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2024-03-19 20:20

012片山廣子「赤とピンクの世界」

012片山廣子「赤とピンクの世界」

近所のおばあさんが死んだ、そんなエピソードから始まる戦後まもないお話。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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寝落ちの本ポッドキャスト、こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本を淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青皿文庫から選んでおります。
ご意見・ご感想は、公式Xまでどうぞ。
さて、今日は片山博子さんという方の
「赤とピンクの世界」というエッセイを読んでいきたいと思います。
ここでいう赤というのは、石品という赤に貧しいと書いて、
何一つ所有物のないひどく貧乏な様を指した赤と、
これがこの作品が発表された1953年戦後の復興間もなく、
日本が戦争の後立ち上がっていく貧乏を少しずつ取り除いていく赤が少しずつ薄らいでいって、
ピンクになっていくという世界を描いたエッセイ。
実は何でしょうか、わかりませんけれども。
少し暗い話も出てきますが、その辺は時代の背景も踏まえ、ご容赦いただければと思います。
それでは読んでまいりましょう。
片山博子、赤とピンクの世界。
農村が町となり、眺めが良く空気もきれいなので、
だんだん新しい家ができて、住む人も多くなってきた。
町の開け始めた自分にできた実験ばかりの家は、
それぞれ屋根の色が違い、壺数も違っているが、
どの家もみんなみずみずしい生垣で、
庭に椿やカイドウやボケ、また銀木犀やサザンカなどを植えており、
門前の道はいつもきれいにはかれて、
この辺一帯は裕福なインテリ層の住まいとすぐわかる。
その中の一軒に64後のおばあちゃんがたった一人で暮らしていた。
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ずっと前からここにいる人で、前には旦那さんも一緒だったが、
それは3、4年前に亡くなり、
一人の息子さんは結婚して、もっと都心に近いところのアパートに暮らしているという噂だった。
おばあちゃんは時々は息子の家に遊びに行って泊まってくるし、
息子夫婦も日曜日に遊びに来ることもあって、
よさめには楽しい静かな暮らしとみえ、
八百屋や魚屋に買い物に出かけるおばあちゃんは、
若い主婦たちに負けず元気であった。
ある日、そのおばあちゃんがいなくなってしまった。
近所の人たちも初め3、4日は知らなかった。
隣の家では息子さんのところへ泊まりに行っているのだろうぐらいに思っていたが、
それっきり帰ってこず。
窓の玄関も閉じたまま一週間になったとき、
そこへ古いお友達だというこれも陰居らしい人が尋ねてきて、
隣の家の奥さんと話をした。
久しぶりで来たのにと残念がって、
それでは息子さんのアパートへ寄ってみましょうと言って帰って行った。
その人のおかげでおばあちゃんの不在がわかって、
息子さんはすぐ親類や知り合いの人たちに連絡してみたが、
どこにもいず。
このごろ久しく会ってはいないとみんなが言った。
おばあちゃんの家はきれいに片づいて、
食器は戸棚に、
着物はたたんで乱れ箱に入れてあり、
どこへ出かけると書き残した紙切れもなかった。
やがて警察の手を借りて、
親類も昔の出入りの人たちも総動員で東京を探し回った。
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もしや途中で脳一血になり、
どこかの病院にいるのではないか。
もしや急に気が変になって、
近県の田舎にでもいて迷子になっているのではないか。
彼らはありとあらゆる推理を働かして、
別にあてどもなく探してみたが、
彼女はどこにもいなかった。
一月ほどたって警察から知らせがあって、
両国のほうのどこかの井戸に水死人があったが、
着物の様子でもしやと思われる。
着てみるようにと言われて、
息子と近い身寄りの人たちが行ってみると、
まさしくおばあちゃんだった。
彼女はちゃんと外質着に着替えて、
帯の間には、
家でする少し前に息子から渡された
一万六千円の紙幣が、
ちっとも使われずにちゃんとしまってあって、
遺言も何もないから、
どういうわけで死んだかもわからないという話だった。
葬式もその時世なりに立派に行われて、
おばあちゃんは仏様になり、
おばあちゃんの家には、
その後息子さん夫婦が移ってきて住んでいる。
これは二年前の話である。
ひそひそと近所の人たちの話すことでは、
女というものは年寄りでも若い人でも、
たった一人で暮らしていると儚い気持ちになるものだから、
おばあちゃんも一人で生活することに飽きて、
欲も徳もなくなり、
死にたくなって死んだのだろうと、
まずそれより他に考えようもなかった。
欲も徳もなくなるという言葉は、
疲れ切った時やひどく恐ろしい思いをした時、
あるいはまたお湯にゆっくり入って、
いい気持ちになった時に味わう感じのようである。
私はせんだってその家の横の道を通ったおり、
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白の木の陰の大刹間からピアノの音が聞こえてきて、
奇妙に悲しい気分になった。
あの人がこんなにきれいな家の人でなく、
もっと貧乏な、もっと窮屈な生活をしていたなら、
死ななかっただろうと思ったのである。
例えば、今月はこれこれの金が必要だ。
内職のお金がこれだけはいる。
たけのこをすれば、
いくらいくら手に入るというように計算を始めたら、
その欲につられてそのお金の入るまでは、
死ぬ気にはならないだろう。
たとえわずかなものでも手に持つことは楽しい。
のんきな気持ちで人からもらったお金では、
自分が苦労して取ったものほど楽しい味がないようだ。
貧乏というものにはある楽しさがある。
幸福という字も当てはまるかもしれない。
死んだおばあちゃんは貧乏を知らないで死んでしまった。
昔々、私が女学生の時分、
その時代にも貧乏な人はたくさんいた。
一週間に三度ぐらい、
寄宿舎の賄いにお料理の手伝いに行った。
その賄いに一日三度、
朝昼晩と三人のお母さんが女中代わりの手伝いに来て、
ご飯を炊き、水を汲み、食器を洗い、
すっかり片付けて帰って行った。
賄い夫婦も、むろんよく働いたが、
その手伝いたちのいることが、
一日の仕事をきちんと手際よく片付けて、
彼らが来るたびに、
各自が小さいお室と切り溜めを持って来て、
生徒たちの残飯をお室に入れ、
お祭の残り物を切り溜めに入れて帰って行く。
それが彼らの一日の働きのお礼なのだった。
家にはそれぞれ、若夫婦や子供たちがいて、
十分に食べて行くのは骨であったが、
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こうやって、
お母さんたちが持ち帰る三度のものは、
一家の生活に大きな潤いを与えていた。
その人たちはみんなが、
アザブ十番の裏町から通って来た。
私は子供ごころに彼らを見て、
楽しそうだと思った。
実際楽しく働いていたようである。
もう若くない人たちが働く仕事を与えられるのは、
この上もない幸福であることを、
若い人たちは知らないだろう。
亡くなったお婆ちゃんは、
働きをする必要もなかったけれど、
たとえ紙一枚ほどのことでも、
働かせてあげたかった。
せんだって、
あるおじさんの若い自分の話を聞いた。
彼がまだ十八句で、
ラムネの配達をしていた自分のこと。
新しいラムネの瓶を配達して、
空の瓶を取って来るのだそうで、
それは牛乳配達にも似ているけれど、
牛乳のように個人の家に持って行くのではなく、
駄菓子屋や氷屋の店に相当の数を
問屋から届けるのである。
少年であったおじさんは、
毎夕決まって、
サメヶ橋の道を通る。
東京の貧民屈として有名だったサメヶ橋は、
この上もなくごたごたとにぎやかなところだった。
橋の田元に大きな酒屋さんがあって、
今もあるだろうと彼は言っていた。
夕方になると、その酒屋では、
店の前に大きな台を出して、
味噌を一煎、二煎、三煎と
竹の皮包みにして台の上に並べて行く。
ちょうどその時分、
サメヶ橋の住人たちは、
職人も妊婦も、
誰も彼も一日の賃金をもらって帰ってくる。
そしてその店で、
一日の賃金の中から、
一煎でも二煎でも、
勝手に味噌を買って行く。
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三煎以上はちゃんとめ方をかけて、
見てから済んでくれたそうだが、
一日分の味噌汁には、
三煎以上なんて不要の時代であった。
今、町の店々に、
十円、二十円、三十円のピーナッツの袋や、
貫物の袋が並べてあるのは、
その自分の一煎、二煎、三煎から始まったことだろうと、
彼は言っていた。
落語に出てくる長屋の連中と、
公屋さんと、
御院居の組合が思い出される。
サメヶ橋の彼らの生活は、
貧乏は貧乏なりに、
明るく幸福だったのだろうと考えてみた。
自分たちの貧乏は人のせいではなく、
自分たちの運だと思って、
別に腹も立てず、
のんきに安住していたのである。
私は羨むともなく、
その昔の彼らを懐かしく思う。
こういう夢の寝言みたいな、
私の感想をある人が聞いて、
あなたは貧乏の本当の味を知らないから、
そんな夢を見ているのですよ。
石品洗うが如しという、
その石品の本当の貧乏加減を知っていますか?
米もなし、お菜もなし、
味噌もなし、炭もなし、
むろん一枚の紙幣もなし、
たけのこに出す一枚の着物もなし、
電気代が払えないから、
夜は真っ暗で寝るし、
夏になってもかやがなし、
病気になっても薬が買えないと、
ないものづくしの生活を石品というのです。
お世辞にも貧乏は楽しいと言えるはずはありません。
と彼が言った。
それは正しい。
石品の境地にはずっと、
距離のある貧乏だけを私は知っている。
雑誌が買いたくても、来月までは一冊も買わない。
ある人にいろいろとお世話になっても、
何も贈り物が買えない。
白米のご飯が食べたくても、
玄米をありだけ食べ続ける。
18:00
庭の椿が枯れかけているけれど、
今月は植木屋を頼まない。
これはたぶん赤ではなく、
ピンク色ぐらいの貧乏なのだろう。
このピンク色の世界に住むこともずいぶん苦しいけれど、
貧乏だからいざ死のうという気にはなれない。
私は欲も得もすっかり忘れきれない人間だから、
懐中に何がしかのお金を持っていれば、
そのお金のある間は生きているだろう。
石品となっては土に投げ出されたお池の鯉のように、
死ぬより仕方があるまい。
死ぬということは悪いことではない。
人間が多すぎるのだから、
生きていることも悪いことではない。
生きていることを楽しんでいれば。
2004年11月第1冊発行。
月曜写より10カ節。
より読み終わりです。
いかがでしょうか。
裕福だったおばあさんが、
人生なんとかなると僕は思っていますけど、
思い詰めすぎるとそれはそれで苦しいですからね。
やっぱりこの時代の文章はみんなちょっと暗いですね。
この結論に至る前に寝落ちできていることを願います。
それでは皆さま。
20:20

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