さて、今日は、菊池寛さんの恩讐の彼方に、です。
ご存知でしょうか。ご存知ですかね、皆さんね。
文芸春秋を作った方ですね、菊池寛さんね。
あと、芥川賞も作ったんじゃなかったかな。
友人だった芥川君が亡くなって、それを偲んでといった形だったと思ってますが、
正しくはご自身でお調べください。ちょっと曖昧です。
で、今回の恩讐の彼方に初めて読むんですけど、
一応代表作の一つに数えられていてですね、
あらすじを一応調べてきたので、先に読み上げましょうかね。
概要
恩讐の彼方には菊池寛による短編小説で、
主人公市一九郎が罪と食材を通じて人間の恩と恨みを乗り越える姿を描く。
あらすじ概要です。
一九郎は旗元中川三郎兵衛の目掛け及美と密通し、
主人に手討ちされそうになったことで逆に主人を殺してしまいます。
罪の意識と恐怖から一九郎は及美と共に逃亡し、生活のために強盗まで犯してしまいます。
その後、知責の念と懺悔の思いから出家し了解と名乗り仏道修行に励みます。
やがてかつて殺した主人、中川三郎兵衛の息子である実之助が
父の仇討ちのために一九郎の前に現れる。
というお話だそうです。
実之助であっているのかな?
実之助?実之助?
ちょっと調べるか。
実之助が正しそうですね。
本文中、実之助と読もうと思いますが。
そんな形でございます。
文字数は二万四千字。
一時間はかかるでしょうね。
といったところですかね。
夏目漱石の心を読んだ直後なので、
短いので終わりたかったけど、
そこそこボリュームがあるのを選んでしまいました。
はい。
まあ、やっていきましょうかね。
どうかお付き合いください。
それでは参ります。
温州の彼方に。
一。
一九郎は主人の切り込んでくる太刀を受け損じて、
左の頬から顎へかけて、
微笑ではあるが一太刀受けた。
自分の罪を。
たとえ向こうから挑まれたとはいえ、
主人の長所と非道な恋をしたという
自分の致命的な罪を意識している一九郎は、
主人の振り上げた太刀を必死な刑罰として、
たとえその切先を探るに勤むるまでも
それに反抗する心持ちは少しも持っていなかった。
彼はただこうした自分の迷いから
命を捨てることがいかにも惜しまれたので、
できるだけは逃れてみたいと思っていた。
それで主人から不義を言い立てられて切りつけられたとき、
ありあわせた職大を早速の獲物として
主人の鋭い立ち先を避けていた。
が、五十に近いとはいえ、
まだ筋骨のたくましい主人が畳みかけて切り込む太刀を、
攻撃に出られない悲しさには一層なく受け損じて、
最初の人たちを左の頬に受けたのである。
が、一旦血を見ると一九郎の心はたちましに変わっていた。
彼の分別のあった心は闘牛者の槍を受けた
お牛のようにすさんでしまった。
どうせ死ぬのだ、と思うと、
そこに世間もなければ首従もなかった。
今までは主人だと思っていた相手の男が、
ただ自分の生命を討ずそうとしている一個の動物、
それも凶悪の動物としか見えなかった。
彼は憤然として攻撃に転じた。
彼は、「おお、おお。」とおめきながら
持っていた職大を相手の面上にめがけて投げ撃った。
一九郎が防御のための防御をしているのを見て
気を許してかかっていた主人のサブロベーは、
不意に投げつけられた職大を受けかねて、
その老家の人門がしたたかに彼の右目を打った。
一九郎は相手のたじろぐ隙に脇刺しをうぬくより早く飛びかかった。
「おのれ、手迎えするか。」とサブロベーは激怒した。
一九郎は無言でつけ入った。
主人の三尺に近い太刀と一九郎の短い脇刺しとが
二、三度激しく打ち負った。
主従が必死になって十数号太刀を合わす間に
主人の太刀先が二、三度低い天井をかすって
しばしば太刀を操る自由を失おうとした。
一九郎はそこへつけ入った。
主人はそのふりに気がつくと自由な戸外へ出ようとして
二、三歩あたずさりして縁の外へ出た。
その隙に一九郎がなおもつけ入れようとするのを主人は
「えい!」と苛立って斬り下した。
が、苛立ったあまりその太刀は縁側と座敷との間に
立ち下がっている鴨居に深くにも二、三寸切り込まれた。
「しまった!」とサウロベイが太刀を引こうとする隙に
一九郎は踏み込んで主人の脇腹を思う様横にないだのであった。
相手が倒れてしまった瞬間に一九郎は我に返った。
今まで興奮して朦朧としていた意識がようやく落ち着くと
彼は自分が主殺しの大罪を犯したことに気がついて
後悔と恐怖とのためにそこにへたばってしまった。
夜は諸行を過ぎていた。
御屋と仲間部屋とは遠く隔たっているので
主従の恐ろしい格闘は御屋に住んでいる女中以外
まだ誰にも知られなかったらしい。
その女中たちはこの激しい格闘に気を失い
ひと間のうちに集まってただ身を震わせているだけであった。
一九郎は深い戒魂にとらわれていた。
一個の当時であり、ぶらいの若節ではあったけれども
まだ悪事と名のつくことは何もしていなかった。
まして八百の第一なる主殺しの大罪を犯そうとは
彼の思いもつかぬことだった。
彼は血のついた脇差しを取り直した。
主人の眼かけと因銀を通じてそのために成敗を受けようとした時
かえってその主人を殺すということは
どう考えても彼にいいところはなかった。
彼はまたびくびくと動いている主人の死体を尻目にかけながら
静かに自殺の覚悟を固めていた。
ずっとその時、次の間から
今までの大きい圧迫から逃れるような声がした。
本当にまあ、どうなることかと思って心配したわ。
お前が真っ二つにやられた後は私の番じゃあるまいかと
さっきから秒分の後ろで息を凝らして見ていたのさ。
が本当にいい塩梅だったね。
こうなっちゃいい時も猶予はしていられないから
有金をさらって逃げるとしよう。
まだ仲間たちは気がついてないようだから
逃げるなら今のうちさ。
ウバや女中などは台所の方でガタガタ震えているらしいから
私が行ってジタパタ騒がないように行ってこようよ。
さあ、お前は有金を探してくださいよ。
というその声は確かに震えを帯びていた。
がそうした震えを女性としての強い意志で抑制して
努めて平気を装っているらしかった。
イチクローは、自分特有の動機をすっかりなくしていたイチクローは
女の声を聞くと、蘇ったように書きついた。
彼は自分の意志で働くというよりも
女の意志によって働く傀儡のように立ち上がると
座敷に置いてある霧の茶段室に手をかけた。
そしてその真白い木目に血に汚れた手形をつけながら
引き出しをあちらこちらと探し始めた。
が女、主人の眼かけのお弓が帰ってくるまでに
イチクローは2種銀の5両ずつみをただ一つ見つけたばかりであった。
お弓は台所からひっかえしてきてその金を見ると
そんな走った金がどうなるもんかねと言いながら
今度は自分でやけに引き出しをひっかき回した。
しまいには鎧筆の中まで探したが
小判は一枚も出てきはしなかった。
尚手の始末屋だから亀にでも入れて
土の中でも埋めてあるのかもしれない。
そう今今そうに言い切ると金目のありそうな衣類や
陰牢を手早く風呂敷包みにした。
こうしてこのカンプカンプが浅草田原町の旗的中川三郎兵衛の家を出たのは
安永三年の秋の初めであった。
後には当年三歳になる三郎兵衛の一子
美之助が父の非豪の死も知らず
馬の懐にすえすえは眠っているばかりであった。
2.