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寝落ちの本ポッドキャスト
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちをお手伝いする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本を淡々と読んでいきます。
エッセイには、面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて、青空文庫から選んでおります。
ご意見・ご感想は、公式Xまでどうぞ。
さて、今日はですね、岡本一平さんの
非凡人と凡人の遺書というのを読んでいきたいと思います。
まず、この岡本一平さんという方がですね、
誰なのかということなんですけど、
僕も調べてて分かったことなんですが、
2025年の大阪万博の
ずっと前にやった大阪万博がありますよね。
何年かちょっと分かりませんけども。
月の石が来たであるとか、太陽の塔がすごいであるとか、
その太陽の塔をデザインした岡本太郎さんという方、
あまりに有名な芸術は爆発だといった、
その太郎さんのお父さんだそうです。
岡本一平さん。
なんかいろいろ繋がってますね。
その人が書いた非凡人と凡人の遺書
というタイトルのエッセイを読んでみようと思います。
皆さん遺書って書いたことありますか?
僕はちなみに書いたことがあるんですけど、
これちょっとですね、今回エッセイが短いので、
前語り長めに話すという、今答え合わせというか種明かしをしてますけど、
僕は猫を2匹飼っててですね、
この猫ちゃんたちは、
僕が明日ぼっくり死んだとすると、
家族のもとに自動的に行くわけですが、
実家の家族、血の繋がった実家の家族は、
たぶん猫を飼えるような環境ではないので、
その猫のためにですね、
猫を飼ってもいいよという友人を生前、今の間見つけておいて、
その友人の住所と氏名を書き、
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将来かかるであろう費用等々をこの人に譲り渡すというのを書いた
遺言書を僕はしたためてありますが、
皆様いかがでしょうか。
まあね、多くの方が遺言書なんて書いたことないと思いますけど、
意外と書式があってですね、
書いてみると面白いですよ。
遺言書、法律だと遺言とか言うんですけど、
ちょっと書き方考えてみるというのもいいかもしれませんが、
今回は大阪の太陽の塔、
芸術は爆発だ!の岡本太郎さんの親御さん、
岡本一平さんの非凡人と凡人の遺書というエッセイを読んでいきたいと思います。
牛や魚は死ぬとき遺言しない。
鳥や松の木も死ぬとき遺言しない。
遺言するのは人間だけである。
死ぬとき自分以外に他あるを帰りみて、
そこに何か責任上の一言を残しておく。
これが人間が万物の霊長をたるゆえんであろう。
毎年正月に筆を改めて遺言状を書き直すという
用意周到の人が僕の知っている範囲で二人ある。
しかも二人ともかなり長生きの方なので、
何通書き直したかわからぬ。
年々そう書き直す必要があるだろうかと聞いたら、
一人は、葬儀車だって年々進化するだろう。
また一人は、年々遺言状の思想が古くなっていくからと言った。
二人とも遺言状を書く真剣さを用いて
自分の魂を改め立て祀るのだった。
なかなかずるい。
禅の方で遺言の詩を遺形というのだが、
これには大概型がある。
一生涯の間、一秒間もざんまえから外れたこともなく、
一生涯もつま引きの間も同じだった。
と自分の誤教を述べたものがその一である。
ただに眠り、ただに悔い、
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戯れの世の中を戯れに終わったと
理長めく口調で述べたものがその一つである。
理長めくとは、ややもやはり、
その裏に己の心境を誇示していることはもちろんである。
もう一つは死の世界に行っていく態度を示したものである。
地獄も天国も相に踏み破り去らんというような調子のものである。
右から見るとずっと離れて、
まったく凡夫の心に立ちかえって
生き栄を示した相もある。
近世では釈相縁し謎がそうである。
死にたくないない、と言って死んでいく隣住の仕方である。
これも幾多の前例はあるが、かなり諸脱のものと見られている。
東水王将は凡夫に助導することにおいて
かなり垢抜けたところまで行ったが、
それでも隣住に
王宝風勢月白とか何とかいう意形を残し
片鱗を表している。
これ、字が難しいですね。
鷹に鳥の鷹に峰に風清い月白と書いた文字です。
読めません。
調べる気もわけません。
続けます。
雄言と言うとすぐ馬将が門下に雄言の句を聞かれて
平常の句みな雄言の句にあらざるなし
と言ったのを思い出すが、
禅敬須公の雄言の仕方や、
この詩人の雄言に対する態度や、
あまり立ちすぐりすぎ、
模範的すぎて我らにはぴったり来ない。
死に際には病苦や人生に対する愛せきの念やで
我ら凡人はどんな考えになったり、
逆に反抗的に気取ってみたりして、
とても本当のことは述べられないと思う。
よって平常主語のことは洗いざらいしゃべってしまっておく方が良いと思う。
そして死ぬ病にかかった後に言うことは
取り上げないように謹慎に頼んでおくのが良いと思う。
雄言と言うと、
かえって改まった気になって考えの並行を失えばしまいかと思う。
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死ぬ人でよく家の家訓を定めたりなぞして、
そのため家という境界は
異名の力で何代か保つかもしれないが、
家の内容の人間の生命は
洗練される機会が少なくなり、私物になることが多い。
これは家訓を定めるより人訓を定めた方が良い。
先祖の中で自分は家系の中の虚跡だと信じた人は、
自分の善悪両面の体験を書き残し、
子孫の実力生活の参考にするが良い。
凡人としてはそういう遺言は苦毒あるものではないと思う。
自分で自慢して書き残すほどの生活も、
子孫を持たなかったし、
子孫を導くほどの恐れも持っていると自信できないし、
自分の生涯において人の世に対する感想のようなものも、
大概誰かがいずれくれているものの中に入るだろうし、
まあ身の回りの騒ぎについて家族に少し説明しておけば、
一人前の責任は済むと思う。
1992年、作品社第一冊発行。
日本の名随筆、別冠十七。
唯言より読み終わりです。
あなたが唯言を書くとしたら、
誰に対して何を残すと書くでしょうか。
僕は今友人に向けて猫のことについて書いていますが、
奥さんをもらったら、
少し暗い話題になりましたかね。
少し短いですが、
今日のあたりはこの辺で寝落ちいただけたら幸いです。
おやすみなさい。