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2025-09-01 44:03

おはなし屋なおとのキャリアを棚卸しする回 自由を求め旅をした10年

今年で社会人になって10年なので、朝ラジオのタイミングを使って自分の棚卸しをしてみました。改めて自分のキャリアを俯瞰すると、「自由を求める旅を続けてきた」ように感じます。初めは何かをすれば幸せになれると思っていた。次は企業家になれば自由になれると思った。その先に1人で自立しないことには自由はないと知ったここ数年間があった。俯瞰して捉えることができたので良い機会でした。


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【オンラインで3000万円売ったライフコーチ】
▶︎対面販売で1200万ほど売った経歴も。オンラインオフライン問わず、販売に自信あります💪

【個人起業家のプロデュース】
▶︎「自分が起業する時に欲しかった」と思うサービスを提供。長期のコーチング、プロフィール作成支援、写真撮影までまるっと濃い濃いサービスをやってます☺️

【起業9年目・2児の父】
▶︎仕事も家庭も全部大切にできる働き方にこだわる。大好きな仕事でしっかり稼ぎながら、家族とも一緒に過ごした上で、家庭の食事は全部僕が作ってます🍳

【情報発信で人生変わった32歳】
▶︎今の生活が最高すぎるから伝えたい。地方移住できたこと、最高のお客さんに恵まれ続けていること、自由に働けていること。全部発信のおかげ。伝えていきたいな🗣️

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#キャリア #キャリアコーチング #ライフコーチ #転職 #起業 #おはなし屋なおと

サマリー

おはなし屋なおとのキャリア棚卸しの回では、彼がスポーツ選手としての経験と、その後のキャリアの転換期について語っています。特に、スポーツから起業へと至る過程や、アスリートとしての期待とそれに伴う苦しみが注目されています。このエピソードでは、彼がコーチングとの出会いからスポーツ選手としてのキャリアの転機、そしてブログやコーチングを通じて自由を求める10年間の旅について話しています。キャリアを棚卸しすることで、やりたいことを追求し、誰にもコントロールされない生き方を決意する重要性が強調されています。このエピソードでは、講師としての自立や企業活動を通じて自由を追求した10年間の物語が紡がれています。特にコーチング会社の立ち上げやYouTube活動を通じて、彼が自身の力を育てる過程と、その中で気付いた人との関わりの重要性について深く掘り下げています。また、集団の中での人間の行動やその恐ろしさ、自由を求めることの重要性についても語られています。

キャリアの始まり
はい、おはようございます。おはなし屋なおとです。今日は、キャリア棚卸しをやっていきたいと思います。
僕は、おはなし屋なおととして起業して9年。そろそろ10年目に入りますね。
最近ちょっと、背中をぶんだかんだして、今まさに自分が転換期だなということを感じているので、
こういう時じゃないとね、自分の棚卸しみたいなことってやらないんで、日頃から放送では断片的にお話をしているんですけど、
この時間を使わせてもらってですね、僕も自分がどういうキャリアを歩いてきて、どういうことは息を吐くようにできて、
どういうことは苦しかったのかということをですね、ちょっと自己分析する場にしたいと思います。
皆さんちょっとお付き合いください。よろしくお願いします。
早速始めていくんですけど、キャリアの始まりをいつとするか。
するのであれば、やっぱりお金をもらう立場になってからのことがキャリアかなと思いますので、
僕は大学4年生卒業しているので、そのタイミングからかな。
だから大学4年生卒業して22歳、新卒の時からのお話をしたいと思います。
僕は22歳でスポーツ系の大学を卒業して、その時体育の教員免許を取りました。
でもそれは使わずに運送会社に就職をしました。運送会社といっても結構規模が大きくて、
僕が入社する2年前ぐらいに上場をしましたみたいな会社で、全国に60拠点ぐらいあるのかな。
新社員が僕の台で180人、グループ会社含めいるようなそんな規模の運送会社の九州の子会社に入りました。
なぜそこに入ったかというと、もちろん僕は日頃喋ってますが、普通に入社したわけではなくて、
スポーツ選手として実業団選手ですね。採用してもらいました。そこの運動部といいますか、
会社が地域社会への貢献として、ちょっと社会に向けて、
うちはいろんな取り組みをやってますよってアピールの一環として、アスリートの支援みたいなことに力を入れ始めていて、
そのとき僕が入っている陸上部が、僕と僕の大学の先輩の2人と、あとはラグビー部やったかな。
の2つがあるっていう感じで、だから僕以外にもラグビー採用の子とか結構同期にいましたね。
そんな感じで入社をさせてもらって、そこでやってた仕事が主に2つ。
1つはスポーツ選手としての働きと、もう1つが会社に実際に実務をするんですけれども、
週2日の勤務で午前中、何曜日だったかな。水曜日と金曜日だったかな。
家から車で1人暮らししてたんですけど、高速で1時間ぐらいかかる営業所に行って、
朝運送会社なんで、トラックの運転手さんの売り上げ伝票とかをまとめて、
会計ソフトがあるので会計ソフトに入力する仕事と、基本的な雑用ですよね。
朝来た時の営業所の掃除とか、廃皿をきれいにしたりとか、トイレ掃除とか、
その伝票の入力とか、本当にお手伝いみたいな仕事をしてましたね。
午後からはその会社で化粧品の出荷があったので、
松本清社?なんかでっかいドラッグストアの在庫管理とかを請け負ってる会社で、
うちはその松木用の在庫はなかったんですけど、美容室の在庫を預かって、
美容室に化粧品というか、シャンプーとかリンスとか、
そういうブランド、コタ?やったかな。ちょっと思い出せんけど、コタっていうブランドがあって、
そのブランドを卸す仕事を僕がしてたんですよね。
そのブランドの化粧品を、化粧品というか、シャンプーとかトリートメントとかカラー剤とかを、
美容室から連絡が入って、その美容室に卸すみたいな仕事をしてました。
なので、その伝票の依頼書が午前中まででまとまってデータとしてくるんで、
そのデータを紙に出力したりとか、ホッチキズ止めでまとめたりして、
それをそのパートさんたちに、今日の出荷は何ピースぐらいあるんで、
終了時間いくらいくらで、よろしくお願いしますって言って一緒に作業して、倉庫閉めて終わり。
そういう1日を、週2日過ごすという形で、1年半ぐらいかな、勤務しました。
スポーツ選手としての葛藤
本当になんか、何て言うのかな、遊びみたいなもんですよね、仕事に関してはね。
僕はアスリートとして雇われているので、週2日ぐらいは一応建前上雑用してよね、みたいな感じだった気がします。
なので別にそこで仕事のやりがいというか、プロとして何かをしているという意識はなかったですし、
あくまで僕はスポーツ選手として結果を出すことが仕事であるみたいな風になってましたね。
それが1年半ぐらい続きました。
そこで僕としてはやっぱり、スポーツを続けられさえすれば、自分の人生は正直安泰だと思ってました。
どれだけ激しいことがあっても、このスポーツに命を捧げられている間は、自分はもうこんな苦労も厭わないというか、
これさえ続けられていれば他何もいらないと本気で当時は思っていたので、
だからそこの企業に、僕の当時の監督が話をまとめて来てくれたんですけど、
もう、よっしゃ、これであとは人生安泰だというふうに思ってましたね。
その会社も僕が選手生命終わったらそのまま就職してくれというふうに言ってもらっていたので、
今考えたらものすごいありがたいことですけどね。
アスリートが終わってもキャリアを保証するよというふうに言ってもらってたんですけど、
結局僕はその約束も保護にすることになってしまいました。
なのですごい揉めたんですね。
いやお前約束が違えじゃないかというふうにめちゃくちゃ言われましたね。
その時の業務として、なんか業務っていうレベルでもないけど、
僕は好きなことやらせてもらってるんだから、
このぐらいはやって当然だよねみたいなノリで、
それが楽しいとか楽しくないとか、辛いとか辛くないとか、
そんなことを考えずにやってた気がしますね。
税金を払うみたいなイメージで仕事をしていたような気がします。
その中でも先輩とご飯に行ったりだとか、
僕はやっぱり体が大きかったスポーツ選手だったので、
ものすごいご飯をたくさん食べるわけなんですけども、
その姿がすごい喜ばれるんでね。
その喜んでもらってる感じとかはものすごい好きでした。
先輩、上司とかとご飯に行ったりするのは楽しかったなけど、
なんかそのあたりからスポーツ選手として結果を出すことが
仕事っていうのがものすごくきつくなったんですね。
やっぱり自分のやりたい、表現したい世界みたいなものがあって、
3年後とか5年後とかそういうとこ見据えて、
今はトレーニングしたいんだけれども、
ぶっちゃけスポーツ選手なんでね。
結果を売ってるようなものなので、
次の試合で結果を出さなければいけない。
毎回自分の結果に期待してる人がいる。
結果を売ってるから当たり前なんだけど、
その状態が死ぬほど苦しかったなと思いますね。
いつしか自分の好きでやってるはずのスポーツも嫌いになりというような
基準にですね、それが僕のキャリア1位。
ここで学んだこととしては、
好きなことを仕事にすればそれでハッピーみたいな
簡単な話じゃないんだなっていうふうには思いましたね。
セカンドキャリアの問題
僕はそのスポーツと真珠しようと思ってたので、
一生これで生きていくし、
体が言うこと聞かなくなっても騙し騙しやり続けるし、
ダメになったらその指導者になろうと本当に思ってたので、
ここに骨を埋めようと本当に思ってたんですよ、そのスポーツに関して。
ただ、やっぱり自分が所属する場所が変わったりだとか、
人間関係とかが変わってきて、
自分の競技に集中することが自分の仕事じゃなくなったなっていうふうには感じたんですよね。
例えば学生のときも僕も学費の特待とかもらって、
遠征費とか学校に出してもらってプレイしてましたけど、
そのときは別に学生だしねっていうふうに見られてたというか、
もちろん指導者には縛られるんだけど、それ以外ないというか。
言うてもどんだけ活躍してても学生だよねっていう感じで見てもらえてた。
自分もその意識でいたのが、
社会人になると自分の生活費を会社が出してくれてるわけじゃないですか。
生活費を誰が出してるかっていうのがでかいかな。
学生時代は親が生活費を出してくれてたので、
別に親がいいよって言ったらそれはいいわけなんですけど、
甘える相手が会社になっちゃうと、会社って他人だから、
その他人がお金を出してくれるに値する結果を出さないとっていうふうにやっぱりなったんだよな、僕は。
だからそういう意味で何かをやるということが大事じゃない、
好きなことをやるっていうことが大事なんじゃなくて、
自分の決定権でできるというか、
そういうものがすごく大事なんだなって思った、
最初キャリア1年半ぐらいでしたね。
キャリアと言いつつもうそこから起業しちゃうんですけど、
とにかく人間関係とか責任の所在とか、
自立感のなさ、スポーツしかしてきてなかったんでね。
お金のことも経済のことも、いまだに僕の当時の監督と
起業の人たちがどういう話をしていたか知らないし、
いまだに僕が辞めたことでどういう家庭になったか知らないし、
あまりに知らないことが多すぎたというのがやっぱり、
23歳までの僕だったりですかね。
だからあまりに自分が自立してないと。
競技者としては確かに強かったし、
日本選手権もね、僕入賞したことありますから、
日本で一番大きな選手権で7番やったかな、最高が。
で、シニアの国体で3番なんで、
学生の枠を取り払っても全国大会上位に残るぐらいの成績はあったんですが、
なんか強いガキだったんだよな。
本当に強い子供っていう感じだった気がしますね。
だからやっぱり子供から大人にならなきゃいけないなっていうことを
とても感じた2年間でしたね。
だからやっぱりスポーツ選手のセカンドキャリア問題みたいな話が
結構あると思うんですが、
僕もすごい言われました、セカンドキャリアどうするのみたいな。
それでやっぱりスポーツ選手がセカンドキャリアに困ってしまうのは、
やっぱりスポーツしか知ってきてないので、
スポーツ以外のお金的なもんとか、
人間関係の前に生きてれば政治的な話とか出てくるじゃないですか。
そういうのがね、知らないんでね。
スポーツに集中してきたからこそスポーツ以外のことを知らなくて全く。
だから別にやればできるんだけど、知らないし、
それやってる暇あったら練習したいっていう風になっちゃうので、
社会性がそこからいいよね、アスリートあまりにやってるとね。
そう考えると僕の大学の時代にも、
僕の部活以外にも体操とか野球とか水泳とか強い選手いましたけど、
やっぱりどっか社会に欠けてるというか、
スポーツさえやってれば人に認めてもらえるみたいな世界で生きてる。
俺の仕事は切ったパスコードだからみたいな感じで、
それ以外の社会性がまるでない。
だから意外と単位落としたりするんですよ、スポーツがちの子って。
別に遊びほうけて授業に出ないとか、そんなんじゃなくて、
普通に練習きつくて授業起きれなくて寝てるみたいな。
だから全然遊びほうけてないんだけど、実績足んなくてとか、
課題の提出間に合わなくてみたいな感じで、
単位をバリバリ落とすやつ、単位それで落としまくって得体切られるやつとか、
結構いるんですよね、スポーツ。
僕が通ってた大学がそんなに偏差値高くなかったっていうのもあると思うんですけど、
本当に知らないんですよ、自分のことを管理するみたいなもので。
だから世の中のスポーツ選手のイメージって、
すごい人間力確定みたいなふうにイメージされると思うんですけど、
スポーツと体育って結びついてるんで、
スポーツできる人は人間的に素晴らしくなくていけないみたいな、
みんなのお手本だよみたいなのってすごいあると思うんですけど、
意外とそんなことないというか、
意外とね、スポーツでからっきしできないっていう人も結構いましたね。
関わってて、この人の考え方エグいなみたいな、
人間的にちょっとなーみたいな、
あ、強ければ何でもいいのかみたいな。
僕が勝てなくて、自分で体にジンマシンめちゃくちゃ出してる時に、
あるめちゃくちゃ強い先輩から、
お前本気でやってないだけでしょ、みたいな。
遊びでやってんじゃないんだけどさ、
もっと真面目にやった方がいいんじゃない、みたいなこと言われて、
あ、僕ふざけてやってると思われてるんだ、みたいな。
才能って怖いって思ったことあります。
キャリアの始まりとコーチングの影響
そういうちょっと特殊な世界ではあります。
そこから僕は、自分はスポーツ選手として何も知らない大人になってしまっていると思ったので、
じゃあ自分のキャリアを始めなきゃいけないなと思ったんですが、
その時に出会ったのがコーチング。
何ならスポーツ選手を辞めることになったきっかけがコーチングで、
結局1年半ほどスポーツ実業団選手として企業の世界に飛ぶと思うんですけども、
その飛び込んだきっかけも、どうせ私は一度死んだ人間ですので、
ここから新しい人生を選び直す時に、安排な道を選ぶんだったら、
スポーツ選手としてずっと働いて、競技は辞めるけど、
指導者としてここに残りますって言った方が安排だったわけだからね。
どうせだったら多分今、すごいリスク取って挑戦できるタイミングだから、
挑戦しようと思って。
なるべく自分がやりたくて、
普通の状態だったら選ばないような狂った方向がいいなと思って、
たまたま一番やりたいなと思って、
一番頭おかしいなと思ったのが、
Xの投稿、その時はXじゃないか、
Twitterのダイレクトメッセージで来た企業塾の誘いに乗るということだったので、
一番正気じゃない方法を選んで、企業というところに飛び出しました。
ブログの成長と自由への旅
それが24歳になる前ですね。
24歳になる前の秋です。
そこからは沸きすぎでお話ししたとおり、
お話ししたかな。
最初僕はブロガーとして、そこはブロガーを要請するスクールだったので、
ブロガーとしてそこに入りました。
ブログの書き方とかを、Googleドライブに動画がバーッと並んでるんですね。
それを32万4千円で買って、僕に売った営業マンがサポートにつくみたいな形だったので、
そこで一個一個教材をクリアして、
そのブログの書き方とかね、もうすぐ動画を一個一個見てさ、
お手本のブログとかがあるんですよ。
それの真似をしてブログを書いて、投稿してみたいな。
フォロワーを、自動足跡ツールみたいなのを使って、
人を集めてみたいなことをして、
最後自分のメールマガジンを流して、
商品を販売するということをやりました。
そこでもうなんか、
これをやりたいとかやりたくないとかはなかったですね。
好きなことを仕事にするんだから、
このぐらいやって当然でしょみたいな。
税金を払うような感じでだったの。
せっかくキャリアを振り返って棚卸しをする企画を今一人でやってるわけなんですけれども、
意外と僕はやりたくないことも全然できちゃうみたいな。
犬が。
やりたくないことというか、
どうもこれ気が進まないなみたいなこと、あんまないんですね。
リターンを見てるというか、
これやりたいんだからこのぐらいやるよねみたいな感じで、
差し式で考えてる気がするな。
どうしてもこれやりたいんだけど、どうしてもこれやりたくないとかないな。
自分の感情を押し殺して必要だったらやるし、
必要ないんだったらやらないみたいな感じな気がしますね。
棚卸してんのに全然棚降りてこないな。
嫌だったことないな。
嫌ならやらないし。
なんかもう、1個目のキャリアを捨てた時に、
もう俺は好き勝手生きるぜって決めてるから。
好き勝手生きるぜは多分行動ベースじゃないんですね。
自分の存在ベースで好き勝手できる状態がいいのであって、
別に多分やりたいこととかないんだよな、俺。
今もそうなんですけど、
マリちゃんともね、ちょっと話しとくんですけど、
よく喧嘩をするんです。
昨日も直接言いやったじゃないけど、
LINEのトークでピリッと来るタイミングがあって、
何かっていうと、マリちゃんはやたらと、
これをここに買いに行けとか、
今だったらお米がないから、
あそこのミスターマックスは部築前の残りがあるらしいから、
行ってきてくれませんか?って言うんですよね。
僕はそれが死ぬほど嫌なんですよ。
何でかっていうと、
自分で何か家族のために買いに行ったりするならいいし、
何なら家族の買い物ほとんど僕が握ってるわけだから、
僕が主体的に家族に対して尽くしてるんですよ。
これはいいんですよ。
ただ、マリちゃん主導で僕が目的地を決めさせられたりとか、
お使いに行かされたりするのがめちゃくちゃ嫌なんですね。
だから、これをしてあれをしてって言われたくないから、
自主的に何も言われなくていいように、
家族のタスクを完璧にするというような人間なんですけど、
マリちゃんはもうそんなこと関係なく、
あそこであそこで電話したから行ってきてくれませんか?って言ってくるんですね。
それでいつも、
LINEのトークなんてどこのさらちになりませんでしたけど、
もう嫌ですみたいな、機会には応えてあげたいけど、
その期待に応えたら、君は次もそれを言うだろうから期待には応えられません。
って送って。
そんな小手びやいがあったんですけど。
僕はそうなんですね。やりたいこととか別にないんですよ。
ただ、やりたいことがやれる状態になっておきたいというのがとても強いなと。
ちゃんと棚下ろしてよかった。棚下ろしてよかった。
確かにな。
俺は結構、これをやりたい。
僕は最初、スポーツがやれれば、陸上競技ができれば、
幸せだって思った。だから、Doの幸せを追ったんですね。
いやけど、陸上競技はずっとさせてもらえるけど、全然幸せじゃないなっていうことをそこで学んだので、
だから、Bの幸せですね。
やりたいことができる状態、誰にも指図されない状態、
誰にもコントロールされない状態が、
僕の中でものすごく価値が高いんだなと。
だから僕に対して、いまだに僕に一番世話をされているのに、
僕に一番指令をしてくるのはお気持ちなので、
なんでわかってくれないんだろうって、
もう多分700回ぐらい言ってるんですけど、
僕は人にコントロールされたくないという欲求を持ってるから、
ビジネスと自身の価値観
ここまでいろいろやってるのですよと。
だから、君が僕をコントロールしようとしてきたときに、
僕はじゃあ何のために今まで自治的に動いてきたんだっていう気持ちになるかな。
もう何か何も言わないでって。
何も言わないで君が困ることには絶対ならないでしょ。
今まで困ったことある?ないでしょ。
だから思いついても言わないでほしいなっていう。
いや、私言っただけだし。
だから言っただけで意味がないんだったら言わないでほしいなっていう争いめちゃくちゃします、
うちは。
大丈夫、俺に任せてくれたら全部いいから。
なんなら前ちゃんがこうしてって言ったことも先に考えて、
それをあえてしないという行動をしてることもあるからねって。
あるからねって。
思いつきで物を言わないでって言うんですけど。
人の言動をそれで縛るのは僕も個人的にどうかと思うので、
僕のやり方にも問題があると思うんですが、
そこで僕は学びましたね。
DoよりBeなんですよ。
在り方なんですよ。
大事なのは魂の状態なんだ。
だからよく僕は会社辞めるか辞めないか問題みたいな話聞くんですけど、
僕はもう会社を絶対に辞めた方がいいと思ってて、
まず辞めるか辞めないか悩んでる時点で会社にいるメリットがないんですよ。
会社というのは、わかんないです。
いろんな会社の形があると思うんだけど、
そういう組織に所属するときのメリットっていうのは、
保証してもらえることなんですよ。
集団で動くから、あなたの生活を一定基準を保証しますよ。
その代わり、あなたの自由を一定基準奪わせてもらえますよ。
こちらで使わせてもらえますよというのが、
集団で働くことの交渉なのに。
もうすでにあなたが疑問に持ってるってことは、
会社が提示してるメリットがあなたにとってメリットじゃなくなってるとか、
あなたが差し出してるデメリットよりも、
メリットのほうが小さくなってるってことなんで、
もう悩ましい時点で辞めるべきなんですよ。全員そう。
なんだけど、そこで自分は会社から離れて生きていけるイメージがわからないから、
辞めることができないみたいな、わけわからない状態になるんですね。
ほとんどそうです。会社辞める勇気がないとかふざけ出すんですよ。
何でふざけたこと言っとるか。
会社というのはあくまであれば便利だなと思った人たちがつくって発展してきた営みであって、
会社から離れて生きていけないなんてそんなことないんだよ。
人類の長い歴史を見たときに会社という概念が存在してたのなんかほんとはまたたくまだよ。
ほんとに。3万年とか5万年とかあるうちの200年ぐらいしかないんだから。
200年もないか。50年ぐらいじゃない?
っていうことを考えたら会社から離れて生きていけないってありえないんですよ。
それは擦り込みなのね。っていう僕は考え方が。
会社に続く時点でやりたいことをやれていてもやりたいことをやれる状態ではないんですよ。
やりたいことをやらせてもらえるかどうか。
はい、上司に倫理等しますね。
そんな人生を送りたいの?って僕は結構真剣に思うかな。
それはやりたいことやれてるんじゃなくてやりたいことやらせてもらってるだけで。
そんな人生は楽しいのかなって思います。
だからBとして考えるならば、会社に何か好きなことをやらせてもらおうとしてる時点で、
それはDoベースに幸せは変わるけど、Bベースの幸せは変わらないので、なしという。
僕はそういう考え方を持ってますね。
僕はだから一社目で、Doじゃ幸せになれないんだっていうことを学んで起業したんだけれども。
起業してもやっぱりいろいろそこで感じることはありましたから。
最初ブログ書いてて、だからDoベースで頑張って稼ぐ力を身につけようと思って、
稼ぐ力は実際身についたんだけど、実際、自分は起業スクールにやらされたというか、
お金払って教えてもらった内容をそのままやっただけだから、
僕の実力とか何もついてないから、
あっ、この起業スクールに所属し続けてても意味がないなっていう、
コピーライティング以外の力ってつかないなって思ったので、
そこのスクールも5ヶ月くらいで辞めてるんですね。
5ヶ月ぐらい経って、ちょっと揉め事があったんですけど、
もうその揉め事があった時点で、もう僕は辞めますっていうことで辞めました。
そこからはもうずっと自分でチームを作ってやってる。
だからその5ヶ月でしょ、だから収益、ブログスクールに入りました。
5ヶ月か半年ぐらい頑張って、そこでもうコーチング売れるようになったんですよ。
コーチング売るようになって、あっ、これブログ書いていくより
コーチング直接売ってった方が自分の幸せのBですね、自由のBは叶うなって思って
コーチングしてきたタイミングで、もうブログスクールが必要なくなったんですね。
やっぱり僕、そこで教えてもらえることはすごかったし、
本当に新しい人生の転機としてはすごく助かったんだけど、
そこはやっぱね、うさんくさかった、正直。
やってること間違ってないけど、そこにいる人たちが、
ちょっとブログで1、2万稼げたからって言って、
俺はブログを教える立場みたいになりたい人がめちゃくちゃいて、
今のコーチングスクールとかそういうとこでもそういう人いっぱいいるんじゃないかなと思う。
ちょっとコーチングできるようになったら、すぐコーチ側をやろうとして、
自分がチャレンジャーとしての立ち振る舞いをやらなくなる人って、
どこの業界でもいっぱいいるんですね。そっち側に行きたいみたいな感じだったので、
僕は違うなって、ここのスクール、どの道悪いことするだろうないつかって思ったので、
すぐ離れました。半年ないぐらいで離れました。
あんまりいい空気ではなかったですね。
本当に僕のこと、向こうはすごくたくさん利用してくれただろうし、
僕も利用させてもらったなっていう感じで、あんまりいい感じではなかったです、最終的には。
企業活動の始まり
で、講師として自立をしたのが起業して半年以降。
そこからは自分で。
僕最初は会社を作ろうとしたんですよ、コーチング会社を作ろうとして。
僕が売れてたので、僕のクライアントから一緒にコーチになりたいって、
一緒に直人さんと仕事したいって言った4,5人ぐらい囲って、
ちょっとチームを作りました。メインアクターファクトリーっていうチームを作って、
そのチームを作って、その子たちはインターネットを通じて営業して、
だからそのときはFacebookのメッセージが何かを、
時系列的には企業塾の営業をやってた子が、その企業塾から僕のとこに来たんですよ。
で、その企業塾の集客のスタイルをそのままやってもらったんですよね。
で、その企業塾の集客のスタイルが、今だったらちょっとこれ使えるとかどうかわかんないですけど、
当時はFacebookとかで似た属性の人にダイレクトメッセージ送って、
そこから東京でアポを取り付けて、最終的に企業塾の販売をするっていうようなモデルをやってて、
それで結構結果を出した子がいたので、そのやり方をそのままやってくださいって言ってお願いしますって。
コーチング売れる人というか、コーチング必要とする人を僕につなげてくれたら契約金の何パーセント払いますか。
30パーセントかな、払ってたんで。1契約したら10万とか15万とか払ってましたね、当時は。
結構そこは弾むから、その代わりに僕もそんなに余裕がないので、成功報酬にさせてほしいんだけどっていう形で、成功報酬で害虫という形を取らせてもらってやってました。
当時は本当に右も左もわからない中で、その方法しか知らなかったので、
そうやってやってて、売上出せる子は出せるんだけど、月100万ぐらい売上取ってくる子とかいたので、
そこでやりながら、どうしてもスクールでちゃんと教育を受けた子はそのやり方で結果が出せるんだけど、
そうじゃない子もいるわけ。新しく僕のコーチングクライアントになって、そこから僕らのメンバーになった子とかはやっぱりそのやり方を身につけるまでにどうも苦労して、
めちゃめちゃ人と会うってところまではできるんだけど、なかなかつなげないみたいなところで結構苦労をしたりして、
で、徐々に徐々にチームが割れてって、だから当時は僕はね、こんな企業人でもういいわって出たけど、そこの教育機関としての素晴らしさを知るわけですね。
こんな、営業マンをこれだけしっかり教育する、スクールすげえなみたいになって、俺には無理だなってなって、
で、だんだんだんだん人が離れてって、で、一緒に企業、あ、そうそう、最初にね、東京行って一回、
地元に帰ってきて、僕はそのときの中学からも友達連れて上京してるので、その友達も帰ってきて、そのタイミングで結婚式とかもやってってなったら、
僕はもう完全に一人になって、で、結婚して、妻が東京から、あ、福岡から東京に移り住んだっていうタイミングで、もう何もできないコーチングぼっちの感性ですね。
あとは、そういう生活をしてて新規がこなければ、クライアントさんが卒業するだけなので、クライアントさんが徐々に一人二人と卒業してったら、
僕はもう仕事もない、新規もない、クライアントもいないっていう状態になりまして、で、一人じゃ何もできない。
結局、自立して自分の自由にやれる在り方になりたいと思ったのに、結局一人になったら何もできなかったんですよね。
なんかそれすごい気づいたな。何もできない自分に気づいて、え、俺なんか一緒じゃん、昔スポーツ選手やってたときとって、
なったのが企業3年目。そこから、自分で力つけなきゃいけないんだなって、どう足掻いても一人になっちゃうんだなっていうことを感じて、
で、始めたのがYouTube。結局そこからまた人に手伝ってもらうんですけど、人に手伝ってもらいながらYouTubeを始めたりして、
で、自力で初めて集客できるようになったのが企業4年目なんで。だから僕、自力でお客さん集められるようになるまでに4年かかってるんですよね。
で、4年YouTubeで、自力で。自力でというか、そのときはYouTube手伝ってもらいながら、自社でって感じかな。自社で集客できるようになって、
で、そのYouTubeメンバーも離れていって、で、そこから自分でYouTubeとかやって、で、ノートとかもずっと書いて、ラジオもずっとやって。
で、今はもう完全に一人でやったことでお客さんを集めて、で、個人の販売するという形がもうここ数年は完全にできている。だから今、自由ですよね。
でも自由。Bとしての自由は叶いました。ただ、やっぱりその完全なBとしての自由は、それはそれで課題があって、やっぱりうまくいくことばっかりじゃないんですけど、
今までは人と人との兼ね合いがあったから、これやりたくないけど必要だからやろうみたいなことが結構簡単にできてたんですけど、
YouTubeでの集客
今は難しいなあ。誰も何も僕に不自由を教えなくなったからこそ、
なんかその、税金の支払い的な行動ができなくなってる。本当に自分がときめいたこととか本当にやりたいなと思うことしかできなくなってる感じはありますね。
これほんとやりたくないけど、これやらないとこの人との縁切り入れちゃうから、やっとこうみたいな。
ストレスがないから反発するエネルギーもないみたいな感じがあって、それを今どうするべきかなということをいろいろ考えながら日々活動してますよっていうのが、ここ最近なのかなと思います。
9年目ですね。ちょっと起業してからのお話はちょこちょこ端折ったところもあると思うんですが、
そんな感じに起業して、どうせスポーツ辞めたからやるんだったら一番自分がやらなさそうなことがいいなって起業して、
起業して最初はブログスクールで習ったんだけれども、ちょっとここは未来が長そうじゃないなと思って、ちょっとトラブルもあったので辞めて、
でもその起業時からのつながりで仕事を取れる子がいたので、その子にやり方を教えてもらって集客しながらやってた。
でも結局また一人になって何もできない自分に気づいて、今度は自分発信でYouTubeとかをやり始めた。
今はそのYouTubeをやることでさえ一人で完結してるというような形ですね。それが今の僕のキャリアです。
統合して考えると、結局この10年、僕は22で社会に出て、今32になってなので、この10年は結局自由を得るための物語だったのかなというふうに自分で振り返ったら思いますかね。
最初は何かをするということが幸せだと思ってたので、それを追いかけて、それをすることができたが幸せじゃない自分に気づいて、
そこからは自分の、これをしたら幸せから自分がやりたいことをやるのが幸せっていう感じになってきて、だんだん誰にも侵されない状態が幸せっていう状態になってきて、
今はもう本当に自由に何でもやれるよねっていう状態が幸せ。
次どうなっていくんだろうな。何でもやれるからこそ、このエネルギーをどこかに集束させていくのかな。
わかんないです。ちょっと全体的に俯瞰して捉えると、自由を手に入れるための物語はもう終わったのかな。
結局魂の状態じゃねみたいな、誰にも奪われない生活を作ることじゃないかと思って、それがやっぱりできるようになったので、
でもあれだな、最近考えてて全然関係ない話するんですけど、前回の放送で鬼辰退化、鬼仏寺無残化っていう話をしたじゃないですか。
俺がここの命継いでようとも、俺の意思を継いだ者がお前を殺す、鬼仏寺無残っていうのが鬼辰退化の理論なんです。
これはだから組織の論議なんですよ。
たとえそれが成し遂げるのが自分ではなかったとしても、必ず次の者が、みたいな、サムライスピリッツなんですよね。
自分を殺してでも、自分がたとえ道半ばで倒れようとという大義を達成すれば良い、みたいな形の感じと。
あと、鬼側の理屈ですよね。
だから、自分の血を分け与えることで、県族を増やして生きるみたいな。
だから僕は多分どっちかというと鬼仏寺側のやり方を取ってるんです。
鬼って集団で行動しないので、血は分け与えて鬼の世界にいらっしゃいってするんだけど、別にそれでみんなで集まろうよとかいう感じでもない。
みんなそれぞれ力を持ってやりたいことをやる。
だから鬼滅の刃という作中では、鬼が人間に対してえぐいことをするので、鬼の性格があんな風に書かれてるので鬼は悪いよねってされてるんだけど、
冷静に考えたらさ、人間が他の生き物にやってることって鬼そのものじゃないですか。
じゃあ魚相手に食べるよね。楽しむために釣りするよね、釣り人はね。
で、その辺に生きた魚を食べれないから放置する釣り人なんかいろいろいるじゃないですか。
そうやって飼いたいからって家に持って帰ってた。飼ってさ。
結局狭い水槽で飼い殺しにするとか当たり前にあるじゃん。犬とか猫だってさ。
家に飼ってね幸せに育ててるって言ったらそれは人間の物差しでしょっていう話になったら、
なんか人間も鬼と一緒じゃねって僕は思うんですよね。
なんか人間のポジションで考えると鬼は絶対悪だけど、別に鬼からしたら人間が犬にやってることと、人間が鳥にやってることと、人間が牛豚にやってることと変わんない。
もちろん人間は愛を持ってやってるから、鬼の中にも愛を持って接するものがいるかもしれないじゃないですか。描かれてない。
考えたら人間と鬼の違いって何なのかとか考えるんですけど。
でも人間的に光とされる行動が、自分が途中で墜えても意思が受け継がれていくんだみたいなものが流行るから鬼滅があんなに流行ってるわけじゃないですか。
だけどなんか僕はその鬼的な価値観、なんかお前も鬼にならないかみたいな。鬼になってお前の血が適合できなければ死ぬだけだからみたいな。
俺どっちかっていうとあっち寄りな気がすると思って。
だからやっぱ光の渡るところの人間じゃないんだろうな自分はというのは、なんか最近鬼滅を見ると思いました。
なんか鬼側の論理にすごく共感するというか。
時代が変われば人間が鬼として描かれていた物語かもしれないなというふうには思います。
人間も結構えぐいことするじゃん。だから僕が嫌いなのは、昔からそうなんですけど、せっかくキャリアの話してるんで。
大義のために集団って個人を殺すことがあるんですよ。
例えば僕がその2年目、会社を辞めたときですね。僕のことを真剣に引き止めた人事本部長、上場機器は人事本部長ですからね。
僕を止めにですね、飛行機に乗って僕のところに前に行ったんですよ。散々説得したんだけど、こっちとしてはもうその大学側の人とかとも話決めた状態で話し通しに来てるんで、もうひっくり返らないんですよね。
本部長が本部長命令みたいな感じで、僕の子会社の社長とかに対して、彼は辞める意志が堅いから、
もう彼が、こちらが彼を見切ったことにしますと、そういうふうに代表には報告しますので、
彼が仕事ができないと思われるような行動というか、その証拠を提出してくださいという例を下してですね。
昨日まであんなに、いやもうちょっと頑張ってみようよとか言ってた人たちがですね、手のひらを返して僕のあらを探し始めたという、23ですよ僕。
23人、そうやって本部長として全国飛び回ってる人が、あいつのあらを探せとか言うわけで、僕はちょっとそれでなんか、組織って怖ぇなって思いましたね。
だし、僕も最後、師匠と電話、10年ぐらい世話になった。電話でしか最後お礼を言えなかったんですよ。
すいませんでしたって言ったら、もうあと、飛ぶ鳥を濁さずやめろじゃないか。他の奴らもおるんやがら。迷惑ならんようにやめろ。それだけ。
言われて、僕は最後本音を語ることとかはできませんでしたし。そういう意味で、それもわかるんですよ。
僕が集団から得られる利益を取ったけど、集団に対して貢献をしなかったわけだし、将来勤めるって約束もしてたのに、それも保護にしたわけだから、先に筋外したのはこっちなんだけど。
ただやっぱり、くるっと手のひらを返した後のその人たちの目とか声のトーンとか、怖かった。この人たちは俺に対して興味はなく、それも集団をより次、生かすためのことを考えていて、
俺はその敗戦処理をさせられるんだ、みたいな、こういうのがすごい怖かったのを覚えてますね。あんだけ熱心に声をかけてくれていた人が、次の瞬間はもう俺をどう殺そう、どう綺麗に殺そうかを考えているみたいなのは、すごく怖かった記憶として。
集団と個人の関係
だからやっぱり、その大義を目の前にした人間の恐ろしさというかね、怖いんですよ。集団をガチッと一つにまとめるために人は誰かをいじめ殺したりするじゃないですか。あれも人間の恐ろしいところでね、集団を作るためには共通の敵がいた方が早いので、ちょっと浮いてるやつとかをいじめたりしてね、みんなで楽しんだりすると一気に上がるんですよね。
そのモチベーションというか、団結力がね。だから人間って、僕は集団になって熱気が高くなった時ほど間違うし、どう考えてもさ、集団の暴力とかに勝てないじゃん、人って。だから結構僕はその集団のまとめされた経験が人生の何回かあるので、その怖さったらないというか、誰も自分の利益を守ってくれないみたいな。
自分はその集団のためになすすべもなく奪われるだけみたいな、その雰囲気になった時の人がとても怖いので。だからなんかその集団のために身を捧げてるけど、その集団はあなたを生かそうと思ってないみたいな状況で身を捧げ続ける人を見ると、こっちの心が張り裂けそうになりますね。
その集団は別にお前の幸せなんか考えてくれないよみたいな。だからその集団に幸せを預けること、幸せの価値観を預けることは、僕は恐ろしいことだと思ってます。長く勤めた会社を綺麗にやめられると思うなよ、その会社はお前を幸せにするための組織じゃねえぞっていう話ですね。
その組織がお前に優しかったのは、お前がその組織にとって都合がいいポジションを取れてただけで、という話もありますね。
自分と会社、自分と組織、自分と集団が一体化すると、人間はそれを守るために、やっぱり平気で暴力を振るったりだとか、直接加害するまでも何も。人間の加害性というものに、僕は結構人生の口の一瞬で震えてきている気がして。
それはしょうがないとしても、僕はやっぱり優しくありたいし、怒るんだったら自分の判断で怒って怒りたい。誰かに怒らされてるとか、集団が押し付けた正義を、ただその正義を自分の頭で考えて実行する人とかいっぱいいるので、反応して叩くだけみたいな人もいっぱいいるので、
そうじゃない、せめて自分の感情を自分でコントロールできる人でありたいなということは、常日頃考えていますね。というのは、ちょっとキャリアを振り返って思うことでしたね。一言で言うと、僕はあり方としての自由が欲しい。自由という状態が欲しいんだなというふうに思いました。
日本はあまりに会社組織というものに対して自己一体化するというか、この会社イコール私の人生みたいなふうになっちゃってる。家族の人もいるだろうね。家族イコール私の人生とか。子供イコール私の人生とか。
言ってる人もいると思うけど、それは本来あるべき姿じゃないなと思うので、別にあなたはあなたですよっていうことをこれからも伝え続けていきたいなと思いました。ということで、長々とお付き合いいただいた方、最後まで聞いた方ね、既読の意味合いでぜひいいね押してもらって、何か感じることがあったらコメントちょうだい。以上。
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