すずめの戸締りの概要
こんにちは、のらじおのmuroです。
こんにちは、かえです。
今日は、あれですか、何の話ですか?
今日は、もう、はっきり言いますけど、
私がすずめの戸締りが許せないっていう話です。
頑張っていきましょう!
言った後に、一応、ごめんなさいしときますけど、
もう、そういうことなんで、
深海誠ファンの人は、もう、やめてください、ここで。
一千万のね、一千万の深海誠ファンと対立するということを選択したってことですよね。
はい、もうこれに関しては、もう一切の、
何ていうか、攻撃も否定も受けて立ちますけど、
その上で、もう私は、すずめの戸締りのことだけは絶対に許さない。
でも、決めたから。
しょうがないもんね、決まったからね。
決まったから。
決まったもんはしょうがないね。
OKです、OKです。僕、大丈夫です。
僕、かえちゃんとアラインしてるんで大丈夫です。
はい。
いきましょうか。すずめの戸締り、みなさん聞いたことあんのかな。
すずめの戸締りがどういう話かっていうと、
これ読みましょうか、一応。
あらすじ?
映画ドットコムに紹介してある文章、解説文章。
どうぞどうぞ。
ちょっと読みますけど、
君の名は天気の子の新海誠監督が、日本各地の廃墟を舞台に、
災いの元となる扉を閉める旅に出た少女の冒険と成長を描いた長編アニメーション。
九州で暮らす、これ宮崎ですね。
17歳の岩戸すずめは、扉を探しているという旅の青年、室畑壮太と出会う。
彼の後を追って山中の廃墟にたどり着いたすずめは、
そこだけ崩壊から取り残されたかのように佇む古びた扉を見つけ、
引き寄せられるようにその扉に手を伸ばす。
やがて日本各地で次々と扉が開き始める。扉の向こう側からは災いがやってくるため、
すずめは扉を閉める閉じまりの旅に出ることに。
物語の核心と葛藤
数々の驚きや困難に見舞われながらも前へと進み続けるすずめだったが、
これあの映画の紹介なんでネタバレしないようにここで終わってるんですけど。
ネタバレ今回アリでやっていくってことだよね。
アリでやっていきます。一応これは公開されてるあらすじっていう感じで引用しましたけど、
ネタバレはしていきます。
その話だけじゃ多分ちょっとわからなかった要素としては、
九州の田舎に住んでいる女子高生がいて、
その女子高生は東日本大震災でご両親亡くなられてて、
お母さんの妹であるそのおばさんに、おばに引き取られているっていう状態で、
そこにたまたま来た男の人と知り合って、その人がなんか椅子かなんかに変えられちゃうんだよね魔法で。
そうそう、雀ちゃんがお母さんに作ってもらった思い出の椅子の中になんか閉じ込められちゃうっていうか、
椅子にどうどう化しちゃう、椅子になっちゃうみたいな感じ。
自分は椅子を取り戻し、その男の人は元に戻るっていうために、
その男の人を椅子に閉じ込めた黒猫かなんかを追いかけていくんだけど、
その黒猫が大神っていう名前で。
そうそう、それはね、白猫なんですけど。
白、白かったか。白猫を追いかけていきますよっていう話で、
で、白猫がどんどん東京の方に近づいて、で最後東北の方に向かっていくので、
その白猫と一緒にどんどん日本を宮崎からだんだん東に行っていって、
でその過程で扉と呼ばれる、なんていうかな、日本の場所みたいな、
なんかその奇脈みたいな、奇の集合みたいなところの扉を閉めて、
でその奇の暴走みたいなのを抑えると。
で、奇の暴走が止められないと大震災が起きますよっていう、
そういうたてつけになっているんですよね。
そうそう。
そう、それで早速なんですけど、何が許せないかっていうのは、
その旅の中で、なんかその線をするみたいに、
その猫が災いの線みたいになってたんですよ。
それを雀ちゃんが抜いちゃったような感じで、
それの災いが天国に始まったから、なんか線を押して封印しないといけないんですけど、
その封印する線に猫がもうなりたくないから、
その椅子に変えられちゃった男の人、相田さんっていう人が線になるんです、代わりに。
そこの祠みたいな、封印の祠みたいな感じで。
そうね、生贄が必要なんだよね。
で、その猫っていうのは生贄としてそこに封印されていて、
で、主人公の雀ちゃんはそれを解放しちゃうんだよね、謝って。
で、その猫は自分がもう一回生贄にされるのは嫌なので、
代わりにそれを封印する係であった相田さんを封印の生贄に代わりにするっていう、そういうやつだよね。
それで雀ちゃんが、簡単に言うとそこで、世界を救うか相田を見殺しにするかみたいな選択を迫られて。
そうね。
で、とりあえず一旦そこは相田さんを封印の生贄としてそこに残して立ち去るんだけど、
これを相田さんを救い、世界を救うという方法を探して東北に行く。
そうね。
で、こっからはもうずっとその気持ちを焦ってて、早くしないと相田さん消えちゃうかもみたいな、
もう完全にせんとして、もう人間で亡くなってしまうかみたいな焦りの中で、
相田さんのおじいさんっていう、もともとその仕事をやっていた人になんかヒントをもらって東北に行き、相田さんを助けに行くんですけど、
ここがね、この辺がすごい私の怒りポイントなんですけど。
嫌なとこなんだよね。
そうそう。何かというと、そこですずめちゃんの体験とか、見ている人からしたら、
もちろん東北の地震3.11の地震を想起させる場面とか景色とかエピソードが次々にこうフラッシュバックしたり、
間に挿入されていく中で相田さんの命を救うという場面に向かうんですけど、
私は東北の震災のそういう場面を冗長的に出されると、もう結構反射的に泣いてしまうんですよ。
物語に関係なく自分の記憶として3.11が想起されると、
その時の膨大な関連事項がワーって襲ってきて、涙が流れてしまう時っていうのが物語のクライマックスのところなんですよ。
そしたら、なんかこれ、私はその時怒りを持って、この物語のクライマックスと震災を混ぜるなって。
流している涙が何のものなのか、分かんなくなっちゃうじゃんっていうのが自分の怒りとしてあり、
テーマの複雑さと批判
そしてこれを勘違いしている人が絶対にいるだろうなって思うんですよ。
いるでしょうね。
今私が泣いているということを、東北のいろいろから想起されて涙を流したりしてても、
そこに物語のクライマックスを持ってこられると、私はこの物語に感動したという認定をするだろうなって。
許せない。これはもう許せない。認知を利用されてるっていう、なんか怒りで。
私はそれを、雀のとじまりをなぜ見てたかというと、なんかたまたまアマプラで無料の時があって、
新海誠作品がいっぺんに無料になった時があって、子供が見て、次々見てて、一個見たら次オススメされるからそれも見てみたいな感じで見てて、
子供と一緒に見てたんですよ。で、私が泣いてるのを見て、子供がお母さんこの物語に感動してるって勘違いするかもしれないって思って、
急いで泣きながら、ママは今この物語に感動してるんじゃないってすごい説明して。
私は記憶があるから、あなたたちは生まれてないけど、こういう場面を出されると反射的に涙が出るんですと。
間違ってもこの映画のことを素晴らしいと思ってない。むしろこれは本当にやっちゃいけないことだと思うってすごい言ってポカーンとしましたけど、
それをちゃんと説明しないと、勘違いされる。これ、お母さん泣いてるってことはこの映画結構いいのかもしれない。
いいと思ってる、これぐらいいいと思ってる人がいるのかもしれないと思ってもらったら困ると思って、すごい説明したんですけど、それが本当に許せない。
なるほどね。
っていう話。
で、あれだよね、僕ほら、どうせ死ぬ3人の方でさ、新海誠は獲物だっていう話したじゃん。
僕としては批判的文脈で使ったんだけど、どうせ死ぬ3人のリスナー全然理解されてないんだけど、僕が新海誠を批判しているポイントはまさにそこなんだよね。
あれは、綺麗、美しい景色とか、美しい音楽とかに感動しているっていうのを。
物語の感動ポイントとミックスしていて、それが彼の手法であって、
で、まあ、そのスズメのトジマリは東日本大震災っていう結構国民的記憶みたいなものをそれに使ってきたっていうことだと思うんだけど、
感情に訴えかけるものだったら何でも使うっていう姿勢は、前からそうで、まあヒットしたけど、スズメの、スズメじゃないや、君の名は?とか、
あれも基本的に引き裂かれている2人の感情の高まりのために隕石が落ちてくるっていう話なので、
で、その災害というものっていうのが、そのように使われるっていうのが、彼の作風としてすでにもうあるっていうことだと思う。
そう、でなんかそれが架空のもの、架空のその隕石落ちてくるとか、架空の事件だったり、あとはその青い空とか、美しい音楽とあなたが10代だった頃の思い出みたいなリンクみたいなのは、
まあ勝手に引くでくださいって思ってたんですけど、なんていうか、まあ個人的な情緒みたいなところに拍手してみたいなのは、なんかすごいグロいけど、そういうこともあるかなって思ってたんですけど、
それを具体的な、しかもまだ記憶に新しいことに、たった10年前ですもんね。
そうそう、結びつけて使うっていうのは、それはあんまりじゃないのかなみたいな感じ。
そうね、おっしゃる通りなんだよな。で、なんかその、僕がすずめのとじまり見たときの一番の感想って、要素が多いだったんですよ。
あーそうですね。
すずめのとじまりって、122分の映画なんで2時間ですよね。2時間の物語を作るのにすごく要素が多くて、僕らのあらすじ解説だと伝わんないかもしれないですけど、
僕が思うに、あの映画に含まれていた要素って、主人公のすずめの自己実現、つまり田舎で押し込められている10代の子供っていうのが、どのようにして都会で大人になるかっていう話が一つ。
で、もう一つは、すずめが東日本大震災で親を失っている、母親を失っているということに関して、そのつまずきみたいなものをどのように自己回復していくかっていう話。
で、もう一つは、その幼いすずめを引き取らざるを得なかったおばさんの葛藤の問題と、そのおばさんとすずめが新しい関係になっていくっていう話。
と、すずめと葛藤の恋愛感情の話と、その初めに家人にされていた猫の大人が、なんていうかな、と和解する話っていう、これぐらいテーマがあるんだけど、そのテーマを入れすぎたがために一個一個が深掘れないから、
こういうことって、こういうことっていうか、なんていうかな、いわゆるあるある的なっていうか、ジャンプ漫画でこっちが必殺技先出したらこっちも奥の手出すよねみたいな感じで、こうきたらこうでしょみたいなノリで全部が解決されていくっていう。
おばさんとスズメの関係
特におばさんの問題とかって、めちゃくちゃセンシティブな話だったと思うんですよね。で、おばさんが、なんていうかな、大人に乗っ取られるんだっけ。
大人の対の猫がいて、黒い大きな、左大人だったかな。大きい猫が、また猫の神様みたいなやつがいるんですよ。それにちょっと乗っ取られるっていうか、乗り移られるんですよね、おばさんが。ちょっとだけ。
で、乗り移られることによって、自分の中の負の感情みたいな増幅して、それをスズメちゃんに直接ぶつけてしまうっていう出来事があるんだけど、そういうときにおばさんが言ったのは、あなたを引き取ったことで、私は普通に恋愛して結婚して子供を産むというプロセスを踏めなかったっていう話をするんですよね。
これすげー複雑な問題、複雑かつセンシブな問題だと思うんですよ。
そう、しかもね、じゃあ3.11を取り扱うんだったら、たくさんいると思う、そういう人が。
そういう人がね、実際にね。で、それを、いや、なんか、揉めた二人って仲直りしますよね、みたいな感じで、なんか何事もなかったようになったの、やべーなと思って。そう、特にあれも解決されなかったんですよね。
そう、なんか、だから猫に取り憑かれて、あなたのせいで私の人生めちゃくちゃみたいなこと言われて、そしたらスズメちゃんが、いや、連れて行ってとか言ってないし、みたいな。
おばさんが私を家族にするって言ったんでしょう、みたいに言ったおばさんが、そんなの覚えてない、みたいになって。もうなんか、そしたら、その瞬間に、あ、おばさん猫に取りやられてたんだっていうのがすぐ分かるようにはなってるんですけど、それにしても嘘ではないかったわけで、
言わなかったことを過激的に言ってしまったけど、嘘ではない。おばさんもそれは自覚してて、大変なことを言ってしまった、こんなこと言うつもりじゃなかったのに、みたいな認識だし、で、それが、なんか雨の時、ざーっと雨降ってる時にそれが起こって、なんか空が晴れてしまったら、なんか、あーは言っちゃったけど、みたいな感じで。
え?って。
うん。
あんなこと言っちゃったけど、それだけじゃないよね、みたいにして。
うん。
なんか、それでいいんだ、みたいな感じで回収されました。
そうなんだよ。あれ、すごいなーと思ってて、だからなんか、すごいいい話風になってるんだけど、全然誰にも配慮されてない映画だなーって思った、あれ。
で、おばさんが、あの、スズメちゃんに、スズメちゃんが、うちの子になりなさいって言ったじゃないって言って、そんなこと言ってないっていうのと同じ掛け合いを、スズメちゃんと大人でやるんですよ。
猫でね、やるんだよね。
猫が、ね、うちの子になるって言ったじゃんって、スズメちゃんに言ったら、あー、そんなこと言ってないし、みたいな、あんたなんか嫌いだし、みたいなこと言って、みたいな、そこがたぶんリンクしてるんだけど、なんか、なんか、なんなんだよって感じなんですよね。
全体的に。
全体的にそういうことが起こって、しかも、それが、その、ちゃんと物体が分けられずにっていうか、今一体どれについて考えてるのかよくわからないまま次々起こるから、スズメちゃん自体も。
いっぱいあるからね、さっき言ったみたいにね。
スズメちゃん、主人公のスズメちゃん自体も、今どの感情を持っているのか、わからないというか、なんか、今何についてこうやってるのか、ごちゃごちゃでわかんないんですよね。
だから結局3.11の悲しみ、お母さんを失ったこととか、町が荒廃しちゃって、家の上に船が乗っかってる画面とかと、ソーザさんを助けるんだみたいなのがごちゃごちゃにされるんですよね。
そうね、そうね、うん、そうなんだよな。
要素が多い、あ、ごめんなさい。
いや、どうぞどうぞ。
要素が多いって物語っていうのは、全然あると思うんですけど、他にも。もっと多いのだってある。トーマの心臓なんか、もっともっとある。
けど、舞台が分けられたり、場面が転換するので、今はこれについてですっていうのがちゃんと示されるから、こう、混ざらないんですよね、なんか。
いや、トーマの心臓は、あの、やっぱ有利の回復っていうすごく大きいメインストリームがあって、他のテーマっていうのがサブ的に扱われているから、がたつかないんですよ。
でも、あの、スズメの閉じまりって、じゃあメインストリームなんだったって言われたら、あの、よくわからないし、エンディングの描かれ方だと、スズメとソータだけ。ソータの恋愛の話みたいな感じになってるんだよね。
でもそれって、あの、ここまで出たすべての問題の中で、最もどうでもいい話っていうか、いつからコミットメント感情が生まれたの、この人たちっていう感じで。なんか、人生にとってもっと大事な問題いっぱいあったし、それほとんどなんか、あんまり解決されてないままだがな、みたいな感じで。
大臣の自己変革
だから、そのメインストリームがどれかわからない上に、一番メインストリームっぽく扱われているものっていうのは、ここまで喋って、それがメインストリームなわけないだろっていう話がメインストリームになってるなーっていうのはちょっと思いましたね。知らんけど。
で、もう一つ思ったのは、最後大臣が自己犠牲して人柱に戻るんですよね。なんか、生贄に戻るんだけど、彼がそのように、なんていうかな、自己変革するっていうか、佐大臣の成長みたいなのが何きっかけかっていうのが、なんかやっぱそれもすごく雑に描かれてるというか。
だから、たぶん、新海さんの意図としては、かえちゃんがおっしゃったように、そのおばさんとスズメの関係と、スズメと大臣の関係がパラレルになっているから、おばさんとスズメの関係という部分が解消されることによって、スズメと大臣の関係も解消されるっていう図式になってるんだと思うんだけど、
おばさんとスズメの関係がなぜ解消されたかが全くわからないから、大臣が突然自己変容したのがなんで?ってなるんですよね。だからそこは、つまりオタク的なノリっていうか、Aと来たらBでしょ、みたいな感じで。
そりゃ喧嘩したんだから自己重要ですよ、みたいな感じで、その乗り越えられてんな、みたいなのは思った。
だからただただ猫かわいそうってなっちゃうんですよね。猫かわいそうじゃんってなる。またその猫かわいそうさもあいまって、一体何にどう思えばいいかがもうぐちゃぐちゃなんですよね。
新解作作品って基本的に世界かその人かの二択っていうのを迫ってくるんですよね。全部そうだから。
で、基本的には新解作品においては世界のために引き裂かれるっていう話が多いんですよね。一作目の星の声も自分の恋人が遠くの宇宙の戦地に行ってしまってもう会えなくなると。つまり人類を守るための兵隊になるっていうこと。
つまり世界を守るということの引き換えとして自分は引き裂かれたっていう話だし、君の名はもうそうだよね。
忘れちゃうんですよね。
そうそうそうそう。隕石を裂けると、その入れ替わってた時の記憶っていうのが忘れちゃうっていう。世界を守る代わりに引き裂かれるっていう話なんだけど、このスズメのトムチマリのたぶん一個前かなに作られた。
天気の子。
天気の子。天気の子はその子のために世界を犠牲にするっていう話なんですよね。
びっくりした。それを見てびっくりした。雨が止まなくなっちゃうんだよね。
止まなくなっちゃうんだよね。
それは子供もえーって言ってた。
でもたぶん深海さんが本当はやりたいことなんだと思うんだよね。
そっちがね。
本当は世界を犠牲にしても大切なものがある、大切な人がいるっていう、なんかすごくエゴイスティックな作品で、そのエゴイスティックさっていうのが、自分と相手以外のものはすべて対象化されるっていうか抽象化されるので、
その人間性とかその事実の固有性みたいなものがすべて剥奪されてるんだと思うんだよね。
それが自分と同じ対等の自分と同じタイプの存在なんだっていう意識がないから、
例えば東京の改札口がくりきり開かっているとか、音楽がここで大きくなるみたいなのが、もう完全に感情同調のための道具と化していく。
これを僕はエモノモトって呼んでるんだけど、っていう話で、つまり私とあなたの恋以外のものはすべて従属的な世界なんだっていうことをずっと言っていて、
で、かやちゃんが怒っているのは東日本大震災までそれやんのっていう話だと思うんだよね。
すごいね、あんたっていう話だと思うんだけど、でも天気の子で言ってるのは、本当、なんでも本当に世界だって引き換えにするんだっていう話をしてるんだと思うんですよ。
かやちゃん してた、してた。
から、別に東日本大震災ぐらい引き換えにしますよっていう話だと僕は思うんだよね。
かやちゃん ほんとね、あんまりなんですよ、それは。
それはあんまり、天気のやつは、雨ずっと降り続ける日本もファンタジーだし、君の名はもう、なんかどっかよくわからない町一個隕石で消滅するって、
ファンタジーだから、やったらいいんじゃないの、頭の中でやったらいいんじゃないのって思うんだけど、
具体的な地名と具体的な地震、いやこれ、それはダメでしょっていう。
そうだね。
かやちゃん しかも、同じような被災した人が山ほどいて、お母さんだけ亡くなって、自分だけ取り残されてっていう人も多分山ほどいるし、
そうね。
かやちゃん あの、一個一個出てくる画面も、津波で打ち上げられた船が建物の上に乗ってるっていう絵とか、あとは暗闇の中で火事が広がってるっていう絵とか。
あったよね、実際ね。
かやちゃん それってすごい、あの中でもインパクトの強い場面場面、それを踏み切りやら、青空と同じように使うって、それはいくら何でもやりすぎだよって思う。
かやちゃん これはあの、怒りを表明しないとならぬと私は思いました、これについては。
そうね、そうね。
かやちゃん 好き嫌いの話じゃない、もう許さないって感じ。
そうね。
よくないんだよね、そういうのはね、ほんとに。
かやちゃん あ、猫思い出した、猫は壮太さんの封印を解いて、すずめちゃんが自分が、
生贄になる。
かやちゃん 生贄になるって言って、それで猫がハッとして、一緒に壮太さんを抜き始めるみたいな、封印を解き始めるみたいな場面があったけど、
それにしても、なんか薄いなって感じだけど、猫かわいそうの方が勝つんですけど、それぐらいだと。
そうね、猫がなぜすずめに賭けていたかみたいなことが、
結局、すずめとパラレルであるという異常の提示がないから、猫固有の事実としては、よくわからないまま進んでいくみたいなところが、その原因かな、みたいな。
すずめとパラレルだからなーって思ってみてると、わかるというか、その、なんていうのかな、その、つまりおばさんが何を犠牲にして、どういうことをしたのかっていうことを理解することによって、
大人への旅
彼女は大人になって、その大人になることによって、世界にどう責任を持つかっていうことを理解したから、その自己犠牲できるっていう話。
なので、それをすずめが理解するということは、すずめと大人の関係においても大人はそれを理解するんだっていう話なんだけど、大人の固有の葛藤と固有の問題としてそれが起きないから、
おだしょー そうですね。 なんで突然そう思ったの?っていう感じになるんだよね。
そうなんだよな。あとなんか、おばさんは結構、東北に行くすずめにつき添って行くんだけど、ちょっと助け、支えつつっていうか、で、その時に、どこ行くの?かなんか聞かれて、すずめちゃんが好きな人のとこ、みたいに言うんですよ、東北に向かって。
それもなんか、はー?みたいな。だから、それはその天気の子とかと同じように、その世界よりこの人を大事っていうことのその表現だと思うんですけど、世界を助けに行ったりするんじゃなくて、
葛藤さんのとこに行くんです、みたいなことかなって思うけど、あの流れで言われたらなんか、はー?って。なんか決め台詞みたいに今言ったけど、みたいな感じになる。
どう思えばいいかわかんないんですよね。あやってなんか、ぱーって振り返って、すごい満面な意味で、好きな人のところ、みたいに言われて、わーって、思わんくない?みたいな、今これどういう。
わかんない。でもほら、それはやっぱ我々が年を取ったというか、10代とか20代の前半の人とかだったらそう思うのかもしれない。
それも思った。だからこれもしかして3.11の記憶がない人向けに作られてて、だからこういうことをするのかなと思った。
それはもしかしたらわかんない。でもね、なんかね、新海誠の物語構造、全部だよね。全部の物語構造を子供向けに作るのってどうなんって思う?やっぱり。
やばいよ。その恋愛をそれほど人生の上位に置くとか、あのような関係性をヘルシーなものと思うとか、恋愛に対するコミットメントがあのようでなければならないみたいなのっていうのは、
やっぱ子供に言う話じゃねえだろうみたいな。そういう人いるのはわかるけど。そういう人いるのはわかるんだけど、やっぱ人生大変だと思うよっていう話だし、それによって失うものが本当取り返しつかない人っていうのもすごくたくさんいるよっていう話だなと思ってて。
恋愛の葛藤
むしろ、そのコントロールできない、そういう恋愛感情とか自分の性欲みたいなのをコントロールできない年代の人に対しては、それをコントロールすることの必要性とか、それを乗り越えることによる話っていうのがやっぱ出たほうがいいんだろうなと思うんだけど。
多分根本的な世界認識が違うから、そんなこと言ってもなって感じ。
だからなんか天気の子も持ったし、君の名はも持ったし、この雀の閉じまりの最後が相田さんとやり遂げましたみたいな感じで終わるのも、そんなに恋愛がやりたいんだったら恋愛だけでやれって思うんですよね。
そうそう、世界引き換えにすんなって話だね。そうなんだよな。そうなんだよな。でもね、これ天気の子と雀の閉じまりが出た後だと、そこまですんのかってことは理解可能だと思うんだけど、
僕も好きで、かえちゃんもたぶん好きな、本と雑談ラジオっていうポッドキャストあるんだよね。漫画の小泉智弘さんと歌人の松野孝一さんの2人でやられてるポッドキャストなんだけど、松野さんが君の名はが公開されてたときに、たぶん僕らと同じ視点から君の名はを批判したら、ばっかほどアンチコメントはいたからね。
はあ、そうなんだ。いやでも、やっぱり鋭いですね。察知が早いですね。そこでみんなが止めないからこんなことになってるんですかね。
だからその、主観的世界として、その世界と引き換えにしてもいいと思って、その世界と引き換えにするっていう物語を作るっていうのが、作家性として存在するっていうのはいいと思うし、それが売れるのはいいと思うんだけど、それを解釈する人は別に批判してもいいんじゃねえかっていう話だなと思って。
あなたがおっしゃってることは、全然物語のトーンと違っていい話じゃないですよと。いい話風に話しましたけど、全然いい話じゃないよっていうことだなって思ったなって感じかな。
20年くらい経ったら、その視点からめちゃくちゃ言われる論文とか本とか出るんじゃないかな。
だってよくこんなことできるなって思うもんな。よくもまあこれを、誰か止めなかったのかよっていうのもすごい思った。こんなに作り始めて宣伝して公開するまで何年かかってるか知らないけど、どっかで誰かちょっと待ってくださいって。
誰か言ってくれよって思ったけど、いなかったんです。いなかったか、まあ小さな声だったか。
そうね。まあ多分お金稼げるからね、新海誠監督、日本で最もお金稼げるアニメーション作家の一人だろうから。
いやもう、すずめのとじまりがこれは儲かるって思われたっていう判断、儲かるという判断だったんだったらもう嫌だ味がやばい。
物語のメッセージ
嫌だ味がやばいね。
細かく言うとめちゃくちゃもっともっとあるんですけど、嫌だポイントが。
例えば。
例えば、父的存在が全然出てこないとか。母的な存在は山ほど出てくるのに。
なるほどね。でもあれなんじゃない?ソータ君の友達。
ソータ君の友達は出てくるけど、ソータ君の友達にも思うとこがあって、この人ね、注意して、今日お見返ししたんですけど、すごく注意してケアしない態度をとり続ける。
ソータさんまず、心配してるんです。間違いなく心配してるんですよ、このソータの友達は。いなくなったソータのことを心配してて、
スズメちゃんがソータさんのアパートにいたらやってきて、探してるのがわかるんですけど、この人、ソータさんを探してる友達なんだなっていうのがわかるんですけど、心配してるって言わないんですよ。
一回だけ、ボソッと、ソータのこと心配してるのがスズメちゃんだけだって限らないだろ、みたいな遠回しの言い方をするんですけど、それ以外ずっと2万貸したから返してもらわないといけないってずっと言うんですよ。だから探しに行くって。
言ってるね。
だから、友達、これあれですよ、男の子、友達いない問題のやつですけど、心配してるから助けたいと言わない、そういう表明をしない、思ってる表現はしても口に出させない。2万貸してるから返してもらうために探しに行くという。
そして、スズメちゃんとおばさんを車に乗せて東北まで行ってあげる。明らかに助けてるんですけど、両者がずっと振り回されてる。女の子たちに振り回されて、泣く泣く仕方ないから車で向かってるっていう態度をずっとさせる。
だから、心配してたり、この人たちの助けになりたい気持ちを出しつつ、それを言わせないってことを徹底してるんですよ、この。
そうね。
なんか、分かっつくって思う、そういう表現も。
だから、それが心配もことにおける男性の表現であり、父の表現なんだと思う。
ああ、なるほどね。だから道行くとこでスズメちゃんに会う人っていうのはみんなスズメちゃんのことを助ける人だから、はてきてなければならなかったんだなとは思ったんですよ。
そうね。
一瞬だけ、一番最初に、同じ年の山口かな、どこだったかな。
最初の。
愛媛かなんかじゃない?
愛媛か。
四国だったよね。
愛媛の女の子の旅館、家の旅館みたいなとこに泊めさせてもらったときに、一瞬だけその家族の父親っていうのは映るけど、
ただのそれは背景であって、舞台装置っていうか役割としては全然関係ないものだから、ずっと母性みたいなものがスズメちゃんを助けていき、
最後に絶対にケアしない男みたいなのが振り回されて亡くなく東北まで送り届けるっていう作りになっていて、腹立つなって思う。
なるほどね。
だから、こういうことを映画でやるんだから、そりゃ細かなところもそうだろうよっていう感じなんですけど。
そのように世界を認識してるだろうからね。
確かにな。今考えてて、いるかなっていうのは思った。
父的なるもの、新海誠監督の。
これまでの中に?
これまでの映画の中に、兄がいるんだよね。
誰の?
コトノハノニワっていう、男子高校生と女性教師の恋愛を描いた作品があるんだけど、
その男子高校生は兄と二人で暮らしている。
うん。
確か。
男の子のお兄さんか。
男の子のお兄さん。
でも父的な存在、あれだよね。
君の名はの女の子のお父さんは蝶々であるっていうのがあったよね。
うん。それだけじゃないかな、でもお父さん。
それだけか。
うん。わかんないけど、いるのかもしれないけど、思いつく限りそれだけですね。
結局、すずめちゃんも母的なものとして感性するじゃないですか。
そうね。
小さい自分を。
自分の夢の中でそれはお母さんだと思ってたんだけど、本当には未来から来た自分だったっていうのがわかるっていうオチなんだけど。
扉の向こうに人間が実は行けるんだよね。扉の中から異様のものが出てきて地震を起こすんだけど、それだけじゃなくて、実は人間も扉の側に行けるんだけど、実は3.11が起きたときにすずめちゃんは扉の中に入っちゃってるんだよね。
で、扉の中では時空が歪んでいるっていう話がすでに提示されてたんで、物語の最終盤まですずめちゃんは3.11のときに異界に行って、そこでお母さんに会ったんだっていうのを観客にミスリードさせるんですよね。
で、すずめちゃんもそれはお母さんに会ったんだっていう理解をしているんだけど、物語の最終盤でそれは今回異形のものと戦うためにやってきたすずめちゃん自身だったってことがわかるんですよね。子供のすずめちゃんを大人のすずめちゃんが会うっていう。
物語の表現としてはインナーチャイルドと和解するっていうことだと思うから、彼女が大人になるっていうことを表現しているんだと思うんだけど、かえちゃんが言ってるのはその話よね。
で、その大人になるってのはどういうことかっていうのは母的なものになるっていう話だよねっていうのがかえちゃんの指摘だよね。
そう、その映画で表現してるのはね。で、ガッツクワーって思う。
そうなんだよな。深海作品の中で男性というのは母的なものにケアされる存在として現れるから。
ずっとそう。 深海 ずっとそう。だから女性がケアする存在以外にはならないし、男性がケアする存在としては出てこないし、男性っていうのはいずれケアされるための傷ついた存在として出てくるので、
そう。 深海 被護者とか統治者とか支配者としての男性すら出てこないってことだよね。 うん。そう、わざわざおじいさんは病院に入院させられてたし。その役割としては。
父なるものとしての役割ができないようになってた。ずっとそうだね。だから男の方は大人になれないまんま、女の方に早く大人になって俺をケアしてくれっていう作品をずっと描いてる。
作品のテーマの考察
ああ、やだ。他の作品にたがわずこれも、今回もそこの部分はそうでしたねっていう感じで。 深海 そうね。だから男の子って繊細なんだねって言われてるんだよね。
ねえ、すごいですね。 深海 すごいよ、賢かったね。 すごい。この男の子って繊細なんだねっていう一言が、もう10年以上経って新しく出た深海誠事作品にもまだまだ刺さるとすごいですよね。
すごい。賢かったね。 深海 すごいですね。 なんで自分が選ばれなかったかよくわかるわ。選ばれないよ、そんな賢い人に。それがわからない人間は。
これはすごい。もう一発KOって感じだもんな。この一言でもう一発って感じ。あともっとめっちゃ細かいこと言うと、じゃあ、すずめちゃんが家から宮崎の家から持ってきた椅子。
それは、椅子から颯田さん離脱したから、椅子が残って最終的に。それをパラレルワールドに迷い込んでた小すずめちゃんに渡すじゃないですか。椅子最初どっから来たみたいなのすごいイライラするんですよね。
母の愛はね。母の愛は一番初めどこから来たのかって。
やっぱりじゃあ最初の椅子は家に小さいすずめちゃんと東北にあった椅子はじゃあやっぱり流されてなくなってて、未来から来たお姉さんにもらった椅子、じゃあどっから来たんってすごいモヤモヤする。まあでも、まあまあまあそんなことはまあまあ細かいこととして。
他に田川通信会のことの男の子だって繊細なんだねの部分もまあ多めに見るとしても、もう3.1以上使ったことだけはもうマジで絶対に許さんっていう話。
そうね、かな。
母の愛 はい、これを世界に向けて発信できて満足です。
あ、よかったです。よかったです。実はね、よく考えて生きていかんといかんすね。
母の愛 はい、皆さん、今自分が何に涙を流しているかちゃんと一個一個確かめてくださいね。
うん、ちゃんと自分の魂と共に生きてくださいね。
母の愛 はい。
はい、そういう感じですかね。
母の愛 はい。
はい、それではまたお会いしましょう。ごきげんよう、むろでした。
母の愛 ごきげんよう。