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2024-06-06 27:27

035田山花袋「女の温泉」

035田山花袋「女の温泉」

女性と行く温泉地のガイド文。山深いところより、気軽に行けるところ、刺激の強いお湯より、マイルドなお湯をと教えてくれます。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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寝落ちの本ポッドキャスト
こんばんは、Naotaroです。 このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、 それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。 作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見ご感想は、公式xまでどうぞ。 さて今日はですね
田山花鯛さんの 「女の温泉」という
テキストを読もうと思います。
田山花鯛さんは 群馬県生まれ
尾崎紅葉の下で修行をし、後に国気だどっぽう 柳田邦織と交わる
代表作には布団、これが1907年 そして田舎教師
これが1909年発表ということなのでおよそ 115年かな
ぐらい前の 方の文章ですね。
自然主義派の作品を発表し、その代表的な作家の一人 気候分にも優れたものがあるということが
wikipediaに書いておりました。 女性を
女性を連れてくるならこんな温泉地がいいんだぜ みたいなことが書いてあるんだと思います。
それでは参りましょう。女の温泉 女にとっての温泉場
関東ではイカホが一番いいというのは 昔からの定論であるらしかった。
果たしてそういうふうにあの湯が効き目があるかどうか それは知らないけれども
西君同伴で人回りも投授してくれば きっと子供ができるなどといったものであった。
とにかくあそこは女にとっていい温泉場であるにそういなかった。 第一、行くのに便利であった。
上野から足、土を踏まずに行くことができた。 それに山も大して深くはなかった。
女が慣れ親しむのにはちょうど良かった。 散歩区域としても物聞山があった。
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湯本があった。 さらに遠く春菜子があった。
夫婦おそろいで可愛い子供を伴われて 籠か何かで道草を食いながら
春ののどかな日陰に照らされつつ あのスロープを登って行く様はちょっと絵のような感じをあたりに与えた。
籠の中の妻君はみちみちとったわらびを半ケチに巻いて持っていて、 籠が休むたびにそこから降りてあたりの草原の中をしきりに探しなどした。
そうですね。あそこのわらびはちょっと面白いですね。 私、春菜に行く途中に手に持てないほど取りましたからね。
そう、5月の初めでしたね。 あの自分はあそこは何とも言えませんね。
のんきで、あたたかで、のんびりして。 本当に温泉場に来たような気がしました。
こう私の知っている妻君は言った。 あの明るい5月の新緑。
何もかも新しく生き返ったようなあの日の光。 それに林の中に透き通るような小間取りの高いさえずり。
実際、春の温泉場としてはあそこに越すところはないような気がした。 いや、そればかりではなかった。
秋の初キノコ狩りがまた面白かった。 それはあの電車の
イカホに着こうとするあたりの左側の松山に多く出るのであるが、 春のわらび狩りに非して決してを取らないだけの興味があった。
女でも子供でも。 時の間にカゴにいっぱいになるほど初竹を取って帰ってくることができた。
それにあの眺望。 広々としたあの谷と山との眺め。雲の眺め。
赤木さんの大きな姿を前にした形は、 家庭の貧さにのみ精神を疲れさせた妻君たちにとって、
どれほど生き返った心持ちをみなぎらせる対象となるか知れなかった。 塩原も女にとってはいい温泉場であるにそういなかった。
そこもやはり春がよかった。 新緑のころがよかった。
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明るい日の光線が長く谷の中に差し込んで、 渓流がまるで金属か何かのように美しく砕けた。
ことに忘れられないのは、門前の手前から一支流にさかのぼって、 あの塩の湯に行くあたりであった。
あさこらはいかにも名所図解の差し絵にでもありそうな風景で、 渓は渓をはらみ、谷は谷に連なり、
浴舎は浴舎に接するという風であった。 あの塩の湯の谷合に湯が湧き出して、そこに大勢男女が混浴している様なども、
明るい日陰の下で見ると、そのまま面白い絵になりそうに思われた。 塩の湯の旅舎のあるところから、
裏道をちょっと向こうに出てくると、まるで別天地とも思われるような山村が開けた。 そこには桃や桜が一面に咲いていた。
渓流の音があたりに反響するように聞こえた。 かと思うと、
ところどころに、 ばったりがかかっていて、
水が満ちてくるたびに、そこに人でもいるかと思うように、 ばったりと音を立てた。
こんなところに住んでいたら、世間も何もありゃしないね。 のんきでいいね。こう言いながら、
私は妻とともに、 小太郎渕の方へと歩いていったことを思い起こした。
箱根と塩原、どっちがいいでしょう? こんな質問に私はよく出くわすが、
それにはいつも返答に困るが、 渓流としては、むろん塩原の方が良く、
温泉としては、むろん箱根の方がいいというような、 抽象的なことを私は常に言った。
電車ができてから、箱根はかえって奥の方が良くなった。
湯本や遠野沢よりも、豪羅、戦国、 琥珀谷の方が良くなった。
それに女性にとっては、温泉の選出なども問題にならないわけにはいかなかった。 いくらいい温泉でも、三聖泉や伊陽泉では女には強すぎた。
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したがって、草津や那須の湯は、 都会の女たちにちょっと向きそうには思われなかった。
箱根でも、足の湯などは女にはダメであった。 炭酸泉、アルカリ泉、単純泉、
そういうものでなければ、女には向かなかった。 したがって、塩原では福和と、
塩の湯あたりが良かった。 伊豆では朱禅寺、
そこは何と言ってもいい温泉場であった。
異常に効能があるばかりでなく、 あたりの様が、いかにも静かで、
すっかり心を落ち着かせることができた。 ただし冬は、他の伊豆の温泉に比して、そう暖かであるとは言えなかった。
暖かいのが希望ならば、ここよりも長岡の湯の方が良かった。 長岡は近年非常に流行しだした。
冬は停車場から温泉のあるところまで、常に客が絶えないというくらいであった。 給料の中の猫の額のような狭いところではあるけれども、
またその湯の量も多いというわけにはいかないけれども、 居心はそう大して悪くなかった。
海が近いので魚なども新しかった。 伊豆のこちら側では、熱海が一番いいわけでなくてはならんのであろうけれども、
どうもそこは評判があまり良くなかった。 滞在費なども旅者によって差異もあるであろうけれども、
伊豆のあたりに比べて非常に高いらしかった。 どうしても三分の一は高いらしかった。
それにあそこの寒血栓は塩類栓なので、 嫌にしつっこいようなところがあった。
肌への当たり具合も悪く、刺激性に富んでいた。 伊豆産、それから湯河原。
ここらあたりもあまり居心地がいいとは言えなかったけれども、 冬は暖かで静かで落ち着いているのが良かった。
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湯河原は女の温泉としてはやや強すぎるような感じがした。 しかし何と言っても東京付近では伊豆相模の温泉に出かけていくより他がなかった。
山は寒かった。 伊加保なども冬はとても落ち着いて女の行っていることのできる温泉ではなかった。
女性でも伊豆の湯河島あたりまでは入っていくことができるであろうけれども、 それから天着起こしてその向こうにある温泉、
湯河野、八津、連大寺、 鴨あたりまで出かけていくことは難しかった。
沼津から海を渡って鳥の穴の湯に行くのも大変であった。 夏になるとどうしても山の涼しいところへと人々の足は向いていった。
しかし山と言っても非常に涼しい。 夏も至らないというようなところはよほど深く入っていかなければならなかった。
少なくとも1000メートル以上の山地に入っていかなければならなかった。 しかしそれは日本の女にはちょっとできかねた。
日本アルプスの上高地や白骨や中ふさあたりに行っていれば山も深いし、夏も至らないし、それこそ理想的の秘書地であるけれども、
とても女はそこまで入っていくことはできなかった。 日本の秘書地では今では日光、軽井沢、藤見、赤倉、野尻などを推しているが、
温泉のあるところとしては何としても赤倉をまず第一志に屈しなければならなかった。 そこは夏の温泉としてあんないいところがあるかと思われるくらいいいところであった。
眺望のいい点から言っても、イカホなどはとてもその足元にも追いつかなかった。 温泉があって、それで眺望のいいところはここと陸前の青根と霜月の那須と、この3つだと私は思っているのだが、
その中でもこの赤倉はことさらに深く私の心を引いた。 そこからは北の海が見えた。
米山のスイラが見えた。 晴れた日には遠く、佐渡の島陰をも指さすことができた。
そしてそこの高原には貴郷、我も子、 軽井、
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松虫草などがさながら盲泉を敷いたように美しく乱れ開いた。
北国の温泉では山中と和倉とが一番多く人の口にのぼった。 さすがに昔から聞こえているだけに温泉としても特色に富んでいるし、
珍しい風俗も持っていた。コオロギ橋あたり、 ちょっと景色が良い。しかし山中よりも和倉の方が温泉場としては優れていると私は思った。
もちろん一方は海の温泉であり、 一方はまあ山の温泉であるけれども、この他に湖の温泉として、片山津の温泉があり、
さらに越前に来て、足原の温泉があり、 その向こうに御国の古い港があったりして、ちょっと行ってみるに面白いところであった。
これらはすべて汽車の線路近くにあるので、女でも何でも行ってみることができた。 越後では、先に言った赤倉温泉、
それから首輝の山の中に松の山温泉というのがあって、 これは女の病気によく聞くということであるが、交通が不便なので、
地方的にしか知られていなかったが、 一昨年あたりから
首輝軌道ができて、それから幹線の黒いから分かれて、 かなりに奥深く入っているので、
何でもその終点駅からは松の山温泉までいくらもあるまいということであった。 そこあたりにもだんだん都会の女たちが入っていくようになるであろうと思われた。
その温泉あたりでは、もちろん食うものはないにはないけれども、 非常に安く滞在していることができるという話であった。
新潟から先へ行くと、瀬波という面白い温泉が村上町のすぐ近くにあった。 そこは女たちでもわけなく入っていけるようなところであった。
日本にも他に、どこにそうした見事な噴出線が見出されるであろうか。 それは今から20年ほど前に石油を掘るつもりで井戸を掘ったのであったが、
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そこから石油の代わりにその噴出線が、 24畳25畳の高さに本島したのであるということであった。
そしてそのためにそこが、その松山の中が、 たちまち温泉町を形作るに至ったのであるということであった。
今でも松山の上にその噴泉の高く昇っているのが遠く停車場の方から見えた。 出雲大社に参景する途中では、
一番先に例の近畿地方に有名な木の先温泉があった。 宝塚、有馬、
道後などに模倣したものだが、かえってそれよりも見事なくらいであった。 ここの湯は女の病気にも非常に効き目があるということであった。
したがって、 浴客が常に頼ることがなかった。
それから宝基に入って、東郷湖畔に東郷温泉があった。 湖の温泉としては日本でも屈指のものであった。
旅舎の半分は湖中に浮かんでいて、 部屋の3面を鏡のような水の光が取り巻いた。
ここではウナギが名物であった。 この出雲大社参景に比べてさらに面白いのは、
大阪から瀬戸内海をこうして、 九州の別府まで行く紅丸の高堤であった。
この気仙沼の甲板では美しい海、 ことに静かな絵のような、
島のたくさん浮かんでいる海の絵巻を広げて行った。 一枚一枚広げて行った。
その中には八島もあれば、小戸島もあり、 久留島の瀬戸もあった。
ちょっと上陸すれば、コンピラの長い長い石段もあった。 そして例の高浜からは日本で一番昔から聞こえている、
あの道後の温泉へも行けた。 そこは位置としてはそう良いところではなかったけれども、
また湯の量も相対して多くはなかったけれども、 しかもその感じはいかにも古く、
湯そのものにも年代がついていて、 肌へのあたりもすごく柔らかであるのを感じた。
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それにこのあたりは冬温かに、 春の来ることも早く、
3月にはもはや畑に菜の花などが咲いた。 船屋という旅舎の古風などもあたりの感じに伴って良かった。
ここで一夜泊まって翌日再び気仙に乗る。 この航路には他にもたくさん気仙の往復があって、
何の船にでもわけなく乗っていくことができ、 また半日ほどかかってその日の午後4時過ぎには、
乗客たちは九州の山の姿をはっきりとその前に見出すことができた。 ベップは日本では最も女性に適した温泉場であった。
そこにはいろいろ温泉があった。
温まる湯もあれば冷える湯もあった。 蒸し湯もあれば砂風呂もあった。
それに町としても悪く決まりきった温泉場でなしに、 一方領一らしいところもあって、同時に地方の位置中心をなしている町らしいところもあった。
それにその周囲に見るところが多かった。 大分に行っても半日は楽に遊べた。
浜脇に行っても2日や3日は休まずに滞在していることができた。 寒海寺から八幡地獄の方へ行ってみてもいいし、
神奈川から亀川の方へ行ってみてもよかった。 さらに半日を費やせば、宇佐八幡にお参りすることもできた。
八幡への谷深く入って行くこともできた。 これで大分から犬海へ行っている汽車が熊本の方から来ている汽車に連絡するようになれば、
麻の方まで行って行くにも相対しておっくではなかった。 女でもなんでも楽に入って行くことができた。
そうすれば世界にも珍しいと言われている麻の墳苑も、 あの宮路にある麻神社も、
その河口来である菅原の滝も、 戸下温泉も、栃木温泉も、
みんなその皇帝の中に入って行った。 いや、
さらに熊本から海を渡って島原半島の小浜、 雲泉岳辺りの温泉辺りまで行くことができるようになるに、そういなかった。
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女の人たちにとっては、しかしそうした旅行は容易に臨むことはできなかった。 思い出さえすれば、慣れさえすれば、
別に面倒なこともないのであったけれども、 しかしそうした旅行よりも、ある温泉の一室に落ち着いて、
のんきに一週間なり十日なりを過ごす方が楽しみでもあり、 その心持ちにも適しているらしかった。
家庭の繁盛な刺激、 時にはそのために、
根も精も尽き果ててしまうようなイライラした心持ちから、 とにもかくにも自然の静かな懐の中に入っていくということは、女の人たちにとっても何とも言われない遺跡であるに違いなかった。
いや、時にはそれとはまるで違って、 楽しい新婚の二人連れの山籠などもあるかもしれなかったけれども、
しかもそうした楽しみは、時の間に過ぎ去ってしまいやすかった。 また時には全く老い去った女が、寂しく一人山の湯に浸かっていることなどもあった。
何はともあれ、女たちのためには、 イカホ、シオバラ、
ペップなどが最も適した温泉ではなかろうかと私には思われた。 1995年発行、臨泉書店、
定本、課題全集、第27巻より読み終わりです。
温泉ガイドみたいな感じでしたね。 女性と行くならみたいな温泉ガイドでした。
少し話のテイストが変わりますが、 あのテキストの前半、
女性と温泉地を一回りすれば子供もできるよ、みたいな 文章がありましたけど、
つまり、ゴソゴソしているってことですよね。
僕はね、33歳ぐらいまでそんなことが起こっているとは知りませんでしたね。
旅先でゴソゴソしているのか、みんな。
みんなの常識は僕の中では常識ではなかったです。 最後にする話かな。
飲み友のおばちゃんにも、旅行先ではお楽しみが待ってるじゃん、 なおくん、みたいなのを言われましたけど、
僕別に一人暮らしですからね、わざわざ出かけて行ってしなくともという感じになっちゃうんで、
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ところ変われば常識が変わるんだなというのを、 つとに思ったわけであります。
何が言いたいかわからなくなっちゃいましたね。
最後、取り留めのない感じとなってしまいましたが、 今日のところはこの辺で、また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。
27:27

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