1. 丹羽には、にわかに庭が広い。
  2. 社会の流れ、季節の変わり目
2025-07-02 51:52

社会の流れ、季節の変わり目

4 Comments

一カ月ぶりな丹羽です。

期間を空けたせいではなく、間が多いので長くなってしまいました。

相変わらずなような、変わったような丹羽さんであります。

社会の大きな流れに乗れなかったら社会不適合だ

責任怖い

将来不安

大人怖いし嫌い

誰も信頼できない

わからない怖い

全てはほぐせないまま、季節が変わりました。


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サマリー

このエピソードでは、衣替えや梅雨、急激な気温変化を通じて四季の移ろいについて語られています。また、ポッドキャストの収録の再開やサブイベントでの経験、社会人としての新たなスタートについても触れられています。社会人になることへの不安やパート勤務を通じて学びを考える内容です。主に、インターンシップの経験や占いによる将来の不安について話されています。さらに、大学卒業後の就職活動や社会での適応に関する葛藤についても探求されています。特に、社会不適合者とされることへの気持ちや、社会の流れに乗ることの難しさ、そしてその中での個人の選択について語られています。

季節の移り変わり
7月2日、第128回目の、にわにわにわかに庭が広い。です。
127回目の放送から、丸1ヶ月が空いてしまったのかな?
5月22の回から、6月は一度も、あのー、ポッドキャストを配信はせずにおりました。
この6月1ヶ月、何もポッドキャストとしては、やってなかった間に、
まあ、私としても目まぐるしくいろんなことが起こったし、急に夏になりましたね。
私は、なんか5月末ぐらいから、半袖をちらちら出し始めてはいたんですけど、
完全な衣替えを完了させたのが、本当に6月の22なんですよ。
まあ、いろいろバタバタしてたのもあって、なかなかこう、全部の棚の長袖半袖を入れ替えるが全くできてなくて、
もうね、5月の末ぐらいから6月の中頃にかけてが、一番この押し入れとかタンスとかが汚くて汚くて。
汚いっていうか、でもしょうがないよなーって、なんか朝寒いし、
なんか、ね、なんかまだ長袖着たいなーっていう時期もあったし、
なんかお店はすっごいキンキンに冷えてるけど、外暑いし、みたいな日もあったし、
なんか雨とか風とか、そういうのが激しすぎる時はちょっと、まだ半袖着たくないなーって思ったりもしてたので、
全然、なんか完全な衣替えができないまま、
これもし、なんか7月とかでもこの浮き沈みの激しい天気だったら、
私は長袖と半袖を半分ずつ出して、この汚い状態になるかもしれないって思ったら、
ちゃんと季節は巡るもので、
ちゃんとこう梅雨が、去年は全くなかったようなね梅雨、すごい雨もなくて暑すぎて、みたいな感じだったんですけど、
今年はちゃんとこう雨が降る期間があったし、
まあ梅雨の期間は短かったけど、なんか梅雨入りする前から結構雨の日は多かったから、
まあそういうのもあって、
ね、ちゃんと季節は巡るなーって思ってました。
ただ、あれですよね、その急に暑くなりすぎではあるなーっていうか、
なんか昔だったら28度になったらエアコンつけようって決めてたのがその期間が全然なかったりとか、
急に30度になってみたりっていうのが起こるから、
その辺の体温調節がすごい難しい時期を経て、
まあ季節は夏になってしまっていますね。
ポッドキャスト収録の再開
私は、あの、四季で言ったら夏が多分一番好きです。
洗濯物の乾きも早いし、日照時間が長いし、
まあ暑すぎて行動できないって日もあるけど、
なんかエアコンをつけた部屋にいるのもまあ嫌いじゃないし、
暑すぎて行動できないって言いながらもやっぱ日照時間長いから、
結構出かけてみたり夏が一番してるなーという感じだし、
プレイリストも楽しいので、夏が一番好きです。
はい、ということで、季節は変わりました。
そんな7月です。
にわのようけい上、このコーナーでは私にわの最近あった出来事をお話しするコーナーです。
ということで、1ヶ月も空いてしまったにわのようけい上、最近あった出来事なんですけど、
6月の話をしようかなと思ってて、
1ヶ月も空いちゃったからマイクに向かうの緊張するかなーなんて思ってたら、
まあそんなこともなくて、
あ、でも冷静に考えたら私は6月の2日は完全に収録もしてないんですけど、
12日はちょっと撮ったりしてたんですよ実は。
でもなんかにわさんっぽくないなーっていうか、
なんかテンション感が落ち着きがなかったりとか、
割と今もテンション高めるかなと思うんですけど、
なんか全然こう、なんかいつもの感じじゃないなーと思ってて。
そう、でいつものBGMにしちゃうと合わないなーとかなんかそういうのもあって、
でも全然なんか最初から最後まで撮れたわけじゃなくて、
ちょっと喋ってみて、エンジンかかったら撮り切ろうっていうような感じで12日とかはいたんですけど、
それでもやっぱり撮ってみて、なんか違うなーって思ったりしてて。
でまぁ22とかもちょっと撮ってみてなんか違うなーってなったりしてて、
って感じだったんで、マイクに向かうこと自体はそんなに久しぶりじゃないっていう感じではあります。
その6月1ヶ月まるまるボトキャストはできてなかったんですけど、
私の中で2のつく日を、なんだろう、ラッキーでみたいな、なんだろうな。
まぁちょっと特別な日にしようっていう気持ちがあって、
収録するしないに関わらず、2のつく日っていうのを、
まぁちょっと自分の中でテンション上げる日みたいにしたいなっていうのはあったんで、
まぁちょっとパパパパって2日12日22日に何があったか喋ると、
6月の2日は占いに行きました。
で、6月の12日はエレキギターを買いました。
で、6月の22日は特にそんな大きい出来事もなかったんですけど、
そうやって衣替えを管理をさせたりとか、
まぁあと万博のチケット取ったりとかして、
まぁ実は6月の27日、夕方からっていう一番安いチケットで万博行ったりもしたっていう。
結構6月は2のつく日をスペシャルデーにしたこともあって、
行動的な1ヶ月ではありましたね。
社会人としての新たな挑戦
まぁ6月2日の占いの話とか、12日のエレキギター買った話とか、
すごいたくさんしたい話もあるんですけど、
一番大きいところがあって、
7月の1日、昨日からですね、
私はちゃんと社会人、社会人っていう言い方は良くないな。
私が何かのバイアスにかかってるみたいだな。
何だろうな。
社員になりました。
大学を卒業するにあたって、
すごく何だろうな。
いろんなことをAにする、Bにする。
AとB両方したい、AとB両方したくない。
それ以前に生きてたい、生きてたくない。
とかまぁそういうことがいろいろあって、
葛藤って言葉で括るには大きすぎるものがずっとあったんですよ。
そういうのがありまして、
私は大学を卒業するにあたって、
そのこのポッドキャストでも何度も喋ってるんですけど、
大学のその1,2回生の頃はううってしてて、
全く誰とも喋らなくて、
だからポッドキャストやり始めたみたいなところもありつつ、
だんだん3回生の終わりぐらいにかけてから喋れるようになってみたいな感じだったので、
何て言うんだろうな。
その生きたい、死にたいっていう2つがあるとしたら、
高校生の時よりはまぁ生きてたいかなっていうところが基本的にできてたんですよ。
もしなんかうまく生きれなかったとしても、
もうちょっとなんか自分で生活してみたいみたいなところはあって、
この自分でっていうのは、あのー何て言うのだろうな。
甘えないでとかそういう意味でもなんでもなくて、
まぁちょっと生きてみたいなっていう気持ちが自分から湧いたっていう意味で言ってるんですけど、
そういうことから考えることに始まり、
実家に帰る、帰らない、帰りたい、帰りたくない、
うーん、自分の精神とか身体の状態的に帰った方がいい、帰るべきだ、
いや帰りたくないとかいうところにもいて、
で、さらに言えば、
1個内定があったりしたんですけど、
やっぱり京都にいたいなって思って、
その理由とかはなんか別に深いものはないんだけど、
でも京都にいたいんだけど、自分の生きる、死ぬ、生活するを考えたら、
やっぱ実家に帰るべきなんじゃないかなとか、
わーって、わーって、ずーっとなってて、
まぁずるずるやってたわけですよ。
でまぁ、そういうことをやっている間に何回もハローワークの人と喋ったり、
まぁ大学1年の頃からずっと毎週行ってた大学の相談室の人とも色々喋ったり、
結構なんだろう、生きたい、死にたい、どっちかわかんないけど、
でも高校生の頃よりは生きたいかもってなったから、
ちゃんと心情ないかに通ったりとか、
大学の4年の後半ぐらいからね、全然元気にはなってきたんだけど、
ちゃんと生きてたいと思って病院通ったりしてて、
まぁそんなぐちゃぐちゃぐちゃーってずーっとやってて、
もう本当に2月ですよ、大学卒業するってなってるのに、
私はもうね卒論も出しちゃったし、なんか単位取れちゃったし、
休学もできないから、卒業するってなっちゃって、
2月に、やっぱひょっと痛いなーって、
自分の精神状態とか、なんか身体のものはあまり良くないかもしれないけど、
なんかでも実家に帰って、うーって、
あの実家の部屋でいる、別にすごく嫌だったわけじゃないんだけど、
いろんなものがこう複雑に絡み合った部屋になってしまったので、
まぁまぁまぁ、そこにいるよりかは、こっち京都にいたほうがいいなと思って、
2月になんでもいいから仕事見つけようと思って、
もうアルバイトでも派遣でも、なんかなんでも受けてて、
はい、で、なんかね、
今考えりゃおかしかったんですけど、
それでアルバイトの面接受けて、
だいたい1週間ぐらい採用結果出るまでにかかるはずなんだけど、
それはもう翌日の朝9時に電話がかかってきて、
採用ってなったアルバイトパート先に、
2月の、まぁいろいろ卒業とかもあるんで、2月の28から働きますみたいになって、
そっから3月、4月、5月、また6月と、
そこのアルバイトパート先にいたんですよ。
まぁ、そこでも別に、こう、
自分の、自分で働いて、そのお金で家賃払って生活する、
いろんなもの払って生活するとか、
まぁ働き、お金だけじゃなくてさ、時間の使い方とか、体力の残し方とか、
いろいろあるわけじゃないですか。
まぁまぁ、最初は、3から始めて、4にして、5にしたあたりで、
めちゃくちゃコロナっぽいものにかかって、結局4になるみたいなことをやってたんですけど、
まぁ、そういうこう、生活基盤を一応、
大学じゃないものにバッて新しくなったからといってさ、
気持ちの面とかが全部切り替わるわけじゃないし、
なんかこう、そんな選択を取った自分をすごい責めてたりもしたんですよ。
まぁ自分が悪いんだけどさ、ずっと、
ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃやってずるずるやってたから、
パートになってとか、いろいろ考えておいてとかもすごい責めたりしてて、
そこでも一回、あんま安定しないなぁみたいな気持ちにもなったりはしたんですけど、
なんだろう、なんかこう、
まぁそれ、そこの自分の気持ちの面と、
まぁあとはその、お仕事内容?お仕事先?で、
なんか、恐ろしいぐらいアナログだったりとか、
まぁその結果として、うん、
8時間労働9時間拘束なのに、プラス1時間残業してるとか、
でも結局それが、あの、意味のないものだったって、
私が風邪をひく直前ぐらいに分かったりして、
何なんだーってなったりとか、
もうすごいいろんなことが、まぁまぁ働くってそういうことかって思いながらも、
ちょっとなーっていうところもあったし、
そこの求人、
今もね、スクショ残ってて見返すんですけど、
社員登用ありって書いてあったのに、具体的な制度がなかったりとか、
まぁまぁだいたいそういうとこも多いんですけど、制度ないだけじゃなくて、
なんか私が入った、
だから2月の頭ぐらいまで行った方が、
半年いた25歳ぐらいの若い方で、社員登用を目指して週5で頑張ってたらしいんですけど、
まぁそれを、なんか長くいる方が、なんか止めちゃったりとか、
そういう話を、なんかこう巡り巡って聞かされてすごく不安にもなってとか、
まぁいろんなことがあって、でも結局この会社は、
なんか最終的に、
まぁまぁまぁ、いろいろな経験をすごく打つんだなっていうことにもなって、
まぁ一緒に働いてたパートさん達、全員40代以上で、
なんか本当に一回り二回りか、えとーとかで言ったらちょうど違うねとか、
もうなんか、そうすごい下手したらなんか娘だねーみたいな感じで接してくれて、
最終的にすごい、いろいろ応援してくれたから、
働いてる方々はすごくよくしてもらったっていうのもあったし、
まぁ本当にここで3ヶ月かな、まるまるで言ったら3ヶ月と、まぁちょっと4ヶ月ぐらいしか言い入れなかったんですけど、
なんか全部やってたなぁと思って、
全部はあのね、絶対違うんだけど、
なんかいろいろ自分と同世代、同年齢だったりする人たちとか、
パート勤務の経験
まぁそれこそ、その同じパートさん、同じ職場のパートさんの中で、
3人は私と同月、2月に入った方だったりしてて、
その3人とよく喋ってて、
なんか偉い業務多いなぁとか、
なんか普通この非正規にここまでやらせないし、残業になるんだったら帰らせたりするよねーとか、
なんかもう友達にもそういうこと言われたりして、
確かにそれがパートタイム勤務を選んでいる理由というか、
そういう理由で、だから主婦の方とかがね、パートさんって言ったら多かったりとか、
ね、選択としてそういうことを、まぁ自ら選んでいる方がいるから、
そういう風な勤務が多いのに、ここはなんかみんなパートさんがね優しいからというか、
そういう感じで、とかパートアルバイトで募集してるのに、
週5、8時間で入れる人、
週4、まぁまたは3、8時間で入れる人のみを募集かけてるとか、
なんかもうそんな感じだったんですよ。
うん、本当に全部だなーっていう感じだったから、
なんかもう自分の体力の加減、免疫力の感じ、
まぁあと向き不向きとか、なんか自然にやっちゃうことって何かなーとかよく考えられたし、
まぁあと一番大きいところが、私このストレートになんかどっか社員として入ってたら、
お金回りのこと何もこう考えずに、
あ、これが給与かこれが手取りかーってなってたなーと思って、
パートアルバイトの経験だからこそ、
あ、1ヶ月目は惹かれてないのに、2ヶ月目惹かれるんだーとか、
あ、もう1ヶ月目からこんなにあの、所得税は惹かれるんだーとか、そういうのも考えたし、
まぁある意味それはね、生活費と給与がギリギリだったから通帳とにらめっこしてたみたいなところになってくるのかもしれないけど、
結構そのパート経験、派遣とかの経験長い同じパートさんとすごい喋って、
雇用保険がどうだとか、年金がどうだとかっていう話をしてて、すごい勉強にはなってました。
就職活動の不安
まぁ本当にそういうところも勉強できたし、自分の体力とかも上がったし、
まぁ良かったなーって思ってますね。
まぁでもこれを言うと、なんかお金回りのこともそうだし、体力とか、
まぁ働くってこういうことなんだなーっていうのをわかるって言う上では、なんか大学時代に1日8時間働くことをインターンシップで経験してみるとか、
やれば良かったじゃんって言われたり、まぁ自分もやれば良かったのかなーって思ったりもするんですよ。
それは人と比べて思うんですけど、
うーん、何だろうこの、すごい、私はそもそもこの、何だろう、難しいですよ。
今の就職活動の、この大きい枠に、そもそも、なんかインターンとかもそういう感じに全然なってなかったし、
多分最初の感じがずっとあったから、最初にも話したような、頭のこの不安感とかがすごくあったので、結構動けなかったし、
それこそみんなが、大学生が就活しだす3回生、2回生の終わりぐらいから、っていうのがだいたいそうなんですけど、
なんかね、そのあたりというか、3年の後半まで、うーってしてたから、そんな、将来を考えるってフェーズにいなくて、過去を恨むっていうフェーズにいたのよ、ずっと。
だから、ね、そんな状態じゃなかったしっていうのもあるし、
うん、そうね、そういうことを考えてました。
だから、でもなんて言うんだろう、このインターンシップで経験する、1日8時間労働とか、まあ8時間じゃないかもしれなくて、
週に3回4時間勤務とか、そういうインターンかもしれないんだけど、アルバイトの代わりにインターン行くみたいな人も多いから、
なんかでも、インターンシップで経験するものと、こうやって、まあちょっと首をかしげってしまうようなこともあったかもしれないところで、
まあパートみたいな形で働いていたこととっていうのは、
多分、なんか、その、社会人経験を積むっていう意味では一緒なのかもしれないけど、なんか、中身も、その、
なんて言うんだろう、就活の枠の中の、まあ大学生のインターンシップって、そういう就活の枠の中のものだから、
そういう中のものにあるものと、なんか違うなーってすごく思ってて、
普通インターン、なんか、大学卒業とか学校卒業した後もインターンシップっていうものはあるじゃないですか、この会社を経験するみたいな意味でインターンシップって結構あったりもして、
そうそう、で、それってその、何だろう、社員登用割のところでパートアルバイトするのと、まあ意味が全く一緒なような企業もあれば、
あの、全然違うようなところもあったり、なんかいろいろあるなーっていうのも結構面白いし、そう。
でもなんかその、大学生の間のインターンシップでの経験って、すごく就活のレールのためにやっているものっていう意味合いがすごく大きいから、
今は。どこでインターンしたかとか、インターンシップするにあたっても自己分析して、こういう企業がいいからっていう企業を探索して、
その結果インターンでも落ちる落ちらないとかいろいろあるから、もうすごく就活のためのお仕事を経験するわっていう感じになってて、
なんか、そう。それをやっておけばよかったんだろうなっていうところも確かにあるけど、でも自分の大学3年とか2年の後半とかの状態を考えたら絶対できてないし、
占いと未来への見通し
もうこのフォトキャスト聞いててもそんな状態にはいないので、もうね、だからもし仮に無理矢理やってたとしても、多分いいものにはなってなかったから、
だからこういう形で会社、企業を経験できたっていうのは面白かったなってすごい思ってるし、
面白かったです。無理矢理良い方向にいようとしている節ももちろんあるかもしれないんだけど、
なんか働くことに対して、私はすごく社会に出ること、社会人への不安が強かったので、
それがこう、なんかこう、少しずつ削ぎ落とされていった感じはありました。
はい、ちょっとだいぶ長くはなってしまったんですけど、
ちょっともうちょっとだけ、なんだろう、自分の社会の話、社会の話っていうか、
なんかこういう話を続けたくて、まぁギター買った話とかもしたいんですけど、
なんかまぁまぁもうちょっとだけ喋ろうかなと思っていて、
その徐々にアルバイト、パートカーとして8時間の勤務をしていって、徐々に徐々に働くこと、
社会人になること、仕事をすること、すごいがんじがらめなんじゃないかって思ってたこう、責任の部分とか、
なんかそういうのがね、ほろほろほろってほぐれてった感覚はありまして。
で、でももうその、
突如その、今まで残業してたものが意味ないって言われてみたりしたことで、
すごくショックを受けたりして、
なんかだし、もうなんかそれも含め、自分本当に毎月風邪を引いていて、あんま良くないなぁと思ったから、
急に休むのも迷惑かけるしと思って、このまま次ももしかしたらアルバイトとかパートになるかもしれないけど、
一旦ここでお仕事するのは区切りをつけた方が次のことに進めるかなと思って、
何にも最初は計画も立てずに、あのちょっと体調の不安がずっと治んないのでって言って、
ちょっとちゃんと1ヶ月前に申請して、辞めますっていう形に言ってて、
その頃はもう何も、若干だけ面接とか受けてたんですけど、
あんま身が入ってない状態だったからどうせダメだろうなぁと思いながらやってたりして、
あと最悪、もう仕事が1ヶ月とか6月の20日で辞めるから、
7月とか仕事なくても生きれるかなーって、なんか思ったりもしたんですよ。
通帳とにらめっこしてたって言ったけど、1ヶ月ぐらいは耐えれるかと思ったりとか、
まあ、何だろう、実家というか親、両親との距離とか、親戚との距離とかをうまく、何だろう、掴めるかなーっていうぐらいにはなってきたかなと思ったから、
最悪実家帰って、私車の免許大学時代取れてないから取ろうとも思ってなくて、
親のお金で車の免許なんて取ったら、結構足要員だなと思ったから、
自分のお金でだったらいいけど、親のお金では通いたくないと思って、お金のこととか考えて車の免許取ってなくて、
まあだから、最悪実家帰って車の免許取るかーとか考え、なんかそれもいいかなーって結構思ってて。
だから、割とその辞めるって言い出したり、辞めることを決めてから、なんか、なんかもういいかーみたいな。
どうなっても生きれるなーって思ったりしてたんですよ。
そう。 まあで、そんな状態で、わーって。
本当にわーってやってて。ゴールデンウィーク開けたあたりからも、割とバタバタやってて。
で、まあ5月末ですね。本当に28とか7とか、そのあたりに今、1月1日から働き始めるところの面接を受けて、
で、あの最初の方に6月2日に占いに行ったって言ったじゃないですか。
あの、そこの結果が6月6日とかになるって聞いてたから、まあそういうのも含め、結構今の自分の、
これからどうなるのかなーみたいな、聞きたくて。聞きたくてっていうか、なんかまあちょっと、
まあそんな占いにすごい前代よりしてるわけじゃなくて、まあなんかその、7月下手したら無職かもなーとか、そういうことをすごい思ってたから、
本当に無職かもかどうかを確かめに行こうかなと思って、まあそんなね占いにお金使ってる場合じゃないだろうと思うんですけど、
もし無職なんだったらさ、思うんですけど、なんか、たまたま京都駅地下街のあのポルタっていうところがあって、そこに大阪南の占い師が出張で来てるっていうのを、
本当はね、去年の年度末ぐらいからやってて、ずっと気にはなってて、いつも前通るたびにチラ見してたんですけど、
なんか、この6月2日ばかりはすごいジロって見ちゃって、本当はタロット、
ね、西洋の方のだし、なんかタロットだったら自分でカード選んでる感もあるし、タロットがいいなーってブース覗いたら、
2人占い師がいて、片方お客さんがもう座ってて、でそっちがタロットっぽかったんですよ、カード置いてるし、
あータロットこっちかーって思いながら、もう一人なんだろうなーと思ったら、
死中睡眠?死命中睡?あの、私が前にちょっとGPTで占ってもらったような、あの、生年月日生まれた時間生まれた場所とかで、
やるやつだったでしょ、もう一人の方が。で、うわー死中睡眠?かーと思って、
これはどうしようかなーと思ったんですけど、なんか、彷徨ってるなーって思われたんでしょうね、私の夫婦を見て。
そしたらそのおばちゃんがね、そうそうでそこの占いの料金設定もちょっと面白くて、普通占いってだいたい10分1000円、30分3000円とか時間料金なんですけど、
1相談につき1000円だったんですよ。だから10分とかそういう感じじゃなかったんですね。
で、1相談につきってなんだろうとかそういうのも気になってたし、まあまあね、彷徨ってる風貌を出してた専門家。
足止めてたら、まあね、いいお客さんだなぁと思われたのか。
まあ占ってもらって、結局、まあお仕事と今後のことだからだし、じっくり見てあげるよって言われて、
2相談ってことになって2200円で見てもらったんですけど。
で、いろいろ見てくれて。
そう、市中睡眠とか、なんか占いで言う、カレンダーの読みで言うと6月6日は、
なんかまだ5月の星回りで、あなた6月とか、まあ8月かな、から良くなるんだけどねって言われて、
ああ、そっかと思って。下手したらじゃあ本当に7月無職かもなって思ったんですよ。
8月から良くなるねって言われて、ああ、そっかと思って。
うん、で、まあまあそっから、なんだ、お仕事だけじゃなくて、
割とこの先、自分なんか、
いろんなことに目処が立っていくのかなとか、向いてる仕事は?みたいな感じの話をしてたら、やっぱり前に
テソを軽く見てもらった時にも言われたように、この生命線の根元が薄いから、
30ぐらいまでは何も見つからんですよ、みたいな話を市中睡眠、市名中睡でも言われ、
やっぱそうですか。でも見つからないとかじゃなくて、28ぐらいまでに見つけなさいって言われたりとかして。
なんかそういう言い方面白いなぁと思って、
まあ占い面白いわーと思って、6月2日に帰って、ああでも次の、
前受けた会社ダメだったのか、7月無職かーって思ってて、ずっと。
で、6月6日になっても結果来なくて、ああこれはまずいと、本当に無職だーって、
思ってて。
社会適応の葛藤
んーたら、9日に結果が来まして、あ、なんとかなったー。
まあ、ね、占いで言うところの、
なんか6月に入ってるから、まあ5月の一番迷ってる月から抜けてるよっていう感じで、当たってなくはなかったなーっていう。
まあまあまあ、そんな感じだと。
本当にいろいろありました。
そっからもそうだし。
んー、なんかちょっとだけその、インターンとかの話をしてたから、
就活の頃のことを思い返すと、
本当にその、AにするBにする、AとBどっちもがいい、どっちもやりたくない、
生きる、生きたくない、実家帰るべきだけど、こっちにいたいとかその、いろんな攻め合いが
あった頃に、だから2月、1月末ぐらい、1月ぐらいかな?
すごくギリギリのことになってて、その攻め合いが。
まあ、家、マンションは学生マンションだとか出なきゃいけなくてっていうのがあって、本当に実家に帰る帰らないとか、
お仕事どうするっていう攻め合いが一番迫ってた時に、
本当に、なんていうのかな、
学校っていうものを卒業した後に、何かしらの社員にストレートに、ストレートっていうのは、
自分が大学だったから大学の話をするんですけど、大学生だったら、
ちゃんと就職活動っていうものをしていて、それこそね、2年の終わりから始めて、
3年の頭にはインターン先が決まっていて、まあ1年なり、夏までなり、夏だけなり、
まあインターン経験していて、で3年のね、
みんなが一斉にスタートする頃にES出してっていうようにして、面接受けて、
で集団面接も経験して、SPIしてとか、そういうものを経験した、そのレールに乗っかった、
社会人、まあ社員にならなければ、
社会に適合できないから、社会不適合者であって、
何かその診断がついたり、
何か制度的に申請しないといけなかったり、
あと就労のB型で働くとかしなきゃかなー、しなきゃかなーっていうか、
そっちなのかなーとかっていうのを考えてた期間もあったんですよ。
割となんだろう、1月、結構長かったな、それ考えてた。
考え始めてからも長かったし、
何かいろいろあったんですけど、
で、その相談室のカウンセラーが、
まあそういうのもあるよって言ってきて、
まあその人は、私が大学ね、相談室、大学の相談室だから、
私の大学1回生とか2回生とかの、
うっていう状況も知った上で言ってきてるのも分かってたし、
自分も何があったらまたすぐああなるかもっても思ってたりしたんで、
まあその言い分も分かるし、
で、まあ病院にもちゃんと生きてたいっていう理由、
ポジティブな理由だけど、病院にも行き出してたから、
この、なんていうかな、こういう制度的な選択が、
をとるのか、すごく考えさせられるところもあってっていうのもあったし、
病院にも言ったり聞いたりはしてて、どうなんかなーっていうので、
で、ハローワークの人にそれを言ったら、
まあ就労の支援とかも考えてるって言ったら、
めちゃくちゃ正面から止めてきたんですよ。
まあその理由も分かるけど、今私の口でここで言うのは、
いろんな人がいるので違うかなと思うので言わないんですけど、
そう、だからまあ、
で、止められたから今があってよかったとか、
単純になんかこうそういう話でもなくてすごく複雑ではあるんですけど、
ただ一個だけ自分が経験したから自分の言葉で言えるなっていうのが、
その世の中の大きい流れに乗れなかったから、
社会不適合者だってなって、
社会不適合者としてのラベリングのままなんか生きるようになっちゃうのは、
なんか違う、なんかすごいそんな感じがします。
難しい。この文末を思うとか、
なっちゃうのは違うって言い切るのも、どっちも嫌でぐちゃぐちゃぐちゃって終わっちゃったんだけど、
なんかその、
今のこの時代だと大きい流れに乗れなかったらもうなんか、
ダメだーって言ったもん勝ちになりやすかったりもしてて、
その辺が、でも頼るべきところは頼らないといけないから難しいし、
すごく難しいんですけど、なんかでもとにかくその、
なんか大きい流れ、正しいとされてる道が大多数だし、
個人の選択と流れ
そうしなきゃいけないってバイアスにかかるじゃないですか。
なんかそもそも今こう順当に進んでいってしまったら、
大体の人が、大学生の進路選択だけの話じゃなくて、
高校の頃とか、中学の頃とか振り返ってみても、
なんか大多数の人が行く正しいとされている道の中で行けないといけないっていうものを、
なんかこう、それをこうガチッとはめられてて。
で私が多分最初にぽろっと言ってしまった、
社会人になるっていう言い方をちょっと多分最初停止したと思うんですけど、
あれって正社員のことしか社会人と呼んではいけないっていうラベリングが頭の中にあるから言葉として出てしまって、
自分がね、そう言われるのが嫌だったり、言われるだけじゃなくて、
なんかそういうの嫌だなって思ってるのに、その自分ですらそう言ってしまうぐらいそれが馴染んでて、
なんかでもそれは良くないはずで、なんかもうめちゃくちゃですね。
なんか何が言いたいかわかんなくなってきたけど、わかんないけど、
いろいろなりながらいて、
別に生きることが正しいわけでもないし、
何かが正しいわけでもなくて、何かが強いわけでもなくて、弱くもなくて、
なんかただそういうところに今来れてる私がいるような気がする。
そんな感じ。
すっごい長くなったので、今日はエンディングなく終わろうかなって思います。
次回、7月12日、自分のそのお仕事への慣れとかそういうのがあって、
撮れてるかわかんないけど、また荷の付く日には庭が庭がに広い庭を開きますので、楽しみに。
では。
51:52

コメント

配信再開、ありがとう。そして、就職おめでとうございます。まぁ色々あるしそこでずっと勤めるか分からんし、なるようになりますよね。 たしかにマジョリティの圧というか、同調圧力ってありますよねぇ。日本人ってホントそういうの多いと思います。これからたぶん丹羽さんの場合は「いつ結婚するの?」とか言われるでしょうね。でも多様性を認めつつある社会で価値観の押し付けはよくないって社会になりつつあるので、いまは過渡期なんだと思います。私は大きな船に乗っかっておいたほうが楽と思ってここまで来てしまいましたが、大きな船に乗らないで自分の小さな船で進みたいという人にも寛容な社会になるといいなと思います。その社会を構成するひとりなので、私自身がまず人に寛容でありたいと思いながら生きていきたいです。

丹羽

配信できていない間も反応くださったこと、この場を借りてまとめてお礼します🐔 「寛容でありたい」という立場にいることを示すだけでは、気づかないうちにマイクロアグレッションをしていたり、今は多様性であれということがマジョリティになると更に分断を産んだりするので、ただ言葉で示すだけでは難しい状況ですね

お仕事決まったんですね!おめでとうございます!

丹羽
スクロール