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寝落ちの本ポッドキャスト
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本を淡々と読んでいきます。
エッセイには、面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見ご感想は、公式Xまでどうぞ。
さて今日は、太宰治 困惑の弁というエッセイを読んでいこうと思います。
これはかなり短いらしいので、今週というかこの1回で読み切れると思います。
小説家を目指す人に向けてアドバイスをお願いしますと言われた太宰治がそれについて書いたという本ですね。
太宰治といえば、人間失格とか、走れメロスとか有名な本がたくさんありますけれども、何て答えたのでしょうか。
困惑の弁 太宰治 それでは読んでいきます。
正直言うと私は、この雑誌から原稿を書くように言い付けられて多少困ったのである。
横田区のお返事をすぐには書けなかったのである。
それは虚豪からではないのである。
虚豪、これは虚偽の虚に傲慢の傲で、調べたらおごりという意味ですね。
僕のおごりですぐに返事をOK出せなかったわけじゃないんだよと言っています。
むしろ全然それと反対である。
私はこの雑誌をとりわけ貴族なものとは思っていない。
貴族といえばどんな雑誌だってみんな貴族だ。
そこに発表されてある作品だってみんな貴族だ。
私だってもとより貴族の作家である。
他の貴族を嘲笑うことは私には許されていない。
人おのおの賢明の生き方がある。
それは尊重されなければいけない。
私の困惑は他にあるのだ。
それは私が未人も大化でないという一時である。
この雑誌の8月上旬号、9月下旬号、10月下旬号の3冊を私は編集者から送られたのであるが、
一覧するに、この雑誌の読者はすべてこれから文学というものを試みたいと心を動き始めたばかりの人の様子なのである。
そのような心の状態にある時、人は大空を仰ぐような、一点穢れなき高い希望を有しているものである。
そしてその希望は、人をも己をも欺かざる作品を書こうという具体的なものではなくして、ただ漠然と天下に名を挙げようという野望なのである。
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それは当たり前のことで何も非難される筋合いのものではない。
日頃同僚から軽蔑され、親兄弟に心配をかけ、女房恋人にまで信用されず、よろしい、それならば俺も奮発しよう。
昔バイロンという人は、一朝目覚めたらその名が世に高くなっていたとかいうではないか。
やってみようというような経緯は誰にだってあることで極めて自然の人情である。
その時その人は興奮して本屋に出かけ、まずこの雑誌を取り上げ、開いてみるとダザイ謎という聞いたこともない変な名前の人が先生面して書いている。
実に拍子抜けがすると思う。
その人の脳裏にあるのは夏目漱石、森鴎外、尾崎紅葉、徳富呂香、それから先日文化勲章をもらった高田路班。
それら文豪以外の人は問題でないのである。
それはしかし当然なことなのである。文豪以外は問題にせぬというその人の態度は全く正しいのである。
いつまでもその態度を持ち続けてもらいたいと思う。
みじめなのはその雑誌に先生面して何やらつぶやきを書いていたダザイという男である。
一向に有名でない。
この雑誌の読者は全てこれから文学を試み、天下に名をなそうといわば西雲の志を持っておられる。
いささかの卑屈もない。肩を張って早急を仰いでいる。傷ひとつ受けていない。
無線である。この無線は染まっていないと書いて無線ですね。
その人にダザイという下手くそな作家の周回にしわがれたつぶやきが、
この周回これ見にくいに怪物の回です。
一体聞こえるものかどうか。
私の困惑はここにある。
私は今まで何のいい小説も書いていない。
全て人真似である。学問はない。
未だ三十一歳である。青二歳である。
未だ世間を知らぬと言われてもいたしかたがない。
何もない。
誇るべきもの何もないのである。
たった一つけしつぶほどのプライドがある。
それは私が馬鹿であるということである。
全く無益な路傍の苦労ばかり。
それも自ら求めて十年間、てんてん嫉妬してきたということである。
けれどもまた考えてみると、
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それは読者諸君がこれから文豪になるためにちっとも必要なことではない。
無駄な苦労は避けられたら、それは避けた方が良いのである。
何事も聡明に越したことはない。
けれども私はよほど頭が悪く、
それにまた身の程を知らぬうぬぼれもあり、
人の精神も聞かばこそ、
何大丈夫大丈夫だと一夫の言う。
泳げもせぬのに深潭に飛び込み、
たちまちアップアップ、目も当てられぬ有様であった。
そのような愚かな作家が未来の鴎外、
荘石を志しているこの雑誌の読者に、
一体どんなことを語ればいいのか、実に困惑するのである。
私は悪名の方がむしろ高い作家なのである。
様々な曲解せされているようである。
けれどもそれはやはり私の至らぬせいであろうと思っている。
実に難しいものである。
私は今は気長にやっていくつもりでいる。
私は頭が悪くて一時にすべてを解決することはできぬ。
手探りでそろそろ張って歩いていくようにしかたがない。
長生きしたいと思っている。
そんな状態なので私は諸君に語るべきもの一つも持っていない。
たった一つ消し粒ほどのプライドがあるとさっき書いたが、
あれも今は消し去りたい気持ちである。
馬鹿な苦労は誇りにならない。
けれども私は藁一筋にすがる思いで、
これまでの愚かな苦労に執着しているということも告白しなければならない。
もし語ることがあるとすればただ一つそのことだけである。
私はこんな馬鹿な苦労をして、そうして何にもならなかったから、
せめて君だけでも辞聴してこんな馬鹿な真似はなさらぬようにという、
極めて消極的な無力な忠告くらいには私にもできるように思う。
灯台が高く明るい光を放っているのは、灯台自ら誇っているのではなくして、
ここは難所ゆえ近づいてはいけませんという忠告の意味なのである。
私のところへも2、3学生がやってくるのである。
私はそのときにも今と同じような感惚を感じるのである。
彼らはもちろん私の小説を読んでいない。
彼らもまた性運の志を持っているのであるから、
私の小説を軽蔑している。またそうあるべきだと思う。
私の小説など読む暇があったら、もっともっと外国の一流作家、
または日本の古典を読むべきである。望みは高いほど良いのである。
そんなに私の小説を軽蔑していながら、なぜ私のところへ来るのか。
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来やすいからである。それ以外の理由はないようである。
玄関をがらっと開けると私がすぐそこに座っている。
家が狭いのである。せっかく訪ねてきてくれたのである。
まさか悪意を持って、はるばるこんな田舎まで訪ねてきてくれる人もあるまい。
私は知遇に報いなければならぬ。
上がりたまえ。ようこそ、と言う。
私はちっとも偉くないのだから、客を玄関で追い返すなどはとてもできない。
私はそんなに多忙な男でもないのである。
傍聴者客などと言う鮮やかなことは、
永遠に私にはできないと思う。
僕よりもっと偉い作家が日本にたくさんいるのだから、その人たちのところへ行きなさい。
きっと得るところも甚大であろうと思う。
と私はあるとき一人の学生に真面目に言ったことがあるけれども、
そのとき学生はにやりと笑って、
行ったって僕たちには会ってくれないでしょう。
と正直に答えたのである。
そんなことはないと思う。
会ってくれないならば、握り飯持参で門の外に頑張り、
一夜でも二夜でも粘るがよい。
本当にその人を尊敬しているならば、
そんな不穏な行動もあながじ悪事とは言えまい。
と私はやはり真面目に言ったのであるが、
学生は今度はゲラゲラ笑い出して、
それほど尊敬している人は日本の作家の中にはない。
芸手とかダビンチのお弟子になるんだったら、
それくらいの苦心をしてもいいが、と嘘吹き、
卓上のまんじゅうを一つ素早く頬張った。
青春無垢のころは、望みはすべてこのように高くなければならぬのである。
私はその学生に向かっては何も言えなくなるのである。
私は軽蔑されている。
けれどもその軽蔑は正しいのである。
私は貧乏で怠け者で、無学で、
そうしてはなはだいい加減の小説ばかり書いている。
軽蔑されて死闘なのである。
君は苦しいか、と私は私の無邪気な包却に尋ねる。
そりゃ苦しいですよ、とまんじゅうぐっと飲み込んでから答える。
苦しいに違いないのである。
青春は人生の花だというが、また一面、焦燥、孤独の地獄である。
どうしていいかわからないのである。
苦しいに違いない。
なるほど、と私は肯定し、
その苦しさをもて余して僕のところへこうしてやってくるのかね。
ひょっとしたらダザイも案外いいこと言うかもしれん。
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いや、やっぱりあいつはダメかな。
なるほど、そんな気持ちでふらふらここへ来るのかね。
もしそうだったら僕ではダメだ。
君に何にもいいことを教えることはできない。
第一、今、僕自身危ないのだ。
僕は頭が悪いから何にもわからないのだ。
ただ僕は今までバカな失敗ばかりやってきたから、
僕のバカな真似をするなと何遍でも繰り返して言いたいだけだ。
学校を怠けてはいけない。
落題してはいけない。
カンニングしてもいいから、
学校だけはちゃんと卒業しなければいけない。
できるだけ本を読め。
カフェに行ってお金を乱費してはいけない。
酒を飲みたいなら、
友人先輩と牛鍋つきながら皮膚交代せよ。
それも一週間に一度以上多くやってはいけない。
侘しさに耐えよ。
三日耐えて侘しかったらそいつは病気だ。
冷水摩擦を始めよ。
必ず腹巻きをしなければいけない。
人から金を借りるな。
合資するとも借金はするな。
世の中は人を合資させないようにできているものだ。
安心するがいい。
恋は必ず片思いのままで隠しておけ。
女に恋を打ち明けるなど男子の恥だ。
思えば思われる。
それを信じてのんきにいれ。
万事焦ってはならぬ。
漱石は四十から小説を書いた。
愚かな私の精一杯の中国は、
以上のような鼻肌交渉でないことばかりだったので、
かの学生は腹を抱えて大笑いしたのであるが、
この雑誌の読者もまた、
明日の鴎外、漱石、芸手をさえ志しているのに違いないのだから、
このちっとも有名でないし偉くもない作家の恐ろしく下等の叫び声には、
定めし失笑なされたことであろう。
それでいいのだ。
望みは高いほど良いのである。
以上で読み終わりです。
太宰治全集10 筑磨書房 筑磨文庫
1989年第1冊発行の手本より読んでまいりました。
終始太宰治らしいネガティブな表現が続いていましたが、
皆さんはどう感じられたでしょうか。
というか、寝落ちできたでしょうか。
それでは皆様また次回。おやすみなさい。