天竜のロースタリーの発見
前回の続き
そういうふうなものもありつつ、
24日の時なんで、
もう6年、何年経つのか。やば、そんなに経つんだ。
その方に、ゴールデンウィークかな?に、こちらの方、天竜の方に帰ってきて、
帰ってくるというか、帰ってきた時に、
街中に、天竜、クローバー通りって言うんですけど、
そこの真ん中に、新しいタンデモンができてたんですよ。
ヤマガロコーヒーさんっていう、ロースタリーさんだったんですけど、
そうそう、ここ見たことあるんだなと思って、
話聞いていったら、D&Dとかにも豆を卸してるっていう話で、
やばい、ここからいろいろ始まっていくんじゃない?
ちょっとワクワクしてきたぞ、ほら!っていう感じだったんですけど、
でもなんか、次に帰ってきたら、亡くなってたんですよ。
張り紙してて、
1年後ぐらいに。
移転しましたみたいな。
あれ?って言って。
あれ?って思うと、
で、電話したら、鹿島の方に着きましたというようなことを言ってて、
あわてて、不動産屋らしいですけど、
オナさんの連絡先教えてくださいってなって、
教えてもらって、いろいろ話をしてて、
いや、俺ここでなんかやらなきゃいけない気がするっていうふうな、
浜松のカルチャーと体験
問いかけが。
またリトルの方に言い出して、
あとね、いろいろ複合的なんですよね。
やっぱりあるけど、
東京でエディット東京だったっけな、
今もちょっとあるかわかんないですけど、
代々木の方にあるセレクトショップみたいなのが、
スタイルショップというかあって、
そこで浜松のイベントやるっていうので、
そこに仕事終わりに参加したんですよ。
その時話してたのがゴリさん、
なるそばのゴリさんと、
あと当時ブックサンドプリンスの店長だった洋一さんが話してたんですよね。
代々木で。
そうそう。
上島のなぜか人とかも来てて、
タイ飯食いながらいろいろ話聞いたんですけど、
あとそば食わせてもらったりとかして、
ちょっと待って、浜松って何もない不毛の地だと思ってたんですよね、
当時の僕って。
好きだけど。
そうそう。
別にタッチ落としや、みたいな。
こんなこと言ったら怒られる。
思ってたんですよ、当時の自分、本当に。
そこでこんなオシャレなことやってる人というか、
感度高くて、
かっこいい人いるの?っていうふうに思って。
カルチャーをびんびん感じたと。
そう、びんびんに感じて、
その時にちょうどそれこそ、
マルハスさんがやってた鍵屋ビルの存在も知って、
だからやっぱりそうだね、
同じような時期なのかな?
ですよね。
それでなんかもうやられちゃって、
あとはやっぱりリトル中谷の声で、
物件もやっぱりあったから、
なんかやらないとなっていうので、
マイルドヤンキーが走り出した。
発祥の地です。
発祥の地。
ホンダがね。
ホンダ総一郎の魂が駆け抜けていた。
ここで、
そう、
ほぼ射抜きの状態で、
もう本当に100万くらい。
その行動力がやっぱすごいよね。
当時は帰ってこようと思ってなかったんですよ。
とりあえずお店だけオープンさせて、
僕はなんか入居店生活みたいな感じで、
やってこっかみたいなことを思ってたんですけど、
アルフ堂さんもやるやつと。
二足のわらじでやってこって思ってたんですけど、
現実は甘くないと。
お店を始めて、
やっぱりそれなりに忙しかったんですよね。
ありがたいことに。
で、それをやりながら、
夜仕込みとか片付けも全部終わって、
8時とか9時くらいに家帰って、
そっからアルフ堂さんの物出しっていうか、
要はレインズをひたすら当たって、
1000件ぐらいぶわーって見て、
変な物件ねえかと。
ねえかなーっつって。
それはリモートでやってたの?
リモートで。
あーなるほど。
で、一個あった、二個あったってなったら、
その情報を別のスタッフの人に、
これどうですかって投げて、
で、ヒットしたらアクション取ってもらって、
掲載して、
中華行ったりとか。
なるほどね。
僕もやってたんですよ。
でも、案内しに行ったりもするってこと?
いやいや、もう無理。
地域の魅力と未来への期待
それはやりきれなくて。
やりきれなかったんですよね。
だから、他のスタッフの人に。
そういうことね。連携でね。
そうそうそう。
で、フィーのうちのスーパーセットもらうみたいな、
そういう生活だった。
で、すぐにまた帰れるなって思ってたら、
もう無理。
忙しすぎても、
俺これ抜けたら店やっていけないとかってなって、
で、そのタイミングでもう体調もすげえ悪くなって、
朝起きたら、なんかあれ?動けないし、
片耳聞こえないんだけどってなって。
やばいやばい。
そうそうそうそう。
で、なんか病院とか行って、
突発性なんちゃうですね、ストレスと過労です。
で、それを林さんに電話したら、
病院の狩り道にとことば歩きながら、
長谷にちょっと一旦、やっぱそっちにコミットした方がいいよっていう風になって、
じゃあちょっと、しれっとこっちの方に自家手術しますって感じで、
で、そっからもう本当に、
さよならパーティーとか、
会社のなんかその、
送別会とか。
送別会とかも無しに、
まんまこっち来ちゃったっていう。
で、半年間ぐらいかけて、
引き継ぎとかして、みたいな。
なるほどね。
壮絶な。
壮絶。
駆け抜けました。
駆け抜けましたよ。
でもそれが今ね、山の家育ってきてるってことだもんね。
いやーね。
いやーもう本当に病気の季節あったなー。
いやーでも俺も、
Uターンした2017年なんだけど、
その時にやっぱ山の家っていうのはあってね、みたいな感じになってたんですよね。
その浜松の街中とは別で、
いろいろ郊外、浜松ってすごい広いので、
郊外にいろいろあって、
そのたまただとこういうことで面白いことやってる子いるよ、
中谷くんって人がいて、みたいなのは結構いろんな人が紹介してくれました。
なんで、俺最初多分こっち戻ってきて、
最初の本当に1ヶ月いないぐらいに来て、
ほんまですか?
そう、ランチかな、食べた気がする。
ありがとうございます。
孫節は?
孫節は。
いや、でもね、すいません、ちょっと1つだけ語り忘れてたことがあって、
どうぞどうぞ。
オープンの時なんですけど、
それこそ本当にお金もなかったし、人命もなかったから、
リノベーションスクールに確かその第1回浜松の参加してたんです。
そこで、寺田さん、てんてんさんに出会って、
アトリエてんてんのオーナーというか、今のさんに出会って、
その周辺の仲間たち、いわゆる文芸大とかに通ってたりとか、
同級生のあそこら辺の面白い人たち、
黒板とキッチンとかにもいたし、
あそこら辺の街中で楽しいことしてた人たちにも偶然、
接続して。
接続することというか、つながりを作っていただくことができて、
めちゃくちゃサポートしてもらったんですよ。
そうなんだ。
本当に。
いや、もう頭が上がんないです。
本当か。
そうなんだ。
もう地面に頭擦りつけても、
なんていうんですか、足りないぐらいで。
足を向けては。
足を向けては。
寝られない。
ご対等的じゃないですけど。
いや、まだね、そのご応援も返せてないからな。
本当。
いつか返したいなって思ってる。
素晴らしい。
すいません、ちょっと横道に逸れましたけど。
でもなんかあれだよね、本当に、
物件としてもすごいいいよね。
そう。
山の家って絵になるっていうか、角だし。
そうなんですよ。
これね、僕もやっぱり不動産それなりに見てたので、
やっぱりそのエリアの中心になる建物みたいなものって、
絶対あるなって思っていて。
この山の家とかだと、
クローバードーリっていう、
一応二股エリアの中心市街地じゃないけど、
みたいなエリアの、本当ど真ん中にあるんですよ。
で、なおかつ浜松市っていうものを、
上からパッと見たときに、
ちょうどおへその位置にあるのが二股なんですよね。
山広すぎっていうね。
山広すぎ。
60%ぐらい山。
そうだよね。
恐ろしい事実。
二股も結構浜松駅から車で、
こう1時間行くんだけど、
それでもまだ真ん中だということだよね。
そうそう。
山への出口、街への出口っていうふうに、
当時言ってましたけど。
でも本当に地図で見るとそうだよね。
いや、本当に本当に。
戦場地がここから広がっていく感じだよね。
そうなんです。
ですわ。
いや、これね、見てみると、俯瞰して見てみるとね、
すごいところにあるんですよね。
実際にやっぱり性格的にじゃないけど、
昔徳川勢と武田勢の攻防の地とか、
要は要所ですよね、みたいになってたりとか。
そうだね。
あとは長野県とかと、
あとは昔は三つ家だったりだとか、
今の岩田辺りの方が結構栄えてたんですけど、
その通り道、塩野道っていうものが通ってたりとか、
あとは秋葉神社っていう、
清瀬の神様の双本山があったりとかで、
とにかくね、すごいとこなんですよ、ここ。
そうだね。
確かに。
なんかね、そこにやっぱりなんて言うんですか、
今はそこちょっと寂しくなっちゃってるというか、
やっぱり人口減少とか少子高齢化、
都市部一極集中みたいな文脈だとね、
下がり上司だったけど、
これ絶対どっかのタイミングで、
また没効するタイミングがあるだろうなっていうのがあって、
それが見えたんだ。
いや、こんな言い方すると、
見えただろうね。
見えた、あれですけど、狙ったかのようですけど、
なんかそういうふうな兆しみたいなものはあるなって思ったし、
やっぱなんか空気感がいいですよね。
空気感はいいね。
ちょっと町っぽい、
天竜の魅力
そう、古の町っぽさもありつつも、
なんか自然もすぐそこにあってっていうので、
本当にちょうどいい規模感みたいなのがあるんだよね。
そう、規模感で言うと、
この二股っていう町の中に天竜の区役所があって、
図書館がある、共同センターがある、
郵便局がある、銀行も3つある、
駅も3つあるとかで、
とにかくコンパクトに暮らせるんですよ、二股って。
本当だね、そうだよね。
で、実は浜松からも何分ぐらい?
40分もあれば着いちゃうし、
もうね、車社会になって初めてわかったけど、
まあ近い。
そうだよね、俺は結構その、
二股とか天竜とかは、
本当にここ1年ぐらいの話だから、
やっぱね、ちょっと遠いイメージね。
やっぱ子供の頃からすると遠いんだよね。
いや、わかる。
そう、なんかもう休みの日に車乗ってキャンプ行くところみたいな、
ああいうの掴み取りみたいな感じだったから、
わかる。
そう、子供の時間距離と今感じる時間距離のちょっと違いみたいなのがあるかな。
わかる。
旅行業の始まり
いや、僕も実はあれなんですよ、
また本田総一郎のコンパクトが。
かけなくなったね。
で、そうですね、
僕実は生まれたのって、
今の浜松東区の小池町っていうところなんですよ。
あの首都高じゃない、高速の辺だね。
そうそう、アクパスっていう、
なんかウォータースライダーがあるスミングスクールとかあるんですけど、
まあどうでもいい。
そこで小学校の6年生まで小池町だったから、
で、中学の時になんかもう転校するからってなって、
どうせだったらもうみんなゼロからのところがいいと思って、
中学受験するかどうか実は超ギリギリまで迷ってたんですよ。
でもなんかこっちの方に一応その中学校あるから見とくみたいな話になって、
で、当時の光明中学校行って、
その話を聞いた校長先生が、
君が入ってくれたら3クラスになるんだって思って。
で、なんかずっと、なんていうんですか。
何それ。
そんなリクルートの仕方あるとか思ったんですけど。
そうだね。
そこそんな重要?
わかんない。
でもなんかお前がカナメラみたいな。
当時何者でもないじゃないですか。
ただの中学生。
俺は3クラスにした中谷だと。
そんなことない。
で、中学校も実は古墳の上にあるんですけど。
光明中学校?
面白いんですよ。
で、違うかも。
いや嘘ついたかも。
ごめんなさい。
でもなんか小高い山の上にあって、
そこのずんぜん登っていくんですよ。
登っていくとアプローチが、
すげえジブリみたいだみたいな。
グッと来たんだ。
そう、だってもうコンクリートジャンゴーですよ。
当時住んでたところは、
高速道路バンバンで、
大気がすく精神みたいなところにいて、
そっからなんかある種、
土でかい木がバンバン生えてるところで、
わーこれ異世界に来てしまったみたいな。
そこが結構カルチャーショックというか、
結構自然好きだったんで、
ここのほうが俺いいかとかって思って、
やっぱやめるっつって。
転校する。
ていうか転入か。
転入するって。
で、3クラスにした男になったんだ。
そう。
3クラスにした男。
なるほど。
そうね。
戻ってきた理由、そうだね。
今じゃあその山の家を最初始めたわけで、
今はまたもうそこからかなり領域が広がってると思うんだけど、
いつの間にかね。
その辺もうちょっとどうだろう。
順望って聞いてみたいかも。
じゃあなんかとりあえず僕からの話ですけど、
そうだな。
その次の段階で言うと、
なんだろう。
旅行のやつ?
そうですね。
旅行業を始めたんですよ。
やっぱり天竜いいところだし、
地域に面白い人たくさんいるし、
特徴があったりとか、
そういう人たちをもっといろんな人に知ってもらいたいなって思ったんですよ。
ただそれ紹介するだけだと面白くないというか、
そもそも人来てくれないでしょって思ったんで、
なんらかその楽じゃないですけど、
みたいなものをくっつけて呼べないかと思って、
旅行だなっていうのと、
あと僕のおじが旅行業を持ってて、
そのタイミングでちょうどフリーになってたから一緒にやりましょうみたいな感じで、
実のおじと旅行業に免許を取って、
で旅行業をスタートしちゃったっていう感じ。
それは川に行くとか山に行くとか?
そういうふうなアウトドアアクティビティっていうのはあったんだけど、
ただそれだけだと、
例えばそのターゲットを都市部の人とかにすると、
もっと要は立地的な条件だったりだとか、
コンテンツたくさんあるところたくさんあるじゃないですか。
例えば東京とかからいったら伊豆の方が断然あるし、
地形、設備も揃ってるし海綺麗だし、山も近いしとかあるんだけど、
全然勝てないと思って、
やっぱその時に何が魅力になるかっていうのは人だと思ったんですよね。
だから人をアウトドアアクティビティとして紹介しようっていうふうに始めたのが旅行業で、
なおかつ裏庭っていうちょっと今4年ぐらい眠っている、
もしかしたらこのまま永遠の眠りにつく可能性がある事業。
それが第2弾というか。
第2弾ですね。
そこと並行してバータイムっていうのを山の家でやってて、
そのバータイムで結構常連さんだったりとか仲良い人たちがたくさんできて、
夜な夜なこういうこと天竜でやりたいよねとかいうふうなことを妄想で話してたんですけど、
なかなか形にならないというか。
話して盛り上がるんだけどみたいなね。
酒の席の話みたいな。
仲良くはなるんだけど。
そっから先がねみたいな。
いや俺ちょっと来週は無理だみたいなね。
いやごめん仕事あるからなっていうのがちょっと悔しくてというか、
そろそろ何かやりたいよねっていうので、
じゃあみんなでちょっとお金出し合って、
この山の家の2階っていうものをもう喫茶店じゃなくして、
シェアスペースじゃないけどみたいなものにしようよっていうふうな話になって、
シェアスペースの取り組み
それこそきこりの前田さんとか洋補家のしおにさんとか、
あと天竜高校の当初先生の町子先生っていう超美人先生がいるんですけど、
その人とかにも仲間になってもらって作ってた。
そんなこんなしてるうちに浜松さんのほうからアプローチがあって、
インキュベーション施設みたいなものを浜松トライアロフスっていう形で先行して、
町中とあと舞坂のほうからスタートしてて、
山のほうにももう一つ喰いたいみたいな話があって、
最初は情報交換だけだったんだけど、
最終的には公募っていうかっていうふうな感じでポンと持ち上がったときに手を挙げさせてもらって、
そのままシェアスペースっていうものをトライアロフスっていうものにコンバーションしたっていう。
そういう経緯なんだね。
そういう経緯が実はあるんですよね。
まずは自分たちで作っちゃったってことですか。
そう、実はね、あったんですよ。
全身になるものが。
そうなんですよ。
なるほど、なるほど。
で、飲食店やり、旅行業やり、
あとはシェアオフィスとか。
で、あともう一つあるのが。
ここからまた面白い。
次なるあれがね。
インマイライフっていう。
過後。
過後ね。
今のすべてのほぼ始まりといってもおかしくないというか。
次回へ続く。