今回は入社前の就職活動についてお聞きしたいなと思いますので、よろしくお願いします。
記者を目指したきっかけから聞きたいんですけれども。
きっかけですね。私、そもそも記者っていう仕事、全然知らなかったんですよ。
大学2年生、3年生くらいまで、全然記者っていう言葉が私の中になかったんですけど。
ある時、当時、西日本新聞社の販売促進活動で、毎月24日に西の日を駅前で通勤者とか通学の大学生と配るっていうアルバイトを私、当時大学生の時してまして。
そこに当時、営業部長でいらっしゃった方が、もともと記者を会社でされてた方で、その方と話す中で、
記者向いてるよって言われたのがきっかけで、記者っていう仕事があるんだなーみたいな。
そこからでしたね。目指すようになったのは。
そこからいろいろ調べて、記者という仕事を知っていったみたいな。
まさにそうですね。私、学校の先生になるつもりだったので。
そうなんですね。
最初の初回で、教員免許を持ってるんだか持ってないんだか、私もこう見えて持ってるんですよね。
持ってるんですね。
そうですね。
ちなみに、販売促進活動は新聞社に興味があって、参加したというか、そこにファーッと近寄って行ったというわけでもなかったんですね。
ではなくて、大学1年生の時に、1年間は特にチャレンジもせず、生きてて、これなんかちょっといかんなと思って。
2年生になってから、いろんなバイトをするようになったんですよね。
その中で友達に紹介されたアルバイトが、それでやってみたんですよ。
すごい。
そういう新聞にすごく最初から興味があってとかよりは、何でもやってみようと思ってやったアルバイトの一つ。
すごいご縁ですね。
ご縁でしたね。
そこから新聞社に絞っていってというか、インターンシップなり説明会なりを受けるようになっていったという感じですかね。
そうですね。そもそも何で記者向いてるって言ってもらえたかって話の前段階として、
20歳の時に私、冒頭で会ったと思うんですけど、私は静岡の出身で、大学進学とともに初めて福岡県に来たんですけど、
20歳の2月に自転車で一人で静岡まで帰るっていう。
北九州からですか。
北九州からですね。
知ってるんですよ。
一人で自転車1000キロ一人旅みたいな。
これやったらですね、毎日後悔するんですよ。何でこんなことしたのか。寒いし寂しいし虚しいし。
だったんですけど、毎日いろんな人に会うんですよね。
女子大生が一人なんかちょっとみすぼらしい格好とか言ってるんですけど、自転車一人で来いって何やってんのって。
そしたら、こうこうこうって言ったら、そうね、頑張ってみたいな。うどんいっぱいごちそうしてあげるか。
そっちですか。
でもあれは同じように自転車で旅してる人もいて。
そういう毎日いろんな人に会うのが楽しくて、それで楽しかったんですよって話をしたら、
人に会うのが好きなら汽車向いてるよってことで、そうなんだってことで、汽車っていう仕事を知って目指すようになりましたね。
なるほど。
実際言われてみて、知らなかった仕事で向いてるって言われてどうでした?やってみようかなって思いました。
でもですね、やってみようかなって思う反面、私も文章とか書くのすごく苦手だったので、どうなのかなとか思いつつも、
でもやっぱり知らないと目指しようもないので、そこからインターンシップとか会社説明会とかによく参加するようになりましたね。
そうなんですね。ちょうど思い出があるとしたらね、インターンシップは私、笠原と一緒だったんですよ。
入社ですもんね。
一緒だった。
全然変わってない、当時から。
ただ、インターンシップ一緒にね、モギー取材で、ちょっと前回、長さんの時に少し触れて花屋に行ったっていうのは実はこの笠原さん。
私ですね。
私のことじゃんって思いましたよね。
そうそう、一緒に行ってね、なかなか大変だなと。
でもその時も自分が文章書くの苦手っていうのをずっと言ってたのは覚えてますね。
って言ってるくせに、モギー取材やった記事が、新聞に、次の日の新聞なんですけど、ほとんど笠原が書いた記事。
いや、そんなことない。それよりも私は写真が自分のが載ったのが嬉しかったですね。
何?悔しい。
写真が載ったのじゃなくて、私が撮った写真が載りましたんで。
そう、いまだに悔しい。
それはね。楽しかったもんね、あれもね。
仲良し、その頃から仲良しだったの?
そうですね、そこで会ってですもんね。
で、たまたま私はですね、就活の時とかも会ったりして。
おしっこちゃんみたいな。
すごい、じゃあその時からの仲ですね。
私、面接に行った時に、笠原が一人ポツンと言って、面接受ける人の列の中に、見たことある人がいるなと思ったらね。
あれ?みたいなね。
懐かしい。
それで一緒に頑張れるというのもありますよね、専攻で。
どうだったかな。
就活中は別に特に交流もなかったかも。どうだったかな。
なかったね。
なかったよりは最後、あっそうなんですね、一緒じゃんって。
そうそう。
だから入った後の新人研修とかでより話すようになったという感じ。
そうですね。
その新聞記者の就活って、それこそ作文とかちょっと特殊な試験があると思いますけど、文章が苦手とさっき言われてましたけど、どんなふうに対策されてました?
そうですよね。もう新聞記者になりたいと思ったので、もうその時はですね、とにかく毎日大学の図書館に行って、新聞全紙見ますよね。
見て、その中で西日本新聞なら春秋ですし、朝日新聞さんだったら天聖人語という欄があると思うんですけど、そこで読んで一番好きな春秋とか天聖人語とかをノートに書き写すのを毎日してたのと、
あと本当に世間知らずだったので、毎日スクラップしてましたね。新聞読んだ記事を好きな記事を気になったのとかを大学の印刷機とかで印刷してノート貼って、どう思ったかみたいなのを書いたりとかを毎日して。
すごい。
やっぱりね、小論文とか作文対策はこれはもうせないかと思って。ものすごく苦手だったんですけど、毎日書いて、小論文とかの本があるのでシンプルニューマーとかのをそこから引いて書いて、引いたのを父に見てもらってました。
お父さんに?
父が学校の先生だったので、高校生の就職指導とかもしてたんで、これはもうね、しゃあないと。恥ずかしいけど、親に自分の書いたら見せるのは恥ずかしいけど、こんなの言ってられるの。
親になるためにしゃあないと思って、お願いします、ここが赤ペン先生みたいな。
本当にあってんの?
恥ずかしかった思いつつも、ありがとうございますかみたいなのを書きましたね。
でもお父様もちゃんと赤ペン先生してくれるんですね。
優しいですね。
普段そんなこと言ってこない。自転車で帰ってくるような娘が真面目にお願いしますって言ったから、ちょっと本気なのかなって思ったかもしれないですね。
厳しかったですか?そのお父様の指導。
そうですよね。全然意味わからん。なんでそんなこと言われないかみたいな。やっぱり親だから。
他のネッサン社の方だったら、あ、わかりました、直しますって言われましたけど、親だから、本当にあってんの?みたいな。
こっちもあってんの?とか思いつつも、素直に受け取れて。
そうなんですね。それ何回もやったんですか?続けて毎週とか。
そうですね。毎週くらいはやってたと思います。
すごいコツコツされてますよね。すごいですね。
ちょっと前回というか、ちょうさんがゲストの時も作文の話題になったんですけど、松本さんは一人黙々と頑張って。
一人でやってたんですよね。絶対第三者に見てもらうのが正解だと思うんですけど。
たぶん慣れてたらいいと思うんですよ。文章書くのに。私は本当ゼロからだったので、やっぱりテーマを振られてもテーマに対する考えがないみたいな。
難しいですよね。
それが最初、トランプ大統領が多分誕生したときもあって、断絶とかそういうテーマとかが多くて。
そのトレンドも捉えつくみたいでしたね。
なかなか文章を書くのが苦手で、そんな中で反例も積んでいってて、自転車で1000キロ走るのと同じように途中でやっぱり結構辛くなったりとか、心折れそうにみたいな。
なるんですよね。いつか私は人に雇ってもらえるんだろうかって思いながら。
本当に周りの人たち見て、みんな素人しててすごいなみたいな。思いながら。
早く春が来いみたいな。
本当ですよね。寒い時期にやらないといけないからですね。