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2024-04-24 07:40

もっと遊びたかったんじゃなくて、遊べる度量が欲しかったのでした

不良に憧れたけど、不良になれる器じゃなかったなと気付きました。

#めんどくさい人
#めんどくさい
#中村淳彦
#悪魔の傾聴ライティング
#遊べる以前に人間性の問題だった

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おはようございます。なっちゃのです。
今日はですね、学生時代の過ごし方を間違えたという話をしたいんですけど、
私は母が教育ママで、父がめちゃくちゃ頭良くてですね、超難関国立とかを出てるタイプの人で、
母は専門卒とかの普通の人なんですよね。
直接聞いたことないから分かんないんですけど、頭の良い人と結婚しちゃったからとか、
あと単純に父と比べて学歴コンプレックスとかあったのかもしれないし、
どっちとか分かんないし、どっちもかもしれないんですけど、
教育熱心になっちゃったんですよね、何を間違えたか。
父はものすごく本人だし、仕事人間だったので、そんなに子育てに興味がなかったんですよね。
子どもたちにとって、つまり私たちにとっては、旅行を連れて行ってくれる人とか、
お土産を買ってきてくれる人みたいな感じだったんですよ。
中学受験に始まり、友達と遊ぶとか遊びに行くとか、適度にはしてたんですけど、
セーブしながら遊んでたんですよね。
というのは、母があんまりに私が自由にしてると、母がいい顔しないし、
私、姉がいるんですけど、姉は人付き合いというのがあんまり得意じゃないんですよね。
学校はそこそこ楽しくやったみたいなんですけど、外に遊びに行くみたいなほどでもなかったんですよね。
だから、お前ばっかり友達と遊んでみたいな空気が若干家の中であったんです。
姉は遊んでない代わりに、代わりにってこともないかもしれないんですけど、
成績が良くてですね、一生懸命勉強して、私は遊ぶのも適当だし、勉強も適当だったんですよね。
だから、見やすいところだけ見てしまうと、そんなに遊んでも肩見せないし、
そこで、私は何が何でも遊ぶんだ、みたいな反抗するくらいの度胸もなかったっていう感じでセーブしてたっていうことに結果的になるんですよね。
あと、セーブさせてた理由、私のことをセーブさせてた外部要因的にはもう一つあるなと思っていて、
学校でギャルやってる人とか不良っぽい人とかって、当時女子で言えば顔だけ可愛いおバカに見えたんですよね。
別にそこに憧れるとか一切なくて、成績の良い私の方がよっぽどバランス取れてるし、人間の魅力的にもいい感じみたいなことを思ってたわけなんですよ。
だからそこが不良とか自分の欲求に素直に生活してていいなとかって憧れてたらもうちょっと反抗とかしてやってたかもしれないんですけど、そこにやっぱり全く興味がなかったんですよね。
それは本当にヒガミじゃなくて、バカにしてるとかでもなくて、事実として本当にそう見えたんですね。
ちゃんとギャルとか不良やってる人で仲良くて結婚式行ったりとかもしてるくらいで、同じグループにはいるわけじゃないんですけど個別で仲がいいみたいな感じだったんですよね。
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だから必死にヒガミじゃないってフォローしてるんですけど、本当にそういうことなんですよね。
でも本当におバカだなとかって高校生くらいの時は思ってたんです。実際に成績とかもあんまり良くない子が多かったですね。
でも前もこの話しちゃったんですけど、遊んでた人の方が結果的に大人になってみてみると人間的に厚みがあって魅力がある気がするんですよね。
人の言葉を借りれば、成長過程における時々の素直な欲求とか渇望をちゃんと満たしてきた人って、ちゃんと前に進めるみたいな感じがすごいしっくりくるんですよね。
私は大して自分の頭で考えもせずに中途半端に過ごしてきた日々をいつまでも中途半端に引きずってしまっているみたいな感覚が自分の中であって、
その時得られなかった未熟な部分が今や腐っているんですけど、でもその腐った部分を捨てられなくて、腐った部分を抱えながら生きている感じがあるんですよね。
そういうことを言うとちょっと退廃的な感じもしちゃうんですけど、私の中にいる孤童羽みたいな感じですよね。
自分自身が孤童羽とは思ってないですけど、自分の中に一部住みついている孤童羽みたいな、ちっちゃい孤童羽飼っているみたいな感じがあります。
未消化なもの、食べ物の未消化なものが胃に何年も居座っててあまりご飯おいしくないみたいな感じですね。
いろいろ例えばっかり出ちゃうんですけど、熟々しているみたいな感じを自覚していて、
前ですね、職場の人にもっと遊びなよって、なっちゃんもっと遊びなよって言われたんですよ。
言われたことがあって、別にそこを熱弁されたわけじゃないんですけど、何かの表紙にさらっとそういうこと言われたんですよね。
なんかそれがすっごくコンプレックス刺激されてうるせえみたいな。
向こうは多分そんな気全くなかったですよ。なかったと思うんですよ。私のコンプレックスを刺激しているなんて。
でもそういうさらっとした一言にぐさっとくるのは、そういう背景があるんですよね。
だから自分が学生の時に変に整備してきちんと遊ばなかったっていうことが、人の成長とか発展、発達に、発達を妨げているような感じがあって、
妨げている部分っていうのは、自分の中の一部が子供化している、みたいな感覚があるっていうことなんですよね。
遊んでどうなりたかったっていうのは、そもそも片身が狭かろうが、他人を言い訳に使わずにやりたいことがやれるっていう度胸とか、
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自分の人生に責任が持っているようなしなやかな人なんだなっていうふうに思うんですよね。
だから遊んでどうなりたかったっていうよりも、遊ぶ前の段階の話なのかなってちょっと思ってたんですよ。
絶対遊んでた人だって家庭が厳しいとか絶対いろいろあっただろうし、衝突が激しいとかも散々あったと思うんですよね。
だから遊びたかったというよりは、遊べる度胸をその当時から持てていなかったので、持てていない以上こうなるっていうのは必然で、
だからあの時こうしておけばよかったとかっていうよりかは、その度胸を持てる人になってたかったなっていう感じなんだなって、今気がつきました。ありがとうございます。
本当にやっぱりこの努力が足りないなって、努力じゃない、努力が足りないなって思うんですよね。
この正義感は足りてる。正義感の度胸とかは足りてるのに、自分のためにえいやってすることがすごい苦手なんですよね。
でも後からくすぶるんですよね。あの時えいやってすればよかったとかってくすぶってなんか気持ち悪いですよねとか面倒くさいですよね。
面倒くさくない人に憧れるっていうのも間違いないんですよね。
自分の向かいたいことがあって、そこにまっすぐ向かっている人みたいな変な自意識とかが邪魔せずに、いいですよねって憧れるんですよね。
面倒くさくない人になりたいなって思います。はい、それではまた。
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