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おはようございます。今日は、1月の醍醐成日にあたります。
僕氏が不在なので、醍醐成日は、役員が明かし奨励をするようにと、昨年、準先生よりお勧めがありました。
そして昨年は、黒津兄弟、西兄弟が素晴らしいお明かし奨励をしてくださいました。
お二人のように、私はできませんが、お明かしをさせていただきます。
奨励というところは、ちょっととても無理なので、お許しください。
私は現在78歳になり、立派な老人です。体力的にはまだ大丈夫かなと思いますが、と言ってもこれも過信かもしれません。
体の内ではだいぶ老化していると思います。
先日も買い物に行って、品物もたくさんあり、店のプリペイドカードのチャージとか、レシートの受け取りとか、生産を済ましたり、
しかしその後でまた買い物忘れがあって、再び買い物をしたりとバタバタしました。
そして最終的に終わった後、財布の中を見ると、プリペイドカードがありませんでした。
そこらへんを探しましたけれども、もう出てきませんでした。
このようなことが、この2年、1、2回起こっております。
私は、先例を受けたのは、18歳の時です。
60年の信仰生活になります。
ある牧師が、私にとっては耳の痛いことを言われました。
信仰生活が長いだけではだめだ。
短くても自分の罪を認め、キリストの十字架の地によって自分の罪を強くしていただき、
キリストを心の中心に迎え、キリストに全信頼を置かなければならないと。
この牧師の言葉には言い訳ができません。
今は、この牧師の言われるようにと思い、聖書を開いております。
ただ、会社勤めをしていた65歳までは、日曜日の礼拝が精いっぱいというもので、忠実ではありませんでした。
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65歳を過ぎて、関西聖書新学校の事務を始めた頃から、
聖書の通読や静まりの時を持つようになりました。
聖書は本当に厳しいことを人々に、いや、私自身に突きつけます。
ザラピア日帯の手紙2-20節では、「私はキリストと共に十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私の内に生きておられるのです。
今、私が肉にあって生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を背になった神の御子を信じる信仰によっているのです。」と、このように書かれています。
また、ローマ日帯の手紙6章の11節、12節では、「このように、あなた方も自分の罪に対して真なものであり、神に対してはキリストイエスにあって生きたものだと思いなさい。
ですから、あなた方の死ぬべき体を罪の支配に委ねて、その条欲に従ってはいけません。
この御言葉通りをできる人は、いや、私はできるでしょうか。
食事のことで、かなり不平を言い、人々から受けた待遇に対して不満を心の中にすぐ生じさせるものです。
聖書を読むと、その清さ、謙虚さ、従順にあいむことがどれほど強く、また徹底すべきかを言われています。
私は、1944年の4月に東名田で生まれました。
まだ戦争中であったので、父を妻の方に残し、母と姉二人、合計四名で母の実家、岡山県美善寺坂根というところに、
そこは吉井川の東側の土手の横のところでした。
そちらに疎開しました。
御山岩でそこで育てられ、小川や田んぼの中を駆けつり回り、トマトやスイカ、また梅干しの酸っぱいおやつを食べたりしていました。
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その味は今も少しばかり覚えております。
母の父、私の祖父は、ババイサンジと言いますが、加賀都の舞妖家の産男で、ババの家に養子として来ました。
舞妖家は加賀都教会の前に家があり、教会員になっていたようです。
またそのような関係をあって、ババの家は家族全員がキリスト信者でした。
ババの家の村は四、五十軒ほどの小さな村ですが、戦前から家庭で教会学校を開き、村の子どもたちを集めていたようです。
1949年2月、私が幼稚園に入る前に疎開を終え、神戸に戻りました。
住んだ場所は移転する前の西武教会の隣でした。
本当に小さな道を隔てて二階建ての家です。
どのようにしてその場所が決まったのか、上品の希望だったのか、牧師先生の勧めがあったのかは知りませんでした。
しかし、私の家族にとっては最良のものでした。
その時から西武教会、また少子牧師と深いつながりができました。
父は洗礼を受けていましたが、教会の礼拝にはほとんど出席していなかったようです。
今思えば仕事がきつかったようです。
しかし母は教会の隣ということもありましたが、礼拝・祈祷会は欠かしたことがありませんでした。
また、奏楽もできたので教会でオルガンの奉仕をしていました。
私は引っ越しとすぐ教会学校に行き、教会というものに全く違和感がなく日常生活の一部になっていました。
私が中学生で夏の復習が学校であり、終えて家に帰ってみると、少子牧師と息子の信行くんが待っており、
これから先生は丹後の峯山教会で特別集会がある。車で行くから一緒に行こうということで牧地遷ということです。
峯山教会の牧地館に泊めていただき、また天の橋梁で海水浴をしたことがありました。
先生とは父親、信行くんとは兄弟という感じでした。
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18歳の時、受験に失敗し、これからの進路に不安を感じていると、少子牧師より先例を勧められ、躊躇なく峯山の海岸で受診しました。
キリストを救い主と認める、今までの生き方を180度変えるという劇的な変化は私のうちには生じませんでしたが、
心のうちにはこの信行を生きている限り続けたら良いだろうなという小さな望みがありました。
ちょうど1年前、血液検査・生体検査の結果、全立腺癌と診断されました。
ステージは1でしたが、癌の性格を示す指標は1から10のうちの9と悪精度の強いものでした。
ただ、転移はしていなく、治療によってすぐ命が亡くなる可能性は低いということです。
死ということに対しては年齢も重ねていることですし、それほど大きなショックはなかったのですが、今のような自分の生き方はクリスタンとして中途半端、不完全であることが強く思われました。
聖書の箇所ははっきり覚えておりませんが、旧約聖書の中である王が神様から死の宣告をされましたが、
神様は許してくださったことが記述されています。
私はこのことを思い出し、このように癌にかかったときはすごく願ったものです。
私は今までキリスト社として礼拝に出席しました。少し恥ずかしい話ですけれども、役員の一員でもなっているものですが、正直いうとそのような資格もないと言っていいようなものです。
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というのは家庭ではキリストの証ができていないものです。家内とは教会を通じて知り合い、共通の信仰を持っていることで結婚しました。
家内も西武教会、明沢教会と礼拝に出席おりましたが、この10年ほど礼拝に出席をしておりません。その理由は私の信仰への不信でした。私の生活態度が信用できないということです。
今、このことが私にとっては大きな痛みです。しかしその原因は私自身にあるのです。今、癌にかかり死の道を進んでいるというときこそ、もう一度キリスト社としての生き方をしなきゃ、またその生き方を見直す時期なのではないでしょうか。
このように思われました。
このようなものでも、さらに主は御言葉を与えて下さいます。
私はこのように主が備えてくださっているということを御言葉に見るとき、生き方を変え勇気づけられるのです。
78歳の歩みの中で、人に誇るべきものは何一つありません。
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会社勤めを可もなく不可もなく終えました。大抵の仕事もしましたが、一級5期の資格というようなものはありません。
また、今後のためにと思って、旅行業務管理試験、これは国内旅行とか海外旅行の資格ですけれども、そのような資格を取ろうとか、
あるいは園芸師の資格を取り、何か造園でもできないかと思ってみたり、そのようなことで資格試験を勉強したりしましたけれども、失敗しました。
興味はあるのですが、途中で投げ出す、そんな性格なのです。
のこぐりや金槌、鉋のみもそこそこ使えます。セメントをこねて電河を積み上げることもできます。しかし、素人の息を出ません。
関西製書新学校で事務の仕事を主にしていましたが、新学校の永然というようなことも多くありました。
新しくなる前の新学校ですので、断紙料も除紙料も相当古くなっており、水蔵が漏れて水が止まらない、あるいは水がよく出ない、そのたびにパッキンを取り替えたり、シールを巻き直したりしました。
また、木造の消化が二宗あり、ゾアが特に調子が悪く、そのようなときは材料を買ってゾアを作り上げ、塗装までもしました。
除紙料の風呂は、なかなか男子学生が入っていくわけにはいかず、タイルの剥がれが酷くなっていました。私も人畜無害と言える年になっているので、私ならと思って思い切って入ってみると、
脱衣所の棚の洗面器の中には、剥がれた2、3センチのタイルがいっぱいあり、浴室の中はデコボコになって、セメントがむき出しになっているような始末です。
白セメントを買って、何とかタイルをはじつけたりもしました。
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清楚から離れて、少し脱線を通知していますが、もう少しお話しすれば、園芸協会の資格を取るのは失敗しましたが、私の家の狭い庭には、
梅、牡蠣、金管、レモン、柚子等、また夏にはゴーヤ、キュウリ、トマト、秋冬には小松菜、かぶらを植えて調法しています。
金管のカンロニを作り、またレモンのはちづめ、はちみつ漬きをして、家内とサンジのおやつをいただいております。
今、振興において中途半端な状態で良いのかという立場にあると思います。
今日、ヘブル人への手紙13章の7節から8節を、私がお明かしをする前に読んでいただきました。もう一度読ませていただきます。
次の言葉をあなた方に話した思想者たちのことを覚えていなさい。彼らの生き方から生まれたものをよく見てその信仰に習いなさい。
イエス・キリストは昨日も今日も常しえに変わることがありません。
このように書かれています。この御言葉の中で何を手本にすべきか、振興を手本にしなさいと言っているのです。
西武教会には桜井茂子姉妹がおられ、また広関久次兄弟がおられました。またこの明丹教会には村上弘兄弟がおられました。
村上兄弟はよく神様にこのようなことをして申し訳ない、自分の生き方は申し訳ないというような言葉をよく発せられていました。
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自分の奉仕の仕方がまだ足りないというのです。
汽車な体好きで私のようにスポーツをするわけではありませんが、心の中心には振興という太い鉄筋が入っていたのです。
村上兄弟のような素直な振興を手本にすべきなのでしょう。
また、先ほど読みした御言葉に、イエス・キリスは昨日も今日もいつまでも変わることがないと言っておられます。
いつまでも変わることがないという、なんと力強い言葉でしょうか。そして共にいてくださるのです。
聖書の中の記述は、旧約においては特に醜い人間の罪、あるいはイスラエルの民のように不従順なことが嫌というほど記されております。
しかしそれ以上に神の愛、またキリストの深い慈しみがあると思います。
まだまだ私はそれを知り、自分の肉としてはおりませんが、今後これからの人生、この御言葉を身につけていきたいと思っています。
直線的には到底できないでしょう。
右に行ったり左に行ったり、いや立ち止まるどころか逆の方向に行くかもしれませんが、なお目標を目指して進みます。
中途半端な今までの生き方どおり、あるいは何にでも首を突っ込むものですが、信仰生活は捨てることは考えておりません。
この私をするために少しばかり聖書を読む時間が多くなり、その内容もっと深く知りたいと思い始めました。
これが霊的な成長でしょうか。
年齢を重ねておりますけれども成長というのがあるのでしょうか。
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神様と共にいるということを、普段の毎日の日常生活の中で病々刻々。
この病々刻々というのは、時々刻々という言葉は聞かれたことがあるかと思いますけれども、この言葉は大島英介先生が使っていたようです。
常に神様を意識し、キリストと共に歩み、使い続ける。
人との談笑の間にも首を見失わず、忠実に謙虚にありみたいものと思っております。
短いですけれども、私のお若しさをさせていただきます。