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2024-04-16 06:09

渋谷で遊んで、ヴィトンに憧れてみたかった

🐰さんの放送
#166AVスカウトにあってもガン無視し続けた理由は、基本、男が大嫌いだから
https://stand.fm/episodes/661c82b3193a805c0b64650e

#渋谷
#ちゃんと傷つきながら大きくなるべきだったのかな
#中村淳彦
#悪魔の傾聴ライティング
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https://stand.fm/channels/652a5ea6bcd1491cab282044
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おはようございます、なっちゃのです。昨日ですね、ウサギさんの配信で、男性や大人への絶望がなぜ生まれたのかっていう実体験の性被害とか、誘拐、誘拐てかラチですかね、殺人未遂とかのこういう放送があって、すんごいムナクソ悪い話で、本当にこういうことが一人の女性だけでも、こんな経験をしてしまうというか、させてしまう迷惑な男性の性欲がゴロゴロあるっていうことにすごくヘキヘキしました。
ムナクソ悪いっていうことはここまでで、このウサギさんの放送を聞いて、話の筋には全然関係ないところが気になってしまったんですね。ちょっとそのことについて喋っていこうと思います。
その放送の中で、高校生とか大学生の時に渋谷で遊んでたとか、時代もあって、ビトンのバッグとか財布とか欲しかったっていうお話が出てて、なんか私こういう人になんて言うんでしょう、なんか処刑があるというか、こういう人にはかなわないなっていうなんかコンプレックスみたいなものがあるんですよね。
それは何にそれをどう抱いているのかっていうことなんですけど、例えば高校生とか欲求が多感というか、遊びたいとかブランドのものが欲しいとか、ちょっとスリルのあることをしたいとか、意味もなく渋谷とか原宿で遊びたいみたいな、いろいろ若者特有の熱狂というか、自我をもて余してやり場のない葛藤とかあるじゃないですか。
この大人になったらくだらないって思えるような、見てて若いねとかっていう遊びとかですね、なんかそういうことを私は欠落したまま大人になっちゃったなっていう感覚が自分の中にあるんですよ。
例えば渋谷新宿池袋とか、生まれてから今までずっと苦手だし、今だったら遊ぶなら上野とか東京駅方面ですし、住んでいる場所の影響とか大きいと思うんですけど、それでも高校生くらいのときはほとんど近くのイオンとかマックとかでしたよね。それで本当に十分だったんですよ。
でもやっぱり住んでいる場所から近くはないんですけど、同級生でもわざわざ渋谷に遊びに行っている子とかはいたので、環境だけがそうさせているわけじゃないんですよね。だから近くのイオンとかマックとかで満足できない人はやっぱり渋谷とかに行くんですよ。
私の周りの渋谷行く系の高校生は、当時だけの印象で言うと派手なだけっていう感じがあるんですよね。派手なだけというか、そもそもそんなに理解しようともしてなかったっていうところがあるんですけど、でも時が経って大人になってご飯で会ったりとか、この前渋谷に行く系の人の結婚式があって呼んでもらって行ったんですけど、周りの子は渋谷行く系女子なんですよ。丸い友達。
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たかんな時期の強い衝動とか欲求を持て余している感じとか、その時特有の感情があって遊んでとか、親と多少の抑圧とか衝突とかはあったかもしれないけど、その時期をちゃんと遊べている人って人間の成熟度みたいなことに出るような気が勝手にしてるんですよね。
私はもう二度と取り戻せないその時期の遊びっていうんですかね、をフワフワして過ごしてしまったなっていう感じがあるんですよ。
もうあの遊びを経験した人たちにはかなわないなっていう感覚があるんですよね。
これなんて言語化すればいいんだろう、まだしっくり言語化できてる感じしないんですけど、
例えるならですね、チーム形成の5段階っていうブルースタックマンっていう人の理論があるんですけど、組織とかチームとかでチームをより良く形成するために必要な段階みたいなこと。
ビジネスとかで知ってる方も多いと思うんですけど、この形成期、混乱期、統一期、機能期、追悼期っていうのがあって、まずチームを形成して、混乱期をちゃんと経て、意見の衝突とかですね、経て統一されてチームとして機能して、チームが解散した後には喪失感があるっていう段階の理論なんですよね。
これの一人バージョンっていうのかな、混乱期は私はあんまりなかった分、強いチームなら人間になってないみたいな気持ちがあるんですよね。
それが人としての深みとか成熟度とかっていう言葉を使ってしまうんですけど、自分の気持ちに鈍感で入れたっていうことはある意味では幸せなことだったのかもしれないんですけど、
今となって思えば、ちゃんと何をしたいかとか誰といたいかとかその時からうすらぼんやりしていて、なんかもうこれが一生うすらぼんやりしていく感じがしてるんですよね。
心が強いってのは性格ももちろんあるんですけど、その時その時で自分軸できちんと生きてきたっていうことなんじゃないかなっていうことを思うと、この心が強いとかっていうことへの憧れ、だからその心が強いまでの経緯っていうことにすごくコンプレックスがあるわけなんですよね。
でもだから、当時どうしたらよかったとかっていうのは結局なくて、こうなるしかやっぱりなかったんだなっていうふうに思うんですよね。それはネガティブな意味ではなく、もう事実としてそう思うんですよ。結局は仕方ないっていうことなんですよね。
でもこの憧れというか手の届かない感じっていうのは一生抱いていくのかなっていうふうには思ってしまうわけなんですよね。ということでこんな取り留めない話しておちもないんですけど、兎さんの配信から性被害のところも気になってしまい、こういう話をしてみましたということで今日は以上にします。それではまた。
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