00:04
寝落ちの本ポッドキャスト
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見ご感想は、公式Xまでどうぞ。
さて、今日は
坂口安吾さん
野坂中尉と中西伍長というテキストを読もうと思います。
これはですね、
1950年なので今から
75年くらい前ですか?
の1年間、文芸春秋に連載された
レポルタージュだそうで
70年以上前に文春があったのもすごいですけどね。
そこでいろいろ世相を切る
戦後間もない時期の世相を
切り取るみたいなことをなさっていたそうで
それを安吾口談
坂口安吾さんの安吾に口談は
口談詞のこうではなくて
ちまたという字を書いてね。
口談、噂話的な意味の口談とつけて
連載していたうちの一つを読もうかと思います。
内容はですね
共産党批判、それからコミュニフォルム批判
共産主義批判、ソビエト批判ということで
語気がだいぶ強いんですけど
淡々と読んでいこうと思います。語気強いなぁ。
それでは参りましょう。
野坂中尉と中西伍長
一人の部隊長があって作戦を立て
号令をかけていた。
ところがこの部隊長は
小隊長、中尉ぐらいのところで
これが日本共産党というものであった。
その上にコミュニフォルムという大部隊長がいて
中尉の作戦を批判して叱りつけたから
中尉は驚いてちょっと弁解しかけてみたが
3日も経つと全面的に降参して
大部隊長に謝ってしまったのである。
これは新日本イソップ物語
03:00
というようなものの一節には適している。
この教訓としては小隊長の上には大隊長がいるし
またその上に何隊長がいるかわからん。
軍人生活は味気ないものだ
という感傷的な受け取り方もあるだろうし
ライオンだって鉄砲に撃たれるぞ
という素朴な受け取り方もあろう。
各人各様、いろいろと教訓のある中で
教訓を受け付けないのが当事者
つまり日本共産党だけ。
これはイソップ物語というものの
暗示する悲しい宿命だ。
私はあらゆる思想を弾圧すべからずと考えていた。
現にそう考えているのである。
無政府主義だろうと共産主義だろうと
自由に流行させるに限る。
なぜならそれを選び批判し審判するのは
国民の自由だからである。
ところが現在の日本共産党は
そういうわけにいかない。
徳田中尉、野坂中尉という指導者が上にあって
だいぶ下の下になるが
除名された中西御朝という参議院議員など
さらにまたあんな閉塞に至るまで
順序よく配列されているわけだ。
中西御朝が面々と述べたてるところによると
週刊朝日1月29日号によると
党中央というものを党員が批判することができない。
批判すると反動だということになる。
たまたま中西御朝が独自の見解を述べて
それを党中央のお偉方に批判してもらおうと思ったら
徳田中尉はカンカンに怒って
御朝が2,3分喋り得たのに対し
中尉は2,30分喋りまくって吹き飛ばしてしまったそうだ。
また野坂中尉は白い目をギラリと光らせて
人睨みくれただけであったが
それは若雑め、生意気言うな
という意味らしかったよしである。
中西御朝の独自の見解は
お偉方に聞いてもらえないばかりでなく
赤旗も前衛も
彼の論文をボイコットして載せなくなったので
やむを得ず党外の雑誌へ発表すると
反動通信網と結託したというレッテルを貼られてしまった。
以上は中西御朝の一方的な打ち明け話であるから
そのまま信用するわけにはいかない。
06:02
けれども党中央というものを
党員が批判することができないということは
中西御朝の打ち明け話を聞かなくともはっきりしている。
仮に批判ができたとしても
そんな批判が何の足しにもならないことがはっきりしているのである。
なぜなら本当に党中央を批判し
審判し得るのは公民フォルムだからだ。
もしくはまた多くの大減衰だけだからだ。
日本共産党がどんなに巧妙な言辞を漏して
自分は公民フォルムに連続しているわけではない
などと国民を説得しようと計画したところで
どうにもならない。
一括にあうや負け犬のように尻尾をたれて降参したではないか。
株の批判に白い目を向く者のみの重つ丈夫に対する弱さ
無力を暴露しているだけだ。
自己主張はどこにもない。
そして言い方が面白い。
自己批判した結果
公民フォルムの批判が正しいことを知ったとくる。
すでに自己批判の上生産していたとくる。
結局日本共産というものは
公民フォルムの批判を受けると
直ちに自己批判して降参せざるを得ないのである。
独自の見解を主張すれば
彼らが中西御朝を除名したように
今度は自分が公民フォルムから除名されるだけのことだ。
挙句の果ては武力振興の良い餌食となるだけだ。
日本共産党は
民族独立とか植民地化を防げ
などと謳っているが
公民フォルムの一括に尻尾を垂れるものに
民族独立があるものではない。
彼らの性格ははっきりしている。
公民フォルムの植民地だ。
この植民地には自主がない。
国民は選ぶことも批判することも
審判することもできないのである。
党中央に対して
公民フォルムの批判と命令が絶対であるように
国民は党中央にただ服従する以外に手段がない。
共産党はマルクス霊人主義が絶対であり
他の主義思想を許さない。
現に日本共産党は
その議会主義的な傾向を批判され
尻尾を垂れているのだ。
国民が自分の思想を自由に選び
09:01
正当を批判し
審判することを許さぬような
暴力的な主義というものは
自由人と共存するものではない。
我々の軍部がそうであったように
彼らもファシズムであり
排球はあるが自由は許さない。
批判も許されない。
共産党ぐらい矛盾したことを
平然と述べたてる偽善者はいないだろう。
彼らは人間の解放だとか
個人の自由を問えているのだから笑わせる。
日本共産党自体が
コミンフォルムに対して
既に自己の自由を失っているのではないか。
独自の見解を立てれば
マルクス霊人主義の原則によって
批判され除名され
挙句は武力的に原則に従わしめられるのがオチだ。
私が彼らを軍人になぞらえたのは
ごくごく主導だろう。
軍人も命令を批判することは許されない。
それが間違いと知っても
服従の義務あるのみであった。
ソビエトは知性の低い国だ。
それはナホトコから帰還してくる人々への
彼らの教育の仕方を見れば一目瞭然だ。
私はしかしまるで敵前上陸するような憎悪を持って
祖国へ帰還する人々を罵ろうとは思わない。
彼らは飛雲であっただけだ。
彼らはもともと平和な庶民として育った人で
戦争などが好きなはずではなかったであろうが
農村や工場や学校から
嫌悪なしに戦野へ駆り出され
国民儀礼団の服従、忠誠などを
ビンタの絆創で仕込まれた人たちだろう。
国民儀礼の代わりにインターナショナルの合唱を
天皇の代わりにスターリンを
皇祖や忠孝の祖の代わりに
マルクス・レーニンをすり替えただけで
このすり替えは簡単だったはずだ。
この素地は日本の軍部が作ってくれたのである。
少なくとも軍人指導下の日本よりも
ソビエトの方がマシなのは明らかだろう。
働く者には給与がある。
それは軍部指導下の日本も同じことで
帰って人手が足りなくて困ったほどだが
賢美に多忙なソビエトに人手が欲しいのは当然だ。
盆踊りに毛の生えたような踊りや
12:01
農村でも見ることのできる映画館や
その程度のものにも彼らが日本以上の文化を感じたのは自然であろう。
彼らが反動を吊るし上げるのも
根は日本の軍部が仕込んだ技だ。
私は先日コン・ヒデミの
私はフィリピンの不老者だった
を読んで
彼のなめた心酸の大きさに痛ましい思いをさせられたが
彼がようやくフィリピン島を脱出して台湾へたどり着き
新聞記者団にフィリピン敗戦の惨状を告げたら
敗戦しそうだと言ってぶん殴られたそうである。
自分の件また自ら経験した真実を語ってもいけないのだ。
しかも殴ったのは新聞記者だ。
私も同じような経験をした。
私は日英というところの食卓をしていたが
そこの人たちは軍人よりも好戦的で
発光一流的だとしか思われなかった。
ところが敗戦と同時に
さっと共産党的に塗り替わった走りの一つがこの会社だから
笑わせるのである。
コン・ヒデミを殴った新聞記者も
案外今頃は共産党かもしれないが
それはそれでいいだろうと私は思う。
我々庶民が自由に動くのは自然で
いつまでも発光一流の方がどうかしている。
発光一流という馬鹿げた神話に比べれば
マルクス例人主義がずっと理にかなっているのは当然で
こういう素朴な転向の素児も
軍部が作っておいたようなものだ。
シベリアで発光一流の馬鹿話から
マルクス例人主義へすり替わった彼らはむしろ素直だと言っていいだろう。
こういう素朴な人たちに比べれば
老舎で今も国民儀礼をやっている大関連は
国慶千万であるし
小高齢がマルクス例人主義に白い目を向け
スターリーへの感謝を拒んで英雄的に帰還するのも
見上げた振る舞いだとは思われない。
彼らは戦争中は特権階級で
国民や兵隊の犠牲において
株の批判を絶した世界で
豪然と服従を要求し
奉食し
自由を協力していた。
こういう特権階級から見て
シベリアの生活が不自由であり
不服であるのは当然でもある。
15:03
彼らが敗戦の責任を感ぜずに
毅然たる捕虜の態度を保つことによって
国威を専用していると考えているとしたら
呆れた話である。
敗戦というこの事実に混乱しない証拠がいたら
人間ではなくてデクだ。
まだ優越を夢見ているとしたら
アホである。
いやらしいと思うのは
そんな教育の仕方をするソビエトの
知性の低さであり
抗戦的な暴力主義である。
日本の軍部が占領地で
発効位置を押し付けたのと
同じ知性の低さである。
どんな思想も
どんな政党も発政に任せ
国民がそれを自由に批判し
選び
審判さえできれば
国家が不健全になるはずはない。
しかし国民の批判や審判を
拒否する政党というものの存在を許したら
もうおしまいだ。
ナホトカ軍の敵前上陸や
コミンフォルムの批判と対抗するように
天皇一家が新聞雑誌の主役になり出してきたのは
軽がすべきことではない。
将来何になりたいか
という質問に
私は天皇になる
と答えたという皇太子は
その教育者の貧困さが思いやられて
哀れである。
これはナホトカ組が
祖国への敵前上陸を教育されているのと
既往逸にする絶対主義の教育であり
神がかりの教育でもある。
教育された皇太子の罪ではない。
この敗戦に懲りもせず
まだこんな教育をする連中の
どしがたい知性の低さが問題だ。
日本の今日の悲劇は
いわば天皇制のもたらした罪であるが
しかし天皇制には罪があっても
天皇には罪がない。
天皇制は彼が選んだものではなく
ただそのような偶像に教育されただけであった。
しかし彼はともかく
無条件降伏の段を下した。
秦の身はどのようになろうとも
と彼は叫んでいるではないか。
そこにあふれている善意は尊い。
天皇ほどではないにしても
18:02
偶像的に育てられた旧家の子供はたくさんいる。
しかしたとえ我が身はどうなろうとも
という善意をもって
没落の締めくくりをつけうる善良な人間が
たくさんいるとは思われない。
おそらく広人天皇という偶像が
天皇の名において自分の意思を通したのは
この時が一度であったかもしれないが
これをもっと早い時期に主張するだけの
決断と勇気があれば
彼は善良な人間であると同時に
さらに聡明なと付け加え得る人間であったであろう。
彼は人間を宣言したし
その側近の馬鹿者が
しょうこりもなく作り出した天皇服という
賃な制服も
近頃は着ることがないようである。
しかしながら筒裏裏を大行列で
練り歩いているところなどは
しょうこりもない話で
これを迎える群衆も狂気の沙汰だ。
こういう国民の狂気の沙汰は
国民も内政すべきであるが
しかしそれ以上に
天皇自身が内政しなくてはならない。
天皇の名において
数百万の人々が戦没しているではないか。
彼が偶像に仕立てられた狂気の沙汰が
それをもたらしたのである。
幸福にあたって大いなら善意を示し
人間を宣言した彼は
まずかかる国民の狂気の沙汰を悲しみ
抵抗するところから出発するのが当然だ。
私は天皇になる。
などと敗戦の悲劇も悟らず
身の毛もよだつようなことを言う皇太子に
拙かりし過去の我が身。
天皇の巨名を考えて
誰よりも多く身の毛をよだててくれるのが
父親たる天皇自身でなければならないだろう。
好感伝うるところによれば
天皇は聡明であり
軍部に対しても釘を刺したというが
最後の段を除いては
釘を刺した皇家らしいものは
全然見当たらないではないか。
去年だかの旅行先で
どこかの社長が
社の理想を長々と述べたに対して
どうぞその通りにやってください
と答えたそうだが
その程度のありふれたアイロニーは
劣等性でも言えることだ。
現に側近の馬鹿者が
戦前に劣らぬ偶像崇拝的を
祭り騒ぎに取り掛かり
21:01
彼がそれにほとんど
抵抗を示していないところを見れば
彼の聡明さや
軍部への抵抗は
側近の作りごとで
彼は善良な人間ではあるが
聡明な人ではないと
判断してもよかろうと思う。
再び集団的な国民発狂が
近づいているのである。
一方に
那覇とかから祖国へ
適然上陸する
集団発狂者があり
コミュニフォルムの批判に
尻尾を垂れて
色を失う集団発狂者がある。
この集団発狂は
彼の力ではどうにもならない。
しかし一方に
彼を再び偶像に仕立てて
国民儀礼や
発行一部の再生産に
乗り出しそうな
集団発狂が
つず裏裏に
発生しかけているのである。
この集団発狂は
彼個人の意思によって
未然に防ぎうる性質のものだ。
全ての病気の治療というものは
初期のうちに
行わなければ手遅れとなる。
日本の都会が
あらかた焼けの肌になり
原子爆弾が落とされてからでは
その善意は尊重すべきである
にしても
手遅れの難は免れない。
今のうちなら
右翼ファッショの再興を
彼個人の意思によって
防ぎうるのだ。
彼がよりつつましく
人間になりきることによって
それを成し遂げる気配もないから
彼は明らかに聡明ではない。
むしろ側近の図るがままに
かかる危険を助成している
ありさまであるから情けない。
忠勇な国民を多く殺して
自分の体が張り裂ける思いである
という
あの文章は
人が作ってくれたものであるにしても
あれを読み
あれを叫んだときの彼の涙は
彼の本心であり
善意そのものであったはずだ。
彼はすでにそれを忘れたであろうか。
私は祖国を愛していた。
だから祖国の敗戦を見るのは
切なかったが
しかし
祖国が敗れずに
軍務の正義が続き
国民儀礼や
発効一遇に縛られては
これまたやりきれるものではない。
私はこの戦争の最後の戦場で
多分死ぬだろうと覚悟を決めていたから
24:01
諦めの良い野獣馬であり
徹底的な戦争を見物人に過ぎなかったが
正直なところ
日本が負けて
軍人と国民儀礼と
発効一遇が消えてなくなる方が
拙者の死んだ後の日本は
かえって良くなると信じていました。
もっと正直に言えば
日本の軍人に勝たれては助からないと思っていました。
国民儀礼と発効一遇が世界を征服するなんて
そんな茶番が実現されては
人間そのものが助からない。
私の中の人間が
発効一遇や国民儀礼の
妄眉、狂信、無礼に対して
生きどるのは自然であったろう。
私の希望が不思議に実現して
軍人と発効一遇と国民儀礼が
日本から消え失せてしまったが
人間が復活
いや、誕生してくれるかと思うと
どっこい層は豚野が下ろさない。
国民儀礼の代わりに
赤旗を振ってインターナショナルを合唱し
発効一遇の代わりにマルクス例人主義を唱えて
論理の代わりに
自己批判という言葉や
叱り、賛成、反動という
叫び方だけを覚えてきた学者犬が
敵前上陸してきた。
天皇は人間を宣言したが
一向に人間になりそうもなく
深刻天皇を狂信する
群衆の熱度も増すばかりである。
どっちへ転んでも再び人間が
締め出しを食うより他に
仕方がないという弾劾へ
追い詰められそうになってきた。
米蘇の対立とか
米蘇戦ということについては
私にはとても見当がつかない。
なぜなら原子爆弾という
前代未聞の怪物が介在して
在来の通年を遮っているからである。
けれども二大国の対立が
不発のままで続くことによって
その周辺の小国は
続々大乱下の危険があるようだ。
コミンフォルムの日本共産党批判は
その方向への一歩前進を暗示しているし
それに対して右翼もますます組織され
先鋭化する形勢にあるようだ。
27:02
日本が占領軍から撤退すると
内乱的な対立は立ちどころに激化しそうだ。
私は内乱など好ましいとは思わないが
その犠牲で未来の希望が持てるなら
まだしも救いはあるだろう。
しかし左右両翼
どっちの天下になったところで
ファシズムの急坂を
転がり落ちていくだけのことだ。
強小な耕地面積と乏しい天然資源
おまけに人口は8000万を超して
否認薬の流行にもかかわらず
1億を超すに長い年月を要せずという
盛大な繁殖率を示している。
400年前に捉えしたザビエルが
すでに日本人の勤勉さと
国土の貧しさ
食生活の貧しさに驚いているのだ。
戦国時代のせいだけではない。
徳川時代の農民一揆の場合などでも
武士が贅沢していたという例は珍しく。
江戸・大阪に若干の繁栄があったほかは
国土の貧しさと人口の多さによって
支配階級の武士すらも
もっぱら執筆貢献を胸とせざるを得なかったのである。
台湾、朝鮮、カラフトと
明治以降の日本は領地を稼ぎ
大軍備を誇って
世界三大強国などと言っていたが
その生活水準の低さというものは論外で
フィリピン以上のものではなかった。
これは驚くべき事実であるが
日本の歴代の内閣が
国民の生活水準を高める
ということを政策に掲げたことがない。
ヒトラーでも
労働者に鉄筋コンクリートの住宅を
自動車をと約束したが
日本の異性者は
待望、金券、執筆貢献を
説教することをもって
国民への任務と考えていたようである。
食うものを食わずに
戦備を整えて
目的がどこにあるのか
見当もつかないけれども
こういう主導理念の混乱は
日本共産党にもある。
正しいプロレタリアであるには
貧乏な生活をしなければならぬ。
一昔前のプロレタリア理念は
30:01
明確にそうであり
貧乏を誇りにさえしていた。
生活水準を高めるよりも
低めるために
努力していたようでさえあった。
そして高度の娯楽は
ブルジョア的であるとし
工場や農村の困窮や
娯楽も文化もない方向へ
人々を引き抜けることを
目的としていたようであった。
これは今日では払拭されたようであるが
洗練されたものよりも素やの方へ
デリケートなものよりも無神経の方へ
生活形態の方向を
推し進めようとしていることは争えない。
それは軍部が言論同様
芸術にも統制を加えて
彼らに理解し得る言動をもって
文化の水準とし
彼らに理解し得ない高さのものを
欧米的だとしたことと
全く同一である。
野坂中尉は
1月25日の質問演説において
自衛権の裏に軍事協定があること
外国資本による日本経済の売弁化を
暴露して出たが
公民フォルムの野坂批判によって示された
その歴史の大きさを見れば
共産党が日本の政権を握った場合に生じるものが
吉田内閣における軍事協定や
売弁化の比ではないことがわかる。
なぜなら日本共産党は
公民フォルムの完全な傀儡
手先に過ぎないからで
その圧力を拒否する場合に起こるものは
武力侵略であり
いずれにせよ
公民フォルムの意のままに
自己批判せざるを得ない宿命にあるからである。
日本の軍部のように
法一流と国民儀礼のような
神話時代の文化しか持ち合わせがなく
自分の貧乏やマイナスを
占領地帯へ分かち与えるようなやり方では
占領されたい人たちが大迷惑であるが
ソビエトの場合がまたそうである。
ともかく欧米諸国においては
植民地を独立させる方向へ傾きつつある。
彼らにとっては侵略戦争史というものが
長い歴史を割って別の方向へ向こうとしている。
それは文化と野生の長い争いの結果
33:02
到達した結論でもあるのである。
ところがソビエトの場合はアベコベだ。
日本と同じように領土を広げる必要があるのである。
日本と同じように彼もまた貧乏であり
自分の国だけでは植物も不足、
開発の設備も不足、工場も不足だからだ。
同じ占領されるにしても
こういう国に占領されるのは喜ぶべきことではない。
困ったことにはチンギス藩や満州国金のように
文化の低い国が戦争では強いようなことが
大いにあり得るからがっかりする。
ロシアも原子爆弾は作ったが
文化や知性や生活の水準は日本と変わりのない国だ。
ヨーロッパの田舎であり
農土から労働者へ一桁上がったばかりの国である。
日本人の生活水準の向上ということは
いかなら独裁政党が勝利を占め
理解政治を否定し
特権階級をなくし
民族独立して強力な独裁政治を施しても
どうにもならないものだ。
問題は
1億近い人口が
強小な工作面積と
乏しい天然資源しか持ち合わせないという
特殊な国情にあって
誰がやっても外国貿易に活路を見出す以外には
仕方がない。
吉田首相をあっさり保守反動と決めつけるけれども
彼の直見感銘な判断には見るべきところがあり。
初月頃発表した談話に
管理を減らせば国民の負担が軽減する。
まず管理を減らすのが第一だ。
というのは
共産党が天下を取ったにしても
日本の国情としてはそうせざるを得ないのが当たり前だ。
軍人らの官効率というもの。
また事務系統を減らして
生産面の各部門を拡充し
それも首都して貿易の生産面に振り向ける以外に
生活水準を高める実質的な方法はありえないはずだ。
それとも共産党の場合には
彼らが天下を取った暁
36:02
共産諸国の協力や援助を受けるものだと予定しているとしたら
甘いというか悲劇的な頭の悪さであろう。
人の踏んどしで相撲を取るのは日本古来の特技であった。
戦国時代の攻防は
朱として人の踏んどしを当てにして行われ
昭和の軍部は
ドイツの踏んどしを当てにして失敗してしまった。
今日右翼最高の機運も
おおむね人の踏んどしを当てにしての産養から割り出された
狡猾で頭の悪い多誤作論理の発展のようであるが
こういう手合いの軽率で
虫の良すぎる旨産養は猛毎極まり
悲劇そのものでもあろう。
要するに左右いずれの天下となっても
我々に押し付けられるものは
彼らの無知猛毎な誤算だけで
しかもそれをことするに
言論や批判の自由を弾圧して
身勝手な割り当てを強要するだけのことであろう。
私は敗戦後の日本に
二つの優秀なことがあったと思う。
一つは農地の開放で
一つは戦争放棄という新憲法の一項目だ。
農地開放という無欠大革命にもかかわらず
日本の農民は全然その受け取り方を謝ってしまった。
組織的、計画的な受け取り方を忘れて
単に利己的に、明明勝手な処分に出て
あれほどの大革命を無意味なものにしまったのである。
ここには明らかに
共産党や無産政党の頭の悪さが暴露されており
人の与えた稀有なものを
有効に摂取するだけの能力が欠けていたのだ。
戦争放棄という
世界最初の新憲法を作りながら
近頃は自衛権を唱え
これも怪しいものになってきた。
吉田首相は
管理の減少を国民負担の第一条件と断定しながら
軍備を予定しているとしたら
辻妻の会うぬことおびただしいではないか。
軍人一人と管理一人では
国民の負担の大きさが違う。
軍人一人には装備という大変な重荷がついている。
39:03
原子爆弾時代に鉄砲一つの兵隊ならない方がよろしい。
戦車でもおかしい。
要するにない方がよろしい。
無抵抗主義というものは
決して貧乏人のやむを得ぬ方法のみとは限らないものだ。
戦争中に反戦論を唱えなかったのは
自分の懺悔するところだなどと
自己反省する文化人が相当いるが
あんな時に反戦論を唱えたってどうにもなりやしない。
自主的に無抵抗を選ぶ方が
かえって高度の自制と余裕を示しているものだ。
ガンジーの無抵抗主義も私は好きだし
中国の自然的な無抵抗主義も面白い。
中国人は黄河の洪水と同じように侵略者を受け入れて
無関心に自分の生活を営んでいるだけのことだ。
彼らは蒙古人や満州人の暴力にあっさり負けて
その統治下に属しても
結局統治者の方が非統治者の文化に同化させられているのである。
こういう無関心と無抵抗を
国民の知性と文化によってつかみ出すことは
決して弱者のやりくり算段というものではない。
侵略したがる連中よりも
遥かに高級な、商用さるべき事業である。
こういう例は日本にもあった。
徳川時代の江戸・大阪の長人がそうだ。
彼らは支配者には無抵抗に
自分の生活を楽しみ
支配者よりも数党上の文化生活を送っていた。
そして支配者の方が長人文化に同化させられていたのである。
戦争などというものは勝っても負けてもつまらない。
いたずらに人命と物量の消耗に過ぎないだけだ。
腕力的に負けることなどは恥でも何でもない。
それでお気に召すなら何度でも負けてあげるだけさ。
無関心、無抵抗は仕方なしの最後的方法だと思うのが間違いの下で、
これを自主的に、知的につかみ出すという高級な事業は
どこの国もまだやったことがない。
42:01
モンゴルの大侵略のごとき者が新しくやってきたにしても
何も神風などをあてにする必要はないのである。
知らん顔をして来たりに任せておくに限る。
婦女子が侵されて愛の子が何十万に生まれても無関心。
育つ子供はみんな育ててやる。
日本に生まれたからにはみんな劣気とした日本人さ。
無抵抗主義の知的に確立される限り、
じゃがだらぶんの悲劇などはあるはずもないし、
負けるが勝ちの論理もなく、
小さなアイロニーもひねくれた優越感も必要がない。
要するに、無関心、無抵抗、
暴力に対する唯一な知的な方法はこれ以外ない。
ちっぽけな自衛権など全然無用の長物だ。
与えられた戦争放棄を意識的に活用するのが他のいかなる方法よりも履行だ。
しかし、好んで侵略される必要はない。
左右両翼の対立などはどっちが政権を取っても馬鹿げたことになるだけのことで、
我々の努力によって避けるものは避けた方が良いに決まっている。
しかし我々に防ぎようもない暴力的な侵略が始まったら、
これはもう無抵抗、無関心。
お気に召すまま知らん顔の反米に限る。
戦争などということがつまらぬものであるということは、
すでに利口な人たちはみんな知っているはずであるし、
やがてあらゆる指導者がそれを納得するのも遠いことではないだろう。
仮に世界中を征服してみたまえ。
征服しただけ損したことがわかってくる。
結局全部の面倒を見るか、手を引く以外に仕方がないだろう。
その時になって光を放つのが無抵抗、無関心ということだ。
しかし意識的な無抵抗主義に核べからざる一つのことは、
国民全部が生活水準を高めるという唯一の目的を見失ってはいけないということだ。
衣食衆の水準のみでなく、文化水準を高めること。
45:03
その唯一の目的のためにのみ、我々の総力を集結するという課題さえ忘れなければ、
どこの国が侵略してきて、婦人が強姦されて、
男がいじめられ、故気使われても、我関せず無抵抗。
戦争に比べてどれぐらい健全な方法だか知れない。
我々の文化に、生活の方法に、独自な、そして高価なものがあるとすれば、
いずれは戦法が同化して、一つのものになるだろう。
我々はそれを待つ必要もないし、期待する必要もない。
我々は無関心、無抵抗に与えられた現実の中で、
自分自身の生活を常に最も楽しむことだけ心掛けていればいいのである。
結局、人生というものはそれだけではないか。
社会人としては、総合に生活水準を高める目的のために義務を果たし、
また自分自身の生活を楽しむことだ。
せっかちな理想主義が、何より外読を流すのである。
国家百年の体系などというものを仮定して、無理なことをやるのが間違いのもとだ。
人のやる分までせっかちにやろうというのがもってのほかで、
自分のことを一年ずつやればたくさんだ。
命名がその職域で、少しでも人の役に立つことをしてあげたいと心掛けていれば、
マルクス霊人主義の実践などより、どれくらい立派だか知れやしない。
人の脳は仕方がないから、心掛けても、人に何にもしてあげられなくてもかまわんのさ。
そしてその次に、自分だけの楽しい生活を、
人の邪魔にならないように、最も効果的に楽しむことを生まれてきたための日課だと心得ることだ。
負けて手足をもぎ取られて仕方がないなら、
無抵抗主義を唱えるわけではありません。
1998年発行 筑波書房 坂口安吾全集 08より読み終わりです。
前半大変に語気が強い文章が続いたので、
後半トーンダウンさせていくのに苦労しましたが、
48:03
今回でも結構長かったですね。
これだけ長ければ、寝落ちできていたのではないでしょうか。
ということで、本日のところはこのへんで、また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。