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2025-08-31 25:06

没頭して楽しく話すことがコーチングに「なる」。これが僕の原点

頭の中を整理しながらしゃべってます。今後のあり方について考えてるぜ。


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#コーチング #あり方 #起業 #ライフコーチ #おはなし屋なおと

サマリー

コーチングにおける重要なポイントは楽しさであると話し、自己の役割を再確認する過程を共有しています。また、『鬼滅の刃』の例を通じて、個人の目的と集団の目的の違いについて考えています。このエピソードでは、コーチングにおける個人の生き方や価値観、特に団結の必要性について考察しています。話者は、人々が魔王のような存在を作り出し、団結しようとする理由や、個人として生きることの重要性について述べています。また、コーチングにおける楽しさや対話の重要性について語り、自己の成長と新しい挑戦に対する意識が伝えられています。特に、個人的なつながりを通じて経済が回る世界観の形成を目指しています。

コーチングの楽しさ
おはようございます、おなし屋なおとです。
今日は今考えていることをいろいろ喋っていきたいと思います。
昨日からいろいろ考えていることがあって、
それを全部伝わるように話をすると、
前提喋るだけで1時間くらい終わっちゃうので、
要所要所かいつまんで、聞く人にとっては何が何だかわからない話もあると思うんですが、
一旦、せりがてら話していきたいと思います。
僕はここ数日間、自分の役割についてとても考えていました。
首が痛くなって、立つこともままならなくなって、
自分の頭の重さも自分の体で支えられないようになった時、
天井を見上げるしか僕にできることがなくなった時、考えました。
今までの人生って何だったんだろうな、
それは決して絶望しているとか悔やんでいるとか、
そういう文脈じゃなくて、
もう一度出会い直さなければいけないなと、
自分は今まで何をやってきたんだろうかというような問いかけ的な話です。
そして、僕はコーチとして、
これから何をしていくべきなんだろうかということを考えた時に、
一つ考えが浮かんできました。
それは、コーチングは楽しいものでないといけないということです。
この2日間くらい、
今まで僕同業…
あ、ちょっとうるさい。うるさい車が…ちょっと待ってくださいね。
裏路地に入ります。
今、恒例の散歩中なんですが、
僕ですね、今までコーチとして9年活動してきてますけど、
あんまり同業者の緊急ってしてこなかったんですね。
自分以外のコーチに対して、
もちろん僕のクライアントさんとか、
僕と関わってくれる人は別ですけど、
自分が直接の関わりがない同業他社にあまり興味がないというか、
僕が請求しているコーチングと、
世の中でコーチングとして語られているもののですね、
文脈が直感的に明らかに違うなと思っていたので、
動画とかページとか見ても、
正直全然ピンとこなかったんですね。
鬼滅の刃と集団の目的
ピンとこないもの見てもしょうがないから、
同業他社見るぐらいだったら、
もちろん僕がコーチとしてクライアントに出会えてないって言うんだったら、
同業他社がどういうやり方をしているのかなっていうのを調べたと思うんですが、
僕はありがたいことに、
お客さんとは出会えているし、
お客さんと出会い続ける方法もなんとなくわかっているし、
何なら僕もそれなりに長いことやってきて、
個人でパーソナルでライフコーチをやっている人間で、
9年活動を続けている人間は、
僕自分以外に見たことがないですし、
会社とか組織とかにしていって、
中の人たちが入れ替わり立ち替わりとか、
そういうことをしながら続いているっていうケースはあるんですが、
ビジネスという、
1から100まで全部自分で巻き取るっていうような生き方で、
ライフコーチっていうものすごいパーソナルな仕事を、
9年間続けている人間を僕は知らないんですね。
しかし、対話っていうところに僕はグリップを置き続けている人間だと思っていまして、
自分は何で続けられてきたのかなっていうところも考えるわけなんですね。
なった時に僕は冒頭にも話したけど、
楽しいってことをすごく大事にしています。
コーチングが未来に効くとか、
将来の自分のためになるとか、
成長につながるっていうところ、
コーチングってイコール成長とか、
体現とか、
そういうふうに言われたりする、
自分を強くするためのトレーニングだというふうに、
一般的な文脈では捉えられがちというか、
今一番勢いのある会社がありますね、
コーチングの。
ちょっと前名前が変わりましたけど、
最近そこの動画を漁るように見ていてですね、
僕あんまり同業の、
同業他社というか、
規模的にはもう全然違いますけど、
自分じゃないコーチたちの話っていうのを、
じっくり聞いたことがなかったんですよ、
本当に。
なんかね、
研究すべきにもなれなくて、
でもなんか自分が変わろうとしているときに、
同じく変わろうともがいている人たちの言葉っていうのは、
すごい刺さるなあと思いながらですね、
こういう動画がついに俺見れるようになってるかという、
なんか変化も感じてたんですが、
そこでやっぱり感じたことですね、
なんか世の中で今求められているコーチングと、
僕が語っているコーチングが文脈的に違う。
なぜかというと、
成長することとか、
体現し続けることとか、
そういうところにすごい価値を見出すというか、
言ってたんですね、
だから僕がその動画を、
自分ではないコーチ集団の、
間違いなくコーチングの業界ではまず派遣を取るでしょうね。
もう取ってんじゃないかなっていうところの人たちが言ってました。
自分たちが可能性を追求しなくなれば終わりなんだと。
そしてまた自分ではない誰かが、
この意志を引き継いでやっていくんだみたいな。
なんかそういうのを見て、
僕はすごく、
最近鬼滅の刃の映画を見に行った時思ったんですけど、
なんか鬼殺隊を感じたんですね。
なんか俺が、
たとえ成し遂げられなくても、
俺の意志を継いだ誰かが、
お前を殺す鬼仏寺無参みたいな。
鬼殺隊感があるなぁと思って、
僕は完全にそこは相入れないなというふうに、
正直思ったんですね。
発想が違うというか、
否定するとか肯定するとかそういう話じゃなくて、
僕が作っている世界観の発想が鬼滅の刃ではないんですよね。
一つの目的として、
鬼滅の刃見たことない人からしたらちょっとわけわかんないかもしれないですけど、
鬼滅の刃っていうのは、
鬼と戦う人間の話なんですね。
鬼の大元は鬼仏寺無参っていうめちゃくちゃ強い鬼がいて、
その鬼は血を分けることで古墳を作ったりだとか、
その古墳の中でもめちゃくちゃ強いやつとかは、
何百年単位で負けることなく人間を食い続けてたりするわけなんですね。
そこで鬼殺隊っていう組織が生まれるんですけど、
それは鬼に家族を奪われたり、
鬼に大事な人を殺されたりした人たちが集まって、
鬼を撲滅するべく、
しかも自分が今まで奪われてきた尊厳を、
これからまた奪われる人が鬼が活動する限り出るわけなので、
鬼仏寺無参を殲滅すると。
鬼は鬼仏寺無参が一人トップの組織なので、
無参を倒せば鬼というのは消滅する、
全ての鬼は消滅すると言われている。
ただ鬼仏寺無参が圧倒的に強いんですね。
だからそれを何とか人間は非力ですし、鬼と違って、
傷は再生しないし、取れた腕は戻らないし、
その中で何とか鬼を倒していこうという話が、
2020年、19年ぐらいから、
もう日本のカルチャーとして盛り上がり続けているわけです。
そこで鬼殺隊の人たちが言うんですね。
俺が道の赤葉で倒れても、
俺の子孫がお前を倒すみたいな。
だからそうやって脈々と受け継がれていく意思が、
一人の人間だと到底鬼に敵わないのが、
そうやって意思が受け継がれていくことによって、
最後鬼仏寺無参を討ちというような、
そういうストーリーです。
日本社会と個人の役割
どうやって討つかというのは、
僕は原作を読んでいるので知っているんですが、
たぶん映画とかで楽しんでいる人もいるので、
これ以上この話はしませんが。
なんか日本人っぽいですよね。
会社という組織とか、
自分ではない大いなる集団の流れに、
集団が達成する目的の、
自分はそのうちのピースの一つであるという考え方に
すごくフィットするのが、
日本人的な地なのかなと思って。
僕はそこにすごいと思うんだけど、
できないと思うんですよね。
自分の人生というものを考えた時に、
自分の役回りというのが、
入れ替わり立ち替わりするというか、
その会社に5年いたとして、
5年間何かの使命を、
その会社の使命を果たすのに、
適した人材ではなくなった時に会社を辞め、
また次の会社に入り、
そこで5年間使命を果たし、
またそこを辞めというか、
クビになり、
今度は追われる形で出るみたいなことを繰り返しながら、
何なの?
フリーランスの侍なのみんな?
何でそうやっていつまで経っても、
人の作った器で剣を振るうの?みたいな。
だから僕は多分、
鬼殺隊にも入らないんじゃないかなと思った。
鬼滅の刃っていう世界観が、
鬼仏寺無惨という存在によって、
人間たちをすごく一つにしているというか、
勢力図みたいなものが、
鬼対人間という構造なので、
その中の人間対人間みたいな話ってないんですね。
なぜなら鬼仏寺無惨が圧倒的に強いから、
圧倒的に強いものの前で、
人間が分裂してる暇がないんですよ。
ただ僕はこの日本の社会において、
想像の考え方なのかな?
圧倒的悪というのは、
存在してないと思うんですよ。
倒すべき敵みたいなものってないし、
倒すべき課題みたいなものもないし、
僕は今の日本って、
先人たちがたくさん血を流して達成された未来。
ドラクエでいうと、
勇者が魔王を倒した後の世界だと僕は思ってるんですね。
団結と魔王の概念
確かに問題はいろいろあるけれど、
別に人間全員が決着して倒さなきゃいけない魔王がいるわけじゃないし、
ドラゴンボールだったらみんなで、
マジンブーン相手に元気玉を使って、
最後倒したじゃないですか。
知らない人は分かんないかもしれないですけど。
マジンブーンもいないんですよ。
力を合わせて倒すべき存在がいないってなったときに、
僕がどうしても抱えている違和感、
解消できない違和感というのがここなんです。
団結したいがために、
魔王を作り出そうとしているのではないかという、
何か課題を掲げたときに、
その課題って別にあなたが解決しなくても、
別に誰も困らないものなんじゃないとか、
そもそもそれは、いろんな問題が統合して、
そこに課題のように見えるだけで、
キモトキは倒さなきゃいけない魔王ではないのにも関わらず、
人間というのは団結したいという本能があって、
そして団結したいという生存本能みたいなものがあって、
団結したいが故に、
魔王を作り出しているんじゃないかみたいな、
俺たちの使命は、みたいなことを言っている人たちに、
ものすごく違和感。
日本における生活環境
違和感がある。
それはその人たちからしたら、
お前が使命に目覚められてないからでしょって思ったりするし、
そうやって一緒に手を取り合う楽しさを知らないからでしょって、
正直言われるかもしれないし、
なんかね、
カンパニー的な動きをしている人からしたら、
お前程度の規模で何言ってんだって、
言われるかもしれないんだが、これは何なんだろうな、
価値観なのかな、
子として生きるということが、
僕の人生の明大な気がするんですよ。
僕はその前世的なものも何となく、
都合よく解釈はしているんですが、
この素晴らしい日本というところに生まれた、
つまり、世界の歴史をちょっと勉強したら分かることだと思うんですけど、
今のこの日本の時代に生まれるというのは、
今の時代に生まれるというのは、
そして日本に生まれるというのは、
多分もう今までの人類史上最も幸福だと言ってもいいぐらいの
出来事だと思うんですね。
でも今、タダでさえ子供の数、
僕らが生まれてくるぐらいにはもう減ってるって言われてましたし、
どんどん日本は暗くなってると言われるけど、
日本はどんどんこれから暗くなっていくよっていうのは、
つまりお前今ピークだよっていうことではあるので、
正直僕らはもう、
戦争ももちろん世界を見渡せば戦争が起きてる国もあるし、
あれかもしれないけど、
しかも日本の中でもやっぱり直接の戦争が起きてないといえ、
経済的にすごい苦しい状況に生まれた人とか、
必ずしもみんなが平和で幸せな時代に生まれたとは思わない。
けれども少なくとも僕とか、
僕の周りにいる人ってのは、
まあ別に地名とか関係なくても、
鬼仏寺無参を追わなくても、
特に団結しなくても、
生きていける時代に生まれてるわけなんですよね。
なんでみんなそんなに団結しようとするの?
なんでそんな何かを追っていないと、
生きていけないのかい?っていう風に考えます。
これ自分でも言ってますけど、
僕はそういう価値観を真っ向から否定してるわけじゃないんです。
なぜならそうやって、
あの時大変だったよね、
この時すごくカオスな状態で会社がみたいな、
動画でそういうことを話してるコーチングカンパニーの人たちのね、
動画を見るとちょっと羨ましいなって思うんです。
なぜなら僕も9年前に起業して、
9年前はそれと同じことをやろうとしたんです。
起業して自分がコーチングでちょっと稼げた。
稼げたってなった時にチームを入れて、
そのチームでコーチングを回そうとした。
ただ僕はその時バズってなかったから、
集客力があったわけじゃなかったので、
新しく加入してくれた人と一緒に集客をした。
したら集客がうまくいかなかった。
そこからチームが割れてって結局一人になりましたっていうところから、
個人としての生き方
子としてやっていくという形でやってるので、
正直だから会社にできなかった。
やりたかったけどできなかった人間なんですよ、僕はね。
だからないものねだりで、
そういう人たちのことをちょっと理解できないなっていうふうに、
思ってる可能性もなきにしもあらずではあるが、
ただ少なくとも僕が個人として思うこと。
それなんか無理して、
人間の本能として集まって何かをしたいという気持ちがあって、
しかもそれもなんかその本能もきっと手段だったと思うんですよ。
例えばその氷河期は人間は生きてないのか、
分かんないけど何かこう、
村を作って集団を作って倒さなきゃいけないものがあったりとかね、
集団を作らないと乗り越えられないものがあったりとかね、
そういうことがあったから僕らは集団を作ったんだけど、
いつの間にか集団を作ったらうまくいった、
打破できたという成功体験が強くなりすぎて、
なんかもう集団を作るために敵を作り出しちゃってるというか、
群れたいがために魔王をね、
鬼仏寺無惨ではないただの強そうな人間を
あいつは鬼仏寺だって言って殺しに行こうとしたりとかしてるのが
なんか人間能力なところなんじゃないかなと思っていて、
だから子として生きることができるんだよって、
別になんかみんなに個人で生きろというつもりはないし、
日本のこの素晴らしいインフラとか生活環境っていうのは、
明らかに人間一人が作れるものではないんですね。
みんなが個人事業主になったりしたらこの世界は終わると思うんですよ。
終わると思うんだけど、
ただ俺と同じ違和感を感じてるやついねえか?
なんか本当は別に誰にも頼らなくて生きていく。
誰にも頼らなくて別にお金を使ってサービスを受けたりする時点で頼ることは頼るんだよ。
ただ所属とか生活の大半をそこに捧げるとか、
そういう繋がり方をしなくても、
もう何て言うのかな、
俺たちは生きていける時代に来てんじゃねえかというのが、
やっぱり僕の家庭というか考え方なんですね。
そして生きていけるのであれば生きていきたいと思った時に、
僕はコーチとして活動を始めて、
まあいろいろあったんだけど、
急に生きていけてる。
これが何よりの証明であり大言なんじゃないかなと。
俺は死んでない。
確かに楽しめてる時楽しめてない時はある。
ただ俺はことして生きてる。
収入を自分で稼いでる。
ただ生きていけてる。
だからそれが何よりの証明なんじゃないかなとか。
考えた時にやっぱり一つのロールモデルを提供することが、
あれなんかさっき使命を否定してるに、
俺今自分でこれが俺の使命とか言ってるな。
これが人間の本能なのかな。
ちょっとわかんないですが、
そういうことをすごく感じましたね。
そして僕も新しい自分になっていかなければいけないんだろうなということをひしひし感じてて、
自分の今までの同じやり方に限界が来てるというか、
むしろ長く持った方なのかなと思ったりもするんですよ。
何を売り物にするかみたいなね。
俺は最高を講師に続けるぜみたいなノリではもう生きていけない。
なぜかというと自分はもう子供が二人いまして、
育む側も知ってしまったし、
生き物としてのピークっていうのは多分もう終わってるんですよね。
僕はアスリートやってたので、自分も体の限界に挑戦するという人生を20前半まではやってたので、
自分の人間としてのピークっていつかってすごい考えるんですよね。
ってなったら多分もう体のピークは終わってるんですよ。
今まで何もしなくても得られてた健康が、
こうやって今朝歩いてますけど、
こうやって努力を重ねても維持すらできないっていうフェーズになってくるんですよね。
だからどれだけ鍛えても若造りおじさんにしかなれないんですよ、頑張っても。
今までは純粋な若さだった、それは何もしなくても手に入ったものなんだけど、
ここからはどれだけ努力しても山への信仰を食い止めるぐらいしかできないっていうね、
そういうフェーズに入りました。
そうなった時に僕は何ができるんだろうって思ってます。
今の自分だからこそできることを見せていかなきゃいけないなっていうのをとても感じるし、
20代の頃にやっていたコーチングでは形はもちろん変わってるんですが、
そこから完全に脱皮していかなければいけないというのも感じましたし、
今僕は半年に1回ぐらい昨日みたいに寝たけりになります。
今回の寝たけりが一番ひどくて一番回復が早かったんです。
つまり僕はここから何を学んだかというと、半年に1回寝たけりになるような生き方は
どこかで脱しなきゃいけない。これは分かってるんです。
きっかけは精神的なものなんですよ、スポーツの好意術なんですけど、
ただ痛みが走って動けなくなるっていうのは完全に精神的なものだと思うんですね。
だってそうじゃないと車の運転洗いぐらい痛すぎて泣く奴が
自己成長と新しい挑戦
次の日の朝から6000歩歩けるわけないじゃんっていう話なんですよね。
これ絶対精神的なものなんですよ。
ってことは心の持ち方も変えないとどうにもならない。
半年に1回寝たけりになるような人生はもう送っちゃダメだよっていう風にすごく思いましたね。
俺は新しい形になっていかないといけないんだろうなっていう。
だから今までやってこれたことが若さというか20代のエネルギー、
そしてこの間占い師も言ってましたが、僕は20歳なんだっけ、
22歳4ヶ月から32歳4ヶ月まで豪材の時代だったかなっていうのがあって、
それが22歳、32歳4ヶ月で終わってるらしいんですね。
これはなんかね、心の中ですごい刺さってるっていうことでして、
あれ最近なんかおかしいな、何やってもしっくりこないなっていう時期があったんですね。
32歳4ヶ月って先月なんですよ。7月なんですよ。3月までなんで。
だから今僕32歳5ヶ月なんですよ。先月だと思って。
うわーって思った時に首残るでしょ。
でなったら、もうなんか新しいこと始めろとかそういうのじゃなくて、
耳づけを変えなきゃいけないんだなと。
俺が今までやってきたこと、そして俺がこれからやっていくこと、
じゃあ俺にしかできないとこなんなんだって。
すごいコーチングカンパニーがあることをこのダウン期間で知りました。
僕がなんとなく意識してたあの会社、あの会社は僕は創業、僕と変わんないぐらいですからね。
なんなら僕の方がちょっと早いぐらい始めたのと思います。
僕がコーチングを始めた時には存在しなかった会社が今30億らしいですね、コーチングの世界で。
すげーと思うがともに、あの人たちにやれないことを僕はやっていかなければいけないというか、
あの人たちは絶対拾えないんですね。
世界を変えようとしてるあの人たちにはできないことが絶対僕にはあるはずで。
僕は子なので、子としてのスタンスを取り続ける。
鉄も言ってましたけど、コーチングでやっぱ儲かった人は次のステージに行くんですよ、すぐ。
ただ僕は行かない、ずっとクライアントと対話するっていうことを外してない。
なぜか今日の話の始まり、僕はコーチングは楽しいものでないといけない。
シンプルに僕はコーチである前にお話し屋のことなんですよ。
コーチになりたかったわけじゃないんです。
人と喋るの好きで、人と喋ることで飯が食えたら俺も最高やんっていうところから始めてるんですね。
だから人と喋ってこれが経済になる、最高やん。
これが僕の原点なんで。
対話の重要性と経済の循環
ここブラシちゃいけないなっていうことを考えた時に、
やっぱり喋ってておもろいなって思う人と喋ることが自分のためにもなり、その人の人生のためにもなり、
そして経済が回り、そしてその人も自分がこの人と喋ってたらおもろいなって思う人と喋ることで経済が回っていくっていう。
この世界観を作りたいんですよ。
わかりますかね。
僕が世界を変えたいんじゃないです。
俺が誰かを救いたいんじゃないです。
俺が死んでも誰かが被物児無残法じゃなくて、
僕が作りたいっていうのはあくまでそういう個人的な連鎖の話なんですね。
俺がお前を幸せにするから、お前も誰かを幸せにしろよみたいな。
それなんですね。
俺とお前イコール俺たちで世界を変えてあろうぜなんてことは一味にも思わない。
やっぱり僕はどこまで行っても個人的な人間だなということは思います。
思いますね、とても。
僕は僕の反省を見えてる。
手を取り合える人というのを変化させていく。
その人の人生になかったエッセンスを渡していく。
どう使うかはあんたの自由だよっていう。
ただあんたの周りには俺にも手が届かねえ。
俺とは手を取り合えない人が必ずいるはずだから。
そうやって変えていこうぜっていうなんかそういうところかな。
だから台湾にも価値があるぞっていう。
台湾はどう?面白いもんないじゃん。
だって企業してお金持ちになって年間何億何十億とお金使えるようになった社長がどこへ行くの?
キャバクラじゃん。
キャバクラ行って何するの?
かわいい姉ちゃんと対話したいのよ。
分かる?
結局どこまで行っても富、名声、力すべてを得たおっさんがどこへ行くの?
キャバクラ行くじゃん。
対話したいのよ結局。
人と喋りたいのよ、人間ってのは。
僕はそこの可能性はどこまでも突き詰める人間でいたいなと思うとともに
それを改めてやり続けなさいと
お前のスタンスを明確にしなさいと
僕は神様から言われてるんじゃないかなと思って
使命を否定したり使命を肯定したり忙しいなと思ってる人もいるかもしれないんですが
なんか僕は僕の人生を作り直すというか意味付けし直そうかなと
意味付けし直しているのはそのための寝たきり生活だったなということを思っております。
何か感想あったら頂戴。以上。
25:06

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