1. 人間FM
  2. #2: 新海誠から学ぶフィクショ..
2022-11-20 36:15

#2: 新海誠から学ぶフィクションの楽しみ方

なぜ新海誠の小説はつまらなくなってしまったのか!?表現に振り回されないで好きなように映画を観ると面白くなりますよというお話。

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00:01
岡山です。
大樹さん。
はい。
今、映画館でやってる「スズメのトジマリ」は、もう見に来ましたか?
多分、昨日、一昨日ぐらいに公開ですかね。
そうですね。全然まだまだ最近のやつですね。
はい。いや、見に行ってないですね。
あら。
なんか話題になっていることは知りつつ。
このラジオ聞き終わったら、すぐに多分見に行きたくなるぐらい。
今、初日に見に行ったんですけど、面白いなって思う部分を伝えられたらと思うので、ぜひ聞いていただければと思います。
前提として、「スズメのトジマリ」っていうのは、噂の新海誠監督のやつですね。
はい。最新作ですね。3年ぶりの最新作ということで、テーマは地震とか、そこは震災みたいな感じののをやってるんですけれども、
なんか、巷では、「君の名は天気の子からのディザスター三部作」って言われてるらしくて、
そうなんですね。
そこら辺の災害とかを振り返るみたいな感じで、見合いが曇ってるのかなっていうのはよく言われてる話です。
確かにあれも災害ですね。天気の子も。天気の子、君の名もちょっと見たんですけど、災害でしたね。
はい。一応話にあたって、新海誠に関するネタバレは一切なしでいこうかなと思っていて、
スズメの閉じまりに対するっていうよりは、新海誠…
全部ですね。
そうなんですね。すごい。
ものすごい配慮をして。
僕、たぶん一応、スズメの閉じまり以外は見ましたね。
すごい。さすが。
とはいえ、これ、新海誠を全部見なくても、そもそもフィクションとは一体何なのかっていう部分まで掘り下げていければと思うので、
新海誠を見て、これ面白かったなっていうのを別の作品で活かせるような話になると思います。
というわけで、新海誠の5つの作品を題材にして、自分が思ったことをつらつらと言っていければと思いますね。
はい。面白い。
はい。まず自分、横山自身が新海誠の作品と初めて出会ったっていうのが、秒速5センチメートルだったんですよ。
うん。やっぱそっから入る感じですよね。
はい。これ、普通にアニメファンとして見たっていう感じで、別に新海誠って知れてるというよりかは、秒速5センチメートルって面白い映画があるらしいよ、ぐらいの感覚で見ました。
で、この作品すごく面白くてですね。
ざっくり言うと、思春期の男の子の初恋っていうののエグさみたいなのを上手く表現してるような作品でして、
なんかこれ俺にもあるなみたいなのを思わせるような、そういう切なさって言うんですかね。
そういう神秘特有の青臭さみたいなのを痛感させられるような作品でした。
03:07
うん。
で、次に新海誠の作品を見たのが、飛んで君の名はだったんですね。
あー、そうなんですね。
はい。で、君の名は新海誠の作品だ、うんうんって言う以前に、とりあえず誰しもが見てるみたいな大ブーム、社会現象みたいになっちゃってて。
そうでしたね。
まあ、自分見に行ったんですよ。
何年前ぐらいでしたっけ?
これ6年前ですね。
6年前。あー、まあまあ。
で、あんま刺さんなかったんですね。
あー、そうなんですね。
初めての新海誠を見た作品が、秒速5センチメートルだったところから、結構ベターな話になっちゃってて、特に何が伝えたいかっていうのもいまいちわかんないまま。
秒速は、すがりつくオスの肝さみたいな、わかんないけど、そういう臭いが結構あった感じですけど。
はい。
君の名は、エンタメ作品っていう感じの楽しかったっていう気持ちで。
そうですね。
はい。
で、なおかつ、エンタメ作品としてめちゃくちゃ流行って、社会現象になった結果、やっぱり誰しもが見に行って、面白かった泣けたみたいな話をすると、
これ何が面白かったのっていうのが、何も語らないまま評価だけ上がってて、個人的にはそういう作品ってやっぱダメだなと思って、逆張りみたいな感じで避けてたんですね。
で、新海誠ってこんなもんなのかみたいな感じで、この2作品を見た上で思ってましたと。
で、ふとした表紙に、秒速5センチメートルの小説版を読んだんですね。
あ、あるんですね。新海誠監督が普通に、そもそも脚本を書いてたんですか?
新海誠が小説自体も書いてます。
あ、小説自体を書いていて、秒速の映画自体も監督脚本、つまり新海誠が作ったストーリーって感じだったんですかね。
はい、完全に新海誠オリジナルの話。
あ、そうなんですね。
で、この小説、やっぱり秒速5センチメートルの映画と同じぐらい内面描写がしっかりしていて、エグいなって感じで楽しめたんですよ。
うん。
で、やっぱり新海誠、実は話は面白いんじゃないかちゃんとって思って、ことの葉の庭っていう、君の名の1個前の作品、秒速5センチメートルの次の作品を、これもまた、まず小説を読んだんですよ。
うん、靴職人のやつですね。
そうですね、靴の人。
内容はちょっと一旦、ネタバレなしで話すっていう風にすると、ことの葉の庭はまず小説が秒速5センチメートルの倍ぐらいの厚さあるんですよ、内容が。
へえ。
で、下手したら今出てる新海誠作品の中で一番分厚いんですね。
06:00
これめちゃくちゃ面白くて、ことの葉の庭って結構人間関係のいざこざとか、そういうのを結構メインにして、どういう風に主人公とヒロインっていうのが恋していくかみたいな話だったんですけど、このエグさっていうのが完璧に小説に表現されていて、全員の登場人物の内面描写がすごく丁寧にされてるんですよ。
へえ。
だから出てくる、例えば主人公と対象のヒロインと、主人公のお母さんの内面描写、主人公のお兄ちゃんの内面描写、主人公のお兄ちゃんの彼女の内面描写とか、主人公のクラスメイトの内面描写、
ヒロインの元カノの内面描写とかって感じで、各章ごとに印象が変わっていって、それぞれの登場人物の内面がすんごい深掘りされていくんですよ。だからその分分厚いんですよ。
アニメだと見た気がするんですけど、むしろ描測よりも短いかなぐらいだった気がしますけどね。
そうですね。
なるほど。しかも主人公とヒロインぐらいしかもはや覚えてないですね、登場人物。
ですよね。これが小説版のいいとこだなと思って、映画はすごいあっさりしてるんですよ、内容が。映像が綺麗だなぐらいで、内面描写も映像だけで済まされちゃってて、特に中身がわからないっていう感じ。
コトノハニワ行ってしまえば結構、新海誠作品なんかでもあんまりメジャーじゃないなっていう感じがするんで、ここは映画の内容と小説の内容が最もかけ離れたような新海誠作品なのかなっていうふうに思ってます。
自分はだからコトノハニワを小説で読んだ上で映画を見たんで、あれ、小説のほうが面白くないと思ったんですよ。
で、新海誠の真骨頂はやっぱこういう内面描写、人間のうちに抱えているドロッとした部分をコトコマかに描くってことが、新海誠のアイデンティティとかいうか、得意技なのかなって思いました。
で、この反省を踏まえて、じゃあ、君の名はって、小説版は面白いのかなと思ったんですよ。
全部あるんですね、一応。
一応全部あります。
で、小説版の君の名はを読んだ結果、ただ映像をそのまま文章にしただけだったって感じで、なんも面白くなかったですね。
もうここで何が起きてるかって感じで。
はい。だから、なんか映像情報をそのまま文章で読んでも、いや、逆に映像のほうが面白いじゃんっていうふうになるぐらい、なんかせっかくのその内面の掘り込みとかっていうのが一切なされてなかったんですよ。
09:04
うん。
はい。で、ここでちょっと、あれ、新海誠、これもしかしてコトノハナニワで枯れたかなって思ったんですね。
なるほど。
はい。で、そのまま次の作品、天気の子が劇場公開されそうになりましたっていう時期に、ほぼ同時、同タイミングでこの小説も出たんですよ。
はい。
だから映画館に行く前に、まず小説を読んでから天気の子を見に行ったんですね。
もうその頃にはもう新海誠と小説を一緒に読むという習慣があったんですね、天気の子の頃には。
毎年恒例、毎回恒例になってきますね。
で、天気の子を小説バッと読んで見た結果、何も面白くないと。
はい。
ほんと淡々と話が進んでって、何をしたかったの、この主人公みたいな感じで、説明がされないまま終わっていったっていう感じなんですね。
うん。
で、映画館で見たら、映像の方が面白いっていうのはあるものの、そんな面白いっていうか内面描写のエグさみたいなのが一切特にないんで、面白いかって言われると何とも言えないみたいな感じだったんですよ。
はい。
で、すずめのとじまり、今年公開の、でも同じことやったんす。すずめのとじまりも結構前に小説版が先に出てて、そっちをパッと読んで映画館に見に行くっていうのをまたやったんすけど、天気の子と全く同じでしたね。
あ、そうなんすね。
はい。
あ、そっちなんだっていう。
はい。あれはやっぱり、新海誠の小説はダメだってなったんすよ。
うん。
で、映画館にも行って見たんすね、一応。
うん。
やっぱりその、映像はきれいだけれども、やっぱ何を言おうとしてるのかがわかりづらいっていうのは残ったんすよ。
うんうんうん。
はい。で、これが一連の、自分が見てきた新海誠作品との向き合い方って感じだったんすよね。
はい。
で、結論。すずめのとじまりの評価は自分にとってどうなのかっていう話なんですけども、これめちゃくちゃ良かったって感じで。
あ、そうなんすか。
めちゃくちゃじゃねえかって感じだけど。
全然何もそんな良さない。
しり滅裂だなって。
しり滅裂ですよ。
はい。で、これが、すずめのとじまりを一回見た後に。
はい。
君の名は天気の子っていう風な、新海誠が辿ってきた道を改めて考えてみたのは。
はい。
これ、わざとやってんじゃないかなっていう風に思いまして。
はい。
新海誠自身には、ファーストキャリアとしての秒速5センチメートルと、小説の最高傑作としてのことの葉の庭があるんですよ。
12:06
はい。
で、これをもってして、面白くない映画を作れる、面白くない映画を作るとは思えないんですよ、全然。
うん。本気出せば違うだろっていう。
そうです。
うん。
これ何が起きたかって思うと、君の名はでしたかったっていうのは、やっぱり大衆に自分の存在っていうのをどんどん出していかないといけないっていう風なことで。
やっぱり、えぐさとかいうよりかは、映像美だったりとか爽快感みたいな部分を一番前面に押し出したいんじゃないかっていう風に思ったんですね。
うん。
それが見事成功してるのが、この進化のすごいところだと思うんですよ。
うん。
で、君の名は天気の子、すずめんとじまりと、正直全部、設定上何がしたいかっていうのはよくわかんないですね。
うん。
主人公は一体何がしたかったのかとか、なんでこのシーンでこういう風になったのかっていう部分が、基本的には映像の中では説明されないんですよ。
うん。
で、映像の中で説明しなかった部分っていうのはあるものの、それをこと細かに説明したっていうのがことなはの庭だったと思うんですね。
はい。
けど、それすらしなくなったってことなんですよ、進化のことは。
小説ですら説明しなくなったってことですかね。
はい。
うん。
はい。
これ、たぶん狙ってやってると思ってて、
うん。
面白い部分っていうのは面白いまま残した上で、すべての判断を視聴者に委ねようとしてると思うんですよ。
あー、はい。ドラクエの主人公が声を出さないみたいな感じなんですかね。
まあ、そうですね。そんな感じなのかな。
違うのかな。はい、わかんない。
想像の余地を、まあいいや、あの、ちょっと聞きます。
はい。あ、でもおっしゃる通り、その想像の余地を残してるんだろうなって感じで、
えー、流行るためにはどうしたらいいかって思うと、
うん。
全員が共通して良かったっていう感情だけを残すようにしなきゃいけないんですよ。
で、その良かった理由っていうのが、よくわかんない状態にしとくっていうのが大事だと思ってて、
うん。
まあ、なんかこのシーン良かったよねっていうのが多々あると思うんですけれども、
うん。
そこは本質じゃないと。
えー、本人が気づかないところで良いっていう風に判断するって部分を大量に残しとくことで、
うん。
全員が良いという風に思えるっていう風にしとく。
うん。
で、その本質は誰も言語化できないっていう風に状態にしとけば、
うん。
面白かったっていう風に全員が言ってくれるようになるっていうのがあるんですよ。
15:00
ちょっとわかりますかね、ここ。
うんうんうん。うん。
美味しいっていうのの定義をしっかりしないで料理をポンと出して、
全員が美味しいよねって言ったらそれは人気のある料理になるんですよ。
なんかやたら癖のある、そうですね、料理人の主張が強いような料理を出されても、
なんかこれは俺の口に合わないっていう風になって、
いろんなことをみんな言い出すと思うんですけれども、
それをさせないっていう風にしたんですね。
なるほど。なんか、うん。
うまく言語化できないですね。
言語化できないけど、なんか細かくすればするほど、
理屈で良さを作ってしまうと、
理屈で反論されてしまうけど、
その理屈がなければ、そのあらをつかれないみたいな。
そんな雰囲気なんですかね。
そうですね。あらをつくっていうよりかは、
これ、なんで自分が気づいたかっていうとこの話。
うん。
村上春樹のやり方と結構近くなってるなって思ったんですよ。
はい。
僕自身、村上春樹の作品を結構読むんですけれども、
その村上春樹がエッセイの中で、
どういう風に文章を書いてるかって話をしてたんですけれども、
たくさん観察して、少しの判断をするっていう風に言ってるんですね。
うん。
村上春樹自体には、
世の中で見てきたこととか、
人間の愚かさとかそういう部分をいっぱい観察するものの、
それに対してなぜこの人はこうなのかって判断を一切しないらしいんですね。
うん。
あの人、なんで電車の中で大声で騒いでんだろうみたいな感じのを観察したとしたら、
電車の中で騒いでる人がいるっていうところで止めて、
あの人がなぜ騒いでたかっていう部分を判断は絶対しないようにしてるらしいんですよ。
それって、村上春樹の小説の中でとかじゃなくて、
村上春樹が日常生活で、
そういうことを意識して、
判断をしないようにして過ごしてるってことなんですかね。
そうです。
おお。
これのいいところは、
人間のこの世界において、
正解は存在しないっていう風にさせたいみたいなんですね。
ほう。
自分の中で思ってるメッセージとかはあるものの、
それをフィクションで表現する際は、
これが正解だっていう風に自分の主張として出すのは違くて、
そこの判断は全部読者に委ねたいって言ってるんですよ。
うんうんうん。
なぜこの主人公がこんなことをするんだっていう風に思った時に、
村上春樹自身に正解は一切持ってなくて、
そこの自称に対する判断は、
全部読者の経験と重ね合わせた上で、
読者が勝手にしてくださいっていうようなテイストで書いてるんですね。
18:00
うんうんうん。
だからメッセージをメタファーで完全に隠蔽するんですよ。
なんなら村上春樹の場合はメッセージがないっていうぐらい。
うん。
で、新海誠も多分このメソッドを使い始めたんだなって思って。
あーなるほど。あ、そこに返ってきましたね。
はい。ことの葉の庭は、新海誠はこと細かにこの人の内面的にはこんなんだったっていうのを、
全キャラクターに対して知ってるんですよ。
だから読者からしてみたら理解がめちゃくちゃはかどるんで面白いんですよ、作品として。
うん。
けど、たぶん新海誠はそういうことがしたかったんじゃないんだなってことで、
舵を切って君の名に行ったんだと思って。
うん。
判断の余地を大量に残すことで、
他の箇所で面白いというふうに思った上で、
主人公が何を思ってたかとか、そういう部分は全部読者に委ねる、視聴者に委ねるっていうふうにしたのが、
たぶん君の名以降の作り方なんだと思います。
村上春樹が、
判断をあえて判断をしないようにしていますんで、
新海誠もそれを使い始めたのではないか。
そうですね。これは仮説ですけど、
たぶん視聴者に判断を委ねることで、
番人にとって面白い作品っていうのを作り始めたと思ってます。
うん。
かつてあった判断を新海誠自身がして、
視聴者がそれを共感するっていうスタイルの秒速5センチメートルや、
コトノハナニアは確かに面白いんだけど、
番人には受けないんですよ。
そんなエグい話聞きたくないよみたいな感じの人もいたりするんで、
そこをばっか狙ってるとやっぱりニッチな作品にどうしてもなっちゃうから、
そこの殻をぶち破るために、
全てのメッセージをメタファーで隠しつつ、
映像美で見せて、
エンタメとして完成度の高いものを作るという方向に舵を切ったと思ってます。
これに気づいたことによって、
今回見に行ったスズメノトジマリが、
ものすごく面白く感じ始めまして、
新海誠自身にはたぶん何かしらのメッセージを載せた上で、
このフィクションを作ってると思ってるんですよ。
それの判断はあなたたちに任せますって言われてるって思うと、
自分の判断でこのストーリーを楽しんでいいんだってなるんで、
勝手に解釈して勝手に楽しめるってなったんですね。
要所要所に散りばめられてるそのメタファー、
今回でいうとそのトジマリって一体何なのかとか、
出てくるやつミニズって一体何なのかとか、
大臣って何なのみたいな部分があんまり語られないで終わるんですけれども、
21:03
ここに対して勝手な解釈をこちら側でつけ始めると、
途端に面白くなって、
あれこれってこれ伝えようとしたんじゃないとか、
これってこれのメタファーなんじゃないみたいな感じで、
楽しめるんですね。
で、ちょっとありがちなのが、
何でスズメがトジマリしてるんだとか、
鍵は一体何だったんだとか、
椅子は何なのかみたいな話とか、
何で椅子が動くのかみたいなとか、
細かい部分の設定にこだわる人がいるんですけれども、
ここら辺ほんとどうでもよくて、
ひたすらそこら辺は何かしらのメタファーだっていうことで、
メタファーというか具体的な何かっていう具体的な表現としてあって、
それをどんどん抽象化していくことで、
本質的なメッセージにたどり着ける可能性が上がると思うと、
あまりその設定上のほころび、
何なのこのキャラとかっていうのが気にならなくなるんですね。
これはこういう風な表現だからこういう風にやってるだけだみたいな感じで。
で、それを意識してみると、
フィクションとしての完成度が非常に高い作品として見れるんで、
映画館で見るのはとても楽しかったって言えますね。
この解釈については大いにネタバレを含んじゃうので、
あんまりしゃべれないんですけど。
実際にスズメの閉じまりでどういう解釈をしたかっていうことですかね。
この話はある種自分の中に閉じ込めてていいぐらいの感じで、
その解釈は持っておくべきだと思います。
なので、この表現はこうだったっていうような考察サイトとかよくあるんですけれども、
それらは全く意味なくて、正解は自分の中にしかないっていう風な感じで
フィクションを楽しみましょうっていうことです。
これまた村上春樹の話に戻るんですけれども、
村上春樹がなんでフィクションに判断をしないか、
自分の判断を載せないかっていうのが、
世の中に正解がないっていうことをどうしても主張したいっていうことらしくて、
これをやってれば人生うまくいくとか、
ああいう人はダメだとかそういう部分で、
本質的には本来あるはずじゃないんですよ。
正解を追い求めた結果、宗教にハマっちゃったりだとか、
身を滅ぼしたりだとかっていうパターンの人が多いので、
そこを最終的に救えるのは小説だけだ、
フィクションだけだっていう風に村上春樹が言ってて、
フィクションに正解を求めようとすると、
24:02
せっかくの創作、物語っていうものが意味をなさなくなるっていうんですね。
なので今回、雀閉じまり、東日本大震災で多分トラウマを抱えた人々に対する何かしらのメッセージがあると思うんですけれども、
彼らに対するそのメッセージ、彼らっていうのは震災した人々ですね。
お前らはこうしろよ、みたいな上からの説教とかをしてないし、
震災を受けてしまったらこういう風に生きていくべきだ、みたいな話も全然ないんですね。
にもかかわらず、おそらくこの映画を見た人は前向きな気持ちになれるんですよ。
どうまとめよう、これ。
正解がない。
人間にはそれぞれ生き方っていうのがある。
にもかかわらず、あなたはこう生きなさいっていう人が多いこの世の中で、
判断はあなた自身にありますよっていう風にしている。
こういう構成の作品なんじゃないかなっていう風に思ってます。
なので、全体をまとめると、震災誠という作品に限らず、
フィクション、創作の物語全般は、
基本的に、なんでこの主人公はこうしたんだろうっていう部分の正解をあまり追い求めようとしない方がいいです。
かつ、設定のほころびとか、
なんでここおかしいじゃんみたいな辻褄が合わないような話の流れっていうのは、
多々あると思うんですけれども、そこを評価しがちだと思うんですけれども、
ここはフィクションに対する本質的なところではないです。
あくまでメタファーであって、本当に作者が伝えたいというか、
読者がそこを判断してほしいという部分は、
具体的な表現には含まれてないよということなので、
結論、好きなように。映画を見ると一気に面白くなりますよって話ですね。
なるほど。ありがとうございます。
質問ターンみたいな感じだな。
全然。
3つぐらいあって、
1個が、
特に村上春樹の話とか、表現をして、
判断をそこに当て込めないという、判断をしないみたいな。
小説としても、
登場人物の描写は描くけれども、
そこに対しての判断はあんまり言えないようにしてるみたいな。
僕、すみません、春樹全然読まないんで、
27:01
実際のあれがわかんないですけど、みたいな話があったと思うんですよ。
で、新海誠もその流れを踏襲してるという話があったと思うんですけど、
かもしれないって。
なんか、それって、
結構、表現っていうか、
映画でも、音楽でも、小説でも、漫画でも、なんでもいいんですけど、
そういう表現たちにおいて、
めっちゃそれ、使えそうだなっていう感じがするし、
なんていうのかな、もう一大メソッドな感じがするんすよ。
なので、そんな、なんか春樹とか新海誠とかっていう以前に、
すげえ大御所とかで、なんかそういうことやってそうな、わかんないけど、
例えば昔の文豪とか、なんかディズニーとか、なんかそういうレベルとか、
で、なんかもっと土定番のやつってなんかあるんすかね、そういう系をやってる。
確かに。
まあ、っていうか正直おっしゃる通り、これ土定番の手法だと思うんですよ。
けど、やっぱりこういうのってフィクション慣れしてないと、
小説を読むとかそういうのは慣れてないと、
視聴者と読者が困るので、
やっぱりどうしてもマニアックな人にしか刺さんなくなっちゃうんですね。
なるほど。
で、特に村上春樹とかはそれが顕著なんで、
これを一般の人に読ませたとしても、一般の人って失礼だけど、
いたんな人が読む小説。
あまり普段小説を読まない人とかに対して、
村上春樹が面白いよっていうふうに読ませても、
何が面白いのかわからないっていうのはなりがちだと思うんですよ。
で、正直個人的にも村上春樹読んでて、
これほんとに面白いのとはなってるので、
やっぱりその表現方法は結構クロート寄りなんだなって思うんですね。
だからあんまりド定番な作品がやったところで、
それが別にド定番の作品がやってたとして、
結局それはみんなに伝わるわけではないから、
その楽しみ方があんまりメジャーなものとしては、
メジャーなものとして語られるっていうことはあんまりないんじゃないのかなっていう感じですかね。
で、そん中でやっぱり新山ことすごかったのが、
その方法を使ってさえ、やっぱりこんだけ劇場を埋められるっていうことだと思ってて、
全てのフィクションクリエイターを超えてきたなって感じですね。
なるほど。正直、僕天気の子見たんですけど、
最初の横山さんと同じように、
なんかこれ何が言いたかったし何なんだろうみたいな、
そういう感想で僕は今止まってます。
多分なんですけど、もう一回この話を踏まえた上で見ると、
もしかしたら何か発見があるかもしれないんですよね。
30:01
このメソッドに気づいてから、
やっぱり他のフィクションを見るのが楽しくなりまして、
この表現は何だ、この作者が伝えたいことは何なのかっていうのと、
自分がそれをどう解釈するかっていう部分に比較的自由度が生まれたので、
見てて楽しくなりましたね。
聞きたかったことの2つ目なんですけど、
それをほとんど横山さんが説明してくれたかなって感じのところではあるんですけど、
表現があって、その判断は視聴者が埋めるっていう話。
それなんかすごい前のめりな楽しみ方で、
それなんかすげー楽しそうだなって思う一方、
なんか判断欲しいなみたいな、
すごい考えられた伏線と、
考えられた繊細な理由とか、
そういうのをちょっと与えてもらわないと、
自分の想像力でそこまで至れる自信がないし、
みたいなことを考えちゃいますけど、
みんなどう思うんだろうなみたいな。
そこに関しては、これはある種、
創作を見ることに対する慣れっていうのが必要なんだろうなと思う。
クロート向きですよね。
美味しい料理を食べるにしても、
どう美味しいかとか、味の表現力が高いほうが、
よりそのコンテンツを楽しめるわけじゃないですか。
フランス料理のこれがどうでこうで美味しいとかっていうのを、
表現力とか、何がフランス料理で起きてるかっていう部分を、
裏の部分を知っておくと、より楽しめると思うんですね。
それに対して、やっぱりいつもハンバーガーばっか食べてる人になると、
そこをうまく汲み取れないってことになるんで、
やっぱりたくさん作品に触れて、
自分でその作品がどうだったかっていう部分を、
自分の頭で考えるっていう練習をひたすらにやっていけば、
おそらくそこら辺の技術は培われていくんじゃないかと思っております。
自分がそれをできてるっていうわけじゃ全然ないんですけれども、
今までよりは圧倒的に映像作品を楽しむっていうのが、
できるようになった気がしています。
最後の質問なんですけど、
質問っていうか問題的みたいな話なんですけど、
判断は視聴者がする。
でも、きっとこのスズメのとじまりを見た人は、
前向きな気持ちで劇場後にするだろうっていう話をしてもらったと思うんですけど、
前向きな気持ちになるとか、
33:00
その感情の部分って判断じゃないのかみたいな、
どっからが判断、どっからが出来事なんだろうみたいな、
その感情の受け取り方は前向きじゃないのか、
判断じゃないのかみたいなのは、
一体どこが切り分けられるんだろうなっていうのをちょっと考えちゃいましたね。
確かに難しい話ですよね。
そこって全然定量的に測れるものじゃないんで、
それはどっちかというと創作側の気持ちとして、
観客に対してこのキャラクターの思考は観客に考えてもらう。
でも、前向きな気持ちは受け取ってもらうって。
どう物語を作れば一体そんなものが出来るんだろうなっていうのを聞いてて。
それがなせるのが新海誠のすごいところなんだと思うんですよ。
このラジオを聞いてる人が、
僕と横山さんの言ってることが合ってるか間違ってるかみたいな、
そんなのは視聴者の人に考えてもらって、
でも前向きな気持ちで聞いてもらうとか、
出来たらめっちゃいいなって思うけど。
最高ですよ、そしたら。
そんなことを一体どうやってやるんだろうみたいな。
前向きな、多分新海誠を見て前向きになれるのは、
やっぱり映像が綺麗だからっていうのが大きい気がしますね。
確かにな。
一般的にそこまで考えてないで映画館に行く人っていうのは、
映画を純粋に楽しもうと思って観に来てる人っていうのは、
なんだかよくわかんないけど面白かったっていう感情だけで帰ると思うんですよ。
そのなんだかよくわかんないけど面白かったっていうのを表現するのが、
新海誠は異常に上手いんだと思ってて。
例えばこのラジオがお聞いた後に、
よくわかんないけど前向きな気持ちになって、
明日から生きていこうってなったっていう風にしたいんであれば、
話す内容はマジでどうでもいいんだと思うんですよね。
けど、なんか二人の声を聞いてたら、
前向きになれましたみたいな、よくわかんない状態にさせるっていうのが、
目指すべきとこなのかなとは思います。
つまり結論としては、
すごいよくわかんない話を、
めちゃくちゃいい音質で流すっていうことができれば。
そうですね。まさにそれが新海誠メソッドですね。
そういうことか。
めちゃくちゃ映像もキラキラにしたら、
なんかいいってなると思うんで。
そうですね。
何話してたかは全部視聴者が考えてください。
はい、なるほど。
そんな感じです。
なので映画館でぜひ映画見て、
そんなこと言ってたなっていうのを思いながら、
すずめんとじまり見てみてください。
36:15

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