1. 寝落ちの本ポッドキャスト
  2. 004夏目漱石「自転車日記」」..
2024-02-20 19:15

004夏目漱石「自転車日記」」(前)

夏目漱石のエッセー「自転車日記」(前)

留学先のイギリスで、下宿の婆さんに「自転車にお乗んなさい」と言われたことから始まる夏目漱石の自転車格闘日記を読み上げます。寝落ちしてくれたら幸いです。


ご意見・ご感想は公式X(旧Twitter)まで。寝落ちの本で検索してください。

00:05
寝落ちの本ポッドキャスト
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちをお手伝いする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本を淡々と読んでいきます。
エッセイには、面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見ご感想は、公式エックスまでどうぞ。
さて今日はですね、夏目漱石の自転車日記というのを読んでいきたいと思います。
現在日本にはですね、7200万台を超える自転車があり、
2人に1人が自転車を持っている計算になるそうなんですけども、
大体の人が乗れるかなということですよね。
そんな中、夏目漱石がイギリスで留学中、現地のおばあさんに
自転車に乗りなさいよと言われたもんですから、その後自転車との格闘が始まると。
自転車にしがみついた漱石は無事に坂道を駆け下りることができるのか、そういうお話になっています。
100年以上前の文人なので、ちょっと言葉遣いとかがですね、いちいちちょっと難しいところがあるので、
注釈を入れたり、あるいは言い換えをしたりして読んでいくことになろうかと思います。
それでは聞いてください。夏目漱石自転車日記。
西暦1902年秋。
丸月丸日、白旗を寝室の窓にひるがえして、下宿のばあさんに降りるをこうやいなや。
ばあさんは20貫目の大工を3階のてっぺんまで運び上げにかかる。
この20貫目というのは調べてみたら75キロに相当するそうなので、75キロのおばあさんが3階まで運び上げていると。
運び上げるというべきを上げにかかると申すは、手間のかかるを形容せんためなり。
階段を登ること無料42給。
途中にて休憩すること前後2回。時を費やすこと3分5秒の後。
この偉大なるばあさんの得意なるべき顔面が苦しげに戸口にぬっと出現する。
あたり近所は狭苦しきばかりなり。
この会見の絵を肩み狭くも爽健になえる私に向かってばあさんは講和条件の第一条として命令的に左のごとく申し渡した。
03:00
自転車におのんなさい。
ああ悲しいかなこの自転車事件たるや。
私はついにばあさんの命に従って自転車に乗るべく。いな。
自転車より落ちるべくラベンダーヘルへと参らざるべからざる風雲に出会い。
監督兼教師はまるまるしなり。
肖然たる私を従えて自転車屋へと飛び込みたる。
ここでいう肖然は元気がないとかしょげているという意味ですね。
彼はまず女乗りの手頃なるやつを選んでこれがよかろうという。
その理由をいかにと尋ぬるに初学入門の章形にはこれに限るよと。
章形は近道なので初心者にはこれがいいだろうと言われたということです。
後三人と見てとっていやに軽蔑した文句を並べる。
不章なりといえども軽章ながら鼻下にひげをたくわえたる男子に
女の自転車で稽古をしろとは情けない。
まあ落ちてもいいから当たり前のやつでやってみようと抗議を申し込む。
もし採用されなかったら上部玉砕がぜんをはずとかなんとか
沈便管の機縁をはこうと案にしたごしらえに黙っている。
とそれならこれにしようと。
いとも見ぐるしかりける男乗りをぞ当てがいける。
思えらく農者筆を選ばず
どうせ落ちるのだから車のびしゅうなどはかわうものかと
当てがわれたる車を重そうに引っ張り出す。
不平なるは力を出して上からうんと押してみるとぎーとなることなり
ふしておもん見れば関節がゆるんで
あぶらけがなくなった老朽の自転車に
万里の波島を越えてはるばると会いに来たようなものである。
自転車屋には恩急年元がないのか知らん。
とちょっと不審を起してみる。
思うにその年元はとっくの昔に来ていて
今まで物置の隅に官居西洋をもっぱらしたやつに違いない。
つまり当てがわれた自転車がぼろいぞと言っているわけですね。
はからざりき東洋の顧客に引きずり出され
本命に絶えずして悲鳴をあげるに至っては
自転車の末路また哀れむべきものありだが
せめては降参の払いせに
06:01
この老骨をぎゅうと言わしてやらんものをと
乗らぬ先から当人はしきりに乗り気になる。
しかるにハンドルなるもの神経下敏にて
こちらへ引けば又にぶつかり
向うへ押しやると往来の真ん中へ駆け出そうとする。
乗らぬうちから角のごとく諸地に急するところをもってみれば
乗った後のことは思いやるだに涙の種と知られける。
どこへ行って乗ろう。
どこだってきょうはじめて乗るのだから
なるだけ人の通らない。
道の悪くない。
落ちても人の笑わないようなところに願いたい。
と降参人ながらいろいろな条件を提出する。
神経なる監督官は私が中場をあらわれんで
クラパム根門の傍人跡あまり
茂からざる大道の横手馬場上へと私をらっし去る。
しかして後さあここで乗ってみたまえという
いよいよ降参人の降参人たる本領を発揮せざるを得ざるに至った。
ああ悲しい。
乗ってみたまえとはすでに地期の後にあらず。
その昔本国にあって
ときめきし時代より
天外万里古城落日至近急忙の今日に至るまで
人の乗るのを見たことはあるが
自分で乗ってみた覚えはもうとうない。
これを乗ってみたまえとはあまりに無慈悲なる一言と
度発調打棒をついて
茂然とハンドルを握ったまでは
あっぱれむしゃぶり頼もしかったが
いよいよ蔵にまたがって
苔ゆうを示す一段になるとおあずらえどおりに参らない。
いざという間際でずどんと落ちること妙なり。
自転車は逆立ちも何もせず
至極落ちつき払ったものだが
乗客だけはまさに倉壺にたまらず
寸伝堂とこける。
かつて公爵子に聞いた通りを
まのあたり
自ら実行するとはあに計らんや。
監督官ゆう
はじめから腰を据えようなどというのが間違っている。
ペダルに足をかけようとしてもだめだよ。
ただしがみついて車が一回転でもすれば上出来なんだ。
と心細いこと限りなし。
ああ我がこと急す。
いくらしがみついても車は反輪転もしない。
ああ我がこと急す。
年切りに関東史を繰り返して
09:02
案に女性を嘆願する。
かくあらんとは
かねてきしたる監督官なれば
近くに進んでさあ
僕がしっかり押さえているから乗りたまえ。
おっと
そうまともに乗ってはひっくり返る。
そら見たまえ
膝を打ったろう。
今度はそーっと尻をかけて
両手でここを握って
よし
僕が前へ押し出すからその勢いで
調子に乗って駆け出すんだよと
怖がる者を面白反分前へ突き出す。
しかるにすべてこれらの準備
すべてこれらが労力が突き出される瞬間において
砂地に横っ面を放りつけるための準備にして
かつ労力ならんとは
実に神ならぬみの
誰か知るべき体の驚愕である。
ちらほら人が立ち止まってみる。
にやにや笑っていく者がある。
向うの果樹の木の下に
うばさんが子供を連れて
炉破台に腰をかけて
さっきからしきりに冠服してみている。
何を冠服しているのかわからない。
大方
龍冠輪裏大あらわとなって
自転車と格闘しつつある
けなげな様子に見とれているのだろう。
龍冠輪裏というのは汗だくになってという意味ですね。
天外この高知木を得る以上は
向うずねの二三箇所をすりむいたって
惜しくはないという気になる。
もう一遍頼むよ。
もっと強く押してくれたまえ。
何?また落ちる?
落ちたって僕の体だよ。
と、
こう三人たる四角を忘れて
しきりに換気園を吹いている。
すると出し抜けに
後ろから
さあ!
と呼んだものがある。
はてな
めったな偉人に近づきはしないはずだが
ふと振り返ると
ちょっと人を狼狽せしむるにたる
的の大巡査が
ぬーっと立っている。
こちらはこんな人に近づきではないが
先方では
このぽっと出の
陳築林の田舎者に
近づかざるべからざる理由が
あってまさに近づいたものと見える。
その理由にいわく
ここは馬を乗る場所で
自転車に乗るところではないから
自転車を稽古するなら
往来を出てやらっしゃい。
12:01
往来。
慎んで目を寮すと
今後式の答えに
白額の程度を見せて
すぐさまこれを監督官に申し出る。
と監督官は
後三人の今日のへこみ加減十分
とや思いけん。
もう帰ろうじゃないか
と言う。
すなわち乗れざる自転車と
手をたずさえて帰る。
どうでした?
とばあさんの問いに
ざんぱいの息をもらして
車いなないて白日くれ
耳なって秋の気配きたるへん。
丸月丸日
例の自転車を抱いて
坂の上に引っかえたる私は
おもむろに目を放って
はるかあなたの下を見渡す。
監督官の合図を待って
一気にこの坂を駆け下りんとの
野心あればなり。
坂の長さ二丁余り。
これは現代では200メートルぐらいに相当します。
傾斜の角度二十度ばかり。
道幅十軒と言いますから
これは十八メートルぐらいですかね。
を越えて人通り多からず。
左右は床しく住みなせる
屋敷ばかりなり。
東洋の名刺が
自転車から落ちる傾向すると聞いて
イギリス政府が特に土木局に命じて
この道路をつくらしめたかどうかは
その辺は未だに安全としないが
とにかく自転車用道路として申し分のない場所である。
私が監督官は巡査の小言に肝を冷やしたものか。
ないしはまた私の車を前へ突き出す労力を省くためか。
昨日から
人と車を天然自然所がすべく
特にこの地を愛し得て私を連れ出したのである。
つまりいい坂道を見つけたので私を連れ出してきたと言っていますね。
人の通らない
馬車の通わない時期を見計らったる監督官は
さあ今だ
早く乗りたまえという。
ただしこの乗るという字には注釈が入る。
15:00
この字には我ら両輪の間には
未だ普通の意味に用いられていない。
我がいわゆる乗るは
彼らのいわゆる乗るにあらざるなり
くらに尻をおろさざるなり
ペダルに足をかけざるなり
ただ力学の原理に依頼して
拷問人口の漏せざるのいなり
つまり自分の力を使わずに乗っかっているだけだと
漱石は言っています。
人をもよけず
馬をも避けず
水火をも自せず
漠地に前進するのぎなり
去るほどに
その格好をたるや
あたかも仙気持が出初めにはしご乗りの演ずるうかがとく
我ながら乗るという字を乱用してはおらぬかと
あやぶむくらいなものである。
されども乗るはついに乗るなり
乗らざるにあらざるなり
ともかくも
人間が自転車に付着しているなり
しかも一気化せいに付着しているなり。
この意味において
乗るべく命ずられたる私は
早手のごとくに坂の上から転がり出す。
すると不思議やな
左のほうの屋敷のうちから拍手して
我が自転車行をそうにいたずらするものがある。
妙だなと思う間もなく
車はすでに坂の中腹へかかる。
こんどは大変なものに出会った。
女学生が
五十人ばかり
行列を整えて向こうからやってくる。
こうなってはいくら女の手前だからといって
蹴取るわけにもどうするわけにもいかん。
両手はふさがっている。
腰は曲がっている。
右の足は空を蹴っている。
降りようとしても車のほうで聞かない。
絶対絶命しようがないから
血が独特の曲のりのままで。
女性群の肩裏を辛くも通り抜ける。
ほっと息つく間もなく
車はすでに坂を降りて平地にあり
けれどもまるでとどまる気配がない。
しかものみならず向こうの四つ角に立っている巡査のほうへ向けて
どんどんかけていく。
気が気でない。
18:00
今日も巡査に叱られることかと思いながらも
やはり曲のりの姿勢を崩すわけにはいかない。
自転車は私に無理上司を迫る勢いで
むやみに歩道のほうへ申しする。
とうとう車道から歩道へ乗り上げ
それでも止まらないで
板笛へぶつかって
逆戻りをすること一元半。
これは25メートルぐらいですね。
あやうくも巡査をさる1メートルの距離でとどまった。
だいぶと骨が折れましょう
と笑いながら巡査が申されたゆえ
答えて曰く
イエス
自転車と格闘する夏目漱石の日記
まだまだ続きます。
続きは次回へ参りましょう。
それでは皆様、今日のところはおやすみなさい。
19:15

コメント

スクロール