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2024-04-21 30:31

令和六年卯月の回『近代文学の夕べ3』3

ガチャを回して出てきたことについて語る「文ガチャ」

師走の回のお題は「近代文学の夕べ」 らい堂さんが近代文学を読んでの読書感想文を書いて、それについて語っています。

今月2つめの作品は、森鴎外の『高瀬舟』 青空文庫さんにも掲載されていて、どこでも読める作品です。

今回は朔夜による朗読回です。

諸事情により2回に分けて別機材で収録したので、音声に差があります。ご了承ください。 みなさんもぜひ、読後の感想を教えて下さいね。


底本:「山椒大夫・高瀬舟」岩波文庫
   1938(昭和13)年7月1日第1刷発行
   1967(昭和42)年6月16日第34刷改版発行
   1998(平成10)年4月6日第77刷発行
初出:「中央公論 第31年第1号」
   1916(大正5)年1月1日発行
入力:kompass
校正:土屋隆
2006年3月8日作成
2011年4月27日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


00:00
高瀬舟、森妖怪
高瀬舟は、京都の高瀬川を上下する小舟である。
徳川時代に、京都の財人が遠投を申し渡されると、
本人の親類が老屋敷へ呼び出されて、そこで戸惑いをすることを許された。
それから財人は、高瀬舟に乗せられて、大阪へ回されることであった。
それを誤想するのは、京都町奉行の配下にいる同心で、
この同心は、財人の親類の中で、主だった一人を大阪まで同船させることを許す慣例であった。
これは、神へ問ったことではないが、いわゆる多目に見るのであった、黙拠であった。
当時、遠投を申し渡された財人は、もちろん思い咎を犯した者と認められた人ではあるが、
決して盗みをするために、人を殺し、火を放ったというような、
童惑な人物が多数を占めていたわけではない。
高瀬舟に乗る財人の過半は、いわゆる心得違いのために、思わぬ戸場を犯した人であった。
ありふれた例を挙げてみれば、当時相対司といった上司を図って、相手の女を殺して、
自分だけ生き残った男、というような類である。
そういう財人を乗せて、入合の鐘の鳴るころに漕ぎ出された高瀬舟は、
黒ずんだ京都の町の家々を両眼に見つつ、東へ走って、鴨川を横切って下るのであった。
この船の中で、財人とその親類の者とは、与同死身の上を語り合う、
いつもいつも悔やんでも帰らぬ繰りごとである。
御相の役をする同心は、そばでそれを聞いて、財人を出した親戚眷属の悲惨な境遇を細かに知ることができた。
所詮町奉行の知らすで、表向きの公共を聞いたり、
役所の机の上で口書きを読んだりする財人の夢にも伺うことのできぬ境遇である。
同心を務める人にもいろいろな性質があるから、この時ただうるさいと思って耳を覆いたく思う冷淡な同心があるかと思えば、
またしみじみと人の哀れを身に引き受けて、役柄ゆえ景色には見せぬながら、無言のうちに密かに胸を痛める同心もあった。
03:09
場合によって非常に悲惨な境遇に陥った財人とその親類とを、特に心弱い涙もろい同心が裁量していくことになると、
その同心は不覚の涙を禁じ得ぬのであった。
そこで高瀬船の御僧は町奉行所の同心仲間で不甲斐な職務として嫌われていた。
いつの頃であったか、たぶん江戸で白河楽王公が平成をとっていた完成の頃ででもあっただろう。
千代尉の桜が入合の鐘に散る春の夕べに、これまで類のない珍しい財人が高瀬船に乗せられた。
それは名を喜助といって三十ばかりになる住所不上の男である。
もとより老屋敷に呼び出されるような親類はないので、船にもただ一人で乗った。
御僧を命ぜられて一緒に船に乗り込んだ同心羽田翔兵衛は、
ただ喜助が弟殺しの罪人だということだけを聞いていた。
さて老屋敷から桟橋まで連れてくる間、この痩せじしの色の青白い喜助の様子を見るに、
いかにも辛病に、いかにもおとなしく、自分を馬行儀の役人として敬って、何事につけても逆らわぬようにしている。
しかもそれが罪人の間に往々見受けるような温純を装って賢精にこびる態度ではない。
翔兵衛は不思議に思った。
そして船に乗ってからも、単に役目の表で見張っているばかりでなく、
絶えず喜助の挙動に細かい注意をしていた。
その日は暮れ方から風が止んで、空一面を覆った薄い雲が月の輪郭をかすませ、
ようよう近寄ってくる夏の暖かさが、両岸の土からも川床の土からも、もやになって立ち上るかと思われるようであった。
下行の町を離れて鴨川を横切った頃からは、あたりがひっそりとして、
ただへさきに咲かれる水のささやきを聞くのみである。
夜船で寝ることは罪人にも許されているのに、
喜助は横になろうともせず、雲の濃淡に従って光の増したり減じたりする月へを仰いで黙っている。
その額は晴れやかで、目には微かな輝きがある。
06:04
庄兵衛はまともに見てはいぬが、終始喜助の顔から目を離さずにいる。
そして、「不思議だ、不思議だ。」と心の内で繰り返している。
それは喜助の顔が縦から見ても横から見てもいかにも楽しそうで、
もし役人に対する気兼ねがなかったなら口笛を吹き始めるとか鼻歌を歌い出すとかしそうに思われたからである。
庄兵衛は心の内に思った。
これまでこの高瀬船の裁量をしたことはいく度だか知れない。
しかし乗せて行く罪人はいつもほとんど同じように目も当てられぬ気の毒な様子をしていた。
それにこの男はどうしたのだろう。
輸産船にでも乗ったような顔をしている。
罪は弟を殺したのだそうだが、よしやその弟が悪い奴でそれをどんな行き係になって殺したにせよ、
人の情としていい心持ちはせぬはずである。
この色の青い痩せ男がその人の情というものが全く欠けているほどの世にも稀な悪人であろうか。
どうもそうは思われない。ひょっとして気でも狂っているのではあるまいか。
いやいや、それにしては何一つ辻褄の合わぬ言葉や挙動がない。
この男はどうしたのだろう。
庄兵衛がためには木助の態度が考えれば考えるほどわからなくなるのである。
しばらくして庄兵衛はこらえきれなくなって呼びかけた。
木助、お前何を思っているのか。
はい、と言ってあたりを見回した木助は、何事かを親国に認められたのではないかと気づかうらしく、
いずまいを直して庄兵衛の景色を伺った。
庄兵衛は自分が突然問いを発した動機を明かして、
役目を離れた大隊を求める言い訳をしなくてはならないように感じた。
そこでこう言った。
いや、別に訳があって聞いたのではない。
実はな、俺はさっきからお前の島へ行く心持ちが聞いてみたかったのだ。
俺はこれまでこの船で大勢の人を島へ送った。
それはずいぶんいろいろな身の上の人だったが、どれもどれも島へ行くのを悲しがって見送りに来て、
一緒に船に乗る親類の者と夜通しなくに決まっていた。
09:00
それにお前の様子を見ればどうも島へ行くのを苦にはしていないようだ。
一体お前はどう思っているのだい。
木助はにっこり笑った。
ご親切に仰って下すってありがとうございます。
なるほど島へ行くということは他の人には悲しいことでございましょう。
その心持ちは私にも思い合ってみることができます。
しかし、それは世間で楽をしていた人だからでございます。
京都は結構な土地ではございますが、その結構な土地でこれまで私の致して参ったような苦しみは、
どこへ参ってもなかろうと存じます。
お上のお慈悲で命を助けて島へやって下さいます。
島はよしやつらいところでも鬼の住むところではございますまい。
私はこれまでどこといって自分のいていいところというものがございませんでした。
今度お上で島にいろとおっしゃって下さいます。
そのいろとおっしゃるところに落ち着いていることができますのが、まず何よりもありがたいことでございます。
それに私はこんなにか弱い体ではございますが、ついぞ病気を致したことはございませんから、
島へ行ってからどんなつらい仕事をしたって体を痛めるようなことはあるまいと存じます。
それから今度島へおやりくださるにつきまして、200文の帳目をいただきました。
それをここに持っております。
こう言いかけて、喜助は胸に手を当てた。
煙灯を仰せつけられる者には、帳目200同を使わすというのは当時の掟であった。
喜助は言葉を継いだ。
お恥ずかしいことを申し上げなくてはなりませんが、私は今日まで200文というお足をこうして懐に入れて持っていたことはございません。
どこかで仕事に取り付きたいと思って仕事を訪ねて歩きまして、それが見つかり次第骨を押しまずに働きました。
そしてもらった税には、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませんなんだ。
それも現金で物が買って食べられるときは私の苦面のいいときで、大抵は借りた物を返してまた後を借りたのでございます。
それがおろうに入ってからは仕事をせずに食べさせていただきます。
私はそればかりでも、お上に対してすまないことをいたしているようでなりません。
それにおろうを出るときにこの200文をいただきましたのでございます。
12:02
こうして相変わらずお上の物を食べていてみますれば、この200文は私が使わずに持っていることができます。
お足を自分のものにして持っているということは私にとってはこれが初めてでございます。
島へ行ってみますまではどんな仕事ができるかわかりませんが、私はこの200文を島でする仕事のもとでにしようと楽しんでおります。
こう言って木助は口をつぐんだ。
勝兵衛はそうかいとは言ったが聞くごとごとにあまりに意表に出たのでこれもしばらく何も言うことができずに考え込んで黙っていた。
勝兵衛はかれこれ初老に手の届く年になっていてもう女房に子供を4人産ませている。
それに老母が生きているので家は7人暮らしである。
平成人には臨職と言われるほどの軽薬な生活をしていて衣類は自分が役目のために着るもののほか根巻しかこしらえぬくらいにしている。
しかし不幸なことには妻をいい信頼の商人の家から迎えた。
そこで女房は夫のもらう縁前で暮らしを立てて行こうとする善意はあるが豊かな家に可愛がられて育った癖があるので
夫が満足するほど手元を引き締めて暮らしていくことができない。
ややもすれば月末になって感情が足りなくなる。 すると内緒で里から金を持ってきて長尻を合わせる。
それは夫が釈在というものを毛虫のように嫌うからである。 そういうことは所詮夫に知れずにはいない。
生命はごせっくだからといっては里方からものをもらい 子供の七五三の祝いだといっては里方から子供に衣類をもらうのでさえ
心苦しく思っているのだから暮らしの穴を埋めてもらったのに気がついてはいい顔はしない。 格別平和を破るようなことのない羽田の家に折々波風の起こるのはこれが原因である。
商兵衛は今喜助の話を聞いて喜助の身の上を我が身の上に引き比べてみた 喜助は仕事をして給料を取っても右から左へ人手に渡してなくしてしまうといった
いかにも哀れな気の毒な境外である しかし一転して我が身の上を帰り見れば彼と我の間に果たしてどれほどの差があるか
15:04
自分も神からもらう縁前を右から左へ人手に渡して暮らしているに過ぎぬではないか 彼と我の相違はいわばそろばんの桁が違っているだけで
喜助の有難がる二百文に相当する貯蓄だにこっちはないのである さて桁を違えて考えてみれば
張目200文をでも喜助がそれを貯蓄と見て喜んでいるのに無理はない その心持ちはこっちから指してやることができる
しかしいかに桁を違えて考えてみても不思議なのは 喜助の欲のないことたることを知っていることである
喜助は世間で仕事を見つけるのに苦しんだ それを見つけさえすれば骨を押しまずに働いてようよう口をノリすることのできるだけで満足した
そこでローに入ってからは今まで得がたかった職がほとんど天から授けられるように 働かずに得られるのに驚いて生まれてから知らぬ満足を覚えたのである
正米はいかに桁を違えて考えてみてもここに彼と割れとの間に大いなる間隔のある ことを知った
自分の縁前で立てていく暮らしは折々たらぬことがあるにしても大抵水筒が合っている 手一杯の生活である
しかるにそこに満足を覚えたことはほとんどない 常は幸いとも不幸とも感じずに過ごしている
しかし心の奥にはこうして暮らしていて不意と親父がごめんになったらどうしよう 体病にでもなったらどうしようという器具が潜んでいて
折々妻が里方から金を取り出してきて穴埋めをしたことなどがわかるとこの器具が 意識の敷居の上に頭をもたげてくるのである
一体この間隔はどうして生じてくるだろう ただ上辺だけを見てそれは気づけには身に軽類がないのに
こっちにはあるからだと言ってしまえばそれまでである しかしそれは嘘である
よしや自分が独り者であったとしてもどうも気づけのような心持ちはなられそうに ない
この根底はもっと深いところにあるようだと商兵は思った 商兵はただ漠然と人の一生というようなことを思ってみた
人は身に病があるとこの病がなかったらと思う その日その日の食がないと食っていかれたらと思う
18:00
万一の時に備えるた具合がないと少しでもた具合があったらと思う た具合があってもまたそのた具合がもっと多かったらと思う
各のごとくに先から先へと考えてみれば人はどこまで行っても踏みとどまることが できるものやらわからない
それを今目の前で踏みとどまって見せてくれるのがこの気づけだと商兵は気がついた 商兵は今更のように脅威の目を見張って気づけを見た
この時商兵は空を仰いでいる気づけの頭から豪光が指すように思った 商兵は気づけの顔を守りつつまた
気づけさん と呼びかけた
今度はさんと言ったがこれは十分の意識をもって故障を改めたわけではない その声が我が口から出て我が耳にいるや否や商兵はこの故障の不穏当なのに気がついたが
今更すでに出た言葉を取り返すこともできなかった はい
と答えた気づけもさんと呼ばれたのを不審に思うらしく 恐る恐る商兵の景色を伺った
商兵は少し間の悪いのを堪えていった いろいろのことを聞くようだがお前が今度島へやられるのは人を謝めたからだということだ
俺についでにその理由を話して聞かせてくれぬか 気づけはひどく恐れ入った様子で
かしこまりましたと言って小声で話し出した どうもどんな心得違いで恐ろしいことを致しまして何とも申し上げようがございません
後で思ってみますとどうしてあんなことができたかと自分ながら不思議でなりません 全く夢中で致しましたのでございます
私は小さい時に二親が自益でなくなりまして弟と二人後に残りました 初めはちょうど軒下に生まれた犬の子に不憫をかけるように町内の人たちがおめぐみ
くださいますので近所中の走り使いなどを致して 上小声もせずに育ちました
次第に大きくなりまして職を探しますにもなるだけ2人が離れないように致して 一緒にいて助け合って働きました
去年の秋のことでございます私は弟と一緒に 西陣の折り場に入りまして空引きということを致すことになりました
そのうち弟が病気で働けなくなったのでございます その頃私どもは北山の掘った手小屋同様のところに寝起きを致して神谷川の端を渡って
21:11
折り場へ通っておりましたが私がくれてから食べ物などを買って帰ると弟は待ち受けて いて私を一人で稼がせては済まない済まないと申しておりました
ある日いつものように何心なく帰ってみますと弟は布団の上につっぷしていまして 周りは血だらけなのでございます
私はびっくり致して手に持っていた竹の革づつみや何かをそこへおっぽりだして そばへ行ってどうしたどうしたと申しました
すると弟は真っ青な顔の両方の方からあごへかけて血に染まったのをあげて私を見 ましたがものを言うことができません
息を致すたびに傷口でヒューヒューという音が致すだけでございます 私にはどうも様子がわかりませんのでどうしたのだ
血を吐いたのかいと言ってそばへ寄ろうと致すと 弟は右の手を床について少し体を起こしました
左の手はしっかり顎の下のところを押さえていますがその指の間から黒い血の 塊がはみ出しています
弟は目で私のそばへ寄るのをとどめるようにして口を聞きました ようようものが言えるようになったのでございます
すまないどうぞ観忍してくれ どうせ治りそうもない病気だから早く死んで少しでも兄貴に楽がさせたいと思ったのだ
笛を切ったらすぐ死ねるだろうと思ったが息がそこから漏れるだけで死ねない 深く深くと思って力いっぱい押し込むと横へ滑ってしまった
歯はこぼれはしなかったようだ これをうまく抜いてくれたら俺は死ねるだろうと思っている
ものを言うのが切なくっていけないどうぞ手を貸して抜いてくれ というのでございます
弟が左の手を緩めるとそこからまた息が漏ります 私は何と言おうにも声が出ませんので黙って弟の喉の傷を覗いてみますと
何でも右の手に紙剃りを持って横に笛を切ったがそれだけでは死にきれなかったので そのまま紙剃りをえぐるように深く突っ込んだものと見えます
絵がやっと2寸ばかり傷口から出ています 私はそれだけのことを見てどうしようという試案もつかずに弟の顔を見ました
24:03
弟はじっと私を見つめています 私はやっとのことで
待っていてくれお医者を呼んでくるからと申しました 弟は恨めしそうな目つきを致しましたがまた左の手で喉をしっかり抑えて
医者が何になる 苦しい早く抜いてくれ頼む
というのでございます 私は途方にくれたような心持ちになってただ弟の顔ばかり見ております
こんな時は不思議なもので目がものを言います 弟の目は早くしろ早くしろと言ってさも恨めしそうに私を見ています
私の頭の中ではなんだかこう車の輪のようなものがぐるぐる回っているようで ございましたが弟の目は恐ろしい最速を止めません
それにその目の恨めしそうなのがだんだん険しくなってきてとうとう敵の顔をでも 睨むような憎々しい目になっています
それを見ていて私はとうとう これは弟の言った通りにしてやらなくてはならないと思いました
私は仕方がない 抜いてやるぞと申しました
すると弟の目ががらりと変わって晴れやかにさもうれしそうになりました 私は何でも人思いにしなくてはと思って膝をつくようにして体を前へ乗り
出しました 弟はついていた右の手を離して今まで喉を押さえていたての
肘男について横になりました 私は紙反りの絵をしっかり握ってずっと引きました
この時私の家から閉めておいた表口のとを開けて近所のばあさんが入ってきました 留守の間弟に薬を飲ませたり何かしてくれるように私の頼んでおいたばあさんなので
ございます もうだいぶ家の中が暗くなっていましたから私にはばあさんがどれだけのことを見たの
だかわかりませんでしたがばあさんはあ と言ったっきり表口を開け話にしておいて駆け出してしまいました
私は紙反りを抜くとき手早く抜こうまっすぐに抜こうということだけの用心は致しました がどうも抜いた時の手応えは今まで切れていなかったところを切ったように思わ
れました 歯が外の方を向いていましたから外の方が切れたのでございましょう
27:02
私は紙反りを握ったままばあさんの入ってきてまた駆け出していったのをぼんやりとして 見ておりました
ばあさんが行ってしまってから気がついて弟を見ますと弟はもう息が切れており ました
傷口からは大層な血が出ておりました それから年寄り臭がおいでになって役場へ連れて行かれますまで私は紙反りを様において
目を半分開いたまま死んでいる弟の顔を見つめていたのでございます 少しうつむき加減になって正米の顔を下から見上げて話していた木助は
こう言ってしまって視線を膝の上に落とした 木助の話はよく条理が立っている
ほとんど条理が立ちすぎていると言ってもいいくらいである これは半年ほどの間当時のことをいくたびも思い浮かべてみたのと
役場で問われ町部業所で調べられるその度ごとに注意に注意を加えてさらって 見させられたのとのためである
正米はその場の様子を目の当たりに見るような思いをして聞いていたがこれが 果たして弟殺しというものだろうか
人殺しというものだろうかという疑いが話を半分聞いたときから起こってきて 聞いてしまってもその疑いを解くことができなかった
弟はカミソリを抜いてくれたら死なれるだろうから抜いてくれと言った それを抜いてやって死なせたのだ
殺したのだとは言われる しかしそのままにしておいてもどうせ死ななくてはならぬ弟であったらしい
それが早く死にたいと言ったのは苦しさに耐えなかったからである
木助はその区を見ているに忍びなかった 区から救ってやろうと思って命を絶った
それが罪であろうか 殺したのは罪に沿いないしかしそれが区から救うためであったと思うとそこに疑いが
生じてどうしてもほどけぬのである
聖兵衛の心の中にはいろいろに考えてみた末に 自分よりも上の者の判断に任すほかないという年
大鳥亭に従うほかないという年が生じた 聖兵衛はお武行様の判断をそのまま自分の判断にしようと思ったのである
そうは思っても聖兵衛はまだどこやらに 腑に落ちぬものが残っているのでなんだかお武行様に聞いてみたくてならなかった
30:08
次第に老けてゆく朧世に沈黙の人二人を乗せた高瀬船は 黒い水の表を滑っていった
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