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2025-05-15 24:41

130坂口安吾「明日は天気になれ(珍試合の巻、空とぶ円盤、小戦国の話し)」

130坂口安吾「明日は天気になれ(珍試合の巻、空とぶ円盤、小戦国の話し)」

ジコーサマは何者なんでしょうか。

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サマリー

坂口安吾のコラム『明日は天気になれ』では、戦後の日本における将棋と観戦のエピソードが描かれています。特に、五聖言と岩本本陰謀の対局を通じて、時効様の突発的介入とその影響が物語の中心となっています。坂口安吾のエピソードでは、棋士の心理や不眠の影響、大戦と小戦に関する社会の状況が語られています。また、空飛ぶ円盤の目撃や怪談が人生に与える影響についても触れられています。坂口安吾の作品を通じて、戦争や社会の変化、そしてそれに対する人々の感情が表現されています。

坂口安吾の紹介とコラムの目的
寝落ちの本ポッドキャスト、こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
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また、投稿フォームも別途ご用意しております。
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それと、最後に番組フォローもどうぞよろしくお願いいたします。
さて、今日は、坂口安吾さんの
「明日は天気になれ!」というコラムのですね、
西日本新聞で連載していたコラムの中から、
順番ずつ読んでいるんですけど、
それを読もうと思います。
坂口安吾さん、日本の小説家、評論家、推筆家、
戦後発表の堕落論、白痴らが評価され、
ブライハと呼ばれるということです。
の、明日は天気になれシリーズ。
これはiPadじゃなくて印刷してあるんでね、
紙のカサカサ音が気になるかもしれませんが、
ご容赦ください。
それでは参ります。
明日は天気になれ。
陳詩愛の薪 1
私は終戦後、どういうきっかけであったかわからないが、
五、将棋、野球、ボクシング等々、
実に雑多な観戦機の依頼を受け、
まるで観戦屋という新商売の元祖の館を停したことがあった。
五聖言と岩本本陰謀の対局
二代目が現れないうちに元祖も廃業してしまったけれども、
なぜ廃業したかといえば、こっちは五、将棋をよく知らないから、
見ていても全然わからないのに、
徹夜のお付き合いをするのは何とも辛くてしようがないからである。
一旦辛いと思い出すと、三十分のお付き合いも辛くなる。
こっちが興味を失えば、五、将棋ぐらい見ていてつまらないものはない。
そういう次第で、いろいろと時の大勝負。
大試合を見物した後で、一つだけ二度と見ることができそうもない珍勝負があった。
五聖言と岩本本陰謀との十番号の第一局であるが、
当時、五聖言をめぐって諸々の十番号が行われて、
みんな五聖言の一方的勝利に期している。
そういう十番号のうちで、
終戦後における公式十番号のトップを切ったのが、
この岩本本陰謀との対局で、ましてその第一局であるから重大な一局だった。
ところがこの第一局は、五聖言がこっくりこっくり、
本当に居眠りしながら勝ってしまった。
バカバカしいと言ったって、これぐらいバカバカしい対局があったものではない。
あの時は五聖言がまだ受講様のお弟子の頃であった。
二人の対局騎士と観戦騎者の私の三人は、
対局の前夜7時までに東京小石川のモミジという対局場の旅館に集合して、
その晩から対局の終わるまで丸々4日間門外不出、缶詰になる規定になっていた。
この缶詰は五聖言からの申し出によるもので、
五聖言がなぜこのような申し出をしたかというと、
今から20年ほど前に、
当時五弾の郷聖言と本陰謀周夜名人とが対局したことがある。
この時、郷聖言必勝の局面が打ち掛けになった時、
訪問の騎士が総勢集まって研究し、
当時前田六弾がついに騎士改正の名手を発見し、
そのために郷がひっくり返って本陰謀の2目勝ちになったという飛士があるからなのである。
本陰謀戦にはこういう因縁があるから、
郷聖言が用心深く対局者の門外不出、絶対缶詰を厳重に申し出たのは最もなことでもあった。
ついでに観戦記者の私までが缶詰になる必要はなさそうなもんだが、
私は一歩門外に出ると銀座へ消えるか新宿へ消えるか、
消えたが最後、2、3日は行方不明という悪癖があって、
後の因縁とは関係のない理由によって監禁状態にされてしまったのである。
さて、対局前夜の7時までに3人が集まって、一緒に仲良く夕食を共にすることになっていたのに、
岩本本陰謀と私が時間通り到着して、7時になり腹ペコの状態で8時まで待っても郷聖言が現れない。
郷聖言はシナの人らしく、約束には花々堅いんだからと安心しきっていた新聞社の人が、
念のため彼の家へ電話をかけてみると、意外にも時効様一行が上京して郷聖言をさらっていったというのだ。
当時時効様は、奥州津軽辺りの北の崖へ落ち延びて、
神様の一族皇帝と信者全部ひっくるめても30人ぐらいしかおらんという哀れな勢力となっていた。
北の崖へ落ち延びても、日夜近隣の大人子供に投石されるようなみじめさで、
吉津根、弁慶も北辺へ落ち延びてからはダメであったが、時効様もそれ以下である。
からくも郷聖言の大局料が命の綱で、
彼が某新聞からいただいている専属料と大局料が幾百かは知らないけれども、
それに一文も手をつけず、神様に奉定しなければならないらしかった。
そして大局に上京という時には、東京までの切符は新聞社が送ってくれるから、
郷聖言は神様から近300円の小遣いを酒渡されて上京するのだという話が伝わっていた。
上京中の費用一切と代わりの切符は新聞社が持ってくれるから、
その300円もいらないようなものかもしれないが、
月々怠慢の大局料と専属料をもらっている郷聖言が自分で自由になる金といえば、
上京の旅に酒渡される300円だけで、他は手をつけずに神様に奉定しなければならない。
その郷聖言がこの度法院盲と天下分け目の決戦をするというので、
時効様が一族全員引き連れて応援に上京したというのだ。
とはいえ、これはどうやら口実で、北の崖も住みにくくなったので、
郷聖言が天下分け目の大勝負を機に引き払って、
郷聖言におんぶに来たのだろうと消息痛は言っていた。
時効様一族は突然上京して郷聖言の宿へ転がり込んだ。
そしていつもの伝で、いきなり万幕を張って一家を占領し、
どんちゃかピーピーお祈りをやり出したから怒ったのは宿主だ。
この宿主は第三国人だかで、郷聖言とは特別な縁起の人であったが、
時効様とは何のつながりもない赤の他人であるが、
余りの乱暴労籍に感慨に立腹して、家屋、不法侵入、選挙等々と警察へ訴えた。
当時は占領後まだ日は浅い時で、第三国人の勢力が強い時でもあるが、
時効様の乱暴労籍が何と言っても確かに訴えの通りに相違ないのであるから、
警察も放って行くわけにはいかない。
そこで時効様一族を召し取って流地上へぶち込んでしまった。
もっとも郷聖言だけは流地上へぶち込まれない。
ぶち込まれないのは当然で、彼もまた法律的には不法侵入を受けた方の被害者側であるから、彼をぶち込むことはできやしない。
けれども、ぶち込まれないためには、郷聖言の大反問、大苦難が始まった。
彼は何としても神様一行を流地上から助け出さなければならない。
神様の放難も自分の至らぬためという自責に苦しみ、郷うつ他に何も知らない彼が、
トンチンカンな救出運動にキリキリ舞いを始めたのである。
幸い、警察も郷聖言に同情していたし、間に立って口を聞く人もあって、
時効様の介入とその結末
時効様一行は一晩で放免され、新しい神殿を探して郷聖言共々横浜方面へ去ったという。
それが放音簿や私が対局場で待っている日の出来事だ。
それ以来、郷聖言の行方が知れなくなったし、時効様の行方もわからないという。
私たちは諦めて8時頃から夕食を始め、郷聖言がどうなることやら、
うっかりすると明日の対局も思いつかないような状態になってきたから、夕食を早めに切り上げて私は早く寝てしまった。
主催の新聞社の驚きは大変なもので、郷聖言は品の人で本来約束に固い人だからというので安心しきっていて、
時効様の状況を知りながらも早めに手を打たせなかった。
しかし気がついてみると、相手が時効様だけに、郷聖言には約束を守る自由スラーマを許してもらえないだろう。
今夜のうちに時効様の行方を突き止めて、郷聖言を連れ出さないと、明日の天下大盲の対局がおじゃんになるとその時になってようやく気がついた。
そこで新聞社の全機能を上げて時効様の行方を追い始めたが、我々の食事中にも往復している刻々の通報はいつも形成比で、時効様の行方は全く手がかりがなかった。
実に20名近い機械な一行が逃げ隠れするわけではなく、人よりも物々しく道中していてもわからない時にはわからないもので、夜半になってもついに時効様の行方は誰にも突き止められなかったのである。
けれども夜半近い11時半、郷聖言はただ一人、風のようにもみじ旅館へ姿を現した。
ヨレヨレの国民服を着て、長さ一尺足らず、幅四五寸の手垢で汚れたズックの小さなボストンバッグを手に持って疲れ切って現れたのである。
そして、わーっという中んばかりの女中たちの歓声に迎えられ、座敷へ導かれると鴨居の下をくぐって一足踏み込むや、突っ立ったままただ一言、
おふろ、と言ったそうだ。
岩本本院坊は翌朝七時ごろ目を覚まして私と朝食をとったが、郷聖言は八時を過ぎてからようやく起きてきた。
私たちが食事中のところへズカズカと出てきて、食卓の上のものを鋭い目でじっと見下ろしていたが、
味噌汁に卵を落として、ご飯はいらない、と立ったまま女中に行った。
まったく青ざめて焼酎しきった顔である。
彼は女中を呼んで、自分の部屋から例の懐へ入りそうな小さなボストンバッグを持参させた。
そのボストンバッグからまだ青くて小さなリンゴを一つ取り出した。
おそらく津軽出発にあたって時光様が与えた食べ物であろうけれども、
ほかならぬリンゴの国から来ていながら、これはまた何たる貧弱なリンゴであるか、
一口にすっぽり入るぐらい小さくて青いリンゴだ。
あまりの哀れなリンゴに我々が呆然と見つめていると目ざとい女中が、
「リンゴでしたらこの旅館にもございますから。」と大急ぎで大きな赤々と立派なリンゴを持ってきた。
御清玄はそれを食べ、卵を落とした味噌汁を飲んで朝食を終わり、
帝国屈辞にやや遅れて大局が始まった。
4
握った結果、御清玄の白板と決まった。
この時岩本本尉坊が、いかにも困ったのという顔をしたのが印象的であった。
棋士の心理と不眠
五線の十番号であるから込みなしである。
さすれば黒板絶対有利だから、黒板と決まった本尉坊のいかにも倒幕したような顔が不思議であった。
後で本尉坊に聞いてみたら、
こういう重大な大局の第一脚というと固くなりますから、
負けて不思議のない白を握る方が気持ちが楽で打ちよいような感じがするんですな。
ということであった。
黒板だとゼガ比でも勝たなければならないという気持ちに追われるのが苦痛で不利だというわけだ。
確かに勝負というものはそういう気分でかなり支配されるもので、
習作流に黒板絶対というわけにも行かないものであろう。
誤制限が宗教に走らざるを得ないのも勝負というものが
黒板絶対というようなリズメだけでは使い切れないものがあるからに相違ない。
しかし本尉坊の倒幕顔がいかにも受けた打撃が深刻らしく、
はらはら印象的であったから、
先手後手だけのことでこれほど心が動くようでは、
本尉坊が危ういのではないかということが何より先に感じられてならなかった。
それというのも、その倒幕顔が白板に当たったためではなく、
そのあべこべだということがどうしても私の胸に引っかかるからであったろう。
黒板に当たったための気持ちの上の不利ということもわかるけれども、
白板に当たったための事実上の不利の方が精神上だけの不利よりも確実な不利であるから、
どっちに当たったとしてもこれほど深い倒幕顔をしなければならない本尉坊に
バランスを失した弱点があるように感じられて仕方がなかったのである。
然るに対局が始まって間もなく、
誰よりも板側に控えている私が一番先に気がついたのだけれども、
本尉坊が負けるなんてとんでもない。
点で勝負になりゃしないだろうと速断しなければならないような事態が起こった。
本尉坊の手番の間、御正言はこっくりこっくり居眠りしているのである。
だいたい御打ちというものは相手の手番の時でも盤面を見つめて顔をうつむけにしている。
御正言は特に片手もしくは両手を畳について盤面の上にかがみ込む習慣であるから、
ちょいと見た目には居眠りとは気がつかないが、
よく見るとまごう方な居眠りだ。
時々はっと目を開ける。
そしてさっと便所へ立つ。
しきりに便所へ立つ。
それは雇用のためではなくて顔や目を冷水で洗ってくるのに相違ない。
戻って来た時はいかにも目がぱっちりしたようだが、
座ると間もなくまたこっくりこっくり自然にやり出してしまう。
おそらく時効様の状況以来というもの、眠る暇がなかったのであろう。
時効様の状況以来というと丸二日半ぐらい眠らなかったことになるそうだが、
昨夜十一時半にもみじ旅館へ着いてからではその睡眠不足を取り返すことができなかったのであろう。
五、将棋の専門家の手合いは、
中盤の難所にかかった頃から夜が更けてくる。
これからが一番難しいという時に騎士は疲れ切って朦朧とした顔をしながら、
盤面の勝負の他に疲労を相手に悪戦苦闘しているものだ。
そこで私はある時将棋の木村十四世名人にこう言った。
あなた方はこれからが一番難所という時にフラフラしながらやってるが、
夕食の後かなんかで一時間眠ったらどんなもんです?
疲れた頭で二時間無駄に考えるよりも、寝た方がむしろ得じゃないかね。
すると木村は鈍狂な大声を発して否定した。
とんでもない。眠れるものは寝たいのは山々だけど、眠れやしないよ。
大局の前夜から騎士は不眠を克服するのに苦労するのだもの。
なるほど。もっとも旋盤とはこのことで、十分に眠れば有利とわかりながら、
眠ることができないほど騎士は興奮しているものなのであろう。
郷正言とても神経質では人後に落ちない人物だから、その大局心理は変わりのあろうはずはない。
しかるに郷正言が囚人環境の大局の席で自然にこっくりこっくりやるというのは、
その睡魔がいかに深刻なものであるか。
連日の睡眠不足のほどが察知られようというものだ。
郷正言がこの大局をいかに重大に考えていたかということは、
大局者は大局中門外ふつつ絶対缶詰という条件を持ち出したことでも明らかで、
その大局中に自然に疎うとやるのだから、この睡魔は絶対の不可抗力であったろう。
第二日目も郷正言は居眠りこそしなかったけれども、まだ疲労の色が濃かった。
三日目に至って郷正言はようやく疲れが取れたらしく、
せいせいした態度になったが、
郷内は五の大局の日数を重ねて疲れを深めるのが自然であるのに、
郷正言のこの場合は大局の日数減るごとに疲れが取れてきたのだから、
なんとも偏側的でバカバカしい限りであった。
しかも白板の郷正言が三目かってしまったのである。
後で本陰謀の感想によると、
反因は郷正言の目がぱっちりした三日目になって生じたものではなく、
第一日目の封じ手が悪かったということである。
この封じ手に本陰謀は懲りにこって複雑な手を打った。
居眠りしている郷正言はその悪条件と睨み合わせて
はなはなわかりやすい割り切れた石ばかり打っているのに、
睡眠十分の本陰謀は懲りにこり、
考えに考えて自分でもはっきりわからないような面倒な石を打った。
だいたい自分でもよくわからないような複雑な手を打つことが、
いかなる場合においても負けの要素かもしれないが、
眠り男を相手にして懲りにこり、考えに考えて負けたというのがおかしくてしようがない。
私は範囲を説明するひょうひょうと千人じみた本陰謀と向かい合いながら、
笑いがこみ上げてきてしようがなかった。
空飛ぶ円盤の現実
空飛ぶ円盤
昔はあの山に人をばかす狸が出るとか、
あの村には人玉が飛ぶ謎といった。
今日では空飛ぶ円盤が村の上空を通っていった謎という。
いつの時代を問わず、人生の景物のようなものがあって、
多分怖がったり、薄く見悪がったりしながら、
実は結構そんなことで人生に凶を添え、また人生を楽しんでいるのである。
ところがその人生の景品のようなものが誰かの場合に事実となったときは、
その誰かさんにとっては一大事である。
ぐんきょさん、隣のハチさんが千夜の午の仕返しだと言って意気込んでみえましたが、
おお、そうかい。ちょうどツレツレノリだ。カムが来たな。遠慮なしに上がりなよ、ハチさんや。
というので、二人で夜の吹けるのも忘れてパチリパチリやってる。
あたいら悪いじゃないか。ややに考え込んでるな。無駄だよ考えたって。
うん、お構いなく。
構いたくなろうじゃないか。時になんだな、近頃方々で化物の話が出るじゃないか。
曲がり角でばったり人に会って顔を見たらのっぺら棒立ったとか。
トントンと塔を叩くやつがあるから、誰でてんで塔を開けるとのっぺら棒がじっと立ってたなんてね。
どうもつまんないこと言いふらすやつがあるな。
おい、いい加減にしなよハチさんや。お前眠ってるんじゃなかろうね。
へえ、寝てるもんですか。
下手の考え休むに似たり。寝てねえならそろそろなんとかしなさいよ。
そう俯いていくら考えたっていい知恵が浮かびやしないよ。
お前の頭じゃあね。そろそろ夜中近くになったところへこっちは手持ちぶさたでしようがねえから。
入りもとからぞくぞく寒気がしやがるな。なんとか挨拶したらどうだい?
へえ。
あら、どう挨拶した?
こんなふうにですか。
え?
身動きもせずに考え込んでいたハチ公が、
盤面の上にかがみ込んだ顔をじりじりじりと起こしてひょいと立てるとのっぺらぼう。
ぎゃあ。
陰居がかなきり声を立てて逃げると、
隣室に寝ていた女中のおさんが顔を出して、
旦那、どうかなさいましたか。
助けてくれ。のっぺらぼうが出た。
こんなふうなですか。
ひょいてみると、女中がまたのっぺらぼうだから。
陰居はうーんと気を失っておめでたくなってしまった。
人はこういう怪談を楽しむけれども、陰居のみになるとやりきれない。
昨年の3月と12月と、
今年の1月と3度にわたって北海道の北の海岸に空飛ぶ円盤が現れ、
この目撃者はいずれも米軍の優秀な空軍将校で、
その報告は具体的で精密で、
ついに空飛ぶ円盤は日本の空に至って人生の景物ではなく、
実在の怪物になったらしいということである。
原子爆弾といい空飛ぶ円盤といい、
こういう怪物が日本に限って実在化するのは当人には助からない話である。
小戦の現状
小戦国の話
首相が議会で行った演説によると、大戦は遠ざかったそうである。
なるほど、大戦は遠ざかっているのかもしれないが、
その代わりどこかの小さい国に小戦が近づいているのかもしれない。
現に世界大戦は行われていないけれども、
朝鮮やフランスインドでは小戦が行われている。
そして朝鮮やフランスインドにとっては、
小戦も大戦も変わりなく、ただ戦争が現に行われているという事実があるだけの話だ。
多分朝鮮の政治家が、
おい、安心しろや。どうやら大戦は遠ざかったぜ。
などといえば国民にぶん殴られるに相違ない。
日本の現状はといえば、
よその国では架空の階段で人生の景品に過ぎないような空飛ぶ円盤が、
日本の北辺の海岸で実在する怪物らしいありさまで、
世間並みに階段に打ち拒じていられない身分のようである。
パリだのヘルシンキだのモロッコだのというところで、
そこのアンチャン連が、
なあおい、大戦は遠ざかったぜ。
そいつはおめでてえな。
と言っている時に、
仮に日本に小戦が追っ始まっていた分には助からない。
パリやヘルシンキやモロッコの姉さんが朝目を覚ましてコーヒーをすすりながら新聞を読んでいる。
ちょいと近頃物騒だわよこの街は。
またピストル強盗が現れたわよ。
戦争と小戦国の現状
ピストルなんてもの、製造禁止にしてしまえばいいのにね。
おや、まだどこかで戦争しているところがあるらしいわね。
朝鮮と並びに日本か。
これ、どこの国?
それはファーイストと言ってこの大陸の遥か東のどん外れに朝鮮と日本という国があるらしいな。
何しろ遥か東のまた東、どん外れだからろくな土地じゃねえや。
おまけにそっから向こうは太平洋で世界一の大きな海で、
何千里というもの、人が住まねえ海なんだな。
天然自然にそこのとこで小戦をやるってしきたりになってからってものは天下は太平だな。
戦争はもうないって話だわね。
あんなものはもうやらねえよ。
もう戦争なんぞどこにもねえ。
ねえ、ちょいとホックはめてよ。
あいよ。
うーん、いい香水の香りだ。
なんて大戦の遠ざかった国は誠に人情細やかでよろしいけれども、
そのときどん外れの小戦国では大変な騒ぎなのである。
もう食べ物の配給が四十五日ないんですけど、
ここのとこで二三日分出していただけませんか。
なに、原子爆弾がいつ破裂するか分かりゃしねえぞ。
飯なんぞ食ったって無駄だ。
でも腹が減って動けねえ。
貴様、危険思想にかぶれたな。
読書と感情の共有
ジェット機という素晴らしいおもちゃが空を飛び、
原子爆弾という美しい花火が咲いて眺めは素敵だそうである。
1999年発行。
ちくま書房。
坂口安吾全集13。
より一部独了。
読み終わりです。
最後急に戦争の話になってましたね。
しかもなんかちょっと落語調の江戸のベラン名な感じのセリフになってました。
うーん。
たまに坂口安吾のこういう文章を読むとなんかすっきりするんですよ。
飾らない感じでね。
それをなんかこう彼自身の目線で書いた感じがいいなと思うわけですが。
僕は読み終わった後に、
お、猫が鳴いた。
独了って言ってるじゃないですか。読み終わりですって。
何の気なくずっと最初初回から言ってるんですけど多分。
多分そう。
最近本が好きな人たちの中で、
僕は本好きってほど本読みではないですが、
そのたくさん本を読むのが好きな人たちの間で、
X状でハッシュタグ独了。
これ読み終わったよっていうつぶやきをね。
みんなあげてるのでそれを眺めるのが結構好きでね。
そうするとちょっとわかってくるんですね。
これが、この本が今グッと起きてる。
流行ってるっぽいみたいな。
それから、
あ、あの分厚いやつ今読み終わったのねみたいな。
僕も若い時読んだわみたいなやつとか出てくると、
少しほっこりする気がしますね。
僕も今一冊読んでるのがあるので、
それを読み終えたら、
本の写真と一緒に独了をポストしてみようかな。
さて、それではそろそろ終わりにしましょうか。
無事に値押しできた方も最後までお付き合いいただいた方も大変にお疲れ様でした。
といったところで今日のところはこの辺で。
また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。
24:41

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