1. 寝落ちの本ポッドキャスト
  2. 065国枝史郎「世界の裏」
2024-09-19 24:50

065国枝史郎「世界の裏」

065国枝史郎「世界の裏」

第二次世界大戦の前夜、各国のいろんな時代の裏側エピソードを元に、やがて戦争に挑まんとする日本へもの語ってくれています。うっすら漂う緊張感。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


ご意見・ご感想・ご依頼は公式X(旧Twitter)まで。「寝落ちの本」で検索してください。

00:04
寝落ちの本ポッドキャスト。
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには、面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見ご感想ご依頼は、公式エックスまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。
さて今日はですね、国枝史郎さんの世界の裏というテキストを読もうと思います。
国枝史郎さん、日本の小説家。
怪奇・幻想・端微的な電気小説の書き手。
代表作に、新州高血情などがあり、
印産怪奇・神秘的色彩の濃いその作品世界が高く評価された。
ということで、初めて読みます。
すいません、今日ちょっと鼻声で何ともならなかったんですが、
締め切りなのでこのまま読みます。
それでは参ります。
世界の裏。
1.16増改。
この面では理屈は言わない。
イデオロギーなどというものも書かない。
この面では世界中の政治や外交や軍事や、
その他社会のあらゆる部分に実在した面白い事件ばかりを書く。
それもメインストリートの事件ではなく、
塵埃やカビの花の咲いている梅雨道や、
裏通りで起こった事件、
内緒はサロンのカーテンの影や、
宮殿の老柱の背後などで起こった事件を書く。
さて、上海のある秋の日の出来事であるが、
N国のN博士が、
ある世界的有名な国際会議へ列席すべく上海へ行った。
その秘書、S氏に関する出来事なのであるが、
重要書類と現金等を入れたカバンを持ってワンポーツに乗った。
中国の人力車のことだそうです。
ところが下車して気がついてみると、
盗まれたのか置き忘れたのか。
カバンがない。
S氏の行転姉妹ことか。
すぐに交付局や領事館に届け出て、
カバンの取り戻しに共奉した。
無能では世界第一の名を欲しいままにしている上海の警察が、
こんな場合に役立たないことは分かりきった話で、
03:03
いつまで経ってもカバンは出てこない。
そのうちに会議の日は近づく。
重要書類がないことにはN博士が、
いかに有名な有名家でも国際的識人でも、
ものが言えない国家の秩序となる。
どうしよう。
とN博士はB秘書と一緒に青くなった。
そのとき上海通の知人が、
交付局など頼りにしてないでセロットンへ、
十六道会へ行って相談してみたまえ。
現金は出まいが書類は出るだろう。
と教えてくれた。
十六道会とは?
チンパンの中にある特殊の機関だよ。
チンパンとは?
上海へ来てチンパンのことを知らないような君だから、
重要書類を紛失するような間抜けたことをやるのさ。
それでS氏は半信半疑ながら、
十六道会へ行ってカバンを取り戻してもらいたいものだと相談した。
すると十六道会の要人はうなずいて、
明朝おいでくださいと言った。
そこでまたS氏は半信半疑ながら、
翌朝十六道会の事務所へ行ったところ、
これでしょうと言ってカバンを出してくれた。
見ると失った自分のカバンであった。
S氏は弱役して内側を調べたところ、
現金はなくなっていたが重要書類は一枚の脱落もなく存在していた。
何だ一体十六道会とは?
とS氏は数日後、
十六道会のことを教えてくれた上海通の知人に聞いた。
化け物さ。
これが上海通の返事であった。
上海の化け物の一つさ。
まったくオオアの吐き溜めのような上海などには、
十六道会のような一国の警察権力以上の勢力を持っている秘密結社があるらしい。
でも十六道会の真相を知ろうと思ったら、
今回の品字編以来、
日本人ともおなじみのチンパンのことを知らなければならないし、
チンパンのことを知りたいと思ったら、
その兄弟分のコーヴァンのことや、
それらの厳正的勢力、秘密結社の祖先たる三豪会や、
カロー会や、
百連会や、
ロクソのコジや、
同戦会のチャワンジンなどを順を追って調べなければならない。
どっちみち現在の十六道会の、
したがってチンパンの大親分は、
数年前からちょいちょい日本の新聞へも名乗でるト・ゲッショウであることと、
06:01
ト・ゲッショウは小解析の一頭であったが、
最近、大照明派に基準したらしいということだけは知っておく必要があるだろう。
2. 死をもって生を。
五千の大砲、三万の機関銃、三千の投擲弾、
二千の飛行機、五千の機関車、十五万の客貨車、
五千の自動車を連合軍に引き渡し、
潜水艦の全部、装甲巡洋艦六隻、
解剖艦十隻、小巡洋艦八隻、
新式駆逐艦五十隻の破壊、
その他の軍艦と小船全部の連合軍への引き渡し、
こうして全世界大戦はドイツ軍の大敗をもって急戦となり、
ついでドイツ国内に起こったのは革命・反革命の内乱であり、
そして最後に来たものは不名誉にして絶望的なるベルサイユ講和条約と、
1320億マルクという天文学的数量の賠償金であり、
そしてその後に来たものはドイツとその国民との悲惨極まる飢餓であった。
女は低層を売らなければその日その日の生命が保てなくなった。
その一例を。
ヘレーネ・レンクという娘があった。
名門の出であったが国内事情がそうなればそういう娘ほど悲惨で、
とうとう街の天使の身の上に落ちてしまった。
しかしこの頃にはベルリンにはそういう街の天使が氾濫していたので商売は楽ではなかった。
彼女はN国の留学生を主としてお客としていた。
そのお客の中に大君という青年があった。
最初は親切にしてやったがやがて飽きて帰り見なくなった。
その時娘から速達が来て、
あなたに会えない絶望から私は某日の某時間に自宅でガス自殺をしますと書いてあった。
大君は驚いてその時間に彼女のアパートへ駆けつけた。
部屋へ入ってみると彼女は半死半生のありさまでベッドに倒れてい、
ガスランプからガスが音を立てて漏れていた。
大君は感動しガスを止め彼女を解放した。
そうしてこのことを友人に話した。
すると友人はさんをなめた時のような顔をし、
君もやられたのか。僕もやられたよ。
ありゃ、あの女の手でね、君の足跡が廊下に聞こえた時ガスの線をひねったのさ。
そういやガスの匂いが気迫だったっけ。
09:03
そこで大君はもうその娘に対して感動しないことにしてしまった。
ところがその娘には他にP医師という、これもN国の若い医学士のお客があったが、
そのP医師までが大君と彼女とのガス事件を聞くと気を悪くして彼女へ興味を持たないことに決めてしまった。
しかるにそのP医師のもとへ彼女から速達が来て、
あなたに会えない絶望から私は某日の某時間に自宅で毒薬自殺をしますと書いてあった。
今度は毒薬をご使用なさると見える。
ご自由に。ベロナールであろうとモルヒネであろうと。
勝手に用いてなるだけ楽に天国へ行くんだね。
とP医師は笑って呟いたが、やはり苦になるところからその日になると、
時間だけはぐっと遅らせて彼女の部屋へ行ってみた。
彼女はベッドの上に白い顔をして死んでいた。
多量の小香水を飲んで。
手にはそういなかったんだが、
と他日若い医学士は泣きながら話した。
僕が医者だったんで、
多量に小香水を飲んでも僕がその時間に駆けつけてきて応答させてくれるものと信じて、
わずか二三十マルクの生活費を得たいばかりに、
低層ばかりから命をかけて。
僕はその時間に行ってやればよかった。
僕の来るのを待って、目にいっぱい涙をためながら、
刻々に死んでいったあの子のことを思うと、
ここで僕は言う、
それほどの急忙のどん底にあったドイツが、
現在のごとき世界第一の強国に、
わずか二十年の間に復活しようとは。
日本人よ、しっかりしろ。
3.外周一触
日本のヤクザは親分子分の間に神儀があって、
親分は子分を引き立て、子分は親分を立て、
それで段々に勢力を得、
同輩同色に対しては競争する。
しかるに米国のギャングは、
親分子分の間に神儀がなく、
子分は親分をしのぐことによって自分の勢力を張り、
同輩同色に対して競争するばかりか、
素人衆に対しても悪辣な行為をする。
日本のそれは大家族主義的、相互扶助的であるが、
米国のそれは利己主義的、弱肉強食的である。
米国ギャングのその例は、有名な暗黒の王、
アル・カポネの書業によって立証される。
カポネをギャング界に送り出したのはニューヨークの親分エールで、
12:03
カポネ、おめえシカゴの親分、コロジモのところへ行って用心棒にでもなりな。
と紹介した。
それは1920年1月のことであった。
カポネはそこでコロジモのところへ行き、
厄介になったところ、その年の3月に、
自分の自動車を停車中のタクシーにぶつけた上、
拳銃でその運転手を脅したという過度によって、
強引されたのをコロジモがもらい下げてくれた。
ところが同じ年の5月11日には、
その恩ある親分のコロジモをカポネは、
鉛の犠牲にしたのであった。
すなわち、飛管銃で射殺したのであった。
この日、コロジモは自分の経営している南ワパス市街2126番の料理店で、
いいご機嫌で酒を飲んでいた。
その時、窓から飛管銃の筒口が出てタタタ。
それで片付いた。
コロジモは天国へ行ったのである。
カポネの悪行はこればかりではなかった。
最初の親分、エールをも殺したのである。
それは1928年7月1日のことであった。
だからエール親分がカポネを、
この世界における一人前の人間にしようとしてコロジモに紹介した時から、
8年後のことにあたるのであるが、
エール親分は、古分のカポネが、
シカゴでいい顔になっているというのを聞き、
喜んで、シカゴへ行き、カポネを祝福した。
カポネはエールを大いに歓迎したそうである。
お帰りでございますか。
じゃあ、この車に乗って。
と、カポネはエールを自動車に乗せた。
そう、車に乗せたのである。
そうして車に乗せるということは、
郊外におびき出して殺すということなのである。
エールの自動車が四筋へ来た時、
一台の自動車が後ろから追っかけてきて、それと並行した。
途端に、窓から機関銃の筒口が出てタタタ。
おわかりでしょう。
エールは天国へ行ったのである。
しかしなぜ、こんな古臭いカポネ事件などを、
私が今さら持ち出してここに書くのであろう。
一国の士気は上流社会に置いてみるよりも、
下流のギャングとかヤクザの世界に置いてみる方が良い。
そんな米国だ。
ABCD法威陣などを日本に向かってやったところで、
外周一触さ。
こいつが言いたかったからである。
4.急ぎたまえ。
カルタゴの市民が真に巨国一致の精神に燃え立ち、
その体制を整え実行に移ったときには、
15:03
老幼男女の別なく、昼夜休まず神廟内、
その他手広い建物の内に集まり、
にわかに兵器の製造に着手し、
日ごとに縦140個、刀剣300振り、
槍500筋や1000本ずつを作り、
同時に無数の投石器を作り、
なお、婦女は刀髪を切って弓ずるとし、
またあらゆる方面の鉄を採集し、
闘争の原料とし、奴隷を解放して兵役に伏せしめたり、
という状態にまで立ち至った。
しかしもうこの時には手遅れであった。
ローマの大群が城壁10里の地点にまで迫っていたのであった。
しかしなお、その決死体制があったため、
カルタゴはその後、相当長い間独立を保っていた。
カルタゴとローマとの戦闘は20数年間行われた。
その間にカルタゴには、シーザーやナポレオンが
兵術の祖としてその兵術を学んだ、
王子の名称にしてしかも大政治家、
クアウルニ、人中宝国、
死生そのものの如き魔人間のハンニバルが出て、
国力を回復しようとした。
しかしハンニバルは貴族、富豪、
特権階級の集まりであるところの最高政治機関の元老院、
及びそれに追随するある宗宮の敗撃によって故国を去り、
流浪の後に自殺した。
こうしてローマによって突きつけられた講和条件になるものは、
1.兵器一切をローマに引き渡すべし。
2.カルタゴ市民は海岸より十二マイル後方に移転すべし。
カルタゴは地中海を生命とした海運国なのである。
というのであった。
これはカルタゴにとっては滅亡主導ということに他ならないのである。
そこで初めてカルタゴ市民は、
カルタゴは都市国家であったから市民は国民なのである。
虚国一致。
国難に赴く決心をし、
序章のごとき態度を取ったのであったが時すでに遅く、
前期のごとく相当の機関独立を保ったがついには滅ぼされた。
いかに虚国一致、国難に赴くの耐性を取ったところで、
時代に遅れては何の効果もないという良い例の一つである。
現下の日本などどうであろうか。
カルタゴはローマと先端を開いた当時においてはローマよりも富んでおり、
ブービーも完成しており、
特に海軍に至ってはローマなど足元へも寄れないほど精鋭寛美だったのである。
18:00
それで負けた。
もっともカルタゴはアフリカの植民地から発達した国家であったため、
自由精神を尊び、
経済主として貿易においては自由主義を持ち、
個人の生活様式においては協力主義を旨とした。
しかしそういう国家であっても前期のごとく、
王公の英雄ハンニバルを生んだごとき、
疾走良好の国家だったのである。
ではもし虚国一致、
夫人が神を斬って弓ずるとし、
国難に赴くごとき大政を、
時期に遅れず採用したならば、
せいぜい大統治におけるローマごときにも、
ああ惨めに滅ぼされなかったであろう。
兜の尾を占めるのは戦いに勝っているときでなければいけない。
日本など隣戦体制総強化をもっと急ぎ給え。
レニングラードの陥落も時間の問題となった。
レニングラード攻防戦が始まって以来、
ネバ川の名がたびたび新聞史上に現れる。
ネバ川と聞くと、
私はすぐにこの川へ死骸を投げ込まれた
洋装ラスプーチンのことを思い出す。
それはロマノフ校長の末期、
1916年12月16日金曜日の夜のことであった。
この洋装へ、
きせようがためか、
強肩びらのような雪が、
レニングラード、
当時ペトログラードの大都会に降っていた。
この頃、
ロシアの名門、
ユーソンポフ公爵の餅屋の一つに、
その一階の居間に、
四人の男女がいた。
公爵その人と、
ドミトリー大公と、
大公の愛人、
踊り子のカロリと、
ウトウの当省、
ブリスケウィッチと出会った。
いずれも、
ラスプーチン敗撃の急先鋒であった。
やがてラスプーチンは、
オフィザスカイア通りに面している裏門から、
この館へ入ってきた。
彼は、
この館の主人が、
自分の競技に帰泳すると聞かされ、
改修させるために来たのであった。
公爵はラスプーチンを会場の食堂へ案内し、
毒薬入りの葡萄酒をすすめた。
ラスプーチンは平然と飲み続けた。
死ぬ様子など見えなかった。
公爵は恐ろしくなり、
今へ馳せ返り、
三人の同士へ行った。
あれはどうしても死なない。
ではこれでやりたまえ、
と大公は言って、
拳銃を渡し。
わしは家へ帰って自動車を持ってこよう。
21:02
そこで公爵は食堂へ引き返した。
見ればラスプーチンは息を弾ませながら、
部屋の中をよろめきながら歩いていた。
公爵はその胸へめがけ、
二発撃った。
弾丸は二発ながら命中し、
様相は倒れた。
とうとう仕留めた。
と今へ駆け込んだ公爵は、
三人へ行った。
ロシアは救われた。
これはブリスケビッチで。
あたしをいやらしくくどくやつが一人消えたというものね、
と言ったのはカロリであった。
しかしその声の終わらないうちに、
階段の方から重い足音が聞こえてきた。
三人が扉まで行ってうかがうと、
胸から血を流し、
着靴を引きずりながら、
ラスプーチンが階段を降りてくるところであった。
彼はまだ死ななかったのである。
亡霊のようなラスプーチンは三人の前を通り、
モイスカイヤ通りに向かった正面の玄関から、
冬の薔薇が咲いている花園へ出た。
三人は追っかけ、
ブリスケビッチは二発拳銃を撃った。
その弾丸も皆命中し、
ラスプーチンは倒れた。
やがて大公が自動車を持って駆けつけてきた。
それへラスプーチンの死骸を乗せ、
トロブスキーバシの方へ走らせた。
橋の中央で車を止め、
ラスプーチンの死骸を引き出し、
ネバ川へ投げ込もうとしたとき、
ラスプーチンの手が皇爵の剣匠をむしり取った。
まだ生きていたのである。
しかしその次の瞬間には、
氷塊の流れているネバの滑水が、
このロシア宮廷と上流社会とを腐敗させ、
軍長を頼んで政治外交にさえ口を入れ、
ロマノフ校長を没落させた
既成の洋装の死骸を飲んだ。
以上は前期欧州対戦中での出来事で、
ラスプーチンはロシア皇帝をして、
敵国ドイツと単独講和させようとしていたのであった。
宗教の仮面をつけ、
芸術のベールをかむって、
反戦思想や敗戦主義を、
感情的に国民に美満させるほど危険なことはない。
厳に警戒すべきである。
2006年発行 作品者 国枝志郎歴史小説 傑作戦
より 読み終わりです。
24:01
初出がですね、
1941年8月から10月、
8月と考えると、
同じ年の12月、
真珠湾攻撃をしていますので、
第二次世界大戦、
戒戦直前夜という感じですかね。
なんかね、そういう感じしますよね。
今にも戦争が起こりそうなところを肌で感じて、
みんな気をつけなきゃダメだよっていうのを、
警鐘を鳴らしてくれている感じ。
それも虚しく戒戦を行われるわけですが。
また読もうと思います、国枝志郎さん。
それでは、そんなことで失礼しました。
今日のところはこの辺で。
また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。
24:50

コメント

スクロール