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寝落ちの本ポッドキャスト。 こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。 タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。 エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。 ご意見ご感想は、公式Xまでどうぞ。
さて、今日は 佐藤垢石さんの
泡盛物語 というテキストを読もうかと思います。
佐藤垢石さん、釣りジャーナリストの方 らしくてですね、何回か前に
イルカとフグ、イルカとフグ イルカとフグというテキストを読ませてもらいました。
イルカとフグ、漢字で書くと川豚、海豚 で対比が取れてて素敵な話、素敵っぽい見た目ですが実際はイルカじゃなくてずっと
クジラの話をしましたけどね。 その佐藤垢石さん
クジラの肉がすげーうまかったぜーみたいな話をしてくれた人が貧乏をした時の話 を語ってくれたこの泡盛物語
クジラを食べる前なのか 後なのかちょっとわかりませんが
ちょっと暗いけど 読んでいきましょう
それでは参ります 泡盛物語
私は昭和の初め 世の中が一番不景気の時代に失職してしまった
失職当時はいく分の余裕はあったのであるけれど 職を求めて都職している間に持ち金ことごとくを使い果たしてしまったのである
多くの家族を抱えて職のないことは胸が詰まる思いである 東京には諦めをつけた
そして東北地方のある小さな都会へ流れていったのである そこで地方新聞の配達を始めた
しかし150部か200部の小新聞を購買し これを配達していたのでは
到底7人の家族を支え切れるものではない 衣類
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時計 書籍まで売り食いし
とうとう新聞の就勤まで手をつけてしまった 新聞配達はそれでおしまいになった
また家族をまとめてそこから50里ばかり隔てた次の都会へ流れていった しかし市中に住むということは生活費がかさむ恐れがあるので
そこから一里ばかり離れた農村に行き ささやかな家を借りて住んだのである
私は毎日毎日職探しに市中へ出ていった 何しろ浜口内閣の不景気政策が十分に効き目を表した後の世の中であったから
産業が不審に陥って幾日も幾日も市中をさまよい歩いたけれど 人を求むる会社とか商店とかいうのは全く見つからなかったのである
私は家族に飢えが迫るのを恐れて 呼吸が詰まるほどのやるせなさを催すのである
私が寒い街の路傍を歩く姿は 宗家の犬のようであったかもしれない
ところがある日相変わらず職を求めて歩き回っていると バスへ裏長屋の戸袋に
清掃妊婦を求む と書いた紙が貼ってあるのを発見した
私は胸を轟かしてその長屋のドマを訪れた ドマに
顔も鼻の穴も手も真っ黒に汚れた仕切り番店の五重格好の親父が立っていた 私が入って行くとその親父は黒い顔から茶色の目を光らせて
無言で私を見つめた 清掃妊婦を求めているのはこちらでしょうか
と問うた ああそうだよ
不愛想な親父の返答である 清掃妊婦というのはどんな仕事をするのです
煙突掃除に溝掃除だよ ところで清掃妊婦をやりたいというのは誰だい
親父はこう言ってから私の姿を頭から足の先まで 茶色の瞳で眺め下ろした
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私です なんだお前が
お前みたいな生っ白いのには仕事が向かねぇ もっと頑丈な不屈くれだった人間でなければダメだ
私はその時最後にとっておきの名銭のかすりを着 細毛太を履いていたのである
溝や煙突掃除くらい私にもやれますよ ダメだ
そんな細い指の人間にはやれねえな でもやらせてみておくれ必ずやりますから
どうかなぁ お前にはあの道具が使えるかい
と言って親父はドマの隅の方を指した ドマの隅には
割竹の先に結びつけてある ススに汚れた黒い大きな丸い刷毛や
溝掃除に使う桑は つるはし
長いしっぺいなどが産卵していた 直旅も反転もまた引きも持ってます
こんな細い腕でもついこの頃まで力仕事をやっていたんだから 私は新聞配達しているとき
新聞社からもらった印反転が氷に入れてあるのを思い出したのである 直旅もまた引きも新聞配達には付き物であった
綺麗な仕事じゃねえよ それに手待ちもひどく安いよ
それが承知ならやれるかやれねえか明日から来てみるがいい 私は掃除屋の親父を救いの神だと思った
しかし私は家内には仕事が見つかったことだけ話 その仕事が何であるかは語らなかった
翌日早く反転また引き 直旅を身につけ
頭屋はカンブナズに行った時に使ったスキーボーの古いのをかぶって出かけた 案外学校ができてらこれじゃあやれるかもしれねえ
親父は初めてニヤニヤとした さあ何でも言いつけてくんなどんな仕事でもやるよ
と 私は大きく出たこの親父はこの都会の掃除屋仲間では最も古顔で
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出入りの客筋を数多く持っていた 私には2人の先輩がいた
一人は40格好の痩せ方の男で 狡猾らしい人像を持っていた
一人は323歳か骨格のたくましい土肩上がりでもあるらしい好人物である 親父はこの2人を連れて毎日出入り先の煙突や水を掃除して歩いていたのである
そこへ今日から私という新米が一人まかり出たわけである 買ってもとや風呂場にある直径4寸の煙突を
1本掃除して手待ちんが金5,000 5寸の煙突が6,000
7寸が10,000 風呂屋や製紙工場には大きな煙突が立っているけれど
ここには蒲焚きがいて掃除するから掃除屋の手にはかけないのである しかし溝の方は蒲焚き妊婦が手を出すのを嫌うから掃除屋の仕事となっていた
溝掃除は煙突掃除よりも仕事が汚い上に骨が折れるから賃金が高い でも
いかに高いといったところで人仕事で1円以上というのは滅多にない 普通2,30銭を頂戴する溝掃除が最も多い
煙突掃除や簡単な溝掃除は一人で行くことになっているが大きな溝掃除となると 総動員で行く
ところで以上のような賃金であるけれど この賃金のうちから親父に頭を跳ねられ
また難工事は頭割となっているから 早朝から夕方まで働いたところで
1日近1円の収入を得るというのは 花々困難であると2人の先輩と親父が変わる変わる私に説明した
それでもお前はやるのかい 年長の方の先輩が私に問うた
遊んでいてひもじい思いをしているのより結構だ と私は答えたが
いかに浜口内閣の不景気政策のおかげとはいえ 煙突1本掃除して金5千とは情けないと思った
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私はその日から2人の先輩の後について仕事見習いに出かけた だがたかが煙突掃除や溝掃除であるから大したことはない
年長の先輩は泡立つという意味を持っていた 顔に薄いアバターが浮いていたからである
若い方はカラフトと呼ばれている カラフトで土耕を稼いでいたからだ
5、6日の後には私は一人前の立派な掃除屋さんになっていた ある日下流海の真ん中にある銭湯屋から
溝掃除の申し込みがあった これは難工事であるというのでアバタツとカラフトと私と3人で出かけていった
この風呂屋の湯尻は直径1尺の土管を通して 道路に沿った掘り割りに注いでいるのであるが
途中に何者か滞って不通となって湯水が溢れ出すというのである そこで我らはまず長い割り丈で土管の尻からついてみた
だが長い土管の途中に滞った者はなかなか頑固に頑張っていて 疾病などでは突き抜けそうにない
結局土管を全部掘り返して徹底的に掃除することに方針を定めたのである 長い土管を3区に分けて3人で1区ずつ受け持ち
せっせと掘り始めた 私は正午頃までに受け持ち分を掘り終わってしまったので
表通りの路傍の石に腰掛けて一服やっていると アバタツとカラフトの2人がニコニコしながら私のところへ走ってきた
アバタツは右の手に何か握っている おい姉妹土管の中からこんなものが出た
こう言ってアバタツは大きな手のひらを開いてみせた 私はその手のひらを覗いた
手の上に金の荘入れ歯がピカピカ光っている アバタツとカラフトは私を新米新米と呼んでいた
この荘入れ歯はよほど贅沢の人が作ったと見えてふんだんに純金が使ってやる 全部で3、4問目は使用してあるかもしれない
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当時純金は1問目3円50銭程度であったから どんなに安く見積もってもこの荘入れ歯は10円以上の価値はあろう
どこかの大貨の隠居かもしれないなぁ 家じりへ落として諦めたんだろう と私は言った
古金屋へ持っていけば今夜一杯飲めるが おい新米一体これはどう処分したらいいんだ
カラフトはこう私に問うのである 私はしばらく考えた
古金屋へ持っていくのはやめたがいい これは一応交番へ届けなければいけねーしながらね
こう私は意見を述べた するとアバタツもカラフトも苦い顔をした
それじゃあ一杯ならねーじゃねーか 交番で取っちまうだろう
もちろんさ1年経っても持ち主が現れなければ オイラのところへ酒渡されるけれどその間は警察へ預けっぱなしさ
そいつはつまらねぇ 花坂じいさんじゃねーけれどこいつは店と様が多いのに授けたんだ
3人で飲んじまうことにし米を2人は飲むことを盛んに主張する 飲みたいのは山々だがそいつはいけねーな
店汁ち汁だ後が恐ろしいぞ 後が恐ろしいとはどういうことだ
習得物応料というので飲んじまったことがわかれば オイラは後ろへ手が回る
そんなわけか 危ない危ない交番行きが一番安全だ
最後にあわたつもカラフトも 不祥不祥私の意見に従った
そうと決まったら2人で交番までひとっ走り行ってくるわ アバタツはこう言ってカラフトを帰り見た
アバタツはまた大きな手のひらの金馬を握ったまま 往来を小走りに西の方へ向かって走り出した
カラフトがその後に従った 飲むことに同意しないでよかったと私は思った
それから1時間待てど2時間待てど2人は帰ってこなかった
私は自分の掘った土管を掃除してからさらに2人の分も掃除して元のように土管を 埋めた
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そして夕夜のバントを呼んで通水させてみた 掃除は立派に終わったのである
もう夕方になっていた しかしそれでも2人は帰ってこなかった
どうしたのであろう 私は夕夜から3円余りの手マチンをもらってから
いろいろの掃除道具をリヤカーに積んで親父の家へ帰った だが2人は親父の家も帰っていない
私は親父に一部始終を語った そうかご苦労だった
あいつらは本当はろくでもねえ野郎どうなんだ辛かったんだ 親父は低い声でつぶやいた
夕夜からもらってきた手マチンを果たすと 親父は分を引いた残りの2円余りの金を私にくれたのである
3人で1日働いたのであれば1人前 780世にしかならぬのであろうが私は3人分を一人でもらったのだ
私は黄昏の道を家へ向かって歩いた 何にしても2円余りの金を懐中したことは近来に珍しい
誠にありがたい次第である おかげさまでこの金があれば米も買える
久しぶりで味噌汁も味わえよう 子供に塩いわしの1日ずつも振る舞えようか
私は妻や子が喜ぶ顔を目の底に浮かべて 急いそと寒風の吹く街はずれを歩いた
街はずれに泡盛り屋があった 表上紙にいっぱい10銭と書いてあるのが目に移った
私は今まで親父の家へ行き帰りに いっぱい10銭の文字を何度恨めしく眺めたことであろう
私は懐にある2円余りの金をしっかり握って往来に立ち 頭がフラフラとしたのである
いく月ぶりだ 石に這いは天の神様も許してくれるだろう
思い切って泡盛り屋の腰高障子を開けた 3倍ばかり立て続けに煽った
酒精の熱気が五臓六腑へ染み渡る 喉が心良くなって食堂を劣液が流れ去る装備の缶はこれを何にたとえよう
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今までの苦しみも悩みも 貧しさの脅迫感もこの小さな杯に3倍で跡形もなくぬぐいさられた
白雲飛び去り青山有田 カンロカンロ
だが もう一杯ぐらいは2円余りの金に対して大した影響はないであろう
それから元もどきのおでんを一皿食べたところで これも大なる負担ではあるまい
もう一杯もう一杯 ブルブルと寒さに目が覚めてあたりを帰り見ると私は家帰る途中の田んぼの
麦のあぜの間に寝ていたのである 早朝である
東の空にあわべにの雲がたなびいている しまったしかしもう遅い
釜口の中の金はことごとく飲み尽くしてあった 昨日の朝家を出るときに米筆が空であるのは知っていた
だがそれを今思い出して何の役に立つのであろう 私は自分の不甲斐なさに
石の力の絶無なのに 長い吐息をして嘆いた
手のひらがあぜの土を固く掴んでいた 家帰るのをやめた
そこから親父のところへ行った 聞いてみるとあの2人はまだ戻らないというのである
私は煙突掃除の刷毛とほうきとちりとりとすす袋と 溝掃除の桑とつるはしと割竹をリヤカーに積んで市中へさ迷い出た
昼過ぎまであっちこっちと歩いたが昨夜の泡盛りの飲みすぎで体の節々が痛む 頭痛が激しい
それに昨夜の夕飯も朝も昼も一粒の米も食っていないのであるから目がくらんで 全く仕事にならなかった
その日はまるで無収入に近かったのである 私は僧侶として日が暮れてから我が家へ帰ってきた
家へ入ると家内は不在であった 4人の子供が日のない狭い座敷の真ん中に寒そうに丸くなって寄り添うて座っていた
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お母さんは と問うと
12歳になる僧侶の娘が お母さんは夕方用事があると言って赤ちゃんをおんぶして町へ行きました
と答えるのである 夕飯は
と問うと まだです
と9歳になる男の子が答えた 私は安全としたのである
地下旅を脱いで私は4人の子供の車座の中へ割り込んで黙って座った それから2時間ばかりして家内は
夜も初行になってから寂しい姿で帰ってきた それでも元気な声で土間から
皆さんお待ちどうさまと子供らに行った 家内は昨日の夕方も今日の夕方も
物を欲する子供らの声を鬼のような心になって抑えながら ひたすら私の帰るのを待っていたのである
だがとうとう私を待ちきれなかった 家内は黄昏が近づいてから町の方へ出て行った
私のところへ嫁に来るとき 今は亡き母がこれは私であると思ってくれと言って与えた
湿賃の古い丸帯を風呂敷に包んで七夜を訪ねた そしてその風呂敷に一生の米を包んで右の手に左の手には
せんべいのようにすり減って2つに割れた下駄を下げ 足を引いて帰ってきたのであった
遅くなってすみません 家内は私に言った
お前の左の手に下げているものは何だい 私は荒々しい声で問うたのである
割れた下駄です 恥ずかしいそんなものを下げて
なぜ捨ててこないのだ
いえこれは捨てられません なぜ
これはか窓の下の焚き付けになります 私はこれを聞いて目した
2、3年前 戦争が厳しくなって誰もが燃料の不足に苦しんでいた頃は
古下駄でもはめ板でもかまどの下に焚いたけれど ものがあり余った昭和の初め頃
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割れ下駄を焚き付けに用いた家庭は絶無であったに違いないと思う それから家内は赤子を背中から下ろして
僧侶の娘に抱かせてから勝手元に立った 暖かい夕飯が炊けた
私は心で泣きながらそれを子供とともに食べた その夜半
私は伝報伝報と呼ぶ声に起こされたのである 母来得すぐ来い
と書いてある 故郷の老婆と共に暮らしている妹からの伝報であった
故郷へはここから150里はあろう 愕然として伝報を手に握り
寝ている子供の枕元をうろうろしている私に お母さんはまだ来得のままいらっしゃるのでしょうか
と家内は言うのである さあそれはわからない
だがおそらく死んでいるのじゃないかねぇ 少し気持ちが落ち着いて私は座った
本当にお優しいお母さんでございましたわね そうだったところであなた旅費はどうなさいます
さあ 毎日の時にとっておきのお金をお持ちでしょうか
ない 私は過去の生涯解消なしを責める女王が
一時に無栄え込み上げて汚れた畳の上つっぷした 翌朝私は母と妹に当てて未満と詫び状を書いたのである
翌日から私はまた町の掃除屋へ裏ぶれた姿で稼ぎに行った 562時過ぎた日
終日働いて暗くなってから家へ帰ると 東京の親しい友人から手紙が来ていた
私は地下旅も脱がないうちに框に腰掛けたままそれを読んだ 全略
ご検証の良し経過に存じ候 去りながら事故んご休泊との行事それしきの境遇
苦慮するに足らずと遠方よりご声援申し上げたく候 さて小生は先頃より
30:00
起伝のご住所を下がりおり候氏が皆目判明致さず 並行致しおり
候どころへ計らずも 機運到来
大いに安心致したる次第にありの候 と申すわ
実は小生今回ある事業を掃除捕まずり 起伝の技術と経験と人柄を是非必要に感じ
起伝の住所につき100歩を尋ね至る有様に御座候 事業の目論見書は別風にてお送り申し上げおき候ども
ご一義の上小生にご協力賜るお気持ちをもって至急 ご状況を煩わした日
こたび切に寝返り候 恐縮に存じ候がご状況の過非
即刻電報にてお知らせ下され候はば後人死 極に立て祭り存じ候
先は取り急ぎ用事のみ 敬愚
私の斜め後ろからこの手紙を読んでいた家内は ワッと声を上げて泣き崩れた
家内が私のところへ嫁に来てから15年 声を上げて泣くのはこれが初めてであった
1993年発行 釣人社釣人ノベルズ
たぬきじる囲碁 より読み終わりです
苦労なさってましたねー あと最後の手紙
走廊がめちゃめちゃ多いですねですとかの意味なのかなぁ 何がに走廊
5座走廊寝返り走廊存じ走廊たて祭り存じ走廊 走廊走廊言ってましたね
それでは今日はこの辺でまた次回お会いしましょう おやすみなさい