1. ニューコモン商会のラジオローカリアンズ
  2. #1-1 はじめまして、ニューコ..
2022-06-08 18:18

#1-1 はじめまして、ニューコモン商会です!僕らが地方で暮らす理由

ニューコモン商会中谷と高林の自己紹介/なぜUターンしたか/建築家への憧れ/内なる自分からの問いかけ/森ビルでの仕事/ムクムクっとした気持ち/楽しそうな新規事業/地元で何かしたいという気持ち/公式HP https://www.newcommon.net
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ニューコモン商会のラジオローカリアンズ
はい、このポッドキャストは東京から地元静岡に戻り、異業、今は田舎で暮らす2人がローカルで暮らすことで見えてきたちょっと未来を、コモン共有地として発信していく番組です。
Uターンやローカルの今をお伝えしたいと思います。
それでは記念すべき第1回目ということで、私は高林と言います。それから相方の中谷くんが今日2人で喋っていきたいと思うんですけれども、
まず第1回目はですね、このポッドキャストを何で始めようと思ったのか。これまで始めるまでにいろいろな経緯というか、いろんなことが重なって今に至るんですけど、
その辺をちょっと簡単にご紹介まずしてもらおうかな。
はい、そうですね、なんかそんな賢くて話すのあれなんで、ちょっと硬いよ、いきなりね、ごめん。すみません、なんかあのふわっと話せればそう思うんですけど、そうですね、なんか一番最初はそれこそ、もう魚ぼること4年前ぐらい。
4年も?3年前か。3年?はい、ぐらいに、あのなんだろう、高林さんとその町の方に、浜松の街中の方に飲みに行って、行ったよね。そうそう、で、なんか僕がつらつらと、なんですか、なんかもう天竜こういうふうにしたいんですよね、みたいなことを話したと思うんですよ。
ルワコでね。そうそう、ルワコで。はいはいはい、覚えてる覚えてる。
マインガー美味しかった。で、あのそこから2年間ぐらい、ブランク、まあいろいろその間にも飲みに行ったりとかしてたんですけど、実際なんか話が結構前に進んでいったのは、あの東京の方から、高林さんが元いた会社の森ビルさん。
そうですね、森ビルで働いてました。別にあれだよね、行って悪いことはないと思う。いいと思います。
で、あのそこから、あの、まあなんですかね、えっと、まあ天竜の方に。そうだね。森ビルさんがアプローチをしてきてくれて、で、それでいろんな、まあ授業じゃないですけど、話がスタートしていって、
で、やっぱり、あのエリアの魅力じゃないですけど、僕らの暮らしみたいなところを、あの直接外に向かって発信していく、いい機会だよねっていう風なところで、なんかYouTubeとかいろいろ考えたけど、やっぱりなんかそうそう、ラジオっぽいような、ちょっとそのアングラっぽい香りがする方が、なんか我々っぽくないっていう風なところで、
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なんかね。やってみようかと。そんな感じだったかな、と思います。そうですね。結構ラジオっぽい機材も揃えてね。そうにゃ。あの、なかなかこの、やってます感を。そうです。路上に対してアピールしつつ、今。でもなんか、あれですね、この様子とかも、あの後で、あの。あ、そうだね。インスタとかで。はい。
そうだよね。今、入校の紹介も今、あの、去年の秋から活動し始めて、たまたお紹介しようと。うんうん。インスタがね、おお、もうほんとにインスタ部署でお互いに。そうそうそうそう。ノートもやってるけどね。そう。ノート、こないだ書いたけどね。ありがとうございます。はい。知ってます。
ノートは、あの、フェイスブックとかで、自分でシェアする気恥かしさにね。わかる。俺、いつも負けちゃうんだよね。わかるわかる。そう、だから誰かの、なんかその通知を見て、あ、高橋さん書いたんだ、みたいな感じで知るっていう。その感じですね。うん。ゆるい空気感がまた、あの、心地よいっていう感じですね。そうですね。まあ、これはちょっとね、こうゆるく、長く続けていくことができるんじゃないかと。うん。
結局ね、僕も、週に1回とは言わんけど、まあ、2週に1回ぐらいは来てるんで、その時に撮るとか。そうね。ね、そんな感じでできると、面白いんじゃないかと。そうですね。まあ、なんか時には、あの、やっぱりこのエリアとか僕らの暮らしを知ってもらうためには、僕らの周りにいる、あの、いろんな面白い人だったりだとか。あ、そうだね。いや、もうほんとにね、個性強いというか。うん。
あの、話すと、まあ、これ長くなるから、ちょっと。ちょい足しにしながら。ちょい足しにしながらですけど。この、そうだよね。二股の人を、例えば紹介するだけでも結構。いや、だいぶ濃い。な、ボリュームが。そうですね。うん。
あとあれだよね、こう、結構その二股のお店とか。うん。自然環境とか。うん。そういうところでいいなと思って、僕らは活動したりしてるんだけど。うんうん。
この音声だけだと、それがどうしてもね。そうだね。伝、いい意味で伝わらないというか。そうね。こう、僕らは面白いぞって言ってるのを。うん。まあ、聞いた人が気になってくれたら嬉しいですよね。うん。そうそう。で、やっぱり遊びに来てくれたりとかしたら。そうそうそうそう。
それがやっぱ一番いいかなって思うし。うん。想像をちょっとこう、膨らましてもらったりとか。そうね。うん。そういう狙いで。うん。やって、やっていきましょう。やっていこうかなと。はい。
そう、なんかちょっと話が変わりますけど、なんか高林さんって。うん。そもそも浜松に。うんうん。なんで帰ってきたんですか?
あー、なんで、そうですね。結構、僕浜松、まあそのなんか、なんかあんまりこう、なんていうの、ラジオ向きにしゃべるわけじゃないんですけど。うんうん。結構好きだったんですよね。好きっていうか今も好きだけど。うんうん。結構もともと好きだったんですよね。うんうん。
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生まれた、育った時から。うんうん。育った町として。うん。だから、まあ、なんか、まあ僕建築とか都市みたいな勉強大学でしたんですけど。うんうん。
それを選考を選ぶときも、まあこれ中谷くんも結構何回かしゃべったことあるけど。うん。その、まあ浜松に、に、で、なんかそういうしたいなと。うん。まあ最初建築家とかね、そういうのに憧れて勉強を始めたんですけど、まあその、それを何かしらその、町に形として残せたらいいなっていうとこが一番なんか出発点だったんですよね。うんうん。
なるほど。うん。うーん、なので、まあいずれは地元に戻ってっていうのが結構初めの頃から思ってて、大学とかその社会人になるときとか。うんうんうん。
うんうん。答えるごとになんかその、自分はいつ浜松に帰るんだ、みたいなのは、なんとなく自分の中でもう一人の自分っていうのかな、と。うんうん。問いかけられ続けてたっていう感じ。うちなる自分ね。そうそうそう。特にその、なんて言うんだろう。まあなんか節目があるじゃない。分かりますよ。うん。大学行くときとか、まあその、就活するときとか。うんうん。
あとは、2、3年働いて、なんとなく仕事にちょっとなれて、どうしようみたいな感じの頃とか、そういう時に、そういう自分が問いかけてきたみたいなのは、ありましたね。
リトル高林が。
そうそう、エビルなのか、わかんないけど。
でも、そうは言っても、東京とかの刺激のある街もすごく好きだし、そこいうところでちょっと働いてみたいなっていうのが、特に最初はあったので、
モリビルっていう会社に入ることができて、そこの仕事もすごい楽しかったので、最初は3年でUターンしたいななんていう思いもあったりしたんですけど、それが3年になり5年になり、結局8年ぐらいで今に至るというような感じです。
なるほど。
でも、普通にモリビルって、下世話なことを言うと、めちゃくちゃ待遇とかも良かったりとか、それなりにやりがいとかもやっぱあるんじゃないですか。
いや、めちゃめちゃあったと思うよね。その時は、その時の自分の価値観でね。
もちろん、待遇も普通に東京で暮らせるぐらいのこともあったし、あとお金だけじゃなくて、環境。
ですよね。
都心に住めるとか、あとは休日がちゃんとあるとか、そういうものにアクセスできるとか、海外旅行とかも比較的、今コロナの前だったんで、当時は。
例えば1年に1回とか2回とかは行けるよねとか、そういうトータルのバランスで、その時の自分にとってはすごく良かったと今振り返ると思うし、あとは何だろう。
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そうですね。仕事もやっぱり大きい仕事だし、いわゆる再開発とか街づくりの企業としてやってる中では、文化のところとかもちゃんとやろうとしてるし、
作って終わりじゃなくて、タウンマネジメントみたいなのをやったりとかっていう、ちょっとそういう新しいものをちゃんと考えて取り入れていくスタイルがあったので、自分としてはすごいその会社の哲学みたいなのはすごい好きだったかな。
なるほど。
そっか、でもそれをなんていうんですか、ある種捨ててまで浜松に戻りたいっていうふうな気持ちがむくむくっとしてきたんですか。
そうだね、なんかいろいろタイミング重なったっていうのは正直なところなんですけど、結構その開発畑にいるのが長かったんですよ。
8年のうち7年弱ぐらいと。
そうするとやっぱりなんかいろいろ見えてくるものもあったりとか、その開発のスパンがすごく長いとか。
そうするとこの社会人が例えば40年社会人人生あった中で、その開発として完成まで携われるものってプロジェクトとしてはすごく少ないとかね。
あとは作るばっかりじゃなくて使うとか価値向上みたいなところもやっぱり見たかったので、それでタウンマネジメントっていうどっちかというと開発の一番川上だとすると一番川下の部分とか、その辺の部署にも最後1年は行くことができて、
それで六本木ヒルズのイベントとか夏祭りとか自治会みたいなところにもちょっと触れることができて。
すごい自治会っていうワードが森ビルの仕事の中に出てくるってちょっとびっくりしましたね。
全部が全部ね、もちろん自分がやるわけではもちろんないんですけど、その部署ではその町に住む、六本木ヒルズも2000人くらい人が住んでるんですけど、そこの屋上庭園みたいなところで田植えをやるとか。
田植え?
そうそうそう。なんかいろんな新潟とか秋田とかその苗とかを持ってきて、そこに住む子たち、結構だからインターナショナルな子たちが田植えするみたいな。
やばいっすね、なんか国際食みたいな光景じゃないですか。
収穫してお米炊いてっていうようなプログラムみたいなのがあったりとか。
ちょっと情報量が多いですね。
あと本当になんかそのよくテレビとかでやるイルミネーション。
はいはいはい。
欅坂のイルミネーションで伝統式みたいなで、毎年なんか旬な女優さんが来てやるとかね。
アートナイトとか。
なんかそういうものにちょっと関わる場所にもいて。
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で、なんとなくそこで自分で一区切りちょっとついてしまったというか。
そうなの?
そう、開発も見たし、運営も見たし。
もちろんその営業とか管理とか別のフィールドもいっぱいあるんだけど。
自分としてはその川上と川下をちょっと見た、見させてもらったなっていう感覚がその8年目にあった。
なるほど。
そっか、あれ高橋さんからこれ確か聞いたような気がするんですけど。
なんかその昼休憩がなんかの時に公園に座ってたらリタイアしたおじさんみたいなのがいて。
で、これって俺の何年後の風景だみたいな感じに思って。
結構それが聞いたみたいな話もなんか聞いたような気がするんですけど。
なかったっけ?
いや、あんま分かんないけど。
でもまあその、なんていうかな。
夢だったか。
でもなんかね、そうね、会社内での仕事みたいなのがやっぱり多いんだよね。
それでね、大きい組織だと。
で、外の、特に開発は結構その、なんていうんだろう、社内の仕事も多いし。
で、それにどっぷり7年やってて。
で、最後そのファンマネジメントで思ったのはイベント作りとかそういうところだったもんで。
例えば広告代理店とか制作会社さんとかそういう人たちとの付き合いもあったりとかして。
そこでやっと割合、同世代とかの人の仕事を垣間見るとか、別の会社の人の動き方みたいなのを見ることができて。
こういう世界もあるんだということで、ちょっとそういうので視野が広がったっていうのが。
で、それにさっきの中谷くんの公演のおじさんみたいなのもしかしたらあったのかもしれないけれど。
なんか、そうそうそう。
そんなのと、やっぱりたまたま浜松で鍵屋ビルとかいろいろやってるアラハ中途さんって会社の社長と知り合うことができて。
それで、今新しいプロジェクトをやるよと。
クラフトビルやるよという話で、その辺のタイミングがあったっていうのは。
あ、そっか。オクタゴンもやるよっていうタイミングだったんですよね。
なるほど。
そうそうそう。
あ、それ一発目っていうのは結構いいっすね。楽しそうだなって思っちゃうかも。
そうそうそうそう。楽しそうだなって思ったし。
ね、クラフトビルとかもちょっと盛り上がる、ちょっと前だったんですよね、確か。
2016年とかだったから。
だから、それはいいなって単純に思ったし。
なんかこう、1年やれば絶対その店はできるなっていう感じはしたから。
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その一個一個のプロジェクトのサイクルみたいなのをできるだけそんなに長くない方がいろいろ経験できるなって思ったりとか。
確かに確かに。
いや、でも面白いですね。やっぱりその、なんていうんですか。
地元に帰ってくるそのモチベーションっていうのは、もちろんやっぱりその地元が好きだからっていうのはあるけど、
何かその自分が関心を本当に、その地元だからっていうだけじゃなくて向けられる事業じゃないけど、
仕事があったっていうのも一つ大きいですよね。
いや、それ今言われて思ったけどめっちゃ大きいね。確かに仕事がないじゃない。
その、ミュータンしたいと思った時に、東京の方がやっぱり待遇いいし刺激もあるしって思ったら、
じゃあ浜松とかどこでもいいんだけど、自分の地元とかに同じだけの待遇とか刺激とか魅力がある仕事ってそうそう転がってないよね。
ないね。
そうそうそうそう。それはねすごい確かに。
それたまたまそういう仕事に行き合うことができたっていうのは何かラッキーだったかもしれない。
いや本当そうですね。
うん。
そっかそっか。
そう。
なるほどなぁ。
俺どうだったっけなぁ。
中谷君はどんな感じですか?
そうだなぁ。なんか僕はもともとそれこそ東京のど真ん中原宿のオフィスがある。
東京ある不動産っていうちょっと変わった不動産みたいなのを扱うような不動産業ブローカーをしてたんですけど、
それでやっぱり僕もその地元というか今ここやってるその天竜っていう風なところが自分の故郷だと思ってるんですけど、
そこのことをすごく好きで、やっぱりそこに対して何かやりたいなっていう風な思いっていうのはずっと持ち続けてましたね。東京にいた頃から。
もう一人の中谷がいた。
そうですね。リトルな方にはずっと叫んでたというか。
でもなんか結構あると思うんですよ。
例えば中学生とか高校生の時とかにお祭りとか行って、楽しい思いしたなとか、あそこで初めてチューしたなみたいな、そういう甘酸っぱい思い出とか。
そういうものがふと帰省した時に河原を歩いてたりとかするとその蘇ってきて、やっぱいいな、ここで何かやりたいなっていう風なのはすごい言ってた、思ってたんですよね。
それすごいわかるね、確かに。思い出がね。思い出が問いかけてくるみたいな。
思い出がリフレインしてくるんですよ。
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で、なんかそういう風なものもありつつ、24日の時なんで。
次回へ続く。
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