1. 寝落ちの本ポッドキャスト
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2025-02-04 2:02:38

101夏目漱石「坊っちゃん(前)」(朗読)

101夏目漱石「坊っちゃん(前)」

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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00:05
寝落ちの本ポッドキャスト
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深い本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには、面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
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寝落ちの本で検索してください。
それから番組フォローもどうぞよろしくお願いします。
さて、今日は、夏目漱石さんの坊っちゃんを読もうかと思います。
えー、夏目漱石さんは、説明いらないよね。
千冊だった人ね。
の坊っちゃんです。
中田敦彦のYouTube大学でギュッとまとめてくれたのを見たきりで、
僕は一度もちゃんと読んだことはないですけど、
えっと、先日読んだ田山佳太さんの布団が、
割と早口めで読んで、2時間ちょっとだったんですよ。
その倍ぐらいのテキスト量があるので、
4時間くらいいきそうかな、早口めで読んでも。
で、YouTubeに転がっている坊っちゃんの朗読見回してみても、
5時間とか4時間とかになりそうなので、
お、2時間のやつあると思ったら結局上下みたいな感じなので、
今回僕も上下にしようかなと思います。
節がですね、段落の節が11個ありますので、
1から6まで読んで1つ。
それがおよそ2時間くらい。
で、7から11まで読んで1つ。
そっちも2時間くらいみたいな感じで分割して読んでいこうかなと思います。
久しぶりに大物に取り掛かる感じでね。
大丈夫かな。収録間に合うかな。
日数足りるかな。
事前に向こう2つ分くらいは撮ってあるんですけど、
1週間でしょ、つまり。
まあ、頑張るか。
内側のことはいいや。
はい、それでは参ります。
坊っちゃん
1
親うずりの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。
小学校にいる自分、学校の2階から飛び降りて、
1週間ほど腰を抜かしたことがある。
なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかもしれん。
別段深い理由でもない。
新宿の2階から首を出していたら、
03:01
同級生の1人が冗談にいくら威張ってもそこから飛び降りることはできない。
弱虫やーいと囃したからである。
小遣いにおぶさって帰ってきた時、
親父が大きな目をして2階くらいから飛び降りて腰を抜かすやつがあるかと言ったから、
この次は抜かさずに飛んでみせますと答えた。
親類の者から西洋製のナイフをもらって、
綺麗な刃を火にかざして友達に見せていたら、
1人が光ることは光るが切れそうもないと言った。
切れんことがあるか、何でも切ってみせると受け合った。
そんなら君の指を切ってみろと注文したから、
なんだ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲を端に切り込んだ。
幸いナイフが小さいのと親指の骨が硬かったので未だに親指は手についている。
しかし傷跡は死ぬまで消えぬ。
庭を東へ20歩に行き尽くすと、
南上がりに居ささかばかりの栽園があって真ん中に栗の木が1本立っている。
これは命より大事な栗だ。
身の熟する自分は起き抜けに瀬戸を出て落ちたやつを拾ってきて学校で食う。
栽園の西側が山城屋という七屋の庭続きで、
この七屋にカンタロウという十三種のせがれがいた。
カンタロウは無論弱虫である。
弱虫のくせに四つ目柿を乗り越えて栗を盗みに来る。
ある日の夕方、織戸の影に隠れてとうとうカンタロウを捕まえてやった。
その時カンタロウは逃げ道を失って一生懸命に飛びかかってきた。
向こうは二つばかり年上である。弱虫だが力は強い。
鉢の開いた頭をこっちの胸へ当ててぐいぐい押した拍子にカンタロウの頭が滑って、
俺の合わせの袖の中に入った。
邪魔になって手が使えぬから無安に手を振ったら、
袖の中にあるカンタロウの頭が右左へぐらぐらなびいた。
しまいに苦しがって袖の中から俺の二の腕へ食いついた。
痛かったからカンタロウを垣根へ押し付けておいて、足柄をかけて向こうへ倒してやった。
山代屋の地面は栽園より六尺型低い。
カンタロウは四つ目垣を半分崩して自分の両分へ真っ逆さまに落ちてグーと言った。
カンタロウが落ちる時に俺の合わせの片袖がもげて急に手が自由になった。
その晩母が山代屋に詫びに行ったついでに合わせの片袖も取り返してきた。
このほかいたずらはだいぶやった。
大工の金子と魚屋の角を連れて模索の人参畑を荒らしたことがある。
人参の芽が出そろわぬところへ藁が一面に敷いてやったから、
その上で三人が半日相撲を取り続けに居とったら人参がみんな踏みつぶされてしまった。
古川の持っている田んぼの井戸を埋めて尻を持ち込まれたこともある。
黒い茂草の節を抜いて深く埋めた中から水が湧き出て、そこいらの稲に水がかかる仕掛けであった。
06:05
その自分はどんな仕掛けか知らぬから、石や棒ちぎれをぎゅうぎゅう井戸の中へ差し込んで、
水が出なくなったのを見届けて家へ帰ってきて飯を食っていたら、古川が真っ赤になって怒鳴り込んできた。
確か罰金を出して済んだようである。
親父はちっとも俺を可愛がってくれなかった。
母は兄ばかり悲喜にしていた。
この兄は矢に色が白くって芝居の真似をして女方になるのが好きだった。
俺を見るたびにこいつはどうせろくなものにはならないと親父が言った。
乱暴で乱暴で行き先が案じられると母が言った。
なるほど、ろくなものにはならない。ご覧の通りの始末である。
行き先が案じられたのも無理はない。ただ町駅に行かないで生きているばかりである。
母が病気で死ぬ2、3日前、台所で宙返りをして、
へっついの角であばら骨を打って大いに痛かった。
母がたいそ怒って、お前のようなものの顔は見たくないと言うから
新類へ泊まりに行っていた。するととうとう死んだという知らせが来た。
そう早く死ぬとは思わなかった。
そんな大病ならもう少しおとなしくすればよかったと思って帰ってきた。
そしたら例の兄が、俺を、親不幸だ。俺のためにおっかさんが早く死んだんだと言った。
悔しかったから兄の横面を張って大変叱られた。
母が死んでからは、親父と兄と3人で暮らしていた。
親父は何にもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様はダメだダメだと口癖のように言っていた。
何がダメなんだか今にわからない。
妙な親父があったもんだ。
兄は実業家になるとか言ってしきりに英語を勉強していた。
元来女のような性分でずるいから仲が良くなかった。
10日に1編ぐらいの割で喧嘩をしていた。
ある時将棋を指したら卑怯な待ちごまをして人が困ると嬉しそうに冷やかした。
あんまり腹が立ったから手にあった筆者をみけんへ叩きつけてやった。
みけんが割れて少々血が出た。
兄が親父に言いつけた。親父が俺を感動すると言い出した。
その時はもう仕方がないと観念して先方の言う通り感動されるつもりでいたら、
10年来飯つかっている貴女という下女が泣きながら親父に謝ってようやく親父の怒りが解けた。
それにもかかわらずあまり親父を怖いとは思わなかった。
かえってこの貴女という下女に気の毒であった。
この下女は元勇者のあるものだったそうだが、
賀会の時に連絡してつい奉公までするようになったのだと聞いている。
だから婆さんである。
この婆さんがどういう因縁か俺を非常に可愛がってくれた。
不思議なものである。
母も死ぬ三日前に愛想をつかした。
親父も年中もて余している。
町内では乱暴者の悪太郎と妻弾きをする。
09:03
この俺を無安に沈聴してくれた。
俺は到底人に好かれる立ちでないと諦めていたから、
他人から木の端のように取り扱われるのは何とも思わない。
かえってこの貴女のようにチヤホヤしてくれるのを不審に考えた。
貴女は時々台所で人のいない時に
あなたはまっすぐで良い御気象だと褒めることが時々あった。
しかし俺には貴女の言う意味がわからなかった。
良い気象なら貴女以外のものももう少し良くしてくれるだろうと思った。
貴女がこんなことを言うたびに俺はお世辞は嫌いだと答えるのが常であった。
すると婆さんはそれだから良い御気象ですと言っては
嬉しそうに俺の顔を眺めている。
自分の力で俺を製造して誇っているように見える。
少々気味が悪かった。
母が死んでから貴女はいよいよ俺を可愛がった。
時々は子供心になぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。
つまらない寄せば良いのにと思った。
気の毒だと思った。
それでも貴女は可愛がる。
折々は自分の小遣いできんつばや香梅焼きを買ってくれる。
寒い夜などは密かに蕎麦粉を仕入れておいて
いつの間にか寝ている枕元へ蕎麦湯を持ってきてくれる。
時には鍋焼きうどんさえ買ってくれた。
ただ食い物ばかりではない。
靴たびももらった。
鉛筆ももらった。
帳面ももらった。
これはずっと後のことであるが
金を3円ばかり貸してくれたことさえある。
何も貸せと言ったわけではない。
向こうで部屋を持ってきて
お小遣いがなくてお子供ありでしょう。
お使いなさいと言ってくれたんだ。
俺は無論要らないと言ったが
是非使えと言うから借りておいた。
実は大変嬉しかった。
その3円を釜口へ入れて
懐へ入れたなり便所へ行ったら
スポリと高架の中へ落としてしまった。
仕方がないからのそのそ出てきて
実はこれこれだと清に話したところが
清は早速竹の棒を探してきて
取ってあげますと言った。
しばらくすると井戸端でザーザー音がするから
出てみたら竹の先へ釜口の紐を引きかけたのを
水で洗っていた。
それから口を開けて1円札を改めたら
茶色になって模様が消えかかっていた。
清は火鉢で乾かして
これでいいでしょうと出した。
ちょっと嗅いでみて臭いやと言ったら
それじゃお出しなさい取り替えてきてあげますから
とどこでどうごまかしたか
札の代わりに銀貨を3円持ってきた。
この3円は何に使ったか忘れてしまった。
今に返すよと言ったぎり返さない。
今となっては10倍にして返してやりたくても返せない。
清が物をくれるときには
必ず親父も兄もいないときに限る。
俺は何が嫌いだと言っても
人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いなことはない。
兄とはもろん仲が良くないけれども
兄に隠して清から貸しや色鉛筆をもらいたくはない。
なぜ俺一人にくれて兄さんにはやらないのかと清に聞くことがある。
12:04
すると清は澄ましたもので
お兄様はお父様が勝手を上げなさるから構いませんという。
これは不公平である。
親父は頑固だけれども
そんなエコ卑詭はせぬ男だ。
しかし清の目から見るとそう見えるのだろう。
全く愛に溺れていたに違いない。
元は身分のある者でも教育のない婆さんだから仕方がない。
単にこればかりではない。
卑詭めは恐ろしいものだ。
清は俺をもって将来立身出世して立派なものになると思い込んでいた。
そのくせ勉強をする兄は色ばかり白くって
とても役には立たないと一人で決めてしまった。
こんな婆さんにあっては敵わない。
自分の好きなものは必ず偉い人物になって
嫌いな人はきっと落ちぶれるものと信じている。
俺はその時から別段何になるという了見もなかった。
しかし清が成る成るというものだから
やっぱり何かになれるんだろうと思っていた。
今から考えるとバカバカしい。
ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみたことがある。
ところが清にも別段の考えもなかったようだ。
ただ手車へ乗って立派な玄関のある家をこしらえるに相違ないと言った。
それから清は俺が家でも持って独立したら一緒になる気でいた。
どうか置いてくださいと何遍も繰り返して頼んだ。
俺もなんだか家が持てるような気がして
うん置いてやると返事だけはしておいた。
ところがこの女はなかなかの想像の強い女で
あなたはどこがお好き?
麹町ですか?
麻布ですか?
お庭へブランコをおこしらえ遊ばせ
西洋もは一つでたくさんですなどと勝手な計画を一人で並べていた。
その時は家なんか欲しくもなんともなかった。
西洋館も日本建ても全く不要であったから
そんなものは欲しくないといつでも清に答えた。
するとあなたは欲が少なくって心がきれいだと言ってまた褒めた。
清は何と言っても褒めてくれる。
母が死んでから五六年の間はこの状態で暮らしていた。
親父には叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子をもらう。
時々褒められる。別に望みもない。
これでたくさんだと思っていた。
他の子供も一概にこんなもんだろうと思っていた。
ただ清が何かにつけて
あなたはおかわいそうだ。不幸せだと無安に言うもんだから
それじゃあかわいそうで不幸せなんだろうと思った。
その他に苦になることは少しもなかった。
ただ親父が小遣いをくれないには並行した。
母が死んでから六年目の正月に
親父も卒中で亡くなった。
その年の四月に
俺はある私立の中学校を卒業する。
六月に兄は商業学校を卒業した。
兄は何とか会社の九州の支店に口があって
行かなければならん。
俺は東京でまだ学問をしなければならない。
兄は家を売って財産を片付けて
任地へ出発すると言い出した。
15:00
俺はどうでもするがよかろうと返事をした。
どうせ兄の厄介になる気はない。
世話をしてくれるにしたところで
喧嘩をするから
向こうでも何とか言い出すに決まっている。
生じい保護を受ければこそ
こんな兄に頭を下げなければならない。
牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。
兄はそれから道具屋を呼んできて
先祖代々のガラクタを二足三門に売った。
家屋敷はある人の終戦で
ある金万家に譲った。
この方はだいぶ金になったようだが
詳しいことは一向に知らぬ。
俺は一ヶ月以前から
しばらく禅との奉公のつくまで
神田の小川町へ下宿していた。
貴王は十何年いたうちが
人手に渡るのを大いに残念があったが
自分のものでないからしようがなかった。
あなたがもう少し歳をとっていらっしゃれば
ここがご相続ができますものをと
しきりにくどいていた。
もう少し歳をとって相続ができるものなら
今でも相続ができるはずだ。
婆さんは何も知らないから
歳さえとれば兄の家がもらえると信じている。
兄と俺は貴王に別れたが
困ったのは貴王の行く先である。
兄はむろん連れて行ける身分でなし。
貴王も兄の尻にくっついて
九州くんだりまで出かける気はもうとうなし
と言ってこの時の俺は
四畳半の安家宿に籠って
それすらもいざとなれば
直ちに引き払わねばならぬ始末だ。
どうすることもできん。
貴王に聞いてみた。
どこかへ奉公でもする気かねと言ったら
あなたがお家を持って
奥様をおもらいになるまでは仕方がないから
老いの厄介になりましょうと
ようやく決心した返事をした。
この老いは裁判所の初期で
まず今日には差し支えなく暮らしていたから
今でも貴王に来るなら来いと
二三度勧めたのだが
貴王はたとえ下所奉公はしても
年来住み慣れた家の方がいいと言って応じなかった。
しかし今の場合
知らぬ屋敷へ奉公買いをして
いらぬ気兼ねをし直すより
老いの厄介になる方が
ましだと思ったのだろう。
それにしても早く家をおもての
妻をもらいの
来て世話をするのという
親身の老いよりも
他人の俺の方が好きなのだろう。
九州へ立つ二日前
兄が下宿へ来て
金を六百円出して
これを資本にして商売をするなり
どうでも随意に使うがいい。
その代わり後は構わないと
言った。
兄にしては感心なやり方だ。
何の六百円ぐらいもらわんでも
困りはせんと思ったが
礼に似ぬ淡白な処置が気に入ったから
礼を言ってもらっておいた。
兄はそれから五十円出して
これをついでに貴王に渡してくれと言ったから
意義なく引き受けた。
二日経って
新橋の停車場で別れたぎり
兄にはその後一片も会わない。
俺は六百円の使用法について
寝ながら考えた。
商売をしたってめんどくさくって
うまくできるものじゃなし
ことに六百円の金で商売らしい商売が
やれるわけでもなかろう。
18:01
よしやれるとしても
今のようじゃ人の前へ出て
教育を受けたと言われないから
つまり損になるばかりだ。
資本などはどうでもいいから
これを学習にして勉強してやろう。
六百円を三に割って
一年に二百円ずつ使えば
勉強ができる。
三年間一生懸命にやれば何かできる。
それからどこの学校へ
入ろうかと考えたが
学問は将来どれもこれも好きでない。
ことに語学とか
文学とかいうものはまっぴらごめんだ。
神体師などと来ては
二十行あるうちで一行もわからない。
どうせ嫌いなものなら
何をやっても同じことだと思ったが
幸い
物理学校の前を通りがかったら
生徒募集の広告が出ていたから
何も縁だと思って
規則書をもらって
すぐ入学の手続きをしてしまった。
今考えるとこれも
親譲りの無鉄砲から起こった失策だ。
三年間
まあ人並みに勉強はしたが
別段たちの良い方でもないから
積純はいつでも下から勧奨する方が
便利であった。
しかし不思議なもので
三年たったらとうとう卒業してしまった。
自分でもおかしいと思ったが
苦情を言うわけにもないから
卒業しておいた。
卒業してから8日目に
校長が呼びに来たから
何か用だろうと思って出かけて行ったら
四国編のある中学校で
数学の教師がいる。
月給は40円だが
行ってはどうだという相談である。
俺は三年間学問はしたが
実を言うと教師になる気も
田舎へ行く考えも何もなかった。
もっとも教師以外に
何をしようという当てもなかったから
この相談を受けたとき
引き受けた以上は不認せねばならぬ。
これも親譲りの無鉄砲が
叩ったのである。
引き受けた以上は不認せねばならぬ。
この三年間は
余剰班に窒挙して
小言はただの一度も聞いたことがない。
喧嘩もせずに済んだ。
俺の生涯のうちでは
比較的呑気な時節であった。
しかしこうなると
余剰班も引き払わなければならん。
生まれてから東京以外に踏み出したのは
同級生と一緒に鎌倉へ
今度は鎌倉どころではない。
大変な遠くへ行かねばならん。
地図で見ると
貝品で針の先ほど小さく見える。
どうせろくなところではあるまい。
どんな町でどんな人が住んでるかわからん。
わからんでも困らない。
心配にはならん。
ただ行くばかりである。
もっとも少々面倒くさい。
家を畳んでからも
清のところへは折々行った。
清の老いというのは
存外結構な人である。
俺が行くたびに
折りさえすれば何くれともてなしてくれた。
清は俺を前へ置いて
いろいろ俺の自慢を老いに聞かせた。
いまに学校を卒業すると
神島地辺へ屋敷を買って
役所へ通うのだどと
不意調したこともある。
一人で決めて一人でしゃべるから
こっちは困って顔を赤くした。
それも一度や二度ではない。
21:01
折より俺が
小さい時に
二生弁をしたことまで持ち出すには平行した。
老いは何と思って清の自慢を聞いていたかわからん。
ただ清は昔風の女だから
自分と俺の関係を
封建時代の主従のように考えていた。
自分の主人なら老いのためにも
主人に相違ないと
我転したものだし
老いこそいい面の皮だ。
いよいよ約束が決まって
もう経つという三日前に清を訪ねたら
北向きの山城に
風をひいて寝ていた。
俺の来たのを見て
早いか。
坊ちゃんいつ家をお持ちなさいますと聞いた。
卒業さえすれば
金が自然とポケットに中に湧いてくると思っている。
そんなに偉い人をつらまえて
まだ坊ちゃんと呼ぶのは
いよいよ馬鹿げている。
俺は
単管に当分家は持たない。
田舎へ行くんだと言ったら
非常に失望した様子で
ごま塩の瓶の乱れをしきりに撫でた。
あまり気の毒だから
行くことは行くが直帰る。
来年の夏休みにはきっと帰る。
と慰めてやった。
それでも妙な顔をしているから
何を土産に買ってきてやろう。
何が欲しい。
と聞いてみたら
苺の笹飴が食べたいと言った。
苺の笹飴なんて聞いたこともない。
第一方角が違う。
俺の行く田舎には笹飴は
なさそうだと言って聞かせたら
そんならどっちの検討です。
と聞き返した。
西の方だよと言うと
隣ですか手前ですかと問う。
随分もて余した。
出発の日には朝から来て
いろいろ世話をやいた。
来る途中
小間物屋で買ってきた歯磨きと
用紙と手ぬぐいを
ズックのカバンに入れてくれた。
そんなものは要らないと言っても
なかなか承知しない。
車を並べて停車場へ着いて
プラットフォームの上へ出た時
車へ乗り込んだ俺の顔をじっと見て
もうお別れになるかもしれません。
随分ごきげんようと
小さな声で言った。
目に涙がいっぱい溜まっている。
俺は泣かなかった。
しかしもう少しで泣くところであった。
汽車がよっぽど動き出してから
もう大丈夫だろうと思って
窓から首を出して振り向いたら
やっぱり立っていた。
なんだか大変小さく見えた。
2
ブーと言って気仙が止まると
はしけが岸を離れて
漕ぎ寄せてきた。
扇道は真っ裸に赤ふんどしを
締めている。野蛮なところだ。
もっともこの暑さでは着物は
着られまい。
日が強いので水が嫌に光る。
見つめていても目が眩む。
事務員に聞いてみると
俺はここへ降りるのだそうだ。
見るところでは大森ぐらいな
漁村だ。
人をバカにしていらこんなところに我慢が
できるものかと思ったが仕方がない。
威勢よく1番に飛び込んだ。
続いて5、6人は乗ったろう。
外に大きな箱を
24:00
4つばかり積み込んで
赤ふんは岸へ漕ぎ戻してきた。
丘へ着いたときも
威の1番に飛び上がって
いきなり磯に立っていた放たれ小僧をつらまえて
中学校はどこだと聞いた。
小僧はぼんやりして
知らんがのうと言った。
気の利かぬ田舎者だ。
猫の額ほどな町内のくせに
中学校のありかも知らぬ奴が
あるものか。
ところへ妙な厚つっぽを着た男が来て
こっちへ来いと言うからついて行ったら
港屋とかいう宿屋へ連れてきた。
嫌な女が
声を揃えてお上がりなさいと言うので
上がるのが嫌になった。
門口へ立ったなり
中学校を教えろと言ったら
中学校はこれから汽車で
2里ばかり行かなくちゃいけないと聞いて
なお上がるのが嫌になった。
俺はつつっぽを着た男から
俺の鞄を2つ引きたくって
のそのす歩き出した。
宿屋の者は変な顔をしていた。
停車はすぐ知れた。
切符もわけなく買った。
乗り込んでみると
マッチ箱のような汽車だ。
ゴロゴロと
5分ばかり動いたと思ったら
もう降りなければならない。
通りで切符が安いと思った。
たった3銭である。
それから車を雇って中学校へ来たら
もう放課後で誰もいない。
宿直はちょっと
大田市に出たと小遣いが伝えた。
ずいぶん気楽な宿直がいるものだ。
校長でも訪ねようかと思ったが
くたびれたから車に乗って
宿屋へ連れて行けとシャフに言いつけた。
シャフは威勢よく
山城屋という家へ横付けにした。
山城屋とは
七夜のカンタロウの家号と同じだから
ちょっと面白く思った。
なんだか2階の
はしご壇の下の暗い部屋へ案内した。
暑くっていられやしない。
こんな部屋は嫌だと言ったら
あいにくみんな塞がっておりますからと
言いながらカバンを放り出したまま
出て行った。
仕方がないから部屋の中へ入って
汗をかいて我慢していた。
やがて湯に入れと言うから
ザブリと飛び込んですぐ上がった。
帰りがけに覗いてみると
涼しそうな部屋がたくさん空いている。
湿気なやつだ。
嘘をつきあがった。
それから下女が膳を持ってきた。
部屋は暑かったが
飯は下宿のよりもだいぶうまかった。
休児をしながら下女が
どちらからおいでになりましたと聞くから
東京から来たと答えた。
すると東京は
良いところでございましょうと言ったから
当たり前だと答えてやった。
膳を下げた下女が
台所へ行った時分
大きな笑い声が聞こえた。
くだらないからすぐ寝たが
なかなか寝られない。
暑いばかりではない。想像し
下宿の5倍ぐらいやかましい。
うとうとしたらキヨの夢を見た。
キヨが苺の
笹飴を笹ぐるみ
とよしゃ食っている。
笹は毒だから良したらよかろうと言うと
いえ、この笹が
お薬でございますと言って
うまそうに食っている。
俺が呆れ返って大きな口を開いて
ははははと笑ったら目が覚めた。
27:00
下女が雨戸を開けている。
相変わらず
空の底が突き抜けたような天気だ。
道中をしたら
茶台をやるものだと聞いていた。
茶台をやらないと
粗末に取り扱われると聞いていた。
こんな狭くて暗い部屋へ
押し込めるのも茶台をやらないせいだろう。
みすぼらしいなりをして
ズックのカバンと
ケジュスのコウモリを下げているからだろう。
田舎者のくせに
人を見くびったな。
一番茶台をやって驚かしてやろう。
俺はこれでも額紙の余りを
30円ほど懐に入れて東京を出てきたのだ。
汽車と機銭の
切符代と雑費を差し引いて
まだ14円ほどある。
みんなやったってこれからは
月給をもらうんだからかまわない。
田舎者はしみったれだから
5円もやれば驚いて目を回すに決まっている。
どうするか見ろと
澄まして顔を洗って
部屋へ帰って待ってると
夕べのゲジュが禅を持ってきた。
盆を持って休寿をしながら
やににやにや笑ってる。
しっけいな奴だ。
顔の中をお祭りでも通りはしないし。
これでも
このゲジュの面よりよっぽろ上等だ。
飯を済ましてから
お腹にしようと思っていたが
尺に触ったから中途で
5円札を1枚出して
後でこれを丁場へ持っていけと言ったら
ゲジュは変な顔をしていた。
それから飯を済まして学校へ出かけた。
靴は磨いてなかった。
学校は
昨日車で乗りつけたから
大概の件とはわかっている。
四つ角を2、3度曲がったらすぐ門の前へ出た。
門から玄関までは
三陰石で敷き詰めてある。
昨日この敷石の上を
車でガラガラと通ったときは
むやみに行参の音がするので
少し弱った。
途中から小倉の制服を着た生徒にたくさんあったが
みんなこの門を入って行く。
中にはお料理背が高くて
強そうなのがいる。
あんな奴を教えるのかと思ったら
なんだか気味が悪くなった。
名刺を出したら校長室へ通した。
校長は薄髭のある
色の黒い
目の大きな狸のような男である。
嫌にもったいぶっていた。
まあせいだして
勉強してくれと言って
うやうやしく大きな印の押さった
辞令を渡した。
この辞令は東京へ帰るとき丸めて
海の中へ放り込んでしまった。
校長は今に職員に
紹介しているから
いちいちその人にこの辞令を見せるんだと言って聞かした。
余計な手数だ。
そんな面倒なことをするより
この辞令を三日間職員室へ
貼り付ける方がマシだ。
教員が控え所へ揃うには
一時間目のラッパがならなくてはならぬ。
だいぶ時間がある。
校長は時計を出してみて
お湯をゆるりと話すつもりだが
まず大体のことを飲み込んで
おいてもらおうと言って
それから教育の精神について
長いお談義を聞かせた。
俺はむろんいい加減に聞いていたが
途中からこれは飛んだところへ来たと思った。
校長の言うようには
とてもできない。
30:00
俺みたいような無鉄砲なものを
捕まえて生徒の模範になるの
一向の師匠と仰がれなくてはいかんの
学問以外に個人の特化を
及ばさなくては
教育者になれないのと
無闇に包外な注文をする。
そんな偉い人が月給40円で
はるばるこんな田舎へ来るもんか。
人間は大概似たもんだ。
腹が立てば喧嘩の一つぐらい
誰でもするだろうと思っていたが
この様子じゃ滅多に口も聞けない
散歩もできない。
そんな難しい役なら
雇う前にこれこれだと話すがいい。
俺は嘘をつくのが嫌いだから
仕方がない。騙されてきたのだと
諦めて思い切りよく
ここで断って帰っちまおうと思った。
宿屋へ5円やったから
財布の中には9円何菓子しかない。
9円じゃ東京までは
帰れない。
茶代なんかやらなければよかった。
惜しいことをした。
しかし9円だってどうかならないことはない。
旅費は足りなくっても
嘘をつきよりマシだと思って
到底あなたのおっしゃる通りは
できません。
この事例は返しますと言ったら
校長は狸のような目をパチつかせて
俺の顔を見ていた。
やがて今のはただ希望である。
あなたが希望通りできないのは
よく知っているから心配しなくてもいい
と言いながら笑った。
そのくらいよく知っているなら
初めから脅さなければいいのに。
走行するうちにラッパーが鳴った。
教馬の方が急にガヤガヤする。
もう教員も
控え所へ揃いましたろうというから
校長について教員控え所へ入った。
広い細長い部屋の周囲に
机を並べてみんな腰をかけている。
俺が入ったのを見て
みんな申し合わせたように俺の顔を見た。
見せ物じゃあるまいし。
それから申し付けられた通り
一人一人の前へ行って事例を出して
挨拶をした。
大概は椅子を離れて腰をかかめるばかりであったが
念の入ったのは
差し出した事例を受け取って
一応拝見をしてそれをうやうやしく返却した。
まるで宮芝居の真似だ。
15人目に
体操の教師へと回ってきた時には
同じ事を何遍もやるので
少々じれったくなった。
向こうは一度で済む。
こっちは同じ所作を15遍繰り返している。
少しは人の良気も察してみるがいい。
挨拶をしたうちに
教頭の何が師というのがいた。
これは文学士だそうだ。
文学士といえば大学の卒業生だから
偉い人なんだろう。
妙に女のような優しい声を出す人だった。
最も驚いたのは
この暑いのにフランデルのシャツを着ている。
いくらか薄い地にはそういなくっても
暑いには決まっている。
文学士だけに
ご苦労千万ななりをしたもんだ。
しかもそれが赤シャツだから
人を馬鹿にしている。
後から聞いたら
この男は年中赤シャツを着るんだそうだ。
妙な病気があったものだ。
当人の説明では
赤は体に薬になるから
衛生のためにわざわざあつらえるんだそうだが
いらざる心配だ。
そんならついでに
着物も袴も赤にすればいい。
33:00
それから英語の教師に
コガという大変顔色の悪い男がいた。
大概顔の青い人は
痩せているもんだが
この男は青く膨れている。
昔小学校へ行く時分
アサエのタミさんという子が
同級生にあったが
このアサエの親父がやはり
こんな色艶だった。
アサエは百姓だから
百姓になるとあんな顔になるかとキオに聞いてみたら
そうじゃありません。
あの人は占りのトーナスばかり食べるから
青く膨れるんですと教えてくれた。
それ以来
青く膨れた人を見れば
必ず占りのトーナスを食った
報いだと思う。
この英語の教師も占りばかり
食ってるに違いない。
もっとも占りとは
何のことか今もって知らない。
キオに聞いてみたことはあるが
答えなかった。
大方キオも知らないんだろう。
それから
俺と同じ数学の教師に
ホッタというのがいた。
これはたくましいいがぐり坊主で
永山の悪相と言うべき面構えである。
人が丁寧に事例を見せたら
見向きもせず
やあ君が森林の人か
ちと遊びに来たまえアハハハと言った。
何がアハハハだ。
そんな礼儀を心得ぬやつのところへ
誰が遊びに行くものか。
俺はこの時からこの坊主に
山嵐というあだ名をつけてやった。
漢学の先生はさすがに
堅いものだ。
昨日お月でさぞお疲れで
それでもう授業をお始めで
だいぶんごせいれいでと
別に弁じたのは愛嬌のあるじいさんだ。
画学の先生は
まったく芸人風だ。
ベラベラしたスキヤの羽織を着て
センスをパチつかせて
お国はどちらでゲス?え?東京?
そら嬉しいお仲間ができて
私もこれで江戸っ子ですと言った。
こんなのが江戸っ子なら
江戸には生まれたくないもんだと
真珠に考えた。
そのほか一人一人について
こんなことを書いていけばいくらでもある。
しかし再現がないからやめる。
挨拶が一通り済んだら
校長が
今日はもう引き取っていい。
もっとも授業上のことは
数学の主任と打ち合わせをしておいて
あさってから家業を始めてくれと言った。
数学の主任は誰かと聞いてみたら
例の山嵐であった。
いまいましいこいつの下に
働くのか。おやおやと
失望した。
山嵐はおい君どこに泊まってるか。
山代屋か。うん。今に行って
相談すると言い残して
薄木を持って教場へ出て行った。
主任のくせに
向こうから来て相談するなんて
不見識な男だ。
しかし呼びつけるよりは関心だ。
それから学校の門を出て
すぐ宿へ帰ろうと思ったが
だって仕方がないから
少し町を散歩してやろうと思って
むやみに足の向く方を歩き散らした。
県庁も見た。
古い前世紀の建築である。
平泳も見た。
麻布の連帯より立派でない。
大通りも見た。
神楽坂を半分に狭くしたぐらいな道幅で
街並みはあれより落ちる。
36:00
二十五万石の城下だって
鷹の知れたものだ。
こんなところに住んで
五条家などと威張ってる人間は
かわいそうなものだと考えながら来ると
いつしか山代屋の前に出た。
広いようでも狭いものだ。
これで大抵は
見尽くしたのだろう。
帰って飯でも食おうと
門口を入った。
丁場に座っていた神さんが
俺の顔を見ると急に飛び出してきて
おかえりと板の前
頭をつけた。
靴を脱いで上がると
お座敷が空きましたからと下女が
二階へ案内をした。
文章の表二階で
大きな床の間がついている。
俺は生まれてからまだこんな立派な座敷へ
入ったことはない。
この後、いつ入れるかわからないから
洋服を脱いで浴衣一枚になって
座敷の真ん中へ台の字に寝てみた。
いい心持ちである。
昼飯を食ってから
早速紀夫へ手紙を書いてやった。
俺は文章がまずい上に
字を知らないから
手紙を書くのが大嫌いだ。
また、やるところもない。
紀夫は心配しているだろう。
乱戦して死にやしていないか
などと思っちゃ困るから
奮発して長いのを書いてやった。
その文句はこうである。
昨日着いた。つまらんところだ。
十五畳の座敷に寝ている。
宿へ茶台を五円やった。
上さんが頭を
板の前すりつけた。
夕べは寝られなかった。
紀夫が笹飴を笹ごと食う夢を見た。
来年の夏は帰る。
今日学校へ行って
大学にあだ名をつけてやった。
校長は狸。教頭は赤シャツ。
英語の教師は占い。
数学は山嵐。
画学は野太鼓。
今にいろいろなことを書いてやる。
さようなら。
手紙を書いてしまったら
いい心持ちになって眠気がさしたから
最前のように座敷の真ん中へ
のびのびと台の字に寝た。
今度は夢も何も見ないでぐっすり寝た。
この部屋かいと
大きな声がするので目が覚めたら
雷が入ってきた。
最前は湿気。君の受け持ちは?
と人が起き上がるやいなや
暖パンを開かれたので
大いに狼狽した。
受け持ちを聞いてみると
別なん難しいこともなさそうだから承知した。
このくらいのことなら
あさってはおろか、あしたから始めろと
言ったって驚かない。
授業場の打ち合わせが済んだら
君はいつまでこんな宿屋にいるつもりでもあるまい。
僕がいい下宿を修繕してやるから
移りたまえ。
あさっては承知しないが
僕が話せばすぐできる。
早いほうがいいから
今日見て明日移って
あさってから学校行けば
決まりがいいと言って一人で飲み込んでいる。
なるほど。
十五条屋敷にいつまでもいるわけにもいくまい。
月給をみんな
宿料に払っても
おつかないかもしれぬ。
五円の茶代を奮発してすぐ移るのは
ちと残念だが
どうせ移るものなら
一緒に来てみろということにした。
39:00
すると山原氏は
ともかくも一緒に来てみろと言うから
街はずれの丘の重複にある家で
至極完成だ。
主人は骨董を売買する
イカギンという男で
女房は弟子よりも
四つばかり年傘の女だ。
中学校にいたとき
ウィッチという言葉を習ったことがあるが
この女房はまさにウィッチに似ている。
ウィッチだって人の女房だからかまわない。
とうとう明日から
引き移ることにした。
帰りに山原氏は
通り町で氷水を一杯奢った。
学校で会ったときは
やはり王風な湿気のやつだと思ったが
こんなにいろいろ世話をしてくれるところを
見ると悪い男でもなさそうだ。
ただ俺と同じように
せっかちで感触持ちらしい。
後で聞いたらこの男が
一番生徒に人望があるのだそうだ。
3
いよいよ学校へ出た。
初めて教場へ入って
入りたいところへ乗ったときはなんだか変だった。
公釈をしながら
俺でも先生が勤まるのかと思った。
生徒はやかましい。
時々ずぬけた大きな声で
先生と言う。
先生には答えた。
今まで物理学校で
毎日先生先生と呼びつけていたが
先生と呼ぶのと
呼ばれるのは雲泥の差だ。
なんだか足の裏がむずむずする。
俺は卑怯な人間ではない。
臆病な男でもないが
惜しいことに
弾力がかけている。
先生と大きな声をされると
腹の減ったときに丸の内で
鈍音を聞いたような気がする。
最初の一時間は
なんだかいい加減にやってしまった。
しかし別段困った質問も
かけられずに済んだ。
控え所へ帰ってきたら
山嵐がどうだいと聞いた。
うんと単感に返事をしたら
山嵐は安心したらしかった。
2
2時間目に白木を持って
控え所を出たときには
なんだか敵地へ乗り込むような気がした。
橋上へ出ると
今度の組は前より大きなやつばかりである。
俺は江戸っ子で
華奢に子作りに出てきているから
どうも高いところへ上がっても
推しが効かない。
喧嘩なら相撲取りとでもやってみせるが
こんな大象を40人も前に並べて
ただ一枚の舌を叩いて
恐縮させる手際はない。
しかしこんな田舎者に
弱みを見せると
癖になると思ったから
なるべく大きな声をして
少々負け舌で高尺してやった。
最初のうちは生徒も
煙に巻かれてぼんやりしていたから
それ見ろとますます得意になって
ベラン名長を用いていた
一番前の列の真ん中にいた
一番強そうな奴が
いきなり起立して先生へと言う。
そら来たと思いながら
なんだと聞いたら
あまり早くてわからんけれ
もちっとゆるゆるやって
送れんかなもしと言った。
送れんかなもし
は生ぬるい言葉だ。
早すぎるならゆっくり
言ってやるが俺は江戸っ子だから
君らの言葉は使えない。
42:01
わからなければわかるまで
待ってるがいいと答えてやった。
この調子で2時間目は思ったより
うまくいった。ただ帰りがけに
生徒の一人がちょっとこの問題を
解釈して送れんかなもし
とできそうもない
期間の問題を持って迫った
には冷や汗を流した。
仕方がないからなんだかわからない。
この次教えてやると急いで
引き上げたら生徒がわーっと
はやした。
その中にできんできんという声が
聞こえる。べらぼうめ。
先生だってできないのは当たり前だ。
できないのをできないというのに
不思議があるもんか。
そんなものができるくらいなら
40円でこんな田舎へ来るもんかと
帰ってきた。
今度はどうだとまた
山嵐が聞いた。
うんと言ったが
うんだけでは気が済まなかったから
この学校の生徒はわからずやったなと
言ってやった。山嵐は
妙な顔をしていた。
3時間目も4時間目も
昼過ぎの1時間も大同賞位で
やった。
最初の日に出た給は
いずれも少々ずつ失敗した。
教師は旗で見るほど
学じゃないと思った。
授業は一通りすんだが
まだ帰れない。3時まで
ポツネンとして待ってなくてはならん。
3時になると
受け持ち級の生徒が自分の教室を
掃除して知らせに来るから
見聞をするんだそうだ。
それから出席簿を一応調べて
ようやくお暇が出る。
いくら月休で変われた体だって
空いた時間まで学校へ
縛り付けて机とにらめっくらを
させるなんて法があるものか。
しかし他の練習はみんな
おとなしくご規則通りやってるから
新山の俺ばかり
ダダをこねるのもよろしくないと思って
我慢していた。帰りがけに
君、何でもかんでも3時過ぎまで
学校にさせるのは愚かだぜ
と山嵐に訴えたら
山嵐はそうさ
アハハハと笑ったが
あとから真面目になって
君、あまり学校の不平を言うといかんぜ
言うなら僕だけに話せ
ずいぶん妙な人もいるからな
と忠告がましいことを言った
四つ角で別れたから
詳しいことは聞く暇がなかった
それから
家へ帰ってくると宿の定主が
お茶を入れましょうと言ってやってくれ
お茶を入れると言うから
御馳走するのかと思うと
俺の茶を遠慮なく入れて自分が飲むのだ
この様子では留守中も勝手に
お茶を入れましょうと一人で履行しているかもしれない
定主が言うには
手前は書が
骨董が好きで
おこんな商売をないないで始めるようになりました
あなたも
お見受け申すところだいぶ
御風流でいらっしゃるらしい
ちと道楽にお始めなすってはいかがですと
とんでもない勧誘をやる
二年前
ある人の使いに
帝国ホテルへ行ったときは
錠前直しと間違えられたことがある
血統をかぶって
鎌倉の大仏を見物したときは
車屋からお館と言われた
45:01
そのほか
御風流で見損なわれたことはずいぶんあるが
まだ俺をつらまえて
だいぶ御風流でいらっしゃるといったものはない
大抵は
なりや様子でもわかる
風流人なんていうものは
絵を見ても
頭巾をかぶるか短冊を持っているものだ
この俺を風流人だな
などと真面目に言うのは
ただのくせものじゃない
俺はそんなのんきな陰境のやるようなことは
嫌いだと言ったら定主は
へへへへと笑いながら
家始めから好きなものはどなたもございませんが
一旦この道に入ると
なかなか出られません
と一人で茶を注いで
妙な手つきをして飲んでいる
実は夕べ茶を買ってくれと
頼んでおいたのだが
こんな苦い濃い茶は嫌だ
一杯飲むと胃に応えるような気がする
今度からもっと苦くないのを
買ってくれと言ったら
かしこまりましたとまた一杯絞って飲んだ
人の茶だと思って
むやみに飲むやつだ
主人が引き下がってから
明日の下読みをしてすぐ寝てしまった
それから
毎日毎日学校へ出ては規則通り
働く毎日毎日
帰ってくると主人がお茶を入れましょうと
出てくる
一週間ばかりしたら学校の様子も
一通りは飲み込めたし
宿の夫婦の人物も
大概はわかった
他の教師に聞いてみると
辞令を受けて一週間から一ヶ月ぐらいの間は
自分の評判がいいだろうか
非常に気にかかるそうであるが
俺は一向そんな感じはしなかった
教上で折々しくじると
その時だけは
嫌な心持ちだが
30分ばかり経つときれいに消えてしまう
俺は何事によらず
長く心配しようと思っても
心配ができない男だ
教上のしくじりが
生徒にどんな影響を与えて
その影響が校長や教頭に
どんな反応を呈するかまで
まるで無頓着であった
俺は前に言う通り
あまり度胸の座った男ではないのだが
思い切りはすこぶるいい人間である
この学校が行けなければ
すぐどこかへ行く覚悟でいたから
狸も赤シャツも
ちっとも恐ろしくはなかった
まして教上の小僧どもなんかには
愛嬌もお世辞も使う気になれなかった
学校はそれでいいのだが
下宿の方はそうはいかなかった
弟子が茶を飲みに来るだけなら
我慢もするが
いろいろなものを持ってくる
はじめに持ってきたのは
何でも飲剤で
等ばかり並べておいて
みんなで3円なら安いものだ
お買いなさいと言う
田舎周りのヘボ教師じゃあるまいし
そんなものは要らないと言ったら
今度は火山とか何とか言う男の
課長の掛物を持ってきた
自分で床の前掛けて
いい出来じゃありませんかと言うから
そうかなといい加減に挨拶をすると
火山には二人ある
一人はなんとか火山で
この服はそのなんとか火山の方だと
くだらない交釈をした後で
どうです
あなたなら15円にしておきます
お買いなさいと猜測をする
48:01
金がないと言葉だと
金なんかいつでも要ございますと
なかなか頑固だ
金があっても買わないんだと
その時は追っ払っちまった
その次には鬼がわらぐらいな
大すずりを担ぎ込んだ
これは単形です
単形ですと2辺も3辺も
単形があるから
面白半分に単形たらなんだいと聞いたら
すぐ交釈を始め出した
単形には上層中層下層とあって
今時の物はみんな上層ですが
これは確かに中層です
この眼をご覧なさい
目が3つあるのは珍しい
初木の具合もすごくよろしい
試してご覧なさい
と俺の前
大きなすずりを突きつける
いくらだと聞くと
持ち主が品から持って帰ってきて
ぜひ売りたいと言いますから
お安くして30円にしておきましょうという
この男は馬鹿にそういない
学校の方はどうかこうか
無事に勤まりそうだが
この骨董責めにあっては
とても長く続きそういない
そのうち学校も嫌になった
ある日の晩
大町というところを散歩していたら
郵便局の隣にそばと書いて
下に東京と中を加えた
看板があった
俺はそばが大好きである
日本におった時でもそば屋の前を通って
薬味の匂いを嗅ぐと
どうしてものれんがくぐりたくなった
今日までは数学と骨董で
そばを忘れていたが
こうして看板を見ると素通りができなくなる
ついでだから
一杯食っていこうと思って上がり込んだ
見ると看板ほどでもない
東京と断る以上は
もう少しきれいにしていそうなものだが
東京知らないのか金がないのか
めっぽう汚い
畳は色が変わって
おまけに砂でザラザラしている
壁はすすで真っ黒だ
天井はランプのゆえんで
くすぼっているのみか
低くて思わず首を縮めるくらいだ
ただれいれいと
そばの名前を書いて貼り付けた
値段付けだけは全く新しい
なんでも古い家を買って
二三日前から開業したに違いなかろう
値段付けの第一号に
天ぷらとある
おい天ぷらを持ってこいと
大きな声を出した
この時まで隅の方に三人固まって
何かつるつる
ちゅうちゅう食ってた連中が
ひとしく俺の顔を見た
部屋が暗いのでちょっと気がつかなかったが
顔を見るとみんな学校の生徒である
先方で挨拶をしたから
俺も挨拶をした
その晩は久しぶりにそばを
食ったのでうまかったから
天ぷらを四杯炊いであげた
翌日なんの気もなく
教場へ入ると黒板いっぱいぐらいの
大きな字で天ぷら先生と書いてある
俺の顔を見てみんな
わーと笑った
俺はバカバカしいから
天ぷらを食っちゃおかしいかと聞いた
すると生徒の一人が
しかし四杯は過ぎるぞなもし
と言った
四杯食おうが五杯食おうが
俺の前にで俺が食うのに文句があるもんかと
さっさと講義を済まして
51:01
控え所へ帰ってきた
十分たって
次の教場へ出ると
ひとつ天ぷら四杯になり
ただし笑うべからず
と黒板に書いてある
さっきは別に腹も立てなかったが
今度は尺に触った
冗談もどう過ごせば
いたずらだ
焼き餅の黒焦げのようなもので
誰も褒めてはいない
田舎者はこの呼吸が分からないから
どこまで押していっても構わないという
良犬だろう
一時間歩くと見別する街もないような
狭い都に住んで
他に何にも芸がないから
自然を日露戦争のように
ふれ散らかすんだろう
哀れな奴らだ
子供の時からこんな教育をされるから
嫌にひねっこびた
植木鉢の楓みたいな
精進ができるんだ
無邪気なら一緒に笑ってもいいが
これはなんだ
子供のくせに大津に毒気を持っている
俺は黙って天ぷらを消して
こんないたずらが面白いか
卑怯な冗談だ
君らは卑怯という意味を知っているかと言ったら
自分がしたことを笑われて
怒るのが卑怯じゃろうがなもし
と答えた奴がある
嫌な奴だ
わざわざ東京からこんな奴を
教えに来たのかと思ったら情けなくなった
余計なヘラズ口を
聞かないで勉強しろと言って
授業を始めてしまった
それから次の教場に出たら
天ぷらを食うとヘラズ口が
聞きたくなるものなりと書いてある
どうも始末に終えない
あんまり腹が立ったから
この生意気な奴は教えないと言って
スタスタ帰って来てやった
生徒は休みになって喜んだそうだ
こうなると
学校より骨董の方がまだマシだ
天ぷらそばも家へ帰って
一晩寝たらそんなに感触に触らなくなった
学校へ出てみると
生徒も出ている
なんだかわけがわからない
それから3日ばかりは
無事であったが
4日目の晩に住田というところへ行って
団子を食った
この住田というところは
温泉のある町で
上下から汽車だと10分ばかり
歩いて30分で行かれる
料理屋も温泉宿も
公園もある上に
有格がある
俺の入った団子屋は有格の入口にあって
大変うまいという評判だから
温泉に行った帰りがきに
ちょっと食ってみた
今度は生徒にも会わなかったから
誰も知るまいと思って
翌日学校へ行って
団子2皿7千と書いてある
実際俺は
2皿食って7千払った
どうも厄介な奴らだ
2時間目にもきっと
何かあると思うと
有格の団子うまいうまいと書いてある
呆れかえった奴らだ
団子がそれで済んだと思ったら
今度は赤手ぬぐいというのが評判になった
何のことだと思ったら
つまらない来歴だ
俺はここへ来てから
毎日住田の温泉に
始めている
54:01
他のところは何を見ても
東京の足元にも及ばないが
温泉だけは立派なものだ
せっかく来たもんだから
毎日入ってやろうという気で
晩飯前に運動をガタガタ出かける
ところが行くとき必ず
西洋手ぬぐいの大きな奴を
ぶら下げて行く
この手ぬぐいが湯に染まった上
赤いシマが流れ出したので
ちょっと見ると紅色に見える
俺はこの手ぬぐいを
帰りも汽車に乗っても歩いても
常にぶら下げている
それで生徒が俺のことを
赤手ぬぐい赤手ぬぐいと言うんだそうだ
どうも狭い土地に住んでいると
うるさいものだ
まだある
温泉は3階の新築で
上等は浴衣を貸して
流しをつけて
発泉で済む
その上に女が天目へ茶を乗せて出す
俺はいつども上等へ入った
すると
40円の月給で
毎日上等へ入るのは贅沢だと言い出した
余計なお世話だ
まだある
湯壺は三日芸師を畳み上げて
15畳敷くらいの広さに仕切ってある
大抵は
13、4人使ってるが
たまには誰もいないことがある
深さは立って土のあたりまでであるから
運動のために
湯の中を泳ぐのはなかなか愉快だ
俺は人のいないのを見すましては
15畳の湯壺を泳ぎ回って喜んでいた
ところがある日
3階から威勢よく降りて
今日も泳げるかなと
ザクロ口を覗いてみると
大きな札へ黒々と
湯の中で泳ぐべからずと書いて貼り付けてある
湯の中で泳ぐものは
あまりある前から
この針札は
俺のために特別に慎重したのかもしれない
俺はそれから泳ぐのは断念した
泳ぐのは断念したが
学校へ出てみると
例の通り
黒板に
湯の中で泳ぐべからずと
書いてあるには驚いた
なんだか生徒全体が
俺一人を探偵しているように思われた
クサクサした
生徒が何を言ったってやろうと思ったことを
やめるような俺ではないが
なんでこんな狭苦しい
鼻の先が使えるようなところへ来たのか
と思うと情けなくなった
それで家へ帰ると
相変わらず骨董攻めである
4
学校には宿直があって
職員が変わるがあるこれを務める
ただし
狸と赤シャツは例外である
なんでこの両人が
当然の義務を間抜かれるのかと聞いてみたら
送任待遇だからだという
面白くもない
月給はたくさん取る
時間は少ない
それで宿直を逃れるなんて不公平があるものか
勝手な規則を
こしらえて
それが当たり前だというような顔をしている
よくまああんなにズルズルしくできるものだ
これについてはだいぶ不平であるが
山原氏の説によると
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