2023-03-17 09:29

#38 方丈記(ゆく河の)

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鴨長明の方丈記より、冒頭部分の鑑賞です。
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今回は、方丈記という作品について、ご紹介いたしましょう。
方丈記、こちらは、鴨野長明という方の書いた随筆となっております。
今回は、その冒頭の部分をご紹介します。
出典は、門川ソフィア文庫の方丈記からです。
では、まずは、お読みいたしましょう。
ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
淀みに浮かぶ泡沫は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と住かと、また核の如し。
魂の都のうちに棟を並べ、居高を争える。
高き、居屋敷、人の住まいは、余余を経て、尽きせぬものなれど、
これを誠かと尋ねれば、昔ありし家は生れなり。
あるいは、小ぞ焼けて、今年作れり。
あるいは、大家滅びて、小家となる。
住む人もこれに同じ。
ところも変らず、人も多かれど、
いにしえ見し人は、二三十人が中に、わずかに一人二人なり、
明日に死に、夕べに生るるならい、ただ水の泡にぞに足りける。
知らず、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る。
また知らず、仮の宿り、他が為にか心を悩まし、何によりてか眼をよろこばしむる。
その主と住かと無情争う様、いわば朝顔の梅雨に異ならず。
あるいは梅雨落ちて花残れり。
残るといえども朝日に枯れぬ。
あるいは花死を見て梅雨なお消えず。
消えずといえども夕べを待つことなし。
さあ、この部分ですけれども、こんな内容です。
行く川の流れは絶えずして、行く川、川の流れは絶えることなく、しかも元の水にあらず、しかも元の水ではない。
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淀みに浮かぶ泡は淀み、川なんかで水が停滞しているところというか、水溜りのようになっているところですね。
そこに浮かぶ泡は、あるものは消え、あるものは泡が生まれて、ずっとそれが続いていくというんですね。
ですから泡ができては消え、泡ができては消えを繰り返すと。
そして久しくとどまいたうためしなし、長くそのままでいる例なんていうのはないというんですね。
世の中にある人と住処とまた各のごとし。
世の中にいる人もまたその人が住む家もこのようなものであるというんですね。
魂の都のうちに、魂を強いたように美しい都の中に、
旨を並べ、いらかをあらそえる、高き、いやしき人の住まいと。
さまざまな家が都にはあります。
高い身分のものもありますが、いやし身分の人の家もあります。
そういった人の住まいというのは、代々経て尽きせぬものなれど、
だいだいどんどん伝わっていって、またあるものは新しく作られるものもありましょう。
これを誠かと尋ねば、これは本当ですかと尋ねてみると、
昔ありし家は稀ないと。
つまり、いつごろからそれは建てるんですかと言ったら、
昔からある家なんていうのは稀であると。
あるいは、小僧焼けて今年作れり。
小僧というのは去年のことですね。
ある者は去年焼けてしまって今年新しく作り直したと。
あるいは、大家滅びて小家となる。
ある者は大きな家が滅んで小さな家になってしまった。
住む人もこれに同じと。
要するに家が様々変わるものだということですよね。
ずっとあり続けるなんてことはなかなかないと言うんです。
これは様々な災害が一つの要因となっているということが伺えます。
またそこに住む人も同じであると。
ところも変わらず人も多かれど、
場所も変わらずに人も多いんだけれども、
いにしえ見し人は二三十人が中にわずかに一人二人ないと。
昔から知っている人なんていうのは、
二三十人いるとわずかに一人二人であると。
明日に死に夕べに生まれるならい。
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明日というのは朝のことです。
朝に死んで夕べに生まれる。
つまりあるものは朝死んで、あるものは夕べに生まれる。
なんていうふうにさっきの歌方と同じような感じですね。
水辺に浮かぶ泡と同じように人は死んだり生まれたりしていると。
それはただ水の泡にぞ似たりける。
水の泡に似ていると言うんですね。
知らず生まれ死ぬる人。
いずかたより来たりていずかたへかさる。
生まれて死んだ人がどこから来てどこへ行くのか。
それはわからないと言うんですね。
また知らず仮の宿り。
たがためにか心を悩まし、
何によりてかむうろこばしむる。
また仮の宿り。
ずっといる場所ではなくて、
人が住む家なんていうのは仮の宿りなんだってことなんですね。
これは実際に住む家もありますけれども、
この人生、人の世というもの自体もまた仮の宿りなんだと。
仮の家なんだよと言っております。
そんな中で誰のために。
たがというのは誰のために。
誰のために心を悩まして、
何によって目を喜ばせるのか。
つまりそういった悩むこととか喜びとか、
そういったことも一体、
誰のために何のためなのかと言うんですね。
所詮仮のこの世ではないかと。
その主と住処と無情を争う様。
いわば朝顔の露に異ならず。
その主、その住んでいる人ですね。
住んでいる人とその住んでいる住処、家ですね。
家が無情、それがずっとあり続けないんだってことは
争う様子はいわば朝顔の露に異ならず。
まるで朝顔の露のようだって言うんですね。
あるいは露落ちて花残ると言えども朝日に枯れぬと。
朝顔の花にのった露のようであると言うんですね。
あるものは露が落ちてしまって花だけが残っている。
また露は残っていっても今度は花の方が朝日の中で枯れていってしまうと言うんですね。
あるいは花しぼみて露なお消えずと。
花がしぼんで露だけが消えないで残っているということもある。
消えずと言えども夕べを待つことなし。
露が消えないとしても夕べを待つこともない。
つまり夜までは持たないですよねって言うんですね。
ですからこれは人間と住む家を表しているんでしょう。
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花というのが家だとしましょう。
またそこにのる露が人だとしましょう。
どちらにせよ人もこの露もそして家もこの朝顔の花も
無常常にはないのだ。
移どっていくものなのだよということが書かれている。
これがほうじょう記の最初の部分でございます。
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