雑音と情報発信の重要性
おはようございます。おはなし屋なおとです。 まずですね、昨日の放送を聞いていただいた方、ありがとうございました。
昨日ですね、放送を撮ったんですけど、その放送がですね、もう あまりに雑音が酷くて
なぜあんなに雑音が鳴っていたかというと、昨日雨が降ってたんですね。 だからバッグの中にワイヤレスマイクに接続した
スマホを入れて歩いてたんですが、 バッグの中でモノと
スマホとマイクをつないでいるケーブルがですね、当たるとどうも 雑音が入るみたいで
それで大変なことになって おりました。
今はバッグの外ポケットにスマホを突っ込んで、そこからケーブルを出してマイクを挿しているので、
もうこれで雑音入ってたらもう俺引退だよ。 引退するわ。朝ラジオ習慣ということで、なんとか引退しないような方法を考えたいと思うんですが、
それでもね、あの雑音の中聴いてくれた方がたくさんいて、特に昨日の放送はあの雑音の中でもなんとか耳を澄まして聴きたいと思ってくれる人が多かったみたいで、
たくさん反応をいただいてですね、ごめんね。 ごめんねって思ったんですが、昨日も自分で投稿した後にすごい音がガシャガシャしてるなということは気づいて、
今までの放送の中で最もガシャガシャしてたなと思って、本当消そうと思ったんですけど一回。ちょっと考えたんですよね。
別にこれを投稿して、嫌な人は聞かなければいい。 こんなん聞いてられねえわって思う人は別に聞かなければいいだけで、それでもちゃんと話していることは話していることなんで、
それでも聞いてくれる人がいるんだったら、決して誰に与えられることってない。 残せば残したら誰かに届くかもしれない。
し、僕の中で放送としての完成度は雑音が入ってしまっているから低いんだけど、
でもそれで感じ取れる人は感じ取れるし、消したところで別に誰も得しないなって思って、そのまま出すようにしたらですね、
こういう放送に限ってすごく届くということがありまして、 これ面白いなぁと思ったんですね。なので今日はせっかくその話をしたので、
情報発信をする時の考え方について共有をしていきたいかなと、皆さんとね、思います。 僕は昨日の発信にもある通りですね。
情報発信というのは、そのクオリティが低かろうと、何だろうと、雑音が入っていようと、
出すに越したことはないという考え方が基本的にあります。 なぜなら、
出したことで何か得られることはあっても、出さないことで得られることって基本的にないからなんですね。
アマチュアとしての意識
だって原理、ガシャガシャ言ってたでしょ、めちゃくちゃ。 それでも、なんかガシャガシャ言ってるなって、そのガシャガシャをポジティブに捉える人ってのは、
いないと思うんですよ。でも、そのガシャガシャ言ってるから何?っていうところで、 ガシャガシャの中で一生懸命聞こうとしてくれる人っているんですね。
だから自分がガシャガシャしている自分の放送が クオリティが低いからっていうことで外に出さなければ、その耳を澄ましてでも聞いてくれるような人に
届くチャンスを失う。つまりですね、 僕たちはそのガシャガシャ言っていても
聞きたいと思ってくれるような人に最終的に声を届けなきゃいけないんですね。 だからといって全ての放送をガシャガシャしているというのは
相手にね、その甘えているということ。別に甘えてもいいんだけど、いいんだけど、
ちがうですよ、たまに、たまにしてしまう嘘相はもうしゃあないもんだよねということで、 相手にもある程度受け入れてもらう。なんかお客さん扱いしないってことかな。
なんか僕は、ラジオのリスナーさんたちはすごく僕の放送聞いてありがたいと思っているけれど、 別にラジオ自体でお金をもらっているわけではないので、
所詮さ、素人の配信よ。所詮素人の配信だから、 プロが求めるような音質とか、もちろんこちらを高める努力はするけどね、
プロが求めるような音質がないと聞かないとか、 自分に関係ない話っぽいから聞かないっていう人に
その 100%向き合い続ける必要は僕はないと思っていて、
あなたのラジオはあなたの放送局ではあるんだけれども、あなたはプロのラジオ放送者ではないんですね。
ここなんかわかるかな。一見矛盾しているようで、僕はすごい大事な考え方だと思うんですけど、
もう僕たちはアマチュアなんですよ。 プロ意識を持ったアマチュアなんですね。
だからなるべく完成度高く、なるべく視聴者のストレスのないように、リスナーが離脱しないように考えます。
考えるんだけれども、それはあくまで一生懸命やるけれども、 たまにできてないこともあるよねっていうその前提のもとで、
これがもし僕が3000円もらって出している放送なんだったら絶対取り直すよ。
絶対取り直すけど、でもそうじゃない中で、お互いが歩み寄ることで成立しているのがアマチュアのラジオ番組だということを考えるとですね、
じゃあガシャガシャ音がしているラジオがもう撮れてしまったと、そこにあるんだとってなった時に、出すか出さないかの判断で僕は出すを選んじゃうんですね。
現に届いているわけなので、これでいいんだよなぁということを感じました。 出した方がいいんですよ絶対に。
プロ意識と人間らしさ
だから僕はその無料の配信をずっと続けているっていうのもあるし、いい意味でも悪い意味でも無料の配信って肩の力を抜いていいと思うんですよ。
ただ無料の配信だからといって、みんな聴いてくれるやろうっていうのも違うんですね。
これ僕の好きなラッパーのですね、僕はヒップホップが好きなんですけど、最近あんまり聴いてないけど、
リョフ・カルマっていうラッパーがいて、その人はフリースタイルバトルとかでめちゃめちゃ有名なんですけど、僕その人の音源めっちゃ好きなんですね。
一時期アルバム聴いたり、ライブ行って直接アルバム買わせてもらったりしてた時もあって、そこの歌の中でヤング・ダカジンっていう歌があって、そこの一セクトでね、
いつもヤバイ、たまにダサい、その時はその時でごめんなさい、無様な姿、今日のハイライト、二度は続かない、心配ないっていう歌詞があるんですけど、僕それ好きで、めちゃくちゃ好きで。
だからやっぱりそのありのままというか、自分の持っているもので勝負していると、この人どんだけすげーって思っても、
やっぱりたまにダサい時ってあるんですよ。
ラッパーとかそういう系のアーティストって、クラブとかで歌いながら、
参加者と一緒に酒を飲みながら、そうやってする文化なので、酒飲みすぎてライブ全然ダメだったみたいなこともどうしてもあるみたいで、でもそういうところも自分だから、
だからプロとして一生懸命やるんだけれども、たまにはダサいこともしてしまいますと、それはごめんと、ただ二度は続かないから心配しないでくれって、
無様な俺が今日のハイライトだよっていうような表現をカルマさんはしたんですね。僕はもうね、
痺れたねー、無様であってはいけないという思い込みがどこかにある。
もちろんプロ意識というのはすごく大事なんですが、でも僕が魅力に感じるプロっていうのは、そのプロ意識はものすごくあるし、
ヘッドというかリスナー、視聴者に良いものを届けようとはするんだけれども、ただそれも片肘張っているわけじゃなくて、人間だから当然ミスはするし、
なんかそういう部分も含めて、この人いいなーって思うようなアーティストがやっぱり僕は好きなんですよね。
これは極論かもしれないですけど、アーティストがたまにこうやらかして、週刊誌にすっぱ抜かれたりとか、
酒に酔って暴れてそのまま逮捕されましたみたいな話あるじゃないですか。僕はああいうのがあると、なおさらその人のこと好きになるタイプなんですよね。
いやこんだけ輝いてたらそういうこともするかーみたいな。もちろんその倫理的に良いこと悪いことっていうのはあるしね、
まあ法律破ったりするから、それは良くない。それを何か許していいとかそういう話じゃなくて、でもこんだけ真剣に自分の人生と向き合って、
自分の芸術と向き合ってたら、例えばそれを踏みにじるような奴が目の前に現れたとしたら、手出ちゃうよなーそうだよなーだって真剣に歌ってるもんねーって思ったりします。
僕はそういうタイプ。だから自分がそういうことをしても許されるとかそういう話では全くないんですが、なんか
その そういう報道が出たりすると、なんかそういうことする人だったんだみたいな。
がっくりしましたみたいな。ファンやめますみたいなこと言ってる奴いるじゃないですか。ああいうのがね一番ダメだと思うと僕は勝手に思っている。
ファンならそういうところも含めて愛さんかいと僕は思うし、僕はそういうところも含めて愛する
タイプ なんですよね。なんかそういう報道が出たから何言って報道されていることだけが全てとは限らないでしょって思うタイプだけど
なんて言ったらいいのかなぁ
その人のなんかこう全てを見て僕は人を好きになるから、なんかその人が何か想像をしたところで、なんかそんな人だとは思わなかったみたいな。
いやそれはお前のこんな人なんじゃないかフィルターがガバガバなだけじゃん。 僕は一回すごく好きだったアーティストが、昔そのね
なんだっけなあれ、直筆で警察官に
なんか 手出したかなんかで、あの業務執行、業務じゃないな。なんだあれ、警察に手出したら何で捕まるんでしたっけ
なんかその何とか妨害、公務執行妨害かで捕まったみたいなことがあった時に
まあそれで世間が相当騒がれてですね、まあなんか見失ったとか、まあなんかロックやってる奴は頭おかしいとかなんか言われてるのを見て
その時そのアーティストのことめちゃくちゃ好きとかではなかったんですけど、なんかそれ見ていやー
あの人あのマジ生き方ロックだからすげー警察官がいたんだろうなとか
勝手に想像しちゃうんですね。なんか話聞いたら、なんか警察官がすごい高圧、まあそのアーティストさんが言ってた話だからね
ちょっとどうかわかんないけど、警察官がすごい高圧的な態度で、こっちももうなんかねえ
すごいそれでイラついてて、で向こうが警察官が帽子取れよみたいな、噛んで帽子に手を伸ばしてきてそれを結構思いっきり振り払って
てめえふざけんなこの野郎みたいなことを言ったらそれで逮捕されたみたいな、なんか話をしてたのをなんかどっかで見て
そうだよねー、あなたはそういうことされたらブチギレるよねーみたいな、なんかその人がやったことは悪いこととして、まあ実際に法で裁きを受けててね
あの損をしてるわけなのでその人は、まあ何でもそうなんだけど
有名人がさ、あのなんていうのかな
不倫したとか、暴行したとか、確かにそれは良くないことです、良くないことなんだけれどもその裁きというのは法がしたりルールの下でね
まあ 裁かれるわけなので僕ら
そのアーティストのファンが ファンと名乗っていた人がその人を個人的に攻撃するというのは
出すことの重要性
それはその私刑と書いて死刑 だなぁと思うんですよね、なんか僕は違うと思う、悪いことした人はちゃんと裁かれるから
なんかそのプラスアルファでその裁きを なんかこう一ファンが下すわけではないと思うし
ファンならその報道の一部とかだけを見て、見損なった見損なったとか、ファンだった時間返せとか
なんかそういうのじゃなくて、なんか理由があったんじゃねえかって最後までその人を信じるというか
だからといってそういうことを肯定するわけじゃないんですけどね、肯定するわけじゃないんだけど人間だから
なんかね、その報道はさ、すごい売れてるアーティストがなんか調子に乗って
で、超えてはいけない一戦を超えてしまいましたみたいな感じで報道するけど本当にそれが真実なのかなって
なんかこの人感性で生きてる人だからこの人にどうしても許さないことして
なんかこう手振り払っちゃったんじゃないのとかわかんないよ、わかんないけどそういうことを僕は考えるタイプだなぁと思うんですね
もちろん何回も言うけど良くないことは良くないことだよ、良くないことは良くないことなんだけれども
なんかその表に出ていることで見損なったとか
この人は調子に乗ってるとかなんか言うのは違うんじゃないかなと個人的には思うタイプなので
だから何の話かっていうと僕は誰かを好きになったりする時ってその人のなんかこう
歌を歌ってるんだったらその歌に込められた思いとかじゃあその思いがどこから生まれたのかとか
そういうところがすごく気になるで好きになる時はそういうところも含めて好きになるので
いつもヤバいたまにダサいこのたまにダサいで僕はロックされる人なんですね
ちゃんとしてないとダメ、あなたはアーティストなんだからそんなちゃんとしてない楽曲を世に出してはダメみたいな感じで
いるというかなんかねその自分の好きじゃ好きなアーティストが新しいアルバムで
なんかこうパッと自分が受け入れられないような曲調の曲を出してきたってなった時に
なんかもう俺の好きじゃなくなっちゃったっていうのは簡単なんだけどなんかそうじゃなくて
そのこんだけ曲調が変わったってことは何か心境に変化があったのかなって確かに俺の聞いてた音楽とは違うから
ちょっと聞きにくいんだけどでも俺はこの人に相当勇気もらってるから一回聞こうって言ってアルバムを全部通しで聞いたりします
僕はそういうタイプのファンなのでもちろんそれでやっぱちょっと今回のアルバム俺に合わなかったなってことはあるんだけれども
一回聞くようにするなこれはコーチングの現場でも一緒だよねクライアントが例えばじゃあ僕がなんかね僕の場合は企業っていうテーマでお話しさせてもらってるので
まあ企業についてこうしていこうしていこうよっていう話をした後にそれをもっと全然違う方向で悩んでなんか
あさっての方向から感じるようなことをまあなんかフィードバックで出してきたとしても確かにえっと全然話違うやんとはなるんだけど
でもこの人は僕の言葉をちゃんと受け取ってくれてるはずだから何かあったんじゃないかっていう形でなんかを1回なんかそういう結末を出してくるんだったら知りませんみたいな感じじゃなくてあなたがそういう結末を出してきたってことは何かあったんでしょうねその何か一緒に探しに行きましょうっていう
姿勢で関わる気がするしあなたがコーチとして活動するときも コーチはクライアントの人生を前に進めるという
仕事です別に前に進めるのはコーチじゃないんだけどそうなった時にあなた は
あなたがそのクライアントに言うことってクライアントの常識の外側のアドバイスであったり フィードバックである可能性が高いですよねだってそのクライアントは
自分の常識の外側に行きたいと思ってるんだからでもその常識の外側に行きたいと思ってる その人に伝える必要なアドバイスっていうのは多分その日の常識の外側のことなので
その人にとっては受け入れがたいメッセージの可能性が高いんですねそうなった時に いやーでもコーチのあなたがそう言ってくれるんだったら
正直ちょっとこの話受け入れがたいけど1回受け入れてみようとか コーチ確かにこの言葉だけ聞いたらすぐに跳ねのけたくなる気持ちなんだけど
でもコーチが言ってくれるんだったら絶対意味あるから1回向き合おうみたいな この
違和感も抱えながらもそこに向き合うという動作が成長したり 新しい世界に行くためには絶対に必要なんですね
僕の言葉って気持ちよくないんですよ絶対に起業して個人で生きるという感覚が分かっている人から したら超気持ちいいと思いますよ僕言語可能力やばいんで
だけどやっぱりこれからやっていこうとかこれから世界変えていこうという人にとっては まあ
療薬口に逃がしと言いますか 結構にがいことずばずば言うと思うんですねその時になんか
苦いから嫌い 苦いから嫌い嫌いなものを出してくるお話など嫌いってもうなっちゃうと人生絶対
変わらないんですねそこでまあ クソにゲーけどなおさんが出してくれるんだから自分には必要なことなのかもなって
やっぱ飲み込んできてくれた人がまあそのこの間でいう山口さんであったりやっぱり人生変えて いやーもう世界変わったねっていう人って僕が処方した苦い薬ずっと飲んでるんですよね
信じてくれるだから僕もそうやって信じてくれるし 僕が出した薬はこの人絶対飲むからってなったら言葉選ばなきゃいけないなってなるんですよ
そういう関係がこうしたクライアントで一番いい関係なのかなと僕は思っているので だからやっぱりその発信からもなんかいい部分の僕だけを受け入れたいっていう人は
正直僕のクライアントにならないしクライアントになったところで僕の価値を伝えることは できないんですね
だからまあちょっと方向性は違うかもしれないですけどたまにまあ僕もそのガシャガシャの 音声だしたりとか
ダサいこともやっちゃうんですけどそういうそういうものも含めて面白がってくれる人じゃないと なんかガシャガシャな音がしてるから聞かないじゃなくて
ガシャガシャな音がして聞きづらいんだけどこいつは何かすげー なんか意味があるんじゃないこのガシャガシャな音をこいつが投稿したってことをそれでも伝えたい
ことなんじゃないかって耳を澄ましてくれるよね そんなコミュニケーションを取っていくことが発信ですごく大事なんじゃないかなと思いました
ただ日々ガシャガシャなまま出しているのはそれはなんか僕はプロ意識の欠如だと思うので そこはバランスなんだけどたまにダセーのはいいよ
たまにダセーのはいいよと自分では思って人間なもん ミスることはあるよねっていうね
そのミスさえも愛し愛されできていくような関係性 これがコーチとして一番大事なんじゃないかなと思いましたという話でした
倫理効果の理解
今日の放送はちゃんと撮れてるのかしらどうなんだろうね わかんないけど今日撮れてなかったら営業だわ
今日はちゃんとあのバッグの側面にスマホをぶっ刺して撮ってますので 撮れてることを祈ります
あと余談として今読んでいる本でですね面白い
言葉をこれ初めて聞く言葉を 見てなるほどなぁと思っているのでそれは共有したいと思います
皆さん倫理効果って知ってますか僕結構本読むんですけど でもう10年ぐらい前起業した当初だから本にだけはめちゃくちゃ課金するっていう形でずっと
やってて初めて聞いたのでえって思ったんですが 倫理効果ってのはいろいろあるんだけれども一言で言うと
8 時の試練を乗り越えてきたものは
長く続く 可能性が高い
これどういうことかというと 開店して100日持ちこたえた飲食店の
残り寿命は100日ぐらいあると考えた方がいいよこれ 意味わかんないと思うんですけどあの
時代を超えて受け継がれているメッセージとかそういうもので時代を超えるだけ 長い時間世の中に晒されても消えなかった
メッセージっていうことじゃないですか それこそじゃあ感謝が大事だよっていつから言われてんのっていう話
でも人類がどっかで感謝大事じゃないわってなったらその格言って残ってないわけで 残ってるってことはそうなんだよと
だから古典は正しいっていうような考え方なんですよね 倫理効果
だからやっぱりその例えばそのマーケティング スクールとかで教えているこういうマーケティングが厚くてこういうふうにしたらこういう
結果が出るんだよこうしたらコーチ稼ぐことができるんだよって じゃあ僕が起業した10年前言ってた人もう全員同じこと言ってないです
一人もいないなんでかって言ったらこの時の思念ですね 誰かが何かを伝え出して言い出してその言葉の証明期限っていうのがあって
短期的な利益が出るんだけどこれ長期的には利益でないよねっていうような話って その言葉を信じて長い時間が経った人が
結局これ長い時間経っても使えないじゃんっていうことに気づいて そのその価値がなくなったということを人に伝えなくなるだから消えるんですよ
ちょっと今僕もあの最近最近見つけた言葉の話をしてるんでちょっと説明がただただしいんですが つまり生き残ったものにはそれだけ本質的な価値があるよっていう
言葉が倫理効果っていうらしくてだから僕は結構 時代に流されない本当に自分が大事だと思っていることをやるっていうことを僕はね
ずっとライフコーチについてもらってるんでそこをずっとコーチとね 話してきたんですよだからその僕は1回もバズったことがないし
なんかそういうそのマーケティングノウハウとか流行りのコーチングテクニックとかに一切 手を出さずにここまで来たんですよ
僕がやってることっていうのはその世界中にいる 僕のこと僕が何をしても僕を好きでいてくれるであろう全体が10割だとしては2割の
人たちですよね 幸せにするんだそういう人たちに向けて届けるんだっていうことをずっとやり
続けてきたに過ぎなくてでもそれって最近言われた概念じゃないでじゃないですか あとはそのギブアンドテイク与えたものがより多く与えられるんでこんなものも100年
単位で言われていることじゃんとかエッセンシャル思考選択と集中すべてを同時に することはできないから
何かを成し遂げたいときは他のすべてを勇気を持って手放してその一つに集中しろ それ言われてるじゃんとか豊かになりたいんだったら会社員だったら絶対構造上豊かになれ
ないんだよこれもずっと言われてるじゃん でも別に流行りの言葉じゃないじゃんっていうこの流行り言葉ではないがずっと残っている
言葉っていうのにあの本質があるんだよだってその言葉は時の試練に打ち勝って 生き残ってきたものなんだよというのが
倫理効果っていう 言葉らしいですねなんで倫理効果な倫理っていう名前なのかみたいなのは調べてもらったら
いいんですけどなんか飲食店の名前らしいですね っていう話
倫理効果と情報発信の重要性
あってだから僕はまあその 高知企業という吹けば飛ぶような仕事を10年やっているわけなので
またもこれはちょっと思い上がりじゃないけど僕がやってきたことってのは倫理効果が 働いていて10年生き残るような時間が経ったらなんかこう
陳腐になっていくようなものじゃない だから僕は今日この日まで生存しているという考え方なんですね
わー俺は倫理 対倫理って言ったかな
倫理に打ち勝つというか倫理的な動きができていたんだ結構だから僕はその
ほんと流行りしたりしないしだからコーチングもやっぱ流行りあるじゃないですか 今こういうのが流行りみたいなそういうのに手出してきてないもんな
ずっとコーチングはもうその自分がクライアントと関わる中で学ぶし あと本ね書籍あのねこれねだからその倫理効果っていうのを本で読んだってのもあるんだ
けどやっぱ本読むの大事だなって思った なぜならあの書籍って
出すのに半年くらいはやっぱりかかるので書籍になっている時点で半年は効くノウハウ じゃないと売れないから出せないのよ
だしその情報発信で別に1日で作れるからその日その栄えている コンテンツだったら出せるんだけどやっぱ本から学ぼうと思うとずっと残ってる本
ずっとその普遍的な本質的な話じゃないと本にしにくいんだよね 構造上ねだから本読む僕基本的に情報源って全部本なんですよ
本にならないようなことってあんまり勉強しないんですよね だからなんかマーケティング学びに行って学びに行くためにスクール行ったりしないし
コーチング勉強するために資格とで取ったりしないし なんでかっていうとその時間の試練に打ち勝って長く
生き残っていくようなものでないとそこに金額を投資する意味がないと思ってるん ですね
だから僕はコーチとして自分はやってるんですが僕はそのコーチとして選ばれる理由として 僕10年やってるんで10年生き残るような人間ってことなんですよ
まあまあそれ自分で言うのもちょっとなんかムズムズるけど10人生き残るようなことを してるから10年生き残ってるわけでそれはなんか流行りとかしたりとかじゃなくて多分
本質的なことをつかめたからここまで生き残ってこれてるんだと思うし生き残るために僕はそれを やっていたので自分で意識してなんかこれ
今体だしたらすげー伸びそうだけどでもなんか入りしたりで波乗りするように生きていこう って言ってたら学ぶさんもういなくなってるしなみたいな考え方
まあちょっと学ぶさんて僕がその youtube 始めた時にめちゃくちゃ参考にした方がいるんですけど その人はもう波に乗りましょう波に乗りましょうって言ってて情報発信の世界からは多分
姿を消しているというか だから常に成長を続けてコンフォートゾーン飛び出そうって言ってた人はみんなうつ病になって
いったような気がするし 情報発信の新しい波に乗りましょう新しいものにどんどん飛びつきましょうっていう人はほとんど表
舞台から姿を消しているような気がする 気がするその時はもう波乗らないなんておかしいよねとか
成長しない人が終わってるよねーみたいな感じだったけどなんか僕は10年この世界を見て た時に結局長く続く人って独自のその
経済圏で古くから言われているような本質的なことをずっとやっている人間な気がして これを表現してくれた言葉が倫理倫理効果
気になる人は調べてくださいだから倫理倫理効果 に
なんかこう準ずるような動き方をしていけばだから僕が今自分が喋っていることが 3年後も通用するな5年後も生き残っているなと思うようなことを言い続ければいいん
じゃないかなと思って今日の放送は5年後聞いてもなるほどねーって言うと思うので これはいいなと思いますしそういえば僕の発信とかノートとかラジオ
youtube 全部そうだけどやっぱ 5年後見てもやっぱ結構本質的なこと言えるなーってやっぱ思うことばっかりだもんね昔のあの
尖らしてなんていうかなオラーって言ってた時のでさえよくよく話し聞いてみると 本質的なこと言ってるよなぁとすごく思うので
なんかそういうのを倫理効果っていうらしいですよということで今日の余談パート 終わります今日こそガサガサしてないことを祈ります終わりです