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  2. 204中島敦「悟浄歎異」(朗読)
2026-02-10 37:50

204中島敦「悟浄歎異」(朗読)

204中島敦「悟浄歎異」(朗読)

ごじょうたんに、と読むそうです

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サマリー

中島敦の「悟浄歎異」では、三蔵法師に仕えながら天竺へ向かう悟浄が、悟空や八戒とのやり取りを通じて成長していく様子が描かれています。作品は人間の内面や欲望、自己の確立をテーマにした魅力的な物語です。このエピソードでは、中島敦の作品『悟浄歎異』が朗読され、悟空の戦いや彼の無限の自信が描かれています。また、三蔵法師との関係や悟空の特異な性格が深く掘り下げられています。三蔵法師と悟空の微妙な関係や旅の途中での葛藤も描かれ、彼らの生き方の違いや共通点がユーモラスに表現されており、人生の楽しみや悟りを追求する姿勢が伝わります。このエピソードでは、実施予定のイベントや参加者についての情報が共有され、主にどんぐりFMの2年連続の参加を振り返っています。

作品の紹介
寝落ちの本ポッドキャスト。こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見ご感想、ご依頼は公式Xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。
また、別途投稿フォームをご用意しました。
リクエストなどをお寄せください。
それから、まだしてないよというそこはまた、
ぜひ番組のフォローもよろしくお願いします。
そして最後に、おひねりを投げてもいいよという方、
エピソード概要欄のリンクより、ご検討いただけますと幸いです。
どうぞよろしくお願いします。
さて、今日はですね、
中島敦さんの悟浄歎異、です。
副題、三問悟浄の主旗。
作品について、三蔵奉仕に従って天竺への旅の途中、
行動派の悟空や協力派の八戒に比べ、
怪奇的な詩作派の悟浄は何かと往々する。
二ヘリズムの奥に微かな光をも感じさせる可変。
ということで、最悠奇ですよね。
中島敦さんは三月記、読みました。
それからついこの間、
リリオというのを読みましたね。
すごく大変ですごく長かったですが、
読み上げましたが、今回は、
佐悟浄のお話です。
文字数は13000字、
30分40分ぐらいになろうかなという感じです。
最悠奇ってなんかいまいち、
ちゃんと入ってないなぁ、
頭の中に。
天竺を目指すんですよね。
悟空と八戒の練習
高江正明さんが悟空やってましたか?
西田俊之さんが、
著作家やってましたかね。
なんかそんな話をおじさんたちがしてたのを聞いたような。
東京ポト許可局で話してたのを聞いたような。
僕は再放送の再放送の再放送の再放送みたいなのを
夕方見たかもな、みたいな感じです。
子供の頃。
記憶が曖昧ですが。
やっていきましょうか。
ちょっとテンションが高いな、文章が。
うるさいかもな。
少しテンション落とし気味で読みますかね。
はい。どうかお付き合いください。
それでは参ります。
悟浄誕に。
三問悟浄の式。
昼下の後、
師父が道端の松の木の下でしばらく行こうておられる間、
悟空は八戒を近くの原っぱに連れ出して
変身の術の練習をさせていた。
やってみろ、と悟空が言う。
乳になりたいと本当に思うんだ。
いいか。本当にだぜ。
この上なしの突き詰めた気持ちでそう思うんだ。
他の雑音はみんな捨ててたよ。
いいか。本気にだぜ。
この上なしの、とことんの本気にだぜ。
よし、と八戒は目を閉じ陰を結んだ。
八戒の姿が消え、五尺ばかりの青大将が現れた。
そばで見ていた俺は思わず吹き出してしまった。
バカ、青大将にしかなれないのか。
と悟空が叱った。
青大将が消えて八戒が現れた。
だめだよ、俺は。まったくどうしてかな。
と八戒はめんぼくなげに鼻をならした。
だめだめ。てんで気持ちがこらないんじゃないか。
お前はもう一度やってみろ。
いいか。真剣にかけねなしの真剣になって、
竜になりたい、竜になりたいと思うんだ。
竜になりたいという気持ちだけになって、
お前というものが消えてしまえばいいんだ。
よし、もう一度、と八戒は陰を結ぶ。
今度は前と違って機械なものが現れた。
二匹蛇には違いないが、小さな前足が生えていて、
大トカゲのようでもある。
しかし腹部は八戒自身に似てブヨブヨ膨れており、
短い前肢で二三歩這うと何とも言えない部活高さであった。
俺はまたげらげら笑えてきた。
もういい、もういい。やめろ。
と悟空が怒鳴る。
頭をかきかき八戒が現れる。
悟空。
お前の竜になりたいという気持ちがまだまだ突き詰めていないからだ。
だからダメなんだ。
八戒。
そんなことはない。
これほど一生懸命に竜になりたい、竜になりたいと思い詰めているんだぜ。
こんなに強く、こんなに下向きに。
お前にそれができないということが、
つまりお前の気持ちの統一がまだなっていないということになるんだ。
そりゃひどいよ。それは結果論じゃないか。
なるほどね。
結果からだけ見て原因を批判することは決して最上のやり方じゃないぜ。
しかしこの世ではどうやらそれが一番実際的に確かな方法のようだぜ。
今のお前の場合なんか明らかにそうだからな。
悟空によれば変化の法とは次の如きものである。
すなわち、あるものになりたいという気持ちがこの上なく純粋に、
この上なく強烈であればついにはそのものになれる。
なれないのはまだその気持ちがそこまで至っていないからだ。
法術の修行とは核のごとく己の気持ちを純一向く、
かつ強烈なものに統一する法を学ぶにある。
この修行はかなり難しいものには違いないが、
一旦その境に達した後はもはや以前のような大努力を必要とせず、
ただ心をその形に置くことによって容易に目的を達し得る。
これは他の処刑におけると同様である。
変形の術が人間にできずして懲りにできるのは、
つまり人間には関心すべき種々の事柄があまりに多いがゆえに、
精神統一が至難であるに反し、
野獣は心を老すべき多くのサジを持たず、
したがってこの統一が容易だからである。
悟空は確かに天才だ。これは疑いない。
それは初めてこの猿を見た瞬間にすぐ感じたわれたことである。
初め、あから顔、ひげ面のその要望を見にくいと感じた俺も、
次の瞬間には彼の内から溢れ出るものに圧倒されて、
要望のことなどすっかり忘れてしまった。
今では時にこの猿の要望を美しいとは言えぬまでも、
少なくとも立派だとさえ感じるくらいだ。
その面魂にもその言葉つきにも、
悟空が自己に対して抱いている信頼が生き生きとあふれている。
この男は嘘のつけない男だ。
誰に対してよりもまず自分に対して。
この男の中には常に火が燃えている。豊かな激しい火が。
その火はすぐに傍らにいるものに移る。
彼の言葉を聞いているうちに自然にこちらも
彼の信ずる通りに信じないではいられなくなってくる。
彼の傍にいるだけでこちらまでが何か豊かな自信に満ちてくる。
彼は火種。世界は彼のために用意された焚き木。
世界は彼によってもされるためにある。
我々には何のキーもなく見えることからも、
悟空の目から見るとことごとく素晴らしい冒険の端緒だったり、
彼の壮烈な活動を促す機縁だったりする。
もともと意味を持った外の世界が彼の注意を引くというよりは、
むしろ彼の方で外の世界に一つ一つ意味を与えていくように思われる。
彼の内なる火が、
外の世界に虚しく冷えたまま眠っている火薬に
いちいち点火していくのである。
探偵の目を持ってそれらを探し出すのではなく、
詩人の心を持って
彼に触れるすべてを温め、
時に焦がす恐れもないではない。
そこから朱雀は思いがけない目を出させ身を結ばせるのだ。
だから彼、悟空の目にとって平凡陳腐なものは何一つない。
毎日早朝に起きると決まって彼は日の出を拝み、
そして初めてそれを見る者のような凶端を持ってその日に感じている。
心の底からため息をついて散々するのである。
これがほとんど毎朝のことだ。
末の朱雀から末の目の出かかっているのを見て、
何たる不思議さよと目を見張るのもこの男である。
この無邪気な悟空の姿と比べて、
一方、強敵と戦っている時の彼を見よ。
何と見事な完全な姿であろう。
全身、いささかの隙もないたくましい緊張。
律動的で、しかも一部の無駄もない棒の使い方。
疲れ押しだの肉体が喜び、たけり、汗ばみ、跳ねている。
その圧倒的な力量感。
いかなる困難をも喜んで迎える強靭の精神力の応一。
それは、輝く太陽よりも、咲き誇るひまわりよりも、
泣き盛る蝉よりももっと打ち込んだ羅針の盛んな、
没画的な灼熱した美しさだ。
あの、みっともない猿の戦っている姿は。
一月ほど前、彼が水雲山中で、
大いに牛魔大王と戦った時の姿は、
未だにはっきり眼底に残っている。
簡単のあまり、俺はその時の戦闘経過を詳しく記録に取っておいたくらいだ。
牛魔王、一匹の交渉と返事、
悠然として草を喰らいたり。
悟空、これを悟り、虎に返事、駆け来たりて交渉を喰わんとす。
牛魔王、急に代表と化して虎を撃たんと飛びかかる。
悟空、これを見てカラシシとなり、
代表をめがけて抑えかかれば、
牛魔王、さらばと騎士氏に返事、
霹靂のごとくに吠えたけってカラシシを引き裂かんとす。
悟空、この時地上に点灯すと見えしが、
遂に一匹の大象となる。
霹靂のごとく牙はタカンナに似たり。
牛魔王、抑えかえて本相をあらわし、
たちまち一匹の大白牛たり。
頭はコウホーのごとく、目はデンコウのごとく。
双角は両座の鉄刀に似たり。
頭より尾に至る長さ千四丈、
蹄より肺上に至る高さ八百丈。
大音に呼ばわって曰く、
汝、悪ざる今我を遺憾とするや。
頭は大山に似て目は日月のごとく、
口はあたかも地異形に等し。
ふんぜん鉄棒をふるって牛魔王を討つ。
牛魔王、角をもってこれを受け止め、
両人半山の中にあってさんざんに戦いければ、
まことに山も崩れ、海もわきかえり、
天地もこれがために反復するかとすさまじかり。
なんという壮観だったろう。
俺はほっとため息をついた。
一幅の完全な銘画の上に、
さらに拙い筆を加えるのを恥じる気持ちからである。
最悪は悟空の火にとって油である。
困難に出会う時、彼の全身は精神も肉体も延々と燃え上がる。
やがに平穏無事の時、彼はおかしいほどしょげている。
駒のように彼はいつも全速力で回っていなければ倒れてしまうのだ。
困難な現実も悟空にとっては一つの地図。
目的地への最短の道がはっきりと太く線を引かれた
一つの地図として映るらしい。
現実の事態の認識と同時に
その中にあって事故の目的に到達すべき道が
実に明瞭に彼には見えるのだ。
あるいはその道以外の一切が見えないといった方が本当かもしれん。
闇夜の発光文字のごとくに
必要な道だけがはっきり浮かび上がり他は一切見えないのだ。
我々鈍魂の者が未だ呆然として考えもまたまらないうちに
悟空はもう行動を始める。
目的への最短の道に向かって歩き出しているのだ。
しかしその驚くべき天才的な知恵については
案外知らないようである。
彼の場合にはその資料や判断があまりにも混然と
腕力行為の中に溶け込んでいるのだ。
我は悟空の文猛なことを知っている。
かつて天上で筆盤音なる馬方の役に任せられながら
筆盤音の字も知らなければ役目の内容も知らないでいたほど
無学なことをよく知っている。
しかし我は悟空の力と調和された知恵と判断の高さと
悟空は強要が高いとさえ思うこともある。
少なくとも動物、植物、天文に関する限り
彼の知識は相当なものだ。
彼は大抵の動物なら一見してその性質、強さの程度
悟空の特徴と戦い
その主要な武器の特徴などを見抜いてしまう。
雑草についてもどれが薬草でどれが毒草かを
実によく心得ている。
そのくせその動物や植物の名称、世間一般に通用している名前は
まるで知らないのだ。
動物によって方角や地獄や季節を知るのを得意としているが
核宿という名も伸宿という名も知りはしない。
28宿の名をことごとくそらんじていながら
本物を見分けることのできぬ俺と比べて何という相違だろう。
目に一定時のないこの猿の前にいるときほど
文字による強要の憐れさを感じさせることはない。
悟空の体の部分部分は
悟空の知恵と成長
目も耳も口も足も手も
みんないつも嬉しくてたまらないらしい。
生き生きとしピチピチしている。
ことに戦う弾になるとそれらの各部分は歓喜の余り
花に群がる夏の蜂のように一斉にわーっと歓声を上げるのだ。
悟空の戦いぶりがその真剣な気迫にもかかわらず
どこか有限な趣を備えているのはこのためであろうか。
人はよく死ぬ覚悟でなどというが
悟空という男は決して死ぬ覚悟なんかしない。
どんな危険に陥った場合でも
彼はただ今自分のしている仕事
三蔵法師を救い出すなりの誠意を憂えるだけで
自分の生命のことなどは天で考えの中に浮かんでこないのである。
太上皇くんの八家路中に小札されかかった時も
銀角大王の大山圧長の方に追うて
大山、守美仙、ガビさんの散々の下に
押しつぶされそうになった時も
彼は決して自己の生命のために悲鳴を上げはしなかった。
最も苦しんだのは将来恩寿の神戸老仏のために
不思議な金蝶の下に閉じ込められた時である。
押せどもつけども金蝶は破れず
身を大きく変化させて突き破ろうとしても
悟空の身が大きくなれば金蝶も伸びて大きくなり
身を縮めれば金蝶もまた縮まる始末でどうにもしようがない。
身の毛を抜いて斬りと返事
これで穴を穿とうとしても金蝶には傷ひとつつかない。
そのうちに物を溶かして水と化するこの器の力で
悟空の殿部の方がそろそろ柔らかくなり始めたが
それでも彼はただ妖怪に捕らえられた
悟空には自分の運命に対する無限の自信があるのだ
自分ではその自信を意識していないらしいが
やがて天界から火星に来た黄金蝶が
その鉄のごとき角を持って満身の力を込め
外から金蝶を突き通した。
角は見事に内まで突き通ったが
この金蝶はあたかも人の肉のごとくに角にまといついて
少しの隙もない。
風の漏るほどの隙間でもあれば悟空は身を消し粒と化して
逃れているのだがそれもできない。
半ば殿部は溶けかかりながら苦心三端の末
ついに耳の中から金層棒を取り出して霧に変え
金蝶の角の上に穴をうがし
身を消し粒に変じてその穴に潜み金蝶に角を引き抜かせたのである。
ようやく助かった後は
柔らかくなった己の尻のことを忘れ
すぐさま師父の救い出しにかかるのだ
あとになってもあの時は危なかったなだと決して言ったことがない
何のためだとか感じたことがないのだろう
この男は自分の寿命とか生命とかについて考えたこともないに違いない
彼の死ぬ時は僕んと自分でも知らずに死んでいるだろう
金蝶との遭遇
その一瞬前まではハツラツと暴れ回っているに違いない
全くこの男の事業は壮大という感じはしても
決して悲壮な感じはしないのである
猿は人真似をするというのに
これはまたなんと人真似をしない猿だろう
稀どころか他人から押し付けられた考えは
これは万人に認められている考え方であっても
絶対に受け付けないのだ
自分で十分に納得できない限りは
飲酒も世間的名声もこの男の前には何の権威もない
悟空の今一つの特色は決して過去を語らぬことである
というより彼は過ぎ去ったことは一切忘れてしまうらしい
少なくとも個々の出来事は忘れてしまうのだ
その代わり一つ一つの経験の与えた教訓は
その都度彼の血液の中に吸収され
今さら個々の出来事を一つ一つ記憶している必要はなくなるのである
彼が戦略上の同じ誤りを決して
二度と繰り返さないのを見てもこれはわかる
しかも彼はその教訓を
いつどんな苦い経験によって得たのかはすっかり忘れ果てている
無意識のうちに体験を完全に吸収する
不思議な力をこの猿は持っているのだ
ただし彼にも決して忘れることのできぬ恐ろしい体験がたった一つあった
ある時彼はその時の恐ろしさを
俺に向かってしみじみと語ったことがある
それは彼が初めて釈迦如来に血偶し立て祀った時のことだ
その頃悟空は自分の力の限界を知らなかった
彼が偶使宝雲の靴を履き
差し黄金の鎧をつけ
東海竜王から奪った一万三千五百斤の如意金装帽を振るって戦うところ
天上にも天下にも
これに適する者がいないのである
烈戦の集まる半島へを騒がし
その罰として閉じ込められた八家郎をも打ち破って飛び出すや
天上界もセバシとばかり荒れ狂うた
群がる天兵を撃ち倒し薙ぎ倒し
三十六陰の雷将を率いた打手の大将
雄星真君を相手に領上殿の前に戦うこと半日余り
その時ちょうど下将アナンの二村者を連れた
釈迦如来がそこを通りかかり
悟空の前に立ちふさがって戦いを止め給うた
悟空が不全として喰ってかかる
如来が笑いながら言う
体操を威張っているようだが一体お前はいかなる道を
図し得たというのか
悟空曰く
東昌新州豪雷国カカザンに石欄より生まれたる
この俺の力を知らんとはさてさて愚かな奴
俺はすでに不老長生の方を図し終わり
雲により風に御し一瞬に十万八千里を行くものだ
如来曰く
大きなことを言うものではない
如来は愚か我が手のひらに昇って
さてその外へ飛び出すことすらできまいに
何をと腹を立てた悟空はいきなり如来の手のひらの上に躍り上がった
俺は通歴によって八十万里を飛行するのに
汝の手のひらの外に飛び出せまいとは何事だ
言いも終わらず均等に打ちのって
たちまち二三十万里も来たかと思われる頃
赤く大いなる五本の柱を見た
側の一本に青天大聖陶師一優と墨黒黒と書き記した
さて再び雲に乗って如来の手のひらに飛び返り
トクトクとして行った
手のひらどころか既に三十万里の遠くに飛行して
柱に印を留めてきたぞ
愚かな山猿よと如来は笑った
汝の通歴がそもそも何事を成し得るというのか
汝は戦国から我が手のひらの内を
黄片下に過ぎぬではないか
この指を見るがよい
悟空が怪しんでよくよく見れば
如来の右手の中指にまた墨黒も新しく
青天大聖陶師一優と己の筆跡で書き付けてある
これはと驚いて振り仰ぐ如来の顔から
今までの微笑が消えた
急に厳粛に変わった如来の目が悟空をきっと見据えたまま
たちまち天王も隠すかと思われるほどの大きさに広がって
悟空の上にのしかかってきた
あわてて手のひらの外へ飛び出そうとした途端に
如来が手をひるがえして彼を取り押さえ
そのまま腰を貸して五行山とし
悟空をその山の下に押し込め
御間に初命運の六字を禁書して山頂に張り保った
世界が根底から屈があり
今までの自分が自分でなくなったような根命に
悟空はなおしばらく震えていた
事実世界は彼にとってその時以来一変したのである
血がんを喰らいかすする時は銅銃を飲んで
がん口の中に封じられたまま食材の木の満ちるのを
待たなければならなかった
悟空は今までの極端の像状マンから一転して
極端の自信のなさに落ちた
彼は気が弱くなり時には苦しさのあまり恥も外弁もかまわず
わーわーと大声で泣いた
五百年たって天竺への旅の途中にたまたま通りかかった三蔵法師が
五行山頂の呪符をはがして悟空を解き放ってくれた時
彼はまたわーわーと泣いた
今度のは嬉し涙であった
悟空が三蔵に従って遥々天竺までついて行こうというのも
ただこの嬉しさありがたさからである
実に純粋でかつ最も強烈な感謝であった
さて今にして思えば
釈迦無二によって取り押さえられた時の恐怖が
それまでの悟空の途方もなく大きな善悪以前の存在に
一つの地上的制限を与えたもののようである
しかもなおこの猿の形をした大きな存在が
地上の生活に役立つものとなるためには
五行山の重みの下に五百年間押し付けられ
小さく凝集する必要があったのである
だが凝固して小さくなった現在の悟空が
三蔵法師の影響
俺たちから見ると何と段違いに素晴らしく大きく見事であることか
三蔵法師は不思議な方である
実に弱い驚くほど弱い
変化の術ももとより知らん
弱いというよりもまるで自己防衛の本能がないのだ
この育児のない三蔵法師に我々三人が等しく
惹かれているというのは一体どういうわけだろう
こんなことを考えるのは俺だけだ
悟空も八戒もただ何となく私父を敬愛しているだけなのだから
私は思うに我々は私父のあの弱さの中に見られる
ある悲劇的なものに惹かれるのではないか
これこそ我々妖怪からの成り上がり者には
絶対にないところのものなのだから
三蔵法師は大きなものの中における自分の
あるいは人間のあるいは生き物の位置を
その哀れさと尊さとをはっきり悟っておられる
しかもその悲劇性に耐えてなお
正しく美しいものを勇敢に求めていかれる
確かにこれだ我々になくて死にあるものは
なるほど我々は死よりも腕力がある
多少の変化の術も心得ている
しかし一旦己の位置の悲劇性を悟ったが最後
正しく美しい生活を真面目に続けていくことができないに違いない
あの弱い私父の中にある
この尊い強さには全く共感のほかはない
内なる尊さが外の弱さに包まれているところに
私父の魅力があるのだと俺は考える
もっともあの不埒な八戒の解釈によれば
少なくとも悟空の私父に対する敬愛の中には
多分断食的要素が含まれているというのだが
全く悟空のあの実効的な天才に比べて
三蔵法師は何と実務的に鈍物であることか
だがこれは二人の生きることの目的が違うのだから問題にはならん
外面的な困難にぶつかった時
私父はそれを切り抜ける道を外に求めずして内に求める
つまり自分の心をそれに頼るように構えるのである
いやその時慌てて構えずとも
外的な事故によって内なるものが動揺を受けないように
平静から構えができてしまっている
いつどこで吸収してもなお
幸福であり得る心を私はすでに作り上げておられる
だから外に道を求める必要がないのだ
我々から見ると危なくて仕方のない
肉体上の無防御も
つまりは私の精神にとって別に大した影響はないのである
悟空の方は見た目にはすこぶる鮮やかだが
しかし彼の天才をもってしてもなお打開できないような事態が
世には存在するかもしれん
しかし私の場合はその心配はない
悟空には角度はあっても苦悩はない
歓喜はあっても優秀はない
彼が単純にこの性を肯定できるのに何の不思議もない
三蔵法師と悟空の関係
三蔵法師の場合はどうか
あの病心と防ぐことを知らない弱さと
常に妖怪どもの迫害を受けている日々と思ってして
なお私父は楽しげに性を埋め直れる
これは大したことではないか
おかしいことに悟空は私の自分より勝っているこの点を理解していない
ただ何となく私父から離れられないのだと思っている
機嫌の悪い時には自分が三蔵法師に従っているのは
ただ金装珠
悟空の頭にはめられている金の輪で悟空が三蔵法師の命に従わぬ時には
この輪が肉に食い入って彼の頭を締め付け
耐えがたい痛みを起こすのだ
のためだなどと考えたりしている
そして世話の焼ける先生だ
などとブツブツ言いながら妖怪に捕らえられた私父を救い出しに行くのだ
危なくて見ちゃいられない
どうして先生はああなんだろうな
という時悟空はそれを弱き者への憐憫だとうのぼれているらしいが
実は悟空の死に対する気持ちの中に
生き物のすべてが持つ勇者に対する本能的な意形
美と尊さへの同型が多分に加わっていることを
彼は自ら知らぬのである
もっとおかしいのは私父自身が自分の悟空に対する優越をご存じないことだ
妖怪の手から救い出される度ごとに
私は涙を流して悟空に感謝される
お前が助けてくれなかったら私の生命はなかったろうにと
だが実際はどんな妖怪に喰われようと
死の生命は死にはせんのだ
二人とも自分たちの真の関係を知らずに互いに敬愛しあって
もちろん時にはちょっとした諌かいはあるにしても
いるのは面白い眺めである
およそ体積的なこの二人の間に
しかしたった一つ共通点があることに俺は気がついた
それは二人がその生き方において
共に所要を必然と考え必然を完全と感じていることだ
さらにはその必然を自由とみなしていることだ
混合石と炭とは同じ物質から出来上がっているのだそうだが
その混合石と炭よりももっと違い方の
はなはなしいこの二人の生き方が
旅の途中での葛藤
共にこうした現実の受け取り方の上に立っているのは面白い
そしてこの必然と自由の統治こそ
彼らが天才であることの印でなくて何であろうか
俺と我々三人は全くおかしいくらいそれぞれに違っている
日が暮れて宿がなく
路傍のハイデラに泊まることに相談が一結するときでも
三人はそれぞれ違った考えのもとに一致しているのである
悟空はかかるハイデラこそ
屈強の妖怪退治の場所だとして進んで選ぶのだ
八海は今さらよそを尋ねるのも億劫だし
早く家に入って食事もしたいし眠くもあるし
というのだし俺の場合はどうせこの辺は
どこへ行ったって災難に遭うのだとすればここを災難の場所として
選んでもいいのではないかと考えるのだ
生き物が三人いればみんなこのようにじわもうであろうか
生き物の生き方ほど面白いものはない
孫行女の華やかさに圧倒されてすっかり影の薄材だ感じだが
長吾の八海もまた特色のある男には違いない
とにかくこのブタは恐ろしくこの性をこの世を愛しておる
嗅覚味覚触覚のすべてを挙げてこの世に囚しておる
あるとき八海が俺に言われて
我々が天竺へ行くのは何のためだ
善行をずして来世に極楽に生まれんがためだろうか
ところでその極楽とはどんなところだろう
蓮の葉の上に乗っかってただゆらゆら揺れているだけでは
しようがないじゃないか
極楽にもあの湯気の立つ厚物をフーフー吹きながら吸う楽しみや
コリコリ皮のこけた香ばしい焼肉を頬張る楽しみがあるのだろうか
そうでなくて話に聞く仙人のように
ただ霞を吸って生きていくだけだろうか
ああ嫌だ嫌だそんな極楽なんかまっぴらだ
たとえ辛いことがあってもまたそれを忘れさせてくれる
耐えられぬ楽しさのあるこの世が一番いいよ
少なくとも俺にはね
そう言ってから八海は自分がこの世で楽しいと思う事柄を一つ一つ数え立てた
夏の木陰の昼寝
渓流の水浴び
月夜の水滴
春行の朝寝
何と楽しげにまた何と数多くの項目を
彼は数え立てたことだろう
ことに若い女人の肉体の美しさと
四季それぞれの食物の味に意を読んだ時
彼の言葉はいつまで経っても尽きぬもののように思われた
俺はたまげてしまった
この世にかくも多くの楽しきことがあり
それをまたかくも余すところなく味わっている奴がいいよ
などとは考えもしなかったからである
その後俺は気がつき
時代このブタを軽蔑することをやめた
だが八海と語ることが刺激にあるにつれ
最近妙なことに気がついてきた
それは八海の協楽主義の底に時々妙に不気味なものの影がちらりと覗くことだ
私父に対する尊敬と尊行者への威否とがなかったら
俺はとっくにこんなつらい旅なんかはやめてしまっていたろう
などと口では言っているくせに
実際はその協楽家的な外貌の下に
仏教として薄氷を踏むような思いの潜んでいることを
俺は確かに見抜いたのだ
いわば天竺へのこの旅が
あのブタにとっても俺にとってと同様
幻滅と絶望との派手に最後に縋りついたただ一筋の糸に違いないと思われる趣旨が確かにあるのだ
だが今は八海の協楽主義の秘密への考察にふけているわけにはいかん
人生の楽しみ
とにかく今のところ
俺は尊行者からあらゆるものを学び取らねばならんのだ
他のことを借り見ている暇はない
三蔵法師の知恵や八海の生き方は尊行者を卒業してからのことだ
まだまだ俺は悟空からほとんど何ものをも学び取っておりません
流沙河の水を出てから一体どれほど進歩したか
いずれにたる悟空の旧阿蒙ではないのか
この旅行における俺の役割にしたってそうだ
平穏無事の時に悟空の行き過ぎを引き止め
毎日の八海の怠惰を戒めること
それだけではないか
何も積極的な役割がないのだ
俺みたいなものはいつどこの世に生まれても
結局は調節者忠告者観測者にとどまるのだろうか
決して行動者にはなれないのだろうか
尊行者の行動を見るにつけ俺は考えずにはいられない
燃え盛る火は自らの燃えていることを知るまい
自分は燃えているななどと考えているうちは
まだ本当に燃えていないのだと
悟空のカッタツムゲの働きを見ながら俺はいつも思う
自由な行為とはどうしてもそれをせずにいられないものが
うちに熟してきて自ずと外に現れる行為の意義だと
ところで俺はそれを思うだけなのだ
まだ一歩でも悟空についていけないのだ
学ぼう学ぼうと思いながらも悟空の雰囲気の持つ桁違いの大きさに
また悟空的なるものの肌合いの荒さに
恐れをなして近づけないのだ
実際正直なところを言えば悟空はどう考えても
あまりありがたい褒美とは言えない
人の気持ちに思いやりがなく
ただもう頭からガミガミ怒鳴りつける
自己の能力を標準にして人にもそれを要求し
それができないからとて怒りつけるのだからたまらない
彼は自分の才能の非凡さについての自覚がないのだとも言える
彼が意地悪でないことだけは確かに俺たちもよくわかる
ただ彼には弱者の能力の程度がうまく飲み込めず
したがって弱者の小儀躊躇不安などに一向同情がないので
ついあまりのじれったさに感触を起こすのだ
俺たちの無能力が彼を怒らせさえしなければ
彼は実に人の良い無邪気な子供のような男だ
ハッカーはいつも寝過ごしたり
怠けたり化け損なったりして怒られどうしである
俺が比較的彼を怒らせないのは今まで彼と一定の距離を保っていて
彼の前にあまりボロを出さないようにしていたからだ
こんなことではいつまで経っても学べるわけがない
もっと悟空に近づきいかに彼の荒さが神経に応えようとも
どんどん叱られ殴られ罵られ
こちらからも罵り返して身をもってあの猿から全てを学び取らねばならん
遠方から眺めて感嘆しているだけでは何にもならない
夜、俺は一人目覚めている
今夜は宿が見つからず
山陰の渓谷の大樹の下に草を敷いて四人がゴロ寝をしている
一人を置いて向こうに寝ているはずの悟空のエビヒゲが
残酷にこだませるばかりで
その度に頭上の木の葉の梅雨がパラパラと落ちてくる
夏とはいえ山の焼きはさすがにうすら寒い
もう真夜中は過ぎたに違いない
俺は千古腹から仰向けに寝転んだまま
木の葉の間から覗く星どもを見上げている
寂しい何かひどく寂しい
自分があの寂しい星の上にたった一人で立って
真っ暗な冷たい何にも言えない世界の夜を眺めているような気がする
星という奴は以前から永遠だの無限だのということを考えさせるのでどうも苦手だ
それでも仰向いているものだから
いやでも星を見ないわけにはいかない
青白い大きな星のそばに赤い小さな星がある
そのずっと下の方にやや黄色みを帯びた暖かそうな星があるのだが
それは風が吹いて葉が揺れるたびに見えたり隠れたりする
流れ星が往を引いて消える
何故か知らないがその時ふと俺は三蔵星の澄んだ寂しげな目を思い出した
常に遠くを見つめているような
何者かに対する憐れみをいつも讃えているような目である
それが何に対する憐れみなのか
平成は一向見当がつかないでいたが
今ひょいと分かったような気がした
私父はいつも永遠を見ていられる
それからその永遠と対比された地上の鍋ての物の定めをはっきりと見ておられる
いつかは来る滅びの前に
それでも可憐に花開こうとする知恵や情けや
そうした数々の良きものの上に私父は絶えず
じっと憐れみの眼差しを注いでおられるのではなかろうか
星を見ていると何だかそんな気がしてきた
俺は起き上がって隣に寝ておられる星がある
起き上がって隣に寝ておられる私父の顔を覗き込む
しばらくその安らかな寝顔を見
静かな寝息を聞いているうちに
俺は心の奥に何かがぽっと点火されたような
この温かさを感じてきた
我が最勇気の中
1968年発行 門川書店 門川文庫
李涼 三月記 定志 明神殿
より読了読み終わりです
佐護城目線
やっぱりちょっとわかんないですね
最勇気の具体的なスタートと終わり
登場人物はわかるけどね
というお話でした
やっぱりこの人漢字がすごく多いな
全然大したことないボリュームなのに難儀しました今回は
3日間くらいかかったかな
30分くらいしかないのにね
大変でしたね
すごく漢字が多い
漢字別に好きなんだけどね
それでもやっぱり
出会ったことない漢字が出てくるから大変でしたね
はぁー
読み切りました
もうこれが配信される頃には締め切りは終わっていると思いますが
podcast weekendという
オフラインの
アナログのイベントがあるようです
僕は皆さんに寝てくださいと
読み上げた
文章を音声にして送りつけているだけなので
そういうね
いわゆる交流みたいなものあんまりないんで
まあ人見知りだし
だからそういうイベントに参加する予定はないですけど
一部の皆さんは参加するようです
イベント情報の共有
去年なかったですよねpodcast weekendって
2023、2024は
どんぐりFMが2年連続で出たっていうのを
podcast上でエピソードとして話されてましたが
去年はそもそも存在が
開催がなくて
あれ今年やらないんだなって思ってたんですけど
2026年明けて今年はやるようです
下北沢でやってたようですが
今年は池尻大橋の
学校の近くでやるのかな
なんでああいうちょっと行きづらい場所でやるんだろう
僕からしたら行きづらいんだよな
一回渋谷かまわさないといけない感じ
それかアクセスがいい人たちがいるのかな
だそうです
しかも開催がいつも土日なんで
ちょっと土日休みってわけでもないので
わざわざ出展しようみたいなのはないんですけど
遊びに行こうかな客として
どなたか一緒に行きますか
誰が出るんですかね
多分これから盛り上がっていこうみたいな
みんなに知ってもらいたい
仲良くしたいっていう人たちが参加すると思うので
フレンドリーな人たちが出展されてるんだと思うんですけど
僕は出展の予定はございません
見に行く側として見に行こうかなと思ってますけどね
仕事を抜け出して
1月31日までが
先行受付の締め切りとか書いてありました
僕今これを読み上げてるのは1月29日の午前中ですけども
まだ間に合うんですけど
このファイルが配信されるのは2月に入ってると思いますが
今年はイベントやるようですよ
5月の午後のかと10日に
僕はただ客として紛れ込むだけですけど
会場でお会いしましょう
見つけられないよね
客として紛れてるだけだしね
フラッと来てフラッと帰ってくからな
応援していきましょうか
無事に寝落ちできた方も最後までお付き合いいただけた方も
大変にお疲れ様でした
また次回お会いしましょう
おやすみなさい
37:50

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