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おはようございます、なっちゃのです。今日はですね、考える教育について思ったことがあったので、喋っていきたいと思います。
久しぶりに普通に喋ってみます。なんかBGMによってテンションがわかるという、これが普通ですね。普通アホ、ウルトラアホという3つでお送りしていきたいなと、今思いました。
今日の話なんですが、昨日ですね、ちょっとベビーに少しだけ待ってほしくて、言い手例をつけたんですね。
そしたら、小学生向けの理科の実験番組というか、ある小学校を取材した番組なのかな、ちょっとあれなんですけど、
そういう番組があってですね、ちょっとこの理科の実験を小学生ぶりに思い出したんですけど、要素、要素って澱粉に反応するという量が変わるっていう要素を使っての実験で、
葉っぱに、葉っぱの一部にアルミホイルをかけて火の光に当てるので、アルミの部分は火の光に当たれないということなんですけど、
アルミホイルを葉っぱから取って要素液につけてみたら、アルミホイルのところだけ要素が反応しなかったっていう実験をやってて、
これ普通によくある実験だと思うんですけど、私たちというか、つまりアラサーくらいの世代なら、葉っぱが太陽の光に当たると澱粉が作られますという回答が用意されていて、
じゃあそれを調べる、調べるというか、確かめるために実験をしてみましょう、みたいな感じだったんじゃないかと思うんですね。答えがあって確かめる。
で、仮に実験が先だったとしてもほぼ同じようなもので、実験があって澱粉が作られるんだね、ちゃんちゃんで終わりなんですよ、多分。
その学校はですね、アルミのところだけ要素が変わらなかったっていう結果に対して、要素の色が変わらなかったっていう結果に対していろんな意見を出させるんですね。
例えば教科書通りの太陽の光が澱粉を作るんだっていう子もいれば、アルミホイルによって澱粉が移動したんだと。
葉っぱは元々澱粉を持ってて、それがアルミホイルが被ったことによって移動したんだっていう子もいれば、
茎とかですね、葉っぱじゃないところから澱粉が来ただけで、他のところから来たっていうことも言えるんじゃないかっていう。
だからつまり2個で澱粉が作られたとはその実験だけでは言えないっていう子もいるんですね。
なんかこの意見見ててすっごいなーって思って、本当に今の子って賢いんだなーってちょっと思っちゃって。
番組のテロップ上かもしれないし、本当にそういうふうに投げかけてるのかもしれないんですけど、ちょっとざっと見ただけなんでわかんないんですけど、
まずこれ、その生徒というか児童たちももちろん優秀なのかもしれないんですけど、問いの立て方がすごい工夫されてるなと思ったんですよね。
どういう問いかっていうと、太陽によって澱粉が作られたと言えますかっていう問いなんですね。
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この実験結果によって太陽から太陽によって澱粉が作られたと言えるかっていう問いかけをしてるんです。
安直に考えればというか、実験そのものが澱粉が作られることの証明の実験なので、
アルミホイルのところだけ色が違った、つまり太陽によって澱粉が作られるねみたいに言えるんですけど、それが本当かっていうふうに問うてるわけなんですよね。
その児童たちのリアクションは様々で、本当ですっていう子もいれば、いやいや違う考え方もできると思うっていう子もいるんですね。
違うと思うという子の、じゃあ、澱粉をもともと持っていた説を証明しようとしたりとか、他から移動しようとすることを証明する実験をしてみようということになるんですよ。
そうすると、移動したわけじゃなかったねとか、その選択肢が消えていくんですね。
その選択肢が消えて、その上でようやく、だから本当だって言えるねって、太陽によって澱粉が作られたってこれでようやく言えるねって納得できるっていう授業だったんですね。
これは限られた授業の時間の中で、その結論に導くまでに相当時間がかかるんじゃないかなと思ったんですけど、
考えることってすごく大変だし疲れるから、習慣になるまではなかなか楽な方に答えが用意されている方に行ってしまうんですよね。
これは私のことなんですけど、その筋肉を鍛えることってすごく大切ですよねって時間がかかるなと思ったのと同時に思ったんですよ。
本当に何でもかんでも鵜呑みにせずに考えるってこういうことだよなと思ったんです。
知識を100詰め込むのと、100詰め込んだ同じ時間をかけて考えながら試行錯誤しながら10くらいの知識を得るのと、私は後者の方が圧倒的に大切なって思うんですよね。
その10の知識に導くまでの考え方を身につけることができれば、100の知識を得るよりむしろ物事が点と点でどんどんつなげる力っていうのを勉強しなくてもというか、
もうそれは日常的に転がっているいろんな気づきから得ることができる試行のプロセスになるんじゃないかなというふうに思うんですね。
だから点と点をつなげることは時間がかかるかもしれないけど、詰め込みの知識で大学に合格するよりも全然大切なことなんじゃないかなっていうふうにこれを見て思いました。
むしろ知識が先に詰め込まれていたら、知識によって先に実験の結果を知ってしまっていたら、多分バカバカしくてそんなことやってられないですよね。
なんかあいつら本当じゃないとか言ってバカだなぁみたいな。もう俺は答え知ってんだよみたいなふうになりそうじゃないですか。
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で、まあ巷で正しいって言われていることは本当に正しいのかとか、だからそれが正しいって、だってお母さんが正しいって言ったもんとかじゃなくて、
自分は、だから僕は私はこう考えるから正しいと思うとか、こう考えるから違うとも言えると思うとか、何よりそういう力を私が身につけたかったし、今でも身につけたいと思うし、そのために頭を巡らせることを続けたいなと思うし、
まだ子供は全然勉強するような年齢じゃないですけど、小学校に上がってとか中学校に上がってとか、なんか改めて勉強を子供と一緒に楽しめるようになれたら嬉しいなっていうふうに、このEテレでの番組を見て思いました。
ということで、今日は以上にします。それではまた。