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寝落ちの本ポッドキャスト
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
作品は全て青空文庫から選んでおります。
ご意見ご感想は、公式Xまでどうぞ。
さて、今日は坂口安吾さんの
「安吾巷談06東京ジャングル探検」
これを読もうかと思うんですが、
安吾巷談はですね、文芸春秋に1年間掲載されていた
毎月毎月のルポルタージュで世相を切ったものなんですが、
安吾巷談03で共産党批判をし、
04で競輪をやって、ものすごい反響が良かったぞというのを
以前読んだ巷談誌で言っていたので、
そのしばらく後、06なので、ものすごい筆が載っていますね。
ものすごいボリュームだな。
普段5、6枚の紙を読んでいるんだけど、
20枚ぐらいあるんで、
途中で前後編に分けるかもしれません。
すごい量だ。
どこで分けたらいいだろうか。
30分ぐらい経ったら切ることを考えていますが、
お付き合いいただければと思います。
それでは参ります。
東京ジャングル探検。
我が道来たりし人生を回想するという年でもないが、
子供の頃は類稀な暴れん坊で、
親を泣かせ、先生を泣かせ、
きょうりの中学を追い出されて上京しても
入れてくれる学校を探すのに苦労した。
私が苦労したわけではないが、
親ばかというもので、
私はだいたい学校というものに
めったに顔を出さなかった。
たまに顔を出すと、
たちまち先生と追いつ追われつの活躍となり、
しかし結局先生を組み伏せるのは私の方であるし、
当人の身にもつらいことで楽しいものではない。
追い出されるのは仕方がない。
当人の身にはほっとして、
これで悪縁が切れた。
まったくである。
不良少年というものは生きがかりのものだ。
当人が誰よりつらいのである。
けれども親ばかだ。
改めて劣気とした中学へ入れようとしても
受け付けてくれるものじゃない。
結局、よた者だけ集まる中学へ入学する。
03:00
そういう中学があったのである。
悪縁が切れたら改心しようと思って、
改心したつもりであったが、
どこにも生きがかりというものがある。
学問はできないけれどもスポーツは万能選手で、
頼まれてちょろちょろと競技会へ出場すると、
関東大会でも優勝するし、
全国大会でも優勝する。
九州のチムシャの大よた者の相撲野選手が、
クソ馬力で投げてみたって、
12ポンドの砲丸が、
7、8メートルぐらいしか飛ばないものだ。
私がひょいっと投げると、
11メートル吹っ飛ぶのである。
柔道をすると、
大よた者がコロコロ私にひっくり返される。
いくら学問ができないったって、
こういう連中の中では倒獲を表すから、
私は戒心したつもりであったが、
いつの間にか大よた者の中央に座っていた。
九州のおチムシャの多くは創始的であるが、
よた者とは違う。
彼らはおおむね自活していた。
新聞配達とか露天ショー、
これは今でも学生のアルバイトだが、
当時はそうザラではない。
夜中にチャルメラ服、品そば屋もいたし、
人力車付、
これが儲けがよかったようだ。
雨が降りだすと、
それっとお館から車を借りて、
駅や劇場へ駆けつける。
露天だけの出動で、
1ヶ月生活できるから割がよかった。
この連中は年齢も20を過ぎ、
いっぱし大人の生活をし、
ジョロを買いに行ったりして、
一般の中学生の目には異様であるが、
よた者とは違う。
大歯ナンパの本よたは、
年齢的にはむしろ普通の中学生に多かった。
落語で言うと、
こりそだきちー、へーい!
というようなズズ袖の小蔵っ子が、
朝っ端から5、6人集まって、
一生瓶で買ってきた電気ブランを飲んでいる。
3人分ぐらいの洋服や着物を曲げて、
電気ブランを買ってきたのである。
小蔵っ子が酔っ払うと目がすわる。
路列が回らなくなることは同じことだが、
理性は案外しっかりしていて、
ちょっとした醍醐相互するぐらいで、
大人のように取り乱した酔い方はしないものだ。
酔うと発情するような傾向もないし、
心から疲れているようなところもないせいかもしれない。
じゃあ仕事してこようや、と言って、
酔いの少ないのが3人ぐらい、
残りの制服や筒袖を着て出かけていくのである。
腰に巻いたバンドが武器だ。
06:01
筒袖はメリケンサックというものをしのばせている。
よその学校の与太が買ったのや、
ナンパを脅かして金を巻き上げることもあるし、
切羽詰まると大人に因縁をつけることもある。
小蔵っ子と侮ると案外で、
ヒョウのような目で突然襲いかかってメリケンを食らわせたり、
バンドを振り回したり、
警察へ挙げられても仲間のことは一言も喋らず、
三、四日してニヤニヤと出てくるのがいる。
中六、七の小さい中学生なのである。
彼らはドバへ乗り込むこともある。
樫本のドバではなくて、
社婦だとか自由労働者とか、
本職でもなし、ズブの素人でもなしという手合いの、
反常習的な劣気とした大人の世界へ乗り込んでいくのである。
子供と侮ってインチキなことをやると、
少年の行動というものは迅速なもので、
居直ったと思うと疾風陣来的にバンドを構え、
メリケン作家をきらめかして大人に迫っている。
私は一度だけ彼らがそんなことをする現場に居合わせたことがあるが、
彼らは私に遠く離れて、
彼らの仲間と思われぬようにしているようにと注意を与え、
細心ないたわりを払ってくれて、
仲間になれとか見張りしてくれとかそんなことは決して言わなかった。
九州のおっさん組と本与太組は完全に没交渉であったが、
私はどちらからも大事にされて、
肌肌結構な身分であった。
九州のおっさん組は年を食っていたが無邪気でもあり、
同時に低能でもあったが、
与太組は若くてしかし老成しており、
学業はできないが判断は早く行動は迅速だった。
両者に共通していたことは、
スポーツのような子供っぽいことには深く興味を持ち得ないことだけであった。
両者が喧嘩をすると、
若年の与太公が勝ったであろう。
なぜならしつこさ、悪どさがあった。
ナンパの現場を捉え、
相手の女学生を臨監するというようなことは確かにやっていたし、
その日常も現実的で、
花札のインチキなどを身を詰めて練習していたものである。
後年、私が30の頃、
流浪の挙句、
京都の伏見稲荷の袋工事のどん詰まりの食堂に、
1年ばかり下宿していたことがあった。
初め、私が泊まった頃はただの食堂、
弁当の仕出し屋に過ぎなかったが、
60ぐらいのここの親父が、
09:01
異動き違いだ。
毎晩私に挑戦する。
それが言語道断の下手くそなのである。
石の聖書の原則だけ辛うじて知っているだけで、
9つを課せて、
込みを100出して勝つ。
つまり全部の石が死んでしまうのである。
それでも親父は、
5が面白くて仕方がないというのだから、
因果なのは彼にしつこく挑戦される人間である。
バカバカしくて相手になっていられないから、
そんなに5が打ちたいなら、
幸い食堂の2階広間が空いてるから、
5回以上をやりなさい。
5回以上は達人だけが来るわけではなく、
初心者も来るから、
初心者相手にくんずほぐれつやったら、
お前さんも留院が下がるだろう、
と勧めて、
5回以上を開かせた。
親父は大変乗り気で、
小道具一式揃え、
初心者来たれ、
と待ち構えていたが、
あいにくなことに、
親父とくんずほぐれつの後敵手はいつまで経っても現れず、
誰も彼を相手にしてくれないので、
親父の落胆。
私も、しかし今もって不思議であるが、
これぐらい下手くそで、
これぐらい好きだというのは、
よくよく因果なことである。
そのうちに、
ここが博打宿のようなものになった。
稲荷界隈を縄張りにしている家師の親分が、
見回りに来てここで食事をするうちに、
ここのないぎに目をつけた。
40ぐらいの、
ちょっと渋顔は向けているが、
外見だけてっかめいて、
ぽんぽん言いたがる、
頭の帯正しく悪い女だ。
善良な弟子を尻に敷いて、
看護家に形突っ込んでから、
早よ死んだらええがな、
というようなことを、
わざと人前で言い立てたがる女だ。
家師の親分と聞いて、
この馬鹿なないぎが、
何年間つけたこともないお城居などを塗りたくり、
ちやほやしたから、
それからは親分が見回りに来るたびに、
ご休憩の家となり、
親分を食事中は、
他の客はお断り、
門前払いだ。
やがて親分が酔っぱらう。
親分とないぎだけ奥に残して、
子分たちは退散し、
食堂の親父も、
二階の御席へ追っ払われる。
親父は腰が曲がって、
二階へ上ってくるときは、
一段ごとに手もつきながら、
ううううと張ってくる。
関さんという御席の番人で、
これも下手くそなのを相手に、
血迷った馬のような青筋を立てて、
ただもう猛烈な速力で、
豪を打ち始める。
ははぁ、怪しの親分が来てるな。
12:00
追っ払われたなということが、
常連にはすぐわかるのである。
御席を当日休業にして、
この広間で後目披露をやったこともあるし、
揉め事の手打ち式などもあった。
袋工事のどん底のはめ板が外れて傾いて、
食堂のどまには溝のあふれた匂いが、
いつもプンプンしているようなところで、
こんなところで後目披露や手打ち式をやるようでは、
よっぽど格の下の親分であったに相違ない。
落語者や排山者だけが下宿するにふさわしい家で、
便衣隊の隠れ家には適しているが、
まあ便衣隊の招待聴覚の親分だったのだろう。
こうなってからは、御席の方へも
子分のインチキ薬売りや、その桜や、
ハッケミや療養士、インチキアンマや、
目つきの悪いのが来るようになり、
彼らが昼間来るときは借り込みがあったときで、
一時しのぎに逃げ込んでいるのだから、
そわそわと落ちつかず、
御は上の空で、
貝殻でごとりと音がするたびに、
腰を浮かして顔色を変える。
私はこの連中から、
花札や長版のインチキについて、
実地に初版のテクニックを演じて見せてもらった。
こればかりは実演して見せてもらわないとわからない。
指先の魔術である。
寄せでやる鬼術師のカードの魔術。
少なくともあれと同等以上の指先の練馬がないと
インチキ賭博はやれない。
札が指と手の一部のように、
指の股に、手のひらに、手の裏に、袖に、
前後左右、ひらひら、くるくる、自由自在、
目にも止まらぬものである。
特に問い面には全然わからない。
当人が向かって左側のものだけ
司祭に見ていると魔術がわかるから、
ここにはお仲間を置かないと具合が悪いようだ。
私は麻雀については知らないが、
見ているとのぼせやがってひどくせわしくやっている。
まるでせわしくやらないと
麻雀うちの虎剣に関わるかのように、
ただもう四人の手が目まぐるしく往復しているのである。
おまけに捨てたパイの上を水平に這うようにして
各人の手がせわしく往復しているのだから、
余分のパイを二つ三つ隠しておくのはわけがない。
ちょっとの練習でいくらでもインチキがやれそうだ。
だから素人が知らない人と賭け麻雀などはするものではない。
私の一生は不定無礼の一生で
不良少年、不良青年、不良中年。
15:03
まことにどうも、当人がひいき目に見ても
ろくでもない一生であった。
それでも生来、都党を組むことを
はなはだしく忌み嫌ったために、
学徒ギャングの群れにも共産党にも身を問うずることがなかった。
言い換えれば、私の一生は孤独の一生であり、
常に傍観者また野獣魔の一生であった。
しかし私が傍観してきた裏側の人生を痛感して、
敗戦後、道義大敗成立などと、
パンパン、断章、アロハアンちゃん、不良少年の類を指して
該談される向きは、
世間知らずの寝言に過ぎないということを強調しておきたい。
いつの世にもあったのである。
秩序ある社会の裏側に常に存在してきたのだが、
敗戦後は表側へ露出してきただけなのである。
しかし、日本の主要都市があらかた焼け野原となって、
復興のしざえもない敗戦後の今日、
裏側と表側が一色他に同居して、
裏街道の表情が表側の人生に接触するのは仕方がない。
まだしも露出は地域的であり、
そういうものに触れたくないと思う人が触れずに住み得る程度に
秩序が保たれていることは、
敗戦国としては異例のほうだと言えるだろう。
裏側と表側の接触混合という点では、
パンパン泥棒の類よりも役人連の好前たる秀愛。
役徳による朱痴憎倫のほうが、
はるかに異常、亡国的なものであると言える。
新朝末期に、
漢馬原型記という風刺小説が現れた。
下は門番小遣いから、上は大臣大将に至るまで、
官吏の秀愛、朱痴憎倫。
仕事は表面の辻褄を合わせるだけで手の抜き放題、
金次第という腐敗堕落ぶりを描写したもので、
この小説が現れて新朝は滅亡を早めたと言われている。
しかし今日の我々が漢馬原型記を読むと、
関海の腐敗堕落の諸葬は新朝のものではなくて、
そっくり日本の現実だ。
日本関海の現実は亡国の葬であり、
また戦争中の軍部、関海、軍需会社、国策会社も、
全く新朝末期の亡国の葬と異なるところがない。
街頭にパンパンはいなくても、
課長夫人の疎開跡には戦時夫人がいたし、
18:02
戦時的男女関係はザラであった。
番人には最低の生活が配給されていたが、
軍人や会社上司の特権階級は、
今日との物資の比例においては、
同じように最高級の七肉林であったことに変わりはなく、
監督官庁の役人は金次第で、
あとは表面の長面面を合わせておけば不合格品OKだ。
そのくせ新聞は一翼一身、
愛国の史上、
善度に溢れているようなことしか書かないけれども、
書けないからで、
もしも今日同様何でも書ける時代なら、
道義大敗、人心の腐敗堕落ということは、
まず戦争中において最大限に書かれる必要があったのである。
新聞が書き立てることができず、
誰も批判を発表することを許されなかった時代には、
報道を鵜呑みにしてことの実装を気づかず、
批判自由で新聞が書き立てる時代に至って、
報道どおりのことを発見して、
悲憤、公害、誘惑の短足を漏らすという道学者は、
目が節穴で、自分の目では何を見ることもできない人だ。
口に一紙報告、職域報告を号令しつつ、
腐敗堕落、無能の極みを尽くしていた軍部、官僚、
会社の浮く方に比べれば、
敗戦焼け跡の今日、
刻限られたパンパン断章の存在のごときは、
物の数ではあるまい。
前者はありうべからざる者であるが、
後者は当然あるべきことで、
しかもその数は決して多すぎるものではなく、
今日敗戦、日本は意外に秩序が保たれていると見なければならない。
けだし、日本の一般庶民が、
性本来温良で、
恩愛を愛する性向の知らしむるところであるらしい。
監督官庁の官僚や、
税務管理が特に鬼畜の性向を持つわけではなく、
一般庶民と同じ日本人なのであろうが、
どうも日本人というものは、
もともと一般庶民たることに適していて、
特権を持たせると鬼畜低能となる。
今日においては、官僚の特権乱用の鬼畜性と、
一般庶民の温良性との差は、
はなはだしいものがある。
批判禁止の軍人時代と違って、
批判自由の時代においても、
特権階級の専王は軍人時代と同じ程度であるから、
いかに性温良とはいえ、
泣くこと自当に勝てないという日本の鬼畜の憐れさは、
21:01
当代の鬼畜のうちでも万世一継千年の伝統を持ち、
特に珍かなもののように思われる。
諦めや自殺は美徳ではない。
税金で自殺するとは筋違いで、
首をちょん切られても動き回ってみせるという
未見若の如くに、
口角泡を吹いて池田大倉大臣にねじ込み、
のど笛に噛みついても正義を主張すべきところであろう。
どうも枕が長くなり、
脱線して何が何やらわからなくなってしまった。
こんなことを言うつもりではなかったのだが、
下手な話家はこれだから困る。
口座でしゃべりながら逆上するようでは、
芸術家の資格がないと心得ていても、
税務署に話がぶれると目がくらむのである。
ここまでが枕かい。
終戦後、東京至る所の駅前にマーケットができてカストリを飲ませる。
酔ってヘベレ家に酔っぱらう人種が集まり、
パンパンとアロハのあんちゃんがタムロする。
マーケットというところはもともと売買取引するところだが、
終戦後はここで女を買うことも間に合うし、
顔を借りられてみぐるみを巻き上げられる取引もあり、
一つとして足りない取引がなく、
みんなここで間に合うこととなった。
私は同じ地点で二度すりにやられたが、
みぐるみ剥がれたことはない。
一度、当時はまだ銀座がほとんど復興していなかったが、
私が焼き跡へ出て照弁していると、
左右からさっと二人の快感が近寄り、
無言のままさっと胸のポケットに手を差し入れて引き抜いて、
さっと消えた。
私がよう終わって振り向いたときには、
人の姿はどこにもなかった。
手際の良さ、水際だった奴らだと感覚したのだが、
彼らは失敗したのである。
私の照弁の終わらぬうちにと彼らは急いでいるから、
さっとポケットのものを引き抜くと、改めもせずかき消えたが、
男の一人はチリ紙を抜き取り、
一人は鎌倉文庫手帳というものを抜き取ったに過ぎないのである。
こういう教訓を書き加えるのは、芸術家として切ないのだが、
手際が良すぎるということもいけないのである。
私がマーケットにおいて被害を受けたのは以上だけで、
常連としては極めて微々たる被害だが、
一人で飲むということがほとんどなかったせいかもしれない。
どこのマーケットでもアンチャンあるところ、身の安全は岸がたいが、
特に新宿のマーケットは貸取組の危険地帯随一と目されている。
24:04
しかし新宿は戦争前にも東京随一のアンチャン地帯であり、
酔っ払いの危険地帯であった。
私が中学生の頃は浅草がひどかったが、震災後親分連が自粛して、
浅草の浄化運動というようなものを自発的に、
また警察と協力的にやり出したので、
私が東京の酒り場を飲んだくれてもある頃には、
浅草は安全な飲み場の一つであった。
いつまでもアンチャン連が精速横行していた酒り場は、
新宿が筆頭で私もずいぶんやられたものだ。
当時ここで一人で深夜まで飲むことが多かったからだ。
しかし深夜には大概バーで飲んでいるから、
バーのマダムや姉さん方は正義派で、
お客を守ってくれるという領族があり、
新宿で本当に宝れたこともなく、血の雨を降らしたこともない。
新宿の与太港は、浅草が竹縄となり、
飲み屋がなくなるまで残っていた。
しかし酒り場ではないから一般には知られていないが、
浅草前に私がずっと住んでいた蒲田はもっとひどかった。
中央線沿線は諸政軍のアパート地帯だが、
当時の蒲田は安サラリーマンと銀座勤めの女級のアパート地帯で、
アパートの女級は男を連れ込み、
酒場や料理屋の女は全くパンパンで、
公然と許されてはいなかったが、
今日の浦町といえどもこれ以上ではないのである。
もっとも銀座もひどかった。
当時はコップ酒屋がどこにでもあったが、
蒲田は安サラリーマンと労働者の街だから、
夕方になるとコップ酒屋がどっとあふれる。
台は四五十人集まるところから、
ショーは四五人で満員の十線スタンドに至るまで。
お客は主として四十歳以上のその日稼ぎの勤労者である。
蒲田のよた者はこの連中をたかるのだから悪質であった。
どんなふうにたかるかというと、
よぼよぼの労務者が一人、
または二三人で飲んでる横へどっかと座って飲みだす。
話しかけないことも多いが、やがて話しかけて、
このおじさんに一杯と言って、
一杯酒を取り寄せて、
まあ飲みねえ、受けてくんなと押しつける。
受けなければ、なぜ受けないと因縁をつけるし、
受ければなぜ返さぬと因縁をつける。
返せば、また一杯を押しつけて返させる。
27:01
途中に帰ろうとすれば、なぜ帰ると因縁をつける。
見込んだら話さない。
洋服のサラリーマンよりも、
労務者にたかることが多かったが、
一見小敷のような服装の置いてある労務者や、
馬力人夫などが最もたかられ、
結局その方が確実に
いくらかになる理由があってのことだろう。
こんなたかりは毎晩、
一杯飲み屋の何軒かで見られたものだが、
店の主人も店員も、
客のために何の処置もしてやらない。
こういうときには、男でのないバーなどの方が
はるかにしっかりしているもので、
マダムとか、ちょっとよなれた女級たちは、
酔ったものを退散させてくれるのだ。
劣気とした店構えの酒屋の主人に限って、
高難を恐れて客のために何の処置もしてくれない。
また、四五十人もいるお客は、
顔を背けてそしらぬふりで飲んでいる。
うっかりそっちを向いても、
因縁をつけられる恐れがあるからで、
事実よた者は、よぼよぼのじいさんなどをひどくいじめて、
正直者が取り成してくれるのを、
待ち構えているのである。
私もここでは五人相手に大乱闘をやったことがある。
酔っていたからずいぶん殴られた。
何べん伸びたかわからないが、
伸びた数だけ突如として起き上がって飛びかかって、
いつまでも終わりがないので、
五人の親分というのが止めに来てくれた。
翌日、鬼瓦のように青黒く腫れた顔をしているところへ、
中原忠也が遊びに来て、手を打って喜び、
彼のお酒場へ通う時刻が来るまで、
二、三時間ぐらい、
あれこれと腫れた顔の批評をして帰って行ったが、
私は怒ることも笑うことも喋ることもできなかった。
顔の筋を動かすことができなかったのである。
しかし、一つの腫れた無言の顔を相手に、
三時間もあれこれと意地の悪い批評の言葉が続くところは、
あっぱれ詩人と言うべきであろう。
この時以来、私の鼻と口の間の筋が一本つって、
時々具合が悪い。
当時の鎌田の酔た者は二種類あって、
一つは波の酔た者であるが、
一つは大船へ引っ越した小築撮影所が、
鎌田へ置き捨てて行った大部屋の残党だ。
私のアパートの隣室が彼らの巣で、
主として自分らの丈夫を使って筒持たせの相談をやっている。
それが筒抜けに聞こえる。
いよいよ最後の葬し上げに、
葬室出動の慌たたしい音も、
凱旋の音も、祝杯の音もみんな聞こえて、
30:01
最後に主君の女を丈夫が愛護する音まで聞こえ、
首尾一貫、
稲柄にして現代劇を味わっているようであった。
その筒持たせのたかってくる金が、
3円か5円ぐらいで、
一度10円の収穫があった時、
女が、
10円札だわねえ、初めてだわ、
としみじみ言っているのが聞こえ、
変に悲しい思いにさすられたものである。
パンパン時代の今日の方が、
むしろ女の肉体の値が高い。
当時は影で見おる女の数が今よりも多く、
はっきり旗印をあげることができなかったから、
タタであったりチップであったり、
要するに値段がなかった。
今のパンパンは収入の点では、
昔の日ではないのである。
新宿はかまたほど露骨ではなかったが、
盛り場としては戦前から最も柄の悪いところであった。
しかし戦後の新宿は確かにひどい。
今は伊東に住んでいるから、
新宿へ行くこともないが、
以前はよく行った。
古い友人のやっているチトセという店は、
屋外劇場の方で、
ここはアンチャンレンのいない地域であるが、
今は取り払われでなくなった和田組の真子の店。
ここへ行くとすさまじかった。
しかし酔っ払って帰るときは、
いつも真子が駅まで送ってくれたから無事であったが、
さもないとどうなるかわからない。
真子は、なじみの客はみんな駅まで送ってやっていたから、
私の友人はここであんまり被害を受けなかったようだが。
しかし編集者などで、
ここのマーケットで裸にされたというものは相当数いるのである。
そういうものは前後不覚によって、
いつやられたか当にも知らない場合が多く、
私がこのマーケットへのみに行っていた頃も、
入り口出口の要所の店には、
帰り客の衰退を監視している何人ずれかのアンチャンが
必ずたむろしていたものである。
このマーケットは取り払われたが、
その周囲のマーケットは残っており、
アンチャンレンの存在は今もって変わりがない。
人間が何千年の時間をかけて社会秩序というものを組み立てても、
ひとたび我々の直面した廃線焼き跡のごときものがあって、
無政府状態が訪れた際には、
歴史は逆転して同じ降り出しへ戻ってしまう。
いわく暗黒時代である。
盛り場を縄張りとする紅蓮隊が、
無政府状態の廃線直後に
33:00
必ず縄張りの復興に乗り出したのは自然であるが、
これを正規の復興に利用し、
正当比までこの連中の深淵に依存しようという
良権を起こした正当の無条件、
一時しのぎのさもしい根性、
未来の設計に対する確たる見通しや理想の欠如というものはひどすぎた。
歴史に微しても、無能の政府というものは、
主として一時しのぎのさもしい良権で失敗しているものだ。
自分の政敵を倒すために他人の武力を借りて、
かえって武力に天下をさらわれてしまう。
平安貴族の没落、平家の天下も源氏の天下も、
南朝の悲劇も無意無能の政府が、
一時しのぎに人の踏んどしをあてにしたせいだ。
廃線後のいくつかの政府は、
歴史上最も無能な政府の標本に属するものであったが、
占領軍の指導で退化なきを得たのであった。
歴史を繰り返すのは馬鹿のやることだ。
歴史は過ちを繰り返さぬために学ぶ必要があるのである。
数年前からボス撃滅を叫びながら、
今もって各地はボスの勢力下にあり、
なかなかもって撃滅どころの段ではない。
代議士、府県会議員、市町村議員にも多数のボスが登場しているし、
ボスでない議員もボス化し、
困ったことには役人官僚もボス化しているから、
盛り場のチンピラあんちゃんなどは、
まだまだ可愛い方だと言わなければならない。
さて、ここらで一回切りがいいので、
前後編に分けたいと思います。
30分たったしね。
最初10分以上喋ってから、
枕が長くなったみたいなこと言われたとき、
愕然としましたけどね。
まだ枕だったんだ、本編じゃないんだ、みたいなね。
ということで、次回に後編を読みたいと思います。
次回は新宿駅前交番の酔っ払いの風景ということで、
今回の続きですね。
それでは今日のところはこの辺で、
また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。