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2025-09-18 24:07

NTT技術史料館

最高でした。11/1には半年に1度の土曜日開館があるそうです。

この博物館を知ったエピソード

電話交換手体験ができる!

大迫力の自動電話交換機

懐かしのP501i

サマリー

NTT技術史料館は、NTTの歴史と技術革新を展示しており、訪問者は電信や電話の初期の技術からインターネットまでを学ぶことができます。解説員による親切な説明を受けながら、古い電話交換機の操作を体験することができる充実した内容が用意されています。光ファイバーや電話機の歴史、移動帯通信の進化、初期のインターネットに関する展示が行われており、技術の発展やその背景にある人々の努力を感じることができます。特に、NTTの社会的貢献や公共性に対する配慮が際立っており、多くの資料が集められています。

NTT技術史料館の紹介
こんにちは、ninjinkunです。
今日は、東京の三鷹にある、NTT技術史料館というところに行ってきました。
ここは、名前の通り、NTTが今までやってきた技術を展示しているところで、企業博物館になります。
めちゃめちゃ良かったですね。
私は、ITに関わる人全てに、この施設をお勧めしたいと思います。
それぐらい楽しかったし、
まず、NTTが前身の電電工社、さらにその前の邸信省、役所だった時代から培ってきた電信とか電話の技術、そして引いてはインターネットに至るまでが、
かなり膨大な実物の機器と一緒に展示されているという、すごい博物館でした。
ここを知ったのは、私の友人のチョヨンゴというエンジニアがいまして、彼がオスタンFMに出演した時に、
彼の転職の間の有給償還の時間を使って、行ってきて良かったところの中にここが挙げられていて、
まず、開いている日が結構限られていて、木曜日と金曜日の1時から5時までしか開かないという、かなり限定的なオープンの仕方をしているので、
なかなか働きながら行くのは難しい、有給取らないといけないような運営体制を取られているので、
どちらかというと多分学生さんとかの方が対象ではあるみたいなんですけど、完全にエンジニアの私も大興奮の内容でございました。
通信技術の歴史
まず、分量が膨大で、地下1階から4階まであったかな?全4階分かな?のかなりでかい建物の中にあって、展示だらけです。
私が行ったのはお昼の1時半ぐらいだったと思うんですけど、閉店ギリギリの5時前までいましたね。
まず入ったら、NTTのOBの方が解説員としてついてくださって、解説員と一緒に見てもらえますかって言われて、
あ、じゃあぜひって言ったらNTTのOBの方がついてくださってですね、この方がとても良くて、
NTTに80年代に入社されて、現在は定年されてるんですけど、電話の交換機をずっと見てこられたというエンジニアの方で、
この方が基本的に全部解説してくださって、丸々4時間近く付き合っていただきました。
まずこの歴史の概要みたいなところが始まって、そこに通信の歴史、最初にモールスが電信を発明して、
最初の電信はモールス信号じゃなくて、図形を伝達するという仕組みだったとか、
だからあんまり信頼性というか実用性がなくて、それは実験的なりに留まって、最終的に普及したのは信号だとかね、
という話から始まって、ベルの発明した電話、これも最初は音が非常に弱かったのであまり実用的ではなくて、
その後エジソンのカーボン式マイクが出るまではなかなか実用的じゃなかったとか、
これがレプリカとして再現したものが置かれていて、実際に試せるというすごい施設です。
その後で電話交換器が出てきて、電話というのは元々アナログで作られてきていたものなので、
リンリンとかけると自動で相手につながらないんですよね、最初の電話は。
どうしたかというと線を誰かがつなげるんですよね。
AさんからBさんに勝てるときに1回電話局に回線がつながって、電話局の人が配線をBさんお願いしますというと
プラグをさしてつなげてくれるというこういう仕組みがあったんですけど、
なんとこれが体験できますという。
実際に解説員の人と電話を、もう1人手伝っていただいて、
私が交換手になって、解説員の人が電話をかけると、
私の交換手のところに電話が来てつなげてくれると言われるので、
スイッチをパチパチと切り替え、さらにプラグを差し込んで文字通りつなぐんですよね。
AさんのプラグとBさんのプラグをジャックにさせてつなぐということをするとつながります。
つなぐ前にBさんの方にお電話がかかってきてますというのを確認して、
相手が出たらつなぐという交換手の役割を体験できて非常に感動しましたね。
この仕組みで面倒が見れる人数にはかなり限りがあるので、
当時は最初の電話名簿みたいなやつも写真で残っているんですけど、
役所、外務省とか大倉省とか渋沢栄一とかそういう大物系の人たちは個人で電話を持っていたんですけど、
まだまだそんなに電話が一般的ではないという時代ですよね。
本当に一枚に収まるぐらいの電話帳ですと。
その後電話の普及が進むと、この交換機を自動化したいというニーズが出てきて自動化しますと。
この自動化が結構自動になっているんですけど、機械的に実現していてコンピューターじゃなくて、
番号が回されるとダイヤル式で回るとダイヤルが戻っていくときにパルスが発生してそのパルスが番号として送られるんですけど、
送られると一段階目のスイッチにガチャガチャガチャッとそれが行って、
もう一回回すとパルスに対応した二段階目のスイッチがガチャガチャガチャッと動くという、
こんな感じで電話番号を桁数に対応した分のスイッチが電話交換局に置かれていて、
それが電話をつなげるという非常に機械的な仕組みで実現されていて、
いやこれ壊れやすそうだなという、実際そこそこ耐久性はあったけど壊れるときは壊れるというものだったらしく、
そういうものがあって結構長い間、60年くらい残ってたって言ってたかな、その解説員の人は。
その仕組み自体はあったりして、戦前からその仕組みなのかな?
そんな感じだったような気がする。いやちょっと年数があやふやなんで戦前…ちょっと安いですね戦後かもしれない。
それがだんだんさらにコンピューター化されていって、そのスイッチをつなぐ手前の部分は番号をいきなりスイッチに送り込むんじゃなくて、
1回コンピューターでバッファしてからスイッチをつなぎ替えますみたいな、半コンピューター化されるみたいなところがあったりして、
ただスイッチというのはアナログで電話がつながっている以上は必要な仕組みになっているんで結構長い間、
実際に物理のスイッチをバチンとつなぐっていうのは残ってたとかね、そういうことを体験できますと。
それがオーバービューのところで、そこから地下に入っていくとどういうふうに通信が発達したかって歴史みたいなのがあって、
なかなかいろんな実物が展示されていて、すごいですよ。
例えばルゲー指示電信機ってやつが展示されていて、これは網路信号とかの前に文字盤があって、
これの上の針をぐるぐる回すと、通信先の方でも針がぐるぐる回って、同じところを指すんで文字が伝達できますっていう仕組みだったりすると。
一見文字が伝わるからわかりやすそうなんですけど、最初に同じ位置に針があることを合わせなくてはいけないんで、
そのキャリブレーションが必要だったりとか、文字盤に位置だけじゃなくて手前に文字があったり奥にあったりする繰り上がりみたいな桁の仕組みがあって、
なかなか複雑だったんで全然普及しなかったということですね。
結局網路信号の方が普及したと。
などなどの展示があって、いろいろ細かい電報のね、結局電信が普及するんですけど、最初に。
それでも電信というのが家には来ないんで、電信自体を企業間の取引とかに使う人たちがいっぱいいるんですけど、
家庭の一般人が使うのは電報であったと。
電報というのはその間の中継局というかその間だけが電信で送られていて、
送る側と受け取る側はその文章を中継局にお願いして送ってもらって、最後は文章になって家に届くっていう。
なんでそこは人力なんですよね、人が届けてくれると。
こういうのをてっきり郵便局がやってると思ったら、その提審省がやったということなんで、
現代の通信技術の進化
なかなかなるほうだなと思いましたね。
電報を結婚式とかそれぐらいでしか見ないですけど、こういう仕組みだったのかというのがあり、
いろいろ公衆電話の発達とか、
あとそもそも電話網というのが市外でつながり出したのは、
その電話がさっきの交換手がポチポチつないでたのが市内通話で、
さらに市外につなぐときは特別な番号をかけると市外通話の交換手につながって、
その市外通話の人が別の地域の電話網に接続されて、
そこからさらにその地域の電話網の中で別の人がつなげてくれるという、
非常にホップステップしてつながっていく仕組みになっていくというのがあって、
全国に電話網が完成するのが多少後になると。
こういうのもとても面白いですね。
やっぱり人がつなげてますんで、
特急とか普通とかそういう区別があって、
即達みたいなものでお金を積み増しするとつながる速度が上がるっていう。
表を見せてもらったら、
普通だと電話に相手が出るまでに6時間かかる、
特急だと50分みたいな。
すごいですよね。
お金は倍々くらいで払ってるらしいんですけど、
それだけ払っても50分待たないと電話がつながらないという世界観だったらしいです。
こういうのめっちゃ面白いですよね。
そういう電話の仕組みがあって、
あとは中継局とかそういう仕組みとか、
これも歴史的な変遷がいっぱいあったり、
あとはケーブルですね。
電話の基地直管のケーブルみたいなものが、
最初はビニールがないんで、
絶縁体を紙にして使っているんで、
劣化したり腐食したりするんで大変ですと。
水に弱いとかね。
それの時代が結構続いて、
戦後にビニールが出てきて、
ビニール化されて、
最初は2本線が入っている普通の線だったのが同軸ケーブルになって、
さらに周波数を多重化することで、
複数の回線を同じケーブルに流せるようになって、
それによって一気に効率というか、
同じケーブルで同時に通話ができるようになったりして、
どんどん通話容量が増えていくと。
最後は光ファイバーになるというのが、
実物のケーブルと一緒に展示されていて、すごいですね。
本当に最高だったなあ。
交換器屋の、
しかも裏側に回って、
交換器の配線とか見れるんですけど、
びっしり配線されていて、
しかもその交換器の部分で、
この家は何とかオプションを入れていますみたいなことを、
ジャンパー線を繋ぎ替えてプログラミングするという、
凄まじい仕組みになっていて、
こんなの保守したくないわという、
でも当時は当たり前にやっていたみたいですね。
こういうのが本当にでかいものが迫力たっぷり見れますので、
ぜひぜひ見てほしいなって思います。
その後でコンピューター化されていくんですけど、
その時もまだ今みたいな、
CPUみたいなものがないんで、
普通にICを実装したものがCPUとして使われていて、
とかバックアップ用に、
時期テープのさらに前進みたいなものとか、
時期ドラムっていう、
これはハードディスクの前進みたいなものですね。
これは5MBですとかね。
メモリは512GBあって結構あるなとかね。
こういうコンピューターの割と早めの製品も見れますっていう。
これも熱いとこですね。
そういうのがあって、
あとはもっとハードウェアのビル、
NTTが持ってるビルの中はこうなってますとか、
冷却の仕組みはこう変わってきましたとか、
最初はファンで冷却してるけど今は、
ビル全体で冷却をやってますとか、
そういう面白い仕組みがいっぱいあったり、
NTTの技術と歴史
マンホールの中はこうなってますとかね。
そうか、何でも本当に全部やるんだなみたいな。
共同工ってのはこうなっててとか、
NTTが独自で持ってるトンネルはこうなってますとか、
実際にそのトンネルの中を模した模型とかもあって、
結構広いんだなとかね。
かなりのボリュームで、
しかも割と実際に体験できるように作られてるんで、
見ごたえはわっちりでございますね。
本当写真見返してるんですけど、
もう最高というしかないな。
光ファイバーとかは、
結構NTTが先進的だったという自負があるみたいで、
実際その光ファイバーを非常に量産するのに、
日本のNTTが開発した技術が貢献して、
モビルショーも撮ってるみたいなんですけど、
そういうことがあったらしく、
このガラスを伸ばして光ファイバーを作るんですみたいな、
そういう元のガラスの展示とかあって、
すげえなっていう。
日によってはその開発に関わった人が、
実際にOBとして解説をしてくれたりするんで、
すごい施設ですよね。
という感じで見てきましたね。
大体こんな感じかな。
あとは電話機の変遷とかね。
これもあって、
自分たちは黒電話をなぜかずっと使ってたんで、
それもバージョンがいくつかありますとか、
このバージョンから高速なスイッチに対応したんで、
こっちに買い替えると電話がかかるのが早くなりますとか、
なるほど、そんなクライアントに違いが。
でも高保管性があるんで、
前の電話機でもそのスイッチはつなぎましたとかね。
いや面白いとか。
ファックスとかテレックスとかは全然馴染みがない技術。
ビジネス用ですよね。
があったりして、
あとは最後のところに移動帯通信、携帯ですね。
これの歴史も最後の方に出てきて、
まずは大阪万博で展示された無線電話の仕組みがあって、
この時は1回線を1人が完全に占有するみたいな、
1機職1人みたいな感じの非常にコストがかかる仕組みで実現されてて、
その後は車載電話とかそういうのから発展して、
よくネットで見る肩から下げるショルダーホンという電話もバッチリありますし、
そしてポケベル、この辺りまでは全然馴染みがないんですけど、
携帯になってくるとさすがに分かるんで、
これは僕が使っていたP501iみたいな、
この辺りのMOVAからiMODE、そしてFORMA、
何もかも懐かしい響きしかないですけど、
こういうものが一堂に展示されてて、
スマホになるとGalaxyが1台展示されただけでしたね。
端末の差異がなくて面白くないので展示されてないらしいです。
iMODE全盛期は本当に端末色のところから出てて、
面白かったなというのがありましたね。
この移動帯通信の技術的な解説とか変遷みたいなものも書いてありました。
ただこの辺になると結構最後の方で時間の締め切りも迫ってきて、
割とぱぱぱっと見ちゃったんで、
あまり細かく見れなかったのでまた見に行きたいかなと思います。
初期のインターネットとその影響
最後がインターネットのコーナーなんですけど、
ここはかなり小さくて、
その解説員さんが言うには、
そもそもまず展示するもの自体が小型化されているので小さいから、
あんまり場所がいらないのと、
あんまりNTTとしてサービスを主体で提供していないので、
展示するもの自体がどうもないっぽいですね。
でもそういっても最初のJunetと呼ばれているネットワークがつながって、
それが自分の認識ではKOとか東高台とか東大とかが最初につないでて、
でも意外とそこにNTT研究所が参加してて、
そこからハンダイとかにもつながっているみたいな、
こんな風にNTTも参加してたんだとか、
まだインターネット自体が全然海の元にあるとも知れないみたいな時代からやってて、
NTTの中でも野良インターネット愛好家みたいな人たちがちょこちょこ出てきて、
NTTの研究員の人がモザイクって一時のブラウザを自分でローカライズして、
日本語とかいろんな言語で翻訳したものを見れるようにしたものをインターネットで無料で公開したりとかして、
結構そのインターネットの多言語化に初期から貢献したりとか、
その愛好家の人たちがホームページを立ち上げて、
日本語のコンテンツが全然ないから俺たちで作ろうみたいな感じで立ち上げて、
最初の方はホームページ自体が全然ないんで、
そこに日本の紹介とかNTTの紹介とかを載せるwww.ntt.jpってやつを立ち上げるんですけど、
でも多分その会社にすごいオーガナイズされているというよりは割と個人の興味でみんなやってるみたいな感じでやってるというのがあって、
一時期はそこに新しいホームページの情報が載るから、
新しいサーバーですね、ここはサーバー立ち上げましたっていうニュースサイトの役割になってて、
まず日本語で見るサイトはNTTのページだったとかそういうことが語られててめっちゃ面白かったですね。
その取材したドキュメンタリーみたいなものも流れてて思わず見入ってしまいましたね。
若手の転給員の人たちが頑張ってそういうのを作ってたみたいで、
だんだんアクセスが増えてて嬉しかったみたいな、わからないみたいなそういう展示があって、
そこからいろいろ通信技術とかIP網とかフレッツとかそういう話が書かれてて終わりという感じでしたね。
もう20分喋ってる。
それぐらい膨大なコンテンツなんで、ぜひぜひこれは実物を私としては体験してほしいと思います。
これのためだけに東京に来る価値自分はあると思いますね。
それぐらい素晴らしい展示でした。
本当に企業博物館のイメージからはもう考えられないぐらいの膨大な資料なんで、
やっぱりそのもともとのあれですよね、
校舎時代からのやっぱりその公共性みたいなことの配慮がすごくある会社なんだろうなというふうに思いますね。
本当に大企業だと思うんですけど、
自分たちがその社会に奉仕するっていうそういう価値観を持ってるんだろうなという、
そういうのが割と伝わってくる展示でよかったです。
本当に4時間解説に付き合ってくれたその解説員の方も本当にすごかったですね。
なんとね、これ展示無料なんですよね。恐ろしい。
なんでアンケートにちゃんと素晴らしい展示でしたというふうに書いて、
最後にガチャガチャメーカーとコラボした交集電話ガチャガチャを回して、
黄色の交集電話をもらって書いてきました。
はい、というわけで今日はNTTの技術資料館に行ってきたという話をしました。
ありがとうございました。
24:07

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