1. 西日本新聞 星野松本のしゃべりぃよ
  2. 4-2|もう「脳筋(のうきん)..
2025-03-18 17:16

4-2|もう「脳筋(のうきん)」なんて言わせない!文章嫌いな就活生は、こうして記者になりました。ゲスト/警察担当 笠原和香子記者②

この番組は、西日本新聞社の記者たちが、就職活動や新人時代、プライベートの生活までざっくばらんにしゃべるポッドキャストです。同僚にも初めて明かす悩みや失敗の数々。記者の仕事に興味があるみなさん、ちょっくら聴いてみませんか?


ゲストは本社警察担当の笠原和香子記者。「文章を書くのが苦手」だった笠原記者は、父親に作文指導を直談判…。就職活動の荒波にもまれながら、持ち前の「元気」と「体力」で突き進みました。


◆出演:星野楽(写真部)、松本紗菜子(経済担当)、笠原和香子(警察担当)/ 音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)


◆収録日:2025年2月26日


◆笠原和香子記者の記事一覧
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◆星野楽記者の記事一覧
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#西日本新聞 #西日本新聞me #西日本新聞ポッドキャスト #西ポキャ #就職活動 #就活 #作文 #合同説明会 #インターンシップ

サマリー

笠原和香子記者は自身のキャリアの始まりや就職活動の経験について語り、新聞記者を目指す過程での苦労や成果を紹介します。特に、文章を書くことが苦手だった彼女が、どのようにスキルを磨いているのかを振り返ります。彼女は自らの就職活動を通じて記者になった経緯や、他の職業を探求しながら自分の進むべき道を見つけた過程について話します。また、運動を通じて培った体力や社会人生活での悩みを交え、キャリア形成の重要な要素を探ります。

00:01
西日本新聞ポッドキャスト、星野松本のしゃべりぃよ。
この番組は、西日本新聞社の記者たちが、仕事や私生活のあれこれを、ザックバランにしゃべるポッドキャストです。
こんにちは。番組の進行を務めます、西日本新聞社写真部の星野岳人。
経済担当の松本真子です。よろしくお願いします。
引き続き、今回も警察担当の笠原和香子記者をお呼びしています。
記者を目指すきっかけ
今回は入社前の就職活動についてお聞きしたいなと思いますので、よろしくお願いします。
記者を目指したきっかけから聞きたいんですけれども。
きっかけですね。私、そもそも記者っていう仕事、全然知らなかったんですよ。
大学2年生、3年生くらいまで、全然記者っていう言葉が私の中になかったんですけど。
ある時、当時、西日本新聞社の販売促進活動で、毎月24日に西の日を駅前で通勤者とか通学の大学生と配るっていうアルバイトを私、当時大学生の時してまして。
そこに当時、営業部長でいらっしゃった方が、もともと記者を会社でされてた方で、その方と話す中で、
記者向いてるよって言われたのがきっかけで、記者っていう仕事があるんだなーみたいな。
そこからでしたね。目指すようになったのは。
そこからいろいろ調べて、記者という仕事を知っていったみたいな。
まさにそうですね。私、学校の先生になるつもりだったので。
そうなんですね。
最初の初回で、教員免許を持ってるんだか持ってないんだか、私もこう見えて持ってるんですよね。
持ってるんですね。
そうですね。
ちなみに、販売促進活動は新聞社に興味があって、参加したというか、そこにファーッと近寄って行ったというわけでもなかったんですね。
ではなくて、大学1年生の時に、1年間は特にチャレンジもせず、生きてて、これなんかちょっといかんなと思って。
2年生になってから、いろんなバイトをするようになったんですよね。
その中で友達に紹介されたアルバイトが、それでやってみたんですよ。
すごい。
そういう新聞にすごく最初から興味があってとかよりは、何でもやってみようと思ってやったアルバイトの一つ。
すごいご縁ですね。
ご縁でしたね。
そこから新聞社に絞っていってというか、インターンシップなり説明会なりを受けるようになっていったという感じですかね。
そうですね。そもそも何で記者向いてるって言ってもらえたかって話の前段階として、
20歳の時に私、冒頭で会ったと思うんですけど、私は静岡の出身で、大学進学とともに初めて福岡県に来たんですけど、
20歳の2月に自転車で一人で静岡まで帰るっていう。
北九州からですか。
北九州からですね。
知ってるんですよ。
一人で自転車1000キロ一人旅みたいな。
これやったらですね、毎日後悔するんですよ。何でこんなことしたのか。寒いし寂しいし虚しいし。
だったんですけど、毎日いろんな人に会うんですよね。
女子大生が一人なんかちょっとみすぼらしい格好とか言ってるんですけど、自転車一人で来いって何やってんのって。
そしたら、こうこうこうって言ったら、そうね、頑張ってみたいな。うどんいっぱいごちそうしてあげるか。
そっちですか。
でもあれは同じように自転車で旅してる人もいて。
そういう毎日いろんな人に会うのが楽しくて、それで楽しかったんですよって話をしたら、
人に会うのが好きなら汽車向いてるよってことで、そうなんだってことで、汽車っていう仕事を知って目指すようになりましたね。
なるほど。
実際言われてみて、知らなかった仕事で向いてるって言われてどうでした?やってみようかなって思いました。
でもですね、やってみようかなって思う反面、私も文章とか書くのすごく苦手だったので、どうなのかなとか思いつつも、
でもやっぱり知らないと目指しようもないので、そこからインターンシップとか会社説明会とかによく参加するようになりましたね。
そうなんですね。ちょうど思い出があるとしたらね、インターンシップは私、笠原と一緒だったんですよ。
入社ですもんね。
一緒だった。
全然変わってない、当時から。
ただ、インターンシップ一緒にね、モギー取材で、ちょっと前回、長さんの時に少し触れて花屋に行ったっていうのは実はこの笠原さん。
私ですね。
私のことじゃんって思いましたよね。
そうそう、一緒に行ってね、なかなか大変だなと。
でもその時も自分が文章書くの苦手っていうのをずっと言ってたのは覚えてますね。
って言ってるくせに、モギー取材やった記事が、新聞に、次の日の新聞なんですけど、ほとんど笠原が書いた記事。
いや、そんなことない。それよりも私は写真が自分のが載ったのが嬉しかったですね。
何?悔しい。
写真が載ったのじゃなくて、私が撮った写真が載りましたんで。
そう、いまだに悔しい。
それはね。楽しかったもんね、あれもね。
仲良し、その頃から仲良しだったの?
そうですね、そこで会ってですもんね。
で、たまたま私はですね、就活の時とかも会ったりして。
おしっこちゃんみたいな。
すごい、じゃあその時からの仲ですね。
私、面接に行った時に、笠原が一人ポツンと言って、面接受ける人の列の中に、見たことある人がいるなと思ったらね。
あれ?みたいなね。
懐かしい。
それで一緒に頑張れるというのもありますよね、専攻で。
どうだったかな。
就活中は別に特に交流もなかったかも。どうだったかな。
なかったね。
なかったよりは最後、あっそうなんですね、一緒じゃんって。
そうそう。
だから入った後の新人研修とかでより話すようになったという感じ。
そうですね。
文章の苦手意識克服
その新聞記者の就活って、それこそ作文とかちょっと特殊な試験があると思いますけど、文章が苦手とさっき言われてましたけど、どんなふうに対策されてました?
そうですよね。もう新聞記者になりたいと思ったので、もうその時はですね、とにかく毎日大学の図書館に行って、新聞全紙見ますよね。
見て、その中で西日本新聞なら春秋ですし、朝日新聞さんだったら天聖人語という欄があると思うんですけど、そこで読んで一番好きな春秋とか天聖人語とかをノートに書き写すのを毎日してたのと、
あと本当に世間知らずだったので、毎日スクラップしてましたね。新聞読んだ記事を好きな記事を気になったのとかを大学の印刷機とかで印刷してノート貼って、どう思ったかみたいなのを書いたりとかを毎日して。
すごい。
やっぱりね、小論文とか作文対策はこれはもうせないかと思って。ものすごく苦手だったんですけど、毎日書いて、小論文とかの本があるのでシンプルニューマーとかのをそこから引いて書いて、引いたのを父に見てもらってました。
お父さんに?
父が学校の先生だったので、高校生の就職指導とかもしてたんで、これはもうね、しゃあないと。恥ずかしいけど、親に自分の書いたら見せるのは恥ずかしいけど、こんなの言ってられるの。
親になるためにしゃあないと思って、お願いします、ここが赤ペン先生みたいな。
本当にあってんの?
恥ずかしかった思いつつも、ありがとうございますかみたいなのを書きましたね。
でもお父様もちゃんと赤ペン先生してくれるんですね。
優しいですね。
普段そんなこと言ってこない。自転車で帰ってくるような娘が真面目にお願いしますって言ったから、ちょっと本気なのかなって思ったかもしれないですね。
厳しかったですか?そのお父様の指導。
そうですよね。全然意味わからん。なんでそんなこと言われないかみたいな。やっぱり親だから。
他のネッサン社の方だったら、あ、わかりました、直しますって言われましたけど、親だから、本当にあってんの?みたいな。
こっちもあってんの?とか思いつつも、素直に受け取れて。
そうなんですね。それ何回もやったんですか?続けて毎週とか。
そうですね。毎週くらいはやってたと思います。
すごいコツコツされてますよね。すごいですね。
ちょっと前回というか、ちょうさんがゲストの時も作文の話題になったんですけど、松本さんは一人黙々と頑張って。
一人でやってたんですよね。絶対第三者に見てもらうのが正解だと思うんですけど。
たぶん慣れてたらいいと思うんですよ。文章書くのに。私は本当ゼロからだったので、やっぱりテーマを振られてもテーマに対する考えがないみたいな。
難しいですよね。
それが最初、トランプ大統領が多分誕生したときもあって、断絶とかそういうテーマとかが多くて。
そのトレンドも捉えつくみたいでしたね。
なかなか文章を書くのが苦手で、そんな中で反例も積んでいってて、自転車で1000キロ走るのと同じように途中でやっぱり結構辛くなったりとか、心折れそうにみたいな。
なるんですよね。いつか私は人に雇ってもらえるんだろうかって思いながら。
本当に周りの人たち見て、みんな素人しててすごいなみたいな。思いながら。
早く春が来いみたいな。
本当ですよね。寒い時期にやらないといけないからですね。
記者になる道の模索
なるほど。新聞社っていうのを絞りつつ教員だったりとか、他のところも見ながらだったと思うんですけど、笠原記者もね。
他の例えば別の全く違う業界のインターンシップなり説明会とかっては行ったりはしました?
行ってましたね。私は記者になりたいって思いつつも、本当に記者になりたいのかなっていうのはずっと自分の中であってて。
教員になろうって思ってたのが一つそうだったように、他の仕事を知らないから今言われた記者っていう仕事にすごく動味が持ってるんじゃないかっていう自分の中で疑問があったので、
あえて合同説明会とかインフラ企業の会社の企業説明会に行ったりとかは結構してました。
いろんな仕事を知る中で、やっぱり新聞社、新聞記者ほどになりたいなって思うものがなかったので、やっぱり私は新聞社で勝負しようというか。
そこでいろんな他の業界のも行った上で、なおさらご志望が固まったっていうのはありますよね。
他を見ながら自分が記者になりたい理由みたいなのをどんどん突き詰めていくという感じだったんですね。
なんで記者がいいと自分が思ってるのかっていうのを整理できたかなとは思いますね。
星野さんは他見られました?
私も結構見たというか、いろいろ自分もあんまり記者になりたいと言いつつ、本当に大丈夫なのかもわからなかった。
ただ一回ちょっと印象的なのが、面接で食品メーカーの面接に行くために、電車で行かないといけなかったんですけど、その電車に乗ったら全く別の逆方向の電車に乗って、面接に間に合わないっていうのがあって。
そこで電話で、すいませんって。その時に、なんか知らないけど、自分は記者に絞んないとなみたいなのは芽生えた。
芽生えた。
フラフラしてるから、こうやって大事なところでミスもするし、ということはありましたね。
その出来事でも絞ろうと。
いいですね。
何を結構きっかけとね。
それで心の整理がついたみたいな。
すごい意外ですね。電車乗り間違えて考えたんですね。
松本さんなんかありました?他のところみたいな。
私もそうですね。最初報道と思ってましたけど、やっぱり他を見ないと、なかなか学生時代の時知ってる職業って少ないというか、自分の親の職業だったり教員だったり、狭いなというのがあったので、
私も金融だったり、あとITとかアパレルとか、結構いろんな業種のインターン、短期のインターンとか説明会に顔を出して、絞っていったというか。
それでやっぱりこの仕事がいいかなと思ったので入ったという。結構それに似てるかもしれないですか。
似てますね。
結構新聞社の面接とかでも、記者一本でってみんな言ってるけど、実は一本からも見ながら。
そうですね。
いろいろ見た上での一本というのが一番いいのかなと。
体力と心の整理
それがいいということでいいんじゃないでしょうか。
そうですね。
生活もすごく忙しかったと思いますけれども、息抜きとかはしてました?
息抜きはあんま覚えてないんですけど、私は基本的には運動を昔からしてたので、当時も大学生の時とかも走ったりするのでストレス解消みたいなのしてたので、多分走ってたと思います。
そうですね。自転車もしっかりですね。
すごいですね。
友達3人で生活してたので、他の2人は別に多業種ですけど、そういう子たちと情報共有しながら話しながらとかね。
なるほど。
こんなアクティブだね。
インターンシップで、新人の時かな、笠原が言ってたのが、いろいろ運動部とかで男の子たちと混ざってやるから負けたくないという気持ちが強いみたいなのを言ってたのを覚えてますか?
それ私言ってないと思うんですよ。
私それ言ってないと思うんだけど。
言ってないと思う。
ちょっとだったら訂正するって思う。そんなこともあんでいいって普通にやればいいよって。
本当に。
そんなわけではないというかね。
そうですね。今のカットの方がいいかもしれない。
でも体力勝負ですからね、この仕事を。それでですね、培った体力はすごく。
社会人になって、今まで本とか映画とかそういうものに触れてこなかった、あんまり触れてきてなかったことをものすごく後悔する自分がいる一方で、小中高大とずっと運動をしてたので、そこで培った体力。
やっぱ体力はあってよかったなと思いますね。脳みそ筋肉って言われることも何回かあったぐらいだったんですけど。
でも勉強は大人になってからでもできる。
でもやっぱ体力はあった方が、ないよりはあった方が絶対いいなと。そこはよかったなって思いますね。
そうですね。ということで、アクティブな笠原さんの就活について話をしっかり聞いてきましたけれども、ちょっと時間が来てしまいました。
次回の配信では笠原さんの新人時代のお話を伺いたいと思います。
西日本新聞社やこの番組を応援したいと思っていただける方、ぜひ西日本新聞もしくはニュースアプリ西日本新聞民のご高読をよろしくお願いします。
ここまで聞いてくださりありがとうございました。
ありがとうございました。
笠原さん来週もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
17:16

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