満月の日と気候の変化
10月22日、第106回目の、にわにわにわかに庭が広いです。
ちょうど、4日前ぐらいですかね、10月の満月の日があったんですよ。
その10月の満月の日が、なんか2024年の最大級のスーパームーンだって聞いていて、
ちょうどその日に、私はサークルに夜出かけようと思っていた日だったので、
サークルに出かけつつ空を眺めたんですけど、もうその日は昼間の天気は悪くなかったし、
その翌日の天気予報も悪くないはずなんだけど、すごい曇り空で星も見えなくて、
でも月だけ出てるのがうっすらぼんやりとわかるみたいな感じで、
あんまり夜に外出ない人間がせっかく夜に外出てみて空を見上げたのに、
何もスーパームーンというか満月を味わえず残念だなぁと思った日がありましたね。
その満月の日以降、それまで25度ぐらいあった気温だったのが、
急に最高気温20度いかない日ができたりとか、雨降ってみたりとか、
急にその秋というか季節変わるよっていうのをお知らせが全部同じ日あたりに来て、
自己の感情の揺れ
あー、気分の落ち込みというか追いつかなさを感じてました。
金木犀の花の香りもちょうどその時期に香ってきましたよね。
なんか金木犀の花の香り本当かなって最近は思うようになりましたね。
香水とかハンドクリーム、ヘアケア、商品の金木犀の香りの多さと言ったら、
もう毎年増え続ける一方なんでね。
なんか全然違う時期とかでも金木犀の香りの香水結構定番化してたりするから、
なんかなーっと本当かなーってこの時期に香る金木犀の匂い本当かなって思うけど、
金木犀の花から香ってる匂いってやっぱり街中でふわっと香ってるような感じがするんで、
人工的なフリグランスにはやっぱ勝てないのかなーって思ったりしてます。
とはいえ私も無印良品で買った金木犀の香りのお香を先月ぐらいから炊いているので、
まあ人工的なそういう金木犀の匂いも好きですね。
でもやっぱクリームとかそういうのの金木犀のやつはあんまり好きじゃなくて、
この無印の金木犀のお香は程よくて好きです。
満月の日あたりで季節変わるよってなんなくてもいいのになぁと思った10月最後の身のつく日です。
2話の養鶏場、このコーナーでは私2話の最近あった出来事をお話しするコーナーです。
今オープニングでもこの季節の変わり目のお知らせが定期圧と寒さと重なって、
満月の日に生きに来た、もう嫌だーっていう話をしたんですけど、
本当にこの満月の日を境に気持ちが沈んだり不安定になったり、
その不安定なのもマイナスの方で不安定っていうか、
漠然とした不安感と自分の自己嫌悪とイライラの3つでしかなかったりしてて、
今までの私ならマイナスな方の不安定さであることは割と通常状態だったので、
問題視っていうか、別な意味で不安感とかさ、そういう方をどうしてできない、どうせできないとかそういうのにばっかり行ってたから、
その、なんていうんだろう、その自分の状態、少し俯瞰で見た自分の状態っていうのをあんまりこう問題視はしてなかったんですよ。
ネガティブな時に考えてた思考はすごい問題視してたけど、
そういう状態であることっていうのは結構当たり前だったんで、
まあいつもの私であったんですよ。それはそれで、そのマイナスな感情でずっといることっていうのが。
でも前回ポッドキャストで話したように、前回のその10月12日とか、
その前後は結構調子が良かったんですよ。
めっちゃ楽しいなーっていうのをちゃんと享受できてて、
楽しいって考えずに楽しいと思ってて、なんか、ああいいなーっていう感覚で過ごせてたりとか、
今が一番っていう感じあったのに、急にまたネガティブな状態に戻ったなーっていうのを今感じてます。
感じてますっていうのもなんか変ですけど、ああまたかーってなってるっていうか、
やっぱり根本的なものが何もクリアになってないまま楽しさとかを味わっても、
そうやってさ、低気圧とか満月のせいに、まあ今はしてないとやってられないから、
低気圧とか満月とか季節の変わり目だから、そういうタイミング、タイミングでさ、
影響を受けてまたネガティブな方に行っちゃうのかなーみたいな風に思ってますね。
京都音楽博覧会の楽しみ
いやでも本当に満月の日以前まではちゃんと楽しめてて、
その前回チラッと言った京都音楽博覧会っていうくるりが主催のフェス、楽しんでました。
当たり前のことを当たり前に言ってるようにも聞こえますけど、
なんか今までの私ならその、楽しいっていうものを楽しまなきゃっていう意識が少なからず働いてたし、
なんか楽しかったとか好きだった良かったんだったら、なんかちゃんと言葉にしなきゃとか思ってたんですけど、
なんかその、京都音楽博覧会はこう、そういう公演でやってるフェスっていうこともあったり、
割と緩い感じのフェスっていうのもあって、
本当穏やかに楽しんでて、本当何も考えずに楽しんでたなーって思います。
お昼とかさ、夕飯とかそういう心配もあんまりしないで、
お腹減ったらフードのとこ行ってフード食べようとかさ、ちょっとビール美味しそうだからビール飲もうみたいな、
なんかそういう単純な純粋な行動ができてて、
自分的にはなんかそういう風な、
音楽ライブ、まあ好きで言ってはいたけど、
音楽ライブ行く時も、なんかああしなきゃこうしなきゃとかってギチギチの予定にしながらとか、
なんかちょっと潔癖症だったりするので、
そういうもう絶対手洗おうとかさ、こうどうしなきゃしなきゃみたいなのあんまり考えずに、
本当に純粋に音楽楽しんだし、気候も良くて、
その頃はまだ寒すぎもしないし、雨でもなかったし、
そう気候も良くてすごい楽しかったです。
羊文学が前、私は一番見たくて行ったんですけど、
それ以外のくるりがイタリアから読んだバンドの人たちのやつとかもなんかもう、
ああ音楽だーと思って、
言葉になってなさすぎるんですけど、
なんかいいなーっていうそういう体感だけでいられたんで、
すごい良い日でしたねあの日は。
それでこの京都音泊、私が行った1日目から3日経った10月15日かなに、
またライブに出かけたんですよ。
私はこのライブ、何も考えずにチケットを取ってて、
というかまぁ取り置きのスタイルだったから、
お金が先に払ってるんじゃなくて現地で払うやつなんですけど、
10月15日だと思わず、もうちょい後だろうなと思ってチケット取ったら10月15日だったっていうのを当日の朝気づいて、
なんかでもこの辺りからちょっと不安定かもなーみたいな、
自分の中で予報があったんで、ちょっと行くの迷ってたんですよ。
お金払ってない状態っていうのもあって、
ライブハウスの人からしたらやめてほしいやつなんですけど、
まぁ行くのをすごい迷ったけど、
まぁライブ行ってちょっと発散するかと思いながらライブハウス出かけて、
でこのライブはミユナっていうシンガーソングライターと、
藤高子っていうシンガーソングライター2人の2マンライブで、
私本当に何も考えずにチケットの取り置きしてたので、
スタンディングでギューギューになるスタイルだろうなと思って、
ライブハウスだからどうせって思ってたら、
あの席に座るスタイルでそんなに人数も多くなく、
まったり見れるアコースティック形式のライブだったんで、
なんか本当にそう何も考えずチケット取って、
ちょっと行くのを敬遠してた部分もあるけど、
そのさ、ライブライブしてなくてすごい良くて、
お客さんの数もなんか少ないからすごい温かい空気が流れてて、
結構そのアンコールとかがすごい自由な感じで楽しかったんですよ。
でこのライブもまた何も考えず楽しいと思えるライブで、
それでこのミユナっていうアーティストと、
私あの同い年で、たまたま高校生の時にミユナを知って、
その頃ちょうど多分カンビールとかグルグルっていう、
あのミユナの本当に代表曲になる曲が出たての頃で、
そうで当時本当にこのグルグルとカンビールが、
本当に知った時ずっとリピートしてた曲で、
そのミユナと自分が同い年で高校生の頃に知ったのに、
ミユナからカンビールっていう曲が出てるんですけど、
まあ高校生がサビの部分でカンビールを買ってって言ってるっていう、
まぁちょっとなんだろう、遊んでるような曲にも思えるんだけど、
でも一方でその真面目さとかっていうのもちゃんと感じられる曲で、
なんかそれがすごいビートに乗って聴かせられてて、
本当に当時の私は高校生っていうこの属性から抜け出したいっていう感覚もありながら、
でも一方でその大人にも別になりたくないなみたいな感覚が両立してたから、
本当にずっとリピートしてて、このカンビールって曲。
それで今回のそのライブはアコースティック形式で結構しっとりしてるし、
座り乱しどうなるかなーなんて思いながら、
私は事前にあのライブハウスのワンドリンク別のオーダーで、
そこのビールがサーバーからのじゃなくてカンビールだったんで、
キリンの本絞りかな、
ワンドリンクチケットと交換していて、
まぁやるかわかんないけどと思いながら、
でもそしたらミユナ2曲目にカンビールやってくれて、
結構ライブでは毎度カンビール乾杯するのお馴染みだったらしくて、
そう一緒にカンビール乾杯することができて、
めっちゃそれ嬉しかったです。
その同い年同士未成年高校生の頃からそのカンビールって曲聴いてて、
ライブの喜びと感謝
それがこう大人になってお酒飲める年齢になった今、
こう一緒に乾杯できるっていうのがめっちゃ嬉しかったなっていう。
なんかそういうことってその同窓会とかで嬉しく思うはずですよね。
あの一般のっていうか、他の子たちはって思ったんですけど、
私は今回のそのライブで、
昔高校生の頃未成年の頃聴いてた曲で一緒に乾杯できたっていうのがめっちゃ楽しかったですね。
そうあとその2マンだったんで藤田加子っていうシンガーソングライターのライブもあって、
ミユナの前に藤田加子のライブがあったんですけど、
めっちゃ良かった。
生音でやってくれて、マイクで拾わないスタイルで、
スピーカー、ライブハウスのでっかい音鳴るようなスピーカーから出さないであえてやってくれた曲があったり、
そういうスタイルでやってくれたし、
あと悲しくないよっていう曲が、たぶん彼女これから流し入れていくにあたってたぶん一番の表題曲になるであろう曲なんですけど、
その悲しくないよがやっぱりめっちゃ来まして、
すごい良いライブで、
それでその日チケット代分しか現金持ってってなかったんですよ。
そう、物販あるけど、
ペイペイかなんかでいけるかなーなんて思いながら行ったら、
全然電波入んないとこだからさ、
ペイペイダメで、
そう、全然物販買えなかったんですけど、
藤田加子のセトリーが売ってたんで、
それ、そう、小銭で買えたからさ、
それだけ買ってって、
その、物販ってちょっとだけ話す実感があるんですけど、
まぁ、三浦とも藤田加子ともちょっとだけ喋ってめっちゃ良いライブでしたとかさ、
三浦高校生の頃から聞いてて今日乾杯できてよかったですみたいな、
そういうの伝えられたんで、
よかったです。
思い出すとね、楽しくなってくるから、
よかったな。
一回気分落ち込んだけど、
もうでもなんかそのライブあったのに、
その思い出を持ったまま、
頑張れたらいいのに、
情緒は安定しなかったな、
マイナスな方に行っちゃったなっていうのが、
なんか自分的には悔しいことでもあって、
悲しいことであって、
なんかやっぱり根本的に解決しないとダメだなーって思ったりしています。
疎外感とコミュニティ作り
庭のやりとり
このコーナーでは私に庭に頂いたお便りを読んでいくコーナーです。
お便りが一通届いているので、
読んでいきたいと思います。
イカのお寿司さんという方から、
こんにちは、いつも放送を楽しみに聞かせていただいています。
前回の放送を聞いて、庭さんはとっても疎外観を抱えているのではないかと、
勝手ながらそういった印象を受けました。
音楽の話を気軽にできるコミュニティ作りがしたいと放送でお話されていたことから、
自分にとって心地の良い場所になかなか出会えない、
だから自らそういった環境を作りたいという思いが生まれたのではないかと、
邪推してしまいました。
庭さんと似たような思いが自分にもあり、
現実でサードプレイスのような環境及びコミュニティ作りが行えたらと無双していました。
なぜならそれは他ならない自分が疎外観を抱えているからです。
学生という身分を負え、社会人としてうまくやっていけるだろうか、
不安が募るばかりでした。
しかし、前回の放送で庭さんの思いを聞けて、
自分と似たような思いの人が存在してくれて、
少し疎外観が緩和されたような気がしました。
そして、庭さんのポッドキャストがすでに一つの居場所となっていて、
その居場所を今まで作り続けてくれたことへの感謝を伝えたかったです。
現実で居場所ができれば、それが一番最適なのですが、
でも今、庭さんの思いは放送越しにも伝わってきて、
それは大変嬉しいことです。
もしかしたら庭さんが疎外観を抱えているというのは勝手な決めつけで、
自分のこの尻滅裂な文章も伝わっていないかもしれません。
それでも放送を聞いて救われてきたことは紛れもない事実です。
今日まで放送を続けてくれてありがとうございます。
くればせながら100回放送おめでとうございました。
今後も放送が続いていくことを勝手ながら願っています。
孤独感の向き合い
丈夫失礼いたしました。
ということでお便りありがとうございます。
そうですね、本当にこういったお便りいただけるであるとか、
感想いただけるであるとかっていうことが、
前回私がようやく口に出して言ったやりたいことである、
そういうコミュニティ作りの第一歩というか、
このポッドキャストもそうやって自分の居場所を作る、
話せる場所を作るっていう意味で、
まあコミュニティの一つになっているなと実感する部分、
お便りや感想によってすごく支えられています。
今回その、いかのおすひさんがすごく気を使っていただきながら、
庭さんは疎外観を抱えているんじゃないかと、
そういった印象を受けましたって書いておられたんですけど、
このあんまり多くはない、
あの一人語りっていう形式でポッドキャスト始めたきっかけも、
どうでもいい話をする場所がないと思っていたっていうところから、
始まるから思っていたっていうか、
まあ実際そうだったんですよ。
自分の好きなものの話を誰かと合わせずできるとか、
自分がその会話での言葉の節々が気になるとかっていう、
そういうちょっとした話をできる場が、
やっぱりポッドキャストを始めた当時はなかったし、
始めてしばらく経ってからもなかったので、
なんだろうな。
そういう面ではどうにか話さなきゃみたいな、
話さないと私はやっていけないぞみたいなところから、
ポッドキャスト始めていました。
だから疎外観なんだろうな、
疎外観っていうワードがあってなくはないんですけど、
ポッドキャストを始めた頃の私はもうすでに、
疎外観のなんだろう、
一個先っていう言い方であっているのか、
何なのかわかんないんですけど、
大学生になって、
例えば同じ学科の人とそういうどうでもいい話しても意味がないだろうなっていう、
ようなふうに思っていたんですよ。
そこの根源的な理由っていうのが、
多分疎外観を感じていたからなんでしょうけど、
なんかもう私がこのポッドキャストを始めた頃は、
そういうコミュニケーションする上での諦め?
なんか疎外観っていうと、
ちょっとだけ周りに期待している部分もあるのかなと思っていて、
感覚ですけどね。
その三鴎すしさんが思っている疎外観の尺度と私の思っている疎外観の尺度って絶対違うので、
否定しているわけじゃないんですけど、
私が思うその疎外観っていうのは、
周囲の人間から避けられているような感じがする。
周囲の人間とは相入れない感じがするっていう、
あくまでそういうふうに周りからっていう軸の方が強いのかなっていう、
私の捉え方はそういう捉え方をしていて、
疎外観、そういう周りとは相入れないみたいな感覚が、
もちろん私も経験してはいたんですけど、
この2羽2羽2羽蟹2羽が拾いを始めた頃の私はもう、
なんかそういうことを少し、
周囲に対してのその、
周囲からっていう軸にもういなかったような気がします。
ちょっと今言葉を溜めてしまったので、
伝わってないと思うんですけど、
大学生になる頃にはもう、
なんていうか、疎外観っていう、
周り頼りの感覚というよりかはなんかもう、
大学生活始めた頃の私はもうすでに、
高校生の頃までの知人が誰一人いないところに来たので、
もう誰とも関わらない方がいいというか、
誰かと関わってもどうせうまくいかないっていうのが一番最初に来ていたから、
もう大学生になった頃の私はなんかもう、
周囲からっていうのを軸に置いた感覚っていうのはあんまりなくなってました。
その、なんだろう、孤独っていうものに関して見れば。
そう、喋ってもしょうがないからっていうのがすごくあって、
会話の返答とか会話のリアクションっていうものが、
なんかすごい怖かった時期もあったから、
なんかもう疎外観って感覚じゃないなーって思ってた。
違う、違う、その、
で、もともとは多分大学生になる前、
ここ1年ぐらいまでは多分強く疎外観っていうものを感じてたなっていう記憶はあって、
それがこうずっといろんなところで、
友達がどう喋っても一人ぼっちだなーとか、
なんかちょっと壁があるように感じるなーとか、
両親と喋っていても、
なんとなく本心で話せなくなったなーとかそういうのがあったから、
疎外観っていうのは絶対積み重なってきてて、私は。
だから、そう。
根源的にあるものは多分疎外観で間違いないんだけど、
こう、今というか大学生になってから感じていた孤独感みたいなものは、
そういうある程度他人が軸に来た孤独感じゃなくて、
自分が一人だというかさ、もう諦めきっていたものから来る孤独感なので、
なんか久しぶりにその疎外観っていうものと向き合いました。
寒さと不安
いやまあ多分その、いかのおすしさんの言う疎外観っていうのと、
私の思う疎外観っていうのが絶対尺度違うから、
いかのおすしさんはもっと私が今言ったような諦めも入った孤独感みたいなのまで含めて疎外観って言ってるかもしれないんですけど、
私はなんかそういうね細かいところを考えちゃうから、
なんか疎外観って言われると今の私はしっくりこない。
でもまあ根源的には疎外観だったかなっていうふうに今振り返ってみれば思います。
その疎外観が積み重なって、もうすべて人間関係どうせ無理、会話しても仕方がないみたいな気持ちがあるっていう状態のその孤独感っていうものはね、
ここまでの私のそういう状態を見たら絶対仕方のない時間だったんだけどさ。
でもやっぱ自分でそうやって思い込んでたこと認知の歪みでもあるから、
どうにか早く、もっと早く打破できたらよかったのにとか、やっぱ思っちゃいますけど。
でもそういう必要な自分を多分守るためにさ、すごい尖って周りに近寄ってくんなみたいな思い出してて。
自分をある意味では守るためだったんだけど。だからね、仕方のない考え方、歪み方なんだけど。
一方でそのキラキラした学生生活みたいなの、ちゃんと僕そんな考えしなかったら遅れたんじゃないかなとか、そういう後悔は募るばかりで。
ずっと過去の後悔しか私は蓄積させられないのかな、人生においてとかって思う。悲しくなります。
だって大学時代はさ、高校生の頃の私がずっと引っかかってて、それがクリアになったのもやっと大学の3年の終わり頃でとか、
多分もしこれからがあるとしたらさ、大学時代もっと前にそうやって自分で決めた孤独感っていうのをもっと早く晴らしておけばよかったとかって思うのかな。
これから先にもまた過去の後悔が来るって思うのと同時に、
今いかぬおすいさんと同じように学生生活を終えて、社会人としてやっていけるかっていう不安感、先の見えなさがあって、
過去の後悔をさ、ずっと抱えたままなのにさ、この先やっていけるかっていう不安感でいっぱいになって、もうしんどいですね。
私は来年の4月どこにいるんだろう。もし仮にその社会人としての場所が決まったとして、そこでうまくやっていけるのかっていう不安がやっぱりあるし、
まあまあそこでうまくやっていけなかったとしても、その家と職場以外で自分の居場所を見つけられたらいいなぁなんて思うけど、
その社会人になったら学生であるっていう状況と全然違って、時間がなくて、私には体力も本当にないので、
時間と体力がないんであればさ、家と職場の行き来しかできなくて、自分の居場所となる場所を探せない、見つけられない、どうせないってなるんじゃないかって、
思って、そういう不安でいっぱいになります。
お便り会いつも暗くしてしまってすみません。
でもお便り会だからこそこう、また別な角度から自分と向き合って話しているっていう側面が大きいです。
お便りいただけるとすごくいろんな視点があるのでありがたいです。ありがとうございます。
そろそろ第106回目を終えようとしているところです。
今回はお便り会と、最近のこの満月、低気圧、寒さのトリプルセットで急に季節が変わって、
居場所作りの願望
今まで楽しいってはっちゃけられていたことができなくなっちゃったっていう、笑い事じゃないな、そんな話をしました。
本当に、私は今でもこれ以上沈むのが怖いというか、そこに対する不安感が今はいっぱいになってます。
前回私がやりたいって言ったこと、その居場所を作りたい、話せる場を作りたいっていう話は本気で思ってるけど、
でも結局空想で終わってしまうのかなーって思って、ちょっと悲しさと悔しさがあります。
お便りにもあったんですけど、やっぱそういう居場所作りって基本的にはサードプレースというか、
家と職場以外の場所っていうものにしかならないって考えたら、いろんなやっぱ難しい側面があるよなーって思うし、
でも今の私というかさ、根源的には疎外感があって、大学生になってからはもう自分で決めた。
決めたっていうか、どうせ無理と思うしかなかった孤独感があった人が居場所作りたいって思っていたという事実だけ、
あるっていう状態、とりあえず残しておきたいと思います。
変な終わり方ですが、また荷の付く日には庭がにわかに広い庭を開きますので、お楽しみに。
では。