1. 寝落ちの本ポッドキャスト
  2. 033夏目漱石「正岡子規」
2024-05-30 17:25

033夏目漱石「正岡子規」

033夏目漱石「正岡子規」

二人は親友だったそうです。ぼくも地元に一人だけ親友がいますが、二人の関係に似てぼくが言いなりになっていることが多いです。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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寝落ちの本ポッドキャスト
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見ご感想は、公式Xマでどうぞ。
さて今日は、
夏目漱石の
正岡子規という
テキストを読もうと思います。
大親友だったそうですよ。
正岡子規。
なんか横顔というか斜めからのアングルの
坊主のちょびひげの写真のイメージが強いですけど、
親友だったそうです。
その親友について語っているので、ちょっと読んでいこうかと思います。
それでは参ります。
正岡子規。
正岡のクイージの張った話か。
ははは、そうだな。
なんでも僕が松山にいた自分。
四季は品から帰ってきて、僕のところへやってきた。
自分の家へ行くのかと思ったら、自分の家へも行かず、
親族の家へも行かず、ここにいるのだという。
僕が承知もしないうちに、とうに一人で決めている。
ご承知の通り、僕は上野の裏座敷を借りていたので、
二階と下、合わせて四間あった。
上野の人がしきりに止める。
正岡さんは肺の病だそうだから、伝染するといけない。
およしなさいとしきりに言う。
僕も多少気味が悪かった。
けれども断らんでもいいと構わずに置く。
僕は二階にいる。
大将は下にいる。
そのうち松山中の俳句をやる文科生が集まってくる。
僕が学校から帰ってみると、毎日のように大勢来ている。
僕は本を読むこともどうすることもできん。
もっとも当時はあまり本を読む方でもなかったが、
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とにかく自分の時間というものがないのだから、やむを得ず俳句を作った。
それから大将は昼になると皮焼きを取り寄せて、ご承知の通りピチャピチャと音をさせて食う。
それも相談もなく、自分で勝手に命じて勝手に食う。
まだ他のごちそうも取り寄せて食ったようであったが、僕は皮焼きのことを一番よく覚えている。
それから東京へ帰る自分に、
君払ってくれたまえ、と言って済まして帰って行った。
僕もこれには驚いた。
その上、まだ金を貸せと言う。
何でも10円かそこら持って行ったと覚えている。
それから帰りに奈良へ寄って、そこから手紙をよこして、
音釈の金数は当時においてまさに使い果たし僧侶とか何とか書いていた。
おそらく一晩で使ってしまったものであろう。
しかしそのまえは、しじゅう僕のほうがごちそうになったものだ。
そのうち覚えていることを一つ二つ話そうか。
真相家という男は、一向学校へ出なかった男だ。
それからノートを借りて、移すような手数をする男でもなかった。
そこで試験前になると、僕に来てくれと言う。
僕が行って、ノートをだいりゃく話してやる。
あいつのことだから、ええかげんに聞いて、ろくにわかっていないくせに、
よしよしわかった、などと言って、生のみこみにしてしまう。
その自分は、とき若い寄宿舎にいたものだから、
地獄になると食堂で飯を食う。
あるとき、また来てくれと言う。
僕がそのとき返事をして、行ってもええけれど、
また鮭で飯を食わせるからいやだと言った。
そのときは大いにごちそうをした。
鮭をやめて、近所の西洋料理屋か何かへ連れて行った。
ある日突然手紙をよこし、
大宮の公園の中の晩章庵にいるからすぐ来いと言う。
言った。
ところがなかなかきれいな家で、
大正を奥座敷にじんどって威張っている。
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そうしてそこで、うずらか何かの焼いたのなどを食わせた。
僕はその形勢を見て、
正岡は金がある男と思っていた。
ところが実際はそうではなかった。
身のしろをみな食いつぶしていたのだ。
その後、熊本にいる自分、
東京へ出てきたとき、
神田川へ表邸と三人で行ったこともあった。
これはまだ正岡の足の立っていた自分だ。
正岡の食い意地の張った話というのは、
もうこれくらいほか思い出せぬ。
あの駒米追い訳お食いの庭内におった自分は、
一軒別棟の家を借りていたので、
下宿から飯を取り寄せて食っていた。
あの自分は月の都という小説を書いていて、
大いに得意で見せる。
その自分は冬だった。
大将、接鎮へ入るのに火鉢を持って入る。
接鎮へ火鉢を持って行ったとて、
当たることができないじゃないかというと、
いや、当たり前にすると金隠しが邪魔になっていかぬから。
後ろ向きになって、
前に火鉢を置いて当たるのじゃという。
それでその火鉢で牛肉をジャージャーにて食うのだからたまらない。
それからその月の都をロハンに見せたら、
美山、サザナミの日でないとロハンも言ったとか言って、
自分も非常に偉いもののように言うものだから、
その自分何もわからなかった僕も偉いもののように思っていた。
あの自分から正岡にはいつもごまかされていた。
ハックも近来ようやく悟ったとか言って、
もう恐ろしいものはないように言っていた。
相変わらず僕は何もわからないのだから、
小説同様偉いのだろうと思っていた。
それからしきりに僕にハックを作れと強いる。
その家の向こうにささやぶがある。
あれを杭にするのだ。
ええか?とか何とか言う。
こちらは何とも言わぬに向こうで決めている。
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まあ古文のように人を扱うのだな。
また正岡はそれより前監視をやっていた。
それから一録風か何かの書体を書いていた。
その頃僕も詩や漢文をやっていたので、
大いに彼の一産を博した。
僕が彼に知られたのはこれが初めであった。
ある時僕が坊主に行った時の非公文を漢文で書いて、
その中にくだらない詩などを入れておいた。
それを見せたことがある。
ところが大将、頼みもしないのに罰を書いて起こした。
何でもその中に英語を読むものは漢籍ができず、
漢籍のできるものは英語は読めん。
我が兄のごときは千万人中の一人なり、
とか何とか書いていった。
ところがその大将の漢文たるや、
はなはだまずいもので、
新聞の論説の金を抜いたようなものであった。
けれども詩になると彼は僕よりもたくさん作っており、
標則もたくさん知っている。
僕のは整わんが彼のは整っている。
漢文は僕の方に自信があったが、
詩は彼の方がうまかった。
もっとも今から見たらまずい詩ではあろうが、
まずその自分の程度でまとまったものを作っておったらしい。
確か内藤さんと一緒に詩集やっていたかと聞いている。
彼は僕などより早熟で、
いやに哲学などを振り回すものだから、
僕などは恐れをなしていた。
僕はそういう方に少しも発達せず、
まるでわからんところへ持ってきて、
彼はハルトマンの哲学書か何かを持ち込み、
だいぶ振り回していた。
もっとも厚い同一書で外国にいる加藤恒忠に送ってもらったもので、
ろくに読めもせぬものをしきりにひっくり返していた。
幼稚な正岡がそれを振り回すのに恐れをなしていたほど、
こちらはいよいよ幼稚なものであった。
妙に気ぐらいの高かった男で、
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僕なども一緒にやはり気ぐらいの高い仲間であった。
ところが今から考えると、
両方ともそれほど偉いものでもなかった。
と言っていたずらに吹き飛ばすわけではなかった。
当人は事実を言っているので、
事実偉いと思っていたのだ。
教員などはめちゃくちゃであった。
同級生などもめちゃくちゃであった。
非常に好き嫌いのあった人で、
めったに人と交際などはしなかった。
僕だけどういうものか交際した。
一つは僕の方がええ加減に合わせておったので、
それも苦痛ならやめたのだが、
苦痛でもなかったから、
まあできていた。
こちらがむやみに自分を立てようとしたら、
とても円滑な交際のできる男ではなかった。
例えばハックなどを作れと言う。
それを頭からけなしちゃいかない。
けなしつつ作ればよいのだ。
策略でするわけでもないのだが、
自然とそうなるのであった。
つまり僕の方が人が良かったのだな。
今マサオカが元気でいたら、
よほど二人の関係は違おたろうと思う。
もっともその他、
半分は性質が似たところもあったし、
また半分は趣味のあっていたところもあったろう。
もう一つは向こうのガト、こちらのガトが、
むちゃくちゃに衝突もしなかったのでもあろう。
忘れていたが、
彼と僕と交際し始めたもう一つの原因は、
二人で予選の話をしたとき、
先生も大いに予選痛をもって認じている。
ところが僕も予選のことを知っていたので、
話すに足るとでも思ったのであろう。
それから大いに近寄ってきた。
彼は僕には大抵なことは話したようだ。
その上一には省く。
とにかくマサオカは僕と同じ年なんだが、
僕はマサオカほど熟さなかった。
ある部分はバンジが弟扱いだった。
したがって僕の相手知れない人の悪いことを平気でやっていた。
すれっからしであった。
かっこ悪い意味で言うのではない。
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また彼には政治家的のアンビションがあった。
それでしきりに演説などもやった。
あえて緊張するに足るほどの脳弁でもないのに、
よくのさばり出てやった。
つまらないから僕ら聞いてもいないが、
先生得意になってやる。
何でも対象にならなければ承知しない男であった。
二人で道を歩いていても、
きっと自分の思う通りに僕を引っ張り回したものだ。
もっとも僕がぐーたらであって、
こちらへ行こうと彼が言うと、
その通りにしておったためであったろう。
一時マサオカが駅を建ててやると言って、
これも頼みもしないのに占ってくれた。
畳一畳ぐらいの長さの巻紙に何か書いてきた。
何でも僕は教育家になってどうとかするということが書いてあって、
他に女の子とも何か書いてあった。
これは冷やかしであった。
一体マサオカはむやむに手紙をよこした男で、
それに対する分量はこちらからもやった。
今は残っていないが、いずれもぐなものであったに相違ない。
1972年発行。
ちくま書房。
ちくま全集累十版。
夏目漱石全集十。
より読み終わりです。
今日はちょっと短かったですね。
最後の占いが教育者になるわけですもんね。
この後漱石は当たってたのではないかなという。
二人揃って筆豆だったというお話でした。
ちょっと短いので、今日のところは値落ちできているか、
はなはだ疑問ではありますが、
今日のあたりはこの辺で、また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。
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