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寝落ちの本ポッドキャスト、こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見、ご感想、ご依頼は公式Xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。
それから番組フォローもどうぞよろしくお願いします。
さて、今日は中原中也さんの引越しというテキストを読もうと思います。
年が明けまして1月になりましたが、
行く1月、逃げる2月、去る3月といってね、
この3ヶ月、無効3ヶ月は過ぎ方が早いと思いますけど、
でも生活のステージが変わる4月とかには、
新しい新居みたいな人も中にはいるでしょうね。
僕も猫飼ってるんですけど、猫を引き連れての引越しは2回ぐらいしたかな。
仕事しながらの引越しって大変ですよね。
いろんな手はず、段取り。
僕は都内から都内だったんで、まだまだまだなんとかって感じですけど、
遠くに行くとかだと結構、それで家電持ってくとかなると本当にお金かかるでしょうね。
想像するだに面倒そうだなっていうね、思いますけど。
今日はそんな引越しにまつわるテキストを中原忠也さんが書いています。
中原忠也さん、日本の詩人、歌人、翻訳家。
代々開業医である名家の長男として生まれ、
跡取りとして医者になることを期待されていたが、
8歳の時、弟が風邪で病死したことで文学に目覚めた。
忠也は30歳の若さで死亡したが、生涯で350編以上の詩を残した。
ということで、詩が評価されている方ですが、そんな方の引越しというテキストを読んでまいります。
それではまいります。
引越し
実際、その伝報には驚いた。
僕としてそんな要命に預かったことは生まれて初めてでもあった。
明日朝5時、引越し手伝い頼む。
というのだ。朝5時。
僕はこの十数年というもの、夜昼転倒の生活をしているのだ。
それを伝報を打ったその親戚も知らないわけでもないのだ。
驚いたというよりも癪に触ったね。
30年近く広島というお天気のいい町の教会で伝道府として働いたそのおばの甘えた気持ちが。
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といって別にいとうに甘えたというのでもあるまいが、
その生活というものがそもそも甘えたものであったのではあろうが、そいつが癪に触ったね。
プリプリしながら、だがその晩は7時にはお湯屋に行き、目覚まし時計を4時にかけて8時には床に入った。
翌朝、遅れたと思って慌てて先方に行き着いたのは6時半だった。
目覚まし時計を聞きながらまた眠ったからだ。
行ってみるとまだおばは朝ごはんがようやく済んだばかりで、ゆるゆるとお茶を飲みながら近所の人とトラックの話をしているのだ。
トラック一台に詰めるかどうかという。
どうせ詰めるに決まっていると腹の立っている矢先であり。
えー、この間、府の何とか課長さんの引っ越しが一台でできたという新聞の記事を見ましたよ、と、僕は二人の間に立ちはだかるように言ったのだった。
するとおばは、それそれまたあんたの癖が出ましたよ、というように僕の顔を見るのだ。
それからなお、一台で足りるものかしらと案じているのだ。
やれやれ、きょう一日棒に振る覚悟をするより仕方もないと僕は思った。
とにかく寒い朝だったよ。
三月になってはいたが、来る途中、日の当たらないところは凍っていた。
たまに早く起きたせいもあってか、その朝を思い出すたび、おばのお茶碗から立っていた湯気がしらじらと見えてくるのだ。
無事にトラックも一台でなんなく詰めると、
引っ越す先は鍋屋横丁を入って左に曲がって、もう一度左に曲がってちょっと行った右側であるそうな。
あんたトラックに一緒に乗って行って荷物を運び入れてちょうだい。そのうち私も行くから、という。
結局僕一人が引っ越しの手伝い人であり、その弱々しい、
時日またちょくちょく大病を患うそのおばと僕との二人だけが引っ越し万端のことをするのだとすると、
まずまず僕一人が大部分のことをしなければならない。
木村は生徒を預かっている身だから自分では休もうと言ったが、
どうしても休んでは負荷ないと言って学校にやりました。
そうである。
木村というのはそのおばの末っ子の弟子で、小学教員、その松娘なる育子というのは参院にいるのだ。
ガタガタガタガタ、トラックの荷物を中に挟まって揺られながら、
僕は久々で午前の西武電車の沿線というものを眺めたのだ。
生徒を預かっている身とは、はなはだかっこたる心情ではないか。
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僕の方はといえば少なくともおばの目には、
中学を出たっきり上の学校へも行かず10年ぶらぶらしているぶらっ子なのだ。
教理の方には大学に行っていることになっていたのが5年目にばれて、
だから親を欺いた者でさえもあるのだ。
引っ越しの手伝いぐらいしか能のないのは当たり前であった。
そういう軽蔑のされ方ならそのおばのみならず毎度のことで、
そんなことで腹が立つのでもなかったが、
何がなし尺に触ってトラックの上にいて顔に当たる朝風は、
自分の一切合切をみるみる削り減らしてしまうように感じられる。
荷物を運転手と僕とで運び入れて、
運転手と助手とが帰っていくと僕一人になった。
なんと、鍋屋横丁の裏あたりから東京高等学校のあたりにかけてというものは、
嫌な東京の郊外、長でも分けても嫌なところであり、
ガラス障子から外を見ると枯草ののっぱらの中で子供が三つ鷹をあげている。
どれもこれも白いひし形の小さなタコで、
僕の魂のごとく儚く風に浮揚している。
枯草は針金のように硬くて、
トゲトゲとした槍か何かの森が遠くに見える。
おばの来るのは嫌に遅いが、
どうせ近所へのお暇漕いがまた長いのであろう。
どこにいても人付き合いのひどいやつではある。
伝道府なぞという奴はどこにいても信者というつながりで、
それからそれへと知り合いを作ってしまう。
今度のこの家だって、
あとでおばの言うところによると信者は矢主であるそうで、
その矢主老夫婦が自分たちの隠居のために建てたんだそうで、
値段に比べたらなかなか立派な家である。
退屈だし寒いので火でも起こそうかと隣の部屋を開けると、
驚いたことにはそこはもうちゃんと机や本箱が配置されており、
火鉢には火が起こっていて夜間もかかっている。
天井からは糸ゴムで飛ばす飛行機が六機もぶら下がっており、
机の上には綴り型教材集などという本が置いてある。
かねて飛行機づくりがその先生の道路だと聞いていたから、
それは正しく先生の書斎に沿いない。
そういえば戦国トラックに積み込むとき、
先生の物らしいものがないとはちょっと思ったところだった。
それにしてもこれはどうしたことだろう。
先生は学校休んでちょっとそこらへ出かけたのであろうか。
それにしても先生の荷物だけ先に運んであるというのはどうしたことだろう。
壁を見るとゆとり色の風景の複製と、
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誰の中知れない裸の女三人が浅瀬でボートに乗り移ろうとしている絵図がかかっている。
机の上には当時まだ賃品であったペン軸型の万年筆や、
すずり箱の彼方にはガラスの中に昆虫の入った文鎮が置いてある。
はてどんな奴じゃやら。
僕はまだその木村先生というのを知っていなかった。
僕はまだその木村先生というのを知らないのである。
先生はすでにおばの娘の弟子になってから1年余りになるが、
結婚した頃間もなく転任させられるらしかったし、
どこへ転任させられるかははっきりしないので、
荷物を運んでもまたすぐ引っ越しになるのは面倒だというので、
時々おばとその娘のところに泊まりに来ることにして、
転任を待っているうちに1年経ってしまったのであり、
したがってその1年間に一度しか訪ねなかった僕は、
その先生をついぞ見かけたことはないので、
そのことが今やっと思い出せてみると、
その先生の荷物だけが先に来ており、
先生はすでにその家にいて火を起こしておいて
学校に出かけたものであることも今ようやくわかるのだが、
それにしても親戚のことといえば大概のことを記憶せず、
今3位で生まれた子供だって男か女かも、
今朝なんとかおばが話してはいたが、
もう忘れてしまっている僕のことだから、
どうぞ僕が今その先生の部屋を開けたときの驚きだって、
どうぞ知らばっくれているなんて思わないでください。
飛行機。ほう、たくさんあるな。
近くにのっぱらがあるから、
これは大いに飛ばせて遊べるでありましょう。ほう、
と僕はおどけているんだが、
まだ見ぬ先生に意地の悪い気持ちを抱いているんだが、
煙草をまずく感じだすと飛行機のみならず、
洋服がけにまで異常な好奇心を覚えるのであった。
とにかくご幸福なお方で会わせられるよ。
おばさん。おばさんだってそうなんだぞ。
距離を出てより13年。
親戚というのは天切り尋ねず、
距離を出た遠ざ尋ねてきた父の義父は玄関で追っ払い、
学校に行かないので友達もできず、
僕のように一人で暮らしてきた青年というものは稀であろうが、
その僕には信者の家を格安に借りるなぞということが、
東京に出て一年やそこいらでできる人種というものが
いかに容易に世を渡っていくものであるかと思わないではいられない。
もちろんそれをうらやみはせぬ。
だがおばさんたちには僕の気持ちなぞ到底わかるまいし、
わかろうともしないということは尺なことだ。
おばおだって何も尋ねるはずもなかったのだが、
20代より後継であり、その後貧乏のし続けで、
息子はおらず体は弱く、
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おまけに僕もこの13年間にかなり心身ともに疲労し、
ちょっとは気も柔らかくなったからこそ尋ねたようなもので、
かねて他の親戚で聞いてご承知ではあろうが、
僕がすぐる一年間に一度尋ねたということは、
どんな意味にもあれ破格のことですぞ。
読者に申し上げるが、生成は親がないのでもない、
貧乏というほどでもない。
それどころか恐ろしい古本能の親を持つものであり、
生成がその親を離れて文学青年暮らしを13年もやって、
その間親はただ早勤する以外の何者でもないという生活をするためには、
僕としてよっぽど骨が折れたのだし、
文学は三度のご飯よりも好きであったのだが、
それにしてもその時間の余裕にかけては、
天下一品の生活が自分にできたというのは、
われながら不思議にさえ思われます。
生成の親父が、息子はみんな帝国大学に入れて
養子をさせようと思っている理想派であることを申し上げれば、
そして現在30にもなった生成が、
これからでも高校に入るといえば勇み立つでもあろうその親父が、
どんな運命の手配りによってか、
とまれかくまれぶら子をぶらのままで野放しにしているということは、
実に前世の約束とでも申しましょうか。
といって、何も進んで、
こんな私ごとを戒沈に及びたいのではありませんが、
ちょっとかいつまんでいっておかなければ、
引っ越しの手伝いをさせられるということだけのことで、
プリプリしていると思われる心配がある上に、
今やっとお昼近くになってようやくご到着のお場と、
これから荷物の片付けをするについて生成のとる態度が、
はなはだ横着に見えはしないかと心配があるからであります。
キミちゃん、かっこ僕の名前、実はキミスケ。
どうも、ぶら子みたいな名前ですよ。
どうも遅くなってごめんよ。
富田の奥さんがいろいろな話をなさるから、
あとからあとから話しなさるから。
こっちはイライラするけれど、
彼方は親切になんやかと尋ねなさるから。
僕だえばどうしたか。
生まれた子供は丈夫かと尋ねなさって。
と、にこにこしながら、呼吸をつきながら、
仰向きがちなその顔の鮮やかな色の唇がそういうのである。
お腹をこしらえないことには手伝ってももらえないから、
まずお昼ご飯だが、
あの士林にたーんと火を起こしてちょうだい。
ああ、疲れた疲れた。
と言ってぱったり座る。
火を起こしてそれから、
僕は近所の貫物屋を探し、
コーンビーフと福神漬けを買ってきた。
ご飯が煮けるまでにはまだ時間があるというので、
また畑とほうきを買いにやらされた。
酒屋の御用器器が現れて、
なんなりとお手伝いしましょうと言うと、
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ありがたいが、
あれをどこ、これをどこと、
片づけるのはなかなか自分でないとわからないから。
と、にこにこしながら、
長々とやるのでその御用器器は
しまいには僕の顔を見て笑っていた。
それからまた2、3の御用器器が現れたが、
そのたんびにその調子であった。
これが、お天気のいい中、都会で、
平和な信者たちの間に30年、
伝道法をやった女というものであろう。
もうずいぶん生まれた時とは
心理の構造が変わっており、
さればにや、時々、
今にも死にそうな病気をやるのである。
それがまた不思議に治る。
心は悪くないが、
朝墓であることの象徴みたいだと、
かねて、部落王はそう思って見ているのである。
そのたんびに信者等はにこにこして、
ああ、神のお救いだと言うのであろう。
その教会は一帯で囲ってあり、
600坪くらいの庭園を有し、
フランス人の体の大きい学者肌の神父がいて、
その神父は大きい望遠鏡を持っていて、
かつて夏の静かな夕べ、
その庭に立って空の星を見せてくれた。
当時僕が中学の2年生で、
夏休みだったから、
おばのいるその教会にいたのであり、
この地球以外にも人間が住んでいるでしょうか、
と尋ねると、
いません、絶対にいません、
と団子とその時神父は答えた。
昼間は毎日暑く、
今山陰にいる娘は、
ブーラ、ブーラ、ブーラ、ブラ、
という象という大の自動消火をオルガンで歌い、
姉娘は夜になるとパウリスタに連れて行った。
アイスクリームを食べさせてくれた。
エレベーターに初めて乗ったのもその夏である。
顔を見合わせれば、
神や義務の話をするおばを覗いては、
その夏休みは夕に懐かしい夏休みであった。
庭にはたくさんの花が咲いていたが、
何の花であったか、
その色合いだけしか覚えておらん。
50人の聖人が一緒に、
その人間が自分一人の用事のために、
学校を休む謎ということはなりません。
と、おばは茶棚を片付けながら、
押入れの中を拭いている僕に喋り続けていた。
僕の戦国捨てに行ったチリヤクタが、
裏庭の風の吹いている偏りであったことを、
正義がないと勝手に決めて始めたお説教以来、
自分の心の中で、
自分の心の中で、
ぶっ続けである。
僕として、
ただ、まだゴミ箱もないことだし、
隅っこに全自捨てたわけで、
おまけにそこらに前にいた人が捨てていったのだろう。
ボール箱や新聞紙の切れが相当散らかっていたので、
そのお説教が始まったときは全く意外であった。
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そのよしを弁解したら、
それもそうかと一応はわかったらしい。
それでもなお、そのお説教を続けるのは、
僕にやっぱり一体全体正義がないのか、
それとも、
大概の老人がそうであるように、
ただもう傲嬢なのか。
ニコニコニコニコしながら今もまだ喋っている。
木村さんも神社なんですか?
あれは話をしてもなかなかわかりません。
採算進めるけれど、
なかなか傲嬢で洗礼しているようです。
信者でないから、あんな裸の女の絵など描けていたり、
信者でないものはどうしても不可ない。
この前私があれの下宿へ行ったとき、
あの絵のことも言ったのだが、まだ描けている。
信者でないものはどうしてもわかりません。
押入れの掃除を済ませて、
ようやく中から出てくると、
前にいた人が忘れていったらしい粗末な白木の小さな紙棚。
その紙棚は、
茶のもの長押しの上に三角の棚を打ち付けて、
その上に乗せてあるのだが、
それを下ろしてくれと言う。
下ろして、これはどうしますかと聞くと、
一応柳主さんに届ける。
柳主さんは信者だから、信者さんのではないが、
柳主さん隠居夫婦がこの家を出た後、
半年ばかりいたという人たちのものだから、
柳主さんからその人たちに渡してくれと言う。
柳主さんは信者だから、信者さんのではないが、
その人たちのものだから、
柳主さんからその人たちに渡してもらう。
人のものを無安に捨ててはならないと言う。
ああ、もうよそ、片付いたのは夕刻だが、
それまで絶えずお説教であったと、
いくら言ったって同じことだし、
それらのお説教をただただ列挙していた日には、
退屈なためについには、
僕の方が少々大げさだと思われまいものでもない。
それから半年の後、
ふと僕の下宿に現れて、
私はこれから一人また広島に帰る、
と言ってニコニコしていたが、
その後母よりの手紙によると、
どうも木村という人と折り合いが悪いのらしいというのである。
そういえばニコニコの底に、
なんだかひどく悲しそうな色があったのだが、
また何か言いたげで、ついには言わずじまいであったが、
人の悪口を言ってはならぬものとばかりに、
相変わらずの気持ちであったのだろうと、
幾分不憫でもあった。
教会の付近の黄色い土塀続きの、
夕方は静かに降りてくる彼方へ、
であまた落ち着いたな、
ああああと僕は思うのだった。
なんだかミシンの音がして、
水煙がゆっくりたなびいて、
鉄道の貨物配達車が、
今日の最後の便を配達して回っている。
そして夜が来ると、
10歳ばかりの子供が、
ゆんべのあだうちの飲み取り子と言って、
飲み取り子を売って歩く。
広島の位置の、そういった背景の前に、
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僕に糸間越えに来た時の姿して、
その時持っていた蝶珍袋持って、
仰向いて空を見ているおばの様子が、
程よい感傷をそそるのであった。
その後、
せめて木村夫婦のところを訪ねようという気もあるのだが、
まだ訪ねない。
そうすれば、その後また横浜の小学校に転任したそうであるが、
なあに、村校などが訪ねたところで、
誰が喜ぶものでもあるまい。
1935年3月23日
2003年発行
門川書店
新編中原忠也全集第4巻
評論小説
より独了読み終わりです。
亡くなったのが1937年だそうなので、
亡くなる2年前の文章でしたね。
だいぶ愚痴ってましたね、おばさんに。
この時代ってみんなキリスト教結構受け入れてたんですかね。
なんかね、芥川龍之介もそうだし、
聖書がどうとか言ってるし、
そういう時代背景なのかもしれません。
そういえば、アルバイトを始めました。
YouTubeのね、
プロ野球のプロ野球解説系動画のナレーションっていうのを始めています。
すごい早口で喋らされてるんですけど、
全然知らない選手の名前を読み上げています。
僕はプロ野球全然詳しくないので、
これを読み上げてくださいという台本の、
あれこれ違うんじゃないみたいなのも全くなく、
ただただ読み上げてます。
参考動画っていうのをいただいてね、
こんな感じで読んでくださいみたいなのをいただいたんですけど、
ドラフト会議の司会者の声に似せたい、
そんな声が欲しいみたいなご要望で、
ご指名いただきましたけども。
なんかね、読み売りみたいな。
全然わかんない。
ちょっと楽しみながらやっていこうかなと思ってます。
といったところで、今日のところはこの辺で。
また次回お会いしましょう。おやすみなさい。