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2024-09-10 17:47

062菊池寛「将棋」

062菊池寛「将棋」

東京・大久保の高架下でホームレスのおっちゃん達が将棋を指しているのを見て和みました。こちらは仕事のために移動中、どちらが本当の自由を手にしているのかは、価値観の分かれるところで羨ましさを棄てられません。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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寝落ちの本ポッドキャスト。 こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。 タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。 エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。 ご意見、ご感想、ご依頼は公式エックスまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。 さて、今日は
菊池寛さんの将棋というテキストを読もうと思います。 菊池寛さん。寛はですね、病気が完全に治った時に
寛快すると言ったりしますが、 あるいは心がとても広い人のことを寛大な人と言ったりします。その時の使う漢字の寛で、
菊池寛。 日本文芸家協会を組織し、初代会長に就任。
芥川賞、直木賞、菊池寛賞を創設。 大英社長として映画事業に参画し、作家の育成、文芸の普及に勤めた。
小説の代表作に「真珠夫人」。 劇局の代表作に「チチカエル」などがあり、芥川とは親友関係にあると。
いうことで、
いつか読もうとは思ってたんですけど、 今回の少し短くてですね、
すぐ終わっちゃうと思うんですけど、 まあトントン読んでいきましょうか。
はい。 それでは参ります。
将棋。 将棋はとにかく愉快である。
盤面の上でこの人生とは違った別な生活と事業がやれるからである。 一手一手が新しい創造である。
冒険をやってみようか。 堅実にやってみようかと、いろいろ自分の思い通りやってみられる。
しかもその結果が直ちに盤面に現れる。 その上、遊戯とは思われぬくらい無機になれる。
昔、インドに好戦の国があって、戦争ばかりしたがるので、 自信が困って、王の気持ちを転換させるために発明したのが将棋だというが、
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そんな嘘の話が起こるくらい将棋は面白い。 金のない人がその余生の堂楽として十分楽しめるほど面白いものだと思う。
将棋の上達方法は誰も聞きたいところであろうと思うが、 結局番数を指すのが一番だと思う。
ことに、自分よりも2枚くらい強い人に2枚から指し、 非強、非、格、強と上がっていくのが一番確かな上達方法だと思う。
自分は25、6の時には初段に20段位だった。 つまり初段に大駒2枚ぐらいだったと思う。
どういう意味なんだろうな。 その頃、京都にいた自分が行っていた床屋の主人が、将棋が強かったのでよくこの人と指した。
最初は2枚落ちだったが、 飛車落ちまでに指し込んだ。
それから東京へ来た。 大正8年頃から吉島天神下の会所へ通った。
ここの主人は、 立花奈美次という老人で、
井上八段の門下で、 高田老犯先生とは同門だった。
時々高田さんのところへお相手に行っていた。 この老人は会所を開くとき、
所々の将棋会に出席して、 商品の駒や将棋盤をたくさん稼ぎ貯めて、
それで会所を開いたというのだから、 かなりの当商だったのだろう。
この人に自分は最初2枚を指した。 2枚は局半ばにして相手が駒を投じた。
その後、秘境落としから平手までに指し進んだ。
何言ってるかわかんないな。 ハンデキャップの話ですよね、きっとこれね。
この会所に三好さんという老人がいた。 この人は将棋家元、大橋家の最後の人たる大橋宗錦から、
初段の免除をもらっているという珍しい人だった。
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よく将棋の古実などを話してくれた。 もの柔らかいしかし皮肉な江戸っ子で、
下手にはことさらに熱心に指してくれた。 この人も秘境落としから指して平手に進んだ。
この頃は自分として一番気力の進んだ時だと思う。 この会所で、
今の萩原六弾と知り合いになった。 大阪から来たばかりの青年で、まだ土居さんに入門しない前だった。
秘境落としで指してめちゃくちゃに負けた。 おそらく
筆者角境ぐらい違っていた。 とにかく2枚ぐらい違う人に、
だんだん差し進んでいくことは、 自分の気力の進歩が見えて非常に愉快なことである。
しかしそういう場合は絶えず定石の研究が必要である。 2枚落としで指している時は2枚落としの定石を、
秘境落としで指している時は秘境落としの定石をと、 定石の研究を進めていくべきである。
将棋をうまく習うと思えば定石は常に必要である。 ことさらに初段近き、またはそれ以上の上手と指す場合、
定石を知っているということは第一の条件である。 定石を知らないで上手と指すことは、
下鷹で日本アルプスへ登るようなつまらない労力の浪費である。 例えば2枚落としを指す場合、
6五歩と下手が角道を通すか通さないかは、 山崎合戦で天皇山を占領するか否かくらいの大事な手である。
自分など下手と2枚落としを指し、 下手が5六歩とついてこないと、こりゃ楽だと安心するのである。
5を変えて言えば、 6五歩と角道を指す手を知らないで上手と2枚落としを指すことは、
槍の鞘を払わないで付き合っているようなものである。 飛車強者落としにも、角落としにも、飛車落としにも、
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ぜひとも指さなければならない手があるのである。 だからこういう手を知らないで戦ったのでは、
勝てるわけはないのである。 しかも6五歩といったような2枚落としの定石のABCを知らずに、
上手と指して勝てる場合があったなら、 それは上手がそれだけの力がないので、
いわゆる手合い違いの将棋である。 6五歩ってどうですか?どうなってますか?
右から6番目。 上から5番目の歩。
角の前の歩を一歩前に出すってことか。 角の通り道の話ですね。
角の右斜め。初期排除で言う角の右斜め上の歩を一歩前に出す話ですね。
はいはいはい。 続けます。
そんな場合は角落としの違いくらいしかないのである。 5を変えて言えば定石を知らなかったら、
上手に向かって角1枚くらいは損である。 定石を知れば飛車角でも勝てるのが、
定石を知らなければ2枚でも勝てないのである。 九朗と差した場合、
九朗とが本当に勝負をしているのか? お世辞に負けたりしているのではないかということは、頭のいい人ならダーニーでも気になるだろう。
若殿の将棋競馬の先が利き、 という戦略があるが、
それと同じように九朗と相手の時は勝敗とも本当でないように考えられる。 しかし玄今の騎士は相当の人格を備えているから、
追勝負けなどはしないと信じていいと思う。 ただ九朗と差す場合、最初の1回は九朗とは自然に差しているのである。
だから最初の1回は勝ちやすい。 しかし一度負けると九朗とは今度は負けないと差すであろう。
だから九朗とに2度続けて勝った場合は、確かに勝ったと信じていいのであろう。 2度続けて負けると3度目は九朗とはきっと定石を避けて力将棋を挑んでくるが、
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この3度目を負すと圧倒的に勝ったと言って良いだろう。 初段に2枚以上の連中の人たちでは1枚ぐらい違っていても平手で相当を差せるものである。
四五番の中では下手の方が一二番は勝てるものである。 だから1枚ぐらい違っていてもいつも平手を指している人があるが。
しかしそれでは上手の方はつまらないと思う。 少しでも力が違っている場合はちゃんと駒を引いて指すべきだ。
でないと上手の方がつまらないと思う。 九朗と素人との気力を格段に違っているように言う人がある。
素人の初段は九朗との初段とは2、3段違うというのである。 しかし自分は思うに、九朗と素人との力の違いはただ気持ちの問題で、
一方は将棋が生活の良すがであり、 その勝敗が成形に関し、立身に関すると考えるからだと思う。
素人だって九朗と同然の必死の気持ちで研究し、 退却したならば、そう見劣りするものではないと思う。
将棋を指すときは怒ってはならない。 怯んではいけない。
焦ってはいけない。 あんまりカタンとしてはいけない。
自分の気力だけのものは必ず表すという覚悟で、 悠々として盤面に向かうべきである。
そしてたとえ悪手があっても狼狽してはいけない。 どんなに悪くても、なるべく敵に手数をかけさすべく奮闘すべきである。
そのうちには、どんな敗局にも将棋がぼつぼつと動いてくることがあるのである。 初心者の中には、必勝を取られると
えい!やっちまえ!と言って、角までやってしまうようなことを絶えずやっているような人がいる。 将棋は戦を争うものである。
ということを悟って上手になった人がいるが、 先手先手とさすことは常に大切なことである。
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それからお手伝いをしないこと。 例えば敵が歩を打ってくると、これを義理のように払って、敵議員を進ませてやるというようなことを
初心のうちは絶えずやっているが、 このお手伝いをやらなくなれば、将棋はかなり進歩していると言っても良いだろう。
1991年発行 作品社
日本の明髄筆別館8 将棋
より読み終わりです。 ずっと将棋の話でしたね。全然わからない。二枚落としとか。
ハンデの話ですよね。 飛車角落としとか聞いたことあるけど、なんか
僕の師匠もね、将棋が好きでね。 なんか段位持ってたと思うんですけど、全然僕わかんないんだよなぁ。
お好きな人は好きですよね。 僕はのんびりしたいのに、
将棋って結局決着つけるから仕掛けてくるじゃない? のんびりできないんですよね。オセロみたいに。
オセロもそうじゃないですか。 結局白黒つけるために仕掛けが働いて、勝負ごとになるから、どっちかは勝つし、どっちかは負けるし。
のんびりしねえなっていう。 それがいいんでしょうけど、白黒つくのが。
たまにはいいんですけど、そんなに僕は勝負ごとは好きじゃないのかもしれないなぁ。
なんで攻めてくるんだよって思っちゃう。
まだ朝攻めで遊ぼうよって思ってるうちに、敵がね、もう深いところにいてて、
お前もこっちに来いって言わされる感じ。
ね。 実は今日少し機材トラブル的なものがありまして、
マイクのセッティングがね、いつもと違うのでうるさいかもしれません。 値落ちに向いてなかったかもしれません。
なるべく後半、ボリュームを落とすように努めたんですけど、
ダメだったかな。 また鋭意改善して参りたいと思います。
それでは今日のところはこの辺で、また次回お会いしましょう。 おやすみなさい。
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