福岡県内に住む元小学校教員です。福岡市や久留米市など県内各地の現役教員から、最近は夏休みの宿題のまるつけを家庭でさせていると聞きました。
私は4年前に退職しましたが、長期休暇中の宿題のまるつけは教員がするものでした。
しかし最近は初めから回答を配布し、保護者にまるつけや間違ったところの振り返りを求めるようです。
今どきは共働きが多く、時間に余裕のある家庭ばかりではありません。
また保護者自身が外国出身だったり障害があったりして、子どもの宿題のまるつけや解説をするのが難しい場合も考えられます。
教員には知り得ない家庭の事情もあるのです。
話を聞いた現役教員の中には、宿題をやったその日のうちに家庭でまるつけをした方が知識は定着するという意見もありました。
しかし担任の教員がまるつけをした方が、クラス全体の理解度や苦手分野を把握しやすく、授業や個別のフォローにも生かせると思います。
せめて学校の授業や自習時間に教員の管理課で自動にまるつけや振り返りをさせるべきだと思います。
働き方改革で教員の負担軽減のためという声も聞きましたが、こうした地域が増えていけば子どもたちの学力格差が広がる一因になるのではないでしょうか。
福岡以外でも広がっているのでしょうか。他の地域の事情も気になっています。
この投稿をしてくれたアナトク通信員のMさんに直接お話を伺いました。
投稿してくれたアナトク通信員のMさんに直接お話を伺います。
Mさんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回投稿をいただいたきっかけについて改めて教えてください。
一番最初にこのことに関心が出たのは、ある保護者から長期休業中の宿題のまるつけは保護者にしてくださいと伝えられたことです。
その保護者によると1年生からずっと保護者がつけなければならないようになっています。
私はすぐにおかしいな、それはないな、みたいな気持ちになったことが最初でした。
もともと小学校の先生は長く勤められていたということですが、先生時代はまるつけはどうされていたのですか。
自分でやったり、大変なときは1回まるつけをやっていないのを回収して、どれくらいやっているかそれぞれの子どもが1回点検して、それから答えを配って私の目の前で答え合わせをさせたり、あるいは答え合わせ自体を宿題にさせたり、そんな風にしてやっていました。
今回は保護者や児童が指定されてまるつけをするケースを聞いておかしいと思われたということですが、具体的にはどんなことを心配しておられるのですか。
例えば長期休業中における子どものことといえば、まず命の心配、いろんな水の事故とか交通事故とか誘拐とかそれが一番なんですけど、よく最近言われているのは食の問題、給食がないから栄養のバランスが取れている食事できているのか。
他にもいっぱいありますけど、ただそれ一つとっても子どもの長期休業中ってそんなに平和な幸せな暮らしをしている子が多くはないと思います。
やっぱり保護者が大変な生活をしていると思うんです。また保護者の状況によっては文字が書けないとか読めないとか、非常にまるつけとか苦手だとか、いろんな状況の中で学問が受けられなくてまるつけがとても苦手だとか、もういろいろおられると思います。
ほぼ安定した中でまるつけが穏やかな空気の中でできる親子っていうのはそんなに多くはないと私は思います。
ほとんどはやっぱり親が不満の中で、というか納得できない中で、その表情の中でまるつけがなされる。あるいはもう自分でやっとかんねーとか、もうそのまま学校に持っていかんねーとか、そんなことがあるのかなと思います。
問題はその時の子供の気持ちです。その親の表情を見たり、言葉を聞いたりして、自分を否定するように捉えないのかなって、親に悪いなと思って、そこが一番私の心には刺さります。だからやっぱりこれは問題だと思います。
またおそらく学校では、もしまるつけしてもらえないなら、もうそれはそのまま持ってきていいよみたいになってるんだろうと思いますが、子供にとってはそんな簡単なことじゃなくて、まるつけをしてもらえなかった、あるいは自分でやっている、それを先生に見せるときの気持ち。
他の子供たちと比べたりすることもあるかもしれません。そんな状況の中で自分の暮らしをあまり知らせたくないだろう暮らしを、そんな形で知らせていかなければならない気持ちもとても痛さを感じます。
本当は胸を張って、うちはやってもらえなかったよって、言える子供を育てるのが理想なんでしょうけど、低学年の子供には酷な話だと私は思います。随分心を痛めるだろうなと思います。
そうですね。また学力格差の一因にもなるんじゃないのかなと聞いてて思ったんですけれど、そのあたりはどうでしょうか。
確かに安定した空気の中で親子の触れ合いの中で、まるつけをしてもらって間違いを親から教えてもらえる子は少しは学力が伸びるかもしれません。格差も広がるかもしれません。
しかし私がやってきた中で、算数とか国語の点数を伸ばしていくっていう意味での学力では、教師が目の前できちんと子供に課題をさせて、ちゃんと結果を把握して、それからいかにどうするかでしかつかないというふうに思えています。
ちょっと付け加えさせてもらうと、やっぱり今この時代、特に学力を上げなければみたいな風潮が強い現場だというふうに思います。
特に平均点を上げるということで、やっぱりいろいろ現場の先生たちも苦労され工夫されていると思います。しかし自分的には平均点を上げるという発想からしたら、できる子はできる。もっとできる。それでも平均点は上がるわけですね。
しかし、それだったら子供たちの気持ちの部分でも広がって、バラバラになっていくというか、やっぱり一番わからない子、困っている子をどうするか。一番学力がつけなければならない必要としている子に対してどうつけるか。そこで汗を流していくというふうに思っています。
結果として平均点も上がると思うけれども、平均点を上げることが目的となっていたら、結局上がらないんじゃないかなというふうに思えています。
そこが高教育の真髄のようなところもあるかもしれないですね。一方で家庭で丸付けをしてもらうことのメリットを上げる声も先生の中にはあるかと思うんですけど、それはどんなことを言うんでしょうか。
本当にゆとりがなくなってきて、時数に追われ、カリキュラムに追われ、追われ追われ、もう全く個性が出せなくなってしまっているんじゃないかなって、私はだんだん思えてきました。
やっぱり先生たちも本当に、昔は長期休業の前後は丸付きも含めて時間があったんですね。しかし本当に今はもうない。だからやっぱり先生たちも本当は自分たちでするのがいいんだろうけども、もう仕方なく親にお願いして丸投げしているというのがあるんだろうと思います。
先生たちからしたら、自分たちの労力をちょっと親にお願いしているという形になっているんだろうなというふうに思います。
なるほどですね。先生の働き方改革という面もあるのかもしれないですね。また、保護者の立場から家庭でマルチ経営をすると子どもの学力だったりとか苦手分野だったりというのが把握しやすいよという声もあるかなと思うんですけれど、そのあたりはどう思われますか。
そういった保護者の方も絶対間違いなくおられると思います。だからいい意味で親子のコミュニケーションが取れたり、子どもがわからないところが浮き彫りにされて克服していく、そんな面もあると思いますけど、さっき言ったように失う部分、そちらの方が私にとっては大きいなというふうに思います。
これがいわゆる私立の学校で入試説明会の時に、うちの学校では長期休業中の宿題については保護者にマルチ経営をお願いしますよ、入学の条件としてそれはありますよということで事前に親に保護者に了解をとった上でのことなら、これは仕方がないものなんですね。
しかしいろんな家庭がある、いろんな暮らしがある、それが公教育だし、だから公教育の意義があると思うし、いろんな家庭の中のいろんな思いで生活している親に対して頭を痛め心を痛め頑張っていくのが公教育の私立の先生たちの立派だと思いますけど、そこに意義があるんじゃないかなというふうに思えています。
なるほどですね。やはり公教育だからこそいろんな子どもがいていろんな家庭がいるという多様性が存在するので、そこに対する目線というのはしっかり向けていかないといけないんだということですね。
それと、そんな子たちから学ぶことが教師が学び他の子が学ぶことがあるということですね。そんなことに対してやっぱり謙虚さとか恐れの気持ちとかがとても大事じゃないかなと思います。
現場ではいろんな現場の状況があると思うけど、よく差別の現実に学ぶとか、教師自身の人権感覚を問うとか、自分の教育課題とは何かとか、そんな言葉がよく出てきます。また文字にされます。しかしこんな時にその言葉が果たして本当なのか問われているんじゃないかなという思いがしています。
ありがとうございます。最後に調査依頼を通じて伝えたいことはありますか。
私の知り合いにこのことで話すと、自分もおかしいとは思っていたという先生は割と多いんです。
おかしいな、いいのかなという思いをしている。そんな先生たちにそのおかしいなという思いにもっとこだわってほしいということと、これからの教育を担う若い先生たちにこんなにこだわっている年寄りの先生がいるということを知ってもらいたいし、そのこだわりが公立の教員としての大事なところじゃないかなというふうに私は思います。
ありがとうございます。長い教員経験の方だからこそのお話だったと思います。
東区通信のmさんにお話を伺いました。ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
熱いご意見でした。こちらの調査依頼を西日本新聞MEのウェブサイト上で公開したところ、8月22日時点でアンケートに277人から回答をいただきました。
まずアンケートの現在の状況をご報告します。
小学生の頃に夏休みの宿題の丸付けを誰がするよう指定されていたかという問いでは、教員が丸をつけていたという答えが43%と最も多く、ついで児童本人が17%、保護者は8%となりました。
一方で小学生のお子さんやお孫さんがいる179人に、お子さんやお孫さんの夏休みの宿題の丸付けは誰がするよう指定されていますかと聞いたところ、保護者が過半数を超えていまして、児童本人が18%、教員は6%にとどまりました。
回答してくれた方たちの世代とそのお子さんお孫さん世代で全く事情が異なっているというような状況が伺えます。
そして誰が丸付けをするのが好ましいでしょうかと聞いたところ、結果は割れました。最も多いのが保護者で約4割、ついで保護者が25%、児童本人が22%と続いています。
この誰がすべきかという部分では結構意見が割れましたけれども、忍薬者はこの結果どういうふうに見ましたか?
そうですね。以前と最近と比べて変化が起きているということも非常に興味深いなと思いました。
以前は先生たちが丸付けするのが多数だったけれども、最近は保護者がやることが増えてきていると。
先生が忙しいというのも社会的にすごい認知されていると思うので、そういうことも要因にあるんじゃないかなというふうに思います。
そうした中で、やっぱり先生忙しいから丸付けお願いするのも気が引けるねとか、先生たちの中にもそこまでやるのはちょっと大変で手が回らないとかというお考えがあって、保護者がやるというところが広がってきているのかなというふうな感じがしていますね。
ありがとうございます。この誰が丸付けをすべきかについては、自由記述で聞いたところご意見を多数いただいておりますので、一部ご紹介させていただきます。
保護者がやるべきと回答した福岡県の50代の男性からのご意見です。
教員の負担軽減ということだけではなく、親としてこの学習に参加するということや、この学習の状況を把握する機会、親子の絆を持つという意味でもそのような機会があってもいいのではないかと思います。
次が、教員がやるべきと回答してくれた福岡県の30代の女性からです。
仕事、用事で登校日までの丸付けと答え合わせが間に合わない。
空いた日はクタクタになりながら家事をやっているので難しい。
夏休み明けに提出ならなんとかなりそうだけど、子供は親が相手だと思うと甘えてグズグズ言ったりする。
親も相手が自分の子供だと思うと教えながら感情的になってしまう。
どうしてわからないのとか言ってしまう。
これわかりますね、とでも。
そうですね。本当うちもそんな感じのことはありましたね。
私も子供時代に親に教えてもらうの本当に嫌いだったので、反抗的になる気持ちはわかります。
では次、児童本人がやるべきと回答した福岡県の60代女性からのご意見です。
親といってもどの親も教育熱心とは限らず、いい加減に丸付けをしたり丸付け自体をしない親もいるかもしれないので、どの児童にも平等な教育を受けられるとは限らない。
授業内で各児が丸付けするのが一番いいと思う。
これもなるほどと思わせるような意見ですね。
そうですね。子供がそれをできるのであればこれが一番いいのかもしれないですね。
そうですね。結構学年によっても違うんじゃないかとご指摘するような意見もありました。
最後にそもそも宿題はいらないんじゃないかと回答してくれた方です。
夏休みなんだから宿題は不要。虐待されて育ったので親が関わると地獄。余計に虐待される。虐待されている子は助けを求められない。虐待されている子独特の症状があるので子供のサインを見つけて助けてほしい。夏休みは勉強しに行くと嘘ついて図書館へ逃げていた。家が地獄だった。
これは結構登校者の方のご意見、心配されていたような状況にも近いものがあるんじゃないのかなと思いましたけれども。
そうですね。宿題をあるからそれをしていないと親が宿題をやれと言ったりとかですね。それで宿題をしていなかったり問題を問えたとしても間違ってたらそれを責められたりだとかしているご家庭なのかなというふうな想像をしました。
確かにそういうところであったり、あるいはその虐待を受けてて精神的に余裕がないとか日々が辛いというところであれば宿題をやるというふうな環境にも家庭がなってはいないはずなので、そういうところで宿題をと言われても難しいというのは想像できますね。
そうですね。他にはタブレットやAIを活用して先生や保護者の負担を減らしてはどうかというような意見もありました。忍さんはいただいた意見の中で気になった意見ですとか印象に残った意見というのがありますか。
そうですね。やっぱりどの親といっても教育熱心ではないというふうなところだったりだとか、あるいは先生に任せたら先生は忙しいとかですね、様々なことを皆さんご自身が体験してきたことあるいはご自身と子どもさんとの関係とかで宿題に対しているだとかいらないだとかも含めていろいろ思っていると思うんですよ。
なのでどれか一つというよりは夏休みの宿題といえばですね、誰しもが想像するエピソードっていうのは一つや二つは多分あるでしょうし、なんていうかもう日本の夏の風物詩になってきたのかなみたいな感じもしてあって、それだけ宿題が定着している一方でそもそも宿題いるのかみたいな意見も今回出てきていましたし、
もう一度宿題について考えてもいいのかなみたいなところは思いましたね。
そうですね。社会も登校者の方もおっしゃってましたけれども、共働きが増えたりですとか一人親の家庭が増えたりですとかいろんな変化もある中で、宿題のイメージってもしかしたら昔からあまり変わってない部分もあるのかもしれないなと聞いてて思いました。
はい。
ありがとうございます。来週は教育現場の課題解決などに取り組む企業レデュポルテの宮崎真代さんもお招きして引き続きこのテーマについて話します。調査依頼のページからアンケートはまだまだ募集中です。皆様のご意見をお聞かせください。今回は夏休みの宿題の丸付けについてお届けしました。篠宮さんありがとうございました。
ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございました。