2月2日、第116回目の、丹羽には、にわかに庭が広い。です。
2月になっていました。気づいたら。
いやー、たぶん1月が、なんだか本当にぼっとしているうちに過ぎていって、
だから2月はね、もっと早いんだろうなぁと思います。
毎年この1、2、3月って、その小学校の校長先生が言ってそうな、
1月はイク、2月はニゲル、3月はサルのやつを、たぶん言うことになるよなぁっていうぐらい早いですね。
いつもどの月でも早いんですけど、なんかこの、そのいわゆる三学期みたいな期間って、
一番なんか、気持ち的にすごいそわそわする、次の学年とか次の段階っていうのがあって、
気持ち的にそわそわするのと、なんか終わりっていう気持ちとで、
なんか、いつもこの時期が一番、私はなんかもやーっとしてました。
まあ、気持ち的にそうなる理由も寒いからなのかなぁとは思いますけどね。
なんかここ数日、急にお店屋さん、カルディコーヒーとかで、チョコレート多くなったなぁってなんか思ってて、
で、それ1月31日まではなんかチョコ多いなぁって思うだけだったんですけど、
2月に入って、あ、そうじゃん、バレンタインデーがあるじゃんって思って、
なんか、何なんですかね、多分1月の末ぐらいからチョコレートフェアみたいなのはいろんなお店始まってたのに、
なんか、ただチョコ多いなって感じてただけで、
2月入って、やっとその2月14日のバレンタインデーイベントだっていうスイッチが入りました。
入りましたっていうか、その2月になって急にこう自分の認知がそれになったのが、なんか自分で今不思議で、
なんか多分本当にこう、バレンタインデーを気にかけている人ってきっとその、
1月末ぐらいのチョコレートフェアを見て、あってすぐ1月の時点で気づくんだろうなぁとは思うんですけど、
2月1日になって気づいた私はギリ季節感から遅れてないぞと思っていますね。
いやもう、なんかバレンタインデーってしばらく関わりがないですね。
なんか小学校の頃が一番ピークというか、
その、なんか分かんないですけど、子供が初めてお菓子作りとかそういうのをするタイミングって意外とバレンタインデーなんじゃないのかな?
まぁ女の子はっていう言い方になっちゃいますけど、って思いますね。
カルディコーヒーの今年の売ってるチョコレート見てたら、
いろんな形を模した缶に入っているチョコみたいなのの展開が何となく多く見えて、あれ可愛いなぁって思ってました。
他のそういうバラエティーグッズのところでもそういう缶の形が残るものが残ってて、なんかそういう感じなのかなぁって思ってましたね。
そんなにこうチョコレート売ってたりとか手作りキット売ってたりすると買いたくなったりはしますけど、
買うとしても既製品かなぁって思いながら、すっごい美味しいお店のチョコレートとか食べてみたいなぁっていう気持ちにはなったりしますね。
そんなバレンタインデーに褒美欲をすごくそそられ始めている2月の初めです。
その次の段階への焦り不安とか、それもあるんですけど、なんかその感じの一因に多分もっと早く何かできてたらよかったのにっていうのが結構引っかかってる感じは自分であるんですよね。
なんかそれはその、今までこのホットキャストで言ってた高校生までの話とかではもうなくて、自分的には。
まあでもそれもあるのかな。そこがクリアだったら、その大学1年児からもっと明るく入れたのになーっていうのはどうしてもあるから、その高校生の頃の話を全く切れるわけじゃないけど。
なんか大学3年の後半とかから急に人と話せるようになってきたから、やっぱ1年の頃からそうしてたらもっと違った大学生活だっただろうなーって思う自分が1回いてじわっと来るんですよ目元に。
で、でもまあその、例えば大学1年がまあ一番ピークだったんですけど、1年2年ぐらいまでは言ってもまあコロナ禍だったから他の年代に比べたら
まあみんな同じぐらいで、その中の一人だと考えたらまあ納得しないこともないかなーとか思うけど、
大学入学の頃に、そのやっぱり多分高校生の感じを引きずっていたので、まだ既視念度があって、なんかだからあんまり人と接していない方がなんかこう矛盾にならないんですよ。
そういう人生どうでもいいって思う気持ちが人と接さないっていうのってなんか矛盾にならないじゃないですか。
自分みたいなやつが人と接しちゃダメだって思ったり、なんかそういう自分に対するこの信じる力肯定感とかもないし、
なんかそういう状態だからさ、人のこともすごい疑り深く見ちゃうし、なんかそもそもこういう関係の輪を広げるのはしんどいなーって思ったりとかしてた時期だったから、
なんかその大学側も大学側ですごいコロナ禍だからって言って配慮してくれて、その接触の機会はすごい少ないけど、
少人数でなんとか大学行けるみたいなようにする状態になってたりとか、なんかそういう状態でもできるこういう関係をなんかどうにかやろうとしてたりとかがあったり、
結構その教授というか先生たちも柔らかい人が多かったので、
なんか本当にあったかい雰囲気なのに、私は自分の一貫性というかさ矛盾にならないようにするために、
もう誰も信じれないし、自分のことも嫌だし、人も嫌だし、だからこういう関係がなかったんですよ。
冷静に考えたらさ、今思えばわかるんだけど、絶対その学校側はすごいあったかい雰囲気だった。
学校側っていうか周りの学科の同じ学科の子とかは全然あったかい雰囲気だったのに、
私だけがそんな状態だったから、あったかい雰囲気っていうこともなんか変に疑って気持ち悪く感じたりとかしてて、
今卒論の発表会の日に、なんか私そうやって初期の頃過ごしてたからさ、
仲いい友達とか特定のなんか吊るむ人とかいないんで、なんか結構自由に見てもらったんですけど、
会場、教室結構5個ぐらいに分けてやったのを、全教室移動していろんな人の見てて、
このゼミの先生の生徒はこんな雰囲気かとかみたいなのを味わいながら見てたんですけど、
どこのゼミだって、そんなにこう冷たい感じとかさ、学問一極集中ですみたいな感じとかもないのよ。
本当に初期の大学1年、2年ぐらいまでのこの私が、そういうなんかもう自分のその眼鏡が曇ってただけだったんだなって思うんですよね。
なんか今、自分なんかどうでもいいやっていう状態を保つために、あんなに温かいところだったのに人と接しないみたいな話をしたんですけど、
なんかその裏にも矛盾があって、なんかこう学生団体サークルとかには1年の頃から入ってみたりするし、
学内のバイトも始めてみたり、学外のバイトもちょっとやってみたり、そう学内のイベント班とかにちょっと入ってみたりとかもしてる。
そのキモい矛盾はあって、なんか自分なんかどうでもいいってすごい思ってるのに、なんでそういう感じにはなれたのかなぁ。
でも結局なんかどれもポジティブな感じで関わりにはいけてないから、まぁあれですけどね。
卒業間際、4回生になって、なんかちゃんと1年の頃から入ってたサークル、バイトなどなどに顔を出してはいっぱい喋って、
個人的に会ったりご飯食べたりしてとかって、今になってやっとできるようになって、
なんかそこの変化も感じつつ、なんか前にポッドキャストでも波が怖い、次下がるとしたら高校生の時ぐらいがそれ以上に落ち込むんじゃないかみたいなことを言ってたと思うんですけど、
なんかそういう波もそうだし、そういうんじゃなくて、
純粋にもともと自分が人と接さないを選んでたりとか、喋らないとか、信じない、自分のことも相手のことも信じない、信じられないみたいな状態だったのが強すぎて、
そもそもとしてそのダメな状態がベースにありながら、今のなんか意外と喋れてるなーとか笑えてるなーっていう状態があるから、
なんかそのそのそっち側を貫けなかった自分があんまり好きじゃなかったりもする時もある。
なんかすごい遠曲にしちゃったんですけど、ずっと喋らないなら喋らないキャラでいればよかったのにとか、
いかないならいかないでやめるとかすればよかったのにとかを思ったりする。
その中途半端な時期からさ、そんななったってさ何の意味もないだろうってそのマイナス側の私がずっと言ってる。
なんかあの時のなんだろう、自分のそのマイナスな感じのままいたらどうなってたのかなーみたいなのを考えたりとか。
だってどうせ多分私のことだからさ、もう1回大学1年のあの頃にタイムマシンで戻れたとしてもなんか明るくは振る舞えてないと思うから、
なんかだったらそんな中途半端に途中から喋るようにならずにずっと一貫して喋らない人を頼らないとか、
中途半端にサークルに入らないとかそういうのをしてたらどうなってたかなーみたいなことを考えたりもする。
なんかもっと早く人と話せればよかったなっていうのよりかはどうせそれが無理だっただろうなっていう方に今いる。
どっちかになりたかった。
なんか自分がそういう言葉嫌いなくせに今はすごいそれに頼りたいけど、
陰キャか陽キャかで一貫したかった。
なんか今の自分キモってすごい思う。
だからどっちでもないのがすごい嫌というか、よくは思えなくて。
そう、そもそもそのどっちか一貫したかったとは思うけど、
なんかどうせそうなれないんだったら、なんかもういいやーみたいな気持ちに今なってるなー。
いい意味じゃないそのもういいやーの気持ちが。
もうちょっとだけその、なんか最近の自分の感じを話すと、
学内のアルバイトが、授業がもう終わる関係で最後の人も結構いたんですよ。
で、同じ4年生の子がいて、
で、バイトの歴で言うとその子は4年になってから入ったからまあ新人みたいな感じだったんですけど、
なんかこういろいろ日使わせたなーって思ったりしてたし、
オープニングで言ったみたいな、なんかチョコレートのシーズン、
なんかその時は気づかなかったんですけど1月だったから。
なんかチョコレート多いなーと思って、
小さい小包装の結構立派なチョコレートとあとボールペンを買って包んだんですよ。
買って帰る頃まではすごい自分も気持ち的になんかこうハッピーだったんですよ。
ハッピー、なんか人にね物を渡すから、
なんかこうそういうこう文筆が多分あるんだと思うんですけど、
ためになるぞーみたいななんかそういう気持ちにもなってたりして、
結構楽しくお買い物というかなんかこう選んだりしたし、
メッセージもその包む時までなんて書こうかなって思いながらいたんですけど、
なんかそれを包み終わって、
急に何やってんだろうなー、なんか自分のこともままならない、
なんか自分なんかどうせみたいな、なんか自分のこともなんかすごいダメだなーって思ってるやつが、
なんで人にそのなんか気を使わせたからみたいな理由で物を渡そうとしてるんだろう、
なんかすごい傲慢だなぁと思って、めちゃくちゃ自分が嫌いになって、
その買い物して包んでとかやった後で、
なんかそういう行為をしている自分があんまりにも好きじゃないというか、
その瞬間はいいと思っていることもその後でなんか、
なんでこう自分のさ、こともうまくできないのに人には気を使わせたとか、
そういうふうに思うのかな、
めちゃくちゃだなーって思って、すごい嫌な気持ちになってて、
なんかそういうところからちょっとずつ始まってますね、
自分の一貫したかったなーとかしたかったもそうだし、
今も一貫してない自分がいるからさ、
そうやってそのねプレゼント選んでる時はいいけど、
その後でこうなっちゃうみたいな気持ち悪いのもそうだし、
ダメですね。
どうしてもそういうその大学生活終わるなーみたいなのを考える時期だから、
振り返ってみてしまうんですけど、
それはまあしょうがないとしてもさ、
なんかその、それをこうハッピーエンドに解釈しようと自分でできない、
その情けなさとかも考えるし、
その矛盾がどうのこうの言ってそれが嫌とか言ってさ、
ハッピーエンドにできないのも、それも嫌だし、
電話なんか陰キャでも陽キャでもなかったみたいなのとか、
プレゼント買うところまで良かったのに後から傲慢だなとか思って気持ち悪くなるとかさ、
なんか今全部が嫌になってる、
なんか暗い話になってしまったんですけど、
こういう捉え方になっちゃうなって思います。