西日本新聞のこども記者やその卒業生などがトークを繰り広げるポッドキャストです。こども記者とは、毎年8月から1年間の任期で活動する公募の小学4~中学3年生の子どもたち。年間を通して各地に取材に出向き、記事を書き、その成果を朝刊「こどもタイムズ」面に掲載しています。活動は2010年に始まり、卒業生は2024年時点で800人を超えました。
番組初回では、西日本新聞のこども記者活動を紹介します。こども記者に応募したきっかけ、東日本大震災3年後に被災地に取材に行ったこと、原稿執筆での苦労や1年間を通して成長したこと・・・。第4期と12期のこども記者卒業生の2人が自分たちの経験を振り返りながらおしゃべりします。
◆出演・スタッフ
・出演:中野慧(こどもタイムズ編集部)、みくみく(第4期こども記者)、まいたけ(第12期こども記者)
・音声編集:中富一史(販売部)
・映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)
◆収録日
・2024年12月8日
◆西日本新聞Podcast情報
・Xの公式アカウン。「#西ポキャ」をつけて投稿お願いします。
サマリー
西日本新聞の子ども記者の卒業生が、経験を振り返りながら子ども記者活動の魅力を語っています。具体的な取材の思い出や活動を通じて得た貴重な経験が紹介されており、活動のさらなる展開や卒業生の活躍にも触れられています。このエピソードでは、西日本新聞の子ども記者制度を通じて得られる貴重な経験や成長について語られています。また、取材や執筆を通じて磨かれる文章力や情報収集力が学校の勉強にも役立つことが強調されています。
こども記者の活動と卒業生の紹介
西日本新聞Podcast
西日本新聞こども記者卒業生の部屋
この番組は、西日本新聞こども記者の卒業生が中心になってトークを繰り広げるPodcastです。
こども記者とは、毎年8月から1年間の任期で活動する公募の小学4年生から中学3年生の子どもたちです。
現在は15期生74人が元気に活動中です。
こども記者は年間を通して各地に取材に出向き、記事を書いて長官のこどもタイムズ面にその成果を掲載しています。
活動は今年で15年になり、卒業生はこれまでに計837人になりました。
こんにちは、西日本新聞こどもタイムズ編集部の中野恵衣です。
こども記者の取材を企画し印刷し、提出された原稿を編集する大人記者をしています。
さて、今回はこの番組の第1回目ということで、そもそもこども記者って何だろう?どんな活動をしているの?ということを卒業生の2人に思い出を振り返りながら話していただこうと思います。
では、自己紹介をお願いします。2人にはニックネームで登場してもらいます。
こんにちは、第4期こども記者のみくみくです。中学1年だった2013年から1年間こども記者をさせていただきました。
第12期こども記者のまいたけです。中学2年だった2021年から1年間こども記者をしておりました。
みくみくさんは今、社会人4年目ということなんですけれども、何歳になってどこでどんな業界のお仕事をしているんでしょうか?
こども記者をしていたのがちょうど10年ぐらい前になるので、今23歳です。中学校卒業後は高生に進んで、金属や化学を勉強していました。
今は山口県内の化学メーカーに就職していて、工場で品質管理の仕事をしています。
こども記者をしていたのはちょうど10年目ということで、区切りのいい年ですね。
まいたけさんは今、高校生ということで、どんな高校生活を送っているんでしょうか?
僕は今、福岡県内の県立高校の2年生でヨット部に入っています。学校から出て、小戸公園近辺の海で活動しています。
昨年の11月に修学旅行に行って、東京と鎌倉で観光をしてきました。
今度3月に文化祭があって、クラスでの企画とかバンドとかダンスとか、そういうのをするのを楽しみにしています。
勉強も部活も行事も3つともに勤しんでおります。
ヨット部って珍しいですよね。
そうですね。周りの高校も全くヨット部というのはないですね。
高校から始めたんですか?
高校から始めたんです。
中学校の時はまた別の部活してましたよね?
中学校はテニス部に入っていたんですけど、高校から新しいスポーツを始めてみようということで、ヨット部を始めました。
これからの活躍楽しみにしています。
取材の思い出
早速ですけども、子供記者に応募したきっかけを教えてもらえますか?
私は小さい頃から家で西日本新聞を読んでいて、記者という仕事は見聞を広めることができていいなと思っていました。
たまたま西日本新聞を読んでいた紙面の中に、自分と同年代の子供が取材活動をしていて、自分もやってみたいなと思って応募しました。
自分だけでは経験することができない、今になっては買い難い財産になっています。
ありがとうございます。前竹さんはいかがでしょう?
僕も元々家で新聞を撮っていて、子供タイムズの面を読んでいました。
そこで同年代の子供が取材に行くのをとても羨ましいなと思っていて、
自信がなくて2、3年ほど迷っていたんですけど、中学2年生で子供記者になれるギリギリの学年で応募を決めました。
その思い切りが1年間の大きな経験を導いたと思っています。
子供記者は中学3年生まで応募はできるんですけど、やっぱり中3になると受験もあるし、中2が最後かなと思って応募してくれたんですね。
ありがとうございます。
みくみくさん実は3姉妹で、下の2人の妹さんも子供記者をしていましたよね。
はい、お世話になりました。
私は8期の途中から今の15期まで担当しているので、10期だった3番目の妹さんとは取材やワークショップをたくさん一緒に行った思い出があります。
みくみくさんのように兄弟で2人目、3人目と子供記者をやってくれている家庭実は結構多くて、私たちも嬉しいなと思いながら仕事をしています。
さて、2人とも1年の間にいろんな取材をしたと思うんですけども、特に思い出に残っているものはありますか?
私は東日本大震災の被災地へ取材に行ったことがありまして、これが第4期の活動で、一番大きな取材活動になりました。
震災から3年が経ったタイミングでの取材になって、訪れたのは宮城県だったんですけど、その当時は建物がそこまでなくて、サラチばっかりで色がないような印象を受けました。
その中でも頑張っている地元の人たちを取材させていただいたんですけど、その中で復興の目撃者になってほしいという言葉をおっしゃられた方がいらっしゃって、その言葉はすごく心に響きました。
その言葉をいろんな人に知ってほしいなと思って、今まで以上に真剣に原稿の執筆に取り組んだのを今でも思えています。
この記事は2014年4月に3回連載で掲載されたんですよね。私も最近ちょっとその記事をまた振り返って見てみたんですが、今言ってたようなことがしっかり文章にまとめて書いてあったなと思いました。
まとめるのが大変でした。
そうでしょうね。
みくみくさんを含めて4人で取材をした企画だったと思うんですけど、YouTubeを見ている方はこの私たちの背景に当時の取材の様子が映っていまして、縦写真の方の左から3人目の子供が。
そうですね、もう10年前なので。
はい、みくみくさんですね。懐かしいですね。
懐かしい。
今でもちょっとちっちゃいんですけど、変わらない。
妹さんとそっくりだなと思いながら私は写真を見ていました。
みくみくさんは仮設住宅の住民と触れ合って聞いた話とか、印刷工場が動かない中、地元の新聞社が壁新聞を避難所に貼り出して被災者に読んでもらっていたということなどを取材していたようです。
舞竹さんはどうでしょう?思い出の取材ありますか?
僕が現役の時は2021年でまだコロナ禍だったので、そんなに遠出の取材はなかったんですけど、初めてが国境なき石段の方へのオンライン取材で、初の実地が両方上で、このyoutubeには映ってると思うんですけど、この写真で。
左から3人目ですね。
はい、マスクをつけてまだコロナ禍っていうのが感じられると思います。
卒業後に津島に行って2泊3日の宿泊での取材を行いました。福岡工業大学さんと西日本新聞社共同でのアントレプレナーシップ教育企画の一環として津島に取材に行きました。
そこで海洋ごみの現状について取材をして、その後福岡工業大学さんで社会課題の解決を目指す取り組みについてプレゼンを行いました。
それとはまた別の話にはなるんですけど、現役時代に建築家の方に取材をしたんですけれども、その方が高校に入って同じクラスの友達の親っていうことがわかったんです。
卒業後の活躍と活動の継続
どうやってわかったんですか。
それは文化祭の時にちょうどその方が声をかけてもらって、そこで再会を果たした形になりました。
取材に来たよねっていう感じ。
そうです。
すごいですね。
コロナの前はニュージーランドとか台湾なんかへの取材もあったんですよね。海外の取材もありましたが、ちょっとコロナで一旦その辺を休止して、また最近は北海道とか沖縄とか遠方の取材も復活してきていて、やっぱり遠方取材はとっても人気です。
前竹さんはアントレのプレゼンで最優秀賞を受賞して、海洋ごみの現状についてどんな解決策を示すべきかというのを発表したということですね。
子ども記者を卒業した後も、こんなふうに時々活動への参加を卒業生たちに呼びかけているというような子ども記者活動になります。
それぞれの道に進んで活躍している皆さんの姿を見るのはやっぱり嬉しいなと私たちも思っています。
私も現役の子ども記者たちにはいつも言っているんですけれども、子ども記者は取材に行って終わりではなくて、それを振り返って読者に読んでもらう原稿を書いて提出するまでが活動ですということを言っているんですが、原稿を書くことに二人は苦手意識や苦労はなかったんでしょうか。
文章を書くのは好きだったのでそれは問題にはならなかったんですけど、言葉選びと文章の組み立てには苦労しました。
というのも取材先で教えてもらった専門用語を記事の中で解説しながら使おうとすると、どうしても言葉だったり行数を取ってしまうんで、自分が伝えたいことを書き切れなくなってしまうというのが何回もありました。
どの内容を書けば自分が読者に最も伝えたいことに繋がるのか、文章の順番も大事になってくるのでそれも気をつけていました。
結構何回も書き直ししていたんですか。
書き直しました。大人記者さんに提出するまでに自分の中で何回も書き直していました。
やっぱり今でも忘れないんですね。
忘れられないです。どうしようどうしようってなりながら書きました。
泣きながら書いてるっていう子を聞いたりするので、そんなスパルタにあってつまりはないけどやっぱりみんな一生懸命出そう出そうと思ってくれるんだなって思います。
前竹さんはどうでしょうか。
もともと僕自身文章を書くっていうのは嫌いじゃなかったんですけれども、得意っていうのはお世辞にも言いがたかったんですよね。
でも書けば上達するものだと思っていたので、出題をするたびに手探りではあったんですけど、思うままに書いていきました。
その書くたびに子どもタイムズ編集部の編集長の方がアドバイスをくれていたので、それがとても励みになっていました。
一度小説家の三崎亜紀さんへの取材があって、そこで読ませる文章の書き方について教えてもらう機会があったので、そこでより一層文章が上達したと思います。
なるほど、取材先でまた文章の書き方を習得したということですね。貴重な経験ですね、小説家の方から。
こんなふうに、西日本新聞の子ども記者制度は単発のイベントではなくて、1年を通して何度も取材や執筆を重ねて子どもたちが成長していけるということが特徴になっています。
全国の新聞社を見渡してもなかなかない制度になっています。
貴重な経験と学び
卒業後も子ども記者同士、また編集部の大人記者との交流が続いている卒業生もたくさんいます。
子ども記者の活動に興味を持ってくれた子どもたちもいると思うんですけど、その子どもたちだったり、保護者の方へお勧めポイントがもしあったら教えていただけますか。
そうですね、子ども記者にならないと経験できないということがたくさんありました。
家族だけの力では、正しい知識や正しい情報を子どもに教えるというのはどうしても限界があると思っていて、そういうふうな限界がないというか、正しい情報を相手から必ず教えてもらえるので、それはいいなって思っています。
教科書や誰かが書いた情報以上のことを教えてもらえるというのはとても変えがたい経験になるなって。
自分の目で見たことを言葉にしていくからですね。
僕はミクミクさんもおっしゃった通り、とても質の高い経験を詰めるものだと思っています。
テレビとかスマホの中の世界だと思っていた場所に自分の足で行くことができるのは子ども記者の特色としてあると思います。
その上、相手の話を引き出す力というのが養われて、それをさらに記事にまとめることで自分の取材で得た気づきというのが整理できると思います。
その聞く姿勢や気づきを自分のものにできれば、将来の自分に何かもたらしてくれると思っています。
言葉選べとか文章の作成は学校の勉強に間違いなく役に立つというふうにミクミクさんも思っているようですが。
学校の授業は全然苦労しませんでした。文章を作るというのは。もともと好きだったというのもありますけど苦労はしなかったです。
子ども記者でも卒業したばかりの小学生たちも国語の成績が上がったとか、国語の授業に向かう姿勢が変わったとかいう声を聞くので、それはやっぱり嬉しいなと思います。
ということで、ミクミクさん、舞茸さんありがとうございました。
子ども記者が取材して書いた記事は、西日本新聞長官子どもタイムズ面の火曜・水曜の紙面を中心にお読みいただけます。
また、子ども記者は毎年5月から6月にかけて募集をしています。詳しくは西日本新聞子ども記者ウェブと検索してみてください。
それではありがとうございました。次回をお楽しみに。バイバイ。
13:31
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