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2024-07-02 25:19

042太宰治「作家の手帖」

042太宰治「作家の手帖」

七夕の話し、タバコの火を貸した挨拶に窮する話し。「きんぎんすなご」って今でも意味がよくわからないです。最後「すなお」と思い違いしてたし。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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寝落ちの本ポッドキャスト。 こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。 作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見ご感想は、公式Xまでどうぞ。 さて今日は、
太宰治の作家の手帖というテキストを読もうかと思います。
さらっと読んだんですが、なぜこのタイトルなのかわからないなぁ。
純粋に、 作家、太宰治の手帖から聞い取ってきたよということかもしれませんが。
とりあえず読んでいきましょうか。 それでは参ります。
作家の手帖。 今年の七夕は例年になく心に染みた。
七夕は女の子のお祭りである。 女の子が織り木の技を始め、
お針などすべて手芸に巧みになるように、 祝女性、
織姫ですね。織姫にお祈りをする宵である。 品においては竿の端に五色の糸をかけてお祭りをするのだそうであるが、
日本では、やぶから切ってきたばかりの青い葉のついた竹に、 五色の紙を吊り下げて、それを門口に立てるのである。
竹の小枝に結びつけられてある色紙には、女の子の秘めたお祈りの言葉が、 たどたどしい文字で書きしたためられていることもある。
七八年も昔のことであるが、私は上州の谷川温泉へ行き、 その頃、いろいろ苦しいことがあって、その山上の温泉にも行ったたまらず、
山のふもとの水上町へぼんやり歩いて降りてきて、 橋を渡って町へ入ると、町は七夕、
赤、黄、緑の色紙が、竹の葉陰にそよいでいて、 ああ、みんなつつましく生きていると、一瞬私もよみがえった思いをした。
あの七夕は、今でも色濃く鮮やかに覚えているが、それから数年、 私は七夕のあの竹の飾りを見ない。
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いやいや、毎年見ているのであろうが、私の心に染みたことはなかった。 それがどういうわけか。
今年は三鷹の町の所々に建てられてある七夕の竹の飾りが、 無性に目に染みて仕方がなかった。
それで、七夕とは一体どういう意味のお祭りなのか、 さらに詳しく知りたくさえなってきて、
二つ三つの辞書をひいて調べてみた。 けれどもどの辞書にも、
「志向の巧みならんことを祈るお祭り。」 ということだけしか出ていなかった。
これだけでは私には不足なのだ。 もう一つ、もっと大事な意味があったように、私は子供の頃から聞かされていた。
この夜は県牛星彦星と織姫が、 一年に一度の大瀬を楽しむ夜だったはずではないか。
私は子供の頃には、あの竹に色紙を吊るしたお飾りも、 織姫彦星のお二人に対してその夜のお喜びを申し上げる
印ではなかろうかとさえ思っていたものである。 織姫彦星のおめでたを下界で慶祝するお祭りであろうと思っていたのだが、
それが後になって、女の子がおしゅうじやお針が上手になるようにお祈りする夜なので、 あの竹のお飾りも、そのお願いのためのお供えであるということを聞かされて、
変な気がした。女の子って実に抜け目がなく、 自分のことばかり考えてちゃっかりしているものだと思った。
織姫様のお喜びに付け込んで、自分たちの願いを聞いてもらおうと計画するなど、 誠に実理的でずるいと思った。
第一、織姫は気の毒である。 一年に一度の大瀬を楽しもうとしている夜に、下界からわいわい沈上が殺到しては、
せっかくの一夜もめちゃくちゃになってしまうだろうに。 けれども織姫も、その夜はご自分にも良いことのある一夜なのだから、
仕方なく下界の女の子たちの願いを聞き入れてやらざるを得ないだろう。 女の子たちはそんな織姫の弱みに付け込んで、
遠慮えしゃくもなく、どしどし願いを申し出るのだ。 ああ、女は幼少にしてすでにこのように厚かましい。
けれども男の子はそんなことをしない。 織姫が少なからずにはにからんでいる夜に、欲張った願いなどするものではないと、ちゃんと礼説を
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心得ている。 現に私などは幼少の頃から、七夕の夜には空を見上げることさえ遠慮していた。
そうしてどうか風雨のさわりもなく、楽しく一夜を過ごしなさるようにと、小さな胸の中で念じていたものだ。
恋人同士が一年に一度、相会う姿を望遠鏡などで眺めるのは実に失礼な、また露骨な下品な態度だと思っていた。
とても恥ずかしくて、冒険できるものではない。 そんなことを考えながら七夕の街を歩いていたら、不意にこんな小説を書きたくなった。
毎年一度、七夕の夜にだけ会おうと約束をしている下界の恋人同士のことを書いてみたらどうだろう。
あるいは何か辛い事情があって別居している夫婦でも良い。 その夜は女の家の角口に、あの色紙の結びつけられた竹のお飾りが立てられている。
色々小説の構想をしているうちに、それも馬鹿らしくなってきて、 そんな甘ったるい小説なんか書くよりは、いっそ自分でそれを実行したらどうだろう、という怪しい空想が立ってきた。
今夜これから誰か女の人のところへ遊びに行き、知らんぷりして帰ってくる。 そして来年の七夕にまたふらりと遊びに行き、やっぱり知らんぷりして帰ってくる。
そして5、6年もそれを続けて、それから初めて女に打ち明ける。 毎年僕の来る夜はどんな夜だか知っていますか?
七夕です、と笑いながら教えてやると、私も案外良い男に見えるかもしれない。 今夜これから、と目つきを変えてうなずいてはみたが、さてどこと行っていくところはないのである。
私は女嫌いだから知っている女は一人もない。 いや、これは逆かもしれない。
知っている女が一人もないから女嫌いなのかもしれないが、 とにかく心当たりの女性が一人もなかったというのだけは事実であった。
私は苦笑した。お蕎麦屋の角口に例の竹のお飾りが立っている。 色紙に何か文字が見えた。
私は立ち止まって読んだ。 たどたどしい幼女の筆跡である。
お星様、日本の国をお守りください。 大きみに誠捧げて使えます。
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はっとした。今の女の子たちはこの七夕祭に決して自分勝手のわがままな祈願をしているのではない。
清純な祈りであると思った。 私は何度も何度も色紙の文字を読み返した。
すぐに立ち去ることはできなかった。 この祈願、必ず織姫に届くと思った。
祈りはつつましいほど良い。 昭和12年から日本においてこの七夕も違った意味を持ってきているのである。
昭和12年7月7日、六皇経において忘れべからざる銃声一発轟いた。
私のけしからぬ空想もきれいにうんさんむしをしてしまった。 我幼少の頃の話であるが、
街のお祭礼などにサーカスが来て小屋掛けを始める。 悪道たちは待ちきれず、その小屋掛けの最中に押しかけて、
テントの割れ目から小屋の内部を覗いて騒ぐ。 私もはにかみながら悪道たちの後について行って、おっかなびっくりテントの中を覗くのだ。
努力してそんな下品な態度を真似るのである。 コラッとテントの中でサーカスの者がどなる。
わーっと歓声を上げて子供たちは逃げる。 私も真似をして、わーっと照れくさい思いで叫んで逃げる。
サーカスの者が追ってくる。 あんたはいい、あんたはいいのです。
サーカスの者はそう言って私一人をつかまえて抱きかかえ、 テントの中へ連れて帰って馬や熊や猿を見せてくれるのだが、
私は少しも楽しくなかった。 私はあの悪道たちと一緒に追い散らされたかったのである。
サーカスはその小屋掛けに用いる丸太などを私の家から借りてきているのかもしれない。 私はテントから逃げ出すこともできず、実に浮かぬ気持ちで黙って馬や熊を眺めている。
テントの外にはまた悪道たちが忍び寄ってきてワイワイ騒いでいる。
こら、とサーカスの者が怒鳴る。 わーっと言って退却する。
実に楽しそうなのである。 私は泣きべそかいて馬を見ている。
あの悪道たちが羨ましくて羨ましくて、 自分一人が地獄の思いであったのだ。
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いつか私はこのことをある先輩に言ったところが、 その先輩はそれは民衆への憧れというものだと教えてくれた。
してみると憧れというものはいつの日か必ず達せられるものらしい。 私は今では完全に民衆の中の一人である。
革黄色のズボンを履いて解禁シャツ。 三鷹の街を産業選手の群れに混じって少しも目立つことなく歩いている。
けれどもやっぱり酒の店などに一歩足を踏み込むとダメである。 産業選手たちは焼酎でも何でも平気で飲むが、私はなるべくならばビールを飲みたい。
産業選手たちは元気が良い。 ビールなんか飲んで上品がっていたってしようがないじゃないか。
と明らかに私にあてつけの大声で言っている。 私は背中を丸くして俯いてビールを飲んでいる。
少しもビールがうまくない。 幼少の頃のサーカスのテントの中のあの侘しさが思い出される。
私は君たちの友だとばかり思って生きてきたのに。 友と思っているだけでは足りないのかもしれない。
尊敬しなければならんのだ。厳粛に私はそう思った。 その酒の店からの帰り道。
三野頭公園の林の中で私は二三人の産業選手に会った。 その中の一人がずっと私の前に立ちふさがり
火を貸してくださいと丁寧な物越しで言った。 私は恐縮した。
私は自分の吸いかけの煙草を差し出した。 私はとっさの間に様々なことを考えた。
私は挨拶の下手な男である。 人からお元気ですかと問われても、へどもどとまごつくのである。
何と答えたらいいのだろう。 元気とはどんな状態のことを指して言うのだろう。
元気、曖昧な言葉だ。 難しい質問だ。
辞書を引いてみよう。 元気とは体を支持する勢い。
精神の活動する力。 すべて物事の根本となる気力。
健やかなること。勢い良きこと。 私は考える。
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自分に今、勢いがあるかどうか。 それは神様にお任せしなければならぬ領域で、自分にはわからないことだ。
お元気ですか。 と何気なく問われても、私はそれに対して正確にお返事しようと思って、そうして口語を持ってしまうのだ。
ええまあ、こんなもんですが、でもまあ、こんなもんでしょうね。 そうじゃないでしょうか。
などと、自分ながら何が何やら訳のわからぬ挨拶をしてしまうような始末である。 私には社交の辞令が苦手である。
今この青年が私から煙草の火を借りて、今に私に私の吸いかけ煙草を返すだろう。
その時、この産業選手は私に対してありがとうと言うだろう。 私だって人から火を借りた時には何のこだわりもなくありがとうという、それは当たり前の話だ。
私の場合、人よりもっと丁寧に帽子を取り、腰をかがめて、 ありがとうございましたとお礼を申し上げることにしている。
その人の煙草の火のおかげで、私は煙草を一服吸うことができるのだもの。 いわば一宿一般の恩人と同様である。けれども逆に私が他人に煙草の火を貸した場合は、私はひどく挨拶の仕方に急するのである。
煙草の火を貸すということぐらい、世の中に安々たることはない。 それこそ何でもないことだ。
貸すという言葉さえ大げさなもののように思われる。 自分の所有権が未尽も損なわれないではないか。
ご不条拝借よりもさらに手軽な依頼ではないか。 私は人から煙草の火の借用を申し込まれる旅ごとに、いつもまごつく。
ことにその人が帽子を取り、丁寧な口調で頼んだ時には、私の顔は赤くなる。
「はあ、どうぞ。」 と、できるだけ気軽に言って。
そうして、私がベンチに腰かけたりしている時には、すぐに立ち上がることにしている。
そうして少し笑いながら、相手の人の受け取りやすいように、私の煙草の端をつまんで差し出す。
私の煙草があまり短い時には、どうぞそれはお捨てになってください、という。
マッチを2つ持ち合わせている時には、1つ差し上げることにしている。 1つしか持っていない時でも、
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その自分のマッチ箱に軸着がいっぱい入っているならば、軸着を少しお分けしてあげる。 そんな時には、相手からすみませんと言われても、私はまごつかず、
いいえ、と挨拶を返すこともできるのであるが、 マッチの軸着1本をおあげしたわけでもなく、
ただ自分の吸いかけの煙草の火を相手の人の煙草に移すという、まことに何でもない事実に対して、
丁寧にお礼を言われると、私は栄釈の仕方に急して、しどろもどろになってしまうのである。
私は今、この井の頭公園の林の中で、1青年からすこぶる因縁に煙草の火を求められた。 しかもその青年は明らかに産業選手である。
私がつい戦国、酒の店で、もっとこの人たちに対して尊敬の念を抱くべきである。 と厳粛に考えた、その当の産業選手の一人である。
その人から私は数秒後には、ありがとう、すみません、という丁寧なお礼を言われるに決まっているのだ。
恐縮とか痛み入るなどの言葉もまだるっこい。 私にはとても耐えられないことだ。
この青年のありがとうというお礼に対して、 私は何と挨拶したらいいのか。
さまざまな挨拶の言葉が小さいセルロイドの風車のように、 目にも止まらぬ速さで、
くるくると頭の中で回転した。 風車がぴったりと停止したとき、
ありがとう、迷路のなくちょうで青年が言った。 私もはっきり答えた。
はばかりさま、 それはどんな意味なのか、私にはわからない。
けれども私はそう言って青年にえしゃくして、 5、6歩歩いて実に気持ちがよかった。
すっと体が軽くなった思いであった。 実に生成した。
家へ帰って得意顔でそのことを家の者に知らせてやったら、 家の者は私をトンチンカンだと言った。
接宅の庭の生垣の陰に井戸がある。 裏の二軒の家が共同で使っている。
裏の二軒はいずれも産業選手のお家である。 両家の奥さんはどっちも35、6歳くらいの年配であるが、
一緒に井戸端で食器などを洗いながら、 甲高い声で、いつまでもいつまでも、
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よも山の話にふける。私は仕事を辞めて寝転ぶ。 頭の痛くなることもある。けれども昨日の午後、
片方の奥さんが一人で井戸端でお洗濯をしていて、 同じ歌を何遍も何遍も繰り返して歌うのである。
私の母さん、優しい母さん、私の母さん、優しい母さん。 やたらに続けて歌うのである。
私は奇妙に思った。 まるで自我自賛ではないか。この奥さんには3人の子供があるのだ。
その3人の子供に慕われている我が身の幸せを持って歌っているのか。 あるいはまた、この奥さんのふるさとのご老婆を思い出して、
まさかそんなこともあるまい。 しばらく私はその繰り返し歌う声に耳を傾けて、
そうしてわかった。 あの奥さんは何も思ってやしないのだ。
いわばただ歌っているのだ。 夏のお洗濯は女の仕事のうちで一番楽しいものだそうである。
あの歌には意味がないのだ。 ただ無心にお洗濯を楽しんでいるのだ。
大戦争の真っ最中なのに、 アメリカの女たちは決してこんなに美しく軟気にしていないと思う。
そろそろブツブツ不平を生い出していると思う。 ネズミを見てさえ気絶の真似をするキザな女たちだ。
女が戦争の勝敗の鍵を握っているというのは言い過ぎであろうか。 私は戦争の将来について楽観している。
1989年発行 筑波書房 筑波文庫 太宰治全集6 より読み終わりです。
やっぱり、やっぱり作家の手帳ってタイトルは
ね、実際 太宰の手帳から聞き出してきたみたいな意味っぽいですよね。これだとね。
なんかリンクしてないですもんね。 冒頭、あの七夕の話がありましたけど、もう何年も前にもなりますけど、
ワインのね、立ち飲み屋さんに 時々行くことがあったんですが
僕が見るにワイン好きの人たちってみんなね上品でね、なんか優しい人たちなんですけど その上品さを保つためにみんなちょっとむっつりつけ日になる傾向があるんですが
まあそれを置いておいてそのワインの立ち飲み屋さんにね、親子3人で時々来てる方々と知り合いになって
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一人娘さんがね高校1年生ぐらいだからまあお酒は飲まないんですけど そのお店の七夕のイベントでね
笹を持ってきてみんなで短冊に願い事を書くじゃないですか 大人たちはこう
世界平和とかなんか死ぬまで飲酒だみたいなおふざけを書く中でですよ その高1の娘ちゃんがですね綺麗な字で筆ペンかなでこう
相思相愛と書いたわけですよ お父さんがねもう複雑な顔しててねー
誰なんだと相手は で娘の幸せを願わないまっきにもいかないみたいなこう
かなり複雑な顔をしてたのが印象的で それを魚にその夜は飲んだんですけど
その子も今や 20歳を超えて
歌舞伎町で遊び倒しているという噂を聞き及んでおります
ねそんなことをふと思い出しました
それでは今日はこの辺でまた次回お会いしましょう おやすみなさい
25:19

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