サマリー
手話のまち東京国際ろう芸術祭2025に参加し、ろう者と聴者の交流を体験しています。アメリカの監督が制作した映画「チューバ泥棒」を鑑賞し、手話のコミュニケーションや映画の独自の表現方法について考えを深めています。
東京国際ろう芸術祭の体験
こんにちは、ninjinkunです。 先週、手話のまち東京国際ろう芸術祭2025というのに行ってきまして、これは東京の高円寺というところで行われていた
ろう者の方々の芸術祭になります。 私はこの情報も例によって、ラジオのアフターシックスジャンクション2で知って、
なんかちょっと面白そうだなと思って、 映画を1本だけ見に行ってきたんですけど、全体としては
映画だけじゃなくて演劇とか、結構演劇の項目が多かったですね。 あとはワークショップみたいなものとか、あとは何かお店が出てたりして、
基本的には、ろう者、 耳が聞こえない方々ですね。もしくは難聴の人と、あとはボランティアの人たちで、多分聞こえる人は聴者って言いますけど、
聴者だけど手話ができるって人も、それなりにボランティアとかで参加している様子でした。 私はですね、ろう者の方々とほとんどコミュニケーションを取ったことがなくて、
今回も実際直接話すことはなかったんですけど、雰囲気として言ったらですね、本当にたくさんの人が手話でずっと会話してて、
だからすごい静かなんですけど、みんなの手はめちゃくちゃ動いてるっていうね、 こういう空間なんだっていうのがまず一つ新鮮でしたね。
行く前はちょっと緊張というか、やっぱりその場では私がマイノリティになるし、自分は喋る以外のコミュニケーション方法ができないので、
違う言語の世界に飛び込むような、多分向こうの人が聴者とのコミュニケーションにある程度慣れているとは思ってたんですけど、
ちょっと緊張してたんですけど、結果的に特に心配することもなく、ほとんど話してないんで、
チケットとか売ってくれた人たちは基本的に聞くこともできる人たちだったので、普通にチケットを買って映画を見てきました。
映画「チューバ泥棒」の内容
映画はね、チューバ泥棒っていうアメリカの監督が作った映画で、かなり実験的な映画で、正直ようわからないようでしたね。
あんまりストーリーらしいストーリーの構造がないので、まず面白いのは風船を渡されて、これで振動を感じることができるので、
老舗の人も音の振動が風船を通してわかるっていうのが一つ面白いところで、
チューバ泥棒っていうタイトルになっている通り、アメリカのカリフォルニアの特にサンフランシスコの近郊で、
いろんな高校からチューバが盗まれていくっていう、たまにテロップでそれが入るんですけど、それがどういう意味を持っているのかとか、
実際に泥棒がどういう人なのかとか、そういう展末は全くなくてですね、たまにチューバが盗まれるテロップが入り、
合間に老舗の人たち同士のコミュニケーションであったり、長舗の人たち同士のコミュニケーションであったり、両方のコミュニケーションであったりが描かれると。
なので例えば、老舗の家族が一家断乱している手話でね、課題合いながら断乱をしていたり、そういうシーンが描かれますと。
なので結構ですね、正直ストーリーがない映画を見るとですね、やっぱ疲れるほど疲れますね。あとやっぱ眠くなります。
でもね、一つ面白かったのは、映画の最中でサンフランシスコ・デフ・クラブという老舗のコミュニティでロックコンサートが行われていて、
演奏している人たちが長舗なのか老舗なのかわからないですけど、そういう楽器をやって、でも多分ボーカルが結構荒々しい感じだったんで、もしかしたら皆さん老舗なのかもしれないですけど、
クラブでロックバンド、ロックコンサートをやって、でもお客さんたちはみんな主語で会話しているから爆音なんだけど会話は成立しているっていう面白いシーンがあって、
これは実際本当にあることらしくて、監督がその後でお話があったんですけど、その監督もロックが好きで、結構ローの人でもそういうロックが好きって人はいるんですみたいな。
やっぱり振動を感じたり場の空気を感じたりするみたいなことらしいですね。
確かにライブハウスってすごく音を振動でも感じるところは強いので、結構そういうダイナミズムとかリズムは耳が聞こえなくても伝わるものなんだなっていうのはあって、
それは一つ面白かったですね。老舗の人にもそういう音楽の愛好家がいるというのが知れたのは良かったと思います。
インタビューと手話の多様性
最後にその監督のインタビューがついてたんですけど、このためにアメリカから来日されたらしいんですが、
これはですね、かなりインタビューする人がもう老舗で、この方は日本語手話を…
確か手話は日本だと2種類あって、日本語対応手話と日本式手話があるんだっけな。
日本語対応手話は我々のiWebに完全対応している方なんですけど、ネイティブの方々はどっちかというと日本式手話、
全然日本語の言語体系と違う新しい別の言語体系の手話を使っているということで、おそらくこの時も日本式手話が使われたと思います。
アメリカの監督は国際手話を使っていて、これはアメリカASL…ALSだったかな。ちょっと名前をどう忘れましたが…を使っているんで、
さらに国際手話通訳っていう人が通訳してるんですよね。さらに会場は庁舎の人も質問できるので、
庁舎の人が質問すると、舞台の前に4人くらい人がいて、まずその庁舎の人の発声の質問を日本式手話として表現する人がいて、
さらにそれを監督に翻訳して伝えている人がいるのかな。そのアメリカ式手話に翻訳している人がいるという感じで、
どうも返還が2回ぐらい行われてそうな雰囲気があってですね。この回では質問した人が全員庁舎だったので、なかなかですね、
うまく伝わってないことが結構あって、どうも質問の意図がこれはなんか全然違う回答が返ってきたりとか、
っていうね結構緊張感を払うような瞬間が何度もあって、監督がその完全に勘違いしていたり、もしくはその質問にちゃんと答えられない可能性もなくはないんですけど、
さすがに映画を撮ってる人だしここまで来てる人だからそんなことはちょっと可能性が少ないんじゃないかなと思って、となるとどこかその翻訳の過程、
もしくはその手話への返還の過程で何かしらの抜け落ちとか意味の取り違いが起こったのかなっていう感じで、まさにね、ロストイントランスレーションって言葉がありますけど、
それをちょっと目の前で見て結構ピリッとしましたね。自分としてはこれどうなるんだろうドキドキっていう感じで、割ともう流される感じで進んできましたけど、
なんかね、結構難しいものなんだなっていうことを感じましたね。
という、なかなか自分としては新しい体験ができたという日でしたね。
先週の3日間か4日間ぐらいでしたんじゃないかな。
でも手話ってのは、やっぱりあれですね、自分は意味がわかることもあればわかんないこともある。
やっぱりある程度は例えば自分のやってるジェスチャーに近いこともなくはないんですけど、これで会話が成立してるってのはやっぱりよくわからないなという世界なんで、
なんかこう、そうですね、本当に機会があったら学んでみたいなって言ったんで、なかなかそういう機会も来ないわけですけど、
なんかね、一つ新しい言語として興味を持てる世界だなというのはあったので、またこういう機会もあったら参加してみたいなと思いましたし、
手話を学ぶ機会っていうのも、もしかしたら持てたらいいなというふうに思いましたね。
はい、という感じで、本当はね、演劇も見れたらよかったんですよ。ちょっと時間の関係でこれだけ見て帰ってきたんですけど、
そういう、昭和の街東京国際労技芸術祭というイベントで、映画の、そうですね、これ大事なことなんですけど、その監督は老舎の方で、長者も老舎もどっちも楽しめる映画を作りたかったというのが伊藤らしいです。
はい、なので音にもこだわっていて、たぶんちゃんとしたサラウンドで作られているし、
なんかね、そのジェット機の轟音とかが鳴るシーンが結構あるんですけど、そうなると長者は爆音をゴーッと聞くし、老舎はその手に持った風船で爆音を振動で感じることができるんで、
確かにこういうのはなかなか面白い試みだなと思いましたね。
はい、そういう感じの1日でした。ありがとうございました。
10:34
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