1. 「私たちは人間になろうとしている」
  2. #96 【振り返り】2025年あり..
2025-12-25 55:55

#96 【振り返り】2025年ありがとうございました!2026年良い年になる魔法をかけときました!

2025年みなさまありがとうございました!

お陰様で例年になく実りある年になったと思います!

みんな幸せで安心して暮らせますように。

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サマリー

2025年を振り返り、バレエのレッスンを受けることで自己と向き合い、成長する過程が語られています。また、仕事における挑戦やクライアント対応の経験を通じて、自己信頼の重要性や環境への柔軟な対応が強調されています。このエピソードでは、ホストが2025年を振り返りながら、2026年に向けての抱負や人間関係の変化について話しています。また、音楽やバンド活動から得た経験、人との繋がりの重要性についても深く掘り下げています。2025年を振り返る中で、家族との絆やその大切さについて考察されています。さらに、ポッドキャストを通じて得た学びや成長、シニアの活躍への関心の高まりについても触れられています。2025年の振り返りを通じて、自己成長や基礎力の重要性が考察されています。2026年に向けたポジティブな展望とリスナーへの感謝の気持ちも示されています。

00:06
みなさん、今日の調子はいかがですか?
私たちは人間になろうとしているパーソナリティのみぃです。
この番組では、中年の危機を迎えた私が、ホルモンや無意識の支配から逃れ、人間として生きていけるようになる過程のお話をしています。
2025年の振り返りとバレエ
今日は、2025年の振り返りをしていきます。
私たちは人間になろうとしている
大体、振り返りって長くなっちゃうからね。
パパッとね、要件だけ言いましたけど。
2025年、振り返りをね、していきたいと思います。
えーと、今回も手帳をね、見て振り返りをしてみました。
あとね、手帳と私、3年日記っていうのをつけてまして。
それをね、2025年の1月から今までのちょっとどんなこと書いてあんのかなーっていうのをペラペラっていうふうにめくってね、参考にしてきたんですけれども。
まあダラダラ喋ってるとね、いっぱいあるので。
なんとなくこう自分が思った2025年の項目をいくつかに分けてですね、感想を言ってみたいなと思います。
まずね、あれですよ。
2025年は、まあわかりやすく頑張ったなって思うのはバレエですね。
バレエは今ね私、そう、ずっとね聞いてくださってる方もいるんですけれども。
あー、いるっていうかいると思うんですけれども、その方たちはご存知だと思いますが、
今日初めて聞いてくださる方もね、いると思うので、その方に向けてご説明しますと。
私は今45歳なんですけれども、2年ちょっと前ぐらいからクラシックバレエをね、習い始めました。
子供の頃からバレエをやるのはね、すごい憧れていたんですが、ちょっと環境などの影響がありまして、
素直にバレエをやりたいと言い出せずにやることができませんでした。
バレエに対してはすごい好きっていう気持ちと、
尊敬してる気持ちが、もうカルチャー自体に対する尊敬があるので、
大人になってからね、やりたいつってやれるもんじゃないって思ってたんですけれども、
ひょんなきっかけがあって、バレエをね習い始めまして。
2025年の今年は、まあ2年ちょっと、やってから2年ちょっとなんですが、
舞台にね3回立つことができました。
その舞台に挑戦するにあたっては、
まあ、怠惰なね私も、レッスン以外にダイエットもね、結構頑張ったなぁと思っています。
ちなみに私、あの、
自分は体型としては普通体型で、
ややちょっとこうぷちゃっとしてるね、
あの子供の時からこうぷりっとしたね、子供だったんですけれども、
その自分の体型に対しては何にも思ってなくって、
ぷりっとしてる、ぱつっとしてる女性を、
個人的にはちょっとタイプ?タイプっていうか、好きなんですよね。
だから自分がちょっとパンとしてたり、ぷりっとしてても、
細くないけど、割と好きなタイプです。
ですが、やっぱりクラシックバレエをね、やっぱりこう、やりたいというかやるってなったら、
バレエ体型を目指したいわけなんですよね。
まあそれでダイエットを始めたという感じです。
バレエはね、まあとにかくね、自分の弱さとすごく向き合ったなという気がしていますね。
バレエのレッスンだけじゃないですけども、
やっぱり体を使う、フィジカルで今の自分の限界を知るっていうことって、
本当にメンタルにね、良い影響があるなぁと改めて思いました。
仕事とか、頭を使うという経験の方がね、私の場合は多かったので、
でも頭を使う活動で自分を追い込むとね、
精神力が強くなるかっていうと、結構そうでもなかったような気がして、
でも追い込めないっていうのがありますよね。
多分、追い込む才能っていうのを持ってる人っているなぁって思うんですけど、
私は結構自分に優しいタイプで、今はそれをこう改善しようと思っているので、
ちょっと違いますけど、やるって決めたことをやれないとか、
ダラダラしたりとか、自分にドアマーな性格なので、もともとは。
自分を追い込むっていうのはね、恐怖とか、
恐怖だね、主に恐怖を感じた時ぐらいしかできないんで、
自分を追い込んでハッピーになれたことってあんまなかったんですよね。
ですが、バレエはそもそもやりたいっていう気持ちがあって、
バレエをやる時に、上手くなりたいって思うとするならば、
レッスンであったりとか、自習練であったりとか、日々のストレッチっていうところで、
どうしてもその都度自分の今の力の限界を出す必要があると思ってるんですね。
でも、レッスンをやりながら思ったのは、本気ってすぐには出せないってことで、
やっぱり1回1回の練習を、本気を出すっていうことを、
どれだけ自分がやれるのかっていうのが結構課題だなと思っていましたね。
本気を出すって言うと、なんとなく泥臭くて、
なんかやりゃいいみたいな、やってるふうのが美徳みたいな、
そういう雰囲気の言葉でもあるかなって思うんですけど、
実際にはもっと違くて、なんて言ったらいいんですか、
切れ味の良い本気を、レッスンの1回1回でどれだけ出せるかの戦い、
みたいなことを結構やったなと思ってますね。
で、本気を出してるつもりっていうのは結構あるんですけど、
本気を出してるつもりの時の本気って、なんか言い訳がついてくる感じなんですよね。
だって私大人になってから始めたし、とか、別にこれで食べていくわけじゃないし、とか、
体硬いし、とか、
そういった言い訳が、なんとなくかすかにね、残るような感じで、
で、精一杯やってます、みたいな感じだったんですけれども、
なんかそれにすごく違和感を感じてから、
もっとこう自分の体に集中するようになってから、
まあ今自然とね、本気出したな、みたいな状態になれたなぁと思ってます。
で、結局本気出してるつもりのなんとなく後ろに言い訳が残る感じって、
人のこと気にしてるんですよね。
あと環境を気にしてて、でも本当にフィジカルに追い込んでいくと、やっぱね、
脳では追い込めないところまで追い込めるようになるんですよね。
そうすると自分の弱さと必ず対峙しなければいけなくなって、
まあ言葉にできない自分の弱さもあるんですけど、
すごいわかりやすく言えば、
もうつらい、やりたくない、
みたいなね、痛いとかね、しんどいみたいな、眠いとか疲れたとかそういうこともあるし、
あとは結構私は、自分より上手い人なんてもう、ほとんどが自分より上手い人の環境の中で、
ちょっとその上手い人たちと自分を比較するというね、
そういう弱い心にすごい気がついて戦ったなぁと思いますね。
自分の思う理想には届かなくても、今ね、届かなくても諦めないっていうことも結構頑張ったなと思います。
自分をね、信じるっていうのは結構難しいなっていうのもすごく経験したんですが、
でも自分を信じるっていうのはすごく大切なことだなっていうのもバレを通じて思いました。
自分を信じるっていうのは、私すごくない?みたいなこととは全然違うと思ってて、
例えば頑張ろうとしている自分を信じるっていうのもあるし、
できるっていう自分も信じるっていうのもそうだし、
いろんな種類のね、自分を信じるがあって、
その一つ一つに私が負けないっていうこと?
うん、残っちゃった感じですけど、
まあでもバレはね、そんな感じで頑張りましたね。
仕事への向き合い方
ダイエットは、結果2025年の1月ぐらいから今ってなると体重は4キロ増え、増えてない、4キロ減りまして、
体脂肪はマイナス約5%減りました。
ここからね、理想に向けてまだ絞っていきたいと思っていて、
2026年では理想には到達しないと思っていまして、
2027年には理想のね、バレ体験になっているといいなと思っているので、
引き続き頑張りたいなと思っています。
あと仕事についてですね、
仕事はね、去年とか今年の初めあたりは本当にマジでしんどいっていう感じで、
喜びを見出せなかったんですけれども、
だから結構ネガティブな発言とか、日記でもネガティブなことを書いていることが多かったなって思うんですけど、
今はね本当にありがたいなあっていうふうに思ってますね、仕事って。
少し時間に余裕ができたからっていうのもあるんですけども、
そのおかげで自分と仕事との間にね、
精神的な距離ができて、
自分の働いている環境だったり、心理だったり、アウトプットみたいなのを逆観視することができたって感じですかね。
もともとその自分がやりたくてやってるわけじゃない仕事、
ただできるからやってるって、お金を稼ぐためにやってるっていう理解だったその仕事、
その仕事の今の仕事のジャンルの中で、自分が成長していこうって考えるのは結構無理があるなっていうのをずっと思ってたんですけれども、
なんか最近は、この仕事というか会社から与えられている役割みたいなところを通じて、
もう少し自分のやりたいことを形にすることができる余剰があるなというふうにね、最近思えるようになったので、
それをちょっと会社の方にも提案したところをやってみてほしいということだったので、
来年は少し自分がプレイヤーとしてだったりとか、
その後輩を育てるみたいな立場を超えたところで、仕事についてもね楽しんで、
目指すところ仕事でも本気を出せる状態っていうのを実現できるした準備がね、来年はできそうかななんて思っています。
自己成長と信頼の重要性
あとはね、仕事、私の場合は俗に言うクライアントワークという自社の仕事じゃなくてお客様の会社の仕事をしているので、
日々接点を持つのが自分の会社のメンバーじゃないことの方が多いんですよね。
なのでお客様対応が結構多くて、中にはねやっぱりちょっとこう、
ちょっと意地悪っていうか、ちょっとこうハラスメントみたいな気質を持ったお仕事相手の方もいらっしゃるんですが、
まあそれに対するこう、意地悪なっていう、まあ端的に言っちゃうとね、意地悪な人の対処法、自分なりの対処法っていうのを学べたのも大きかったなぁと思ってますね。
なぜかというと、基本的に自分が人との関係の中でありたいスタンスっていうのがあるわけですよね。
例えば楽しくやりたいとか、優しくしたいとか、その人を尊重したいとか、お互いに尊重し合って信頼関係を築きたいとか、
でも意地悪な人とその関係築くのって結構無理なんですよ。
なぜなら、信じられない方もいらっしゃるかもしれないんですけど、意地悪が好きな人っていらっしゃるんですよね。
その人にとっては意地悪って別に意地悪だと思ってないっていうか、
でも私にとってそれは意地悪なんですみたいなことは結構ありまして、
そういったタイプの方との信頼関係の築き方って今までのやり方だと無理なんだなっていうのをほとほとね思いまして、
そういう方には相手と同じペースで相手のやり方を模倣してやるみたいな、
それはこう意地悪を仕返すとかじゃなくて、ちょっとこう意地悪なね、対応された時に、
前だったら申し訳ありませんみたいな対応を終わりとしてしまう感じだったんですね。
私優しいんで。
でもそれだと向こうがいじめていいんだみたいになっちゃうんですよ。
なんで、そういう対応で来られた時は、あ、そういう感じ?って思ったら、
結構こう私も作能のねスイッチをオンにして淡々とコミュニケーション取る。
そうなると向こうもそんなに舐めてこないみたいな感じでね、舐められちゃ終わりだなみたいなところの対応方法を学べたのもねすごく、
すごい良かったです。乗り越えたぜ!みたいな感じがあったんで。
なんでやっぱり自分のね、その理想というか価値観っていうのに固執しすぎないで、
相手を見て違うね、自分の、なんていうのかな、
自分の中にある今までの手法じゃないものをやってみるっていうのも大事だなぁと。
結局柔軟性が高いって私が目指すものでもあるので、
そういう意味でなんていうんですかね、手数が増えたなぁみたいなね感じがして、
2025年の振り返りと音楽の影響
人間的な成長させていただけたかなと思って、すごく嬉しかったと思っています。
次はね、ライブ。ライブはね、もう、なんていうんですか、私これだけ行きましたみたいなものを目的に行ってるわけではないので、
ライブ何本行ったのかちょっと数えてないんですけれども、音情報で言うと多分20から30の間行ったかなと思ってます。
結構行ったかな、過去一番ぐらい行ったかな。
なぜそんなに行ったかというとね、もう私たちが大好きなブラフマンが30周年ということで、
まあいろんなフェスにも出てくれたし、ツアーもいっぱいやってくれたし、
なんつってもね、あの11月に人未来祭というスリーデイズのまあ祭りをやってくれたということで、
可能な限りね、追いかけまわしました。チケットが取れる限りですね、行ったという感じで、
その影響で夫と初めてね、フジロックに行ったり、初めてじゃないけど久しぶりにライジングサン行ったり、
なかなかね、花の穴を砂まみれにしてよく遊んだなぁと思いました。
まあ年々体力もね、ちょっと落ちてきているとはいえ、まだ行けんなって思えた。
そんなライブでした。ライブ。
でね、最近は私昔から中学生ぐらいの時からやっぱりロックが好きなんですよね。
日本のロックも海外のロックも好きなんですよね。
あんまりポップソングとか聞かないで育ったんですけれども、
なぜロックが好きなのかは私はよくわかっていなかったんですが、
最近ちょっとね、だから自分ロックが好きなのかなって思うようになったことがあって、
きっかけはいろいろあるんだけど、
最近、ヘイスミスっていうバンドがYouTubeをコロナのタイミングからやってて、
正直言うと私はあんまりヘイスミス自体を、ヘイスミスっていうのはヘイスミスっていうバンドの略称なんですけれども、
そんなに好きじゃないというか、あんまりスカっぽいものとか、
ロックに管楽器が入ってるとかあんまり好みじゃなかったんですよね。
でもフェスとかで結構見る機会はあって聞くとかっこいいなって思ってる感じだったんですけれども、
きっかけは神未来祭に行った時に私たちは近くの会場近くのホテルをね、
ホテルをね、とっていたんですが、そこはね結構出演者とかスタッフの方が泊まるだろうと、
まあ最初から思っていた、いたんですね。
そしたら、ヘイスミは神未来祭の3日目、最終日に出た、違う違う違う、2日目に出られて、
なんで1日目が終わった後に夫と私がそのホテルでご飯を食べてたらね、
たまたまヘイスミのボーカルのいがりさんを見まして、
でもいがりさんって声かけたら嫌なんだよねみたいなことを夫が言っていて、
じゃあもう遠くから見ようみたいな感じで見て、
そしたらもう一人のボーカルのゆうじさんもそのホテルで派遣してですね、
バンドマンのプライベートちょこっと見ると、やっぱりちょっとこう、
上がる?そういうミー派な気持ちもあって、
神未来祭が終わった後にヘイスミのyoutubeで神未来祭でブラフマンの楽屋で勝手にご飯を食べるという、
結構尖った企画をしていて、
それを見た時にすごいこう、ブラフマンに対しての愛情とかリスペクトを感じて、
なんかヘイスミいいなぁと思って、それで最近ずっとヘイスミのyoutube見てるんですね。
で、だんだんこうメンバーの人柄とかに惹かれていって、
なんかこの間洗濯物を畳みながら、ちょっといろんなことを考えてた時に、
でも多分いがりさんだったらこう言うんだろうなぁとか思った時にね、
私がロックを好きな理由って、ロックンロールをやってる人に対するリスペクトがめちゃくちゃあるのかもと思ってね。
それはどんなことなのかなっていうと、少なくともロックやってる全員を見てるわけじゃないからわかんないんですけど、
私が好きなバンドとか、そのヘイスミのメンバーの人たちを見ている中で、
すごいナチュラルに、自分のやりたいことに真摯に生きてるなっていうのと、
自分がやりたいことを愚直にやり続けるとか、やりたくないことに対してもすごく素直に軽やかに対応されているような感じもするし、
とにかく自分が好きってことをちゃんとわかっていて、
それをどうにかやるっていうことに本気?みたいなところが、
だから私このカルチャー好きなんだなぁなんて最近ね思ったりしまして、
今後の生きる指標になるなぁって、選択たたみながら思いました。
はい、以上です。
人間関係の変化
はいはい続きましては、これねー結構話すの難しいんですけど、
でもまあバンドにね憧れがあってロックが好きな私ですので、
今後はできる限りね素直に話したいと思ってるんで素直に話すんですけど、
友達とのことが結構今年はねいろいろ思うことありましたね。
ポッドキャストを始めた頃は、そう私まだ人に対する警戒心がすごい強くって、
これはね前にも話したんですけれども、小学生の時に自分がねいじめにあったりとか、
あとは思春期頃に結構不思議な大人たちを見てきたりとか、
その不思議な大人たちに本当に意味のわからない関与とかされたことが原因で、
自分はあんまり人に好かれない、人を不愉快にする人間なんだっていう、
謎な強い思い込みがあってね、人の輪に入れないって思ってたんですよ。
でも自分がその50歳に向けて、こうやって生きたかったんだって思える自分になりたいと思った時に、
この人との関係性に対する警戒心とか苦手意識をどうにか乗り越えていかなければ、
それにはたどり着けないなぁと思ったので、
ちょうどそのポッドキャストを始めたタイミングあたりで、
仕事を通じてとか、あとは副業を通じて、
いろいろなお友達とあったり関係性を作ったりとか、
そういったね、あの機会を作るようにしていったんですね。
おかげさまでそのあたりのその人に対する警戒心とか、自分は人に嫌われるとか、
そういう価値観はだいぶね、緩んだなぁというふうに思っているんですが、
緩んだ反面、別のね、課題というのにもね、ちょっと気がつきまして、
最近よくネットとかでは聞くかもしれないの、バウンダリーっていう、
イントネーション合ってるかわかんないですけど、
バウンダリー、境界線という言葉、
あんまり今もよくわかってないし、自分には関係ないかなぁと思っていたんですが、
この言葉がちょっと今思っていることに近いかなって思ったりしていまして、
おそらくね、友達とか人間関係での過去のネガティブな思い出から、
相手が、相手にね、自分が好かれてるのかなとかを、すごく気にしたりする傾向があるなぁと思ったんですね。
それはね、とってもね、窮屈だなぁっていうのも同時に思いました。
私はね、たぶんもともと、結構境界線が曖昧な人間で、
例えばね、なんか心理学の勉強とかしてる時に、
あなたはどこまでが自分ですかって聞かれたことがあったんですよね。
どこまでが自分って言われると、もう私は全部っていうふうに思っていて、
今もね、あの頃よりかはちょっと距離短くなったかなって思うんですけど、
やっぱり全部自分っていう感覚があるんですね。
で、これは別に悪いことだと思ってなくて、
ただ私はそう思ってるだけ。
で、人によっては、その自分っていうのは、自分のこう体の範囲っていうのが自分です、だったりとか、
自分の心だけが自分です、だったりとか、
自分の範囲をね、色々人によって違うんだなっていう、その時に知ったんですけれども、
そのややね、今のSNSとかのニュアンスを拾うと、
その境界線が、あなたと私は別だよねっていうのが明確になっている方がいいよね、みたいな傾向で話されているような気がするんですけど、
正直私はそうとも思ってなくて、
なぜならば、私は自分っていうのはどこまでって聞かれると、
もう全部って感じで本当に繋がってるって感じなんですよ。
もう世界とか宇宙がもう全部自分みたいな感覚で生きちゃってるから、
それはどういう感じなのかっていうと、
例えば周りにいる人が悲しんでいたら、私も悲しくなるんですよね。
で、相手が喜べば私も嬉しい、みたいな、
その共感性みたいなのとはちょっと違うんですけれども、
そういう感覚がすごくあるんですね。
それは、なんていうか、例えばコミュニケーション能力であったりとか、
優しさを表現したりするときにすごく有効な気がしているし、
あと例えば仕事をする上では、
仕事でも会社のことではあるけど、自分ごとに捉えて成果出すぞとか、
みんなで成長していこうぜ、みたいな気持ちになったりとかっていう利点もあるかなって思うんですが、
一方で、さっき言ったように、相手の気持ちを分かってしまうような感覚になって、
自分と同じように思ってるだろうかとか、
今どんな気持ちなんだろうかっていうのを、
すごい気にしすぎてしまって、結果素直な行動に出れないだったり、
気にしすぎて思い通りの結果にならないことで、
攻撃性を増したりとか、ネガティブになったりとか、
邪推をしたりとか、そういうデメリットもあると思うんですよね。
一方で、私のはここまでです、みたいなのが、
全部私みたいな、私よりも短い人は、
相手に対する邪推だったりとか、変な期待とかを、私よりはしないだろうと思うし、
でも一方で、もしかしたらそれはそれ、私は私だからそれはどうでしょう、みたいな、
ちょっとこう、冷たく響いてしまうと捉え、実は冷たくないと思うんですけど、
まあそういう捉え方に移ってしまうケースなんかもあるのかもしれないなと思うんですよね。
どっちがいいとかでも私はないと思っていて、
ただ自分の傾向は知った上で、
自分がどういうネガティブだったり、邪推をしてしまうのかだったり、
どのタイミングで辛くなるのかっていうのは、
どっち側の人間であっても知ってたらメリットあるなって思ってるぐらいな感じなんですよね。
私の場合はややそのラインが曖昧なんだなーっていうのも感じましたので、
やっぱそこにちょっととらわれてしまうと、自分がすごく不自由だな、
自由じゃなくなるなーっていうのも最近思ったので、
気をつけていきたいなっていうふうに思っていますね。
でもまあこういう話をして聞いた方が、
じゃあもうみーさんとはあまり関わらない方がいいかなみたいな感じになってしまうと、
ちょっとそれは寂しくて、そういうことではなく、
なんか私はその友達とか会社のつながりとかそういうの、
人を尊重して大切にしながら、お互いその心地よく助け合って、
助け合うっていうのはそのカジュアルにね助け合って、
カジュアルにまたちょっと違うんですけど、この助け合いっていうのは私の一つのテーマでもあるので、
その優しい世界をね作っていきたいなっていうふうには思っているので、
私と関わってくださっているお友達の皆さんはぜひ引き続きよろしくお願いしますと思うんですけれども、
まあこれもね私の問題って、
自分が関わる関わり方みたいなところのボーダーラインっていうのが、
相手にとっても私にとっても心地いいところっていうのは、
対峙する人それぞれによって違うと思うから、
そこらへんも柔軟性を持ってね、私のことも大切にしながら、
相手のことも尊重していけるラインをね探っていきたいなと、
その探っていくっていうスタンス自体が、
私は愛がある行動だなと思っているので、
それはちょっと今後もしっかり気をつけていきたいななんてね思っています。
家族への感謝
あとね家族のことですけれども、
もう私は家族にはもう感謝しかなくって、
ちょっとねやっぱり幼少期であったりとか思春期が、
ちょっと本当に口に出して言えるような状態じゃなかったものでして、私は。
なのでその私からするとね、
やっぱり家族に対して感謝以外の何もなくて本当に大切な人たちなんですね。
なので私は自分以外のね、もちろん夫もそうだし、
周囲の人たちもそうなんだけど、
どのような表現をしていようが、
その人のご家族に対しては私自身も、
大切な人なんだって思いながら接していきたいというふうに思っているぐらい、
家族っていうのはね結構大切に思っています。
ただ家族というものにすごくとらわれて、
大事にしなければいけないだろうみたいなね、
必ずしもそうとも思っていないので、
それは私がそう思っているだけですということで、
お願いいただきたいんですけれども、
長い前置きが聞きにくい。
でもすいません、言いたいように言わせてください。
今はね、今年特に思ったのは、
やっぱり父親がすごく年老いたなぁと、
これは本当にこういうふうに表現したくないんだけど、
年老いたなぁと思ってますね。
本当はこういうことを本当に言いたくないけれども、
やっぱりその自然に帰っていく、
難しいね、言い方が。
でも準備っていうのが始まってるんだなっていうのは、
最近すごく思うと、
その準備を見せてもらえることのありがたさをね、
いろんな側面で感じていて、
だからこそこの期間をすごく大切にしたいなと、
すごく思いますね。
今年、バックホーンっていうバンドのライブにね、
行った時に、
バックホーンの泣いている人っていう曲があって、
それは、歌詞の中に何度も、
どうかあなたが幸せでありますようにっていう歌詞を、
すごい繰り返し歌うんですよ。
で、その曲をライブで聴いた時にも、
私は耐えられずに号泣してしまって、
それはなぜかというと、
これ親だけにじゃないんですけどね、
そのさっき言った私のバウンダリ?
なんだ、なんて言う言葉だっけ。
バウンダリね。
っていうのが曖昧すぎるからっていうのもあるんだけど、
本当にこう、
全てに対してどうか幸せでありますようにって気持ちが、
でしかないなって思っているところがあって、
なぜかというとね、
親もそうだけど、
親以外の人もみんなそうなんだけど、
辛いこともあるじゃないですか、世の中に。
もう理不尽なこともたくさんあるし、
本当にもう悲惨なことや悲しいことがいっぱいある中で、
その事象を防いであげられないし、
防ぐようなもんでもない、逆に言うとね。
辛かったり悲しいことも、
なんかこういうことも言いにくいんだけど、
あるっていうね。
辛い状態と悲しい状態が、
起こってる、あるっていうことを、
防げないし防ぐもんでもない、
という時にね。
できる限り精神的に、
そばにいて支えたい。
でも何もできない。
から、
幸せでありますようにって願ってる状態が、
親に対しても思うし、
世界中の人に対しても思うみたいな、
おいおいどういうことだよって思うかもしれないんですけど、
この歳のせいにですね、素直な自分の感覚を言うとそんな感じなんですよ。
分かってもらえないかもしれないんですけれども、
あと、おめえは何という独りよがりを言っているんだって思われるかもしれないんですけど、
本当にそんな感じなんですよね。
みんなが本当に幸せでね、
不安なく生きてるのが一番いいんだけど、
それだけでもないっていうかね、
まあ、やめときましょう。そんな感じなんですね。
なので、親に対しては、
できる限りね、
親に対してとか家族全員ですね、
接点を持ち続けていたいなと、
2025年も思いました。
ポッドキャストの活動
もうね、すごい恐ろしいほど長くしゃべってますけれども、
お許しください。
では最後に、ポッドキャストについてですね。
なんだかんだね、結局毎週配信できたんじゃないかなと、
ちょっとお休みした何回か終わったと思うけどね、
これは良かったなぁと思ってます。よく頑張りました。
そして皆さんも聞いていただいてありがとうございました。
ポッドキャストについては丸2年が過ぎまして、
今年はちょっとしたポッドキャストのイベントとかにもね、
参加させていただいたりしたんですね。
やっぱりお友達も増えたし、
ちょっといろんな人の考えに触れられたりして、
すごく参考になったし楽しかったなぁと思っているんですけれども、
今ね、なんとなく頭にハテナが浮かんでいるんですね。
そのハテナは何なのかっていうのはちょっとまだよくわかりませんが、
素直に言うとハテナってなってます。
100回おきにね、
シーズン2にリフレッシュするよっていうのは何回か言ってるんですけれども、
当初ね考えてた、こういうふうにシーズン2を始めようと思ってたことに対して、
多分すごい大きいハテナってなっているような気がしていますね。
正直恥ずかしさ、恥ずかしい話をしますと、
シーズン2にするにあたっては、もう少し人気番組にしたいなぁみたいな気持ちがあったんです。
もう少したくさんの人に聞いてほしいなぁって。
それは何でかっていうと、
自分が今中年の危機とか、そういった未定時クライシスに突入したことをきっかけに、
やっぱりこの2年間、
良くなってきてるなって思ってるんですよね。
状況が悪くなったっていうか、状況がね老化していることは老化してるんですよ。
でも状態はね、幸せになっていってて、
やっぱり昔から興味があったように、
シニアの人たちが元気だったら、幸せに生きてたら、
若い人たちは絶対幸せだと思ってて、
安心を今より感じられるんじゃないかなと思ってて、
ただこのシニアの活躍みたいなことにすごい興味があって、
キャリアコンサルタントの資格を取ったが、
その領域の活動ができてないっていうのは、
ちょっと自分のね課題点ではありますけれども、
自分自身が想定よりも早くこの後年期の症状に見舞われて、
やっぱりこの症状になった時は本当にね暗かったし、
ちょっと絶望的なものを感じたし、
折り合いがつかないみたいなねことが結構あったんですよ本当に。
なんだけど、この2年間で向き合い方とか、
いろいろ思う中でね、
やっぱり元々やりたかったことをしっかりと勇気出してやってみるとか、
あとやっぱり周りの人たちの悲しいお知らせから学んでいくとか、
自分の人生を楽しくね、
納得感を持って生きるきっかけにも、
後年期はできるって確信していまして、
それをもっと多くの人に伝えられたらいいな、
多くの人が受け取りやすい形でお伝えできるような番組したいなって思ったんですね。
今思ってるんですけど、でもなんかそれのやり方が、
当初考えてたものでいいんだっけみたいなのは結構大きなハテナでして、
これがそのロックが好きっていうところにもひも付いていくかなって思うんだけど、
なんか自分の中にある、
ワクワクとか本当の気持ちを表現するやり方が、
今の世の中のメジャーラインに乗ってなかったとしても、
メジャーラインに乗せて数稼ぐより、
自分が納得できる形でどう届けていくかを勝負する方が楽しくないって思ってるんですけど、
なんとなくそれがね、まだじゃあこうしようみたいなのがしっくりこないから、
もしかしたらそのシーズン2始まる時までにしっくりくる形で出せないような気もするし、
それはシーズン3になってからになるのか、シーズン2はそれを模索するのかちょっとわからないんですけれども、
ちょっとねどうしようかなーって思ってたのと、ちょっとやり方考えたいなーなんて思ってるのが今ですね。
まあでもなんかこういいよね、よりこう良いものにしていこうっていう気持ちの中で悩みがあったりとか、
模索するっていうのはとってもいいことだなっていうふうに思ってるのでね、もう少し考えようと思ってます。
あとバレエのポッドキャストもね、今年初めてね、やってみてよかったなと思ってます。
でもこれもねこれ同じで少しやり方変えるかもなって思ってるんですけれども、
どっちにしてもちょっとポッドキャストはもう少し長くね続けていきたいなと思っています。
シニアの活躍への関心
あと悔やまれるポイントで言いますと文章を書くというふうに宣言をした2025年の初め、全くできてなかったなと思いますね。
できてなかったポイントいくつもあって、これはまたちょっとシーズン2とかに入って話そうかなと思うんですけれども、
今後ねちゃんとやっていこうって本当に思ってはいます。
ただし誰も知らないところで始めることにしましたので、もし出くわしたらね、ぜひよろしくお願いしますという感じで、
これも私が自由に書きたいということで、誰も顔も知らない人に向けて書きたいっていう気持ちがありましてですね、
ちょっとそれをやり始めているという感じでございます。
私は人間になろうとしている。
いやー、長くしゃべっちゃいましたね。
でも素直にね、
2025年を振り返った今の私の感想をしゃべれたので、個人的には良かったかなと思います。
そうあとね、この番組を始めたきっかけは中年の危機がきっかけではあったんですけど、
その中年の危機っていうのは今までの生き方を振り返る時期とかも言われていて、
その今までの時期を振り返った時に、私の感覚ではとんでもないことをしでかしてしまったっていう感覚があったんですね。
それはなぜかというと、こんなはずじゃなかった感がすごかったからなんです。
それがもう本当に嫌で、50歳になった時にはこんなはずじゃなかったっていう思いをもう一度繰り返したくないという気持ちがあって、
じゃあそのために私は何をするべきなのかっていうふうに考えて、
例えば先ほど言ったような人に対する苦手意識を克服していきましょうだったりとかね、
そんなことをやっていったん言ってるんですけれども、
その中の一つに私は本当にだらしがない人間で、そうは見えないと優しい人は言ってくれるんですけど、
本当にだらしがない人間でやるといったことを全くできない、そして今の心地よさに溺れまくる性質が強い人間だったんです。
もう過去形にしてもいいと思ってる。
でもそれをこの2年から3年かけてやると決めたことをやるっていうことをずっとやってたんですが、
その訓練の一つとして始めた3年日記が先日終わりまして、
私3年もね、もちろんこう書かなかった日も何日もありますけども、
でも結果として3年日記を続けられたんだなっていう喜びをね感じられた年でもありました。
SNSでですね、あの3年日記続けられたコツって何なのって聞かれて、
何だろうって考えた時に、まずね、毎日必ずやるっていうよりも続けるっていうことにフォーカスしまして、
何日か書けなかったとしてもまた思い出して書くっていうね、ちょっとハードルを低くした。
あと目標を手前のアクションのその先にしたみたいなところかなっていうのと、
あと毎日目につくところに必ず置くっていうのと、
何のためにこれをやるのかっていうのを明確にして始めたっていうこの3点が大きかったんじゃないかなと思っています。
これによってですね、私決めたことをやれるんだなっていう自信がついて、
それは私をとても幸せにしてくれました。
なので、これバレエのレッスンも含めてそうなんですけれども、
2025年の振り返り
今ちょっとバレエのレッスンに向けても少し緩めてる気分というか期間なんですけど、
でもそれをね認識できてるって感じなんですよ。
年明けからもう一度スイッチを入れてダイエットもレッスンもやるっていうことに対して、
昔だったらでもやってこなかった自分を知ってるからできないかもって不安があったり、
どうせできないと諦めて自分を信じられなかったと思うんだけど、
今はね、この2025年過ごしてきたものがあるから、
今緩めてるけど、年明けから多分やれるみたいな、
そういう自信みたいなのがね、前よりあるので、
それが私をとっても幸せにしてくれてるなぁと、
何回も言うけど、やっぱり自分を責めたり自分を疑ったり自分を信じられない状態が一番不幸だなって思うので、
その、なんていうかね、自分が思ったように生きるとか、楽しく生きるの基礎力の一個は、
2025年手に入れられたのかなぁと思いましたね。
さっき日記を続けられるコツ3点。ハードルを低くする。
ハードルを低くするっていうのはカッコで、手前のアクションじゃなくてその先を目的にするっていうのなんですけど、
それと続けやすい環境にするっていうのと、何のためにやるのかを決めてからやり始めるっていうこの3点は、
日記を続ける以外のこと、バレエもそうだし、たぶん仕事もそう、
いろんなことに応用できて、でそれができると自分を幸せにできる基礎力が強化されるんだなぁというのを、
そうだから日記なんて書けたってしょうがないじゃんって言われたら、いや私そのためにやってないんですって感じなんですよね。
だから基礎力をつけるためにやってたので、それすごい良かったなと。
で、基礎力をつけるつけるってずっと言ってても、何でつけるかがわかってなかったら結果が見えないからついたかどうかわかんないじゃないですか。
そういう意味で、3年日記はすごい良かった。いい筋トレになったなぁと思いましたね。
今年はね自分を自由にするっていうのを一つのテーマとしてやっていましたので、
それはね結構いろんな物理的なものだったり価値観だったり、いろんな目に見えないものも含めて、
断捨離するってことを精神的にもねやれたかなぁと思って、古くなった価値観に気づいたりね、まだ手放せてないけど、
まあ気づくことができたりってことがありました。
来年がね、どんな年になるのかなーっていうのはまだ全然わからないけど、わからないからこそワクワクするなぁと思えるし、
あとねやっぱりネガポジティブなんで、2026年からやばいもう世界中幸せみたいなね、よくわからないポジティブの、
なんつーの、予感がしていますので、おそらくこれを聞いてくださっている皆さん、聞いてない皆さんにとってもね、
おそらく2026年以降どんどんいい年になっていくんじゃないかなぁと思っております。そしてそれを心から祈っております。
2026年への期待
最後になりますがこんなに長い収録になってしまって、もし聞いてくれてる人がいたら本当にありがとうございます。
あなたの貴重なこの1時間、何倍速で聞いてるかわからないけど、それにしても長いこの時間。
お耳をね貸していただいて本当にありがとうございました。
来年は少しゆっくり休む予定で、1月の中旬か後半ぐらいから番組をスタートさせる予定です。
まだシーズン1が終わってないですからね。
その際はぜひよろしくお願いいたしますというところと、
皆さんにとって本当にね、来年は良い年が必ず訪れますので、ぜひぜひ楽しく過ごしていただけたらと思っています。
今年もお付き合いいただきましてありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
ばいばーい。
55:55

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