1. 丹羽には、にわかに庭が広い。
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アニメ『クジマ歌えば家ほろろ』を観て、読書という対処をして、どうせ生きちゃう私たち
2026-07-02 32:56

アニメ『クジマ歌えば家ほろろ』を観て、読書という対処をして、どうせ生きちゃう私たち

からの丹羽の養鶏場では、身体的トラウマ描写があります。


小さき虫に殺気を悟られている丹羽です。


最高の2026年春アニメ『クジマ歌えば家ほろろ』

鳥×原風景を音楽にしたら右に出るものはいないのでは?とやや盲信している、Galileo Galileiの『木漏れ日坂』が主題歌で最高でした…!

毎回流れる角銅真実さんの『ほろろ逍遥』も生活に馴染んでいます。


後半は、かなり変わって、"自分はやっぱり、誰かに言えないんだ"と思う度に出てくるキモい話と、今とこれから。

自分は強くないけど、これからどうにかという中で読んだサリンジャーの小説。


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サマリー

今回のエピソードでは、アニメ『クジマ歌えば家ほろろ』の魅力と、それに触発された読書体験について語られます。特に、Galileo Galileiが担当した主題歌やエンディングテーマが作品の世界観を深めている点が強調されています。後半では、過去のトラウマ的な出来事を思い出し、人に言えない経験や、それらを乗り越えて「どうせ生きちゃう私たち」として強くしなやかに生きていきたいという思いが語られます。サリンジャーの小説に触れながら、自己肯定感の低さや、それでも前を向こうとする心情が綴られています。

夏の訪れと小さな虫との攻防
2026年7月2日。 にわにわにわかに庭が広いです。
7月に入ったんですけど、ちゃんとまだ梅雨というか、雨を感じてますね。
いつもだったらね、5月ぐらいからやっぱカラカラだったなぁと思いながら、
夏らしい夏というか、暑すぎない夏らしい夏、四季らしい四季になるのかなぁ今年はって思いつつ過ごしてます。
そう、そしていつも蚊に刺されないことだけが唯一の自慢で生きてるんですけど、
今年なんと刺されました。もう私の自慢できることは残っておりません。
そういうなんか小さい虫の話題っていうと、なんか部屋にその小映えじゃないけど、でも蚊でもないけど刺さないちっちゃいのがいて、
彼らってワンプッシュで蚊がいなくなるスプレーで効く時もあれば効かない時もあるから、
目に入ってくることも多いじゃないですか。
1匹なのか2匹なのか知らないけど、そばしっこいが故に気になるっていうあの小さい虫。
彼らに対してなんか別に今すぐ潰すぞっていう風にはしてないけど、
ちょっとあって思った時にはって、やろうかなって思った瞬間にはもう飛んでってますよね。
なんか最近それがすごい気になって、
引っ越しする前は私の部屋に入ってきたらお亡くなりになってしまうわよというような感じで、
柵を張っていたんですよ部屋に。虫に対して本当に。
そしたら蚊とか1匹もわかなかって、
対策してたかって言われたら窓の蚊がいなくなるやつ、網戸に張るやつやってたくらいなんですけど、
そう思うとあれすごいのかな。虫こなーずみたいなやつ。
でも今回は本当にその小さい彼らが入ってきて、
ちょっとでも柵を漂わせると彼らの方が先に逃げるっていうのに気づいて、
なんかそういうの進化してるのかな。
人間の先を読み取る力みたいなのが進化してるんじゃないかって思うくらい、
今年はお見送りはできてないっていうか、ちょっと目障りなまま過ごしている。
でもそういうのって自然にいなくなったり、
たまに殺虫剤を明るいところシャーってやったりするからかもしれないけど、
いなくなったなーっていう時もあればまた出現する時もあって、
私の先が彼らに読み取られるようになっている今年の夏の話題です。
アニメ『クジマ歌えば家ほろろ』の魅力
庭のガーデニング。
このコーナーでは私、庭の好きなものを話すコーナーです。
アニメ、くじまうたえば家ほろろを全話見ました。
私が漫画単行本を買ったのがかなり久しぶりの作品で、
そしてまあ5巻だからこそというか、
全巻持っているのは本当に初めてかな、みたいな結構思い入れのある漫画。
かつ、主題歌が私の大好きなバンドガリレオガリレイということで、
私にとって最高の組み合わせのアニメがあったわけなんですが、
このアニメ放送開始時期がこの春期だったことと、
ガリレオガリレイが主題歌だったことどちらも知らず、
第1話が配信に来ていた時点で、え?ってなって、
それをさらに詳細見て、主題歌がガリレオガリレイと知るという始末。
ツイッターXでやってないとこんなに好きなもの同士の組み合わせなのに置いてけぼりになるんだなということを改めて知ったものでもあります。
その時点で1話だけはちょっと見てはいて、
でもこれいいぞって思ってまとめてみようってなったので、
先日多分6月末にこの2026年春アニメのクールが終わったから、
マクジマ歌えばイエホロロが1話から最終話までユーネクストに来ていたので、
もう全部一気見しました。
もう良かったですね、すごく。
何と言っていいか、ちょっとすぐは出てこないんだけど、
とにかくお腹が空くし、
日本の家庭のイベントってこんなに良かったっけってやっぱ思わされるし、
のどかな風景と程よい車に乗って出かけた時に見る商業施設の並びみたいなのとか、
こんな良かったっけって、漫画でもそれは思ったけど、
アニメになったことで改めて感じてしまい良かったですね、本当に。
でも私それこそ、その漫画を先に読んでて、
アニメ化が後みたいな作品って自分にとっては初めての作品だったんですよ。
だからなんか緊張して、なんか変に。
クジマ歌えばイエホロロのそのクジマっていうのは、
ロシアから渡ってきた、ちょっとヘンテコな、かなりヘンテコな造形をしているイチオトリなんですけど、
180センチあるくらいの高身長のクジマの声ってこんな高い声かなとか、
なんか主人公、クジマに出会う主人公の中学生の新たな声って確かにこんな感じかとか、
なんかそういう白黒で想像していて、文字で読んでいたものが色がついて動いて、
声優さんが声を入れているっていうのは、その順序で漫画、アニメっていう順序で見たの、本当に新鮮で。
そのね、それこそクジマの声とか、でも想像確かにしてはなかったけど巻き舌だし、早口っぽいし、
こんなかってなる感覚を初めて味わって、それも含めて、なんか全部良かったんですよ。
その改めて、さっき言ったみたいにお腹が空くとか、異文化の交流ってこんな視点がなるよねーとか、
やっぱ日本の家庭のイベントってなんか、こう切り取るとグッと来るなーみたいなのとか、
なんか全部、漫画で確かに読んでた時は別にその、私も声優さんとか詳しくないから、
声を当てて読んでいたわけじゃないから、イメージは全然なかったんだけど、そこを含めてそのクジマという、
まあ現実にはいない、でもいてほしい、みたいな180センチの後ろ姿見たらちょっと、
まあ長い髪の毛のスラッとした女の人とも捉えられる、この鳥、クジマの声に対する期待値というかワクワク感みたいなのって結構あったから、
でもそれがなんか確かにこんな声かってなるというか、なんかその感覚初めて持ったなーっていうので、面白かったですね、そこからも。
基本的には漫画で読んでた、見たかったシーンが全部あるというすごく良いアニメで、
かつやっぱりそのクジマってどんな動きなんだろうとか、クジマがバレーするシーンとか太るシーンとかがあるんだけど、
そこにはその漫画じゃ動きはないから、アニメになった時に改めて思うこの不可解さと楽しさと全部あって、
当たり前だけど、漫画っていうものにはそのオープニングとエンディングっていうのはないわけで、
なんだけどね、すごくやっぱ良かった、その映像も音楽も。
でこのオープニングは大好きなバンドのガリレオガリレーのコモレビザカっていう曲で、
そのエンディングの方は角堂まなみさんという方のホロロ少傭っていう曲で、
タイトルにホロロが入っているのもそうなんだけど、クジマ歌えばいいホロロの歌えばの部分というか、
なんていうんだろう、このちょっと鼻歌したくなる歌でね、溶け込んでて良かったです、毎回のエンディングで。
このクジマ歌えばいいホロロ自体は基本的にはこの奇妙な鳥、クジマのちょっとヘンテコな愉快な生活って感じでもあるんだけど、
クジマと出会う中学生の新たなお兄ちゃんが受験で浪人してて、
ちょっと家の空気が重たいよというところにクジマがやってきて、改めて家族の良さを痛感するっていう話でもあるから、
重たい部分もあるんだけど、このエンディングがね、かかることによって、いやー、いいよね家ってなるよね、良かったなぁ。
まぁ、そしてオープニングに関してはね、ガリレオガリレーの木漏れ日坂っていう曲なんですけど、
鳥というテーマと幼少期というテーマに関して、ガリレオガリレーというか尾崎由紀の右に出るものはいないのではないかというところで、
このクジマという鳥と、そしてまぁクジマと出会うことによって家庭っていいなぁというか、こんなこともあったなぁみたいに思い出されるあの空気感を持った、このクジマ歌えば家滅ろうという作品の主題歌をガリレオガリレーがやるっていう時点でもう完璧じゃんという風に、
まぁ、引き目も入っているとはいえ良かったな。
オープニングだけじゃなくて、さっきちらっと言った、まぁだいぶお話の後半にはなってくるんですけど、その新たなお兄ちゃんのスグルが大学受験、2度目の大学受験に挑むシーンで、
ここ原作では結構サラッと行くところでもあるんですけど、アニメになるともうだいぶ書かれてて、そこで流れるんだよね、木漏れ日坂が。いいね。
でもなんて言えばいいのかな、このクジマ歌えば家滅ろうの全体的な雰囲気とか、この描いているものとか、その鳥と幼少期というこのふわっとした題材っていう時点で、この木漏れ日坂っていう楽曲のメロディーとか、曲の持つ雰囲気とかがあってはいるんですけど、
聴けば聴くほど歌詞がクジマ自体を表している曲ではないなっていうふうに思えてきていたんですよ。もう曲のAメロの時点で、なりたい姿になれない僕らは、飛んでく当たり鳥に手を振って言葉にするっていうので始まるんですけど、
だからクジマは作品に出てくるけど、飛ばないんですよ。自分で渡り鳥とも言ってるし、ロシアから来た。で観望機もあってみたいなシーンもあるし、渡り鳥と言えば渡り鳥なんだけど、泳いでいくんだよね。
海遊魚、マグロとかに近いような感じなのよ。この木漏れ日坂のその飛んでく当たり鳥のって入ってるから、木漏れ日坂は誰目線の楽曲なのかなーってなんとなく思ってはいたんですけど、その新たなお兄ちゃんの受験のシーンで木漏れ日坂がかかった時に改めて気づくというか、
これはそのクジマっていう非現実的な鳥がいない我々がクジマというというか、日常で渡り鳥というか、まあ鳥、空を見上げて鳥を見た時に、
あー飛べたらいいなーとか渡り鳥というか異国の地に行きたいなーって思いを馳せる感覚をそのまま綺麗なメロディーと言葉にしてる歌なんだなーっていうので、いいなーって思った。
その新たなお兄ちゃんのすぐるが、まあお前が現実的なこと言うのかよってテスト前にカリカリしながら言ってるところもあった時に、まあでもそれをこう、クジマをこう認めたとか受け入れたって言い方なんかちょっと重いんだけど、
あーあいついいなーって思った時にかかった歌だったから、なんて言うんだろうね。こんな生物いたらなーってやっぱ思わされる部分もあって、だからクジマを生で見た新たたち一家の曲ではないのが、このオープニング木漏れ日坂のずっと聴ける曲でもあるいいところ。
アニソンではあるんだけど、やっぱその辺がガリリオガリリオうまいですよね。これ見終わった後にFM802で木漏れ日坂流れて、なんかやっぱ単曲で聴いてもね、いいなーという曲で、このアニメ毎回流れてたエンディングとオープニングが本当に良かったです。
そして最終話ですよ。最終話。
マクジマと春が来てお別れっていうお話なんですけど、ガリリオガリリオのまさかの新曲が、木漏れ日坂以外の曲が、人は渡り鳥という曲がね流れて、いやー。
なんかそれで言うと、その木漏れ日坂で渡り鳥というか鳥に思いを馳せていた。ああいいな、鳥いいなというふうに思ってたけど、やっぱ新たとかがそのクジマとのお別れっていうのをうまく受け入れていって、春が来るっていうのを表すシーンで、人は渡り鳥というこの曲が流れるのが最高でした。
はい。私はそのガリリオガリリオで一番好きな曲が鳥と鳥という曲なんですよ。日によって一番は変わるんですけど、基本常時好きかなっていうランキングに入るのが、という意味で鳥と鳥という曲が好きなんですけど、なんかねそれのアンサーソングにも思えて人は渡り鳥の方は、いやすごい良かったです。
私はもうガリリオガリリオのちょっと気が早いんですが、アルバムをとても楽しみにしております。
そして最終話でシームレスにエンディングに入っていくんですね。
で、このエンディングはいつもと変わらないエンディングっていう角鍋まなみさんという方のホロロー少傭という曲、いつもと変わらないエンディングが流れるっていうのもすごい良かった。
全部良かったです。
本当に是非、くしま歌えばいいホロロというアニメを、漫画を、オープニングを、エンディングを全部見て聞いてみて欲しいなと心から思っています。
人に言えない経験と自己との向き合い
2話のようけい上、このコーナーでは私2話の最近あった出来事やモヤモヤ考えていることを話すコーナーです。
ここ数ヶ月は土日にお散歩行ったり、こうやってアニメ見たり、映画見たりして、上手く過ごせている方かなというか、対処はできているのかなというところと、温かいからかなって思うところとありながら過ごしています。
前回のその、口聞き役になってしまうんだな私という、改めての発見というか、自分への自解みたいなものもそうなんですけど、
私ってやっぱりこういう人間なんだなって思う経験を、半年の出来事が今畳みかけてきて、やっぱりこういう人間かって改修している感じなんですよね。
だから結構今は改修の方だからむしろ沈ん、ギリギリ沈んでない、上手く対処できてるかなという状態で、何にもふわふわふわっとしか喋ってないけど、どこまで上手く言えるかわかんないけど、そのやっぱり私ってと思ってしまったのが、やっぱりでもないんだよな、これは。
いやでもやっぱりでもあるのか、でも自分は自分で何かあったら人にサインが出せる人間だと思ってたんですよ。
体調に出るとかの前に、なんかなってきたってなったら、周りの人に相談できるタイプだろうと私は思ってたし、だって過去に小学校の担任の先生がおかしいんですって校長先生に言ったことあったりするから、そういうのを恐れず臆せずいけるタイプだとも思ってはいたんですけど、
まあ半年間いろいろ、いろいろあって、まあ仕事でという意味でもないんですけど、なんかこううまく誰にも言えなかったんだよね。
なんか疲れて帰ってきて、でお仕事のこと思い出したくないなってなるから、友達にも喋んなくなってたし、親はたまにLINE起こしてきて、仕事最近どうなのって聞くんだけど、
いやもう夜は思い出したくないから仕事の話振らないでって言って、ちゃんと振ってこなくなって、なんか最近は犬の写真ばっかり送られてきてるんですけど、
まあそんなこんなで遠い人にも愚痴すらもまあ言えてなかったなぁという反省をしつつ、言えてたらなぁと思いつつ、でも私こういう時言えない人だったんだなぁって改めて思ったんですよね。
改めてとかやっぱりっていうのは、その小学校の時に担任おかしいんですって校長に言いに行ったことあるって言ったけど、でも一方で同じ時期に小学校の時にあった気持ちの悪い出来事を誰にも言えてなかったなって、
なんか最近日記書いてたら全部わーって、わーって思い出して、まあそんなこんなですよね。
小学校の時に担任の先生がすごい机蹴るとか生徒に対してそういう怒り方をするっていうのがどう言ったらいいかわかんなくて、校長先生に言ってみたりしてたけど、まあ迷惑っちゃ迷惑よね。担当が嫌しね。
こういう時共闘なのかもしれなかったなって思うけど、まあそれと同じ担任の男の先生の時に歯磨き教室があって、歯は大事だよーって言うので、歯磨き教室いつも赤いあれ染めて、
年に1回は絶対あるイベントが私の小学校でもあり、その担任の先生にさ、歯磨き教室の時にさ、私だけさ口の中に指突っ込まれたんだよね。
あれは誰にも言えなかったね。
周り、教室にいたからみんな見てるっていう表現はあってないけど、みんなそれぞれ自分の歯磨いてるからさ、あの後異常に口とか洗うようになったもんね。
で、なんかいろいろなんか言えなかったなっていう関連でそういうのを思い出してさ、なんか言えたタイプだと思ってたけど、こういうことって言えないんだなっていうのを思い知るというか。
うーん、親にも言えない、なんか脈絡もあるにはあるけどないじゃないから、親にも言えないしね、なんかキモすぎてさ、ずっと言ってなかった。
中学校上がっても高校上がっても大学上がってもまあまあ忘れるっていうのもあるけど、でもなんかたまに思い出すんだよね。
なんかそういう時思い出すんだろうね、その誰かに言えばよかったものを飲み込んだなってなった時とかで、わーってなった時とかに思い出すんだよね。
いろいろあって、こないだ母親と電話した時にこの話というか、私って意外とこういうの話せるタイプだと思ってたけど、
話せないタイプというか、話題によってはやっぱり飲み込んじゃうこともあるんだなっていうのを、まあ母親になんか電話で喋ってた時の流れでこの話したんだけど、
なんかキモすぎて言葉失ってて、まあそうだよなーって思うというか、多分当時言ってても同じか、なんかそんなことになってて欲しくないから信じないかみたいな感じの反応を
しかしてなかったんじゃないかなーっていう気しかしないなーっていろいろ思ったりしてたから。
でも話すって大事なんだけど、でもそれだし私はできるタイプだと思う部分もあったにもかかわらず、
言えないもんは言えないもんなのかもしれないなーっていうのも思って。
でもそれを、だからまとめるのは難しいんだけど、これからはどうしていこうかというか、強くなりたいなと思いました。
やっと中学から高校に上がる時ぐらいから、ずっとなんか自分なんての自己否定、自己嫌悪、自己肯定感なんてない、みたいな。
歴史燃料まみれだったから、まあでも今も、まあどうすることもできないなーって思うことはたくさんあるし、たまにそういう気分にもなるし、思い出してわーっともなるんだけど、
でも、でもどうせ生きちゃうんだし、強くなりたいなーって思いました。
でもこの強くなるっていうことが、こないだ言ったみたいな、何か自分の満たされない部分とかコンプレックスとかで傲慢になるみたいになるようであれば、
すっごく難しいことなんだけど、どうせ生きてしまうのであれば、しなやかな、強い、ちゃんとした人間になりたいなと思います。
そろそろ終えようとしているところです。
サリンジャーの小説と読書体験
本当はさっきの強い人間になりたいなーのところで、ブチッと終わる予定だったんですけど、それはそれで気持ちが悪いなーとなって、いつものようにエンディングもどきを撮っております。
前半はくじま歌えばイエホロロが本当に本当に良かったという話をしていて、
なんとなく思い出す風景があんな感じのいい風景だったらいいよなーって思うし、改めてくじまみたいな、まあヘンテコリンな生物って言ったらあれですけど、
でもどっかリアルというか、ロシアから来た鳥で目をキラキラさせて憧れてくれてるみたいな、いいよなーっていうね、アニメで。
くじまに会いたいですね私は。会えないからこそまあ、ガリレオガリレのオープニングはいいんですけども。
後半はねゴニョゴニョモヤモヤ喋っておりましたが、まあどうしたらいいかわかりません。
近々本当に思うんですよね。ああどうせ生きちゃうかなーって、じゃあどうせ生きるならっていう感じで、
やっとまあ体起こしたかなーくらいのところなのかな。まあそんなポジティブでもない気はするけど表現として。
ああでもそうだ、最近そのお散歩の時は日記を持っていくか小説を持っていくかしてるんですけど、
ついこの間、なんかやっと多分2年前くらいに買ったこのね小説をね、読み終わって、ああ待って読み終わってなかったん?
いやまあでも読み終わった気になるくらい良いというか、自分的にしっくりきてしまうセリフを見つけたりして、同じ2章くらいだけずっと読んでるんですけど、
まあそれがサリンジャーのこのサンドイッチマヨネーズ忘れてるっていうタイトルの、まあこれは多分その前編のそのハップワーズ以外の部分は、
多分ライムギ畑で捕まえての周辺のことがわかる小説になってて、私はそこばっか読んでたんだ。
めっちゃ満足してた。ハップワーズまで全然言ってないじゃんこれ。まあとにかく最後の休暇の最後の日っていう話の一部分が今の私にはハマる部分がありました。
正直これは、なんかね、登場人物が妹に対して話しているということはわかる。翻訳してくださったかなはらみずとさんという方の役者解説の部分を見ても、ちょっとだけ双冠図がわかんない。
まあとにかくベイブっていう主人公が妹のマティが寝ている間に言葉残した場面なんだけど、
マティはまだ幼い。だけど男の子も女の子もいつまでも幼いわけじゃない。それは兄さんを見ればわかるだろう。ある日突然幼かった女の子が口紅を塗るようになり、ある日突然幼かった男の子がヒゲを剃ってタバコを吸うようになる。つまりほんの一瞬なんだ。
幼い時っていうのは、今日マティは10歳で雪の中を駆けてきてくれた。ところが明日はもう20歳で、リビングで男の子たちが外に連れ出そうとしている。
ある日突然マティもフォーターにチップを払わなくちゃいけなくなるし、高い服のことで悩んだり、女の子とランチしたり、なぜ自分にぴったりの彼が見つからないんだと思ったりする。そういうものなんだ。
だけど一つ言っておきたいのは、意味があるかどうかはわからないけど、自分の中にある最高の自分に恥ずかしくない生き方をしてほしいってこと。
例えば誰かと約束をしたら、最高の相手と約束をしたと思われるように心がけてほしい。ここからその例が続いて、最後にいろいろ言いたいことはあるけど、正しいのかどうか自信はない。
マティは幼いけど言いたいことはわかってくれると思う。マティは賢くなる。だけどもし賢く立派な人間になれないなら、いっそ幼いままでいてほしい。立派な人間になってほしい。
この部分がなんかずっと好きだった。ずっとパラパラこのあたりを眺めてました。あんまり多分伝わってないと思うんですけど。
ライムギ畑で捕まえて凝縮したような部分でもまあ確かにあるからっていうのもあると思うけど、でも確かにサリンジャーの本ってちょっと家での読書というより散歩で読むのはちょうどいいですね。
難しいから。私あんまり洋書読まないのに、これもガリレオガリレーの影響なんですけど、フラニートズイとかガリレオガリレーの曲でモチーフになってるのが多いから、サリンジャーだけだな、洋書。
あ、老人と海もあるけど、でもそれもやっぱ半分以上ガリレオガリレーの影響ですしね。
でも言ってサリンジャーの本はなんか見かけたら買ってるんですよ。そうしたらね、翻訳の人が全部違くて、今4冊持ってるんだけど、全部違う。
でも一番この方の役は読みやすかったです。金原みずとさんのやつが。
この方の役のバージョンでラエムギ畑で捕まえてとフラニートズイ読み直したいかもしれない。
ちょっと難しすぎた。
ラエムギ畑では何回もチャレンジしてフラニートズイは全然読めてない。難しい。
なんかあれもお手紙のやり取りのが多いから結構読み取りがむずいし、多分フラニートズイは村上春樹を読んだことないのに、役の村上春樹で読んでしまっているので、ちょっと難しすぎて読めません。
もう一回読みたいかな。
でも今最近本屋さんでまた寝やがったらやだなーって思い始めて、ずっと買いたかったの買うようにしてるんですけど、
ずっと読みたかったゆずきあき子さんのバターを買いまして、
なんか多分出版社が変わったのをきっかけに今キャンペーンみたいな感じでバターステッカーがついてたのにもちょっとずられたんですけど、
まあでもなんかねずっと惹かれてて、それこそその英語版のバターの外装がめっちゃ良くて、なんかすごい心惹かれた記憶がありまして、
まあでもね、まあせっかく日本の小説であるしと思ってて、
まあそのバターステッカーをきっかけに買って、やっとその主人公が対象の女性に出会ったところまでしか読んでないけど、
ここまででも結構うぐっとくるものが、考えるものがありますね。
でも読んでて楽しいですすごく。
まとめと今後の抱負
そんな感じで、ぼちぼち読書もしてるかな。
こうやって大書でしか過ごせてないけど、生活だけはしようかというところですね。
はい、また荷のつく日には庭がにわかに広い庭を開きますので、お楽しみに。
では。
32:56

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