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はい、こんにちは、なおくんです。ということで、本日のテーマはこちら。
頑張りすぎは自分へのパワハラである はい、このようなテーマで話していきたいとおもいます。
はい、ということで、今日の結論はね、もうタイトルの通りですね。 頑張りすぎというのは自分へのパワハラであるということなんですよ。
ねえ、頑張っちゃいけないんですか? 頑張ることっていいことなんじゃないんですか?ってね、もしかしたらこれを聞いている方の中にはね、そういった
ふうな反応する方もいらっしゃるかもしれないですけれども、 もうね、頑張ることってのはオワコンなんですよ。
頑張ること is オワコンなんですね。 わかりますよね。もう世の中の流れってなんか頑張ることってダサいよね、みたいな空気になってるんですよ。
っていうのは、もうね、なんかね、頑張ってもうまくいかないってことがバレ始めてるんですよね。 あの、もっとさ、力を抜いていきようとかさ、頑張らないでいいんだよとかさ、頑張りすぎて鬱になりましたとか、そういう本とかたくさんあるでしょ、本屋さんに行けば。
つまり、 頑張ってもね、あの、鬱になるだけなんですよ。
っていうことなんですね。 でもさ、僕らはさ、小さい頃から頑張れば幸せになれるとか、努力することが大事だとか、なんか我慢しなさい、石の上にも3年ですよとか、
ね、あの、24時間働けますかとか、受験に勝ちたいんだったら4時間眠ったらダメ、
5時間以上眠ったら受験に落ちる、4時間未満の眠りで我慢すれば合格する人を娯楽なんて言ったりするんだけどね、こういうね、あの、遥か昔、遡ればね、部活中には水を飲むなとか、とにかくね、もう頑張ればいいんだ、頑張ればうまくいく、頑張ることが全てだみたいなことを、
まあ子供の頃からひたすら洗脳され続けてきたわけなんですよね。 だから僕たちはついなんか頑張らなくていいとか、努力しなくていいんだよって言われると拒否反応を起こしちゃうんですよね。
でもそれって本当なんですか?っていうことなんですよ。ね、よく考えてみて。 頑張ってじゃあうまくいったんですか?もちろんうまくいった試しはあるかもしれない。
頑張ったことによってある程度の結果は出た? まあそれは出ることは出るんだけど、
じゃあその頑張り続けた先に何があるのかっていうと、結局鬱なんですよね。 体を壊すとかね。
よくあるじゃないですか、過労死なんて言う言葉がありますけど、過労死っていう言葉はね、日本の言葉、日本語じゃないですか、過労死。
これがね、もう外国に輸出されて外来語になっちゃってるんですよね。 過労死ってね、情けないですよね。
寿司、天ぷら、漫画とかだったらともかく過労死なんて不名誉な言葉が、そんな概念が外国にないから、ないから過労死っていう言葉が輸出されたんですよ。
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そんぐらいね、日本人はそもそも頑張り屋さんなんですよね。 だからなんか頑張ることが他の国に比べても異常なんですよ。
たぶん過労死なんて言葉がね、輸出されるぐらいですから。 だから頑張りすぎて死ぬってどういうことですかって話じゃないですか。
幸せになるために頑張っているのに、もっとハッピーになるために頑張っているのに、なんでそこでね、頑張りすぎて体壊したりとかね、
最悪の場合そうやってね、命を落としてしまうとかね、もしくは心の健康を壊すとか、それおかしいよねって話じゃないですか。
だから頑張りすぎて幸せにはなれないんですよね。
もちろんある程度成功する可能性はあるけれども、確率は上がるけれども、本当のね意味ではそこは本質ではないんですよ。
で、もっとね、スピリチュアルのことを勉強したりとか、本当の成功者、本当の成功者って言い方はあんまり良くないかもしれないですけど、
本当にハッピーで生きている人っていうのは、やっぱりね、頑張ってないんですよね。
頑張ってないって言い方はちょっと語弊があるかもしれないですけど、なんか本当にね、あのー、手放してるんですね。
頑張りを手放してるっていう表現がいいんですかね。なんかこう、緩んでるんですよ。
そういうね、もう時代に行こうよ。みんなでね、これを聞いてるあなたはね、あのー、多分ね、頑張り屋さんだと思いますよ。
あのー、僕もそうなんですけどね、あのー、自己肯定感が低い頑張り屋さんっていうのがね、やっぱり一番しんどいんですよ、この社会において。一番生きづらい。
自己肯定感が低いからそれを何とか埋めようとして、頑張りでね、努力しようとする人が非常に多い。
そうすると、あのー、どんどんどんどん自分へパワハラをしてしまうんですね。自分へのパワハラなんですよ、頑張りっていうのはね。
今でこそね、パワハラっていうのがこう、可視化されてきたじゃないですか。パワハラって良くないよってね、なってるでしょ。
そんな、昔みたいにね、そんな竹刀を持った体育教師なんてものはいないわけで。
で、パワハラなんてものをしたら、もう法で裁かれたりとかね、法で裁かれるかどうかわからないけど、まあ、あのー、ツイッター伝授したりするじゃないですか。
だから、あのー、そうやって人からね、パワハラを受けることは、まあその、あからさまなレベルでは少なくなってきているとは思いますけど、
でもね、ついやってしまうのが自分へのパワハラなんですよ。ね。自分へのパワハラはなかなかバレないじゃないですか。
だから、例えばさ、よくいるでしょ。家族とかに、あのー、きつい言葉を投げかける親、あの子供、自分の子供だからって言って、子供に暴力振るったりとか、子供に暴言吐いたりする親って、
あのー、まあ、僕はたまにね、そう外行くと見かけるんですけど、そういうの見るとね、本当にね、心が苦しむんですよね。心が痛むというか、なんか、
いや、自分の子供だからって言ってね、そんな暴言吐いていいわけじゃないじゃないですか。でも今それは法で裁けないっていうかね、そのー、人が注意できないじゃないですか。
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俺の子供に何言ってんだよ、みたいな感じで、俺の子供だから勝手だろ、みたいに多分言われちゃうじゃないですか。だから、周りも誰も言えないんだけど、まあそれと似たようなもので、
自分パワハラしちゃってるんですよね、無意識のうちに。しかもそれって心の中のことだから、可視化されないので、なんか自分も無意識にもしかしたらやっちゃってるし、他人からもそれ見えないんですけど、
ね、その自分でパワハラしてないかっていう概念をちょっと持ってほしいんですよ。で、よくよく自分の行動を振り返ってみたら、結構無意識に自分パワハラをやってるんですよね。
自分パワハラっていうのはどういうことかっていうと、なんかもっとやんないとダメだとか、頑張らないとお前には価値がないぞとか、
もっと頑張れとか、努力しろ、みたいなことを心の中で自分に言っちゃってるんですよね。それは今まで自分が親とかですね、先生とか上司とかから言われてきたことが
こびりついたりしまって、それを自分にもやっちゃってるんですよね。よくさ、あの虐待されたら自分のその、自分が虐待されたらそれを自分のその子供にもやってしまうっていうのがあるじゃないですか。
それを自分にもやっちゃってるんですよね。だから自分がこう言われ続けてきたことをその自分の心に対してやっちゃってるんですよ。だから
なんか苦しいんですよね。だからどんなに世の中にパワハラというものがなくなっても、自分が自分にするパワハラがなくならない限り、
なんか本当の意味で心の平安というのがね、訪れないんじゃないかなと僕は思ったんですよ。
ね、これすごい良い言葉でしょ。自分へのパワハラっていう概念、めちゃくちゃなんか僕なりにすごくね、わかりやすい言語化ができたなって思ったんですよ。
頑張らなくていいよっていうのはね、そういういろんなところで最近言ってるじゃないですか。
もう頑張らなくていいんだよ、努力しなくていいんだよ、そういうことじゃないんだよ。もうそんな生安いことじゃない。
自分へのパワハラやめようぜっていうこと。ね。自分へのパワハラしてませんかっていう。
自分へのパワハラしてるって思ったら、これはやばいって思うじゃないですか。
頑張らなくていいよって言うとなんか引き集めみたいに感じるでしょ。
あ、頑張らなくていいんだ、ありがとうみたいな。じゃない。そんなもんじゃない。
自分へのパワハラをやめようって話。もうポリシマリレベルですからね。
頑張るのをやめるっていうのは、自分へのパワハラをやめるってことですよ。
で、自分へのパワハラっていうのは、もう本当に自分を傷つけてる行為ですからね。自傷行為ですよ。ね。
自分のね、あの手首とかをね、こう刃物とかで切ったりとかするみたいなもんなんですよ。
それを自分の心にやっちゃってるんです。それが頑張りすぎ。
まあ頑張りすぎというか、もう頑張ること自体がもうそもそもそうなんですよ、本当はね。
なんか頑張ることって美徳みたいな感じで、今までの世の中で言われてましたけど、もうね、それはもう昭和の考え、平成の考え、もう古い考え。
頑張れば成功するとかね。まあもちろん、さっきも言ったように、頑張るまで成功する一面もあるんだけど、それはね、本質的ではないんですよ。
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頑張るっていうのは何かっていうと、バカのチート技なんですね。
バカがするチート技なんですよ。だって頑張れば、
ハリーより抜きに出ることができますからね。 だって例えばね、まあ学校のテストがありますとね、学校のテストがいついつにあります。
1週間後に学校のテストがあります。で、このテストに合格すれば成績良くなります。
でも上位10人までです、みたいなものがあるとするじゃないですか。 そしたら1週間後に学校のテストがありますって言ったら、
じゃあどうすれば合格する確率を上げることができるかって言ったら、寝ないで勉強することなんですよね。
人よりも睡眠時間を削って勉強して、たくさん覚えることができれば成績が上がるじゃないですか。
それがつまり頑張るということなんですよね。 それは会社においても同じですよね。会社においても、まあ営業成績を上げるとか、なんかそのたくさん契約を取る
っていうのも、やっぱりこの時間をかければいいわけですからね。 時間をかければ成績が上がる。それはイコール競争社会の産物なんですよね。
資本主義もしくは競争社会において勝ち上がるためには単純に頑張れば、能力がない人、
才能がない人が勝ち上がるにはもう頑張るしかなかったんですよ。昔はね。 でも今はそうじゃないんですよ。もっとね、いろんな
やり方があるし、 もっと言うと、あの頑張らない方がうまくいくんですよね。
それが宇宙の仕組みというか、本当のね、あの原理原則なんですけど、まあそれはね、なかなか直感的にちょっとね、理解できない
と思うんですけれども、それはやっぱり人間のね、その今までの擦り込みだったり思い込みとかがあるので、なんか
頑張らないとやばいんじゃないかって思うかもしれないけど、でもそれをね、ちょっと手放す。 リラックスする自分を許してあげる。
そういうことをちょっとずつやっていくと、だんだんね、こう人生が楽になるというかね、そういうふうになるんじゃないかなと思います。
なのでね、いきなり言われてもね、いや頑張ることって正しいことでしょって思ってると思う。でもどっかで確かに頑張ることって自分へのパワハロだよなって思ってる部分もあるかも。
だから、それが正しい、正しいというかまあ普通の反応だと思いますね。なので、あのちょっとずつでいいので自分をね、緩めてあげてください。
少しゆっくりお風呂に入るとかですね、たくさん眠ってきまった自分を許してあげるとかですね、
まああの、悠久を撮るとかですね、好きなアニメを見ることを許してあげるとか、そういうふうにちょっとずつね、
リラックスする自分、頑張らない自分というのを許してあげることから始めてみてはいかがでしょうか。
はい、ということで今回は頑張りすぎは自分へのパワハロであるというテーマで話しました。