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映画『死ねばいいのに』で刺激された幸福追求のレベルと生きること
2026-07-12 30:03

映画『死ねばいいのに』で刺激された幸福追求のレベルと生きること

一週間ですぐドパガキになってしまう丹羽です。

奈緒さん主演/金井純一監督/京極夏彦原作の映画『死ねばいいのに』の感想回です。

ネタバレなのか何バレなのか分からないくらいぐちゃぐちゃ話していますが、とにかく食らっています。

私は、『炎上』や『ナミビアの砂漠』然り、ビビットピンクなキービジュアル映画が大好きらしいです。


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サマリー

今回のエピソードでは、映画『死ねばいいのに』を鑑賞した感想を中心に、現代社会におけるSNS依存や幸福追求のあり方について深く掘り下げています。筆者は、映画の鮮烈なビジュアルや登場人物の価値観に触発され、自身の幸福感や生き方について考察を巡らせます。特に、SNSでの情報過多な状況と現実との乖離、そして「幸せ」の定義や追求方法について、複雑な思いを語っています。また、映画鑑賞をきっかけに、家具選びにも影響を受けるなど、作品がもたらした余韻についても触れています。

SNS依存と現実の乖離
2026年7月12日。 丹羽には、にわかに庭が広いです。
実際に、2026年7月12日現在ですね。 今日はドパガキデーでした。Xばっかり見てました。
こんな日をなくしたいって言ってるのに、できないのかなぁ。 でもここ数日のXの話題は、ついつい見てしまう話題が多いなぁと思ってて、
本当に個人間の話題っちゃ話題が、
どんどんそれについて全体で議論することっていうのは大事だと思うんですけど、結局ネット上で議論してたとて、
現実というかリアルな空間でそれらが配慮されてるわけじゃないなっていうのは、本当に思うから、
でもその話題は脳がドパミンとして求めるというか、話題自体をとか、ご本人たちのそれをっていう問題じゃなくて、
それに対する議論してる人たちとか、共感できる意見とかをずっと求めてる中毒的な状態が本当に抜け出さないとなって思ってるんですけど、
今の私の2026年7月12日現在の私のフィルターバブルは橋本愛さんと佐藤二郎さんの話題が、
本人たちのっていうよりもそれを種として持った部外者の意見とか議論とかばっかり、もうそれの引用に次ぐ引用だから、
でもこの話は本人たち2人とかその本当の関係者たちの話とかはちゃんとなってて欲しいなって思うことでもありつつ、
自分たちにしてみたらどういう立ち回りをしないといけないのかみたいなのを見せられているような状況でもあって、難しいな。
私はどっちに対してもどっちも好きな映画とかドラマに出てる俳優さん2人だからどっちがどうとか言えないけど、
何だろう、ちゃんとして欲しいなってすごい思ったりとか、
あと今回の件で私もそういうのが面白いなって思う時もあるけど、
前に目覚ましテレビの天床天気が好きって言ったりしたこともあるけど、
シンプルに年の離れた異性同士、どっちが上であってもどっちが下であってもを2人でペアにするのは、
なんかもっと周りの配慮はあるべきだと思うなとか、なんかそういうそのなんかこう自分の小池もあるものがあるわけで、
そうなんか単純にこの刺激刺激っていうのと自分と同じ意見いないかなっていうのを探すっていうので、
なんか多分今めちゃくちゃ組み合わさってるんだと思うな、この話題がアルゴリズムに上がるように、そういう見方もしちゃってるんだろうし、
だからよくないね、その2人の話題以外はなんか結構なんでかわかんないけど実社会では言えないよなっていう話、
でもこの2人の話も結局そうというかリアルでは話さなきゃいけないことなのに話せてない話が流れてくるよなって感じで、
なんでこんなにネットと現実って乖離するんだろうって最近不思議。
こんな乖離してなかったらSNS依存というかドパが気になってないんじゃないかなって思ったりしてます。
まあXだけじゃないんですけど今日は本当にくったらないショート動画ばっかり見て、
こんな感じの日曜日でした。
映画『死ねばいいのに』との出会い
庭のガーデニング、このコーナーでは私に庭の好きなものを話すコーナーです。
先週の日曜日に死ねばいいのにという映画を見に行きました。
強烈に良かったですね。
もともとすごく気になっていた作品だったわけではなくて、
ユーネクストのポイントで映画館で見る映画が1本ポイントで買えるので、
それでなんとなく行ったことのない映画館に行きたいなーって思った時に、
テアトル梅田とか面白そうと思って、
大阪梅田のスカイビルっていうところにあるテアトル梅田っていうところに行こうっていう先に場所だけ決めて、
時間とか予定とか合う映画で言ったらこれかなーみたいなので、
死ねばいいのにっていうナオさんが主演で、原作が京極夏彦さんの、
まぁだからミステリーといえばミステリーなんですけど、
なんだこのタイトルはと思いながら、
まぁ見に行ったっていう、なんかこう高まった動機があるわけじゃないんですけど、
見に行ったら、なんかまずテアトル梅田にあったポスターが私の結構好みなポスターで、
私が見終わった後とかに、いつもぐちゃぐちゃ考えたり、
どういう気持ちになっていいかわかんないなーこれってこう、
わーってなりながら変えるくらい好きというか、映画体験として好きだなーって思った映画が、
なんか知んないけどキービジュアルみたいなのがピンク色なんですよ。
ビビットピンクみたいなピンク色で、炎上、この間見た永久監督の炎上もそうだし、
あと本当大好きなナミビアの砂漠もそうだし、
そうそして今回のこの死ねばいいのに、全く事前情報なしで見に行ったらポスターがこの色で、
あーこれは刺さるぞと思いながら、
映画見始めることになりましたね。
なんで私はこのビビットピンクな映画、なんかビビットピンクな映画っていうのがなんか変ですけど、
にこんなに惹かれるんだろうっていうのは、なんかもしかして最近増えてるのかもしれないですね。
簡単に言っていいかわかんないけど、女性の強さみたいな色なのかもしれないなとはちょっと思うところでもありつつ、
だとしたら暗直かな、この色はとも思いつつ、でも映画とかじゃなければこの色味は摂取しないから私は、
本当なんか無印良品みたいな色味しかないから、だからすごく惹かれるものはあるなーって思う。
映画のあらすじと登場人物
まあ多分というか、
なんだろうミステリーと言われたら確かにミステリーなんだけど、
だからネタバレをしたらミステリー的な部分の面白さを派遣してしまうからきっと難しいよなと思うんだけど、
でもなんかもうね、喋りたくてたまらないので喋ります。
まあでも、絶対的に犯人は誰みたいな部分は触らないでおこうかなとは思うんですけど、
ちょっとあらすじというか。
鹿島アサミという女性が殺害された。犯人は未だわからず、犯行動機も不明。
そんな中渡来英子がアサミのこと聞かせてもらいたいんですと、生前彼女と付き合いのあった人々の元を訪ねてくる。
アサミとは一体どのような人物だったのか。
観客は英子とともに証言をたどりながら、その輪郭を少しずつ形作っていく。
なぜ英子はそこまでアサミのことを知ろうとするのか、二人はどのような関係だったのか。
そして英子が口にする、「死ねばいいのに。」という言葉は誰に向けられたものなのか。
断片的に浮かび上がる証言と交差する感情。真実に近づいていくたびに私たちの足場は静かに、しかし確かに揺らいでいく。
この英子という主役を直さんが演じてて、鹿島アサミ殺された女性を伊藤葵さんが演じてました。
私なんか多分この二人の直さんとかは知ってたし、伊藤葵さんもなんとなくは知ってたけど、なんかがっつり見るのは初めてだったんですけど、すごいですね。
直さんというか英子のシーンは結構会話劇の場面が多い中で、横顔というかその二人が向き合って話すシーンとかで、
何かこう、感情というか、は?みたいな気持ちになった時に、なんかこう顔の筋肉だけで、そのなんか、じゃあ死ねばいいのにのエンジンをかける感じの顔の筋肉の動きが出てて、
すごいと思って。で、そもそもなんか直さんのイメージもこんな金髪ショートのイメージがなかったんですけど、
そのなんか黒髪のロングのイメージはずっとありはしたけど、でもあの京都の市営地下鉄乗ってると伊藤園のお茶の車内広告で貼ってあるのが、
黒髪でショートの直さんが京都旅行と申しますってやってるのを見てたりとかしてたから、なんとなく馴染みはある。
ショートに馴染みはあるけど、なんか金髪でちょっと何だろう、ダボっとした服装、なんかすごく現代的な女の子の格好してる直さんってなんかちょっとこういう役もできるんだってなるような感じですごかったです。
本当に会話劇のあのシーンとかも、自分が思っている違和感とかを全部口に出してしまう感じとかも、いないところに行けばそういう人には会わなくて済むんだと思うけど、でも確かにいるんですよ。
っていうのはすごくよくわかる。なんかすごくよくわかるというかいるんですよ。
えーこという人物も。でこの殺された浅見はいないっちゃいないんだけど、でもいるっちゃいるなっていうその危うさも感じて、私はこの2人のストーリーというか、この殺された浅見の人物と周囲の人間関係とかがわかってきて、
幸福感の危うさと生きる意味
でその上で出てくるこの浅見という人間の価値観みたいなものを見て、なんていうんだろう幸せって危ういなってちょっと思ったりとかしたし、
だけどかといって不幸せとかなんか大変だとかつらいとかひがみとか醜さみたいなのをずっと持つのもなんか違うと思ったし、じゃあなんなのっていうのをずっと思うし、
なんか本当に、なんていうんだろう、私はその幸せじゃないから異常だって思うことが全然ある。
結構長くあって幸せじゃない満たされない普通じゃない、なんかずっとイライラしてるとかずっと悲しいとか、なんかそういうのがあるから異常だって思ってたり思ったりも今も知ってたりするし、
だからなんだろう、死にたいというか、なんか自分は生きるに値しないというかそういうふうに思うこともあったしあるし、でも殺された浅見という人物はなんでだろう、なんか無理をしているわけでもないけど幸せの感受性がすごく低いと言ってしまえば低いかったのよ。
だからなんでも幸せと思える人だったんですよ。でもなんかそれって危ういのかなって思わされたことでもあって、でもだからといってそのなんか不幸ぶったりするのがいいとかそういうわけでもなくて、だから答えはないんだけどこの映画に。
なんだろう、今生きてると、生きてるんだったらなんか幸せであらなきゃいけないよなみたいなものとか幸せであるとか幸せを追求しなきゃいけないよなみたいなところにすごくいるなって思うんですよ。
無理やり、その小さな無理やりっていうのもそれは自分にとっても大事なことかなって私は思ったりもするけど、なんかだから本当にどうでもいいくだらないテレビ見て面白かったから今日仕事で嫌なことあったけど楽しい1日だったと日記に書くことで認知をちょっとでもポジティブにしようとか私は思ったりするんですけど、
なんかでもそれってさ、なんか上手い言葉が出てこないんですけど、そのさ、高いところにいる人ではないじゃないですか。
上手い言葉が出てこなさすぎる。なんかちょっと言い過ぎかも。でも自分はっていう意味で言ってる。
アイメッセージなんですけど、なんか高いところにいる人というか自己実現とかさ、そういうフェーズにちゃんと入れてる人とかってさ、こんなちっちゃいことを幸せに多分しないじゃないかなって思う時がちょっとあったりしたんですよ最近。
人と喋ってて、俺はまだなんかそういう仕事より大勢の人を幸せにする仕事をする方が自分に合ってると思うみたいなことを言ってた人がいて、
でもなんか別にその人に何て言うのかな、差別意識とかがあったわけじゃなくて、なんか純粋にそう思ってるんだなこの人っていう言い方でそういうことを言ってた人がいて。
でもなんかそれってきっとさ、何て言うんだろう、自己実現っていうかさ、なんか一般に見たらさ、高い目標を立てて大きい会社とか大きい利益を生む会社に入ることで幸せというものを追求してる人なんだなこの人みたいな言葉が出てこない。
なんかね、そういうの思うことがあって、本当にうまく言えてるかが全然わかんないんだけど、この死ねばいいのにを見てて浅見という人物が徐々にこう明らかになっていく中で、
なんかそういう会話のこととかを思い出してて、で自分のこういう、何て言うのかな、本当ちょっとダメダメだったりとかした時に花大地取りとか藍石植物を見たらどうでもよくなろうとしてたりとかを思い返すと、
まあ自分がって意味で、やっぱり小さいところで楽しいとか幸せだなってなった場合には、なんかそこで留まるじゃないけど、何て言ったらいいんだろうな、上に行くっていう表現っていうのが全然適切じゃないこともこの映画を見てると思うんですけど、
何て言うんだろうな、難しいんだけど、なんかだから、とにかく小さな幸せみたいな、なんかこの特徴的だったシーンがあって、浅見と栄子が出会って2回目くらいの場面で待ち合わせの喫茶店が臨時休業だったんですね。
で、それを示してたのが手書きの張り紙で臨時休業って書きたかったんだけど、棒が1本足されて臨時退業って書かれてたんですよ。
で、それを見て浅見がすごく嬉しそうに笑って写真まで撮るんですよ。
なんかね、私もそれだなというか、写真まで撮るかどうかは置いておいて、日記のハイライトにはすると思うなと思ったんですよね。
さすがに浅見ほどの環境じゃないにせよ、この幸せの感受性の低さみたいな部分はすごく一緒というか、一緒かなっていうところもあったりするんですよね。
でも違う、何て言うんだろう、何て言うんだろう、でも私は偽物なんですよ。
浅見の偽物っていうか。
なんかそもそもさ、なんかこれが幸せとかあれが好きとかがさ、なくてさ、何が楽しいとかさ、でもね、それも偽物なの。
なんか、私、A子にも浅見にも全くなれないんだよね。
ちょっとだけなってるくらいな感じの気もさ。
楽しくないことは素直に楽しくないって言って、バイトを辞めれるようなA子の強さもなければ、全てを幸せと感じ取れる浅見にもなれないから、どっちでもないにはないんだけど、
でもなんかある部分はあるというか、なんかね、どっちかになりたいな、ちゃんとって思う、その何て言うんだろう、生半可な気持ちがあるんだよ。
だから浅見で言ったら、そのなんか小さな幸せは、私は無理やりやろうとしてやってて、でもそのきっかけみたいなのは、
なんか完全にはA子みたいな感じで、なんか嫌いなものは嫌い、何でって思ったら何でって聞かないとやってられないみたいな感じには、私はなれなくって、
たぶん私がなりたかったのはA子みたいな人だったんだけど、完全にはなれないし、
そしてしかもさっきチラッと言ったみたいな、映画見る前に私が人と話してたその内容、その幸せの価値基準の全然違う部分みたいな、
それ側にもなれないし、その大きな富みたいな、何て言うんだろうな、なんか言葉が出てこないな、これを言うことによって、
自分が傷ついたりもするし、誰かが傷ついたりもするのもすごいわかるし、なんかこれはすごく分類の話になるから、
何でだろう、だから、まあ大きい会社に入るみたいなところかな、
とかも、それにも私は、なんかそれでどうにかみたいなことも思わなかったし、
ってなってて、だから幸福追求みたいなのが適切にできないんだったら、死ねばいいのにって自分で思ってたから、
死ねんよみたいなのがあったわけなんですが、あってるかな、これ話、自分の中で。
あったわけなんですよ、なんかそう適切に生きられないと思ってた。幸せを高い位置に積み上げていけないな、みたいな、
高い位置にというか、別にそれを自分が自分で幸せだと思ってればいいじゃんっていうフェーズまでなかなかいけない、
今もだけど、人と比べちゃうから、なんかやっぱ高い年収があった方が良くて、名のある会社に入った方が良くてっていう、
自分からも抜けられないから、だからやっぱりそれが一般的な幸せだと思ってる自分もきっといるはずなんだけど、
だからそういう幸せを追求できないんだったら、できないだろうなって、高校生とかの時からずっと思ってたから、
じゃあ死ねばいいのになーって自分に言ってた。
映画の余韻と日常への影響
もうなんか、最近はこのポッドキャストでよく言ってるように、
ああ、どうせ生きちゃうなら、みたいな感じ。
で、なんか健康になろうかなーとか、まあちょっとでもくだらないテレビ見て元気ならいいかなーって思ったりとか、
でもなんか暗い方に行くよりは、なんかくだらないテレビ見た、面白かったって日記に書いて、
認知を歪めれば、まあ幸せなことになるよなーとか、なってきてる。
だから、難しいなこれ。
だから、何なんだろうな、難しかったけど、別にね、ネタバレにもなってないよね、こんなぐちゃぐちゃ喋ってたらね。
なんかね、とにかくね、喰らって帰ってきた。
私はA子にもなれなければ、アサミにもなれないし、かといって、アサミみたいな幸せで生きている自分もちょっと嫌って思ったりもするんですよ。
無理矢理思ってるっていう自覚があるから、幸せを追求するみたいなところで言うと、一般的な幸せのなんかもういいやって思ってる自分もいて、
そこに努力しようとしたこともあるし、今もしてみたいとは思うけど、なんかどうせって思ったり、そういうのがつきまとうし、
なんか、だからもういいやって思うから、じゃあ自分なりに幸せになろうとか楽しいこと見つけようとか、
なんかとにかく我に帰る隙間を埋めようみたいな感じで生きるかって思うこともあるけど、
でもなんか、なんだろう、アサミみたいに心から何でも幸せを受け入れられるようになる自分も、やっぱ気持ち悪いとも思うように見える映画だったりとか、
アサミという人の幸せの価値の感受性を見た上でというか、なんかそもそも多分今自分がいろいろそういうことをなんかちょっと振り返る感じでもあったりしたから残ってることだと思うんですけど、
なんか私は楽しいって思っちゃいけないとか幸せって思っちゃいけないって思う自分もちょっといるから、
だからこそ無理やり幸せって思うとしてたり楽しいと思うとしてる自分がいるなっていうのも思うし、それを気持ち悪いと思うんだけど、
でもなんかね、そこをさ、素直に幸せだ楽しいだっていうところだけになったらアサミみたいになっちゃうのか、とか、
とにかくね、いろいろグワーってなった。とにかく良かった、この映画は。良かった。このタイミングで見て良かったなって思いました。
なんかもうネタバレもクソもないくらい、あのわけのわかんない話をしたかなって思うけど、とにかく良かったという話でした。
だからね、遠い映画館に行って良かったんです。帰りの班級電車がすごくいい時間でした。
そろそろ終えようとしているところです。思ったより熱が入りすぎて、ちょっとカットはすると思うんですけど、死ねばいいのにの話を30分していました。
ほんと良かったです。そう、そして私はこういうね土日の寝過ごし方をしたいなと思っています。今日はほんとにドパガキの日でした。
でも昨日土曜日、7月11日は家具を見に行ってて、ダイニングテーブルを京都駅から徒歩10分くらいのところにあるマシニセの家具屋さん、なんかレトロなエレベーターがあるとなみ家具というところに行って、ちょっとダイニングテーブルをね買いました。
なんかねダイニングテーブルじゃないものを買う予定だったんですけど、まぁいつかダイニングテーブルいいのあれば買いたいなーっていうイメージだけ持ってたのにダイニングテーブル買っちゃったんですけど。
でもねダイニングテーブル買いたいなーって思ったのも死ねばいいのにで見たアサミの部屋のなんていうの部屋の形みたいなのがなんかちょっと似てるじゃないけどあってそこになんかダイニングテーブル置いてるのなんかまとまり感があっていいなーって思ったんですよ。
なんかこういう部屋いいなーなんかあんなかわいい部屋にする感じじゃないんだけどなんかまとまり感があるっていいなーって映画見てるとそういうのも参考になるんだなーって思ってだからいずれダイニングテーブルちゃんと買おうって思ってたらそっちから先に買っちゃって意味わかんない部屋に多分またなるんだろうなーって思います。
まあなんか1週間くらいだから引きずってますね。死ねばいいのに。
なんかそもそも映画見終わったすぐ後でなんかこれはこれ動けないやつだーって思ってなんか1回こうぼーっとしてさ梅田スカイビルだったからちょうどなんとなく外を眺めめっちゃ雨だったんだけどあの日なんかうるうるしてで3階まで降りてパンフレットを買ったんですよね。
パンフレットも何も知らないで買ったんですけど脚本が全編載っててそれもあって大余韻でございます。
はい私はやっぱりとても好きな映画でした。ビビットピンクのキービジュアルの映画がとても好きですねなんかいつもこうなりますね。
こう…はぁーっていうかこうなんて思ったらいいんだというかわかんないよこれみたいなずっと抱えてそれを余韻っていうのがいいのかただのアホなのかわかんないんですけどとにかくとにかく良かったです。
先週この映画見に行く時もあえてドンコの阪急に乗ってゆずきあさこさんのバターを読みながら行ったりしてなんかいいですねあえてちょっと遠いいつもどこでも行けるけどちょっと遠いところとか普段乗らない使わない電車に乗るとかなんかそれだけでも結構気分で変わるものだなぁとも思います。
トパガキを脱したいです。
まとめと今後の展望
はいまた2のつく日には庭がにわかに広い庭を開きますのでお楽しみにでは。
30:03

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