県大野村(現大野城市)の村長の日記に、駐留米軍が日本のチームとの野球試合を申し入れた記録が残されていました。当初は県初の野球場である春日原球場での開催が計画されましたが、準備の遅れから、翌1946年3月に春日市にあった西鉄所有のカシー球場で日米対抗試合が実現しました。この試合は、当時の混乱の中で平和への願いを象徴する出来事となり、後の西鉄ライオンズにつながる選手たちも出場していました。

番組紹介と西鉄ライオンズへの思い
西日本新聞 Podcast
西日本新聞me Podcast
この番組では、西日本新聞の記者が、取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれをお話ししています。
こんにちは。福岡のニュースアプリ、西日本新聞meの横山智則です。
今日は、報道センター文化セクションの塩田さんに来てもらいました。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
塩田さんといえば、西日本新聞切ってのダイオンズファンでいらっしゃいますけど、
今、社内に味方はあんまりもういなくなったような気がしまして。
そうですね。私が入社したのが1990年。
僕より10年早いですね。そしたら。
で、まもなく、もうすでにダイエー・フォークスが福岡にやってきてたんですけど、
当時、まだ平和大球場で、ホームグラウンドでやってたんですけど、
外野席の8割から9割近くは、ダイオンズファンでした。
それが今では、どうも行きますと、ほんの一角、小さなスペースでしかなくなってて、
年月の経つ速さというのを自覚しております。
なるほど、そうですね。いや、確かにそうでしたもんね。
西部大ダイエーは、僕のイメージでも半々入っている頃はまだありましたもんね。
そうですね。
今日は、福岡の年配の野球ファン、特に西鉄ライオンズファンの方にぜひ聞いてもらいたい回と思っておりまして、
古い話なんですが、1945年当時、大野村、今の大野城市の村長さんだった、
終戦直後の日米野球計画の発見
山上幸太郎さんとお呼びしていい?って言ってました。
幸太郎さんの日記の中から、1945年当時の村長さんの日記の中から、
野球ファンとしては胸厚の記述、日記が出てきたということで、
そのお話を聞きたいんですけども、
どこから伺ったらいいですか?
山上幸太郎さんというのは、1945年、つまり終戦の年の前後に大野村の村長を務められた方で、
その村長時代のことを国民に日記に残していたんですよね。
例えば、福岡で大苦襲があった日であるとか、終戦の日の皆さんの様子であるとか、
その後の混乱とかを文章として残していらっしゃるんですよ。
その中に野球に関する記述があって、「おっと!」と思わせました。
教えてくれたのは大野城市にあります心のふるさと館の山村智子という学芸員の方です。
幸太さん、こういう記述がありましたと言って見せてくれたのが、
終戦間もない3ヶ月ぐらい経った1945年、昭和20年11月の記述で、
当時、新中軍ですね、米軍が日本に上陸してきて大野村にも駐留してたんですけど、
そこの方が野球をやりたいということで申し入れてきたという記述が見つかりました。
わずか終戦から3ヶ月ちょっとでまだ混乱が続いている中でですね、
新中軍はそれ以前にいろいろ要求をしてきたんですが、
食料が欲しいとか洗濯場所が欲しいとか、あとは炭とかそういった燃料が欲しいとかいう要求を村に対してやってきてたんですが、
いきなり野球がしたいということを申し入れてきたと。
なるほど、それこそ戦後間もないですから、要求といってもある種異色獣を満たすようなものが中心の要求だったところに野球がしたい。
はい、新中軍の要求イコール多分命令だと思うんですよ。
そうですね、当時としては絶対そうですよね。
なので山上村長は発砲手を尽くして相談を持ち掛けたのが当時の西鉄、今も西鉄ですけど、西鉄に相談を持ち掛けました。
春日原球場での計画と西鉄の実力
なぜ、西鉄ライオンだとさすがにその時代じゃないですか。
さすがにないですね。実は戦前にも西鉄はプロ野球球団を持っていた経緯があるんですけど、それはわずかな2年程度の話でして、
九州で公式戦もやったことないような戦後の混乱期ですから、戦中の混乱期ですので、
そういう状態だったんですが、戦争が激化する中で球団は解散。
その中で戦争が終わって、そろそろ野球をやろうかねという風な雰囲気があったようです。
西鉄の中にも。
そうです。唯一の福岡における大きな野球をやっていた企業ですので、そこに持ち掛けたと。
で、話はどうなっていくんですか。
場所はですね、春日原球場。今の春日原公園内にある球場とはまた別のが。
今も春日原公園の中に立派な球場、それこそ甲子園もいわゆる。
予選もやってます。
それとは別に、今の西鉄春日原駅前に春日原球場という福岡県で最初に作られた球場があったんですが、
そこを舞台に西鉄対新中軍というのが計画されたようです。
45年11月の後で。
話は進んでいってやろうかというような期日があるんですけど、
実は新中軍の方が西鉄が前の目にになってやろうとしていたことに対して、
ちょっと待ってくれと。いいメンバー集めるからちょっと待ってくれというような要求も出したようなんですよね。
なんかちょっと本気度高いですね。
本気度高いですね。
言ってもですよ、お遊びというよりはお遊びのつもりで。
確かにでもやはりお互いリスペクトして野球という競技ですので、生半可な遊びではないと。
多分新中軍もですね、西鉄チームというのが戦前に野球チーム、プロ野球チームを持っていたということを知っていたのかもしれませんし、
実はそこから3年後の1948年にノンプロチームの西鉄がですね、
社会人野球の全国大会、都市対抗野球で優勝するんですよ。
それだけの素地となるような選手というのはたくさんいらっしゃったということ、情報をキャッチしたのかもしれません。
なるほど。相手は結構手強いかもしれない。
手強いと思ってさすがにですね、変な試合はできないと思ったんでしょう。それが12月の期日として残っています。
カシー球場での試合実現と結果
なるほど。12月の時点でまだ試合があってませんよね。
準備中ですね。
46年、昭和21年にやろうというような話が進んでいたと。
ただし山上村長のですね、日記にはそれ以降ほとんど野球に関する記述が見られなくなったんですよ。
なので本当に試合があったのか、西米対抗の国際試合というのは戦後間もない時期に行われたのかというところは謎のままだったんですよ。
確かに僕が読んだ翔さんの記事でも、最後の最後で開催の期日なし、てんてんてんみたいな話になっているものですから、この後というのは調べられた。
はい。心のふるさと館の山村学芸員から、次のような日記の内容があると知らせがきました。
1946年、昭和21年翌年の1月の記事です。青木雄三氏ほか一人来場。日記からの引用です。
2月末の日曜日、3月第1の日曜日にカシーの野球場を開きをするから米軍との試合をあっせんしてくれよということだったと。このような記述が見つかりました。
今度はカシーなんですね。
カシーにみたいですね。
カシーにも野球場があった。
はい。戦前からカシー球場というのがありました。これは西鉄が所有するものだったんですよ。
ほかの資料も探しますと、菅原球場というのは、本来最初にやろうと考えていたのは、どうも日本軍の飛行場を作るためにいろんな掘り返してですね、球場として手をなしてなかったみたいなんですよね。
すぐすぐは使えない状態であったと。
別の日の村長、昭和20年、1945年の日記の中にも、銃器を貸してくれと整備するためにですね、中流軍に対して要求したけどちょっと難しいと言われたような記述があったので、
そこから想像すると、当時まだ野球をやれる状態から復元するには時間がかかった。
かすが、菅原球場では難しかったんだろうなということは推測できます。
なるほど。で、カシーの方の球場で開かれることになったようですね。
カシーの球場も先日は芋畑とかになってたらしいんですが、ただ食料なんですから野球どころではないということで。
それですけど、菅原よりは早く復興したということで、そこでなされたようなことだと思います。
気になるのは結果ですよね。日米、それこそWBCじゃないですけども、今回のWBCは決勝が日本対アメリカかなと僕はずっと思ってたんだけど、そうはなりませんでしたけども。
ちなみにその時の試合の結果っていうのは。
試合が行われたのは1946年、ちょうど80年前ですね。
80年前の3月31日という記述が当時の西日本新聞の長官に残っておりました。
さすが西日本ですけど、さすが探した塩田さんもすごくないですか。これどうやって探したんですか。
当時ですね、新聞というのは表裏の2ページなんですよ。
ですから過去の記事を探すにしても、今の何十分の一ぐらいの努力で済むので、大体この時期だろうなということを検討つけてめくっていくと、見つけるということができたようです。
試合結果なんですけど、試合結果は12対6、戦慮軍の勝ちと。
そうですか。
試合結果はともかくですね、当時の紙面を読みますと、戦争が終わって混乱しているものの平和な日々がようやく戻りつつある中で、皆さん野球の試合というのを待っていたみたいで、当時5000人が詰めかけたそうです。
その紙面の見出しもですね、春空に飛ぶ本類だと、まさに弥生3月の青空に白球が舞う姿、平和を感じるじゃないですか。
しかも日本対アメリカとつい先ほどまで戦争をやっている、そこの人たちが共に野球というスポーツを通してボールで対話しているというのは、一つの平和の象徴だったのかなとも考えます。
試合結果はともかくですね。
再戦と西鉄ライオンズへの繋がり
実は西鉄さんの車報というのが、車内報というのが出てまして、それも入手できました。昭和21年4月15日号なんですけど、そこにはもうちょっと詳しく書かれてまして、実は西鉄軍は練習不足と。
要所要所で失策をしということですので、なかなか思い通りのプレーができなかったようですね。一方、米軍側はですね、チューインガムやシガレットと全く同様ボールに馴染んできている米軍は、練習の妙味と持ち前の強打ぶりを遺憾なく発揮ということですから。
なるほど。
いかに試合の力の差があったかということは理解できるかと思います。
ということですね。
ということです。
そうでしたか。
4月20日にも試合やっているんですよ。
その後。
その後。
それは。
リベンジ戦。
リベンジ戦。
行きたいですか。
行きたい行きたい。
実はまだ野球やりたいということで、米軍側から中陸軍側からオファーがあったようで、4月20日に再戦ですね。再戦があったようです。
この時は実は西鉄のピッチャーが8回までノーヒットノーランに相手を抑えていたと。
しかし9回に3点を奪われて3対1で惜しくも敗戦と。
いい勝負はしたんですね。
そうですね。
その時の選挙もちょっと読んでみたいと思います。
そういうことでもうちょっとで惜しかったんですけど、実は米軍側ですけど、試合中チューインガムを噛みシガレットを吹かし、甘地さえビールまで飲んで顔を赤くしということで。
まあなんか。
舐められてますね。
舐められてますけど。
やはり豊かな国には勝てないなという。
いやいやちょっとそう思いました。
この車報には当時のメンバー票が載ってるんですけど、中にはですね、後に先ほど言いましたノープロの西鉄で都市対抗野球で優勝するメンバーであるとか。
その人たちが中心となってプロ野球の西鉄クリッパースというのが1950年、昭和25年に誕生するんですが、その中心選手となりクリッパースは翌51年に西鉄ライオンズとなり後の黄金期を築くんですが、その元杖となる選手たちというのがこの日米対抗にも出てたということ。
すごい。
そういうことなんですね。
そうです。
西鉄ライオンズの歴史と番組からのお知らせ
そして西鉄ライオンズは塩津さんが生まれる頃まではまだ福岡にいて。
そうなんです。
1979年から今の埼玉西武ライオンズと離れていきます。
そうなんですね。
というお話でございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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ここまで聞いていただきありがとうございます。
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本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
西日本新聞ミーです。
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