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2025-09-21 09:31

文化学園服飾博物館「衣服が語る戦争」展

サマリー

文化学園服飾博物館で開催されている「衣服が語る戦争」展では、戦争が衣服に与えた影響を多角的に探ります。この展示を通じて、ファッション業界が戦争の影響を受けた歴史が浮き彫りになります。

00:01
こんにちは、ninjinkunです。 最近、東京ミュージアムグルッドパスというやつを買ってですね、これは
東京近郊のいろんな美術館、博物館が対応していればですね、入場料が一部免除、もしくは全額免除というか、その
ただで入れるということですね。 になるパスで、2500円して2ヶ月間有効というものがあってですね。
あんまりメジャーな、例えば、 東博とか、西洋美術館とか、そういうところは一部、団体料金適用とか100円引きとか、結構
渋い値引きで終わっちゃうんで、 正直多分東京近郊に住んでいる人以外には、観光とかですごい使いづらくて
多分毎週末、2ヶ月間毎週末、美術館に行って予約元が取れるぐらいの、 なかなか使いどころが難しいパスだなって前から思ったんですけど、
この無職のタイミングだったら行きまくれるから、これは良いぞということで買ってきて、 この前の東京建物園なんかも
このパスで入っております。 逆にこのパスに対応しているところはどこかなって調べていくと、
新しく美術館を開拓することもできるわけで、 その中で、今日はですね
衣服と戦争の関係
文化学園、文化学園副職博物館に行ってきました。
ここは、あれですね、ファッションを学べる大学であるところの結構新生ですね、 文化学園がやっている博物館になっていて、
副職博物館とある通り衣服に関する展示がされているところです。 だから普段はもうちょっといろいろファッションのことをやってるんですけど、
今回はですね、やっぱり戦後80年企画ということで、衣服が語る戦争というテーマで、 戦争についての展示がされていました。
なので私も行ってきたんですけど、なかなか面白かったですね。 まずその文化学園自体が戦前から専門学校として開校していて、
相当3000人とか学生さんを用意していて、結構大規模な学校なんですけど、そこも空襲で校舎が完全に焼けて、また再スタートより無くされたりとか、
あとは、戦時中にだんだん物資の統制が厳しくなっていって、衣服がその点数制、
衣服を買える権みたいなのがもらえて、100点でこれだけの短物を買えますみたいな、そういうふうになっていくんで、
せっかく衣服を作っても売れなかったり、そもそも素材が手に入れなかったりするようになっていくっていう、そういうところも説明されてたんで、
なるほどなという、まさに一触中というぐらいですから、衣服というのは生活の中の本当にコアな部分ではありますけど、
それがその戦争によって精錬されていく様というのがね、ファッションを勉強した人たちからすると相当辛かったんだろうなというのが感じられる展示になってましたね。
この中では、戦争が始まる前とか始まって最初ぐらいの、割とみんなの戦意が紅葉してた時代、
それはあれですね、日清日露戦争の勝利のところもあるんですけど、子供の浴衣とかに戦闘機を描いたりとか、結構そういう戦艦を描いたりとか、
そういう当たり前にミリタリーのモチーフを使って子供が喜ぶみたいな、子供が戦争ごっこをしたとか学校でそういうことを習ったみたいなのは割と知られていることかなと思いますけど、
衣服の紅葉でそういうモチーフが使われたっていうのは実物が展示されていて、なるほどなと思ったり、
結構戦争同時代的なアメリカとかフランスのファッションも紹介されてて、やっぱりちょっと女性のファッションにもミリタリーテイストが取り入れられて、そういうものが流行していたりとか、それは日本のファッションにも同じように及んでいて、
若干の肩を怒らせた女性のスーツとか、そういうものが展示されてて、ほうほうとなったり、
あとはね、スフというものがあって、スフって何で聞いたんだろうな、その戦争の話の中で聞いたことがあって、
服にスフを混ぜるとか、スフ入りの何とかみたいな、聞いたことがあったんですけど何かと思ってたら、
ステーブルファイバーの略だったらしくて、要するに面とかが不足してるんで、紙的なものをベースにした繊維ですよね、木をベースの繊維を使って布を作ろうということだったらしくて、
これが結構大量に供給されたらしいんですけど、まだそんなに研究開発が進んだものじゃなくて、実際使うとゴワゴワしたりとか、洗濯が難しかったりとか、紙を着てると思えばそうですよね、難しそうですよね。
なかなかみんな苦労したというのが書いてあって、ステーブルファイバーかと思って、それは一つ勉強になりましたね。
あとは羽毛が、軍服のゴワゴワした強い生地っていうのは羽毛が元になってて、羽毛は日本であまり生産できてなかったのでその確保がすごい課題になったとかね、そういうのを報告している資料とかも書いてあったり、
そんなところかな。
戦時中に文化服装学院の人たちはだんだんファッションのやることがなくなっていくので、標準婦人服っていうもののデザインの方にだんだん邁進していって、
要するに物資を統制する中で、あんまり服に対応なものを求めると物資が枯渇するので、統一化していきましょうということで標準化した服という発想ができて、
男性の方は結構普及したらしいんですけど、女性の方も作られたけどこれは全然普及せずに結構戦争末期の方で作られたのもあるし、なんだかんだモンペの方が実用的だったのでモンペが流行ってしまったという感じらしいですね。
標準婦人服自体はスカートの服になっていて、それなりにモダンな感じに作られていたので、作った人たちの美意識を感じたんですけど、これは残念ながら流行らなかったということですね。
男性の方は冷服としても使えるという概念になっていて、だからいちいちスーツとかを揃えるというのをやめましょうということでしょうね。
組紐みたいなのをつけると冷服になるという概念で、なるほうなと思いました。
戦後のファッションの変遷
なかなか見ごたえもあって、そんなに数がめっちゃあったわけじゃないけど、戦前戦中、戦後の方もあって、戦後の方は結構また趣が変わって、
最初は物資に苦労したとか、立派な着物を田舎に持って行ってコメントを書いてもらって、これが着物ですみたいなのがあったりとか、
あとは文化学院で開催されたいろんな世界の民族衣装を着るファッションショーがすごい激唱されたとかね。
服による平和発信みたいなことがわりとテーマになっているところもあって、それはそれでなかなか面白かったです。
そういう感じで、学校がこういうちゃんとファッションを展示して伝えていこうとするこの博物館の入りというのはすごいなと思ったので、
この文化服飾博物館というのはなかなかいいところだなと思いました。新宿の南口から少し歩いていたところにあります。
というわけで、今日は文化学院服飾博物館の1580年企画衣服は語る戦争を見てきました。ありがとうございました。
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