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2022-12-24 24:28

#5-2 アートとは?ちまたとは?NPOクリエイティブサポートレッツ久保田瑛さんが一周廻って浜松に戻ったいきさつ!

ゲストプロフィール

久保田瑛。92年生まれ浜松市出身。大学時代、シェアハウスに住みながら他拠点生活を送る。重度の知的障害がある弟、久保田壮(たけし)との生活の中で、家族と社会、私と公の狭間で揺らぎながら生きる。障害福祉サービス、アートプロジェクト、文化センター事業などを行うアートNPO、認定NPO法人クリエイティブサポートレッツスタッフ。

認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ:http://cslets.net
00:00
前回の続き
で、浪人して東京の結局大学
そうですね、いっぱい浪人してちょっと東京の予備校にいたんですけど
そこで東京カルチャーに触れて、東京五産県とかね
バチバチのところに触れて、これは無理みたいになって
ちょっと引きこもりになってしまって
これはこれで想像してた東京とも違う
すごい自分が今まで触れてた文化と全く全然違う競争社会みたいな
お金持ちだったし周りもみんな話聞くとすごいお金持ちの御礼状で
本当まで予備校の前にベンツつくんですよね
送るまでお迎えみたいな
なんかそこで話されることとかは試験のランキングの話ばっかりで
すごい面白いね逆に
そう面白いですよ
漫画の世界みたいなことをやってるわけだよね
もう今ないんじゃないかな
さすがにそこまであからさまじゃないよ、あからさますぎてね
もうなくなっちゃったんじゃないかな、少子高齢化的にも
ああいう戦果みたいな本当に一向だけみたいな感じじゃない
確かにそうですよね
今それこそ地方の方とかになんかちょっと特殊な面白い学校があって
そっちの方が価値高いよね
都心でとにかくお金かけてっていうのがいいよねっていうのが崩れてる
そうなんでしょ
しかもなんかビデオとかで見れちゃうから今
本当だね
その最後の前夜の輝きみたいなのがあったんだ
そう一番最後に
ビデオもあったんですけど
やっぱ東京で浪人っしょみたいな感じ
親に本当に申し訳ないんですけど
でも本当に町屋に住んでタコ部屋みたいな寮入って
初めて千代田線乗った時は
全部見送ったんですよ
いつか開くだろうと思って
すっごい満員電車千代田線やばくて
なるほど
混んでるから次
そうなんです
雨の日だったんでよけい混んでて
初めての浪人で予備校に行く日は
30分ぐらい電車を全部見送り続けて
これは乗れないのかみたいな
初めての状況に
そうですこれ
だからあれを押し込んで乗る意味が
えっわからんってなったんですけど
みんな押し込んで乗って
予備校行くじゃないですか
勉強して帰ってきてみたいな
その寮半年ぐらい続けたら
普通に引きこもりになりましたね
いやなるでしょうね
寮から寝れないみたいな
でちょっと帰ってきて
ちょっと志望校も変えて
浪人して
03:00
KOSFCの方に入学
なるほど
でも花のって感じしますけどね
SFC
松沢キャンパスね
思いますね
それどうだったんですか
6年7年かけて
卒業してますから私
学部だけで
アホですよね
最後に堪能したということ
もう2年入学して
本当に何度やめようと思った
感じですね
でもなんかやっぱ震災の年だったんですよね
2011年に入学した時が
そうですね
なんか社会的にも何かやらなきゃ
そういう意識がね
みんな高まってた
みんな高まってて
なんかちょっとみんな
そうっていうかハイ状態
確かにそういう1年ぐらいあったかも
本当そうなんですよ
だからこう
1ヶ月伸びちゃったんですけど
入学も
ゼミとかも
学校自体も入った瞬間から
いろんなプロジェクト立ち上がって
ボランティアとか街づくり
ゼミとか
そういうのがバーって一斉に始まったし
その伸びた1ヶ月の間も
東京の在住のアーティストに
呼んでいただいて
どうせ1ヶ月伸びちゃったなら
東京のちょっと面白いとこ
いろいろ見に来なよって言われて
ちょっと親の反対もしきって
勝手にキャリーケース持って
初めてのシェアハウスに滑り込んで
当日のむさびとか
そういうところの卒業生のお姉さんたちが
いろんなとこ見せてくれたんですけど
それもかなりニッチなアートだったので
アートプロジェクトだったりとか
いわゆるアート美術とか
展覧会とかじゃないところに行ったので
それこそ最先端の展覧会でしたね
アートプロジェクト系とか
社会的ソーシャルエンゲージメントアートとか
って今言われるんですけど
本当に美術館っていう箱じゃなくて
フィールドでやったりとか
場所を作ったりとか
児童館にアーティストをレジデンスさせて
滞在制作してもらって
子どもたちと一緒に
一緒に家庭を楽しむみたいなプロジェクトとか
めちゃくちゃ面白かったんですけど
そんなのを見てたら
学校にだんだん行けなくなって
だいたいカウンターの概念に触れちゃうんだね
そう、なんかそっちのほうが面白いってなっちゃって
入学前に1ヶ月ガップ
その1ヶ月があったばかりね
06:01
もうスカスカだと
変に震災復興のボランティアとかって言われても
なんか違うなみたいな
SFCが結構特殊な学校で
本当に1年生から4年生まで同じ授業を取れるんで
クラスがないんですよね
必修のクラスがあんまりないので
友達もできなくて
全部子でやってねっていうか
そんな感じなんですよね
本当にもともとその1ヶ月の間に
本当にツイッターとかで
お互い交流し合って
サークルっぽくできてたりとか
あるんですよね
あるんですよね
そうなんですよね
だから授業とかも
感想とかツイッターで出してみたいな時代だったので
ちょうどツイッターが一番来てたとき
そっかそっかそうですよね
確かに
マインツイッターが
そうなんですよね
起こし始めた
本当にZoom今はあるけど
当時からスカイプミーティングで
グループワークをやったりとか
そういうの使われたりしたんですけど
そういうのやってるがゆえに
本当にクラスがないから
半年で1回関係切れるみたいな
友達になれないっていうか
一緒のクラスになったとしても半年で
また違うクラスっていう感じだったので
あんまり学校に居場所を見つけれず
あと自分が学びたかった文化政策とか
アートマネジメントも
文学部のほうに行かないと
単純に勉強できないなっていうのもあって
あんまり学校行かなくなっちゃったら
人と休学
休学
タイム落としたんだって
休学って
休学してた時は何でした?
浜松戻ってきてたりとか
戻ってきました
めちゃくちゃ落ち込んで
普通に本当に落ち込んで
私はもう辞めるしかないかもしれない
ズーンって下がってしまって
もうレッズンの利用者です
みんなに癒してもらいながらっていうか
もうメンバーと同じように朝行って
タイムカード切って
なんでタイムカード切ってたかよく分かんないですけど
そうですね
来て一緒に過ごして
でも本当にただ過ごすだけっていうか
アクティビティがあるわけじゃないので
レッズンは
一緒に散歩とか
プロジェクトがあったら
それのボランティアとかも手伝いするけど
そうですね
やることは本当にただただ過ごして
でもその時に
ただただ一緒に過ごすっていう時に
過ごした時間が今の自分の糧になったのはすごい思います
09:05
ちゃんと休んだりとか
何もしなくていいっていう時間を
すごい豊かに過ごすので彼らは
それ見て
やっぱそこだよなって思ったりとか
何々すべきとか目的があって
みんな集まろうとかっていうよりかは
もう本当にいい場所だよねみたいなのが
そうですね
私の当時のアイデンティティクライシスで
かなりモラトリアムだった自分には
すごくありがたい場所でしたね
本当に
なるほど
それはなんか
あれですか
地元だからというか
っていう風なことっていうのも
影響してたりするんですか
それとも単純に場所として
そこが居場所になっていたっていう風なことなんですか
でも地元だからもありますね
地域線を
別以外にもいろいろね
行けるところがあるしね
そうですね
地元の友達に会って
普通にそのなじみとか18から働いて
いろんな仕事をしてたりとかする子たちに
もう社会人じゃないですか
いろいろアドバイスもらったりとか
私やっぱり浜松好きなんですよね
晴れてるじゃないですか
気候の問題ね
気候とかもすごい好きで
確かに
やっぱこう
町屋ってめちゃくちゃ下町だったので
本当に人口密度高い場所だったんで
浪人時代とかも
浜松が静岡に戻ってきて
ほっとしたみたいなところがあって
SFCはそんなに
結構平気地にはあるんですけど
私住んでたのは藤沢だったんですけど
やっぱり一人で暮らすとか
あんまり好きじゃなかったですね
当時から
元々会わなかったですね
一人で孤独にやるみたいな
浜松は割と人がばらついてるぐらいの感じが
ちょうどよかったっていうのを
思ったりするんですね
なるほどな
確かに何かあれですね
状況してて時々やっぱり帰省してくると
本当?
そう
浜松降りて
新浜松の駅に行くまでの間に
人少ねーし
いないな
だいたい晴れてるしね
そうですね
時期的にもやっぱこう
本当に電気消えてたりとかしてたので
2011年の5月
計画停電とかね
東京も結構イレギュラーで
そこから入り口だったっていうのは確かに
懐かしい
不安じゃないですか
福島原発の時からも
12:01
今の子たち多分コロナで
相当不安な世代だったと思うんですけど
私たち世代は結構震災っていうもので
すごい突きつけられた
シーンだったので
いやあそこがターニングポイントになって
人生変わった人って
直接その震災の被災者になってなくても
たくさんいますよね
コロナでもそうだよね
人生これでいいんだっけって
立ち止まる人は相当いるよね
いる
いると思う
だからパートプロジェクトとかも
ひたちなかっていう茨城の方で
結構被災されたところで
復興的なプロジェクト
みたいなのにも関わってたりとか
自分でも結構問題意識持って
そういうのにも関わってたりしたんで
結構そういうのをずっとやり続けてると
疲れちゃうみたいなところは
休学してレッツでだらーっと
利用者さんと寝そべって空見たりとかしてて
だいぶ回復してくる
これこそバランスが整ってくるみたいな
ずっと100メートル走やってて
そりゃ休まんとダメだよねってなるよね
社会がそう状態になってるって
本当にその通りだなって思いましたね
なんか良いことしなきゃとかね
それが結構アツになったりするときとかもあるしね
自分は何もできてないみたいな
話が若干されますけど
やっぱりなんか大きな
道欄だったりだとかおっきり前って
なんかそういう天才だったりだとか
駅業だったりだとかが
流行ったりしてますよね
そうですよね
分かりますめちゃくちゃ気持ちいい
グランス革命もそうだしみたいな
マインドが変わるんだよね
なるほどな
でもアート界も結構あれで変わって
つながりとかコミュニティみたいな
やっぱすごい言われるようになって
やっぱあの辺からアートプロジェクトがバーンと
全面に出てくるっていうか
今までニッチな
メインストリームではない
メインストリームではない感じが
もうちょっとこう
日本の中でガツッと
つまりとか瀬戸芸とかっていうのが
入ってきたり
ある種震災を題材にしてたりとか
そういう
コンセプチャルなアートみたいなのが
一般の方々も普通に受け入れられ始めた
みたいなのがやっぱあの時代なんですよね
そう言われてみると確かに
そのぐらいまで
全然2010年
私が卒業したのかな
7年
本当その辺2012年ぐらいまでは
そういう系の論文とかも
翻訳されてなくて
だから研究しようがないみたいな
ジャンルだったんですけど
そのぐらいからどんどん
15:02
そんな感じで
そうですね
その後は
一回休学して
もう一回卒学した時は
文学部の方の哲学科に
哲学と美学の方に
もうモグリ
モグリじゃないですね
一応単位は取ってたんですけど
半分以上
半分ぐらいは取って取れるので
三谷に住んで
東京タワー横目に
町やから東京タワー入っちゃった
そうなんですよね
すごい安いところ
大谷さんが直接貸してくれる
ってところ見つけて
住んで
本当に学校の窓なりに住んで
すごい
そうなんです
そしたら
たまたま浪人時代
一緒のクラスあった子が
美学部にいて
その子が
え、こっち来るんだったら
めっちゃ教えてあげるよ
って言われて
いろいろシラバスとかを
輸入して
私に提供してくれて
それどおりに
自分でシフト
シフトじゃない
授業票を抜くんで
先生のとこに行って
で、なんか哲学美学系の
なんか概論とかを
一通り取って
で、もう夜は
その
友達とか
その友達の彼氏とか
その友達会話の子とか
と仲良くなった子が
うちに泊まりに来て
近いからね
そう、一時限のために
飲みまくるみたいな
そんなのまた一年ぐらい続けました
へー
楽しそうだな
あーでも
そうですね
それはでもすごいなんか
あれでしたね
結構
その時でも
出会った子たちが
すごい
刺激になってて
なんか
もちろんSFCに出会った子たちも
あんなに面白かったんですけど
結構
台湾とか
韓国とかの留学生とかも
いっぱいいて
で、もうバリバリ兵役を
応援た後に
兵役
はいはいはい
来てて
でも結構その
政治家になりたいみたいな
子とかも
留学しに来てて
で、そういう子たちと
なんかこう
たまたまなんか
そういう子たちがやってる
勉強会みたいなのに
参加させてもらった時に
なんかワンテーマで
10人ぐらいの
学部の子たちが
こう話すんですけど
たまたま優先思想の話題に
なってきた
優先思想
ナチスとかの優先思想
ナチスとか
はいはいはい
で、なんかテーマが
ダウン症のこの
染色体で今
出生前死んだんだけど
事前に分かるからね
はいはいはい
治療するかしませんか
みたいなこと
みたいな
それをするかしないか
みたいな
ディスカッションがあって
で、私当然その半分ぐらいに
分かれるだろうと思ったら
8、2とかで
しますって
染色体のやつ調べて
なんならその
障害があるよっていうことが
もし分かったら
18:00
堕胎します
っていう方を選びます
8だった
8割で
嘘だろみたいな
感じになって
それはあれかも
なんかその自分が
実際にその立場に置かれたら
たぶん別の選択肢
しますよね
頭でね
やっぱ考えてるだけだと
たぶんそうなるよな
そこで
初めて
自分の弟のこととか
話して
でも彼らに聞くと
障害の人は見たことがないって
言うんでしょみんな
だって駅とかでも会わないし
今までの人生で
接点がなかった
バグされているというか
それにすごい衝撃を受け
でも世の中の人はそうだよなと思う
だっていないもんなって
みんな入所施設とか
グループホームとかで
郊外にいるし
もしては東京の渋谷とかに
そんなにアクセシビリティも
良くないから
歩かないよなみたいな
その時に
なんかちょっと
この人たちを
レッツに
呼んでやろうみたいな
企画を立てて
1週間学生のバカシフっていう
企画を立てて
そういうメンバーを
1週間
滞在させて
滞在してもらったりとか
しました
それが何か
契機になって変わった人とかもいるっていう
みんなめちゃくちゃ
変わって
面白かったのが
例えば私の弟のタケシさんは
喋れなかったりとか
もう明らかに
障害があるなって
分かるんですけど
レッツに来るメンバーって
グラデーションがすごいたくさんあって
全然喋れるし
ちょっと知能的に
ちょっと違うけど
でも全然言葉は会話できるし
むしろ手先が器用だったり
っていうメンバーさんも
全然いるんですよね
みんなこんなに
グラデーションがあったのか
自分の中の障害のある人像が
全然
崩れて
でもそれはレッツに行くと
思うかも
みんな色が全然違うのが
分かるな
でもそれって別に普通の社会も同じですよね
でもそうですね
普通の社会と一緒だと思う
すごいそれで
進学決まってた子が
人生一旦
止まってみる選択をしてみるって言って
ニートを選んだりとか
東大の子とかは
リタリア
腹筋支援みたいな
上々企業なんですけど
基本障害福祉系の
ベンチャー企業に
21:01
就職決めたりとか
金税行ったりする子もいて
さらっと
通り過ぎてみたいな
そういう経緯があって
自分の価値観と
違う価値観の人たちを
混ぜ合わせたり
交差させるの面白いなって
なるほどな
でもね
連れてきたって言ってるけど
それもほとんどアートプロジェクトと
全然言えるもんね
さっき言ってた一週間連れてきちゃうみたいな
それが観光事業とか
繋がってたりとか
すごいよな
変化
基本人間って立ち止まるというか
変化を好まないじゃないですか
自然環境みたいなものは
どんどん変化していかないと
生きていけないっていうジレンマになる中で
変化の中に巻き込むっていうのを
作るのが
めちゃくちゃ上手いよなって
感じるんですよね
分かる
引きずり
足に食らいついていく
それめちゃくちゃ重要だと思うんですよ
来てくださいって言っても
来てくれないことが多いし
ともするとやっぱり
ずっと自分の気持ちいい
心地よい世界の中で
生きていきたいっていう風になるから
それってでも
閉鎖的
閉鎖的な話になっていくと思うし
僕東京の好きな
ところっていうのは
他社ような人がいるじゃないですか
それこそ
そういう意味で言うと
自分がどういう風な人間であっても
どっか一個
あの店ぐらいは受け入れてくれる
全体としてすごい
どっか受け入れてくれる
幅広い
そこがやっぱ
僕都会の
すごくいいところだなって思うし
逆になんかそういう
寛容性みたいなものがある時期
っていうのは
安いだろうなっていう風に
とっても感じる
都市だろうが田舎だろうがね
逆にあれかもしれないです
ちょうど
私が呼んでた子たちとかは
そういうところにも
行ってないような
秀才を呼んでた感じ
本当に人生初
ショッキング
揺さぶられるみたいなのが
リスの中にいたのか
それこそ
小中高
ストレートで
男子で来てて
本当にもう就職活動
次行くみたいな時に
いやいやいや
そんな人いるよみたいな感じ
何もしなくては勝者
そこでぶち込まれて
それで優勢しそうとか
24:01
言ってんじゃダメよみたいな感じ
誰にも会ってないやんけみたいな
怒りみたいな
怒りのパワー
見てみないのに
見たことあったりしてないのに
なぜ決めれるのか
確かにそれはそうだよね
いやそうだよな
次回へ続く
24:28

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