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  2. #12-3 個と孤独とニューコモン
2025-02-17 27:10

#12-3 個と孤独とニューコモン

孤独と無関心/一億総マイノリティ/漬物おいしいよ/コミュニティはたくさんあるけど傍観者になってしまう/釣具屋にマサはもういない/一億総コミュ障/技術の進歩が早すぎてディストピア/不便を選択できることもまた豊か?/2人の2024ベストバイ/

サマリー

このエピソードでは、孤独感やコミュニティにおける繋がりの重要性について語られています。現代のSNSと身体性の関係、テクノロジーの進化がもたらす影響が考察されています。また、札幌の「空き地」プロジェクトや個人の生き方についても言及されており、商業施設と地域コミュニティのつながりの重要性が強調されています。さらに、地域に根付いた文化や経済の発展についても考えられています。

孤独と無関心
前回の続き
社会の中にいるのに、ものすごく孤独みたいなことってあり得るし、それはなんか
自分も全然そうなった可能性も超あると思うし、なんかそういうことに対しての無関心みたいなものが一番良くない
いや、だと思いますよ。なんか昔は
わかんないけど、なんかでも賑わう場所だったりだとかを作っていくっていうふうなことが、なんか我々にできることなのかもしれないですよね。
なんかその盛り場じゃないけど、なんかあの誰もがいて許される場所だし、なんか意見だったりだとか食い違っていても
なんかそれを応用できる
やっぱりそれがマチだと思いますし、やっぱりそこの
繋がれるとかね、意見を表明できたり、話して認められたりとか、そういうのが必要ですよね。
その一旦できる家庭の中でね。そうですね。それすっ飛ばしちゃうとやっぱり非常に危ういっていうか
そういうことを鵜呑みにしちゃいがちじゃないですか。やっとから流れてくる情報。仲間だなって思っちゃうし、なんかちょっと同情できるだけだけど。
だからさっき聞いてたポッドキャストで1億層マイノリティとか1億層メンヘラみたいな
ワードが出てきて、こういう捉え方する人はすごいなと思ったけど
そういう人の方が多いのにマイノリティのフリして
振る舞うみたいなこと。それが自覚的じゃなくてもみたいな。
なんかそういうのってなんか、すごい今いろんなところにあるなっていう感じがしてる。
SNSと身体性
さあそうだね。
そうか。
マイノリティというか、自分たちは恩恵を受けてない側ってことだね。
趣味志向の話というよりかは、押し込められているとか、割り送っているとか、そういう感じ?
いやそれはそうなるよね。やっぱりSNSっていうものがメインの自分の居場所というかになってくると
やっぱりきらびやかなものがどうしようも見えてくるし、それが実は世界なんじゃないかっていうふうに見えてきちゃう。
実はね、本当にそんなことないんだろうけどね、と思うところがあるね。
全然わからないですけど、スーパーとかの見切り品みたいなもの、だって俺は買うし。
全然それで美味しい料理作れるし、割とそれでいいし。
本当だよね。昼休みになんの気もなしにこう開いたらね、インスタとかで、キラキラな友達のストーリー見て、その日の午後1日つまんないみたいな、なんかむしゃくしゃするみたいな、そういうことでしょ?
そういうこと。いや、そんなことないよ。だってね、漬物美味しい。
本当だよね。ほんとに?っていう。餅つきしようや、みたいな。
ね、なんか、3,000円はわかんない。なんか別に批判するわけでは全くないですけど、やっぱりランチで、5,000円のランチ行きました。
5,000円とか安いか、わかんないですけどね。行きました。なんか美味しかったです、みたいな。大将はなんか持ってます、みたいな。
そういう絵を見て、なんかやっぱり…わかるよ。誰に対して言ってんだ?そうそうそうそう。いうふうな気はするし、そこで待ってる何かには俺はやっぱり興味ないなっていうふうに感じちゃった。
かといってなんか過度に丁寧な暮らしみたいなところにも、あんまりやっぱり興味ないなっていうふうに思ってたりとかして。
難しいね。難しいね。
努力作…なんていうんですかね。なんか等身大のところで、自分のうまくはまれるところとか、楽しいものみたいなものを見つけ出す。
そういうのを楽しもうって思えばいいのかね。生活を自分で組み立てていくんですよね。
なんか意外とでも、それこそ昔は本当に人が多かったから、そういう情報も人という人で回ってきた時代があって、あったからこそ、なんていうの…意外とその孤独を感じずに済んでいた。
コミュニティにも自然と接続できていたが、今はSNSっていうものの中で完結してしまうからこそ、そのコミュニティに対して実際あるんだけど、接続できないっていう現象は多分あるんだろうなっていうふうには感じる。
あるんだけど接続できない。
あるんだけど接続できない。
傍観者みたいな。
そう、傍観者であり、部外者である。
そうするともう気持ちの持ってきようがないもんね。
ない。で、SNSに逃げるしかなくなるっていう。そっちに行くしかなくなる。
なんか釣りでもそうですよ。
だって、昔は釣り道具屋に行けば、そこにおっちゃんがすべて教えてくれるし、そこにいつもいるタバコ吹かしてるおっさんが、なんかあそこで釣れてるらしいぞ、ハズレるみたいなことを教えてくれたさ。
そう、マサがね、教えてくれたわけなんだけど、マサは今いないからね。
相当、コミュニケーションを自分から取れる人だったら別だと思いますよ。
釣り場に行って隣に入っている人とかに、どうですか今日みたいな。釣れてますよ、みたいな。
いうふうなことできる人は別だけど、できない人は多分孤独だと思う。
そうだね。ずっとそういう大自然の中にいるのに、スマホをウォッチするっていうことになっちゃうわけだよね。
なる。
結構それに限らず何でもそうだよね。
何でもそうだと思う。
旅行行ってもずっとスマホを見てるみたいなことになりがちじゃない?
ね。
ね、本当に。
いやーこれは、やっぱりあれじゃないですか。
島原万丈さんの教えを、みんな肝に銘じた方がいいんじゃないですか。
センシュアスシティの身体性が大事だよ、みたいなのが結構一番最初に書いてある。
いやまさにですよね、本当に身体性。
都市を楽しむというか、知覚する、互換で楽しむ。
人間はやっぱり動物の一種だから、匂いとか光とか風とか、
第六感的な、ここを曲がったら面白いんじゃない?なかろうか?みたいなのがめっちゃ重要で、
それが今まであったものがなくなっていくっていうことに対して、やっぱりそういうつまらない再開発みたいなものが横行してしまうんだけれども、とかとかっていう感じで話が始まってたと思うんだけど、
まあ身体性は超重要だと思うよね。
あのそういう意味で言うと、一億層リアルコミュ障の時代でもあるじゃないですか。
身体性みたいなものに対して不器用になっていく。
テクノロジーの影響
もうなんかね居酒屋とかで、どでかい声ですいませんとか言ってる人いないからね。
マジっすか?
いや、そうか、えっと、タッチパネルのオーダーシステムで言ってると。
うわぁ、ずるい世界だなぁ。
どうやって我々生きていくんだろうな、そんな世界の中で。
でもまだいいじゃないですか。我々の世代はその残りがみたいなものがあったからこそ、意外とすごい大した感覚としては残っているけど。
話があっちこっち行っちゃって申し訳ないけど、やっぱりそのさ技術がさ、その社会として、常識とか善悪とか倫理みたいなものに落とし込まれる前に技術が先に進んじゃうのと、技術が便利すぎてみんなそっちに行ってしまうから、むずいよね。
知ってた?iPhoneのさ、今一番新しいiOSって、目線でコントロールできるんだよ。
えぇ?
これは、障害とか、手が動かせないアクセシビリティ機能の一つでついてるんだけど、もちろんそれをオンオフできて、やってみたらめっちゃむずいの。っていう話なんだけど、でも見つめると開いてくる。
ウェブページとか、ポインターみたいなのがトラッキングされてる。だからそう考えると、メニューも今タッチパネルでポチポチやってオーダーとかやってるじゃん。
スイカもさ、通るだけで課金されたりするっていうのもなっていくとかっていうニュースもあるし、もう本当に念じればオーダーみたいなのが全然あるでしょ。
あり得るよね。
なんかでもマイクロチップぐらいだったら多分10年後みんな埋め込んでんじゃねっていう気配もありますよね。
だからもうマックとか言って、マックのワイルドオーダーとかメインペンとかめっちゃ使うけど、座ってビッグマックセット頼みたいなって思いながら入店すると、もうメガネにビッグマックセットMでよろしいですか?ってなって、もうそれでもオーダーされるっていうね。
みんなニュータイプだよ。
そういうこと?
だけどレジとしか繋がってないからね。
やばすぎるな。
人と繋がってないからね。っていう世界が来ちゃう。
便利だから飛びついちゃうけど、それはもう超ディストピア感あるね。
無言の店内空間が完成するわけじゃない。
みんなモクモクといきなり来て座って、ロボットを持ってきて作って、モクモクと出てくみたいな。
これは店なのかみたいな。
怖すぎるな。
飼われてるのかなっていう気配すらしますね。
そうなると思うな。少なからず。
いやなりますよね。
その過程にいる感じするよね。
わかる。この前に、どこだったっけな?
ちょっと僕もそれぞれ言って申し訳ないですけど、
お蕎麦屋さん。本当に個人経営に近いお蕎麦屋さんに行った時に、もうそこでもお料理配膳ロボットが導入されてて。
猫みたいなね。
猫ちゃん。
これでもう一つ、店員との接点が減ったわっていうふうに思ったんですよ。
例えば子供とか見て、小皿みたいなものを用意してくれるとかっていうようなことももちろんない。
自分から能動的に言わないと、どうだしないとできなくなったとか。
それっぽい、現状っぽい、何かみたいなものは明らかになくなっていくなっていう。
店をやる側からしたら、人でいないから、もうやりたくてもできないんですみたいなのもあるだろうしね。
何だろうな、これ効率だった。
昔は便利とか不便っていう言葉がなかったっていうふうに言われてますけど、
輸入先って言葉であるって。
そこの物差しじゃない形で考えていく、いかないといけないものも確かにやっぱりあるんだなっていうのを感じますよね。
不便でいいのでは?別に。
自分で選択できるものの範囲の中ではそういうものを選んでいくっていうことでもいいのかもしれないですね。
結論がないね。
皆さんはどう思いますか?
でも今の時、やっぱりこの2025年で便利isすべてみたいな人も、そんなそういう人もいないんじゃなかろうかって思っちゃったりするんだけど、どう思いますか?
我々の海外にはいないね、あんまり。
でもそれって多分10年前とか20年前はあると思うんだよね。
便利でよければいいじゃんとか、お金儲かってればいいじゃんってめちゃくちゃそれを普通に言う段階の世代の人とかめっちゃいるじゃん。
結局金だろみたいなこと言うじゃん。
その価値観はだいぶ後退してるような気はするんだけど、
わかんない、でもそれがね、さっきのトランプの話じゃないですけど、
もう一回何かによって、来そうな気配はすげー感じますけど、
そこはすごいあるよね、その多様性とか環境みたいなものに対しての寄り戻しが来るんじゃないかみたいなすごい言ってるよね。
それは感じる。でもなんかその10年間を経て、別に元に戻るわけではない。
その中で学んできたことも我々あるわけだし、
これは大切だよねっていうふうな認識もやっぱりできてきてるとは思うんで、
その中でやっぱりやっていくんだろうな、なんだかんだ言ってて。
そう、じゃあ、最後に、2024年良かったコンテンツを発表して終わりますか。
全然関係ないけど。
そうですね、あります?
えー、自分で言っといてないけど、ちょっと待って。
なんかあるかな?
えーとですね、私は、じゃあまあ私から申し上げます。
まあやっぱり、車?
コンテンツじゃない、ごめん。
ベストバイ、なんでもいい。
ベストバイいったらその車。
ボルボね。
ボルボ940セダンでございます。
調子が上がってきた?
はい、えーとですね、理由はいくつかあるんですけども、
一つは、別に高い車じゃなくても、自分が好きなもので快適に自分で満足しながら乗っていくもの、
愛せるものっていうのはやっぱりあるんだっていうふうなことに気づかせてくれた1台であるっていうところ。
それはなんか結構大きいかな?
なんかぐるぐる回ってきてここにたどり着いたことはとても価値のあることだったな。
愛車返力的にも。
まあ今までの車にもありがとうだし、今のボルボ君にめちゃめちゃありがとうだよっていうところで。
ちょっと辿り着いた感がある。
札幌の空き地プロジェクト
なんかとかライフスタイルの部分でも、自分の生き方じゃないですけど、時間の使い方とかも変えてくれたし、良い買い物だったなというところでございます。
ありがとうございます。
ちょっとなんだろうな、地面詞は一気に見た。
重かったね、確かにあれは。
やばすぎたね。
あれはよくできてるなって思った。
あとはなんだろうな、ちょっと真面目かもしれないけど、札幌に夏に行ったときに空き地っていうプロジェクトがやってて、それはすごい良かったですね。
どういうの?
空き地活用の形なんだけど、
たぬき工事って言ってたかな、札幌の中心街、すすきのから近いところの商店街、アーケード街みたいなところで、かなり多い商業的な一等地に5000平米くらいのビルの跡地があって、そこに再開発するビルが建つんだけど、それまでの間の暫定活用ということで、
空き地っていう、もう本当に潔い名前で、空き地っていうプロジェクトをやってて、それは多分その土地のオーナーに理解があって、オーナーがやってるんだけど、パートナーとしてDDAAの本木さんっていう建築家の人の事務所が入ってて、
ミッケラのコンテナと、ワークショップとかできるスペースとか、あとは芝生人工島なんだけど、ダラーンって座れるスペースとかがあって、
たまたま行ったときはサッカーのパブリックビングか何かやりますみたいな感じでやってたりとか、ポップアップの店あったりとかしてたりとか、それはあるかなみたいな、デザイン、しかもめっちゃお金かけてすごいかっこいいデザインというよりは、
単管と合板と、コルゲートみたいな、工事現場にあるようなものを再解釈して構成した、ある種の仮説物ですという感じがバリバリ出てて、長坂城の事務所出身なのよ、その人。
まさにそんな感じなんだけど、これは秀逸と思ったのは、その人にたまたま言って聞いたんだけど、
今年の秋で終わりですとかって言ってて、冬にも行ったらもうなくなってたんだよね。
その時に聞いたのは、3年とか工事をするときに、商店街の一角だから、仮学院になっちゃうと、結局その空き地プロジェクトをやって、こんないいことやっててって言っても、工事現場の間は結局断絶するわけじゃないですか。
それもったいないよねって言って、またオーナーと相談して、1.5メートルから2メートルくらいセットバックして、工事現場をしている時にもその薄い店をずっとやり続けるんだって。
それが、なんかわからない、コーヒー屋さんかなとか、ちょっとしたバーなのかわからないけど。
そこでその間で空き地をやって、今今度何年後かにこういうビルがこういうコンセプトで、こういうコンテンツでこういうふうに立っていくみたいなのを順次出していくんだと思うんだけど、
それってなんかすごいコミュニケーションとしていいじゃん。
めっちゃいいね。
だから、そういうのいいなっていうか、秀逸だなってそれは思った。
地域コミュニティとの結びつき
わかるっすね。
そうね。何がいいって思ったかっていうと、やっぱりそのコミュニケーション取り方っていうところもそうですけど、
薄くでも、そこでなんか、なくなったとかじゃなくて、続けていくこととか、ささやかだがやるっていう、やっぱその意思は素敵だなとても素敵。
です。
そこの感じは、見習いたいなと思わされましたね。
うならせますな。
地面詩と空き地っていう。
一見するとちょっと、
予報途中に基づいた。
元地面詩の田沅さんとしては違うか。
地面掃除してる詩だから。
そうそうそう。
まあそんな感じかな。
これそう考えると結構、どうだろうな。
去年は、
あれでも藤吉田いいとか言ってたよね。
藤吉田は確かにいいんですけど、本当に刺さるところっていうのは、
小野道の向い島っていうんですか、
鴨白さんっていうセレクトショップなんですけど、
鴨白?
鴨白。鴨に白いって書いてる。鴨白?鴨白?鴨白さんがすごいよかった。
公共的な空間とかでは全くないんですけど、
等身大で自分の生き方みたいなものを、
きちんと形にしてるっていうふうな人を久しぶりにちゃんと見て、
ちゃんと世界観を持って、自分の心地いいところで、
範囲内で世に貢献してる人って改めて素晴らしいな。
自分もそっちのほうがいいなと思っちゃったりとかっていうふうなところは再度感じた。
その前にソイル瀬戸だとか見たり止まったりとかしたんですけど、
正直よっぽど関係者の人とかいないと思うんですけど、よっぽど刺さった。
それ何が違う?
もちろんジャンルが全然違うっていうのはあるんですけど、
ソイル瀬戸は僕も一日しかいなかったから、
それだけで判断するのはあるんですけど、
やっぱりプランター感があったなっていうか、
その地に地面に植わっているものっていうか、
植わってきたもの、そして再現性があるもの。
一昨年とかは再現性のあるものとか好きだったし、
作りたいとか横展開的な話好きだったけど、
改めて見ると、
これがそれを実現図化するとこの感じかみたいな。
おもろくない!
そういう…なんだろうね。
地元で採用とかもしてるんだよね?
してるのかな?
いやでもやっぱり東京の人が来てるとか、
地方の子が自分の地方でやりたいから勉強しに来てますとかっていうことだったけど、
その地域のコミュニティと本当に繋がっているのかなっていうところは感じちゃった。
でも大事だよね。
そこの感じ取るっていうのはね。
とはいえ、
俗人的な香りのするものってやっぱ素敵ですね。
そういうことね。
そこはあれかもね。
中谷くんの趣味、思考の部分でいうと、
やっぱりそっちの方がグッとくるっていう感じも、
ちょっと再認識しました。
なんかどこかでもできるし、
どこにでもあるだろうなっていう。
ちょっと早いだけってことね。
それを横展開したら結局ブルーボトムみたいな話になる。
普通にこういうのって地方のちょっとオシャレなところには普通にあるよねみたいな。
話になっちゃう。
それで地域の個性を見せかけてるじゃないな。
そこにきちんと融合してるっていうふうに見えても、
意外と分かんない。
それでもないのかもしれないとかっていうふうに、
ウォッシュになっちゃってないかっていうところはちょい感じた。
ちょっと批判的な見方をどうしてもしちゃいましたけど、
でもいい空間ではあったし、
文化と商業の共存
あったほうがいいなっていうふうには思った。
ないよりかは絶対あったほうがいい。
それは地域に対して、
ある種、商売とか事業とか産業っていう意味で、
人を呼び込むための施設としては、
そういう瀬戸田は多分すごく重要だっただろうし、
分岐点になってた。
片一方で文化みたいなものを支えていくとか、
より個々人の志向性みたいなものに寄り添って、
地域に派生したもの、地に根付いてるものっていうふうなものとはちょっと違う。
それで次にまたそれを受けて、
第二弾でまた店が出てくるとか、
動きが出てくるとかなっていくと馴染んでくる。
両方必要なんだなっていう。
ダメだったとかじゃなくて、
今の時点で見るとそういう感じ。
2つ必要だねっていう。
面白いみたいな店も必要だし、
高手とで添えるみたいな店も施設も絶対必要だね、改めて。
そこは認識した。
自分がやっていきたいのは、
個人的にやっていきたいのは前者であるが、
公的にやっていかないといけないのは後者だろうなっていうふうに思ったから、
結局両方やりたいんですけどね。
そんな感じですかね。
今回はそんな感じで終わりたいと思います。
ありがとうございました。
27:10

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