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83|【対談】「抱樸 」奥田知志×「よりあい 」村瀨孝生「いま、ここを大切に」受容から始まる支援・介護/4月4日トークイベント
2026-05-11 1:52:58

83|【対談】「抱樸 」奥田知志×「よりあい 」村瀨孝生「いま、ここを大切に」受容から始まる支援・介護/4月4日トークイベント

今回のポッドキャストは、2026年4月4日に福岡市で開催されたトークイベントの模様をお届けします。

ホームレスなどあらゆる困窮者を支援するNPO法人「抱樸 」(北九州市)の奥田知志さんと、福岡市内で認知症介護施設の「よりあい 」を運営する村瀨孝生さんによるトークイベントです。

 日ごろ、おふたりが向き合うのは社会的に孤立した困窮者や、時間と空間の把握が難しくなった、いわゆる「ぼけ」を抱えるお年寄りたちです。経済性や効率性を優先させる現在の社会から見ると、このような人たちを厄介な存在だと捉える人もいるかもしれません。「家がないのは自己責任」「ぼけてしまったらおしまいだ」など、心ない言葉を耳にすることもあります。

 本当にそうでしょうか。

 ちょっとしたつまずきで職や家を失う、老いによる認知機能の低下で生活がままならなくなる可能性は誰にでもありますし、あなたやあなたの大切な人もそうです。そんな状況になったとき、どんな気持ちで当事者と接すればいいのか。近しい人であればあるほど情実が絡み合い、困惑してしまう人がほとんどでしょう。

 今回の対談ではそれぞれの支援や介護現場でのエピソードにふれながら、おふたりの経験から紡ぎ出す言葉をヒントに、当事者との豊かな関係づくりの方法を探ります。 お住まいの地域で生活に困っている人がいて気になっている方、肉親の介護を経験した方、身近な人を介護している方、介護が間近に迫っている方、福祉に興味ある方など多くの方に共感してもらえる内容になると思います。


【西日本新聞社から刊行】
奥田知志さん
『わたしがいる あなたがいる なんとかなる「希望のまち」のつくりかた 』
https://www.nnp-books.com/items/113009676

村瀨孝生さん
『増補新版 ぼけてもいいよ 』を販売。
https://www.nnp-books.com/items/123922274


<出演者プロフィール>
・奥田知志(オクダトモシ)さん
 1963年、滋賀県大津市出身。認定NPO法人抱樸理事長、東八幡キリスト教会の牧師。14歳でキリスト教徒に。関西学院大学神学部に入学後、大阪の釜ヶ崎に通うようになる。以来、ホームレスや困窮者の支援に携わる。その後、西南学院大学神学部専攻科を卒業、九州大学大学院博士課程後期単位を取得。1990年、日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会牧師として赴任。現在、ホームレス支援全国ネットワークの理事長、共生地域創造財団の代表理事、全国居住支援法人協議会の共同代表も務める。
 主な単著、共著、編著に『もう、ひとりにさせない わが父の家にはすみか多し』『いつか笑える日が来る 我、汝らを孤児とはせず』(いのちのことば社)、『「助けて」と言える国へ 人と社会をつなぐ』(集英社新書)、『「逃げ遅れた」伴走者 分断された社会で人とつながる』(本の種出版)、『ユダよ、帰れ コロナの時代に聖書を読む』(新教出版社)、『伴走型支援 新しい支援と社会のカタチ』(有斐閣)、『すべては神様が創られた』(木星舎)など著書多数。

・村瀨孝生(ムラセタカオ)さん
1964年、福岡県飯塚市出身。東北福祉大学を卒業後、特別養護老人ホームに生活指導員として勤務し、「宅老所よりあい」に転職。現在は「宅老所よりあい」「第2宅老所よりあい」「特別養護老人ホーム よりあいの森』(福岡市)の統括所長。主な著書に『ぼけてもいいよ』(西日本新聞社)、『増補新版おばあちゃんが、ぼけた。』(新曜社)、『シンクロと自由』(医学書院)ほか。

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サマリー

本エピソードでは、ホームレス支援を行うNPO法人「抱樸」の奥田知志さんと、認知症介護施設「よりあい」を運営する村瀬孝生さんの対談をお届けします。お二人は、支援や介護の現場で直面する困難や、支援対象者との関わり方について、それぞれの経験を交えながら語り合います。 奥田さんは、ホームレス支援の経験から、単に「助ける」という一方的な支援ではなく、当事者のペースに合わせ、共に歩む「伴走型支援」の重要性を強調します。村瀬さんも、認知症高齢者との関わりの中で、効率や理想を求めるのではなく、その人らしい生き方を尊重し、寄り添うことの大切さを語ります。お二人の話からは、支援や介護の現場で「人間とは何か」「幸せとは何か」という根源的な問いに向き合い、試行錯誤しながらも、温かい人間関係を築こうとする姿勢が伝わってきます。 対談では、死を見送る際の「弔い」の重要性や、血縁にとらわれない「なんちゃって家族」という関係性のあり方、そして「解決しないこと」とどう向き合うかといったテーマも掘り下げられます。お二人の経験談は、支援や介護に携わる人々だけでなく、身近な人の老いや病と向き合うすべての人にとって、共感と示唆に富む内容となっています。最後に、奥田さんが進める「希望のまちプロジェクト」の紹介もあり、地域社会における包摂と共生のあり方についても考えさせられます。

対談の始まりと共感
西日本新聞 Podcast
西日本新聞me Podcast
この番組では、西日本新聞の記者が、取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれをお話ししています。
こんにちは、福岡のニュースアプリ、西日本新聞meの横山智則です。
今回は、4月4日に福岡市で開催されたトークイベントの様子をお届けいたします。
お話しするのは、ホームレスなどあらゆる困窮者を支援するNPO法人、
法木の奥田智史さんと、福岡市内で認知症介護施設「よりあい」の運営をする村瀬孝生さんのお二人です。
それではお聞きください。
先日、法木のYouTubeチャンネルというのがありまして、そこに村瀬さんが出ていただきまして、
今日、実は生村瀬さんを初めてです。
僕も生奥田さんを初めて。
テレビの中と本の中の人だったんですが、今日は初めてお会いできて、今日はありがとうございます。
ありがとうございます。
私もこの本を読ませていただいたんですけど、一言で言うと、なんかめっちゃ似てるんですよね、現場の。何が似てるんですかね。
僕も読ませていただいて、もうなんか同じだと思ったんですね。
似てるって何だろうって思うのは、やっぱり人が見えてくるっていうかね。
奥田さんが関わっていらっしゃる人たちの、会ったこともないはずなのに、何かこう、その人となりとか、
どんな生き方をしてこられただろうかとか、そういうことがすごくいろいろ書き立てられるようなところとか。
そこが僕はすごく本を読んで感じたんですね。
そうですね、出てこられる方々一人一人の、お会いしたことないんですけど顔が浮かぶっていうか、その時のなんか表情とかやりとりが。
支援における「諦め」と「待つ」姿勢
それとまたその似てるはもう一つは、その何ですかね、その場の空気というか雰囲気。
ほうぼくって、もともとはホームレスの支援団体だったんですね。で、もう38年になるんですけども。
今は子どもたちの支援をしたり、障害福祉とか介護事業とか様々な、今29ぐらいの事業、刑務所から出てきた方々の受け入れとかですね。
で、やっぱりこう、当初は何とかしてあげたいっていう悪気はないんですけども、結局ああせいこうせいみたいなことで随分行き詰まったんですね。
で、今は、そういう意味では諦めが良くなりまして、
どうこうしてやろうっていうような気持ちが随分。
で、振り返るとその、やっぱどうこうしてやろうっていうこと自体が間違ってたんだなっていうのを、
これその本を読みながらもですね、そこのところなんかも出てくる登場人物も似てるんですけども、
その周りのその作ってる場の空気が、この人何とかしてやろうっていう、
まあその全然ほったらかしいという意味じゃないですよ。
本当の意味でこの人を生かそうってされてるのが、すごく感動的に読ませていただきました。
本当にね、ホームレスの方が訪問されることによって、
僕と関わろうとするまでにもすごい時間がかかってらっしゃるじゃないですか。
で、やっぱりその、そういうところも何か待つとかいうようなことなんかも、
本当に僕らもですね、おっしゃる通りで最初は何かついつい、
この人にとって人権とか権利とか、
人の暮らしの中で理想的というものに一気に持っていこうとしちゃうんですよ。
でもそれは何か、そこの逆にお年寄りはそれに抗うって言ったらいいですかね。
それはもっともっとこう、言ってみたらそんなに理想的な生き方をみんなしてるわけではなくて、
歯も磨かなかったりとか、もう今日は寝落ちしちゃったとか、
そういうある意味いい加減な生活をしてるのに、
僕ら専門職と言われるものがいきなり関わっちゃうと、理想に持っていかれちゃうっていう、
そこの、で僕らが余計なことを、それは当事者からすると余計なこと、
もういいからほっといてくれないけど、っていうようなところで拒絶拒絶拒絶。
拒絶されて、だんだん足し算から、僕らがさっき諦めておっしゃった引き算になっていくとか、
っていうところなんかも本を読みすると、もっとビシビシ伝わってくるでしょうね。
「解決」から「伴走」へ
そうですよね。私は決して資格も別に何もないんですね。
牧師は牧師なんですけども、なんちゃって牧師さんになって、
うちのバプテストっていうグループの西南学院なんですよ。
グループなんですけども、誰でも牧師になれるグループなんですよ。
なんちゃってなんですけども、資格ないんですけども、
かつてはね、やっぱり専門職が答えを知ってる人が専門職で、
そこに行って相談をして、何かこうプランを立ててもらって、それが答えだみたいな。
生活困窮者においてもそうですよね。半年で仕事しましょう。就労支援。
この人の首相は仕事であるっていう、そういうのをやるわけです。
でもやっぱしばしば、ホームレスの人も福岡もずいぶん減ったでしょ。
自立支援がうまくいってるんですけどね。2002年に法律ができて。
北九州の我々の働き、福岡でもやってますけども、
3800人ぐらいアパート入ってます。それでほとんど街中にはホームレス見ない。
そのうちの6割が何らかの形の就労自立。
厚生労働省から言わせると、厚生労働白書にコラムランに絶対乗るパターンですよね。
実際乗りましたけど何回か。
ホームレスからの就労率が6割を超えてるなんていうのは奇跡みたいな話。
でも問題は、それでその人が幸せになったのかっていうのは全然別問題です。
最近でも20年30年引きこもり状態でね、家から出れない。
何らか関わって就労が決まった。これなんかもう大成功例。
でも20年引きこもってた人、私は引きこもりっていうのは生きる一つの術だったと思うんです。
引きこもりの条件と要件と自殺の要件って結構かぶってるんです。
20年前にその人自ら命経っててもおかしくなかった状況で、
なんとか生きよう、生き延びようと思って部屋に駆けかけた。
それを全然赤の担任が酔ってたかって、引きこもり問題と言い出して部屋から出せ、就労だ。
うまく就労できて、その人が例えば毎日出勤してる。
世界中の人は良かったねって言うんだけど、その人にとっては新たな苦難の始まりかもしれません。
だって20年部屋にいた人が毎日出勤するってこれ大変ですよ。
だから私は浦井さんの本読んでて、人間の幸せって何だろうっていうのを、
うちもずっとそれを追いかけて分かんないんですよね。結局分かんないんだけども。
改めてその日その日の風景をずっと描かれてるけども、
このおばあちゃんこの瞬間生きてるっていう。
そういう場面がもう繰り返し繰り返し出てくるんで、
単純に幸せかどうかっていう問題でも当然ないんだけども。
私は長く専門職がポンとこれが答えだっていうふうにやってきたことに対して、
少し絶対ダメだとは思わないんですよ。
そういうの必要で、やっぱり病気は治さないといけないっていうのもあるし、
別 vadも大事なんだけども、我々がやってきたのはどちらかというと伴奏がたってお付き合いですね。
そんな世界観ですね。
「場作り」と「弔い」の重要性
小倉もまさに付き合うということですね。
だからどうしてもなんかひとつ読んでて冒頭の方でも出てきて、
社会復帰を目指したり、僕らは社会参加を目指すわけですね。
社会の人として社会の中で生きていくということ
それをお手伝いしたり支援することに 僕も否定はしないんですけど
復帰したい社会なのかっていう問いがあってですね
いやそれはだから本当にですね さっき引きこもりの方が
20年引きこもる 生きるために引きこもったんだけど
なのにもう1回その復帰したくもない社会に 引きずり出されることは
もう死ねというような言い方になる可能性が あるわけですよね
だからそこに 着地できる場所がないと
どんにゃん僕らが社会参加だとか言っても それは差別だらけのようなところに
社会復帰してもですね 社会参加したって あんま嬉しくないと思うんですよ
だから法木の場ということをおっしゃった 場作りというんですかね
ちゃんとどんな状況にあっても 着地できる場所
どんな置き方をしても置いていける場所 みたいなところがないと
そういう意味では寄り合いと法木っていうのは 場をどう作っていくかっていうところに
多分とてつもなく面倒くさくて大変で 苦労するけど面白い
いつの間にか何か寄りどころになっている みたいな感じが法木にはあるんではないかと思って
ずっと読んでたんです
お葬式のシーンでも何かお葬式が楽しくなる 感じとかね
そうなんですよ うち野宿の人たちって
だいたい既得になってもなくなってもですね 家族ほとんど来なかったんですね
だから最初の頃は病院の霊案室とか 警察署の 皆さん行ったことないですよね
遺体アンチ署
でっかい冷蔵庫があってね 昔小倉北警察署にね
身元不明の遺体が出ると呼ばれるんですよ 私
時々なんかすごいの見せられるんですよ
この子知りませんかって 結構ね3人に1人ぐらい知ってる人いるんですよ
この人こうこうこういう人でみたいな でやるんですけどね
そんなのを経験する中で やっぱり人間が見取られない
弔われないっていう これは宗教者だから
お葬式で人儲けしてやろうという話では 全然ないんですけども
考えてみたら人間だけが弔いますよね
他の動物は弔わないんですよね
多分人間の時間軸が違ってて
動物って多分生きてるところまでが 基本なんだと思うんですね
人間だけが死んでから あの人どうなったやろっていう話を
知ってるのは多分人間だけで だからちゃんと弔っとかないと
もう一回出てきはるみたいな 化け化けみたいな話になってね
ヘブンもうあれ以来 僕はもう顔を殺せなくなりましたよ
最終回 ヘブン先生みたいな感じでね
顔になって帰ってくる ああいう感覚ですよ
ヘブン先生顔になって帰ってきたっていう
あの瞬間やっぱりおときちゃんは 顔たたけないで 痒いって言って喜んでる
つながり続けるのが 死をも超えて つながり続けるっていう感覚を持ってる
そこのところをないがらしろにすると 動物化するっていうか
非人間化する やっぱ弔いっていうのは
亡くなった人のためだけじゃなくて おときちゃんのためでもあったわけでしょ
死んだヘブンさんが顔になって帰ってきたら おときちゃんそれで慰められたわけですよね
だから死者はこの消えて亡くなったんじゃなくって
どっかでいる まあそれが天国って言ったり極楽って言ったり
いろんな表紙を使うんだろうけども
でも弔いっていう感覚は
人間が人間であり続けるうちに とても大事だと
それで放牧は出会いから見取りまで 最悪私牧師だったんで
「なんちゃって家族」と「家族機能の社会化」
お葬式はね 商売ですからな
けどね 誰も牧師に給料くれんの
農事区の人のお葬式やってもね 手出しばっかりでね
それでもうダメだって言ってたらね
御所会っていう会を地域で作って この頃お葬式するとね
謝礼1万円くれんの 御所会が
だから小遣いなくなるとね そろそろ誰か行かんかなーって言うと
今月小遣い頼むから 2、3人行ってくれたらなーみたいな
嘘ですよ 嘘です そんなちょっとね
そういうお葬式の場面は すごく人間が出る場面です
いやー 僕ら見取りはもう
それこそ本当に それがまさに仕事だったりするんですね
昔はもう病院に いかに早く病院に送るかっていうふうに
でも僕が20代ですから 就職した時って
まさに平成になる直前だったんですよね
その時はもう完全に いかに早く病院に送るかっていうのが
看護師さんの仕事みたいな
でもちゃんとですね 食堂のとこに霊安室という間の畳の間が
そこに亡くなった人を ちゃんとそこで一晩枕木をあげるような形で
そこに安置というか おかしていただいて そして仏壇も実はあってですね
そういうのがあったんですよ ってことは僕が就職する前は
そこでちゃんと弔いをしてた
そこで暮らす人たちをですね
ちゃんとみんなで送り出せた文化があったのだなというのが建物で分かったんです
だけど僕は就職した時は すぐ早く病院っていう感じになって
みんな病院で死ぬっていう感じになってたんですよね
ちょっと話が長くなるから 話し終わりますけど
病院は一生懸命やるんですけど
いわゆる寿命で亡くなる方を生かすということ自体が矛盾なんですよ
それが延命になっているみたいな
で天敵が入る それを抜くから縛るですね
そこで縛られていく老人がたくさんいるわけですね
そうなってきた時にもう一回ちゃんと生活の場で死ぬ必要
死ぬということがやっぱり病院で死ぬっていうのはほとんど治療の対象のままで
それはどうも死ぬ言葉が約束されている人にとっては
かえってしんどいっていうのを実感していく中でやっぱり
見取るっていうようなことが発想が出てくるわけですけど
僕見取りが大好きなんですよ
人が死んでいなくなるのが好きなわけじゃないんですよ
そういうことではなくて見取りの時間ってなんかね真面目で滑稽なんですよ
すごくみんなその生物としては同じような形で死んでいくんです
死に方は体の死に方は一緒なんだけど
そこに人間模様がどうしても現れてですね
家族がいらっしゃらない方もいらっしゃるんだけど
なんちゃって家族じゃないんですけど
そこでずっと介護してきた人間がつき添いますしね
家族と介護してきた赤の他人である我々と一緒に過ごす時に
やっぱりね
あるおばあさんが亡くなる前ですね
元気な時に自分が死ぬ時はですね
浄土新宿に歌があるらしいんですね
その歌を歌ってくれと
子供が8人いて
8人みんな生きてる珍しいです
8人いたら大体何人か死んでるんですけど
全員生きててですね
お母さん囲うんですよ
長女もだいぶ年配になってらっしゃる
お母さんが歌を歌えっていう
それからもうちょっと息が
呼吸が乱れるとですね
歌が始まるんですよ
そしたらついてみんなが歌始まるんですよ
でもちょっと僕から見るとちょっと早いなっていう
まだちょっと早いんじゃないかなって思うけど一生懸命なので
歌っても歌っても死なないんですね
お母さんが
だんだんだんだんこう
まだ歌うみたいな
雰囲気になって1人かけて
すごい8人いるから
ひまごまでいるからすごいんですよ
エンジン組んだみたいになってですね
また呼吸が乱れるとですね
また歌が始まって
歌っても歌っても
いかないっていう
3回それが続いたことがあったりして
その後
夜ですね
長女さんと末っ子の
8人目の
1番末の娘さんなんですけど
姉妹でお母さん挟んで母の字で
寝るんですよね
その時に長女がですね末っ子に
お母さん今日何で歌えたと思う?って
聞くんですよ
そしたらわからん何でやろうかって言ったら
あんたの歌が下手だったからよって言って
なんかね
一つの家族
一つの人生には
全部違う
その人間模様があってそこに僕らが立ち会う
っていうところで
真面目なんですみんな真面目にやるけど
なんか滑稽なところがあって
そこもね多分
ほぼつくもほぼおくもそういう世界なんじゃないかと
想像するんですよね
本当そうですね
身内っていうのが
いわゆる血族とか
戸籍上のっていうだけじゃなくて
うちはなんちゃって家族で
本当の意味での家族
身内がほとんどおられない
いても縁が切れてる人が多かったから
それでなんちゃって家族
家族を機能で考える
家族の機能を社会化しよう
みんなでやろうっていう
家族になろうと言われたらね
ちょっと引きますよね
これちょっとね
そうなんですよ引くんですね
だから
うちさっきも村瀬さんとお話したんですけど
「解決しないこと」との付き合い方
若い子たちがほぼたどり着くんですね
愛着障害の強烈なものを持ってたり
ものすごい深い傷を負ってたり
長い頃だったら2,3年試し行動ですね
めちゃくちゃするんです
めちゃくちゃして
やっと落ち着いた頃に
お前なんであんなめちゃくちゃしたんだっていう
あの頃お前ほんまにめちゃくちゃやったよなって言ったら
もう一言ね
どっちみち捨てられるんだったら
早いほうが良かった
今まで結局大人たちはいい顔するけど
最後の最後にやっぱ捨てるって
特にねその子はね
親父どっちみち入院させるんや
っていうのが最後の捨て台詞だったですね
つまり彼女は暴れて
自分の体を切り刻んだり
暴力したりすると
いつも精神科の病院に投げポンと入れられたっていう
それでだから
結局入院させるつもりや
俺はお前医者じゃないから
お前入院させることはできない
親でもないから
強制的に入院させることもできない
そもそもお前のそれは病気はないと思うと
多分別物だと
お前がそうなってしまうのは
多分それは病気でも障害でもないと
もうちょっと待ったら
治るって言ったらおかしいけど
あの
私はもう
逃げると
ばっかりしてたことが
全然
本当に
これは
もちろん
らしくはない
でも
一応
わたくしが
俺らの
そこでも
調べて
どういう
中に
言って、そしたらそのお客さんが
あの方は?って聞いたんですよ。
で、僕が。
まぁ娘みたいなもんですよ。
一言言ったらね、1時間ぐらいしてガーッ返ってきてね
さっき娘って言ったやろ。
いつもはなんか
お前は俺の娘や、みたいなかっこいいこと言ってるけど
結局みたいな
どまりだろ。
お前らいつも嘘ついてる。
もうね、もう頼むわって言って
僕も平木直ってでも娘じゃないやろって言ってるんですけどね。
身内になれとか家族になれってのは難しいんで
逆に昨日ですね
家族だからお葬式を出すでしょって言ってきたけど
反対から考える。
お葬式出した人たちを家族って言ったらいいじゃないですか。
だからこの世界観もたぶんなんちゃって家族ね。
いっぱいおばあちゃんといっぱいおじいちゃんがいるみたいな
おばあちゃん5人おってもいいじゃないか
おじいちゃん10人おってもいいじゃないかみたいな
だからお弁当作るのが親の役割だって言われてきたけども
できない親もいるし親がいない子もいるんで
じゃあお弁当作った人はみんな親だって言ったらいいじゃないか
そういう地域作ればいいじゃないかっていう
これが家族機能の社会化っていう話をずっとしてきたんです。
そこでなんですけどね
けど面白いのは身内っていうのは
やっぱり独特の距離感があって
さっきの死の場面のちょっと面白い
お前の歌が下手やったかね
私ね牧師になった頃ね
そういうのがよくわからなくて
うちの教会のおばあちゃんのお葬式
娘が3人いてね
それはそれはね
26、7歳にくるんですよね
そのおばあちゃんの思い出を語りながら
聖書のお話をして
自分で言うのもないけどいい説教だったんですよ
で前夜祭、前夜式って言ってね
おつやが終わって
でみんなで食事し始めた
そしたら3人の娘がここの横に座ってね
今日の先生の話は本当に泣けた
よかったと
本当に先生ありがとうって言って泣き始めたんですよ
で僕はねちょっと若い
牧師になって1年2年だから
よかったと思ったんですよ
次何言ったと思いますその3人が
泣きながらですよパッと顔上げて
ところであれ誰の話してたの
って言ったの
で僕はどういうことって言ったら
うちのお母さんそんな人ないよって言って
そっから母親、死んだ母親ここ寝てるんですよ
礼拝堂で
そのとこでね
3人の娘が母親の悪口ずっと言い出して
それをネタにねみんなでお酒飲みながらね
そうやったそうやった
あのおばあちゃんそうやった
おならばっかしとったよなみたいな話が
うわぁ出てきてね
あ、身内ってこういう感覚
なんかこう他人がやるとね
お葬式でいいことしか言わないんですよ
だいたい結婚式でも他人がやるとね
もう褒めまくりますよ
この人は素晴らしい人やったって
身内の強みってもう一歩踏み込んでますよね
だからなんかね
なんかそういうの
そういうのをなんかこう
赤の他人でもできたらいいなと思ってます
あのね
僕の葬式のシーンではあったり
まだお金を返してもらってないとかね
あのおっしゃる通り本当にこうなんでしょうね
結縁とかそういうその
系譜から来るような家族ではなくても
やっぱり一緒にずっとこう
人生を共にするというか生活を共にする
特に介護なんかののみ
日々の食べること
出すこと
眠ることという基本のところですね
お風呂入りたがらないわけです
皆さんね
それを何とかどのタイミングでお風呂に入ってもらうかとか
そういうことを延々に終わることなく
ずっとやってる
もしくはいなくなっちゃう
よく徘徊とか言いますけど
本当徘徊なんてものはないんですよ
それぞれ本人には理由があるし
ただ歩いてるうちにその理由を忘れてるっていう
歩くためだけに歩いてるような状況に
なっていく人もいるし
最後まで何ですかね
なんかどっかですね
なんか探してるっていうか
家に帰るって言っても帰る家は
あってもたどり着かないですし
かつて自分が生まれた家だったりしますから
行こうとしてるところがですね
実現できないんですよね
実現できないっていうところに
僕らはずっとこう
実現できないから
実現できないことに付き合うっていうのは
今の社会はコスパが悪いというわけですね
だからそういうこう
合理的に考えれば付き合う必要がないことなんですね
だけど
それがだいたい帰宅願望だとか
妄想だとか要するに
そういう障害というか症状として
治療とか薬の対象になるんですけど
本人は出てくる理由があるわけですね
出てくる理由は僕らには分からない
想像はついてもですね
本人が言ってることは
それは実現できないことが分かってる
ずっとこう
特に一緒に歩くからですね
一緒に歩いてると
歩いたからといって
何か症状が治るわけでもないですし
ただそれをずっと続けていく
でも生活って本当はそういうことなんじゃないか
終わりがなくですね
同じことをずっと繰り返すっていう
それが繰り返してると
そういう意味ではなんちゃって家族と
普段よくおっしゃるんですけど
僕らもどっか家族には絶対なれない
「量」と「質」の対話
だけど
家族的
なんちゃって家族にはなれるような気がして
その時にお葬式の時にやっぱり
どれだけ
この人に振り回されたかっていう話をですね
職員と家族がですね
一緒に
この人こんな人やったんよねとか
私スカインやったとかって娘さんが
言ったり
僕らさすがにスカインやったとはならないですけど
実はもうこんな風に振り回されて
僕なんか
あるうどん屋さんのですね
厨房をおじいちゃんと一緒に通り抜けたことがありますから
そういう自分のなんか
あるいは
自分の
血液型なんて本当に血つながってますよね。DNAレベルは知らないけど。
私、夫婦でA型とB型の夫婦なんですよ。これ全部出てくるんですよ、そうなると。
A型で長男はね、生まれた。僕A型なんですよ。うちの神さんB型。長男生まれてB型やったんですよ。裏切りやがったなと思ったわけですよ。
で、次出てきたらね、真ん中の娘、O型やったんですよ。なかなか中和的なやつが出てきた。
いよいよ3人目が生まれるときにね、今度は俺の味方が来るやろうと思ったらね、AB型やったんですよ。
かなり多様な家族。
すごいでしょ。誰が事故になっても助かるっていう、奥だけが全員揃ってると、どなたでも輸血ができる。
何のこっちゃわかんないです。
けどね、やっぱりそういう科学的あるいは質的な問題じゃなくて、僕は人生って量的なもんだと思います。
量。やっぱりどれだけ一緒に飯食ったかとか、どれだけ一緒に過ごしたかみたいなものが最後勝つんじゃないかな。
だから結構ね、専門職の方々の研修会とか、資格も何にもないです。社格知識も何でもないのにね。
そういう精神保険福祉の全国大会とかでしゃべるとか言われるんですよ。
言うな、ええんかいなと思いながら。
生辞勉強してないからしゃべれるんですよ、これが。中途半端に勉強してると怖くてしゃべれないです。
本当か嘘かわかんないから、しゃべれるんですよね。
しゃべるんですけど、最後に大体専門職の皆さんに。
とはいえ、僕は38年北九州で、その前鎌場崎で学生時代から含めたら40何年こんな本家社の支援やってて。
最後はやっぱり質より量な気がする。
みんな質を求めて資格取ったり、すごい知識を得たり、いろいろするけども。
結局どれだけ一緒にいたかみたいな話が、最後は残るような気がしますね。
確かに本当に付き合うって量の問題だなと。
どうしても今の専門性とかは、特に最近です。この数年、正しく解決に導くようなことを求められてきてるんですね。
だからそれがエビデンスが大事だとかですね。
根拠、原因を求めて。
その原因さえ何とかすれば、今起こっている問題はなくなるっていう、そういう方法論がですね。
いっぱい介護の世界も持ち込まれていくわけですよ。
せっかく福岡市なんか、ユマニチュードっていうその認知症の人に対して、そういう対応の仕方なんかを、
対応がちゃんとしてるから、いい対応だから、それを持ち込んでどんどん普及してる。
そのこと自体は全然悪いこと、むしろいいことだと思うんですが。
そのユマニチュードを使えば、この人は落ち着くっていう、その何ですかね。
落ち着かせるためにユマニチュードを使う、だから勉強するという専門性の態度を持った人がどんどん出てくるっていう、なんかここにねじれがあって。
付き合うっていうのは、どうなるかわかんないし、どこに着地するかもわかんないし。
でも結果が悪くなるかもしれないけど、付き合うっていう。
だけど付き合ってると、なんとかなる。
なんとかなるっていう。
でも解決したかって何も解決してない。
その辺のところの、そこで実は僕らは生活を作ってるんだけど、一緒に場を作ってる生活を作ってるんだけど、どうも専門性のベクトルが全く違うところで来てるっていう感じがすごくしてしょうがないんですよ。
本当におっしゃる通りだと思います。
「問い」を大切にする姿勢
なんとなく解決したいのは山々だし。
そもそも人間ってあれですよね。
自分のことは自分がよく知ってると思い込んでるけど、そうでもないですよね。
ある意味、ちょっと全然中身が違うけど認知症的な。
特に孤立し始めると自分のことわからなくなると思うんですよね。
だから人との関係の中で自分を見出していくから、なかなか何が答えかっていうのもご本人の中にもないと思うんですよね。
そこにせっついて、何がしたいんですか、どうしたいんですか、あなたはどういう人生を送りたいんですかって返す方に聞きたいですよね、その相談員に。
あなたはどんな人生を送ってるんですかって。
多分相談員もわかってない。
だからその答えのないとこでどう付き合っていくかっていう勝負なんで、
私は伴奏型支援士っていう今日のチラシの中に入ってますけど、
社会福祉関係の資格が結構難しい印象が強くてですね。
今から20年ぐらい前に貧困ビジネスが流行って、
その時に資格のないような人が困窮者の支援をしてること自体が貧困ビジネスだみたいなことを言われて、
ちょっと頭にきてね、わかった、じゃあ資格ぐらい作ってやるわって言って伴奏型支援士っていう勝手な資格作ったんですよ、私。
20年ぐらいやってるとね、私今日本福祉大学のなんちゃって教授になってる。
日本福祉大学で伴奏型支援を教えてるんですよ。
それ今チラシみなさん入ってるけどね。
資格取っても何にもなりませんから。
なんちゃってなんで。
この伴奏型支援っていう考え方が岡村さんのされてるとめちゃくちゃ神話性が高い世界観。
伴奏型支援士に向いてる人っていうのはね、
一つは解決っていうことに対しての諦めがいい人。
諦めがいい人ですね。
これを諦めが悪いとね、何かいじりますな、相手を。
何とかしてやろうと思って、あの手この手を駆使して。
でも支援っていう言葉は、
現代にあなたはそのままじゃダメだって言ってる場面でもあるわけですよ。
だから面と向かってお手伝いしましょうとか支援しましょうとか、
あなたどうなりたいんですかとか悪いことじゃないんだけども、
ややもすると、よーく聞いたらお前そのままじゃダメやろがって言われてるのが支援。
変われって迫ってるわけです。
しかも偉そうに変えてやろうって言ってるわけですよ支援者は。
こういうね、解決に対して諦めがいい人。
ただもう一つはね、付き合いにおいては諦めの悪い人。
これが向いてるからね。
伴奏型支援士ってね、諦めが良くて諦めが悪いやつが向いてるって僕はよく言うんです。
解決に対しては諦めがいい。
お付き合いに関してはね、もう今日限りっていう日が来たとしても、
明日かもしれない。
ちょっと残せる。
もう10回言ったからもういいやろ。
じゃなくて11回目かもしれない。
まあだから路上の人で長い人になると10年超えてお弁当届け続けるっていうのがあるんですね。
そういうことをやりながら、
ほろっと来るんですね、そういう日が。風が吹くみたいな瞬間。
突然、もうアパート入るわ、みたいなことをおっしゃる。
3年目で辞めてなくてよかったなみたいなね。
付き合いに関しては諦めが悪いやつが最後残る。
だけど解決に関しては、あんまりこだわってると支援員がバーンとするんですね。
だって半年付き合っても就職できない人いるじゃないですか、当然。
3年ホームレスやってる人もいるわけで。
そうするといい相談になればなるほど、自分の力量が足らないんだって攻め始める。
上司もバカな上司がつくと、お前何やってんだ3年もってやられるわけですよ。
けど偉いと思いますよね。
動かない人と3年付き合えるっていうのはすごい技術だ。
だからそのお付き合いが3年続いてること自体、めちゃくちゃ意味がある。
もっと言ったら最低その野宿の人3年間死んでないわけですよ。
もうハームリダクションの世界です、こうなってきたらね。
もう死んでない、生きてるってこと自体に意味があるとするならば、
なんだかんだお付き合いしながら3年持ってるんだから。
そこで途中で絶望して自ら命を断つようなこともなかったんだ。
これはすごいことなんだよっていう話を、
ちょっと代々的に言いたくなって、
20年くらい前にバンソー型支援して勝手な資格作ったら、
4年前か5年前かな、日本福祉大学の学長がやってきてね、
これ授業にしてくれって言って授業になってるんですよ。
なんちゃって資格って大事かもしれないですね。
僕、解決しないことに、解決する力よりも解決しない力をどう、
解決しないことにどう付き合うかっていう力を養うことが大事って教えてくれたおばあさんがいて、
もうちょっとお名前はもう出しますけども、
これは30、それぐらい僕は就職してすぐの話ですので、
37年、6年前のぐらいの話です。
すいません、尊敬を持って出します。お亡くなりになっているので、
プライバシーの問題はもうないかなと思うんですが、
こうだれ、はつさん、神の足って書いてこうだれなんですね。
はつさんっておっしゃるんです。
もうね、神の足なんですよ。
98歳だったけど小走りで法務内を走ってる。
当時は地方保障と言われてましたけど、母家をお抱えだったんですよね。
このおばあさんがですね、花を摂る癖があって、
校長先生が入居、元校長先生が入居されてあって花を育ててるんですよね。
その花を摂っちゃうんですよ。花が咲いたら。
先生がですね、花泥棒がいると。
せっかくみんなに花を見せて、咲いた途端にね、摂るやつがおると。
その泥棒を逮捕せよと。捕まえよと言われて、僕はもう知ってたんですよ。
だってポケットに花びらがいっぱい入ってるから、
ただ摂るのが見事なんですよね。
小走りで行って、もうさっと摂っちゃうんですよ。
その速さで校長先生はわかんなかった。
職員はみんなポケットに入ってると知ってる。
もう、はずさんですよって訳がないから、
そうですね、そうですねって言って、なんか見つからないんです、犯人が。
ずっとごまかしてたんですよね。
したら校長先生見つけちゃったんですよ。目撃してしまって。
なんとかしろって話になって。
はずさんほとんどもう言葉が出ない状態だったんですよね。
でも一つだけ摂らない花があって、それがアザミの花だったんですよ。
あれって言いたいじゃないですか。
それで、なんで摂らんのって聞いたんですよ。
アザミの花を指差して。
ほとんど言葉がなかった。
あれは痛いって言いちゃったんですよ。
びっくりした、言葉が出たと思って。
トゲのある花を作ってもらえばいいんじゃないかっていうので、
校長先生のとこに元校長先生がトゲのある花を作ってくれって言ったら、
怒ったんですよ。もっとバカにしてんのかお前はみたいな怒られて。
でね、どうしようかと思って。
98ですよ。
校長先生は当時は保護室という名の、いわゆる拘束室があったんですよ。
閉じ込める部屋。
そこに置くれというふうにおっしゃってですね。
いやいやもう98だし、98ではどんだけ達者で歩いてる人、小走りができる人っていないんですって。
98だからもうね、もうちょっとしたら死ぬから。
もうちょっと死ぬから、閉じ込める部屋はちょっと勘弁してもらえないかみたいなことをやってて。
結局解決しないままずっとその校長先生から呼ばれるんですよ。
で、捕まったらもう1時間でもずっと話しされて、
同じ同僚の指導員に15分過ぎたら現代放送かけてもらって、
それで今なんか至急って言って話し切ってそこから逃げるみたいな。
最初の頃はその作戦がなかったもんですから、もう1時間ぐらい話し。
でも八津さんの苦情は5分だけ。
その後55分はうちの施設の問題。
八津さんの方が大したことなかったんですよ。
で、それでこう付き合って、じゃあ申し訳ないんでということで、
居酒屋にちょっと付き合いますとか、焼き鳥食べたい時は僕は夜付き合いますんで。
八津さん、鼻を取られた時だけ行くようにしたんですよ。申し訳ないっつって。
で言ったらですね、今度は八津さんが鼻を取るから居酒屋に行けるっていう肯定式。
僕は狙ったわけじゃないですよ。ただ結果的にそうなって、
だから複雑なんだよ先生は。鼻取られたら今日居酒屋行けるとか近々居酒屋行けるみたいな感じで、
何にも解決してないんだけどっていうようなところを八津さんが鼻を取らなかったら、
僕はこの辺の思考法にはならなかったんじゃないかなっていう思うところがある。
まあだから解決しなくてよかったです。そこでバラばっかりになったら、
よくぞ校長先生そこで俺をバカにしてんなって怒ったのは。
非常に難しい課題を与えてくださったってね。
いやだから無駄なものないんですよね。それを無駄にしちゃってるんですよね。
面白い種みたいなのがいっぱい割ってて、面白い花いっぱい咲くのに積んじゃうんですよね。解決型は。
解決型の人がダメって言ってるんじゃないですよ。
うちも当然解決型で3800人もアパート入れたんですからね。
路上でほたらかしてるわけじゃないんですよ。
だけどやっぱそれだけでやると、ご本人もつらいし、支援員もつらいですね。
解決しないっていうことだから楽ですよね。解決しなくていいから。
当然そうですよね。当然そう。でも大変ですけどね。ずっとついてもらう。
「希望のまちプロジェクト」の紹介
確かにいわゆる30代20代ね。それでもっと若い10代の人たちが家を失う。
その家庭というところの居場所を失って、そして路上に行かなきゃいけないってことはやっぱり、
そこはただ付き合えばいいって話じゃないので、やっぱり最低限人が生きていくために
に必要なやっぱり生活の環境というものがあるから
それはやっぱり解決方もしっかり重要だとは僕は思いますけど
老人介護の場合はあんまりそれがねなるほどはいそうですねあの
大変だけど面白いっていうのはこの本にも書きましたけども
さっきねおっしゃってくださったあのこの人ももう亡くなったんですけどね
ちょっと娘が来たときにいるんでね長く療養におられて
何回説得に行ってもねアパートに入らなかったんですよ
たまたまちょっと病気になって休憩ハウスされたんで
これはチャンスやと思って病院にもう足しげく通ってですね
で退院と同時にアパートに入った
でやっと入った入ったっていう話になって
で半年ぐらいは大人しかったんです
それで市内に娘がいるっていうのは分かったんで娘に電話して
お母さん家で預かってますよ預かってるかもアパートを世話しました
もう娘さんはねもう第一世ねもう二度とかかりたくないから
母親そっちで何とかしてくれって言ったんです
もういいですよそういう人結構おるあなたももうたっぷり苦労してきたんでしょ
もういいですうちがやりますから
なかった電話します
半年ぐらい経ったらねそのお母さんねたくさん来たんですよ事務所に
岡田先生ちょっと今日相談がどうしたって言ったらね
友達が死んだよってお葬式に行きたいから
公電5000貸してくれって言ってきたんですよ
で僕はねあの路上時代は人との関係が切れてる
単なるハウスレスじゃなくてホームレスなんですよ問題の本質は
ハウスって家がなくなっただけじゃなくてホームっていう人との関係がなくなってる
ホームレス状態だから行っといて5000貸して
で一週間経ったらまた来たんですよ
岡田先生いとこが亡くなったんよ5000貸してって
で僕はねよく人が死ぬ人だなぁと
こんな定期的に死ぬのかな人はと
ここ来てから半年間誰も死なかった死なぁと思いながらもね
娘と会えるかもしれん親戚だと
いとこじゃあ娘と再会できるかもしれない
行っといて5000貸したんです
一週間したらねまた来たんですよ
この結層を変えて
岡田先生大変だってどうしたって言ったら
昨日の夜娘の向こうが死んだんよって
ギリの息子ですよ死んだんよ
ギリの息子やから今日は1万円貸してって来たんです
で僕はねちょっと待てと
なんもなんでも死にすぎや
しかも定期的にちょうど一週間ですよ
ちょうど一週間
ちょうど一週間ごとに人死んでいくして
だんだん近づいてきてるわけですよ
あんたちょっとここ座り机の前に座らせて
今から娘に電話するから聞くから
あんたそこで聞いときやって電話機置いて
スピーカーにして
娘さん出てきたんです
もしもし奥田です
奥田さんいつも母がご迷惑かけてますって言うからね
いやもう今日もちゃんとかけてますよ
何かあったんですかって言うからね
いや大変なことですよって
お宅のご主人昨日の夜亡くなったそうで
って言ったんです
そしたら娘が
えっうちの旦那死んだんですかって言うからね
いやうちの旦那死んだんですかじゃなくて
お母さん目の前に座ってね
今から葬式行くから私に1万円高電貸せって
目の前で今迫られてるんですけどって言ったら
いや今日朝から会社行きましたよ
スピーカーで流れてるんですよ
本人も聞いてるんですよ
本人はこう険しい顔して聞いてるわけですよ
もう分かりましたいいですよってスピーカー切って
あのサーチで聞いてたやろ
ご主人今日朝から会社行ったよおっしゃってますよ
誰が死んだんですかってもう一回聞いたんです
そしたらそのおばあちゃんで僕の顔見ながらね
なんて言ったと思います
うちの娘はなんであんな嘘つくかな
うちの娘はなんであんな嘘つくかな
言うた瞬間に僕つけばんって
嘘ついてんのはあんたでしょうが
こんな人いたんですよ
すごいパチンコだった
この人ねその後スキル性のがんになって
せっかくアパート入ったから入院拒んだんです
入院したくない
年も年だったから
僕らも通院でできるどこまでやろうって話になって
本当に痛みが激しくなってきたりしたら
入院しましょうねって言って結局はね
最後1週間ぐらい入院したぐらいで亡くなる
でお葬式になったんです
そしたら娘来ませんよやっぱり
で私お葬式で牧師さん役やって
でこのおばあちゃんの質疑があってね
野宿時代からの仲間たちとか
うちのボランティアさんとか職員来てるわけですよ
みんな50人ぐらい
特にね野宿時代からの仲間のおじさんたちがね
最後に質疑あけて鼻たむけるじゃないですか
鼻たむけながらね
おばあちゃんにね
ブツブツと何か語りかけて
なんか横から見てたらいい場面なんですよ
なんかみんな語ってるやんと
近づいていってこれを聞いたらね
こいつには騙されたな
結局金返ってこなかったなって
ほとんどの人はみんな言ってるんです
僕はその時知ったんですよ
やられてたのは僕だけじゃなかったんです
これでね最後質疑をね
教会から出すときにね
おじさんたちが横囲んで出館のときにね
一人のおじさんがね
おい
ありがとな
また会おうな
一人がこういうのをかけ出すと何人もがね
ありがとなって言い出したんですよ
で僕はそれ聞きながら
これ何がありがたいんや
金は踏み倒されるし
また会ったらまたやられるっていうのを
この人はね
でもね人間ってそういうことができるんですね
これがね
私は愛おしいって言ったら
ちょっと上からの目線かもしれないけど
人間ってやっぱいいですよね
面白い
単純に解決するとかしないとかじゃなくって
人の深みっていうのは
この話もやっぱり
飯澤さんっていうんだけど
そのばあちゃんが最後まで問題抱えながら
ギャンブル依存症も治らず
やっていってみんなから
みんなに迷惑かけながらなんだけども
それが確実に人との
つなぐ接着剤みたいな
触媒みたいなものって
人と人とつないでいくものとか
そこに変化を起こさせる触媒みたいなものは
必ずしもいいことばっかりじゃない
悪いことも含めて
人って出会っていくし
生きていくんだなっていうのは
さっきのお話も含めてね
よくぞ花盗んでくれましたと
校長先生はおっしゃったんだろうな
ですよね だから
こっちがなんかこう
理想的なものに
結びつけるっていうことではなくて
付き合ってるうちに荒のところに着地して
何かそれでそりゃそれでいいんじゃない
っていう世界があるっていうのは
本当に老人介護で
特に認知症介護というか
寄り合いが最初できたときは
92歳でマンションの2階で
一人暮らしをしている人がいて
小屋を出すし排泄臭がすごいから
早く施設に入ってくれっていう風になって
だけど本人はここでのたれ死ぬっていう
宣言をしたおばあさんに巻き込まれ
女性3人が最初巻き込まれていくという形で
スタートして1人からスタートしてるんですよね
やっぱりそこにはずっと付き合うということが
重ねていったときに
思いもしないところに着地して
まあまあいいかこれで
決してベストではない
ベターぐらいで収まっていくみたいな
世界があるんだなっていうのは
やっぱり老人介護ですごく実感したんですよね
特に認知症の人はやっぱり
排除される対象になりがちな人なんですよ
いわゆる社会の規範に添えなくなっていく
それは認知症状によって起こったりするんですけど
その認知症状要するにボケの世界
ちょっとボケっちゃうずれちゃうわけですよね
時と場
時間と空間の検討式障害なんて言うんですけど
時と場が自分の思っている時と場と
世間が認知してる時と場と違うわけです
だから時と場に違うことをする人がいると困るっていうことになって
本人は自分の今実感で捉えた時と場しか
自分に信じるものがないから
それに従って行動を起こしちゃうんですけど
周りから何しようとねみたいな
どんどん排除されていくみたいな
その排除されていく人が孤立しないように
孤立しないように一緒にどう排除する側と一緒にいるのかっていう
それを本当に10人とか12人の小さいグループの中
いわゆるボケの浅い人がボケの深い人を排除するわけです
だけどボケの浅い人は社会から排除されてるっていう
排除の連鎖があってそれを何とか人間関係を調整しながら
一緒に何とかいるっていうところで職員の力がですね
どんどん力をつく
だから本当に困った人がいればいるほど
職員の力がついていく力がついていくみたいな
だから僕みたいな年になってくるともういい加減になってきてるんで
苦労するのは若い人で僕はもう後引きますからっていう態度を取ってるので
大変な人が来たらすごい嬉しいです
これで職員の技術スキル力がかかっていく
いうような感じなんです
そうですよね
うちに僕とずっと一緒にやってる森松っていう
沖縄から来てね
このショーもともと牧師さんだったんだけど
NPO立ち上げるときに牧師を辞めて
NPOの代表というか専務で私が代表なんです
コンビでやってるんですけどね
30年35周年ぐらいのときですかね
今38年なんですよ
うちの団体活動開始
38年間で我々は何を得たか
38年間何をやってきたか
ある意味ホームレス路上の生活者の問題は
国の法律もできたし
我々上手運動もやったしですね
いろんな仕組みを作って
福岡においても北九州においても
特に北九州はほとんど野宿舎見ないようにあったんですね
もし路上に出てきてもすぐに
次の道が選べるっていう体制まで行けたっていう
これもあったよね
いい職員に恵まれたし
全国に応援団ですね
いろんな人と支えてくれる人も出てきた
けどね一番僕らが38年間で得たものは何かっていうと
まあそんなことぐらいあるわって言えるようになった
これ皆さんね
人生楽しく適当に生きようと思うんだったら
これは身につけた方がいいですよ
若い頃はねそういうわけいかなかったですね
なんか事件が起こるたんびに
ありえない信じられない
何考えてんだこのおっさんは騙しやがってみたいなね
そういう感じですよ
二十いくつで始めたときは
もう行政に対してもそうでしたね
私なんかもう本当に今の市長の前の市長の
さらに前の市長からの付き合いですからね
最初に出会った頃の
水吉さんっていうね面白い人がいたんですよ
最初10年大喧嘩です私北九州市
目がほもって殺人行政出てこいとか言ってね
やってました
納熟者50人ぐらい連れて北九州市長は突入してましたからね
やってたんですよ本当に20代なんか許せなかった
今でもね問題は問題だと言いますけどね
だけどもやっぱりね一方で
そんなことぐらいあるわって言えるとどっかの時点で
今若いうちのスタッフがいろんなこと悩んで苦しんで
こんなことなってますどうしましょうか
実はこの間アセスメント取ったのあれ全部嘘でした
みたいな話とかね来るわけですよ
でもねやっぱりねそんなことあるわ
なことぐらいあるんちゃうのっていう話と
なんでですかって言うわけですよあっていいんですか
そんなこと言うんですよ人間だもん
やっぱりね人間ってやっぱ不完全これはキリスト教の影響大きいですよ
キリスト教の聖書の中にはね
すべての人は罪人だって書いてるんです
罪人だって悪いことしてるっていう意味じゃなくて不完全だ
神様じゃねえって言ってるわけですよね
神様にはなれないんですよ人間ってどう頑張ってもやっぱ不完全
なんかどっか欠けがあるだからね
やっぱりもう38年こうやって北九州でやってて
やっぱホッとしますよねなんか人間だもの
だから僕は森さんの本読んでもそうだし
やっぱりここから先どんどん置いていくだろうし
今みたいには体動かなくなるし頭動かなくなるけども
なんとかなるだろうって思えるのは
なんとかなってきた人たちがたくさんいたからですね
そこを見させていただいて
願わくば僕がちょっと場とその時の感覚がおかしくなったときに
そんなことぐらいあるやろっていうやつが
僕の隣に一人でもいてくれたら
だいぶ社会は変わったなというふうに思えるし
これがやっぱり言う人が少なかったんですね
だからやっぱり38年間で私
住民反対運動と称するものに3回ぐらい出くわしてますし
大変でした本当に
ホームレスの施設作るっていうだけでも超反対運動ですね
法務館北九州っていうのを建てるときには
8ヶ月間で17回住民説明会やったんですよ
大変でしたよ本当に
まあでもねもうちょっと世の中が
こういう先生の本をみんなが読むとか
うちのこのええかげな本をみんなが読むとかする中でね
あのこっちの方が楽だし行きやすいんじゃないっていうふうに
多分思う人が増えてきてるんじゃないかなと思いますけどね
はいもう本当に小田さんおっしゃるように
やっぱり人って面白いんですよね
もう面倒くさくて面白いですけど
なんていうんですかねやっぱり学ぶ
特に老いるっていうものが今なんかこう
防ぐ対象であったり
機能不全になっていく老いていくことをできなくなることをできるだけできるように最後までしていこうとかっていうふうに機能を維持していくとか
老いがその対象になった際になんかこう老いから学ぶってことがなくなっちゃってるわけです
常に専門職も家族も大丈夫ちゃんとできてるみたいなことになっちゃう
でこうすればもっとできるようになるからできることだけが価値になってできないとか
何もしなくてただそこにいるっていうことはもうダメみたいな
だからそういうふうにどんどんどんどんこう老いることがから学ぶっていう
なんか雰囲気が消えていくっていうのを今特に肌で感じてまして
だけど僕は37年間本当にあの倒れてきました年寄りに
大きな声を出すおばちゃんいるんですよ
とかいやあとがもうすごいんですよ
それがもう連続するともうみんながだんだんいくら孤立しないようにとかって頑張ってもいい加減にせやみたいな
もうこうどうするみたいななってくるんですよね
でそれを申告になってくるといきなりなんていうんですかね
あの声をどうしようかなっちゃって薬で抑えようとかで本人もきっと苦しいんだからとか
薬だったり何かこうそれこそ今に中道みんな勉強しようかとかっていうふうに
あの声をなくそうっていう方向に行くとボタンに何つが現場が深刻になるんですよ
だけどそれを逆にですね
ああっつくって大きな声出した時に
僕は事務所からですね声が小さいって言って
声が小さいって言ったらもっとああって言ってまた小さいって言って
だんだんこうなんて言うんですかね
本人も頑張って大きな声を出したら周りも声を大きな声出すことに何か価値があるのかなという勘違いが起こるとですね
大きな声が出していやー見事な声とか言ったらみんなが
おばあさんが拍手をしたり
なんかそう
こっちの方に軸が行った方が現場は元気になるっていうか
あの
まあ聞いてるだけでは笑い話面白いけど現場大変だろうなと思うけど
でもそういうことですよねなんかあの僕らは一歩道を歩んでるわけじゃないですよね
なんか人生は他には道なくて一歩道だと言うけどその道の見方って下から見たり上から見たり横から見たり斜めから見たりできるわけだから
なんかやっぱりあの村田さんの本読んでて
本当にユーモアだと思うんですねここにずっと流れてるの
ユーモアっていうのはなんか面白おかしく語るとかダジャレを言うとかじゃなくて
ユーモアのセンスっていうのは
元々ユーモアってラテン語でフモールって言葉から来てるんだけど
フモールって液体って言葉ですよ
液体っていうのはこういう形のものに入れたら四角くなるし丸いボールに入れたら丸くなるしもう柔軟性のことそのものを
ユーモアフモールですね液体のように柔軟にっていう
まさに液体のようでね大声出されてみんな迷惑なんだけど
まさかそこの施設の責任者が声が小さいって絶対言わないと思うじゃないですか
周りがいるんだからもうちょっとちょっと声小さくしてくださいとかちょっとこっちの部屋来てくださいとかやるパターンですねこれ
それも結局ですね最初からそんなこと思ってないわけですよ
なんとかの声したいとこっちも思っててこっちも限界が来ててもうイライラしてこっちも
だけどあのバランス悪く尽きてる状態です何をやっても
バランス悪く尽きた時に多分ああいう状況になっちゃうっていう
追い詰められてもうウルテがゼロになった時に新しい方法論が来るみたいな
何か下ってきてるんだよね
そっちの方向を開発してくれるのはやはりもうそういう
どうにもならないコントロール簡易なコントロールなんかとても通用しないような
人間存在というか
法木で生き笑い一座っていうの作ってましたね
これはあの生き笑い一座っていうのは私東日本の時に
貿易財団法人も作っててそこの理事長もやってて
全国で災害が起こると飛び回ってるんですよね今も
ノートの輪島で事務所出して現地の人を雇って動かしてるんですけども
グリーンコープさん東京の生活クラブ生協さんが一緒にしてくださってるんですね
その時に石巻の先に小塚半島というのがあって
その半島の中に財団の活動方針が
最も小さくされたものに偏った支援をするっていうのを
これ貿易財団法人なんですよ
あの土作差に紛れてね僕内閣府に何とかせーとか言って
半年ほどで貿易財団取っちゃったんですよ
取れないんですよ普通貿易財団で実績ないと
あの土作差紛れて認めてもらった
ただその理念の理念というか方針どころに
偏った支援って書いちゃったから
貿易財団法人はねすべての人対象だから
そうそう小塚さんこれダメですよって
最も小さくされたものに偏った支援を
これ聖書の言葉なんだけど
って言ってダメ出しが来たからね
お前現場行ってから言えって
すべからく全員助けることなんかできないよ
出会った責任っていうことがあって
その出会った責任を果たしていくしかないんだと
貿易であろうが何であろうが
それでね一番小塚半島で最も小さかった
村集落の一つが浜栗浜っていう
そこ行った時に九州から届いた物資の中にね
絵手紙があって
家も失った船も失った港も失った
その漁師の夫婦が今私たちすべて失ったけど
この言葉で生きてるって言ってその絵手紙見せて
その絵手紙に生きていればいつか笑える日が来るって書いて
私は最後の最後に人間ってここで立つんだっていうのが
で帰ってきてね
野宿経験者のおじさんにその話をして
これ地で言ってるの皆さんだから
生きてたら笑える日が来た人たちなんだから
これちょっと生き笑い一座っていう
一座作りたいから一緒にやらないか
でもね2013年からやってて
もう13年間ぐらい
全国でね3万5000人ぐらい見てる
なかなかすごいですよ
「包摂」の意味と「属性」からの解放
でねここが面白いのが
野宿を一番野宿してたのが中西原さんって言って
去年亡くなったんだけど
11年野宿
僕から言わせたらね
11年野宿できた人
できる男たち
野宿ってとてもね
想像つかないです
これだけ文化的な守られた
そうなんです
だから僕なんかだったら多分
1ヶ月以内にもうなんか絶望して
終わってるかもしれない
その前にさむしゃらに死んでるかもしれない
でもね11年野宿できたっていうのはね
尊敬するわって話から始まって
これで子どもたちの前で
大体小学校中学校最初回ってた
西原さんが
その野宿経験をね
まるで先生のように
子どもたちに
あのな野宿っていうのはな
こうこうこうでな
で子どもたち質問するわけです
何食べてたんですか
ああ食べ物
大体なゴミ箱
あちこち回ったらな
まだまだ食べれるもの
捨ててるって
もったいないやないかとか言ってね
でそんなの食べて大丈夫なんですか
いや大体大丈夫だよ
でもなお前らよく聞けよ
おにぎり捨てられてるやろ
ひらって食べるときにな
パクってやっちゃダメなんだよ
子どもたちは
ねえなんで
あれはな一回ここでな
割ってみるんだ
糸を引いたら食べちゃダメなんだ
ここで糸を引いちゃ
引いてたら食べちゃダメなんだよ
って言ったら子どもたちがノートに
糸はダメ
いやでもそっちが本当の学びのような
生きるための
面白いんですよ
子どもたちはすごい
そこですごいって反応が出て
僕は横で聞いてて
何がすごい
その後子どもたちがね
それでも病気にはならなかったのか
って11年間
一回も病気にならなかった
って言うんですよ西原さん
子どもたちがええ嘘でしょ
って11年病気にならない人
なんていないでしょ
みたいになったら西原さんが
病気っていうのはな
そもそもお前たち病院に
時々具合が悪くなったら行くやろ
病院に行って
お医者さんがあんた病気や
って言われたら病気なんだよ
俺はね
11年間
一回も病院行かなかったからね
診断がなかったって
一回も病気になってない
子どもたちが
なるほど
もうわけわかんない
わけわかんないけど
これが受けて今まで150
ポイントぐらいあったんですよ
いやすごい
これ面白いですよ今
第二世代がちょっと
第一世代がなくなり始めたんで
リーマンショックで
うちにたどり着いた
今40代になってる若者なんかも
入ってて野宿経験
面白おかしく語るんです
これはねみんなが
ちょっとホッとします
だから報告
だからできるんですかね
というか
そうなんですよね
本当はすごく
本当は学ぶこといっぱいあるんですよ
社会から
ちょっと小さな社会の
実はよく
今多様性
とか言って
障害のある人とか
症状のある人とか
社会的になかなか
折り合わない人たちを
包摂しようっていう
社会をつくってる側のマジョリティが
そういう人たちを包摂しよう
っていう言い方あるじゃないですか
あれは勘違いしてるような気がする
包摂してるのは実は
ボケのあるお年寄りの方ですからね
僕らは
言葉とか概念でしっかり
属性をつくってるわけですよ
実はそこに閉じ込めて
類型化して
これはこうだという言葉の上で
分かった気になってるだけで
でも逆に
ボケのある人 認知症のある人は
そういう言葉とか概念からどんどん外れていって
枠がなくなってるって
だから実は枠がないのは
向こうなので
包摂してるのはすでに包摂されてる
でも包摂されることで
社会が成り立ってるっていう風に
その包摂の意味を変えたほうがいいんじゃないか
そう思います
そうですよね
本当に
家族っていう縛りがあると
よくほら
いろんな本読んでると
だんだん認知が進む 認知症が進んで
娘さんが
親切にしてくれたら
どこのどなたか
知りませんけど
ありがとうございますって言われて
娘ちょっとショックだった
みたいな話があるけど
逆に言うと家族っていう
枠組みを外れて
あらゆる自分に親切にしてくれる人は
OKだっていう
包摂してるんですよね
そっちのおばあちゃんのほうが
もう家族だからやってよ
っていうような
閉じ込まった世界観じゃなくて
自分に関わってくれる人は
どちら様か知りませんけど
どうもありがとうございましたと言える
よっぽどそっちのほうが包摂ですよね
うちの母なんかやっぱ物忘れがすごく
よく覚えてない
っていうことが増えてきたときに
ご飯自分で炊いて
るんですよね
炊いたご飯を見て
僕に
あんた炊いてくれたと
ありがとうって褒められて
自分で炊いてるんですけど
そういうときが
自分で炊いたのか
聞かせてやっといたっていう
向こうが
包摂してるんです
実は僕らが
結局
人を属性に閉じ込めて
あなたお母さんでしょうとか
あなた父じゃないかとか
お前は息子だろうとか
あなた先生だとか
お前はボケだとかですね
そういうふうに属性に閉じ込めて
社会を作ってきた側がですね
包摂なんていうのは
土台無理
っていう気がする
だから包摂されてる側を
包摂してる側として
その世界を学ぶっていうんですかね
そっちにある世界を学んで
いくと
逆に我々の
属性にまみれた
社会
そこから生まれてくる問題のほうがもっと
緩むんじゃないかっていう
気がしたな
属性っていうのは
記号ですよね
記号に当てはめて理解しようとする
そういうのは
やりやすいっちゃ
やりやすいし
一方で必要なことはあるんですよね
ありますよね
でも我々の世界も
差別っていう言葉を結構
批判的に使ってきた
厚生労働省なんかの
審議会とかの
場面では
大体からして厚生労働省は
全て差別だと
障害者とか高齢者
全部差別で
ものを考えて
下手するとあの人はホームレスの
誰々さんって言っちゃうわけですよね
ホームレスだったら
まだ言葉になってるけど
野宿の誰々さん
もう認知症の
だったらまだしも認知の誰々さん
みたいな話になってくると
もうほとんど記号化してる
でも
私はやっぱり今の社会見てて
わかりやすく
しよう
あるいはなるべく早く
答えにたどり着こうと
AIなんかも典型的に
そうだと思うんですよね
一瞬にして
答えが出る
でも現場に
一歩踏み入れると
正直分かんないですよね
全く分かんない
私もともと関西の人間なんですね
「今ここ」を生きること
滋賀県の大津で生まれ育ってるんですね
だから今でも
関西弁があんまり抜けないところなんですけど
最近関西弁が
ちょっと一瞬流行ったけど
また消えていきましたけど
何が流行ったか言ったら
語尾に知らんけどつける
ちょっと調子に乗ってこの頃
説教の間間に
この聖書の箇所は
ギリシャ語では
こういう言葉が使われていて
本来こういう風に訳した方が
いいと言われています
知らんけど
本当に
物の本読んでるだけの話だけど
知らんのですよ
でもね
あれぐらいの
グラディエーションというか
伸びしろというか
そういう
クッションみたいなものが
どんどんなくなって
一足飛びに答えに走ろうと
してるし
特に今の若い人たちっていう一括にすると
またこれが記号になるんだけども
これもダメな言葉ですよね
若い人たちって誰のことですかって話になるから
でもやっぱり
私なんか
こういうのを使ってますけども
やっぱりだんだん乗り遅れて
いってまして
チャッピーがって言われたら
もうチャッピーがわかんないですよね
どこのチャッピー
いやこいつのことか
みたいな話になって
なんとか
だけども
もっと問いを大事にした方がいいと思いますね
わからないとか
なんなんだろうとか
一体何が起こってるんだろうとか
この人
幸せだったんだろうかとか
何が嫌なんだろうか
みたいな
小さい頃からやっぱり我々は
一つ答えがあるっていう風に考えて
それに教えられて
一つの正しい正解を書くことが近道
だってきたけども
いったん大人になって
あるいはこういう現場に見おくと
そこが一気になくなっちゃって
答えがない
答えがないとこに耐えられるかっていうのは
なんかこう
多分二人の方に共通するのは
どこまで行っても終わらない
どこまで行ってもわからない
どこまで行っても答えがない
みたいな
とこですよね
だから
半年くらい前ですかね
西州さとるさん亡くなったけども
西州さんがやっぱり
文学っていうね
学問ひっくり返して文学って言葉を
言ってましたけども
やっぱり問いをどう学ぶか
っていうのが
両者に共通している
ところで
一瞬わかったような気になるんだけど
翌日になるとそれはもう通用しない
みたいな
そんな感じですよね
やっぱり人間って面白さって
何か一回性だっていう風に
常に一回
僕らが
あるおじいちゃんが
全然家に帰ろうとしないんですよ
車にも乗ってくれない
どうやって車に乗って
お家に帰そうか
何を言っても根が生えたように
そこに座って
どうしようかって
スタッフ3人しかいなかったんですけど
3人いて
打ち合わせ何もしてなかったんです
何もしてないのに
一人がカーテンをパッと閉めたんです
薄暗くしたんです
それを見たもう一人が電気消したんです
それを見たもう一人が
ボタンの光
ラララララ
ララララ
っていうのをやったら
おじいちゃんがそんな時間か
って言って
車に乗られたんですよ
全く打ち合わせなしです
こんなチームワークはですね
僕は37年
この仕事をして一回限り
っていうか
あれが僕のチームワークのピークだったと言ってくれるぐらい
職員との
これがあった時は
明日のことを考えたんです
明日これがあった時に
この作戦でいけば
また帰れると思った
言い取りがあるんですよね
作戦があるから手があるから
あれは案の定帰らない
みんなでじゃあやろうかみたいな
同じようにやったんです
おじいちゃんが君たちは何をやってるんだ
こっちがちょっとおかしいみたいな
感じになって
通用しないんです
それはやっぱり
ボケの世界とかっていうのは
過去現在未来っていう
時間軸が
存在してないわけです
覚えてないからですね
覚えてないから
未来を
想像できない
過去の出来事が時系列記憶が
生じないってことは
未来のベクトルがないので
予見ができない
っていう状況なんです
毎日が初めて毎日が初めて起こってる
でもなんとなく
期末みたいな世界なんですよ
だから
そういう時間軸がないから
僕らは時間軸で生きてる
あれが成功したと思ってる
だけど
今日のおじいちゃんはそうじゃなかった
っていう
ホタルの光は
君らはちょっと大丈夫かここが
っていう
人間の面白さっていうのは
同じことを毎回繰り返してるようでも
実は全てが
同じことが
何も起こってない
この一回生みたいなところに
多分今
科学の方法論通用しない
実証し再現する
っていうのが科学の定義で
ある以上はある限りは
おそらくこういう人間が
生きるとか生活するっていうところに
おいてはなかなか
それをどんなに
持ち込んでも
科学がだめって言ってるんじゃなくて
その方法論は
そう簡単には通用しないんじゃないか
っていう
面白い
君たちは何をやってるんだ
おかしくなったと思いますよね
僕らの方が多分認知症状
を抱えてる状態になって
本当そうですよね
私ね
ある意味
困窮者の支援とか子どもの支援
特に子どもの支援そうだと思うんですけど
実に科学的だと思うんですね
科学って多分
今日よりか明日の方が進歩してるっていう
こういう
進行みたいなものがあるわけです
だから大阪万博は
進歩と調和だったわけですよ
ここから先どんどんどんどん進歩するだろう
けどまあこの手たらく
ですよね
だからずっと
階段登っていくように
進歩していくっていう風に
科学は思うんだけども
どっこりそうはならないし
特にね
困窮者の支援になると
アセスメントをして
スクリーニングしてプランニングしていく
これは多分どの手法でも
世界でも同じ手法を使ってると思うんですけども
特に若者の支援とか
困窮者の支援になると
半年後とか1年後のその人のことを
想定して
プラン立てるわけですよね
だからもうすでにその目線は
半年後の彼が
最初は
社会参加支援しましょう
次は
面接の
キャリアカウンセラーの
カウンセリングを受けまして
ずっとステップ踏んでいって
半年後には一般就労
しかし
これはこれで
その人にとっては大事なことなんだけど
一方でもっと切な的な
瞬間 瞬間
この人生きてるのは今日しかないんですよね
半年後生きてるわけじゃないから
今日どう終わらせるかみたいな
感覚を持たないと
半年後に
非常に科学的思考で
半年後には必ずここまで進歩してるはずだ
っていうふうにやっちゃうと
ここに到達してない半年後を迎えたら
何かが間違ってる
何かがどっかで間違えたんだ
間違えたんじゃないんですよね
やっぱり
それはそういうことなん
っていう
そのためには
今日の意味みたいなものに
一言じゃ言いませんけども
今日の切なって言葉も
一般的に使われると
いい加減みたいな
適当みたいな意味で
切な的やなっていうのは
あんまりものを考えないで
瞬間 瞬間で適当にやってるやつを
切な的なやつやってる
もともとブッダが切なって言ったのは
一瞬一瞬生きろっていう意味ですから
その瞬間に生きなさいっていう
これねイエスも言ってるんですよ
イエスもね
明日のこと心配するなって
今日の苦労は今日一日で十分だ
今日生きろって言うんです
だから
ブッダとイエスよく似たこと言ってるし
僕らの現場も
極めて切な的ですよね
この瞬間
出会ってるっていうことの意味を
この出会いは
半年後のための出会いだって言った瞬間に
多分なんか
見えるものが見えてこない
本当にもうね
今日はもう共感ばかりでですね
僕なんか本当に
お年寄りから
今ここを生きるっていうことを
お年寄りはまさに
そういう状態になっちゃうんですよ
記憶の
障害って言われちゃうんですが
いわゆる記憶がだんだん失われていく
そして時間の検討がつかない
空間の検討がつかない
常に今ここにある
自分の実感ですね
捉えた
今ここを捉えて
常に自分が今何をするかを決めてる
僕らは過去に
何か原因を求めたり
より良くするために
過去から反省したりして今こうしよう
っていう風にするし
そのためには未来を変えていこうって言って
また未来から逆算して今
することを決めていて
全部自分たちの思考法っていうのは
過去と
原因追求と
未来に対する
目標に対して
分析して
分析の結果今
過去と未来から何をするかを決めてる
っていう思考法が定着しちゃってるんですけど
生き物というか人間そのもの
人間も生き物として考えると
そういう時間軸で実は生きてなくて
今ここ
そしてその実感で
生きてるっていうことを
お年寄りからもすごく
教えてもらった
あるおじいちゃんが
うちなんかいつも
うたさんたちと一緒で
僕らお金がないんですよ
お金がないから資金作りをする
地域の人たちとか支援者の人たち
わざわざやって
打ち上げをやったんですね
ある支援者の地域の方の
お家を借りて
お年寄りも参加してもらって
わざのお礼を
言ってもらいますかって言ったら
じゃあ私がいいんですか
私がって言ってじゃあお願いします
って最初はねわざの
お礼っていうのは分かってあったんですよ
話してるうちにそのお家が
ちょっとこう
針も見える
昔だったら天井があったりするけど
今は無垢の木で
針が最初から見えたり
天井が吹き抜けになったり
どうかしたらまだ
完成途中かなみたいな
妙によっちゃそういう
おしゃれな家が多いじゃないですか
その家を見ながら
この家が完成した
あかつきには
新築祝いになっちゃって
途中が
もう一回もうちょっとで
完成する予定ですからとか
みんなで集まりましょう
だからこれだけ
今この瞬間で今何かを
決めてる
わざのお礼ということはすでに
覚えられてないっていう
でもそれでもこれだけ
高回転で今この瞬間で
何をするか決めてるっていう
この知性は
過去現在
文脈のある僕らとは
全く違う知性体系
というふうに考えたほうが
むしろいいっていうふうに
強く思うんですよね
だから僕らはそのお年寄りが今
ここさっき本当おっしゃってた
なんとなく
僕らは未来があって
その未来を生きている自分と
今を生きている自分が同じだ
という自己同一性みたいな
ものにこだわりすぎて
いるんだなと
だから100年会議
みたいなことが起こるんです
要するに
80のことを60歳の時から
考えていきましょうみたいな
でも60の自分がですよ
80の自分のことが
わかるかなって
でも自己同一性の文脈からいくと
多分60の自分が
80とか90の
所有しちゃった状態になっていて
自分が
今の気持ちが
書き留めとけば
家族はそれを
自分的に従ってやるみたいな
家族がない単身者が増えてるから
それを
代行する人赤の谷なんかも
それがあったらいいからとか
会議しよう会議しようみたいな
どう死にたいんですかとか
その時にならんとわからん
「応答可能性」としての「出会った責任」
人生会議って
でもこの自己同一性みたいなものを
その人に完全に委ねちゃってる
っていうことが
どうですかって聞くだけっていうか
どうしたいのっていう
だけど僕岡田さんの本読んでて
つくづけば繋がりってことをすごくおっしゃってて
繋がるっていうことで
実は自己同一性ってのは
保たれるんじゃないか
自分が自分の意思を通すことで
自己同一性が
保たれるんではなくて
なんですかね
例えば本人は
言葉もしゃべれない
でも人口の
この色をつけますかとか
器官切開しますかってことが
本当に一瞬間で迫られるわけですよ
病院なんか行くと
30分の間に決めてくださいみたいな
そんな世界だったりするんですよ
それぐらい緊急性が高い
医療技術が迫られると
結局
分からないわけですよね
だから書いといてくれって
元気なときに書いといてくれってなるんだけど
そのときなら
分からないですよ人は
だけど多分
分からないけど
父はそんなことを望んでないんじゃないかな
とか
母は
いや一度も
異論にしてくれって思うかもしれませんとか
分からないけど
分からないけど代弁する
っていうこと
今この他人が代弁する
っていうことがすごくなくなってきて
当事者性はすごく
大事なんだけど
当事者性だけが
強調されていて
当事者に
言ったことだから
それでいいみたいなことになっていて
でも当事者って
当事者じゃなくて人間って嘘つくじゃないですか
フリもしますよね
本当は施設入りたいくないけど
息子のこと考えると入らないか
とか本当の気持ちを
言うんだったら本当に入りたくないとか
だけど大方みんな嘘ついたり
フリしたりする
そこに
当事者の気持ちですね
っていうことになると
それが自己決定と自己責任と
簡易に結びついて
書いといてくださいみたいになってる
のが僕なんか違和感があって
だからその他の他人でも
付き合う量によって
なんかそうじゃないんじゃないかって
分かんないけど
そういうことは望んでないんじゃないか
っていうことを
他者が本人に代わって
代弁するっていうことも
当事者の気持ちも
大事だけどそれと同じぐらい
つながってる人たちが
仮に代弁する
っていうことが実は僕は
こっちの方に自己同一性が
ある気がするんですよ
本人よりも
いやもう僕はそれでいいと思いますけどね
あの
ほうぼくは結構
私自身出会った責任みたいな
言い方をしてきたんですね
やっぱりね責任っていう言葉が重すぎて
出会った責任取れますか
っていう
話になるんですね
でも僕が使ってる責任っていうのは
例えば英語で言ったら
リスポンサビリティですよね
リスポンスだから
応答が可能だ
っていうことを言ってるだけですよね
何か例えば
この人に異動するかどうか
あるいは延命措置するかどうか
この人の
書いてくれてたら
それを頼りにするんだろうけども
僕の周りにいる人はほとんどそんなことない
そうするとうちのスタッフとか
周りの関わった人たちが
ああでもないこうでもないと言いながら
決めるわけですよ
お前責任取れるのかって赤の他人が
言われると
そういう意味では取れないですよね
この人に代わって何か責任取ることはできない
親族でもないから
でも応答可能性は持ってるわけ
その応答可能性を
誰が持ってるかだったら関わった人しか
持ってないですよやっぱりこれは
ここに何か一般的に
って言われたら
こういうことになったら
医療費を考えて
社会保障費が
上がってますよね
病院が満床ですよね
一般的に考えてこれ延命措置
いらないんじゃないですかって言われたら
違和感ですよ
そんなことで決めるんですか
けど関わった人たちが
ああでもないこうでもないと言いながら
いやもういいです
その時が来たらその時なんですよ
じゃあお前責任取れるのかって言われたら
取れないですよね取れないけど
応答可能性を持ってる人が
何人いるかが勝負で
それが出会った責任
だから繋がりを増やした方がいい
繋がってくれる人が
ああでもないこうでもないっていう風に
言ってくれる方がいい
私はなんかそれが
本来社会だったんじゃないのか
それが一部の家族に
押し付けたりとかあるいは
家族もいなくなってますよ今
もう今単身化が進んでるから
もう40%以上の世帯は
一人暮らし
そうなるとやっぱみんな怖いもんだから
人生ノート書きましょうになったわけですよね
それを頼りに
けど私おっしゃる通りで
60歳の時の自分の思いと
いざ明日死ぬっていう時の思いは
違うに決まってきてないですか
もっと言うたらそこまで
もういいわ
それは周りに任せるわ
あとよろしくって
それでもいいと思う
だから僕は出会った責任っていうのは
応答が可能な人たち
意見が言えるものが言える
この人はきっとこうだったんじゃないか
みたいなことが言える人を
いかに増やすかっていうのが
出会った責任っていうことが
私はなんかそれでいいんじゃないかなと
あんまりこう
意思決定支援も大事だけども
専門家が勝手に決めるのは
もうやめてほしいと思うけども
かといってあなたの人生だから
あなたが一人で決めろと言われたら
僕は何のための社会なんですか
ってやっぱり言いたくなるわけです
みんなで決めてほしい
そんなイメージですね
僕らも
年寄りが
食べなくなっていく
点滴したほうがいいんだろうか
でも今まで点滴で
ずいぶん苦労した
本人が抜くし
嫌がるし
点滴とか自分の体に針を指すっていうのは
これを針を指すことによって
今の症状が緩和する
っていう未来が
予測できないと自分の体に針を
指すなんてことはありえないんですよ
だから
その予測ができなくなるお年寄りたち
お家が深まっていくとか
老いが深まっていく人たちは
自分の野性的に針を
「主観」と「代弁」の重要性
指されることもそれだけ
嫌なんですね
でもこれをしないとダメだと結局それで縛られるみたいな
ことになっていくんですよ
そこに
最後はやっぱり
決断
分かんないわけですよね
本人が
僕らはもともと
分かんないんですよ
ずっと分かんない
針を指した方が
もしかしたらカンフル剤的にもう一回食べ始めるんじゃないか
でもずっと
病気するごとに点滴して針も
嫌がって嫌がって
脱水のためだけの点滴
はどうなんだろうか
口から食べられなくなったら終わりにしたらいいんじゃないか
分かんないことを永遠に
話す
でも付き合ってきたからこそ
私は嫌がってんじゃないかと
私は思うとか
おばちゃんはそんなこと望んでないんじゃないか
みんなで代弁を
していく
でも結果的には分からない
分かんないけど
そうじゃない方がいいんじゃない
本人は望んでないと思うけど
最後知らんけど
あれは
ということになる
でも
一生懸命
主張していく
というところが
おっしゃってる通り
それが社会
一緒にいる
ということだったりするんだろうな
と思うんですね
それがどうもなんか最近そのそうやって代弁するためには 常日頃からのなんか主観が大事と思うんですよ自分が何を感じたかっていうことが
トイレに行った時になんか自分はこう感じたんですよねとか この食事手伝ってる時にちょっともうもう嫌なのかなぁとか
今食べたくないのかなってそう感じたんですよねとかっていう その自分の主観を日頃から
自分の声にしてないと代弁って多分できない で重要な時ほど代弁はよりできないでもそれは日頃から
あの今食べたいんじゃないか今は眠たいんじゃないかっていうふうに こっちが主観で感じ取ったことを声にする習慣がないと
今はその奥田さん言葉をすごく大事にされていて 僕もすごくそう思ってそれはなぜ人間は言葉があるかっていうのはやっぱり
自分が何を感じたかっていうことをこの人と関わることで何を感じた ただご飯を食べましたとか
うんこが出ましたとかっていうことではなくて そのうんこが出たことで何を感じたのかっていう感じたことを日頃から専門職話し合わないと代弁は
絶対できない 家のスタッフさんでねあの若い子たちがやっぱりあの
本当に20代で何人も病院で見取る経験するんですよねもう 親戚でも何でもない人たちよ
すごい経験してるでそのねあるまだ若いですよこの人も30代前半ぐらいかな この頃お母さんになったんですけどね
結婚されてで彼女がねあのお葬式をするでしょ 牧師役になると
あの路上の時うちのその自立支援施設に入ってた時その後アパートにいたいって で亡くなるまでの全記録が来るんですよ
多い人だと400ページぐらい それをね牧師役になるとねうわぁと読み込んでお説教というかその
まあお葬式の話考え それをねその記録とっているまあ部署がねこう3つか4つ目にまたがっていくんで一番長いのがその生活
サポートって言って最後地域に出てからの生活をずっと見取っ 見て最後見取ったここだいたい若いスタッフが多いんですけどね
そのスタッフがね私にこう言ったんですよあの 私はねえってあのその支援の記録を書くときに
あのお葬式の時に 何を言ってもらうかっていう思いで書いてるって言うんですよ
他ね もうなんか教えてないですよその後教えてないのにうちの現場やってた
まだその頃は20代だったその人が 理事長ちって私はねちっていつも葬式以降出るけども
あのお葬式の時に理事長なりがその僕主役としてこの人はこんな人だったって いうことを
どんな人だったかって言ういうそのことを思いながら 記録をとってるって言うんですね
普通支援記録になるとまさにうんこなんかやったかとかお金借りに来たとか 返したとかねそういう記録がだとなんでそんなのもほんと飛ばすんですね
だけどねやっぱりその書館っていうか 単純にその何か
まあいわばその担当者がその日考え思い悩んだり 嫌だったり嬉しかったりしたこと書いてるわけでいっぱい
どっちか言ったら記録というか記憶みたいなところが僕主役としては そこ読ましてもらうのが一番面白いです
それをねあのだいたいうちダメダメエピソードばっかりだから お葬式の中盤ずっとそのダメダメエピソードでどんだけうちのスタッフとの攻防戦があったかみたいな話
でもねみんなやっぱそれ聞いて泣くんです葬式の時に 出会ったことない人もその記録を聞きながら泣くんですね
僕はなんかそういうものが赤の他人でも全然できていくし まさにこの本読んでるとそれを毎日培ってて
最後の日になるとみんな振り返っていろんなこと 身内の立場からいろんなこと大声出してね
もっとやれって言ったよねみたいな話をされてるんだろうなっていう 本当に人間って本来はこういうふうに
最後までいたいっていうそんな思いでありますよね なんかどうしてもなんか支援する側はやっぱ客観的なことが大事とか
そこに主観的になってはいけないとかっていうのはもうある意味もう何十年も続いているセオリー なんですよね
客観性もすごく大事なんだけど やっぱり自分が何を感じたかっていうことから自分は何をするか
で感じたことがやった結果すごく怒られたとかですね うまくいかなかったとか
それで初めて自分がした相手に何をしたかっていうことを自分で確認する 自分が何をしたかを確認するっていう
そこにやっぱり日々においてはですね あのいわゆるその自分が実感
どう実感したのかっていうこの人と付き合うことによってどんな実感をしたのかって いうことが
ちゃんと自分の声にしていく言葉にしていくとかっていうことが 今なんかね現場からどんどんなくなって
きてるんですよね だからそういう意味ではなんか現場から声がなくなっていく
で僕はやっぱり岡田さんの本読んで一番やっぱりすごく 感じの声がいっぱいあるし
問いがいっぱいあるっていう それはやっぱり自分が何を感じて何を考えたかっていうことだなと
僕はもう引く引く引く引くずっと言ってるんですけど 現場をね引く引くっていうなんかシャックルじゃなくてですね
「人間は面白い」という結論
あの現場を引く引くっていうものを引くんだから 僕のことを用務員と呼んでくださいって言って
用のない委員っていうその用務員というですね そういう職員にずっと言ってるんですけどやっぱり
自分人と関わってそれが支援であれ会場であれ介護であれですね それが仕事であれですあの人と
関わった時に自分が何を感じたかという声だけは ずっとこうみんなで語り合える職場であってほしいなというふうには思ったりするん
はいありがとうございます これ最後になるんですけども奥田さんの方から報告の方が進められている
希望の街プロジェクトについてちょっとご紹介させていただきますので すいませんあのちょっとね
皆さんの応援を受けてついに計画から3年遅れましたけども ついに去年1月着工いたしまして
今年の秋には完成するということで当初4階建てで10億だった計画が 戦争が起こりコロナがキーネ円安になりで結局
今最終的にはですね建物が3階に落として16億というところになっています それでもってきます場所はですね
駆動会の本部事務所後で駆動会が2019年にこの本部事務所撤去されたときにね 更地になったってニュース聞いたんで
さっき見解してた市長の次の市長ですね 電話してあの土地引き受けるから紹介してくれってお金なかったんですけど労働金庫さんがお金
貸してくれてね買いました買い受けました 当時平成14年刑法の認知件数が年間4万件
やっぱり駆動会ですごかったんですねそれが今も5000件まで落ちているということでやっぱり 駆動会の影響と非常に大きかったわけですねここを買い取ってやりましょうということでちょっとね
どんなのができるかっていうパースを持ってきましたのでこんなのが立ちます はいえっとね3階建てですね2階3階は困窮者のための施設
1階はまちづくりのためのオープンの施設で1階の一角にはですねミシュランの ミシュランシェフのレストランが
ミシュランシェフ言ってもね星の方じゃなくてビブグルマンなんで ビブグルマン3年連続で撮ってるミシュランシェフがレストラン出すんですよ
ランチいくらで出す言ったら1200円で出すって言ってるから食べに来てください ぜひ1階の入り口には大きなのれんつけをかいてね
高さ3メートルの引き戸でグワッと開けると 間口が13メーターぐらいで奥行き30メートルの大ホール
入り口もね淡いっていう言葉ご存知ですかね 中間地点みたいな
入り口6メートルの大軒作ってまして中でもない外でもない 淡いの空間を作ろうということで軒下ですね
これが1階のホールのとこですね
ここの1階はちょっとなんか城飛んでますけどね ここはミシュランのシェフの
1階の一番奥のこの引き戸のところは自動放課後でいて障害のある子どもたちの施設になります ただこれも全引き戸にしてるんで
子どもたちの緊張が取れたら一体誰が障害のある子で誰が障害のない子がわからない ホール全体を使えるような設計にしようということで
これも何が映ってるかわかんないですよね ここに大きなスクリーンが出てくるっちゃ 1階の奥にはね
防音スタジオで音楽スタジオ 日頃はねカラオケ大会とかね
夜になると若者たちがロックバンド練習に使う 2階3階は施設54室救護施設っていう生活根急で一人で暮らすのが難しいっていう方の施設
大きな中庭になってます これ1階に天窓で下に光が落ちるようになってます
軒があってここの ここにも大きな軒があってその軒下にですねベンジ これがいわゆる昔のなんだ
縁側ですね縁側を作ろうという話 これ3階から下を見たところですね 3階も手すりがあって大きな
救護施設なんですけど国のね 規定では1人3.3平米で4人部屋っていう2畳2畳
合い部屋の方が楽しいということも当然あるんですよ 当然あるけど一方で今回は1人11平米で全室個室
これはもう自宅っていうふうに考えてもらう 4人部屋でやると鍵の管理ができないですね4人全員が出たり入ったり
それぞれそれぞれです だけど1人1部屋にすると鍵の管理ができるんで
地域の人が4人部屋になるとねやっぱ地域の人入ってこれないですね 部屋開けっぱなしになりますから
こうなると部屋の管理ができるんで地域の人にも自由に下でランチ買って上の中庭で一緒にご飯食べましょうみたいなのができるという
こういう部屋が作られています この各部屋の外側も実は大きな軒になってて
外は外もすべて縁側でつながっているという構造でした これがね風呂場
いいでしょ ちょっとねリゾートホテルまではいかないけど
これ1週間に1回地域の人に無料で開放しようと思っています 今ねあの介護施設行かれてる方はそこでお風呂1週間に1回でも入れるんだけども
介護施設行ってない人はねお風呂入らない 結構特に冬場はねヒートショックなんかでなくなってお風呂で見つかるっていうケースが増えてて
やっぱ自宅で一人でお風呂入るの怖いっていう人が結構いるんですね ここをみんな来てもらってここで1週間に1回入ってもらって
下で一杯飲んで帰ってくれというような計画ですね これは屋上ですねこれちょっと映ってませんけどこの辺に小倉の花火が上がる
こんなことをやってます キャッチフレーズは私がいるあなたがいるなんとかなる
ちょっと最後にあれなんですけども あの
まあ少し建築費がですねあと少しちょっと足らない だいたいあと1億円ぐらい足らないんです
一応あのこの間のなんとかジャンボも買いましたけども もうこの7年がずっとジャンボばっかり買ってるんですけど全然あの神様はどこに行かれたのか分かりません
な状態なんです ただねあのまあできればこのプロジェクトに参加していただきたい皆さんのお手元にも今日パンフレット
配りましたのでマンスリーサポーターとかね毎月 応援していいよとか都道寄付って言って時々送ってもいいよとか
手続きそこ全部入ってますのでもしよかったらあの 見ていただければ最後にね
あのこれ駆動会は土地なんですねで あのね
駆動会のねナンバー2がいるんです トップは野村さんって言う
ナンバー2田植えさんじゃない この人がね裁判の中でこう言ったんです駆動会は無滅です
さっきそこ上がってくるとき長島茂雄の89年間の奇跡と書いてて それを思い出したんですさっき実は駆動会はなくならないって言ったんですその人は
なんでなくならないかとしたらね世の中には自分もそうだったけど 行き場がない若い連中はなんぼでもいると
それを引き受けてきたのが俺たち駆動会だったじゃない 確かにそうなんですよ
そこに行けば飯は食わせてもらえるちょっとした仕事ももらえる しかもね家族なんですよ駆動会ヤクザは兄貴がいて姉貴がいて親父がいる
親分でしょ そういうふうなとこにもうやっぱり居場所がなかった
自分の家には居場所がなかった若者たちが 暴力団事務所に拾われるっていうことがあったんだと思うんですね
これはあの100歩譲って事実だと思いますよ でもね
駆動会不滅なんですかだったら駆動会がだから必要なんですかね 私はそうは思わない別に暴力団事務所に行かなくても
別の居場所を作りゃいいんじゃないんですかね だから暴力団事務所が必要だと言われたら
ふざけんじゃないと何言ってんだと これはね暴力団とねある意味福祉との戦いなんですよ
福祉がちゃんとしてできるか 子供たちに対してちゃんと若者たちに対して社会が応答できるか
それをちゃんとしてこなかったらもう1回あそこにビルが立つんですよ 私はねやっぱりそういう社会であってほしいと
思いますのでぜひ良ければ希望の街プロジェクト 私がいるあなたがいる何とかなるずっと信じてるんですよ
あと1億円何とかなるですからね あちなみにこの本もね売り上げ私の印税も含めて全額が
希望の街の建築費になるということですので もし良かったらお買い求めいただければというふうに
あと50万冊ぐらい売ったらね何とかなる 最後冗談ですけどもそんなことを今進めてますのでぜひ近くですから
北九州今年の10月ぐらいからオープンしますので特に目玉は2階3階の施設も頑張って作りましたけど
1階の街づくりに使う家族じゃない本来の家族じゃない人がなんちゃって家族で出会って見取りまで
あそこでお葬式もやります ですのでぜひ見に来てくださったらというふうに思ってますよければ応援してくださいありがとうございました
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